高麗史(正史 の史料)。扱う年は918年 〜 1392年、出来事237件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 918年 〜 1392年 |
| 出来事の数 | 出来事237件・地図に置いた184件 |
| 著者 | 鄭麟趾 等 |
| 原題 | 高麗史 |
地域の内訳: 朝鮮半島 177 · 中国 60
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 918年 | 개성 | 馬軍将軍の桓宣吉が謀反して発覚し、処刑される(即位直後の宮中の反乱)。 | 世家 卷1 太祖 元年 |
| 918年 | Asan | 熊州・運州など十余りの州県が後百済に付くと、金行濤を東南道招討使兼牙州諸軍事とする。 | 世家 卷1 太祖 元年 |
| 919年 | 청주 | 青州が順と逆の間で揺れると、太祖は自ら赴いて慰撫し、城を築かせる。 | 世家 卷1 太祖 二年 |
| 920年 | 합천 | 甄萱は新羅を攻めて大良・仇史の二郡を奪い、進礼郡にまで至る。 | 世家 卷1 太祖 三年 |
| 920年 | 경주 | 新羅が使者を送って救援を求めると、王は兵を送って救い、甄萱は退く。このときから両者の仲は裂けた。 | 世家 卷1 太祖 三年 |
| 922年 | 강릉 | 溟州将軍の順式が子を送り、降伏して帰順する。 | 世家 卷1 太祖 五年 |
| 922年 | 평양 | 太祖は西京に行幸し、官府と官員を新たに置き、城郭を築き始める。 | 世家 卷1 太祖 五年 |
| 923年 | 碧珍郡 | 碧珍郡将軍の良文が甥を送って降伏すると、圭奐を元尹に任じる。 | 世家 卷1 太祖 六年 |
| 924年 | Gimcheon | 甄萱が子の須彌康・良劒らを送って曹物郡を攻めると、哀宣・王忠を遣わして救援させる。哀宣は戦死する。 | 世家 卷1 太祖 七年 |
| 924年 | 경주 | 新羅王の昇英が死に、弟の魏膺が即位して来て喪を告げる。 | 世家 卷1 太祖 七年 |
| 925年 | 忽汗城 | 契丹の主は渤海の大諲譔を討つため大軍を起こし、忽汗城を包囲する。 | 世家 卷1 太祖 八年 |
| 925年 | Gimcheon | 太祖が自ら兵を率いて助物郡で甄萱と戦い、庾黔弼も兵を率いて合流する。 | 世家 卷1 太祖 八年 |
| 926年 | 공주 | 甄萱は新羅の王信を殺し、熊津へ進軍する。 | 世家 卷1 太祖 九年 |
| 926年 | 평양 | 十二月、太祖は西京に行幸して祭祀を行い、州鎮を巡視する。 | 世家 卷1 太祖 九年 |
| 927年 | Yecheon | 太祖は自ら百済を征伐し、龍州を降伏させる。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 홍성 | 太祖が運州に入り、城下で城主の兢俊を撃破する。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 진주 | 海軍将軍の英昌・能式が水軍を率いて康州を攻め、四郷を降伏させ、人と物資を奪う。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 합천 | 在忠・金樂らが大良城を攻め破り、将軍の鄒許祖ら三十余名を捕らえる。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 영천 | 甄萱は近品城を焼き、新羅の高鬱府を襲撃して王都近郊にまで迫る。新羅王は救援を求める。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 경주 | 甄萱は兵を放って大いに略奪し、王宮に入り、新羅王を群衆の中へ引き出して自害を強いる。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 927年 | 대구 | 甄萱軍が太祖を急襲して包囲し、申崇謙・金樂は力戦して戦死する。太祖はかろうじて身一つで脱出する。 | 世家 卷1 太祖 十年 |
