アングロ・サクソン年代記

アングロ・サクソン年代記(正史 の史料)。扱う年は紀元前60年 〜 西暦1154年、出来事300件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年紀元前60年 〜 西暦1154年
出来事の数出来事300件・地図に置いた193件
著者미상(수도원 연대기 편찬자들, 여러 필사본 합본)
原題The Anglo-Saxon Chronicle (Giles/Ingram 1847 영역 — 고대영어 원문 없음)

地域の内訳: 西ヨーロッパ 286 · 南ヨーロッパ 13 · 西アジア 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
紀元前60年カエサルが八十隻を率いて初めてブリテンに攻め込んだが、最初の戦いで大敗し、多くの兵を失った。Giles/Ingram 1847 A.D. (서문) B.C. 60 항 (pg657.txt 줄 842)
紀元前60年第二次遠征(船六百隻)。ブリトン人はテムズ川の渡し場に杭を打って阻み、カエサルの護民官ラビエヌスが戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. (서문) B.C. 60 항 (pg657.txt 줄 842)
46年クラウディウス帝は即位四年目にブリテンの大部分を掌握し、オークニーをローマの支配に加えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 46 항 (pg657.txt 줄 910)
189年Yorkセウェルスが軍を率いてブリテンを攻め、海から海まで土塁を築いた。彼はヨークで没した。(見出しの年号189は年代記の表記のまま。実際の出来事は3世紀初頭)Giles/Ingram 1847 A.D. 189 항 (pg657.txt 줄 974)
381年ブリテン出身のマクシムスが皇帝となりガリアに渡り、皇帝グラティアヌスを殺し、ウァレンティニアヌスをイタリアから追い出した。Giles/Ingram 1847 A.D. 381 항 (pg657.txt 줄 995)
418年ローマ人はブリテンの金の宝物をすべて集め、一部は地中に埋め、一部はガリアへ持ち去った。Giles/Ingram 1847 A.D. 418 항 (pg657.txt 줄 1003)
435年Romeゴート族がローマ市を略奪。以後ローマ人はブリテンを支配できなくなった。(年代記の見出し年435はそのまま)Giles/Ingram 1847 A.D. 435 항 (pg657.txt 줄 1020)
443年ブリトン人はローマに救援を求めたが、ローマはフン族と戦争中で得られず、同じ頼みをアングル人に送った。Giles/Ingram 1847 A.D. 443 항 (pg657.txt 줄 1026)
449年ブリテン王ヴォーティガーンの求めに応じ、ヘンギストとホルサがエブスフリートに上陸した。最初はピクト人と戦って勝利した。Giles/Ingram 1847 A.D. 449 항 (pg657.txt 줄 1039)
455年ヘンギストとホルサがアイルズフォードでヴォーティガーン王と戦い、ホルサは戦死。ヘンギストは息子エスクとともに王国を手に入れた。Giles/Ingram 1847 A.D. 455 항 (pg657.txt 줄 1067)
457年ヘンギストとエスクはクレイフォードでブリトン人四千人を殺し、ブリトン人はケントを捨ててロンドンへ逃げた。Giles/Ingram 1847 A.D. 457 항 (pg657.txt 줄 1072)
465年ヘンギストとエスクはウィッペッドスフリート付近でウェールズ人と戦い、その指揮官十二人を殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 465 항 (pg657.txt 줄 1077)
477年エラが三人の息子と三隻の船でシーメンズショアに上陸し、ウェールズ人を多数殺し、一部をアンドレドの森へ追い払った。Giles/Ingram 1847 A.D. 477 항 (pg657.txt 줄 1085)
485年エラがメアクレーデスバーナ付近でウェールズ人と戦った。Giles/Ingram 1847 A.D. 485 항 (pg657.txt 줄 1095)
490年Pevenseyエラとシッサがアンドレドセアスター市を包囲し、中にいたブリトン人を皆殺しにした。Giles/Ingram 1847 A.D. 490 항 (pg657.txt 줄 1100)
495年西サクソンの二人の指導者ケルディクと息子キニリクが五隻の船でケルディクスオーラに上陸し、同じ日にウェールズ人と戦った。Giles/Ingram 1847 A.D. 495 항 (pg657.txt 줄 1104)
508年ケルディクとキニリクはブリトン王ナタンレオドと五千人を殺した。以後その地はネットリーと呼ばれるようになった。Giles/Ingram 1847 A.D. 508 항 (pg657.txt 줄 1163)
530年ケルディクとキニリクはワイト島を奪い、カリスブルックで多くの人を殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 530 항 (pg657.txt 줄 1182)
547年Bamburghイーダがノーザンブリア王家の始祖として即位し、十二年間統治してバンバラ城を築いた。Giles/Ingram 1847 A.D. 547 항 (pg657.txt 줄 1200)
552年Salisburyキニリクがサリズベリーでブリトン人と戦い、追い払った。Giles/Ingram 1847 A.D. 552 항 (pg657.txt 줄 1209)
568年Wimbledonケオリンとクタがケント王エゼルベルトと戦ってケントまで追撃し、ウィンブルドンで二人のオールダーマン(太守)を殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 568 항 (pg657.txt 줄 1248)
571年Bedfordクスルフはベッドフォードでブリトン人と戦い、四つの町、レインベリー、エイルズベリー、ベンソン、エインシャムを奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 571 항 (pg657.txt 줄 1252)
