史記 本紀(正史 の史料)。扱う年は紀元前2600年 〜 紀元前97年、出来事195件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 紀元前2600年 〜 紀元前97年 |
| 出来事の数 | 出来事195件・地図に置いた151件 |
| 著者 | 司馬遷 |
| 原題 | 史記 本紀 |
地域の内訳: 中国 186
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 紀元前2600年 〜 紀元前2500年 | 阪泉 | 黄帝が諸侯を率いて炎帝と阪泉の野で三度戦い、志を遂げた。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2600年 〜 紀元前2500年 | 涿鹿 | 蚩尤が乱を起こすと、黄帝は諸侯の軍を召集し、涿鹿の野で戦って蚩尤を捕らえて殺した。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2600年 〜 紀元前2500年 | 涿鹿 | 黄帝が北方の葷粥を追い払い、釜山で諸侯を集めて符を合わせた後、涿鹿の麓に都を定めた。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2600年 〜 紀元前2500年 | 橋山 | 黄帝が死去し、橋山に葬られた。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2250年 〜 紀元前2200年 | 羽山 | 舜が四凶を罰し、鯀を羽山で誅殺した(殛)。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2250年 〜 紀元前2200年 | 岱宗 | 舜は二月に東方を巡り、岱宗(泰山)に至って祭祀を行い、山川を望んで祭った。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2200年 〜 紀元前2190年 | 九疑山 | 舜が南方を巡ったが蒼梧の野で死に、江南の九疑に葬られた(零陵)。 虚構 | 史記卷001 五帝本紀 |
| 紀元前2200年 〜 紀元前2100年 | 禹は洪水を治めるため十三年間家の外におり、家の門前を通っても中に入らなかった。 虚構 | 史記卷002 夏本紀 | |
| 紀元前2070年 〜 紀元前2060年 | 陽城 | 舜が死んで三年の喪が明けると、禹は舜の子の商均を避けて陽城に退いた。諸侯が禹に朝見したので、禹は即位した。 伝承 | 史記卷002 夏本紀 |
| 紀元前2062年 〜 紀元前2060年 | 會稽 | 禹は即位十年目に東方を巡り、会稽に至って死んだ。 虚構 | 史記卷002 夏本紀 |
| 紀元前2050年 〜 紀元前2000年 | 甘 | 有扈氏が服さないので、啓は甘で大いに戦い、有扈氏を滅ぼした(甘誓)。 伝承 | 史記卷002 夏本紀 |
| 紀元前1990年 〜 紀元前1950年 | 洛汭 | 太康が国を失うと、五人の兄弟は洛汭で待ち、「五子之歌」を作った。 伝承 | 史記卷002 夏本紀 |
| 紀元前1750年 〜 紀元前1700年 | 豳 | 公劉が戎狄の間で后稷の農業を復興し、漆・沮から渭を渡って木材を求めた。のちに慶節が豳に国を建てた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1620年 〜 紀元前1600年 | 夏臺 | 桀が湯を呼び、夏台に閉じ込めたが、のちに釈放した。 伝承 | 史記卷002 夏本紀 |
| 紀元前1600年 〜 紀元前1590年 | 湯は伊尹とともに軍を起こして昆吾を討ち、続いて桀を討った(湯誓)。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 | |
| 紀元前1600年 〜 紀元前1590年 | 鳴條 | 桀は有娀の跡地で敗れ、鳴条へ逃げ、夏の軍は崩れた。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1560年 〜 紀元前1540年 | 桐宮 | 太甲が法度に背いたので、伊尹は彼を桐宮に三年間幽閉し、その後また迎え入れた。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1420年 〜 紀元前1400年 | 相 | 河亶甲が相に住んだ。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1400年 〜 紀元前1380年 | 邢 | 祖乙が邢に遷都した。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1300年 〜 紀元前1290年 | 亳 | 盤庚が黄河を渡って南の成湯の旧址へ戻り、亳を治めたので、殷の道が再び興った。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1250年 〜 紀元前1230年 | 傅險 | 武丁が夢で見た聖人を傅険に探し、そこで労役に就いていた説を得て、宰相とした。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1200年 〜 紀元前1150年 | 岐下 | 戎狄の侵略を避けて古公亶父は民を率いて豳を離れ、漆・沮を渡り、梁山を越えて岐山の下に住んだ。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1075年 〜 紀元前1046年 | 羑里 | 崇侯虎が告げると、紂は西伯(文王)を羑里に幽閉した。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1060年 〜 紀元前1050年 | 豐 | 文王が犬戎・密須・耆・邘・崇侯虎を次々に討ち、豊邑を築いて岐下から豊へ都を移した。