| 928年 | 三年山城 | 太祖は自ら三年山城を攻めたが勝てず、清州へ行幸する。 | 世家 卷1 太祖 十一年 |
| 929年 | 義城府 | 甄萱は甲卒五千を率いて義城府を侵攻し、城主の洪術が戦死する。 | 世家 卷1 太祖 十二年 |
| 929年 | 안동 | 甄萱が古昌郡を包囲したため、太祖は自ら救援に向かう。 | 世家 卷1 太祖 十二年 |
| 930年 | 안동 | 太祖が戦い、日暮れに甄萱が敗走する。侍郎の金渥を捕らえ、八千余人が戦死する。 | 世家 卷1 太祖 十三年 |
| 931年 | 경주 | 太祖は五十騎余りを率いて新羅の王都の畿内に至り、見舞いをする。 | 世家 卷2 太祖 十四年 |
| 934年 | 홍성 | 太祖は自ら運州を征伐し、甄萱と戦って大勝する。熊津以北の三十余城は、その名を聞いただけで降伏する。 | 世家 卷2 太祖 十七年 |
| 935年 | Kimje | 甄萱の子の神劒は父を金山寺の仏宇に幽閉し、弟の金剛を殺す。 | 世家 卷2 太祖 十八年 |
| 935年 | 경주 | 新羅王が上書し、臣下の礼をもって拝謁したいと請う(新羅の降伏)。 | 世家 卷2 太祖 十八年 |
| 936年 | 구미 | 太祖が三軍を率いて天安府で合流し、一善郡に至ると、神劒が兵を出して迎え撃つ。 | 世家 卷2 太祖 十九年 |
| 936年 | 구미 | 太祖は公萱に中軍を直撃させ、三軍が一斉に進撃すると、敵兵は大いに崩れる。 | 世家 卷2 太祖 十九年 |
| 936年 | 논산 | 我が軍は黄山郡まで追撃し、神劒がその弟の良劒・龍劒および文武官とともに降伏する(後百済の滅亡)。 | 世家 卷2 太祖 十九年 |
| 942年 | 개성 | 契丹は渤海と連合しながら裏切って滅ぼしたとして絶交し、使者三十人を島に流し、ラクダを万夫橋の下に繋いで餓死させる。 | 世家 卷2 太祖 二十五年 |
| 947年 | 평양 | 西京に王城を築く。 | 世家 卷2 定宗 二年 |
| 949年 | 평양 | 図讖(予言書)に従い西京遷都を決議し、壮丁を徴発する。侍中の権直が宮闕の造営を担当する。 | 世家 卷2 定宗 四年 |
| 974年 | 평양 | 西京の謀反者である緣可が反乱を企て、処刑される。 | 世家 卷2 光宗 二十五年 |
| 993年 | 안주 | 成宗は西京に行幸して安北府まで進んだが、契丹の蕭遜寧が蓬山郡を破ったとの報に接し、それ以上進めず引き返す。 | 世家 卷3 成宗 十二年 |
| 997年 | 개성 | 成宗は病が重くなると、開寧君誦を呼び、直々に誓書を下して王位を伝え、内天王寺へ移る。 | 世家 卷3 成宗 十六年 |
| 1005年 | 안변 | 東女真が登州を略奪し、州鎮の村三十余カ所を焼く。将軍を派遣して防がせる。 | 世家 卷3 穆宗 八年 |
| 1009年 | 개성 | 康兆は王を廃して陽国公とし、兵を送って金致陽父子ら七人を殺す。 | 世家 卷3 穆宗 十二年 |
| 1010年 | 和州 | 柳宗が和州の客館で朝貢に来た女真九十五人をことごとく殺し、このことが契丹に伝わって、契丹はこれを口実とする。 | 世家 卷4 顯宗 元年 |
| 1010年 | 興化鎭 | 契丹の主は歩騎四十万を率いて鴨緑江を渡り、興化鎮を包囲する。だが楊規らが堅く守って降伏しない。 | 世家 卷4 顯宗 元年 |
| 1010年 | 선천 | 康兆は通州で契丹と戦って敗れ、捕らえられる。 | 世家 卷4 顯宗 元年 |
| 1010年 | 안주 | 契丹軍が清水江に至ると、安北都護府使の朴暹は城を捨てて逃げ、民は散り散りになる。 | 世家 卷4 顯宗 元年 |
| 1010年 | 평양 | 契丹軍が西京に至り、中興寺の塔を焼く。 | 世家 卷4 顯宗 元年 |
| 1011年 | 개성 | 契丹の主が開京に入り、太廟・宮闕・民家をことごとく焼く。 | 世家 卷4 顯宗 二年 |
| 1011年 | 개성 | 松岳城を増築し、西京の皇城を築く。 | 世家 卷4 顯宗 二年 |
| 1012年 | 포항 | 東女真が清河・迎日・長鬐県を略奪すると、都部署の文演・姜民瞻らが州郡兵を督励して追い払う。 | 世家 卷4 顯宗 三年 |