577年クスウィンとケオリンはデアハムでブリトン王三人を殺し、グロスター、シレンセスター、バースの三都市を奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 577 항 (pg657.txt 줄 1256)
591年Wanboroughワンボロウで大量のブリトン人が殺され、ケオリンは王国から追放された。Giles/Ingram 1847 A.D. 591 항 (pg657.txt 줄 1272)
596年Rome教皇グレゴリウスは多くの修道士とともにアウグスティヌスを派遣し、ブリテンのアングル人に説教させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 596 항 (pg657.txt 줄 1282)
603年スコット人の王エーダンはノーザンブリアのエゼルフリスとシクスストーンで戦い、軍のほとんどを失った。エゼルフリスの兄弟テオバルドが戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 603 항 (pg657.txt 줄 1298)
604年Londonアウグスティヌスはメリトゥスとユストゥスを司教に叙品した。メリトゥスは東サクソン(ロンドン司教区)、ユストゥスはロチェスター司教区。Giles/Ingram 1847 A.D. 604 항 (pg657.txt 줄 1313)
607年Chesterエゼルフリスはチェスターでウェールズ人の一隊と、祈りに来ていた司祭二百人を殺した。アウグスティヌスの予言の成就である。Giles/Ingram 1847 A.D. 607 항 (pg657.txt 줄 1333)
614年Bamptonキネギルスとクイケルムはバンプトンでウェールズ人二千四十六人を殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 614 항 (pg657.txt 줄 1346)
617年ノーザンブリア王エゼルフリスは東アングル王レドワルドに殺され、エドウィンが即位してケントを除くブリテン全土を服属させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 617 항 (pg657.txt 줄 1390)
626年クイケルムが送った刺客エーマーがエドウィン王を暗殺しようとし、家臣リッラを殺して王に傷を負わせた。Giles/Ingram 1847 A.D. 626 항 (pg657.txt 줄 1406)
627年エドウィン王は復活祭に、民とともにパウリヌスから洗礼を受けた。パウリヌスはリンジーでも洗礼を広めた。Giles/Ingram 1847 A.D. 627 항 (pg657.txt 줄 1428)
628年Cirencesterキネギルスとクイケルムはシレンセスターでペンダと戦い、その後和議を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 628 항 (pg657.txt 줄 1444)
633年エドウィン王はハットフィールドの沼地でキャドワラとペンダに殺され、息子オスフリスも戦死した。二人はノーザンブリアを荒らし回った。Giles/Ingram 1847 A.D. 633 항 (pg657.txt 줄 1449)
635年キネギルス王はドーチェスターでビリヌス司教から洗礼を受け、ノーザンブリア王オズワルドが代父となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 635 항 (pg657.txt 줄 1469)
642年ノーザンブリア王オズワルドはマーセルフィールドでペンダに殺され、バーデニーに葬られた。弟オズウィが跡を継いだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 642 항 (pg657.txt 줄 1489)
655年ペンダはウィンウェードで王たちを含む三十人とともに戦死し、その後マーシア人はキリスト教徒となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 655 항 (pg657.txt 줄 1538)
664年日食があり、ブリテン島に大きな疫病が広がって、司教トゥダらが死んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 664 항 (pg657.txt 줄 1713)
673年Hertfordケント王エオルケンベルトが没し、ハートフォードで宗教会議が開かれた。エセルスリスはイーリー修道院の建設を始めた。Giles/Ingram 1847 A.D. 673 항 (pg657.txt 줄 1748)
678年八月に彗星が三か月見え、ウィルフリッドは王エグフリスに追われた。代わりにボサとエアタが叙品された。Giles/Ingram 1847 A.D. 678 항 (pg657.txt 줄 1842)
680年大司教テオドールがハットフィールドで宗教会議を開き、同じ年にホイットビー修道院長ヒルダが没した。Giles/Ingram 1847 A.D. 680 항 (pg657.txt 줄 1855)
685年エグフリス王は北の海岸で大軍とともに戦死し、弟のアルドフリスが跡を継いだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 685 항 (pg657.txt 줄 1868)
686年カドワラと兄弟のムルがケントとワイト島を荒らした。Giles/Ingram 1847 A.D. 686 항 (pg657.txt 줄 1893)
688年Romeカドワラはローマで教皇セルギウスから洗礼を受け、七日で死んで聖ペテロ聖堂に葬られた。イネがウェセックス王となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 688 항 (pg657.txt 줄 1904)
688年Glastonburyイネはグラストンベリー修道院を建てた。Giles/Ingram 1847 A.D. 688 항 (pg657.txt 줄 1904)
728年Romeイネはローマへ行ってそこで没し、エゼルヘアドがウェセックスの王位を継いだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 728 항 (pg657.txt 줄 2054)
