『増鏡』

『増鏡』(正史 の史料)。扱う年は1183年 〜 1333年、出来事55件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年1183年 〜 1333年
出来事の数出来事55件・地図に置いた48件
著者미상 (二条良基·洞院公賢 설 등)
原題増鏡

地域の内訳: 日本 48 · 中国 7

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1183年京四歳の後鳥羽が即位(寿永2年8月20日)1 おどろのした
1184年京後鳥羽の即位の儀(元暦元年7月28日)1 おどろのした
1185年屋島頼朝、屋島で右大臣宗盛を生け捕った賞として二階級昇進2 新島守
1190年遠江頼朝上洛の道中、遠州橋本の宿で遊女たちが着飾って出迎える2 新島守
1199年鎌倉頼朝、東国で出家し、1月13日に53歳で死去2 新島守
1203年 〜 1204年伊豆出家した入道が伊豆の修禅寺で殺される2 新島守
1219年鎌倉公暁、鎌倉八幡宮参拝の際に内大臣の首を斬る2 新島守
1221年宇治京方、宇治・瀬田の橋を落として敵を防ぐ備えをする2 新島守
1221年6月10日頃、京方の軍は大きな戦いもなく敗れる2 新島守
1221年鳥羽殿6月6日、後鳥羽がまず鳥羽殿に入る2 新島守
1221年隠岐国6月13日、後鳥羽は船に乗り出発、行先は隠岐2 新島守
1221年佐渡国順徳が佐渡国へ移される2 新島守
1221年土佐国閏10月10日、土御門(中院)が土佐国幡多へ移される2 新島守
1242年佐渡国順徳、佐渡で9月12日に崩御5 内野の雪
1242年京阿波の院の子を即位させるとの話が伝わる(仁治3年1月19日)4 三神山
1244年京頼経(東の大納言)、子に将軍職を譲って都へ帰る5 内野の雪
1252年鎌倉2月19日、宗尊親王が都を発って東(鎌倉)へ下る6 烟の末々
1266年Kyoto将軍宗尊親王、突然鎌倉から京へ上り、六波羅北の屋敷に滞在줄 32
1267年Kyoto中宮が男子を出産(後の73行目の「今上の若宮」と結びつくと見る)줄 58
1268年蒙古軍の知らせが起こり、御賀の準備が中止される줄 65
1268年Kyoto今上の若宮が6月26日に親王宣旨を受け、8月25日に春宮に立つ줄 73
1268年Kyoto一院が神無月5日に亀山殿へ行幸し、その夜出家줄 85
1272年Kyoto後嵯峨院、53歳で崩御。2月17日酉の刻줄 93
1272年 〜 1274年Kyoto後嵯峨の死後、「院がた」と「内がた」に分かれて朝廷の人心が割れる줄 109
1274年Kyoto1月26日、春宮に位を譲る。新帝は8歳(118行目「八にならせ給へば」)줄 118
1274年Kyoto11月19日の行幸・20日の五節開始の予定が蒙古の騒ぎを理由に中止され、大嘗会の神楽もない줄 122
1278年Kyoto10月頃、二条内裏にまた火事があり大火となる줄 147
1281年Chikushi7月1日、大風が吹き、異国の船六万艘が筑紫に着いたが大半が破れる(本文の表現)줄 167
1283年Kyoto正月6日、日吉社の神輿が訴えに勅裁がないとして京へ入る줄 173
1287年Kyoto10月、後宇多が譲位。春宮(伏見、推定)が即位し、本院の権限が移る줄 235
1288年Kyoto3月15日、官庁で御即位줄 240
1289年Kamakura鎌倉将軍惟康が京へ追い上げられ、10月3日に元服した久明親王が将軍として鎌倉に入る(10月25日到着)줄 281
1290年Kyoto3月9日の夜、武士3~4人が馬に乗ったまま内裏へ乱入。天皇・春宮は避難し、首謀者の浅原は自害줄 254
1290年Kyoto9月初め、中の院が出家し、禅林寺殿で如法経などを書写줄 258
1298年Kyoto7月22日、春宮に位を譲って退く줄 289
1301年Kyoto1月21日、春宮が即位。先に鎌倉(東)の使者が上っていた(297行目)줄 299
1305年Kyoto9月15日の明け方、亀山院が亀山殿で崩御(本文「亀山殿へ移らせ給ひ」)줄 321
1308年後二条院崩御。8月25日の明け方part_03.txt L60
1308年春宮践祚。8月25日、12歳part_03.txt L62
1318年新天皇即位(3月29日)。先立つ2月26日に花園が降位part_03.txt L93
1324年後宇多院崩御、6月25日part_03.txt L172
1324年Kyoto美濃の武士土岐十郎らが四条付近に潜んでいたところを六波羅軍が襲って捕らえる(正中の変)part_03.txt L192
1331年Kyoto後醍醐、内裏から密かに抜け出す(8月24日夜、神器のみを携える)part_03.txt L281
1331年Kasagi8月27日、笠置寺に入る(和束の鷲峯山へ行った後)part_03.txt L285
1331年Kasagi笠置陥落。背後の山から敵が攻め入り柵を焼き、帝は身を避けるpart_03.txt L299
1331年Kyoto10月3日、捕らえられ、網代輿に乗せられて都に帰るpart_03.txt L303
1332年Kyoto3月7日、京を発ち隠岐への流罪の途に就くpart_03.txt L332
1332年Oki隠岐に到着し、国分寺を仮の御所とするpart_03.txt L412
1332年Chihaya Castle楠木正成、金峯山の千早に城を築いて籠もるpart_03.txt L498
1333年Oki閏2月24日の明け方、漁船を装って隠岐を脱出part_03.txt L509
1333年Inatsu (Hoki)2月25日、伯耆国稲津浦に着き、名和長年が500余騎で迎えるpart_03.txt L509
1333年Rokuhara後醍醐の勅を受けた足利治部大輔(高氏)が都の方へ転じ、六波羅を攻めるpart_03.txt L517
1333年Kamakura5月22日、北条高時以下自害、鎌倉陥落part_03.txt L523
1333年Kyoto6月6日、東寺を経て内裏へ還る(伯耆から京へ)part_03.txt L525
1333年Kyoto6月13日、大塔宮護良親王が入京し、まもなく将軍宣旨を受けるpart_03.txt L535

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