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1047年 | 盟津 | 十一年十二月戊午に軍はみな盟津を渡り、諸侯が集まって『太誓』を作り告げた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1046年 | 牧野 | 周の武王が諸侯を率いて紂を攻めると、紂は牧野で防いだが、甲子の日に敗れた。 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1046年 | 鹿臺(朝歌) | 敗れた紂は鹿台に登り、宝玉で身を飾って火に身を投げて死んだ。武王はその首を大きな白旗に掛けた。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1046年 | 牧野 | 二月甲子の明け方、武王が商の郊外の牧野に至って誓約し、諸侯の戦車四千乗が陣を攻めた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1046年 | 朝歌 | 紂の兵は矛先を返して武王を迎え、紂は鹿台で焼け死んだ。武王は商に入り、紂の首を大きな白旗に掛けた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1045年 | 營丘 | 武王が功臣を封じた時、師尚父を営丘に封じた。これが斉である。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1045年 | 曲阜 | 弟の周公旦を曲阜に封じた。これが魯である。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1045年 | 燕 | 召公奭を燕に封じた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1045年 | 雒邑 | 武王は洛水の曲がりから伊水の曲がりに至る所を夏の旧地と見て、雒邑に周の居所を営み、去った。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1042年 | 宋 | 武王が死ぬと、武庚が管叔・蔡叔とともに乱を起こした。成王は周公に討伐させ、その後、微子を宋に封じた。 伝承 | 史記卷003 殷本紀 |
| 紀元前1042年 〜 紀元前1040年 | 管叔・蔡叔が武庚とともに背くと、成王の命で周公は武庚・管叔を討ち、蔡叔を追放し、微子を宋に封じた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 | |
| 紀元前1038年 〜 紀元前1030年 | 洛邑 | 成王は豊にあり、召公に武王の意図どおり洛邑を再び営ませ、周公は占って九鼎を安置した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前1035年 〜 紀元前1030年 | 奄 | 召公・周公が東方の淮夷を攻め、奄を滅ぼし、その君主の薄姑を移した。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前977年 | 江 | 昭王が南巡から帰れず、江上で死んだ(訃報は伝えられなかった)。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前960年 〜 紀元前945年 | 穆王が犬戎を討とうとしたとき、祭公謀父が止めたが、討伐して白狼四頭・白鹿四頭を得て帰った。以後、荒服の諸侯は来朝しなくなった。 伝承 | 史記卷004 周本紀 | |
| 紀元前900年 〜 紀元前880年 | 汧渭之間 | 非子は馬をよく育てたので、孝王は汧水・渭水の間で馬の管理を任せ、附庸として秦の地に封じて「秦嬴」と呼んだ。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前841年 | 彘 | 国人が反逆して厲王を襲い、厲王は彘へ逃げた。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前841年 〜 紀元前828年 | 召公・周公の二人の宰相が政治を担当し、これを「共和」と呼んだ。十四年に厲王が彘で死んだ。 伝承 | 史記卷004 周本紀 | |
| 紀元前822年 | 犬丘 | 宣王は荘公の兄弟五人に兵七千を与えて西戎を攻めさせた。彼らは撃破して犬丘を併せ、西垂大夫となった。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前789年 | 千畝 | 宣王三十九年、千畝で戦い、王の軍は姜氏之戎に敗れた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前780年 | 岐山 | 幽王二年、西周の三川地域で地震が起き、その年、三川が涸れ、岐山が崩れた。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前771年 | 驪山 | 申侯が繒・西夷・犬戎とともに幽王を攻めた。烽火を上げても兵は来ず、驪山の麓で幽王を殺し、褒姒を捕らえた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前770年 | 雒邑 | 平王が即位し、戎寇を避けて東の雒邑へ遷都した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前770年 | 岐 | 襄公が軍を率いて平王を雒邑まで護送すると、平王は襄公を諸侯に封じ、岐の西の地を与えた。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前762年 | 汧渭之會 | 文公が七百人の兵で東方へ狩りに出た。