733年マーシア王エゼルバルドがサマートンを奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 733 항 (pg657.txt 줄 2079)
740年Yorkヨークで火災が起きた。Giles/Ingram 1847 A.D. 740 항 (pg657.txt 줄 2103)
743年マーシア王エゼルバルドとウェセックス王カスレッドが共同でウェールズ人と戦った。Giles/Ingram 1847 A.D. 743 항 (pg657.txt 줄 2114)
752年Burfordウェセックス王カスレッドはバーフォードでマーシア王エゼルバルドを破り、敗走させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 752 항 (pg657.txt 줄 2134)
755年キネウルフは西サクソンの評議会の同意を得て、親族シゲベルトから王位を奪った(ハンプシャーを除く)。シゲベルトはプリヴェットで牧人に殺された。Giles/Ingram 1847 A.D. 755 항 (pg657.txt 줄 2146)
774年York復活祭にノーザンブリア人は王アルレッドをヨークから追放し、エゼルレッドを王とした。Giles/Ingram 1847 A.D. 774 항 (pg657.txt 줄 2254)
774年Otfordマーシア人とケント人がオトフォードで戦った。Giles/Ingram 1847 A.D. 774 항 (pg657.txt 줄 2254)
775年Bensonキネウルフとオッファがベンシントン付近で戦い、オッファがその町を奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 775 항 (pg657.txt 줄 2261)
784年キネヘアードがキネウルフ王を殺し、自分も八十四人とともに殺された。ベオルフトリックがウェセックス王となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 784 항 (pg657.txt 줄 2312)
787年ベオルフトリック王の時代、北方の民(デーン人)の船三隻が初めて来航し、リーヴ(代官)を殺した。これがイングランドに来た最初のデーン人の船である。Giles/Ingram 1847 A.D. 787 항 (pg657.txt 줄 2328)
792年マーシア王オッファはエゼルベルト王の斬首を命じた。Giles/Ingram 1847 A.D. 792 항 (pg657.txt 줄 2356)
793年不吉な前兆と飢饉の後、異教徒がホーリーアイランド(リンディスファーン)の教会を襲い、大きな被害を与えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 793 항 (pg657.txt 줄 2364)
797年Romeローマ人は教皇レオの舌を切り、目をえぐり取って追い出したが、まもなく神の助けによって見えるようになり、話せるようにもなった。 伝承Giles/Ingram 1847 A.D. 797 항 (pg657.txt 줄 2431)
798年Whalley四旬節に、ノーザンブリア領のウォッレで大きな戦いがあり、ヘリベルトの息子アリックが戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 798 항 (pg657.txt 줄 2438)
800年ヒッチェ人のオールダーマン、エゼルムンドがテムズ川を渡り、ケンプスフォードでウィルトシャーのオールダーマン、ウルフスタンと戦い、両者とも戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 800 항 (pg657.txt 줄 2451)
813年エグバート王はコーンウォールを東から西へ荒らした。Giles/Ingram 1847 A.D. 813 항 (pg657.txt 줄 2495)
823年Camelfordコーンウォールのウェールズ人とデヴォンの人々がキャメルフォードで戦った。Giles/Ingram 1847 A.D. 823 항 (pg657.txt 줄 2514)
823年Wiltonウェセックス王エグバートとマーシア王ベオルンウルフがウィルトンで戦い、エグバートが勝って息子エゼルウルフをケントへ送った。Giles/Ingram 1847 A.D. 823 항 (pg657.txt 줄 2514)
827年エグバートはマーシア王国とハンバー川以南の全土を征服し、ブリテン全土の八番目の君主となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 827 항 (pg657.txt 줄 2534)
828年エグバートは軍を率いて北ウェールズを攻め、平和裏に服属させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 828 항 (pg657.txt 줄 2549)
832年異教徒がシェッピー島を荒らした。Giles/Ingram 1847 A.D. 832 항 (pg657.txt 줄 2564)
833年Charmouthエグバートはカーハンプトンで海賊船三十五隻と戦い、大殺戮が起きたが、デーン人が戦場を支配した。Giles/Ingram 1847 A.D. 833 항 (pg657.txt 줄 2566)
835年大艦隊が西ウェールズに来て現地の人々と合流したため、エグバートはヒングストンでウェールズ人とデーン人を敗走させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 835 항 (pg657.txt 줄 2571)
837年Southamptonオールダーマン(太守)のウルフヘールドがハムトンで海賊船三十三隻と戦って勝ったが、同じ年に死んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 837 항 (pg657.txt 줄 2586)
837年Portlandオールダーマン・エゼルヘルムはドーセットの人々とともにポートランド島でデーン軍と戦い、戦死した。デーン人が戦場を奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 837 항 (pg657.txt 줄 2586)