| 1013年 | 鴨綠江 | 女真が契丹軍を率いて鴨緑江を渡ろうとすると、大将軍の金承渭らが攻めてこれを退ける。 | 世家 卷4 顯宗 四年 |
| 1014年 | 선천 | 契丹の蕭敵烈が通州を侵攻する。 | 世家 卷4 顯宗 五年 |
| 1015年 | 鴨綠江 | 契丹が鴨緑江に橋を架け、両岸に東城・西城を築くと、将軍を送って攻めたが破れなかった。 | 世家 卷4 顯宗 六年 |
| 1015年 | 興化鎭 | 興化鎮の鄭神勇らが契丹軍の後尾を討ち、七百余の首級を挙げたが、神勇ら七人が戦死する。 | 世家 卷4 顯宗 六年 |
| 1016年 | 곽산 | 契丹の耶律世良・蕭屈烈が郭州を侵攻し、我が方の戦死者は数万に上る。 | 世家 卷4 顯宗 七年 |
| 1017年 | 興化鎭 | 契丹の蕭合卓が興化鎮を九日間攻めたが勝てない。 | 世家 卷4 顯宗 八年 |
| 1018年 | 契丹の蕭遜寧が十万で侵攻すると、姜邯賛を上元帥、姜民瞻を副元帥とする。 | 世家 卷4 顯宗 九年 | |
| 1018年 | 慈州 | 姜民瞻は慈州から追撃して、契丹軍をまた大きく破る。 | 世家 卷4 顯宗 九年 |
| 1019年 | 신계 | 蕭遜寧が新恩県に至る。開京まで百里。 | 世家 卷4 顯宗 十年 |
| 1019年 | Kusŏng-si | 契丹軍が亀州を通るとき、姜邯賛らが迎え撃って大勝し、生きて帰った者は数千にすぎない(亀州大捷)。 | 世家 卷4 顯宗 十年 |
| 1025年 | 徼外 | 以前、渭宗が辺境の外を巡行したとき、契丹の将軍耶律撒割の狩りを見て、鄭民義ら五人とともに馬を走らせて斬り、帰還して功を求める。 | 世家 卷5 顯宗 三年 |
| 1028年 | 平海郡 | 女真が平海郡を攻めたが勝てず、退く。 | 世家 卷5 顯宗 六年 |
| 1029年 | 遼陽 | 大祚栄の七世孫である大延琳が契丹に反旗を翻し、国号を興遼、年号を天興とする。 | 世家 卷5 顯宗 七年 |
| 1035年 | 西北路 松嶺 | 西北路の松嶺から東へ、辺境の敵を防ぐ長城を築く(千里長城の始まり)。 | 世家 卷6 靖宗 元年 |
| 1036年 | Santyoku | 東蕃の海賊が三陟県の桐津戍を略奪したが、首長が伏兵で四十余の首級を挙げ、生け捕りにする。 | 世家 卷6 靖宗 二年 |
| 1039年 | 鴨江東 | 庾先を契丹に遣わして安撫に謝し、鴨緑江の東の城堡の増築をやめるよう求める。 | 世家 卷6 靖宗 五年 |
| 1045年 | 寧遠鎭 長平戍 | 蕃賊百余人が寧遠鎮の長平戍を侵し、軍士三十余名を連れ去ると、李春は将校の警戒の緩みを罰するよう請う。 | 世家 卷6 靖宗 十一年 |
| 1050年 | 椒子島 | 海賊が烈山県を略奪すると、文揚烈が戦船二十三隻で椒子島まで追撃し、大破する。 | 世家 卷7 文宗 四年 |
| 1058年 | Yeongam | 文宗が耽羅と霊岩で木材を伐って大船を造り、宋と通交しようとすると、内史門下省は契丹との友好を理由に反対する。 | 世家 卷8 文宗 十二年 |
| 1061年 | Cheongpyeong | 定州の別将の耿甫が二十余人で偵察中、敵の首領阿下費らの二百余人と戦って勝つ。 | 世家 卷8 文宗 十五年 |
| 1064年 | 平海郡 南浦 | 東女真の麻叱盖ら百余人が海を渡り、平海郡の南浦を略奪・放火して九人を連れ去る。 | 世家 卷8 文宗 十八年 |
| 1073年 | 경주 | 東蕃の海賊が東京に属する波潛部曲を略奪すると、元興鎮の都部署が戦船で椒島の戦いに勝ち、十二の首級を挙げる。 | 世家 卷9 文宗 二十七年 |
| 1079年 | 平虜關 | 北蕃の盗賊が平虜関を侵す。 | 世家 卷9 文宗 三十三年 |
| 1080年 | 東蕃が乱を起こすと、文正を判行営兵馬使とし、歩騎三万を分けて送る。四百三十一の首級を挙げる。 | 世家 卷9 文宗 三十四年 | |
| 1084年 | 포항 | 東女真が興海郡の母山津の農場を略奪するが、守備兵が撃って五人を生け捕りにする。 | 世家 卷10 宣宗 元年 |
