ブラッドフォード『プリマス植民地について』

ブラッドフォード『プリマス植民地について』(記録 の史料)。扱う年は1606年 〜 1646年、出来事100件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分記録
視点内側の視点
扱う年1606年 〜 1646年
出来事の数出来事100件・地図に置いた91件
著者William Bradford
原題Of Plymouth Plantation

地域の内訳: アメリカ大陸 79 · 西ヨーロッパ 21

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1606年Gainsboroughノッティンガムシャー・リンカンシャー・ヨークシャーの境界地域の分離派信徒が二つの教会に分かれ、別々に集会を持った(スクルービ・ゲインズバラ側)。牧師クリフトン、続いてロビンソンが本文に登場する。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2006
1607年Bostonリンカンシャーのボストンで船を一隻丸ごと借り切り、決められた日に密かに渡ろうとした。出国許可が差し止められ、賄賂と秘密の手段に頼った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2133
1608年Kingston upon Hull翌春、キングストン・アポン・ハルで、ゼーラント所属のオランダ船と契約し、再び渡ろうとした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2167
1608年Amsterdam低地地方(オランダ)に着いた信徒たちはロビンソンとブリュースターを迎え、教会の秩序を立てようとした。アムステルダムの古い教会の争いを見て、移住を考えた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2315
1608年 〜 1609年Leidenアムステルダムを去ってライデンへ移った。大学があり美しい町だが海上貿易はなく、彼らは手仕事で生計を立てた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2344
1617年Leidenライデン教会は、未開のアメリカへ行くことを公然と議論した。恐れや反対は多かったが、行くと決議した(ギアナかバージニアかをめぐる討論)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.2674
1618年Londonロバート・カッシュマンは、ライデン教会の手紙と信仰告白文書を直接ウォルステンホルム卿に届け、その朗読の席にも同席した(バージニア会社との交渉)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.3208
1619年London長い待機の後、バージニア会社の印章で確認された特許状を得た。申請者名義はジョン・ウィンコブ(Wincob)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.3460
1620年London商人投資家と移住者との七年期の合資条件(十六歳以上一人十ポンド=一株など)が文書で確定される箇所。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.3649
1620年Delfshavenライデンの信徒たちはデルフスハーフェンで乗船した。潮が待ってくれず、別れを急いだ。牧師ロビンソンはひざまずいて祈った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4304
1620年Southampton順風に乗ってサウサンプトンに着き、ロンドンから来た大きな船と残りの一行(メイフラワー号)と合流した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4313
1620年Southamptonサウサンプトンで、契約条件の変更をめぐる意見の相違に対し、投資家への書簡(8月3日付)で答えた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4363
1620年Dartmouth出航直後、小型船スピードウェルが浸水したため、二隻とも引き返して港に入り、修理を相談した。カッシュマンは8月17日にここで手紙を書いた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4679
1620年Plymouthダートマスから戻ってプリマス(イングランド)に着くと、スピードウェルを放棄し、全員を一隻、メイフラワー号に詰め込んだ。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4891
1620年Plymouth9月6日、全員が一隻に乗り込み、順風の中で再び海へ出た。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4899
1620年航海中、激しい嵐に何度も遭い、甲板の上部から水が漏れ、中央の梁が曲がり、ひびが入った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.4928
1620年Provincetownケープコッドの港に着き、地に伏して神に感謝した。迎えに来る友も宿も家もない荒涼とした海岸だという叙述が続く。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5070
1620年Provincetown12月6日、十人がシャロップ(小舟)に乗って湾をさらに探検した。夜には先住民の焚き火の煙を見て、朝には二組に分かれ、海岸と森を捜索した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5295
1620年Eastham早朝、弓を射る先住民の襲撃を受けたが、誰も傷つくことなく追い払った(「最初の遭遇」)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5394
1620年Plymouth12月15日に船を動かし、16日に順風を得て、先に探査しておいた港(プリマス)に無事入港した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5483
1620年Provincetown上陸に先立ち、全員が署名した誓約(メイフラワー誓約)で共同政府の基礎を定め、ジョン・カーヴァーをその年の総督として確認した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5566
1621年Plymouth二、三か月のうちに一行の半数が死んだ。特に一〜二月の真冬には、病人を看病する健康な者すら足りなかった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5611
1621年Plymouth近くをうろつく先住民のもとへ、スクワントとともにマサソイトが来て、六条の平和条約を結んだ(互いに害さないこと、一方が攻撃されたら助けることなど)。条約は二十四年間続いたと記されている。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5741