四年に汧水と渭水の合流するところに至り、占いを行い吉と出たので、邑の建設を始めた。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前714年 | 平陽 | 寧公が平陽へ居所を移した。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前677年 | 雍 | 徳公が初めて雍城の大鄭宮に居を構えた。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前675年 | 溫 | 邊伯ら五大夫が乱を起こし、燕・衛の軍を呼んで恵王を攻めたので、恵王は温へ逃げ、鄭の櫟に留まった。王子頹が王となった。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前655年 | 宛 | 百里傒が秦から宛へ逃げたが楚の人に捕らえられた。繆公は羊の皮五枚で身代金を払って彼を贖い、国政を任せた。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前645年 | 韓 | 繆公が晋の恵公と韓で戦って危機に陥ったが、岐の下で馬肉を食べた三百人が救い、恵公を捕らえた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前636年 〜 紀元前635年 | 汜 | 翟人が周に入り、襄王は鄭へ逃げ、汜に留まった。十七年、晋の文公が襄王を迎え入れ、叔帯を処刑した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前632年 | 踐土 | 晋の文公が襄王を招き、河陽・踐土で会合した。諸侯はみな朝見し、文公は「天王が河陽で狩りをした」と記した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前627年 | 滑 | 秦軍が鄭を奇襲しようと周の北門を通って滑に至った。しかし鄭の商人弦高が牛を贈って軍をねぎらい、奇襲が露見した。秦は滑を滅ぼした。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前627年 | 殽 | 晉の襄公が殽で秦軍を防ぎ、大いに破って三人の将を捕らえた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前626年 | 彭衙 | 繆公が再び孟明視を送って晋を攻めたが、彭衙で不利となり退いた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前624年 | 茅津 | 繆公は孟明視らに黄河を渡らせ、船を焼き、晉を大いに破って王官・鄗を取った。茅津から渡り、殽の谷の屍を埋めて哭礼を行った。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前623年 | 繆公は由余の計略により戎王を攻め、国を十二か所広げ、千里の地を開いて西戎を制覇した。 伝承 | 史記卷005 秦本紀 | |
| 紀元前621年 | 鳳翔 | 繆公が死んで雍に葬られ、殉死者は百七十七人であった(「黄鳥の歌」)。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前606年 | 洛 | 定王元年、楚の荘王が陸渾之戎を討ち、洛に留まって九鼎の重さを問うたが、王孫満の答えに軍を退いた。 伝承 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前506年 | 郢 | 呉が楚の郢に入ると、申包胥は七日間泣いて救援を請うた。秦が戦車五百乗を送って呉軍を破り、楚の昭王は郢へ帰還した。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前403年 | 周 | 威烈王二十三年、九鼎が震え、韓・魏・趙を諸侯に任じた。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前362年 | 少梁 | 魏・晋と少梁で戦い、魏の将公孫痤を捕らえた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前359年 | 衛鞅が孝公に変法を説き、ついに法が用いられた。民は三年で安んじ、衛鞅は左庶長となった。 | 史記卷005 秦本紀 | |
| 紀元前352年 | 安邑 | 衛鞅が大良造として魏の安邑を包囲して降伏させた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前350年 | 咸陽 | 咸陽を築き、冀闕を立てて、秦が都を移した。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前340年 | 衛鞅が魏を攻めて魏の公子卬を捕らえ、列侯に封じられて商君と呼ばれた。 | 史記卷005 秦本紀 | |
| 紀元前316年 | 蜀 | 更元九年、司馬錯が蜀を攻めて滅ぼした。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前312年 | 漢中 | 庶長章が丹陽で楚を攻め、屈丐を捕らえ、漢中の地六百里を取って漢中郡を置いた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前307年 | 宜陽 | 秦が宜陽を陥落させ、六万人を斬り、黄河を渡って武遂に城を築いた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前297年 | 楚の懐王が秦に入朝すると、秦はこれを拘束した。 | 史記卷005 秦本紀 | |