| 1096年 | 강릉 | 鎮溟都部署使の李順蹊らが海賊と戦って勝ち、十七の首級を挙げる。 | 世家 卷11 肅宗 元年 |
| 1097年 | 강릉 | 東女真の戦船十隻が鎮溟県を略奪すると、金漢忠が判官の康拯を送って撃ち、船三隻・四十八の首級を得る。 | 世家 卷11 肅宗 二年 |
| 1104年 | Cheongpyeong | 女真の烏雅束が夫乃老と争い、騎兵を定州關の外に駐屯させると、林幹を東北面行営兵馬使として派遣し備えさせる。 | 世家 卷12 肅宗 九年 |
| 1104年 | Cheongpyeong | 林幹は定州城の外で女真と戦って敗れる。 | 世家 卷12 肅宗 九年 |
| 1107年 | 함흥 | 尹瓘が女真を大きく破り、境界を定めて、雄・英・福・吉の四州城を築く(東北九城)。 | 世家 卷12 睿宗 二年 |
| 1108年 | 길주 | 兵馬判官の庾翼・将軍の宋忠らが吉州で女真と戦って戦死する。 | 世家 卷12 睿宗 三年 |
| 1109年 | 길주 | 女真が吉州を包囲すると、呉延寵が救援に駆けつけたが、軍は大敗する。 | 世家 卷13 睿宗 四年 |
| 1116年 | 遼陽 | 契丹の東京では渤海人が反乱し、留守の蕭保先を殺し、高永昌を立てて皇帝を称し、国号を大元とする。 | 世家 卷14 睿宗 十一年 |
| 1117年 | 來遠城 | 金軍が遼の開州を奪い、來遠城と大夫・乞打・柳白の三営を襲撃して戦船をことごとく焼き、船員を捕らえる。 | 世家 卷14 睿宗 十二年 |
| 1119年 | この年、長城をさらに三尺築く。 | 世家 卷14 睿宗 十四年 | |
| 1126年 | 개성 | 李資謙の除去を企てた金粲らが失敗すると、李資謙・拓俊京が兵を起こして宮闕を侵す。 | 世家 卷15 仁宗 四年 |
| 1127年 | 寧波 | 金富軾らが宋の明州に至ったが、金の軍が汴京に入って道が塞がれ、入れずに引き返す。 | 世家 卷15 仁宗 五年 |
| 1135年 | 평양 | 妙清・柳旵らが西京で反乱を起こす(妙清の乱)。 | 世家 卷16 仁宗 十三年 |
| 1136年 | 평양 | 金富軾が諸軍を集めて西京を攻め、城は陥落し、趙匡は自ら焼け死ぬ。 | 世家 卷16 仁宗 十四年 |
| 1141年 | 蔚陵島 | 溟州道の監倉使李陽実が人を蔚陵島に送り、珍しい果実と木の葉を採って献上する。 | 世家 卷17 仁宗 十九年 |
| 1165年 | 麟靜二州 | 金の大夫營の寧州の長官が兵七十余人を送って麟州・靜州の境内の島を攻め、靜州防守別監の元尚ら十六人を連れ去る。 | 世家 卷18 毅宗 十九年 |
| 1167年 | 서울 | 王が南京に入ると、留守官が礼を尽くして迎え、陽傘・馬・牛を献上する。 | 世家 卷18 毅宗 二十一年 |
| 1168年 | 제주 | 耽羅は険しく遠く、税が重くなって官吏の不正も生じたため、地元の首長の梁壽らが反乱して守令を追い出す。 | 世家 卷18 毅宗 二十二年 |
| 1170年 | 개성 | 李高らが林宗植・李復基・韓賴を殺し、扈従した文官・宦官をすべて殺す(武臣政変)。 | 世家 卷19 毅宗 二十四年 |
| 1173年 | 東界 | 東北面兵馬使の金甫當が東界で兵を挙げ、鄭仲夫・李義方を討って、先王の復位を図る。 | 世家 卷19 明宗 三年 |
| 1174年 | 평양 | 西京留守の趙位寵が鄭仲夫・李義方を討とうと兵を挙げ、東北両界の城に檄文を回す。 | 世家 卷19 明宗 四年 |
| 1174年 | 평양 | 尹鱗瞻を元帥とし、三軍を率いて西京を攻めさせる。 | 世家 卷19 明宗 四年 |
| 1175年 | 岊嶺 | 岊嶺兵馬使の康漸が趙位寵と戦って敗れ、官職を免じられる。 | 世家 卷19 明宗 五年 |
| 1176年 | 공주 | 公州の鳴鶴所の民である亡伊・亡所伊が山行兵馬使を名乗って公州を陥落させる(亡伊・亡所伊の乱)。 | 世家 卷19 明宗 六年 |
| 1176年 | 평양 | 尹鱗瞻が西京を打ち破り、趙位寵を捕らえて殺す。 | 世家 卷19 明宗 六年 |
| 1176年 | Yesan | 南の賊が礼山県を陥落させ、監務を殺す。 | 世家 卷19 明宗 六年 |