1621年Plymouth4月初め、信徒たちを降ろしたメイフラワー号をイングランドへ送り返した(必要と危険が大きく、長く停泊していた)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.5958
1621年Plymouth畑で種をまいていた総督カーヴァーは、暑い日に頭痛を訴えて倒れ、数時間で意識を失った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6003
1621年Plymouthカーヴァーの後、ウィリアム・ブラッドフォードが総督に、アイザック・アラートンが補佐役に選ばれた。その後アラートンは毎年再選された。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6014
1621年Plymouth5月12日、プリマス最初の結婚式。オランダの慣習にしたがい、牧師ではなく行政官が執り行う民事婚とした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6021
1621年Bristol新しい友人マサソイトを訪ね、贈り物を渡し、スクワントの案内で土地を見てくるよう人を送った。道中で食料が足りず、疲れ果てて帰ってきた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6048
1621年Middleborough8月14日、武装した一行が家を取り囲んで捜索したが、目当ての相手はその日すでに立ち去っていた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6177
1621年Boston9月18日、十人と、案内役・通訳のスクワントを小舟に乗せ、マサチューセッツ湾を見て交易に出かけた。親切に迎えられた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6196
1621年Plymouth11月、予告なく小型船フォーチュン号がカッシュマンと35人を乗せて到着した。食料はほとんどなかった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6236
1621年Plymouthナラガンセットの人々が、蛇の皮に矢の束を結びつけた脅しを送ってきた。プリマスは皮に弾丸を詰めて送り返した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6434
1622年Boston3月末、マサチューセッツへ交易に行く準備をした。ホボモックは疑念を口にしたが、行って交易はうまくいき、無事に帰還した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6531
1622年5月末、食料がほとんど尽きた頃、海の方から小舟が見え、近くの漁船からのものと確認された。イングランドの投資家からの乏しい支援と手紙が一緒に届いた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6553
1622年Plymouthウェストンが送った人々が上陸するのを見て、プリマスは親切に迎えることにした(ウェストン個人への義理と、その人々への憐れみから)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.6950
1622年Plymouthその夏、頑丈な木造の砦を築いた(平らな屋根、銃眼、大砲を据え、常時警戒)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7038
1622年Weymouth収穫直後、マサチューセッツに定住したウェストンの一行は、節度なく食料を浪費し、まもなく飢えが迫っていることに気づいた。プリマスで交易物資を買おうとした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7120
1623年Bristol友人マサソイトが重篤だと聞き、人と慰問の品を送って見舞った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7233
1623年Weymouthマサチューセッツから来た一人の男が持ち込んだ知らせと他の証拠をもとに、プリマスは陰謀を重く見て対応した。首謀者の数人を排除したと記録されている。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7249
1623年Plymouth食料が尽きたため、全員がもっと穀物を植え、より良い収穫を得る方法を考え始めた(家族ごとの土地配分のきっかけ)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7360
1623年Plymouth長い干ばつで作物が萎れたため、断食と祈りの日を設けた。夕方には雲が広がり、やわらかな雨が降った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7656
1623年Plymouthアン号が到着し、嵐で離れ離れになっていた新しい小型船リトル・ジェームズ号が、十日前後後に入港した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7672
1623年Weymouth9月中旬、ロバート・ゴージズ大尉が総督任命状を携えて到着し、ウェストンの一行が捨てた場所に植民地を建てようとした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.7919
1624年Plymouth新しい役員の選出の際、総督は辞任を求め、補佐役をさらに増やすよう提案した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.8196
1624年Plymouthウィンズローはイングランドから補給とともに雌牛三頭と雄牛一頭を運び込み、この土地の牛の始まりとなった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.8262
1624年Plymouth陰謀と派閥が明るみに出ると、総督は法廷を開いて住民全員を召喚し、ライフォードとオールダムを訴追した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.8949
1624年Plymouth有罪判決により、オールダムは即時追放、ライフォードは六か月の猶予の後に追放と決まった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.9253
1625年Plymouth春の選挙の頃、追放されていたオールダムが許可なく戻ってきて騒ぎを起こした。捕えられ、見張りの間を通して追い出された。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.9551