839年Londonロンドン、カンタベリー、ロチェスターで大虐殺があった(代表地としてロンドンを挙げる)。Giles/Ingram 1847 A.D. 839 항 (pg657.txt 줄 2599)
840年Charmouthエゼルウルフ王はカーハンプトンで三十五隻の艦隊と戦ったが、デーン人が戦場を占めた。Giles/Ingram 1847 A.D. 840 항 (pg657.txt 줄 2602)
845年サマセットとドーセットの人々がパレット川の河口でデーン軍を大いに破った。Giles/Ingram 1847 A.D. 845 항 (pg657.txt 줄 2606)
851年Sandwichアゼルスタン王とエルヘレはサンドウィッチで海上の戦いを行い、大軍を殺し、船九隻を奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 851 항 (pg657.txt 줄 2612)
851年異教徒が初めてサネット島で冬を越した。Giles/Ingram 1847 A.D. 851 항 (pg657.txt 줄 2612)
853年マーシア王バーグレッドの要請で、エゼルウルフ王は北ウェールズを攻めて服属させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 853 항 (pg657.txt 줄 2642)
853年Romeエゼルウルフが息子アルフレッドをローマに送ると、教皇レオは彼を王として聖別し、養子とした。Giles/Ingram 1847 A.D. 853 항 (pg657.txt 줄 2642)
854年Romeエゼルウルフ王は大きな威儀を整えてローマへ行き、一年滞在した。帰路、フランク王シャルルの娘ユディトを王妃に迎えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 854 항 (pg657.txt 줄 2655)
860年Winchesterエゼルベルトの時代、大艦隊が川を遡ってウィンチェスターを襲ったが、オールダーマンのオズリックとエゼルウルフが撃退した。Giles/Ingram 1847 A.D. 860 항 (pg657.txt 줄 2700)
865年異教徒の軍はサネット島に留まり、ケント人と和約を結んで金を約束されたが、夜のうちにこっそり上陸し、ケント東部を荒らした。Giles/Ingram 1847 A.D. 865 항 (pg657.txt 줄 2712)
866年大規模な異教徒の軍が来てイースト・アングリアで冬を越し、馬を手に入れた。住民は彼らと和を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 866 항 (pg657.txt 줄 2718)
867年York異教徒の軍はハンバー川を渡り、ノーザンブリアのヨークへ進んだ。内紛していたノーザンブリア人は王オスバートとエラのもとに集まり、ヨークで迎え撃った。Giles/Ingram 1847 A.D. 867 항 (pg657.txt 줄 2724)
868年Nottingham軍はマーシアのノッティンガムで冬を越した。バーグレッドの要請で、ウェセックスのエゼルレッドとアルフレッドがやって来て包囲し、大きな戦いなしに和約が結ばれた。Giles/Ingram 1847 A.D. 868 항 (pg657.txt 줄 2738)
869年York軍はヨークに戻り、一年留まった。Giles/Ingram 1847 A.D. 869 항 (pg657.txt 줄 2747)
870年Thetford軍はマーシアを通ってイースト・アングリアのセットフォードで冬を越した。エドマンド王が戦って死んだ。首謀者はヒンワールとフッバ。Giles/Ingram 1847 A.D. 870 항 (pg657.txt 줄 2750)
870年Peterborough同じ頃、軍はメドハムステッド(ピーターバラ修道院)に来て焼き払い、修道院長と修道士を殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 870 항 (pg657.txt 줄 2750)
871年Reading軍がウェセックスのレディングに来ると、エゼルレッドとアルフレッドが大軍を率いて迎え撃ち、双方に大きな殺戮があった。Giles/Ingram 1847 A.D. 871 항 (pg657.txt 줄 2763)
872年London軍はレディングからロンドンへ行き、そこで冬営した。マーシア人は和を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 872 항 (pg657.txt 줄 2811)
873年軍はノーザンブリアへ向かい、リンジーのトークシーで冬を越した。マーシア人は再び和を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 873 항 (pg657.txt 줄 2815)
874年Repton軍はリンジーからレプトンへ行き、そこで冬を越した。マーシア王バーグレッドを海の向こうへ追い払い、彼はローマへ行ってそこで死んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 874 항 (pg657.txt 줄 2819)
875年Cambridge三人の王グスルム、オスケテル、アンウェンドはレプトンからケンブリッジへ行き、一年留まった。Giles/Ingram 1847 A.D. 875 항 (pg657.txt 줄 2831)
875年ハルフダンは軍の一部とともにノーザンブリアへ行き、タイン川のほとりで冬営し、その地を服属させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 875 항 (pg657.txt 줄 2831)
876年Wareham軍がウェセックスの要塞ウェアハムに入ると、アルフレッド王は人質を取り、聖なる腕輪にかけて去ると誓わせたが、騎兵は夜にこっそり抜け出した。Giles/Ingram 1847 A.D. 876 항 (pg657.txt 줄 2841)
877年Exeterデーン軍はウェアハムからエクセターへ行った。艦隊は霧のためスワンウィッチで船百二十隻を失った。アルフレッドは人質を取り、誓約を受けた。Giles/Ingram 1847 A.D. 877 항 (pg657.txt 줄 2859)