| 紀元前293年 | 伊闕 | 白起が伊闕で韓・魏を攻め、二十四万人を斬り、公孫喜を捕らえた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前278年 | 郢 | 大良造白起が楚の郢を取って南郡を置き、楚王は逃げた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前260年 | 長平 | 白起が長平で趙を大いに破り、四十余万人をことごとく殺した。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前259年 〜 紀元前257年 | 邯鄲 | 秦が趙の邯鄲を攻めたが陥落させられず退いた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前259年 | 邯鄲 | 始皇は昭王四十八年正月に邯鄲で生まれ、名は政という。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前256年 | 西周 | 西周が秦に背いて合従し伊闕へ出ようとすると、秦の昭王は将軍の摎を送って攻めた。西周君が秦に赴き、邑三十六と人口三万を献上した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前255年 | 周 | 赧王が死ぬと周の民は東へ逃げた。秦は九鼎などの宝物を持ち去り、西周公を憚狐に移した。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前249年 | 東周 | 七年後、秦の荘襄王が東周を滅ぼし、東西の周がともに秦に入り、周の祭祀は絶えた。 | 史記卷004 周本紀 |
| 紀元前247年 | 太原 | 蒙驁が魏の高都・汲、趙の榆次・新城・狼孟など三十七城を取り、太原郡を置いた。 | 史記卷005 秦本紀 |
| 紀元前241年 | 野王 | 韓・魏・趙・衛・楚が共同で秦を攻めたが引き揚げた。秦が衛を攻め、君主の角は野王へ移された。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前238年 | 咸陽 | 嫪毐が蘄年宮で乱をはかると、昌平君・昌文君が咸陽で戦い、数百人を斬って敗走させ、すべて捕らえた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前237年 | 雍 | 呂不韋が罷免され、茅焦の諫めにより、始皇は太后を雍から迎え、咸陽の甘泉宮に再び住まわせた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前230年 | 新鄭 | 内史騰が韓を攻めて韓王安を捕らえ、その地を潁川郡とした。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前228年 | 邯鄲 | 王翦・羌瘣が趙の東陽を平定して趙王を捕らえた。始皇は邯鄲に行き、昔の仇を穴に埋めた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前227年 | 易水 | 燕の太子丹が荊軻を送って秦王を刺そうとしたが失敗した。王翦・辛勝が燕を攻めて易水の西で破った。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前226年 | 薊 | 燕の太子の軍を破り、燕の薊城を取って太子丹の首を得た。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前225年 | 大梁 | 王賁が魏を攻め、黄河の流れを大梁に引き込んだ。城は崩れ、魏王が降伏し、その地をすべて取った。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前224年 〜 紀元前223年 | 平輿 | 王翦が陳の南から平輿まで取って楚王を捕らえた。二十四年、項燕が昌平君を立てたが破られ、昌平君は死に、項燕は自殺した。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前222年 | 遼東 | 王賁が燕の遼東を攻めて燕王喜を捕らえ、帰還して代を攻め、代王嘉を捕らえた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前221年 | 臨淄 | 秦が燕の地から南に斉を攻め、斉王建を捕らえて天下を統一した。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前221年 | 咸陽 | 天下を三十六郡に分け、天下の兵器を咸陽に集めて溶かし、豪富十二万戸を咸陽へ移した。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前219年 | 嶧山 | 始皇が東方の郡県を巡り、鄒嶧山に登って碑を立て、魯の儒生と封禅を論じた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前219年 | 泰山 | 泰山に登って碑を立て、封の祭祀を行った。暴風雨に遭い、木の下で休んだので、その木を五大夫に封じた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前219年 | 之罘 | 渤海に沿って東へ進み、黄・腄を経て成山の先端まで行き、之罘に登って碑を立てた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前219年 | 瑯邪 | 瑯邪に登って三か月滞在し、三万戸を瑯邪台の下へ移し、台を築いた。徐市は童男女数千人を連れて神仙を求め海に入ることを請うた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前218年 | 陽武 | 東方を巡行中、陽武の博狼沙で盗賊に襲われ、天下に十日間の大捜索を命じた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前215年 | 碣石 | 始皇が碣石に行き、燕の人盧生に神仙を求めさせた。「秦を亡ぼす者は胡なり」との図讖を受け、蒙恬に三十万で胡を撃たせ、河南の地を取った。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前214年 | 逃亡者・婿養子・商人らを動員して陸梁の地を取り、桂林・象郡・南海を置いた。蒙恬は黄河を渡り、高闕・陽山・北仮を取って亭障を築いた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 | |