| 1178年 | 遂安 | 西賊が遂安を陥落させ、財物・牛馬を略奪する。 | 世家 卷19 明宗 八年 |
| 1179年 | 안주 | 兵馬使が報告し、諸城の兵を送って討ったが官軍は敗れ、安北都護判官の咸壽山が戦死する。 | 世家 卷20 明宗 九年 |
| 1182年 | Okcheon | 管城県の民が県令の洪彦の収奪に抗して乱を起こすが、按察所の軍と一品軍・僧徒が鎮圧する。 | 世家 卷20 明宗 十二年 |
| 1190年 | 경주 | 東京で盗賊が起こり、按察副使の周惟氐が襲撃を図るが被害を受ける。 | 世家 卷20 明宗 二十年 |
| 1193年 | 雲門 | 金沙彌は雲門、孝心は草田に拠り、逃亡者を集めて州県を略奪し、王は憂える(金沙彌・孝心の乱)。 | 世家 卷20 明宗 二十三年 |
| 1194年 | 밀양 | 南路兵馬使が密城の楮田村で敵を討ち、七千余の首級を挙げる。 | 世家 卷20 明宗 二十四年 |
| 1199年 | 경주 | 東京で盗賊が再び起こり、明州の盗賊と合流して州郡を荒らす。 | 世家 卷21 神宗 二年 |
| 1200年 | 경주 | 慶州で李義旼の一族が周里と仲違いし、戦って敗れる。 | 世家 卷21 神宗 三年 |
| 1202年 | 영천 | 栄州の李克仁・堅守らが精鋭を率いて城を出て、慶州軍を敗走させる。 | 世家 卷21 神宗 五年 |
| 1202年 | 경주 | 崔忠獻は慶州の人々の不義と隣邑への攻撃を理由に、宰相・将軍を集めて討伐を議論する。 | 世家 卷21 神宗 五年 |
| 1211年 | 개성 | 内侍の王濬明らが崔忠獻の殺害を企てるが失敗する。 | 世家 卷21 熙宗 七年 |
| 1216年 | Kusŏng-si | 北界の報告。契丹の残党が寧德城を屠り、安・義・亀の三州を包囲し、麟州・龍州で鉄・宣の二州を攻撃する。 | 世家 卷22 高宗 三年 |
| 1218年 | 곡산 | 西海道の防守軍が谷州で契丹の残党軍と戦って三百余の首級を挙げる。 | 世家 卷22 高宗 五年 |
| 1218年 | 강동 | モンゴルの哈眞・札刺と東真の完顔子淵の軍が、契丹残党の討伐を名目に和・猛・順・徳の四城を破り、江東城へ向かう。 | 世家 卷22 高宗 五年 |
| 1219年 | 강동 | 趙冲・金就礪がモンゴル・東真軍と合流して江東城を包囲し、契丹の残党が城門を開いて降伏する。 | 世家 卷22 高宗 六年 |
| 1219年 | 의주 | 枢密院副使の李克偦らが軍を分けて義州を討伐させる。 | 世家 卷22 高宗 六年 |
| 1220年 | 平虜鎭 | 契丹の残党軍が平虜鎮に入る。 | 世家 卷22 高宗 七年 |
| 1225年 | 慶尙道 | 倭船二隻が慶尚道の沿海の州県を略奪し、軍を送って全員を生け捕りにする。 | 世家 卷22 高宗 十二年 |
| 1226年 | 거제 | 倭が慶尚道の沿海の州郡を略奪すると、巨済県令の陳龍甲が水軍で沙島で戦い、二級を挙げる。 | 世家 卷22 高宗 十三年 |
| 1227年 | 金海 | 倭が金州を略奪すると、防護別監の盧旦が兵を出して敵船二隻を捕らえ、三十余の首級を挙げる。 | 世家 卷22 高宗 十四年 |
| 1231年 | Kusŏng-si | モンゴル軍が亀州城を包囲したが勝てず退く(第一次侵入)。 | 世家 卷23 高宗 十八年 |
| 1231年 | 평양 | モンゴル軍が西京城を攻めたが勝てない。 | 世家 卷23 高宗 十八年 |
| 1231年 | 용천 | モンゴル軍が龍州を包囲すると、城中が降伏を請い、府使の魏玿が捕虜となる。 | 世家 卷23 高宗 十八年 |
| 1231年 | 평산 | モンゴル軍は平州で州官を殺し、城を屠り、民家をことごとく焼く。 | 世家 卷23 高宗 十八年 |
| 1232年 | 개성 | 四品以上の会議で皆が城を守ると言ったが、宰樞の鄭畝・太集成ら数人だけは遷都して難を避けるよう主張する。 | 世家 卷23 高宗 十九年 |
| 1232年 | 선천 | 内侍の尹復昌が宣州で、ダルガチの弓矢を奪おうとして、ダルガチに射殺される。 | 世家 卷23 高宗 十九年 |