878年Chippenham真冬にデーン軍はチッペナムを襲い、ウェセックスを蹂躙した。アルフレッドだけが少数の者とともに沼地の森へ逃れた。Giles/Ingram 1847 A.D. 878 항 (pg657.txt 줄 2870)
879年Cirencester軍はチッペナムからシレンセスターへ行き、一年留まった。Giles/Ingram 1847 A.D. 879 항 (pg657.txt 줄 2901)
879年Fulham海賊の一団がテムズ川沿いのフラムに集まり、そこに留まった。Giles/Ingram 1847 A.D. 879 항 (pg657.txt 줄 2901)
880年Gentフラムにいた軍は海を渡ってフランク領のゲントへ行き、一年留まった。Giles/Ingram 1847 A.D. 880 항 (pg657.txt 줄 2906)
882年アルフレッド王は艦隊を率いて海へ出て、デーン人の海賊船四隻と戦い、二隻を奪った。Giles/Ingram 1847 A.D. 882 항 (pg657.txt 줄 2915)
883年軍はスヘルデ川を遡り、コンデで一年冬を越した。Giles/Ingram 1847 A.D. 883 항 (pg657.txt 줄 2922)
883年Rome教皇マリヌスはアルフレッドに「主の十字架」の断片を送り、アルフレッドの奉納をローマとインド(聖トマスと聖バルトロマイ)へ届けた。Giles/Ingram 1847 A.D. 883 항 (pg657.txt 줄 2922)
884年Amiens軍はソンム川を遡り、アミアンで一年冬を越した。Giles/Ingram 1847 A.D. 884 항 (pg657.txt 줄 2930)
885年Rochester軍は二手に分かれ、一隊がロチェスターを包囲したが、アルフレッドが軍を率いて来ると、船で退いた。Giles/Ingram 1847 A.D. 885 항 (pg657.txt 줄 2934)
886年Paris軍はセーヌ川を遡り、パリで冬を越した。Giles/Ingram 1847 A.D. 886 항 (pg657.txt 줄 2968)
886年Londonアルフレッドがロンドンを要塞化すると、イングランド人のほぼ全員が彼に従い、オールダーマン・エゼルレッドに守りを任せた。Giles/Ingram 1847 A.D. 886 항 (pg657.txt 줄 2968)
888年Paviaアルフレッドの姉妹で王妃のエゼルスウィスは、ローマへ向かう途中で死に、パヴィアに葬られた。Giles/Ingram 1847 A.D. 888 항 (pg657.txt 줄 2997)
890年北方の民の王グスルム(洗礼名アゼルスタン)が死に、(軍は)東アングリアに定住した。Giles/Ingram 1847 A.D. 890 항 (pg657.txt 줄 3006)
891年軍が東へ向かうと、アルヌルフ王が東フランク・サクソン・バイエルンの連合軍で陸軍を攻め、敗走させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 891 항 (pg657.txt 줄 3018)
893年大軍がブローニュから一斉に二百五十隻の船で渡り、ケント東部のリムネ川の河口に着いた。Giles/Ingram 1847 A.D. 893 항 (pg657.txt 줄 3035)
895年軍はワーラルから北ウェールズへ向かったが、家畜と穀物を奪われて長くは留まれず、略奪品を抱えてノーザンブリアと東アングリアを経てエセックスの島へ去った。Giles/Ingram 1847 A.D. 895 항 (pg657.txt 줄 3146)
896年軍はロンドンの上流二十マイル、リー川のほとりに要塞を築き、ロンドン市民の攻撃を退けた。Giles/Ingram 1847 A.D. 896 항 (pg657.txt 줄 3161)
901年アルフレッド王は万聖節の六日前に没した。在位二十九年半。息子エドワードが即位した(甥のエゼルヴァルドがウィンボーンとトゥイッカムで反乱)。Giles/Ingram 1847 A.D. 901 항 (pg657.txt 줄 3242)
902年ケント人とデーン人のあいだでホルムの大戦いがあった。Giles/Ingram 1847 A.D. 902 항 (pg657.txt 줄 3262)
903年Winchesterウィンチェスターの新修道院が奉献された。Giles/Ingram 1847 A.D. 903 항 (pg657.txt 줄 3267)
904年エゼルヴァルドが艦隊を率いて海を渡って来て、エセックスで受け入れられた。Giles/Ingram 1847 A.D. 904 항 (pg657.txt 줄 3273)
905年Crickladeエゼルヴァルドは東アングリアの軍を扇動してマーシアを踏み荒らし、クリックレードでテムズ川を渡って略奪した。エドワード王が追撃した。Giles/Ingram 1847 A.D. 905 항 (pg657.txt 줄 3277)
907年エドワード王はヒッチンで東アングリアとノーザンブリアのデーン人と和を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 907 항 (pg657.txt 줄 3304)
907年Chesterチェスターが再建された。Giles/Ingram 1847 A.D. 907 항 (pg657.txt 줄 3304)
910年アングル人とデーン人がテッテンホールで戦い、アングル人が勝利した。Giles/Ingram 1847 A.D. 910 항 (pg657.txt 줄 3313)
912年Londonオールダーマン・エゼルレッドが死ぬと、エドワード王はロンドン、オックスフォード、およびそれに付属する土地を手に入れた。Giles/Ingram 1847 A.D. 912 항 (pg657.txt 줄 3351)
912年Bridgnorthマーシアの貴婦人エゼルフレドが、スカージェートとブリッジノースに要塞を築いた。Giles/Ingram 1847 A.D. 912 항 (pg657.txt 줄 3351)
913年Hertfordエドワード王はハートフォードに北の要塞を築き、続いてエセックスのマルドンとウィザムを要塞化した。Giles/Ingram 1847 A.D. 913 항 (pg657.txt 줄 3358)