| 紀元前213年 | 咸陽 | 咸陽宮の宴席で、淳于越の封建論に李斯が反論し、博士官の記録(秦記)以外の『詩』『書』・諸子百家の書を焼くよう建議した。制書で裁可された(焚書)。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前212年 | 渭南 上林苑(阿房) | 咸陽は狭いとして、渭南の上林苑に朝宮を築き始め、まず前殿の阿房を建てた。刑徒七十余万人が阿房宮・驪山の工事に動員された。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前212年 | 咸陽 | 盧生・侯生が逃げると、咸陽の儒生を調べた。禁令を犯した者四百六十余人を咸陽で生き埋めにし、諫めた扶蘇は上郡の蒙恬のもとへ送られた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前210年 | 九疑山 | 始皇が雲夢に至り、九疑山で虞舜を遥かに祭った。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前210年 | 會稽 | 銭唐・浙江を過ぎ、会稽に登って大禹を祭り、南海を望んで碑を立てた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前210年 | 之罘 | 瑯邪から榮成山へ北上し、之罘で大魚を射止めた。以後、海辺に沿って西へ向かった。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前210年 | 沙丘 | 平原津で病に伏した始皇は、七月丙寅に沙丘の平台で死んだ。李斯・趙高・胡亥は死を隠し、遺詔を偽作して扶蘇と蒙恬を死に追いやった。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前210年 | 咸陽 | 直道で咸陽に至り、発喪した。胡亥が即位し、九月に始皇を酈山に葬った。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前209年 | 陳 | 七月、戍卒の陳勝らが旧楚の地で反乱を起こし、陳で楚王となり、国を「張楚」と号した。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前209年 | 吳 | 陳渉の挙兵から二か月後、項梁が会稽守の通を殺し、呉中の兵八千を起こした。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前209年 | 沛 | 沛の令が心変わりして城門を閉ざすと、劉季は帛に文を書いて城壁の上へ射た。父老たちが令を殺して劉季を迎え、沛公とした。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前208年 | 戲 | 陳勝が送った周章が数十万の兵で戯に至ると、章邯は驪山の囚人を赦免して武装させ、周章軍を破り、曹陽で殺した。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前208年 | 下邳 | 項梁は八千人で川を渡り西へ進んだ。淮を渡ると黥布・蒲将軍が合流し、合わせて六、七万で下邳に駐屯した。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前208年 | 盱台 | 范増の説得により、項梁は民間から楚の懐王の孫の心を探し出して楚懐王に立て、盱台に都を置いた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前208年 | 東阿 | 項梁が東阿で秦軍を大いに破った。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前208年 | 定陶 | 章邯が秦軍を総動員し、定陶で楚軍を大いに破った。項梁は死んだ。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前207年 | 咸陽 | 趙高が鹿を献上して「馬だ」と言い、臣下の忠誠を試した。鹿だと言った者を法で害した(指鹿為馬)。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前207年 | 望夷宮 | 趙高が婿の閻樂に望夷宮を襲わせ、二世皇帝を自殺させ、公子嬰を秦王に立てた。 | 史記卷006 秦始皇本紀 |
