インカ・ガルシラーソ『インカ皇統記』

インカ・ガルシラーソ『インカ皇統記』(正史 の史料)。扱う年は1186年 〜 1532年、出来事112件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年1186年 〜 1532年
出来事の数出来事112件・地図に置いた56件
著者Inca Garcilaso de la Vega
原題Comentarios Reales de los Incas

地域の内訳: アメリカ大陸 110

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1186年 〜 1213年Cuscoマンコ・カパックと王妃がクスコの谷に名を付けた(当時、谷全体は荒れた森だった)Libro I cap. XV (vol.1, l.3848)
1186年 〜 1213年Cusco集まった人々に仕事を割り当て、小屋と家を建てさせる——クスコ市の始まりLibro I cap. XVI (vol.1, l.3923)
1186年 〜 1213年マンコ・カパックが西へ8レグア、アプリマック川まで服属させるLibro I cap. XVII (vol.1, l.4027)
1186年 〜 1213年クスコ東方、アンティスユの王道の両側に13の村を築かせるLibro I cap. XX (vol.1, l.4376)
1186年 〜 1213年マンコ・カパック死去、長子シンチ・ロカが後継者Libro I cap. XXV (vol.1, l.4893)
1213年 〜 1240年Cuscoシンチ・ロカが供の者を率いて南のコジャスユ方面へ出征Libro II cap. XVI (vol.1, l.6992)
1213年 〜 1240年一部の伝承では、シンチ・ロカはウマスユの道でカンチャジャ・アシーヨ・ウアンカニなどを経て、プカラ・デ・ウマスユまで得たというLibro II cap. XVI (vol.1, l.7020)
1240年 〜 1267年ロケ・ユパンキがカナ地方に入り、服従を勧める使節を送るLibro II cap. XVIII (vol.1, l.7149)
1240年 〜 1267年Ayaviriロケ・ユパンキは監督官を残し、アヤビリの村・部族まで進むLibro II cap. XVIII (vol.1, l.7159)
1240年 〜 1267年Pucará (Puno)プカラに砦を築き、得た土地の防衛線・境界とするLibro II cap. XVIII (vol.1, l.7202)
1240年 〜 1267年ロケ・ユパンキがアトゥン・コリャとチュクイトの境界に至り、いつものように服従を求める使いを送るLibro II cap. XX (vol.1, l.7370)
1240年 〜 1267年西のウリン・パカサ地方へ将軍を送り服属させるLibro II cap. XX (vol.1, l.7423)
1240年 〜 1267年ロケ・ユパンキ死去。正妻の息子はおらず、マイタ・カパックが王太子となるLibro II cap. XX (vol.1, l.7470)
1267年 〜 1294年第3巻の要約:ペルー最初の柳の枝の橋がマイタ・カパックの時代に架けられるLibro III cap. XXVIII (vol.1, l.8573)
1267年 〜 1294年Tiahuanacoマイタ・カパックのティアワナコ獲得(章題)——現地の人々は、そこの建物はインカ以前の遺跡だと言うLibro III cap. I (vol.1, l.8701)
1267年 〜 1294年マイタ・カパックがアトゥン・パカサ地方の大部分を、ほとんど抵抗なく服属させるLibro III cap. II (vol.1, l.8782)
1267年 〜 1294年カキャビリ側と50日余り対峙。インカは古来の慣習と王の命令により、先には攻撃しないLibro III cap. i\ (vol.1, l.8973)
1267年 〜 1294年カキャビリの人々が降伏し、インカは寛大に受け入れるLibro III cap. i\ (vol.1, l.8991)
1267年 〜 1294年プカラから東のヤリカサ地方へ行き、抵抗なく服属させるLibro III cap. \ (vol.1, l.9066)
1267年 〜 1294年チャラマルカからチャルカスの王道を24レグア先へ進み、カルコロまでの村々を服属させるLibro III cap. \ (vol.1, l.9234)
1267年 〜 1294年Alca道(カルサダ)を敷いた後、マイタ・カパックはアルカ地方に入り、中心の村へ凱旋入城するLibro III cap. VTI1 (vol.1, l.9430)