916年Breconエゼルフレドは軍をウェールズへ送り、ブレコンを占領して、王妃を含む三十四人を捕えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 916 항 (pg657.txt 줄 3377)
919年Bedfordエドワード王は軍を率いてベッドフォードを占領した。町の人々は服従し、王は四週間留まって南を修復した。Giles/Ingram 1847 A.D. 919 항 (pg657.txt 줄 3435)
920年Maldonエドワード王はマルドンを修復し、要塞化した。Giles/Ingram 1847 A.D. 920 항 (pg657.txt 줄 3446)
920年Leicester神の助けにより、エゼルフレドは損失なくレスターを手に入れた。 伝承Giles/Ingram 1847 A.D. 920 항 (pg657.txt 줄 3446)
921年Towcesterエドワード王はトーセスターの再建を命じた。夏、ノーサンプトンとレスターの軍が来て、一日中攻撃した。Giles/Ingram 1847 A.D. 921 항 (pg657.txt 줄 3464)
922年Stamfordエドワード王がスタムフォード南部を要塞化すると、北方の町の人々が服従した。Giles/Ingram 1847 A.D. 922 항 (pg657.txt 줄 3533)
922年Tamworth姉妹のエゼルフレドがタムワースで死に、マーシアの人々はエドワードに服従した。Giles/Ingram 1847 A.D. 922 항 (pg657.txt 줄 3533)
923年Yorkレイナルドがヨークを占領し、エドワード王はソルウェルの要塞を修復させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 923 항 (pg657.txt 줄 3548)
924年Nottinghamエドワード王はノッティンガムでトレント川の橋を押さえ、南部を修復した。スコットランド王らは彼を父にして主君として選んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 924 항 (pg657.txt 줄 3555)
925年Tamworthエドワード王はファーンドンで没し、アゼルスタンがキングストンで即位した。アゼルスタンはノーザンブリア王シツリックとタムワースで会った。Giles/Ingram 1847 A.D. 925 항 (pg657.txt 줄 3578)
925年Kingston upon Thamesアゼルスタンはキングストンで王として聖別された。Giles/Ingram 1847 A.D. 925 항 (pg657.txt 줄 3578)
926年アゼルスタンはノーザンブリアを手に入れ、エモントでウェールズとスコットランドの王たちと盟約を結んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 926 항 (pg657.txt 줄 3591)
934年アゼルスタン王は陸軍と海軍でスコットランドへ攻め込み、大いに荒らした。Giles/Ingram 1847 A.D. 934 항 (pg657.txt 줄 3616)
937年アゼルスタンと弟エドマンドはブルナンブルフでオーラヴと戦い、五人の王と七人の伯爵を殺して勝利した。Giles/Ingram 1847 A.D. 935 항 (pg657.txt 줄 3621)
941年Gloucesterアゼルスタンはグロスターで没し、エドマンドが即位した。ノーザンブリア人はアイルランドのオーラヴを王に選んだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 941 항 (pg657.txt 줄 3778)
942年エドマンドはマーシア中を駆け抜け、レスター、リンカーン、ノッティンガム、スタンフォード、ダービーの五つの町を取り戻した。Giles/Ingram 1847 A.D. 942 항 (pg657.txt 줄 3790)
943年Tamworthオーラヴがタムワースを襲い、大殺戮の末にデーン人が勝利して多くの戦利品を持ち去った。Giles/Ingram 1847 A.D. 943 항 (pg657.txt 줄 3817)
943年Leicesterエドマンドはレスターでオーラヴと大司教ウルフスタンを包囲したが、二人は夜のうちに脱出した。Giles/Ingram 1847 A.D. 943 항 (pg657.txt 줄 3817)
944年エドマンドはノーザンブリア全域を服属させ、オーラヴとレイナルドの二人の王を追放した。Giles/Ingram 1847 A.D. 944 항 (pg657.txt 줄 3828)
945年エドマンドはカンバーランドを荒らした後、同盟の条件としてスコットランド王マルコムにそこを委ねた。Giles/Ingram 1847 A.D. 945 항 (pg657.txt 줄 3832)
946年エドマンド王はパックルチャーチでレオファに刺されて死に、弟のエドレッドがノーザンブリアを服属させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 946 항 (pg657.txt 줄 3836)
948年Riponエドレッド王がノーザンブリアを荒らし回る間に、ウィルフリッドが建てたリポンの大修道院が焼かれた。Giles/Ingram 1847 A.D. 948 항 (pg657.txt 줄 3850)
948年Yorkエドレッド王は帰還の途中、ヨークで敵に追いつき、大殺戮を行った。Giles/Ingram 1847 A.D. 948 항 (pg657.txt 줄 3850)
952年Thetford修道院長の死への報復として、エドレッド王はセットフォードで大殺戮を行わせた。Giles/Ingram 1847 A.D. 952 항 (pg657.txt 줄 3867)
954年ノーザンブリア人がエリックを追放すると、エドレッド王がノーザンブリアを手に入れた。Giles/Ingram 1847 A.D. 954 항 (pg657.txt 줄 3875)
955年エドレッド王はフロームで没し、エドウィグがウェセックスを、エドガーがマーシアを受け継いだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 955 항 (pg657.txt 줄 3880)
