バビロニア年代記(ABC)

バビロニア年代記(ABC)(正史 の史料)。扱う年は紀元前2334年 〜 紀元前1008年、出来事43件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年紀元前2334年 〜 紀元前1008年
出来事の数出来事43件・地図に置いた19件
著者L. W. King (1907 편)
原題Chronicles concerning early Babylonian kings

地域の内訳: 西アジア 38

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
紀元前2334年 〜 紀元前2279年Kasallaサルゴンはカザッルに進軍してこれを廃墟の山とし、鳥一羽の止まる場所も残さなかった 伝承연대기 I(No.26472) Obv. 9–10 (p.5)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年Kasallaカザッルのカシュトゥビラがサルゴンに背くと、サルゴンはカザッルに進軍して大いに打ち破り、彼らを討った(年代記Iと同じ事件のアッシリア版伝承) 伝承전조집 K.2130 §IX 31–32 (p.33)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年Subartuサルゴンはスバルトゥの地を威力で攻めて服属させ、反乱を鎮めて敵を討ち、財宝をアッカドへ持ち帰った연대기 I(No.26472) Obv. 14–17 (pp.7)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年Babylonサルゴンはバビロンの堀の土を掘り取ってアッカドの境界をバビロン並みに広げた。この悪行にマルドゥクが怒り、民は飢え、四方から敵対された 虚構연대기 I(No.26472) Obv. 18–23 (pp.8–9)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年Elamサルゴンはエラムの地に進軍してエラム人を征服し、大いに苦しめて食糧補給を断った(年代記Iにない前兆集側の記録)전조집 K.2130 §I 1–3 (p.26)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年伝説の中のサルゴンは海の国を三度包囲したと誇る(歴史記録ではなく伝説) 虚構부록 I 사르곤 전설 l.18 (p.88–90)
紀元前2334年 〜 紀元前2279年伝説の中のサルゴンは大ドゥル・イルへ[上った](欠損) 虚構부록 I 사르곤 전설 l.20 (p.90)
紀元前2324年アッカドの王サルゴンはイシュタルの恩寵で興り並ぶ者なく、東の海を渡って11年目に西の地をことごとく手中に収め、西に自らの像を建てた 虚構연대기 I(No.26472) Obv. 1–6 (pp.3–4)
紀元前2300年 〜 紀元前2279年Agade晩年のサルゴンに全土が反乱を起こしアッカドで包囲したが、サルゴンは出撃して勝ち、敵の大軍を倒した 伝承연대기 I(No.26472) Obv. 11–13 (p.6)
紀元前2254年 〜 紀元前2218年サルゴンの子ナラム・シンはアピシャル市へ[進軍し]、坑道を掘ってアピシャルの王リシ・アダドと総督を捕らえた(欠損の復元を含む) 伝承연대기 I(No.26472) Rev. 1–3 (p.9–10)
紀元前2254年 〜 紀元前2218年ナラム・シンはマガンに進軍し、マガン王マンヌ・ダンヌを[捕らえた](王名の前後の欠損を復元) 伝承연대기 I(No.26472) Rev. 4 (p.10)
紀元前2094年 〜 紀元前2047年Eriduウル・エングルの子ドゥンギは、海辺にあったエリドゥ市を大いに世話した연대기 I(No.26472) Rev. 5 (p.11)
紀元前2094年 〜 紀元前2047年Babylonドゥンギは悪を求め、エサギラとバビロンの財宝を略奪して持ち出し、マルドゥクの怒りを買って惨めな最期を遂げた(文の一部欠損) 虚構연대기 I(No.26472) Rev. 5–7 (p.11)
紀元前1894年 〜 紀元前1881年アッシリア王イルシュマはスアブに対して[出陣した]―次の板の第1行を先に記した尾記(キャッチライン) 伝承연대기 I(No.26472) Rev. 14 (p.14)
紀元前1868年 〜 紀元前1861年ウラ・イミッティ王は庭師のエンリル・バニを王座に座らせて王冠を被せた。王は宮殿で死に、エンリル・バニは立ち上がらず王として定まった 伝承연대기 I(No.26472) Rev. 8–13 (pp.12–13) = 연대기 II Obv. 1–7 (pp.15–16)
紀元前1792年 〜 紀元前1750年Urバビロン王ハンムラビは兵を召集してウル王リム・シンに進軍し、ウルとラルサの都市を奪って財宝をバビロンへ持ち帰った연대기 II Obv. 8–11 (p.17)
紀元前1792年 〜 紀元前1750年Larsaウルとラルサの都市がハンムラビの手に落ちた(上と同じ文、ラルサの項)연대기 II Obv. 10 (p.17)
紀元前1790年Babylonハンムラビ3年の年名:バビロンにナンナ神の高き神殿の玉座を造った부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 3 (p.98)
紀元前1789年Malgiumハンムラビ4年の年名:マルギウムの城壁を築いた부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 4 (p.98)