| 1233年 | 평양 | 西京の人、畢賢甫・洪福源が宣諭使の鄭毅・朴祿全を殺し、城を挙げて反乱する。 | 世家 卷23 高宗 二十年 |
| 1233年 | 평양 | 洪福源はモンゴルへ逃げ、残った民は島へ移され、西京は廃墟となる。 | 世家 卷23 高宗 二十年 |
| 1235年 | Ganghwa-gun | 光州・南京の人々を江華に入れよと命じる。 | 世家 卷23 高宗 二十二年 |
| 1235年 | 용강 | モンゴル軍が龍岡・咸従・三登などの城を陥落させ、守令を捕らえる。 | 世家 卷23 高宗 二十二年 |
| 1235年 | 구미 | 李裕貞らが海平で蒙古軍と戦って敗れ、一軍が全滅する。 | 世家 卷23 高宗 二十二年 |
| 1236年 | 개천 | モンゴル軍が价州に至ると、京別抄の校尉の希景と、价州の中郎将の明俊らが伏兵で挟撃する。 | 世家 卷23 高宗 二十三年 |
| 1236年 | Asan | モンゴル軍が温水郡を包囲すると、郡吏の玄呂らが門を開いて出て戦い、大勝する。 | 世家 卷23 高宗 二十三年 |
| 1236年 | Buan | 扶寧の別抄の全公烈が高闌寺の山道でモンゴルの騎兵二十を迎え撃ち、二人を殺し、馬二十余頭を得る。 | 世家 卷23 高宗 二十三年 |
| 1236年 | Yesan | 大興館が、モンゴル軍が数日城を攻めたが、門を開いて出て大勝したと報告する。 | 世家 卷23 高宗 二十三年 |
| 1238年 | 경주 | モンゴル軍が東京に至り、黃龍寺の塔を焼く。 | 世家 卷23 高宗 二十五年 |
| 1247年 | 遂安縣 | 昨冬、モンゴル人四百人が北辺の諸城に入り、遂安県まで至って、カワウソ狩りを口実に山川の地勢を偵察する。 | 世家 卷23 高宗 三十四年 |
| 1248年 | 北界諸城 | 北界兵馬使の盧演に命じ、北界の諸城の民をことごとく島へ移して守らせる。 | 世家 卷23 高宗 三十五年 |
| 1249年 | 高城 | 知有の朴天府が別抄を率いて高城・杆城で東真軍をことごとく破る。 | 世家 卷23 高宗 三十六年 |
| 1250年 | 高和州 古城 | 東界兵馬使が、敵兵が高州・和州の高城に入ったと報告する。 | 世家 卷23 高宗 三十七年 |
| 1251年 | Ganghwa-gun | モンゴルの使者の高伊は、西北の辺境はすでに甚だしく破壊されたから、旧都に帰るよりは河に拠って自ら守れと言う。 | 世家 卷24 高宗 三十八年 |
| 1251年 | Ganghwa-gun | 將困が江華に入る。 | 世家 卷24 高宗 三十八年 |
| 1253年 | 전주 | モンゴルの斥候騎兵三百余が全州城の南の班石駅に至ると、別抄の知有の李柱が半数以上を殺し、馬二十頭を得る。 | 世家 卷24 高宗 四十年 |
| 1253年 | 안변 | モンゴル軍が登州を包囲したが解き、金壌城へ向かう。 | 世家 卷24 高宗 四十年 |
| 1253年 | Yangp'yŏng | モンゴル軍が楊根城を包囲すると、防護別監の尹椿が衆を率いて出て降伏する。 | 世家 卷24 高宗 四十年 |
| 1253年 | 여주 | モンゴル軍が天龍山城を攻めると、黄驪県令の鄭臣旦・防護別監の趙邦彦が出航する。 | 世家 卷24 高宗 四十年 |
| 1254年 | Koesan | モンゴルの斥候騎兵が槐州城の下に駐屯すると、散員の張子邦が別抄を率いて撃破する。 | 世家 卷24 高宗 四十一年 |
| 1254年 | 상주 | 車羅大が尚州山城を攻めると、黄嶺寺の僧の洪之が第四の官人を射殺する。 | 世家 卷24 高宗 四十一年 |
| 1255年 | 충주 | モンゴル軍が大院嶺を越えると、忠州が精鋭を出して千余人を撃ち殺す。 | 世家 卷24 高宗 四十二年 |
| 1256年 | 충주 | モンゴル軍が忠州に入り、州城を屠って山城を攻めると、官吏と老弱は月岳山の神祠に登って避難する。 | 世家 卷24 高宗 四十三年 |
| 1257年 | 원주 | 原州の盗賊・安悦らが古城に拠って反乱すると、将軍の尹君正・郎将の権賛が兵を率いて討伐する。 | 世家 卷24 高宗 四十四年 |