961年Londonロンドンで大きな疫病(熱病)が流行し、セント・ポール大聖堂が焼けて復旧された。ダンスタンが大司教となった。Giles/Ingram 1847 A.D. 961 항 (pg657.txt 줄 3961)
963年Winchesterエゼルワルドはウィンチェスター司教となり、在俗の聖職者を追い出して修道士を据えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 963 항 (pg657.txt 줄 3971)
964年Winchesterエドガー王はウィンチェスターの旧・新修道院と、チャーツィー、ミルトンの司祭たちを追い出し、修道士に替えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 964 항 (pg657.txt 줄 4066)
969年エドガー王はサネット島の全域を略奪させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 969 항 (pg657.txt 줄 4084)
973年Bathエドガーは聖霊降臨祭にバースで王として聖別された。(括弧内の版では972年、本文では973年。学界は973年を採用)Giles/Ingram 1847 A.D. 971 항 (pg657.txt 줄 4096)
973年Chesterエドガーが全艦隊を率いてチェスターへ向かうと、六人の王が来て忠誠を誓った。Giles/Ingram 1847 A.D. 973 항 (pg657.txt 줄 4107)
975年エドガー王は七月八日に没し、息子エドワードが王位を継いだ。Giles/Ingram 1847 A.D. 975 항 (pg657.txt 줄 4153)
976年イングランドに大飢饉が起きた。Giles/Ingram 1847 A.D. 976 항 (pg657.txt 줄 4277)
978年Calneカルンで評議員たちが床から落ちて怪我をしたり死んだりしたが、ダンスタンだけが梁の上に立っていた。Giles/Ingram 1847 A.D. 978 항 (pg657.txt 줄 4288)
979年Corfe Castleエドワード王は夕方にコープゲートで殺され、葬儀もなくウェアハムに葬られた。Giles/Ingram 1847 A.D. 979 항 (pg657.txt 줄 4311)
979年Kingston upon Thamesエゼルレッドはキングストンで二人の大司教と十人の司教の前で王として聖別された。Giles/Ingram 1847 A.D. 979 항 (pg657.txt 줄 4311)
980年Southampton海賊の艦隊がサウサンプトンを略奪し、住民の大半を殺すか捕えた。Giles/Ingram 1847 A.D. 980 항 (pg657.txt 줄 4360)
980年Chesterサネット島を荒らした後、北方の海賊がチェスター州を略奪した。Giles/Ingram 1847 A.D. 980 항 (pg657.txt 줄 4360)
981年Padstowペトロクストウ(パドストウ)が略奪され、デヴォンとウェールズの海岸も大きな被害を受けた。Giles/Ingram 1847 A.D. 981 항 (pg657.txt 줄 4369)
982年Portland海賊船三隻がドーセットに来て、ポートランドを略奪した。Giles/Ingram 1847 A.D. 982 항 (pg657.txt 줄 4379)
982年Londonロンドンが火に包まれた。Giles/Ingram 1847 A.D. 982 항 (pg657.txt 줄 4379)
987年Watchetワチェットの港が略奪された。Giles/Ingram 1847 A.D. 987 항 (pg657.txt 줄 4413)
991年Ipswichイプスウィッチが略奪された。Giles/Ingram 1847 A.D. 991 항 (pg657.txt 줄 4425)
991年Maldonオールダーマン・ブリフトノスがマルドンで戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 991 항 (pg657.txt 줄 4425)
991年初めてデーン人に一万ポンドの貢納金を払うことが決められた(シリック大司教の提案)。Giles/Ingram 1847 A.D. 991 항 (pg657.txt 줄 4425)
992年London王と評議会は使える船をすべてロンドンに集め、オールダーマン・エルフリックと伯爵ソロドに指揮を任せた。Giles/Ingram 1847 A.D. 992 항 (pg657.txt 줄 4432)
993年Stainesオーラヴが九十三隻の船でステインズに来て略奪し、サンドウィッチへ去った。Giles/Ingram 1847 A.D. 993 항 (pg657.txt 줄 4461)
993年Sandwichオーラヴはステインズからサンドウィッチへ移動した。Giles/Ingram 1847 A.D. 993 항 (pg657.txt 줄 4461)
993年Maldonオーラヴの軍はイプスウィッチを経由し、マルドンでオールダーマン・ブリフトノスを殺して勝利した。その後、和議が結ばれた。Giles/Ingram 1847 A.D. 993 항 (pg657.txt 줄 4461)
994年Londonオーラヴとスヴェインが九十四隻の船でロンドンを包囲し、火を放とうとしたが、かえって大きな損害を受けた。Giles/Ingram 1847 A.D. 994 항 (pg657.txt 줄 4488)
997年Watchet軍はデヴォン、コーンウォール、北ウェールズを略奪し、ワチェットで大規模に焼き討ちし、殺戮した。Giles/Ingram 1847 A.D. 997 항 (pg657.txt 줄 4519)
997年Tavistockタマー川に入り、リドフォードを経て、オルドゥルフの修道院があるタヴィストックを焼いた。Giles/Ingram 1847 A.D. 997 항 (pg657.txt 줄 4519)
999年Rochester軍はテムズ川とメドウェイ川を遡り、ロチェスターでケント軍を破って西ケントを荒らし回った。Giles/Ingram 1847 A.D. 999 항 (pg657.txt 줄 4539)