1267年 〜 1294年Cotahuasiアルカの次はタウリスマ・コタウアシ・プマタンプ・パリウアナ・コチャなど大きな地方へ進むLibro III cap. VTI1 (vol.1, l.9446)
1294年 〜 1321年カパック・ユパンキの征服中、反抗する地方と1か月余り対峙。飢えた反乱者たちが使節を送り服従の意思を示すLibro III cap. X (vol.1, l.9593)
1294年 〜 1321年Cuscoカパック・ユパンキが、新たな三地方の首長たちが肩に担ぐ黄金の輿に乗って凱旋入城するLibro III cap. XI (vol.1, l.9738)
1294年 〜 1321年カパック・ユパンキは将軍たちにクンティスユの征服を続けさせ、ワカチャカ橋まで同行するLibro III cap. XII (vol.1, l.9766)
1294年 〜 1321年数年後、カパック・ユパンキは自らコリャスユ方面へ領土を広げる出征を決意するLibro III cap. XIII (vol.1, l.9915)
1294年 〜 1321年カパック・ユパンキはクスコを発ち、父が残した最後の境界であるパリア湖まで行くLibro III cap. XIV (vol.1, l.9959)
1294年 〜 1321年Desaguaderoワカチャカ橋の型に倣い、チチカカ湖の排水口(デサグアデロ)にも橋を架けさせるLibro III cap. XV (vol.1, l.10164)
1294年 〜 1321年カパック・ユパンキはチャヤンタに入り、敬意をもって迎えられるLibro III cap. XV (vol.1, l.10276)
1321年 〜 1348年インカ・ロカは、チンチャイスユ方面の征服のためアプリマック川に橋を架けさせるLibro IV cap. XY (vol.2, l.1247)
1321年 〜 1348年ビルカから西の海岸の方へ折れ、同名の二つの大地方のうちソラ(ウトゥン・ソラ)に名を与えるLibro IV cap. XY (vol.2, l.1370)
1321年 〜 1348年Cuscoインカ・ロカはクスコからコリャスユの王道を出発し、戦闘兵力を集めてチャルカス遠征に出るLibro IV cap. XVII (vol.2, l.1560)
1321年 〜 1348年Sucreミスキ・サカカ・マカカ・カラカラなどチャルカス地方を、チュキサカ(今のラプラタ)まで服属させるLibro IV cap. XVIII (vol.2, l.1652)
1321年 〜 1348年Cuscoインカ・ロカの法の制定とクスコの学校の設立(第19章の題)Libro IV cap. XIX (vol.2, l.1691)
1348年 〜 1368年インカ・ロカは王太子ヤワル・ワカクをアンティスユ征服に送るLibro IV cap. XVI (vol.2, l.1405)
1348年 〜 1368年ヤワル・ワカクは、コリャスユに残る大きな地方(カランカ・ウラカ・リピ・チチャ)の服属を決めるLibro IV cap. XX (vol.2, l.1794)
1348年 〜 1368年王は十九歳の王太子を宮廷から追放し、クスコ東方のチタの牧場へ送るLibro IV cap. XX (vol.2, l.1844)
1366年 〜 1368年亡霊が王太子に、チンチャイスユの多くの地方が反乱を起こし大軍を集めていると告げる 判定保留Libro IV cap. XXI (vol.2, l.1926)
1366年 〜 1368年チャンカ・ウルカマルカ・ビルカ・ウトゥン・ソラ・ハンコワルなどが反乱し、総督を殺し、四万の軍勢でクスコへ進軍するLibro IV cap. XXIII (vol.2, l.2030)
1366年 〜 1368年Cusco王太子ビラコチャ・インカは、クスコを捨てた父を近道で追い、ムイナ峡谷で追いつくLibro IV cap. XXIV (vol.2, l.2154)
1366年 〜 1368年クンティスユから約二万の援軍が到着し、ビラコチャ王太子の側につくLibro V cap. XVI (vol.2, l.3839)
1366年 〜 1368年Cusco援軍とともにサクサワマン(クスコ近郊)に至る。後にゴンサロ・ピサロの戦いの地となるLibro V cap. XVI (vol.2, l.3913)
1366年 〜 1368年Cuscoサクサワマン(ヤワルパンパ)の戦いは八時間以上続き、非常に血なまぐさく、チャンカは打ち破られるLibro V cap. XIX (vol.2, l.4147)
1368年 〜 1400年Cuscoビラコチャ・インカが徒歩でクスコに入城するLibro V cap. XX (vol.2, l.4263)
