コルテス『報告書簡』

コルテス『報告書簡』(記録 の史料)。扱う年は1517年 〜 1526年、出来事150件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分記録
視点外側の視点
扱う年1517年 〜 1526年
出来事の数出来事150件・地図に置いた105件
著者Hernán Cortés
原題Cartas de relación de Hernán Cortés (MacNutt 영역 1908)

地域の内訳: アメリカ大陸 150

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1517年Champotonコルドバの遠征隊はチャンポトン(ポトンチャン)で夜明けに襲撃を受け、スペイン人26人が戦死。コルドバは30か所以上を負傷してキューバへ撤退した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 5401
1518年Campecheグリハルバの遠征隊(1518年)は、カンペチェ岬で水を汲む際に先住民と交戦。スペイン人1人が戦死し、グリハルバも負傷した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 5714
1519年Cuba (섬 전체; 출항 항구는 원문에 없음)コルテスはキューバ(フェルナンディナ島)から、船10隻・兵400人・馬16頭で出航した(出航港は原文に記載なし)。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 5917
1519年Cozumelコルテスの艦隊がコスメル(サンタクルス島)に初めて上陸し、放棄された村に兵を宿営させ、先住民の首長たちと交渉した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 5929
1519年Cozumel捕虜となっていたスペイン人ヘロニモ・デ・アギラルが、カヌーでコスメルに来て合流し、通訳となった。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6137
1519年Tabasco 강변 마을(포톤찬), 정확한 지점 불명コルテスはタバスコのグリハルバ川をボートでさかのぼり、武装した先住民が整列する村に着いた(ポトンチャン。正確な地点は不明)。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6261
1519年Tabasco 강변 마을(포톤찬), 정확한 지점 불명タバスコの村への上陸戦。要求文を読み上げた後、砲撃して上陸し、村を占領した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6320
1519年Tabasco 강변 마을 인근 들판騎兵を率いたコルテスが合流し、タバスコの村近くの野で先住民の大軍を破る。スペイン側は負傷20人、戦死0人。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6471
1519年Tabasco 강변 마을八つの地方の連合軍(先住民の数え方で4万)を破ったのち、タバスコの首長たちはスペイン王の臣下となることを約し、講和した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6513
1519年Veracruz艦隊はベラクルス沖のサンフアン(ウルア)の港に到着。翌日上陸し、首長たちに贈り物と服従を求めた。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6587
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음サンフアン湾で、将校たちの要求を受けてコルテスは交易を止め、町の建設に着手。ビジャ・リカ・デ・ラ・ベラクルスと命名した(最初の場所はキアウィツトラン付近と推定、原文に位置なし)。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6730
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음新しい市参事会がコルテスを最高裁判官・総司令官(Captain General)に推戴した。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6829
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음市参事会はプエルトカレロとモンテホを代表に選び、金銀と書簡を国王へ送ることにした。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 6871
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음最初の書簡(ビジャ・リカ市参事会の名義)は7月10日付で作成された。Letter 1, MacNutt vol.1 OCR line 7368
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음二通目の書簡の冒頭。7月16日、代表プエルトカレロとモンテホが最初の報告を積んで出港。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 7740
1519年Zempoala8月16日、コルテスは騎兵15・歩兵300を率いてセムポアラを出発し、モクテスマを求めて内陸へ進軍。ベラクルスには馬2頭と兵150を残して砦を築かせた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 7858
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음ベラスケス側の四人が、船を奪ってキューバに知らせる陰謀を白状。コルテスは処罰した(編集注:二人は絞首刑、足切断、鞭打ち)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 7990
1519年빌라리카 첫 터(퀴아우이츨란 부근 추정), 원문에 위치 없음反乱を防ぐため、コルテスは船を浜に引き上げさせ、沈められないようにした(船を壊した決定の主体については編集注に異論がある)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8027
1519年Nautla海岸沿いでガライ(ジャマイカ総督)の船三隻と遭遇し、捕虜4人を捕らえ、パヌコ川の存在を聞いた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8123
1519年Xicoセムポアラを発って4日目、要塞化された村シエンチマレン(編集注:現在のシコ)に到着し、モクテスマの臣下に歓待された。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8214
1519年칼타미(Caltanmi; 편집자: Xocotla)カルタンミ(編集注:ショコトラ)の谷の首長オリンテトルが「モクテスマの臣下でないお前たちは何者か」と答える。コルテスはスペイン王の権能を説明した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8307
1519年Ixtacamaxtitlanイスタカマスティトラン(編集注:イスタクマスティトラン)に3日滞在し、セムポアラの使節が持ち帰るトラスカラの返答を待つ。この谷に計8日。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8357
1519年틀락스칼라 변경 성벽(위치 불명)トラスカラ領内で境界の城壁(高さ約2.7m・厚さ6m、折れ曲がった入口)を確認し、セムポアラの人々の勧めでトラスカラへの道を選んだ。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8434