| 1257年 | 泰州 | モンゴル軍が泰州に入り、府使の崔濟を殺し、妻子を捕らえて、住民の多くが被害を受ける。 | 世家 卷24 高宗 四十四年 |
| 1257年 | 옹진 | モンゴル船六隻が昌麟島を侵すと、瓮津県令の李寿松が別抄で撃退する。 | 世家 卷24 高宗 四十四年 |
| 1258年 | 高城縣 松島 | 東真国が水軍で来て、高城県の松島を包囲し、戦船を焼く。 | 世家 卷24 高宗 四十五年 |
| 1259年 | 성천 | モンゴルが成州の岐巌城を攻めると、夜に別抄が城中の人々と共に戦い、大いに破る。 | 世家 卷24 高宗 四十六年 |
| 1260年 | 개성 | 王は束里大とともに開京に入り、営繕の現場を見回り、承天府の北郊に滞在する。 | 世家 卷25 元宗 元年 |
| 1263年 | 창원 | 倭が金州管内の熊神県の勿島を略奪し、公船を奪う。 | 世家 卷25 元宗 四年 |
| 1265年 | 南道 沿海 | 倭が南道の沿海の州郡を略奪すると、将軍の安洪敏らに三別抄を率いて防がせる。 | 世家 卷26 元宗 六年 |
| 1269年 | 개성 | 林衍が宦官の金鏡らを殺し、張季烈・奇蘊を島に流す(元宗廃位の直前)。 | 世家 卷26 元宗 十年 |
| 1270年 | Ganghwa-gun | 頭輦哥が国王に命じて朶刺歹に兵二千を率いて江華に入らせると、王は止めたが聞かず、略奪する。 | 世家 卷26 元宗 十一年 |
| 1270年 | 珍島 | 三別抄が珍島に入って拠り、州郡を荒らす。 | 世家 卷26 元宗 十一年 |
| 1270年 | 珍島 | 楊東茂・高汝霖が水軍で珍島を討つと、敵は長興府に入り、京卒二十余人を殺す。 | 世家 卷26 元宗 十一年 |
| 1271年 | Ansan-si | 大部島の人々は、崇謙らが蜂起したとの報に、モンゴル人六人を殺して反乱する。 | 世家 卷27 元宗 十二年 |
| 1271年 | 金海 | 三別抄が金州を略奪すると、防護将軍の朴保と別抄は山城へ逃げる。 | 世家 卷27 元宗 十二年 |
| 1272年 | 제주 | 三別抄が済州に入り、内外の城を築き、険しい要害を頼んでいっそう暴れ略奪する。 | 世家 卷27 元宗 十三年 |
| 1272年 | 마산 | 三別抄が合浦を略奪し、戦船二十隻を焼き、モンゴルの烽卒四人を捕らえる。 | 世家 卷27 元宗 十三年 |
| 1272年 | 거제 | 三別抄が巨済県を略奪し、戦船三隻を焼き、県令を捕らえる。 | 世家 卷27 元宗 十三年 |
| 1273年 | 마산 | 三別抄が再び合浦を略奪し、戦船三十二隻を焼き、モンゴル兵十余人を殺すか捕らえる。 | 世家 卷27 元宗 十四年 |
| 1273年 | 제주 | 金方慶が忻都・茶丘とともに全羅道の船百六十隻・水陸兵一万余で耽羅に至り、敵を大いに崩す。 | 世家 卷27 元宗 十四年 |
| 1274年 | 元が総管の察忽を送って戦船三百隻の建造を監督させ、工匠・人夫・物資をすべて本国が負担させる。 | 世家 卷27 元宗 十五年 | |
| 1281年 | 日本 | 金方慶らが日本と戦って三百余級を斬る(第二次日本征伐)。 | 世家 卷29 忠烈 七年 |
| 1281年 | 范文虎が戦船三千五百隻・蛮軍十万余で来て合流したが、大風に遭い蛮軍はことごとく溺死する。 | 世家 卷29 忠烈 七年 | |
| 1282年 | 마산 | 東征軍が敗れると、軍士三百四十を送って合浦を守らせ、六十は王京を守らせる。 | 世家 卷29 忠烈 八年 |
| 1286年 | Neietsu | 忠清道の脱脱禾孫・李英柱の報告。康允明が乱を起こし、寧越県令の李恂を殺す。 | 世家 卷30 忠烈 十二年 |
| 1287年 | 王は乃顔の反乱を聞き、将軍の柳庇を元に送って、兵を起こして討伐を助けたいと請う。 | 世家 卷30 忠烈 十三年 | |
| 1290年 | 和州 | 哈丹の数万の兵が和州・登州の二州を陥落させ、人を殺して食糧とする。 | 世家 卷30 忠烈 十六年 |