1625年Plymouthスタンディッシュを大型船に乗せ、イングランドの投資家とニューイングランド評議会への手紙と指示を持たせて送った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10072
1625年 〜 1626年Leiden牧師ロビンソンがライデンで死去した。知らせはカッシュマンの死とともにスタンディッシュを通じて届き、プリマスは深く落胆した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10151
1626年Plymouth4月初め、帰還するスタンディッシュを迎えるため小舟を送った。ロビンソンの死など悲しい知らせも一緒に届いた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10134
1626年Londonアラートンを英国へ送り、投資家と条件を交渉させた。ただし、最後まで確定はしないよう指示した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10321
1626年London10月26日の投資家会議で合意された、プリマス買収契約(1,800ポンドの支払いなど)を文書にまとめ、確定した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10380
1627年Plymouth全員を集め、交易は従来どおり負債の返済に充て、名簿に載った人々を「購入者(purchasers)」として登録することに決めた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10565
1627年バージニア行きの船が道に迷い、ケープコッドに座礁した。総督は助け、修理を重ね、乗客の世話をした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10632
1627年Bourne水路交易を進めやすくするため、マナメットに小型バーク船を造り、家も建てて人を置き、穀物と豚を育てさせた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10797
1627年New York Cityニューネーデルラントのアイザック・デ・ラシエールがプリマス総督に、友好と交易を求める手紙を送った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.10864
1627年Plymouth植民地が負債を負い、六年間交易権を持つ「引受人」(ブラッドフォード・スタンディッシュ・アラートンなど)との条項契約(第1〜6条)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11043
1628年Augustaケネベック特許を得た後、川上の最も適した場所に交易所を建て、冬用・夏用の物資を備えた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11343
1628年Bourneオランダ人が再び砂糖・布などを持ってマナメットの交易所まで上り、ワンパム(貝ビーズ)取引の道が開けた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11354
1628年Quincyモートンが原住民に銃を売って脅威となったため、近隣の入植地がプリマスに連合を求め、力ずくで彼を捕らえた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11652
1629年Salemアラートンはセイラム行きの船で渡り、マサチューセッツ湾に教会を建てる敬虔な人々が大勢到着した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11813
1629年Plymouthライデンから来た35人が5月に船でイングランドを経由してプリマスに着いた(第二の一団は翌年到着)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11899
1630年London長い交渉の末、ブラッドフォード名義でプリマスとケネベックの特許状が出された。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.11989
1630年Plymouth「最初に来た人」ジョン・ビリントンが陪審裁判で故意殺人の有罪となり、処刑された(植民地初の死刑)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.12965
1630年Charlestown7月25日の安息日の夕方、ジョンソンはウィンスロップ総督の手紙を受け取った。チャールズタウンに病が広がり、神の御手が感じられるという内容だった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.12993
1631年Castineその年、ペノブスコット交易所がフランス人に襲われ、ビーバーの毛皮と交易物資およそ500ポンド分を奪われた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.13641
1632年ピアスの船ライアン号が事故で大きく損傷し、財産の大半を失ったという手紙(植民地には翌年4月7日に到着)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14100
1633年Windsorオランダ人が妨害しようと粗末な砦を築き、大砲で脅したが、プリマスの船は通り過ぎ、川上に家を建てて柵を巡らせた(英国人最初の定住)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14343
1633年Plymouthその年、伝染性の熱病で二十人以上が死んだ(昔のライデンの友人も含む)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14397
1634年Augustaピスカタウェイのホッキングがプリマスの境界を侵し、川上での交易を押し通そうとして衝突の末に死んだ。このことでボストン側と緊張が生じた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14501
1634年プリマスのバーク船がオランダ側で交易中にストーン船長と出会い、事件に巻き込まれた。その後ストーン一行は原住民に殺された(l.14828)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14770
1634年Windsor春、交易所周辺の原住民が天然痘で悲惨に死んでいった。プリマスの人々が世話をした。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14859
1634年ピクォート族は隣人と争い、ナラガンセットとも仲が悪くなった。オランダとも対立していたため、マサチューセッツに友好の使節を送った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15853
1635年Londonウィンズローは植民地を代表し、フランス・オランダの土地分割の策動に対抗する保護または許可を求める請願書を提出した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.14938