1368年 〜 1400年秘密の対話の末、王太子は父をクスコへ戻らせないことを決めるLibro V cap. XX (vol.2, l.4295)
1368年 〜 1400年ビラコチャは夢で見た叔父の亡霊を讃え、ある村に神殿を建てさせる(第22章) 虚構Libro V cap. XX (vol.2, l.4494)
1368年 〜 1400年視察を終えてクスコへ戻ったあと、カランカ・ウラカ・リピ・チチャなど大きな地方の征服を決めるLibro V cap. XXITT (vol.2, l.4671)
1368年 〜 1400年Cuscoビラコチャは弟パウアク・マイタに都を任せ、軍とともにチンチャイスユの道へ出発するLibro V cap. XXIV (vol.2, l.4720)
1368年 〜 1400年牧草地に水を引くため、幅十二フィート以上、長さ百二十レグア超の水路を掘らせるLibro V cap. XXIV (vol.2, l.4760)
1368年 〜 1400年クンティスユの残りの地方と海岸の谷々を巡行するLibro V cap. XXV (vol.2, l.4825)
1368年 〜 1400年ヤワルパンパの戦いと、ハンコワルの離反で空になったチャンカ地方に、移住民一万世帯を送るLibro V cap. XXVI (vol.2, l.5074)
1368年 〜 1400年Yucay帝国各地、とりわけユカイ渓谷とその下のタンボに、大きく華麗な建物を造らせた。Libro V cap. XXVI (vol.2, l.5080)
1368年 〜 1400年ビラコチャ・インカの死(第29章の題)。著者はその遺体を見たという。Libro V cap. XXIX (vol.2, l.5216)
1400年 〜 1430年Cuscoビラコチャの死後、正妻の子パチャクティが帝国を継ぐ。Libro VI cap. X (vol.2, l.6399)
1400年 〜 1430年Tarmaパチャクティの弟カパック・ユパンキは、肥沃なタルマとプンプ(スペイン人の呼ぶボンボン)の地方を容易に服属させる。Libro VI cap. XI (vol.2, l.6512)
1400年 〜 1430年反抗する地方に対し、インカは飢えが敵を屈服させるのを待つ(第13章)。Libro VI cap. XIII (vol.2, l.6725)
1400年 〜 1430年Huamachuco善良な首長ワマチュコの地方が服属し、その後インカたちは彼と子孫を厚く遇した。Libro VI cap. XIV (vol.2, l.6824)
1400年 〜 1430年Cajamarca叔父と甥が征服を続け、カハマルカの境界に至る。Libro VI cap. XV (vol.2, l.6858)
1400年 〜 1430年ヤウヨの征服と、叔父・甥の凱旋(第16章の題)。Libro VI cap. XVI (vol.2, l.6960)
1400年 〜 1430年Cajamarcaカハマルカの思慮深い人々は、インカの力に抗えないとして降伏を主張する。Libro VI cap. XVI (vol.2, l.6985)
1400年 〜 1430年Cuscoパチャクティは弟と王太子を盛大な凱旋式で迎え、輿に乗せて入城させる。Libro VI cap. XVI (vol.2, l.7013)
1400年 〜 1430年Nazcaその方面の平野(海岸)の征服に着手する。インカはそれまで、ナスカまでの土地を得ていた。Libro VI cap. XVII (vol.2, l.7083)
1400年 〜 1430年Chincha Altaチンチャの征服では水路を壊し作物を枯らし、飢えによって海岸の民ユンガを屈服させようとする。Libro VI cap. XVIII (vol.2, l.7236)
1400年 〜 1430年Chincha Altaチンチャの首長との戦争が終わり、インカは喜んで手厚く迎え入れる。Libro VI cap. XIX (vol.2, l.7315)
1400年 〜 1430年ルナウアナク渓谷と、その北のウアルコ、マラなど三つの渓谷の征服の叙述。Libro VI cap. XXIX (vol.2, l.8346)
1400年 〜 1430年Cuscoクイスマンコを厚く遇し、戦勝式では王族のインカたちの間に立たせる。Libro VI cap. XXXI (vol.2, l.8666)
1400年 〜 1430年Trujilloチムー王が兵を率いて出てきて、インカの力を試す小規模な小競り合い。Libro VI cap. XXXII (vol.2, l.8789)