| 1291年 | Yangp'yŏng | 哈丹が鉄嶺を越えて交州道に入り、楊根城を攻めて陥落させる。 | 世家 卷30 忠烈 十七年 |
| 1293年 | 慶尚道按廉使の劉顥が、丁吏の林大に殺される。 | 世家 卷30 忠烈 十九年 | |
| 1303年 | 개성 | 洪子藩・元冲甲が三軍を率いて王宮を囲み、呉祁を捕らえて元へ護送する。 | 世家 卷32 忠烈 二十九年 |
| 1318年 | 제주 | 済州の民、使用・金成らが集まって反乱し、城主と王子を追い出す。 | 世家 卷34 忠肅 五年 |
| 1322年 | 婆娑府 | 林仲沇が元へ行く途中、婆娑府で、ダルガチが駅馬を与えず進めずに引き返す。 | 世家 卷35 忠肅 九年 |
| 1323年 | Gunsan | 倭が群山島で会原の漕船を略奪する。 | 世家 卷35 忠肅 十年 |
| 1332年 | 개성 | 曹頔らが夜に王宮を襲ったが、衛士が射殺し、遺体を巡軍の南橋の下に捨てる。 | 世家 卷36 忠惠 二年 |
| 1335年 | 개성 | 元の単使官の教化哥里廝哥が来て、御香使の塔思不花を斬り、市場にさらす。 | 世家 卷35 忠肅 後四年 |
| 1344年 | 岳陽 | (流刑の途中)揭陽に至る前、丙子の日に岳陽県で死ぬ(文脈上、忠恵王)。 | 世家 卷36 忠惠 後五年 |
| 1350年 | 거제 | 倭が固城・竹枺・巨済を略奪すると、合浦千戸の崔禅・梁琯らが撃ち、三百余級を斬る。倭寇の侵入はこのときからと記録される。 | 世家 卷37 忠定 二年 |
| 1350年 | Sunch’ŏn | 倭船百余隻が順天府を略奪し、南原・求礼・霊光・長興の漕運船を奪う。 | 世家 卷37 忠定 二年 |
| 1350年 | 마산 | 倭船二十隻が合浦を略奪し、その官衙と固城・会原の諸郡を焼く。 | 世家 卷37 忠定 二年 |
| 1351年 | 인천 | 倭船百三十隻が紫燕・三木の二島を略奪し、家屋をほとんど焼き尽くす。 | 世家 卷37 忠定 三年 |
| 1352年 | Ganghwa-gun | 倭が喬桐の甲山倉を焼くと、前大言の崔源が戦って敵船二隻を得る。 | 世家 卷38 恭愍 元年 |
| 1352年 | 개성 | 趙日新が衆を集めて奇轅を殺し、時御宮を包囲して、宿衛の判密直使の崔徳林ら数人を殺す。 | 世家 卷38 恭愍 元年 |
| 1354年 | 高郵城 | 印安が元から帰って、太師の脱脱が高郵城を攻めた際、柳濯らの高麗軍二万三千が先鋒となったと伝える。 | 世家 卷38 恭愍 三年 |
| 1355年 | 六合城 | 征南萬戸の權謙・元顥・印璫が元から帰り、南の賊が日増しに盛んで、我が軍が六合城を陥落させ、防御地を淮安路へ移したと報告する。 | 世家 卷38 恭愍 四年 |
| 1356年 | 개성 | 太師の奇轍・太監の權謙・慶陽府院君の盧頙が反逆で処刑される(恭愍王の反元改革)。 | 世家 卷39 恭愍 五年 |
| 1356年 | 婆娑府 | 印璫が軍を率いて鴨緑江を渡り、婆娑府など三站を攻めて破る。 | 世家 卷39 恭愍 五年 |
| 1356年 | 雙城 | 東北面兵馬使の柳仁雨が雙城を陥落させ、総管の趙小生と千戸の卓都卿が逃げると、和・登・定・長などの州と諸鎮を回復する。 | 世家 卷39 恭愍 五年 |
| 1357年 | Ganghwa-gun | 倭が喬桐を略奪し、開京に戒厳が敷かれる。 | 世家 卷39 恭愍 六年 |
| 1358年 | 全羅道 | 倭寇のために漕運が妨げられ、漢人の張仁甫ら六人を渡し守とし、各々船一隻と兵百五十名で全羅の税穀を運ばせたが、敵が火を放って敗れ、死傷者が多い。 | 世家 卷39 恭愍 七年 |
| 1359年 | 의주 | 紅巾賊が静州を陥落させ、都指揮使の金元鳳を殺し、麟州も陥落させる。 | 世家 卷39 恭愍 八年 |
| 1359年 | 철산 | 敵が鉄州に入ると、安祐・李芳実らが撃って退ける。 | 世家 卷39 恭愍 八年 |
| 1360年 | 평양 | 判事の金縝が義州から帰って、敵が西京に入ったと報告する。 | 世家 卷39 恭愍 九年 |
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