1635年Castineフランス人オネーがペノブスコット港に入り、交易所の男たち数人を船上へおびき寄せて捕らえた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15097
1635年Cambridgeマサチューセッツ議会の委員会は、ペノブスコットからフランス人を追い出すプリマスの計画に、兵力と弾薬で助力する意思を示した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15195
1635年Plymouth8月14・15日の土曜日、これまで見たことのない暴風雨とハリケーンのような風が吹き荒れた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15295
1635年Windsorマサチューセッツから来た人々が毎日のように押し寄せ、プリマスが買った土地の近くに住み着こうとして対立を生んだ。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15351
1636年Bostonマサチューセッツに住んでいたオールダムは、小型船で南部の原住民と交易に出かけ、原住民との争いの末に死んだ。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15920
1637年春の初め、ピクォート族はコネチカット川下流で畑仕事をしていた英国人を襲い、殺し、連れ去った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.15974
1637年Mysticコネチカット軍とマサチューセッツ軍がナラガンセットの地で落ち合い、合流した。ナラガンセットは遠くから見守り、英国人が自ら襲撃を行った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16192
1637年Fairfield隠れていたピクォート族が湿地で見つかり、追跡された。翌日捜索すると、九人の死体が見つかった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16281
1637年ピクォートの首長ササカスはモホークのもとへ逃げたが、首を切られた(英国人とナラガンセットをなだめる意図だったと推定される)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16335
1638年Plymouthプレンスが総督に選出されたその年、強盗と殺人を犯した三人が裁判の後に処刑された。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16392
1638年Plymouth6月1~2日ごろ大地震。まず遠雷のような音が聞こえ、北から南へ通り過ぎた。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16552
1639年 〜 1640年Plymouth二植民地は境界を確定するため委員を選んだが、ヒンガムでの一度の会談では合意できなかった(チャールズ川に関する文言をめぐって争った)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16632
1640年Plymouthブラッドフォードは信託として保有していた特許を、増えた自由民と各町(プリマス・ダックスベリー・サイチュエイト・タウントン・サンドウィッチ・ヤーマス・バーンスタブル・マーシュフィールドなど)に譲った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.16754
1641年Plymouth10月15日、ジョン・アトウッド(シャーリー側の代理人)とブラッドフォードらが、長い会計紛争を終わらせる合意条項を結んだ。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.17050
1641年Plymouth1638年に招かれた司祭チョーンシーは、洗礼の問題で教会と対立して去った。教会は他の牧師を招き、公開討論を行った。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.17191
1642年Bostonマサチューセッツ総督ベリンガムが、一般裁判所の決めた二つの事項を書簡でプリマスに伝え、助言を求めた(ファミリスト派と交易の問題)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.17327
1643年Plymouth4月18日ごろ、長老でブラッドフォードの友人ブリュースターが死去した。続いて長い略伝が続く。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.17818
1643年Boston9月7日のボストン会議でプリマス法廷の承認が確認され、四植民地の委員の署名により連合植民地の連合条約が発効した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18378
1643年Norwichウンカスがナラガンセット軍を破り、ミアントノモを捕らえ、委員の助言に従って処刑した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18435
1644年Plymouth土地が狭く痩せていたため、多くの人がこの地を離れてより良い場所へ移っていった(教会にとっても危機)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18480
1644年委員たちは、ウンカスによるナラガンセットとニアンティックへの攻撃を止めさせ、英国がウンカスを助けると約束する六条項に署名した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18663
1645年Boston委員たちは定期の時期より早くボストンに集まった(フランスとの紛争、ウンカスのナラガンセット攻撃のため)。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18696
1645年Bostonナラガンセットの首長たちが大勢の随員を率いてボストンに来て、委員と十か条の協定(補償金・人質・平和維持)を結んだ。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.18938
1646年Plymouth5月中旬、戦闘隊形の軍艦三隻が港に入ってきた。クロムウェル船長は西インド諸島でスペイン船を何隻も拿捕した人物だった。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.19141
1646年Londonマサチューセッツの不満分子がプリマスを揺さぶろうとしたため、ウィンズローは英国へ赴いて弁護した。Bradford 1908 Jameson판 OCR l.19193

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