紀元前1784年ハンムラビ9年の年名:運河「ハンムラビは豊穣」を掘った부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 9 (p.99)
紀元前1783年Malgiumハンムラビ10年の年名:マルギウムの住民と家畜を連れ去った부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 10 (p.99)
紀元前1782年ハンムラビ11年の年名:ラビクムとシャリビの都市を占領した부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 11 (p.99)
紀元前1780年ハンムラビ13年の年名:王がウムキに入り、大いなる豊穣がもたらされた부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 13 (p.100)
紀元前1768年Sipparハンムラビ25年の年名:シッパルの城壁を築いた부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 25 (p.101)
紀元前1750年Sipparハンムラビ43年の年名:シッパルとウルシャマシュの都市の塵(動詞欠損)부록 II 날짜표(80,037) Hammurabi 43 (p.102)
紀元前1749年 〜 紀元前1712年ハンムラビの子バビロン王サムス・イルナはリム・シンに[進軍して]捕らえた。キングはリム・シンが宮殿で生け捕りにされたか焼かれたと読む(欠損が多い)연대기 II Obv. 13–17 (pp.17–18)
紀元前1749年 〜 紀元前1712年サムス・イルナはイルマ・イルに進軍して包囲し、再び進軍するとイルマ・イルが攻めて出た(欠損が激しく勝敗の主体は不明) 伝承연대기 II Obv. 18–Rev. 6 (pp.19–20)
紀元前1748年Akkadサムス・イルナ2年の年名:シュメールとアッカドの独立がもたらされた부록 II 날짜표(80,037) Samsu-iluna 2 (p.103)
紀元前1742年サムス・イルナ8年の年名:王がウムキに入り、山と川が豊穣を与えた부록 II 날짜표(80,037) Samsu-iluna 8 (p.104)
紀元前1741年サムス・イルナ9年の年名:カッシートの軍(動詞欠損)。キングは11年の城壁再建をカッシートの破壊のためと見る(p.105注)부록 II 날짜표(80,037) Samsu-iluna 9 (p.104)
紀元前1739年Urサムス・イルナ11年の年名:ウルとウルクの城壁を築いた(ウルの項)부록 II 날짜표(80,037) Samsu-iluna 11 (p.105)
紀元前1739年Urukサムス・イルナ11年の年名:ウルとウルクの城壁を築いた(ウルク=エレクの項)부록 II 날짜표(80,037) Samsu-iluna 11 (p.105)
紀元前1711年 〜 紀元前1684年サムス・イルナの子アビ・エシュフは、イルマ・イルを捕らえようとティグリス川をせき止めたが捕らえられなかった 伝承연대기 II Rev. 7–9 (p.21)
紀元前1652年アンミ・ディタナ32年の年名:イシュクン・マルドゥクの城壁(動詞不明)부록 II 날짜표(80,037) Ammi-ditana 32 (p.106)
紀元前1649年アンミ・ディタナ35年の年名:ドゥル・アンミ・ディタナ市を築いた부록 II 날짜표(80,037) Ammi-ditana 35 (p.106)
紀元前1625年 〜 紀元前1595年Akkadサムス・ディタナの時代、ハッティの人々がアッカドの地を[攻めに行った](1行だけ残る尾記で、結果は省略) 伝承연대기 II Rev. 10 (p.22)
紀元前1500年 〜 紀元前1400年ビティリアシュの子アグムは兵を集めて海の国に進軍し、ドゥル・エア市を征服してエア神殿を地に打ち倒した연대기 II Rev. 14–17 (p.24)
紀元前1470年 〜 紀元前1450年Elam海の国の王エア・ガミルがエラムの地へ[出陣した]연대기 II Rev. 11 (p.22)
紀元前1470年 〜 紀元前1450年カッシート人ウラム・ブリアシュ(ビティリアシュの兄弟)は兵を集めて海の国を征服し、その地の支配権を行使した연대기 II Rev. 12–13 (p.23)
紀元前1082年 〜 紀元前1069年バビロン王マルドゥク・シャピク・ゼリ・マティはアッシリア王アシュル・ベル・カラと和平・友好関係を結んだ(王名はキング注、p.58 n.3による)신바빌로니아 연대기 No.27859 Obv. 5–6 (p.58)
紀元前1068年 〜 紀元前1056年Sipparそのころアッシリアから王がシッパルへ行った。続いてアラム人の簒奪王アダド・アプラ・イッディナ(イッティ・マルドゥク・バラトゥの子)の話(文の続きは欠損)신바빌로니아 연대기 No.27859 Obv. 7–8 (p.59)
紀元前1068年 〜 紀元前1047年スー人が侵入し、シュメールと[アッカド]の略奪品を自分たちの地へ持ち去った신바빌로니아 연대기 No.27859 Obv. 10–11 (p.59)
紀元前1025年 〜 紀元前1008年エルバ・シンの子シンマシ・シフは、エクリギガル神殿に「万物の主」の玉座を造った신바빌로니아 연대기 No.27859 Obv. 12–13 (p.61)

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