1400年 〜 1430年Trujillo強大なチムーは抵抗の過ちを認め、使節を送る。Libro VI cap. XXXIII (vol.2, l.8934)
1400年 〜 1430年Paramongaパルムンカ渓谷に、チムー王に対する勝利を記念する要塞を築かせる。Libro VI cap. XXXIII (vol.2, l.8987)
1400年 〜 1430年Cusco老いたパチャクティは征服をやめ、クスコを建物と住民で育て上げる。Libro VI cap. XXXIV (vol.2, l.9060)
1430年 〜 1455年インカは川に沿って下り、チュインチャの諸部族と大きな戦闘を交える。Libro VII cap. XI (vol.2, l.11095)
1430年 〜 1455年長い戦いと交渉の末、川の片岸の全部族がインカに服属する。Libro VII cap. XI (vol.2, l.11108)
1430年 〜 1455年チュインチャの使節の求めにより、クスコから26レグア離れたトノ近くに町が建てられる。Libro VII cap. XI (vol.2, l.11121)
1430年 〜 1455年民の愛と軍の力を頼みに、チリ王国征服という大事業を決める。Libro VII cap. XVIII (vol.2, l.11519)
1430年 〜 1455年一万の兵を、将軍シンチ・ルカと二人のマエストレ・デ・カンポの下でチリへ送る。Libro VII cap. XVIII (vol.2, l.11554)
1430年 〜 1455年先遣隊の後を追い、同数の後続部隊を送る。Libro VII cap. XVIII (vol.2, l.11563)
1430年 〜 1455年Coquimbo増援はさらに80レグア進んでクキンプ渓谷に達し、服属させる。Libro VII cap. XIX (vol.2, l.11611)
1430年 〜 1455年インカと他の諸部族との残酷な戦闘(第20章の題)。Libro VII cap. XX (vol.2, l.11676)
1430年 〜 1455年Cusco市の北の高丘サクサワマンに要塞を築く。Libro VII cap. XXVI (vol.2, l.12437)
1455年 〜 1481年チャチャポヤスへ行くには、まずウアクラチュコの地方を征服しなければならない。Libro VIII cap. XXIX (vol.2, l.12837)
1455年 〜 1481年Chachapoyasトゥパック・インカ・ユパンキ、チャチャポヤス地方の最初の町々を征服(第2章の題)。Libro VIII cap. II (vol.2, l.12904)
1455年 〜 1481年Chachapoyasチャチャポヤス地方全体がインカに服属したとの知らせに、ムユパンパの人々も容易に降伏する。Libro VIII cap. III (vol.2, l.13052)
1455年 〜 1481年好戦的で頑強な三つの大きな地方の征服(第4章の題)。Libro VIII cap. III (vol.2, l.13113)
1455年 〜 1481年Cañarトゥパック・インカ・ユパンキはカニャリ地方へ向かう途中、まずパルタの諸地方を征服する。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13279)
1455年 〜 1481年Cuencaカニャリ地方、とりわけトゥミパンパに建物と王宮を築き、金銀で飾った部屋を備える。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13341)
1455年 〜 1481年Quitoトゥパック・インカ・ユパンキのキト征服、王太子ワイナ・カパックも参戦(第7章の題)。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13519)
1455年 〜 1481年Quito征服が長引くため、長男ワイナ・カパックを軍事訓練を兼ねて呼び寄せ、参戦させる。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13550)
1455年 〜 1481年Quito敵の将軍たちはワイナ・カパックの慈悲に降伏し、衣服などの贈り物を受ける。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13623)
1455年 〜 1481年ワイナ・カパックはキトを通過し、キリャシンガ地方に至る。Libro VIII cap. V (vol.2, l.13642)