| 紀元前207年 | 安陽 | 宋義は安陽に四十六日留まり、進軍しなかった。項羽は夜明けに宋義を斬り、上将軍となって趙を救援に向かった。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前207年 | 鉅鹿 | 項羽は船を沈め、炊事用の甑を砕いて、鉅鹿で秦軍と九回戦い、大いに破り、王離を捕らえた(沈船破釜甑)。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前207年 | 殷虛 | 洹水の南の殷虚で、章邯が項羽と盟約を結ぶと、項羽は章邯を雍王に立てた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前207年 | 新安 | 新安で諸侯軍が秦の降卒を虐待した。反発を恐れた項羽は、秦軍二十余万を新安城の南で穴に埋めた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前207年 | 高陽 | 沛公が高陽を通るとき、監門の酈食其が謁見し、陳留の襲撃を勧めた。続いて開封・白馬などで秦軍を破った。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前207年 | 宛 | 沛公が宛を包囲すると、陳恢の説得で南陽守を殷侯に封じて降伏させ、西へ進軍した。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前207年 | 武關 | 酈生・陸賈を遣わして秦将を懐柔した後、武関を攻めて破り、藍田の南北で秦軍を大いに破った。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前206年 | 鴻門 | 函谷関を破って戯の西に至った項羽は沛公を攻めようとしたが、項伯の仲裁で鴻門で宴が開かれた(鴻門の宴)。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前206年 | 咸陽 | 項羽が西へ進んで咸陽を殺戮し、秦王子嬰を殺し、宮室を焼き払った。火は三か月消えなかった。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前206年 | 彭城 | 項羽は天下を分けて諸侯を立て、自ら西楚覇王となり、九郡を統治し、彭城に都を定めた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前206年 | 南鄭 | 沛公を漢王に立てて巴・蜀・漢中を与え、南鄭を都とさせた。関中は秦の降将三人に分けられた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前206年 | 郴縣 | 項羽は義帝を長沙の郴県へ移させ、後に衡山王・臨江王に命じて川の中で殺させた。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前206年 | 霸上 | 沛公が最も早く霸上に至り、秦王子嬰は軹道の傍らで降伏した。沛公は咸陽の宮室を封じ、霸上に戻って父老と「法三章」を約束した。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前206年 | 蝕中 | 漢王が南鄭へ向かい、蝕中に入るときに桟道を焼いて断った。韓信は東へ向かって天下を争うよう勧めた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前206年 | 陳倉 | 漢王は韓信の計略で故道から引き返し、陳倉で雍王章邯を破り、廃丘へ追い込んで関中を平定した。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前205年 | 彭城 | 漢王は五諸侯の兵五十六万で彭城に入ったが、項羽が蕭でしののめに攻めて大いに破った。漢軍十万余りが睢水に落ち、水の流れが止まった。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前205年 | 雒陽 | 漢王は臨晋から黄河を渡って魏を従え、雒陽に至り、義帝の発喪を宣言し、諸侯に楚の討伐を呼びかけた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前205年 | 廢丘 | 黄河の水を引いて廃丘を水攻めにすると降伏し、章邯は自殺した。廃丘は槐里と改名された。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前204年 | 滎陽 | 滎陽が包囲されると、紀信が漢王になりすまして楚軍を欺いた。漢王は西門から成皋へ逃げ、紀信は焼き殺された。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前204年 | 滎陽 | 陳平の離間の策により、項羽は范増を疑った。范増は辞職し、彭城に着く前に背中のできもので死んだ。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前204年 | 修武 | 漢王は成皋の獄門から脱出し、修武で張耳・韓信の陣営に入り、その軍を奪った。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前204年 | 井陘 | 韓信が張耳とともに井陘を下り、趙を攻めて陳餘と趙王歇を殺した。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前203年 | 廣武 | 広武で対峙した時、項羽は太公を高い俎の上で煮ると脅した。漢王は「一杯の汁を分けてくれ」と応じた。項羽の射た弩で漢王は胸に傷を負った。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前203年 | 濰水 일대 | 項羽が送った龍且は、韓信・灌嬰に濰水の一帯で大敗して死に、韓信は自ら斉王となった。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前203年 | 鴻溝 | 楚と漢は鴻溝を境に天下を二分することを約束し、項羽は漢王の父母・妻子を返して東へ帰った。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前202年 | 固陵 | 漢王は項羽を追撃して固陵に至ったが、韓信・彭越が来ず、楚は漢を大いに破った。張良の計略で土地を約束すると、二人は合流した。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前202年 | 垓下 | 垓下に陣を敷いた項羽の軍は漢軍に幾重にも包囲され、夜になると四方から楚歌が聞こえた。項羽は驚き「力は山を抜く」と歌った(垓下の歌)。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前202年 | 烏江 | 項羽は陰陵で道を失い、東城では二十八騎だけが残った。烏江で戦った後、舟を断り、自ら首を刎ねて死んだ。 | 史記卷007 項羽本紀 |