1000年王はカンバーランドをほぼ廃墟にし、艦隊はチェスター方面を回ってアングルシーを略奪した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1000 항 (pg657.txt 줄 4558)
1001年Altonデーン軍がオールトンまで進軍すると、ハンプシャーの人々が迎え撃ったが、王の執事エゼルウェルドらが戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1001 항 (pg657.txt 줄 4565)
1002年王と評議会はオールダーマン・レオフシゲを遣わし、二万四千ポンドで艦隊と和議を結んだ。その後エマがイングランドに来た。Giles/Ingram 1847 A.D. 1002 항 (pg657.txt 줄 4612)
1003年Exeterフランス人ヒューのせいで、エクセターは軍によって破壊され略奪された。続いてエルフリックが仮病を使ったため、ウィルトシャーとハンプシャーの軍は散り散りになった。Giles/Ingram 1847 A.D. 1003 항 (pg657.txt 줄 4629)
1004年Norwichスヴェインが艦隊でノリッジに来て、町全体を略奪し焼き払った。Giles/Ingram 1847 A.D. 1004 항 (pg657.txt 줄 4645)
1004年Thetford和議の最中、軍はひそかに上陸してセットフォードへ向かった。ウルフキテルが兵を集めて迎え撃った。Giles/Ingram 1847 A.D. 1004 항 (pg657.txt 줄 4645)
1006年Sandwich真夏にデーン艦隊がサンドウィッチに来て、略奪し焼き払った。Giles/Ingram 1847 A.D. 1006 항 (pg657.txt 줄 4672)
1007年敵に三万ポンドを貢納金として払い、エドリックがマーシアのオールダーマンに任命された。Giles/Ingram 1847 A.D. 1007 항 (pg657.txt 줄 4719)
1008年王はイングランド全土に船を造るよう命じた(三百十ハイドにつき船一隻)。Giles/Ingram 1847 A.D. 1008 항 (pg657.txt 줄 4724)
1009年Sandwich用意された船はサンドウィッチに集まったが役に立たず、ブリフトリックがウルフノスを王に讒訴した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1009 항 (pg657.txt 줄 4730)
1010年Ipswich復活祭の後、軍はイプスウィッチから上陸してウルフキテルの軍を攻撃した。東アングル人は逃げ、アゼルスタンらが戦死した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1010 항 (pg657.txt 줄 4783)
1011年王は軍に貢納金と食料を約束して和議を求めた。東アングリア、エセックスなど複数の州は、すでに踏みにじられた後であった。Giles/Ingram 1847 A.D. 1011 항 (pg657.txt 줄 4817)
1012年London復活祭の前、エドリックと評議会の長老たちは、四万八千ポンドの貢納金をすべて払うまでロンドンに留まった。貢納を拒んだアルフヘア大司教は軍に捕えられて殺された。Giles/Ingram 1847 A.D. 1012 항 (pg657.txt 줄 4860)
1013年Gainsboroughスヴェイン王はサンドウィッチを経て、ハンバー川とトレント川を遡りゲインズバラに至った。ノーザンブリア伯ウートレッドとリンジーの人々が服従した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1013 항 (pg657.txt 줄 4884)
1015年Oxfordオックスフォードの大会議で、エドリックは七つの州の大貴族シゲフェルトとモルカールを誘い出して殺した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1015 항 (pg657.txt 줄 4967)
1016年Crickladeクヌートは百六十隻の船とともにエドリックと合流し、クリックレードでテムズ川を渡ってマーシアに入り、ワーウィックシャーを略奪した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1016 항 (pg657.txt 줄 4990)
1017年クヌートはイングランドを四つに分けた。ウェセックスは自分に、東アングリアはソルケル、マーシアはエドリック、ノーザンブリアはエリックに。Giles/Ingram 1847 A.D. 1017 항 (pg657.txt 줄 5092)
1017年Londonオールダーマン・エドリックがロンドンで殺された。Giles/Ingram 1847 A.D. 1017 항 (pg657.txt 줄 5092)
1018年Oxford七万二千ポンドの貢納金が集められ、デーン人とイングランド人はオックスフォードでエドガー王の法のもとに和解した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1018 항 (pg657.txt 줄 5105)
1020年Cirencesterクヌートは復活祭にシレンセスターで大会議を開き、オールダーマン・エゼルウェルドを追放した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1020 항 (pg657.txt 줄 5122)
1020年クヌートはアッシングドンに石と石灰で修道院を建てさせ、奉献させた。Giles/Ingram 1847 A.D. 1020 항 (pg657.txt 줄 5122)
1022年Romeエゼルノース大司教はローマで教皇ベネディクトゥスからパリウムを受け、叙品・祝福された。Giles/Ingram 1847 A.D. 1022 항 (pg657.txt 줄 5143)
1023年Londonクヌートはロンドンのセント・ポール大聖堂で、聖エルフェゲの遺体を墓から掘り出して移すことを許可した。Giles/Ingram 1847 A.D. 1023 항 (pg657.txt 줄 5162)

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