1481年 〜 1523年Cusco息子が生まれると、ワイナ・カパックは金の綱を作らせる(先住民の証言によれば、オレホネス200人がかろうじて持ち上げられた)。Libro IX cap. I (vol.3, l.222)
1481年 〜 1523年Pacasmayoチャクマとパカスマヨの渓谷の住民に、平和か戦争かを条件とする服属を求める使者を送る。Libro IX cap. II (vol.3, l.292)
1481年 〜 1523年Sañaパカスマヨとトゥンベスの間の八つの渓谷、サニャム・コルケ・シント・トゥクミ・サヤンカ・ムトゥピ・プチウ・チュルヤナも服属する。Libro IX cap. II (vol.3, l.300)
1481年 〜 1523年Tumbesトゥンベスの人々は、インカが海岸で征服した部族の中でも自分たちが最も贅沢で放埒だったと語る。Libro IX cap. II (vol.3, l.320)
1481年 〜 1523年ワイナ・カパックは島(プナ)に渡り、もてなしを受ける。Libro IX cap. IV (vol.3, l.541)
1481年 〜 1523年プナの人々がワイナ・カパックの将軍たちを殺す(第5章の題)。Libro IX cap. V (vol.3, l.587)
1481年 〜 1523年反逆者への懲罰(第6章の題)。Libro IX cap. VI (vol.3, l.666)
1481年 〜 1523年Tumbesワイナ・カパックはトゥンベスを去り、平時と戦時の統治体制を残して王国の半分を巡行する。Libro IX cap. Vil (vol.3, l.753)
1481年 〜 1523年Chachapoyas海岸へ向かっていた軍をチャチャポヤス地方へ引き返すよう命じる。Libro IX cap. Vil (vol.3, l.786)
1481年 〜 1523年Chachapoyasチャチャポヤスの人々は自らの罪とインカの寛大さを悟り、以後忠実な臣民となる。Libro IX cap. Vil (vol.3, l.906)
1481年 〜 1523年Mantaマンタ地方の境界に至る(スペイン人がプエルト・ビエホと呼ぶ港のある所)。Libro IX cap. VII (vol.3, l.932)
1481年 〜 1523年サラミソを経てパサオ地方まで進出する。Libro IX cap. VII (vol.3, l.1024)
1481年 〜 1523年Cusco巡行の途中、クスコに至り、太陽の大祭ライミを営む。Libro IX cap. X (vol.3, l.1220)
1481年 〜 1523年カランケ族の反乱と懲罰(第11章の題)。Libro IX cap. XI (vol.3, l.1292)
1481年 〜 1523年Quitoワイナ・カパックは息子アタワルパをキトの王に据える(第12章の題)。Libro IX cap. XII (vol.3, l.1382)
1481年 〜 1523年ワイナ・カパックは二つの有名な道のうち一方を行き、他方を通って引き返す。Libro IX cap. XIII (vol.3, l.1538)
1481年 〜 1523年ワイナ・カパックは海岸を行き来するスペイン人の知らせを聞く(第14章の題)。Libro IX cap. XIV (vol.3, l.1648)
1481年 〜 1523年Quitoワイナ・カパックの死。ピサロの一行がペルーに入った1531年より八年前の1523年(在位42年)。Libro IX cap. XIV (vol.3, l.1673)
1481年 〜 1523年Quitoキト王国にいたワイナ・カパックは、生涯の終わり近いある日、湖に沐浴に入る。遺言とスペイン人の来訪の予言(第15章)。Libro IX cap. XV (vol.3, l.1826)
1523年 〜 1532年Cuscoワスカルは、アンティ・コリャ・クンティスーユの総督に、急ぎ兵を集めてクスコへ来るよう命じる。Libro IX cap. XXXIV (vol.3, l.3735)
1523年 〜 1532年アタワルパの軍がワスカルの軍を破る。コリャ族は加わらず、ワスカルの兵は未熟だったからだとされる。Libro IX cap. XXXV (vol.3, l.3810)
1523年 〜 1532年アタワルパの軍は道に沿って進軍し、首長と住民を服属させる。Libro IX cap. XXXVII (vol.3, l.4081)
1523年 〜 1532年Cuscoワスカルは準備を整えてクスコを出発し、クスコから1レグア離れたキパイパンへ行って戦う。Libro IX cap. XXXVII (vol.3, l.4084)

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