| 紀元前202年 | 汜水之陽 | 諸侯と将相の懇請により、漢王は汜水の北で皇帝の位に即き、天下は安定した。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前202年 | 雒陽 | 高祖は雒陽に都を定めようとしたが、劉敬・張良の建議により、その日のうちに車を走らせ、関中に都を定めた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前201年 | 陳 | 陳平の計略により、雲夢に偽って巡狩し、陳で諸侯を集めて楚王の韓信を捕らえた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前200年 | 平城 | 高祖が韓王信を討ちに出て平城に至ったが、匈奴に七日間包囲された。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前200年 | 長安 | 趙・雒陽を経て長安に至り、長楽宮が完成すると、丞相以下が長安へ移って政務を執った。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前197年 | 邯鄲 | 趙の相国陳豨が代で反乱した。高祖は東へ行き邯鄲に至り、陳豨が漳水を塞がなかったので無能だと言った。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前196年 | 東垣 | 豨の将趙利が守る東垣を高祖は一か月余り攻めて降伏させ、侮辱した兵は斬った。その子の恒を代王に立て、晋陽に都させた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前196年 | 淮陰侯の韓信が関中で反逆を企てたとされ、三族が滅ぼされた。 | 史記卷008 高祖本紀 | |
| 紀元前196年 | 中都 | 高祖11年春、陳豨を破り代を平定した後、劉恒を代王に立て、中都を都とさせた。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前195年 | 淮南王黥布が反乱し、荊王劉賈の地を併合した。高祖は自ら赴き、十二年十月に会甀で黥布軍を破った。 | 史記卷008 高祖本紀 | |
| 紀元前195年 | 沛 | 高祖は帰りに沛に寄り、沛宮で宴を開き、「大風起こりて」と歌った。沛を湯沐邑とした。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前195年 | 長樂宮(長安) | 高祖が長楽宮(長安)で死んだ。四日間は発喪せず、丁未の日に発喪した。盧綰は匈奴へ逃げた。 | 史記卷008 高祖本紀 |
| 紀元前194年 | 長安 | 孝恵が霸上まで出て趙王如意を迎え、そばに置いたが、十二月の未明に孝恵が狩りに出た隙に、呂太后が鴆酒を飲ませ、趙王は死んだ。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前188年 | 長安 | 孝恵が死ぬと、呂太后は哭したが涙を流さなかった。張辟彊の建議により呂氏の人物を南北軍に置き、呂氏の権勢が始まった。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前181年 | 長安 | 呂太后が趙王友を長安の宿舎に幽閉し、食を与えず飢え死にさせた。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 軹道 | 軹道で青い犬のようなものが呂后の腋の下を噛み、占いは趙王如意の霊だとした。その傷で呂后は病んだ。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 長安 | 呂后は死ぬ前、呂祿を北軍、呂產を南軍の責任者とし、「宮を守り、葬儀に行くな」と戒めた。辛巳の日に死んだ。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 齊(臨淄) | 朱虚侯の劉章が兄の斉王に知らせ、斉王は挙兵して西へ諸呂を討とうとし、丞相の召平を殺し、瑯邪王の軍も奪った。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 滎陽 | 相国の呂産が遣わした灌嬰は滎陽に至り、諸呂を討つ意図を知ると進軍を止めて斉と結んだ。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 長安(北軍) | 周勃が北軍に入り、「呂氏に味方する者は右袖、劉氏に味方する者は左袖を脱げ」と命じると、全員が左袖を脱ぎ北軍を掌握した。続いて朱虚侯が未央宮で呂産を殺した。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 長安(代邸) | 大臣たちは代王を迎え、後九月の晦日に長安の代邸に至り、天子の璽を奉じて即位させた。 | 史記卷009 呂太后本紀 |
| 紀元前180年 | 長安(代邸) | 代王は渭橋で群臣の出迎えを受け、代邸で三度辞退した末に即位した。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前177年 | 高奴 | 匈奴の右賢王が河南で略奪すると、文帝は辺境の官吏と騎兵8万5千を高奴に送り、丞相の灌嬰に討たせた。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前177年 | 太原 | 文帝は甘泉から高奴を経て太原に行き、旧臣に褒賞を与え、十日余り滞在した。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前177年 | 滎陽 | 済北王の興居は文帝が代に行ったと聞いて反乱を起こし、滎陽を襲おうとしたが、八月に敗れて捕らえられた。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前167年 | 長安 | 淳于公が肉刑に処せられることになると、末娘の緹縈が長安に来て、父の罪を償うため官婢になると上書した。文帝は感動して肉刑を廃止した。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前158年 | 細柳 | 匈奴3万が上郡に、3万が雲中に侵入すると、周亜夫は細柳に、劉禮は覇上に、徐厲は棘門に駐屯して防備した。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前157年 | 長安(未央宮) | 文帝は長安の未央宮で崩御し、簡素な葬儀を求める遺詔を残した。 | 史記卷010 孝文本紀 |
| 紀元前154年 | 梁(睢陽) | 呉・楚など七国が反乱を起こし、晁錯を殺した。袁盎が説得しても止まらず、西へ進んで梁の睢陽を包囲した。 | 史記卷011 孝景本紀 |
| 紀元前154年 | 梁(睢陽) | 大将軍の竇嬰と太尉の周亜夫を派遣して七国を討たせ、六月には恩赦と論功行賞を行った。 | 史記卷011 孝景本紀 |
| 紀元前144年 | 雍 | 景帝は雍に行幸し、五帝を郊祀した。 | 史記卷011 孝景本紀 |
| 紀元前141年 | 長安 | 景帝が崩御し、皇太子が即位した。孝武皇帝である。 | 史記卷011 孝景本紀 |
| 紀元前140年 | 長安 | 武帝は儒学に従い、趙綰・王臧らを公卿に任じて明堂を建てようとしたが、竇太后の反対で趙綰と王臧は自殺し、計画はすべて廃止された。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前133年 | 李少君は竈の祭祀、穀物断ち、老いを退ける方術で武帝に会い、黄金、蓬莱の仙人、封禅による不老の説を語った。 | 史記卷012 孝武本紀 | |
| 紀元前122年 | 雍 | 武帝は雍で郊祀し、一角獣(麟)を得て五畤に献じ、諸侯に白金を下賜した。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前120年 〜 紀元前119年 | 甘泉宮 | 少翁は神を呼ぶとして甘泉宮を造らせたが、神は現れず、帛書の偽造で誅殺された。数年後、鼎湖で病んだ武帝は甘泉に行幸して病が癒え、神君を祀った。 伝承 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前113年 | 汾陰 | 武帝は東に行き、汾陰の脽の上に后土祠を建て、上帝の礼のように自ら祭祀した。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前113年 | 雲陽(甘泉) | 十一月辛巳の朔旦冬至に、武帝は初めて雲陽の甘泉で泰一を郊拝した。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前110年 | 橋山 | 武帝は朔方を北巡して十万余の兵を閲兵し、帰路に橋山の黄帝の墓で祭祀した。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前110年 | 太室 | 三月、緱氏から中嶽の太室に登って礼を行い、崇高邑を造った。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前110年 | 泰山·梁父 | 奉高から梁父に至り、四月乙卯に泰山の麓で封の祭祀を行い、侍中・奉車の子侯とともに山に登り、密かに封を行った。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前110年 | 九原 | 封禅の後、海岸沿いに帰って碣石に至り、遼西を経て北辺を通り九原に至った。五月に甘泉に戻り、元封と改元した。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前109年 | 瓠子 | 瓠子で自ら黄河の決壊した堤を塞ぐ作業に臨み、二日間留まり、玉を沈めて祭祀し、二人の卿に塞がせた。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前108年 | 朝鮮 | 朝鮮を討った後、夏に旱魃があり、公孫卿が「乾封」だと言ったので、霊星の祭祀を行った。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前106年 | 天柱山 | 南郡を巡行し、江陵から東へ行き、潜の天柱山に登って南嶽と名付け、長江に沿って尋陽・樅陽・彭蠡を経て、瑯邪を通り、四月に奉高で封を修めた。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前104年 | 長安 | 柏梁台に火災が起きると、勇之の言葉に従い、千門万戸の建章宮をさらに大きく造った。太液池と蓬莱・方丈・瀛洲の模型を作った。 | 史記卷012 孝武本紀 |
| 紀元前98年 〜 紀元前97年 | 泰山 | 再び泰山に行って封を修め、帰途に常山を通って祭祀を行った。 | 史記卷012 孝武本紀 |
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