1519年틀락스칼라 영내 첫 교전지(위치 불명)トラスカラでの偵察中、先住民4~5千と交戦。馬2頭が死に、3頭が負傷、敵50~60人を殺した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8482
1519年틀락스칼라 영내 작은 마을(위치 불명)小さな村で、夜明けから日暮れまで、彼が十万と数えた戦士に囲まれての大会戦(数字は原文のもの)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8561
1519年틀락스칼라 영내(위치 불명)夜襲と突撃で村100余りを焼く(一つの村には家3,000軒)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8638
1519年틀락스칼라 영내 진영(위치 불명)偵察に来たトラスカラ人50人の手を切り、帰した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8677
1519年틀락스칼라 영내 진영(위치 불명)トラスカラの総司令官シコテンカトルと首長50人が来て、和を求め、スペイン王の臣下になることを約した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8826
1519年Tlaxcalaコルテスは陣を離れ、6リーグ先のトラスカラの市に入る。市場には一日3万人。州の周囲は90リーグ(原文)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8911
1519年틀락스칼라 영내 진영(위치 불명)モクテスマの使節6人(随行200人)がトラスカラ領内の陣に来て、貢納を約束し、来ないよう求め、金1,000ペソなどを届けた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 8996
1519年Tlaxcalaトラスカラの首長たちは、チョルーラでモクテスマ軍5万が待ち伏せや罠を仕掛けていると警告したが、コルテスは行くことにした。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9062
1519年Cholulaコルテスはトラスカラ軍の一部(5~6千)とともにチョルーラに入城。住民に歓迎されたが、道が塞がれ罠があった痕跡も見つかった。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9213
1519年Cholula陰謀の情報を得たコルテスは首長を監禁し、銃声を合図に先制攻撃。2時間で3,000人余りが死んだ(編集注はこの虐殺を最大の論争点と評価)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9281
1519年포포카테페틀 사면(산악; 지명 사전 없음)ポポカテペトルの斜面で、火山の煙の原因を調べるため同行者10人を送り、山頂近くまで登って雪と氷を持ち帰らせた(編集注:ディエゴ・デ・オルダス)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9545
1519年Huejotzingoチョルーラを発ち、4リーグ先のウエホツィンゴ(グアスシンゴ)村に移動し、贈り物を受けた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9633
1519年Chalco二つの山の間の峠を越え、モクテスマの領地チャルコに至り、新しい宿舎に泊まる。モクテスマの兄弟が金3,000カステジャーノを持参した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9645
1519年Amecamecaアマケルカ(編集注:アメカメカ)に2日滞在し、首長から奴隷の女性40人と金3,000カステジャーノを受けた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9719
1519年Tlahuac湖上の町トラワク(編集注:クイトラワク、現トラワ)の堤道を渡り、歓迎を受けて昼食をとった。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9805
1519年Iztapalapaイスタパラパに到着。首長(モクテスマの弟)とコヨアカン首長が出迎え、贈り物は3,000~4,000カステジャーノ。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9821
1519年Mexico Cityイスタパラパから2リーグの堤道を通ってテノチティトランに入城。モクテスマが貴族200人とともに出迎え、首飾りを交換した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 9948
1519年Mexico Cityモクテスマは演説で、先祖の記録によれば自分たちはこの土地の土着ではなく、東から来る君主を待っていたと述べ、コルテスをスペイン王の使節として受け入れた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10006
1519年Nautlaコルテスがチョルーラにいた時、ベラクルスの隊長から、アルメリア(ナウトラ)でスペイン人の一部がモクテスマの臣下に殺されたとの報告が届いた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10093
1519年Mexico Cityコルテスはモクテスマに殺害者クアウポポカを呼び出すよう求め、スペイン人の宿舎へ移るよう説得した(拘束の始まり)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10203
1519年Mexico Cityクアウポポカとその一行が連行され尋問を受けた。モクテスマの指示の有無を問われて否定したと記される(処刑は読んだ区間の外)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10286
1519年Texcoco反抗的なテスココ王カカマチンを、モクテスマが人々と組んでテスココへ呼び寄せ、逮捕させた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10708
1520年Coatzacoalcosコアツァコアルコス地方(グアサクアルコ)の首長トチテクラがスペインの偵察隊を歓待し、大河と港を確認した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10488
1520年Texcocoモクテスマの助言により、カカマチンに代えてその息子クイクスカチンをテスココの領主に据えた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10726
1520年Mexico Cityモクテスマは諸領主を集め、涙ながらにスペイン王への服従を説いた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 10743
1520年Mexico City大神殿の主要な神像を階段から転がし落とし、聖母像と聖人像を安置した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 11161
1520年Mexico City平穏だった頃、海岸から船の知らせが届く(ナルバエスの艦隊が接近)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 11522
1520年나르바에스 상륙지(원문 미명시)ベラスケスが送ったナルバエスの船団(馬80頭・大砲多数)が上陸し、ナルバエスがコルテスを反逆者と宣言したとの知らせが届く。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 11636
1520年Mexico Cityナルバエスに対抗するためコルテスはテノチティトランを離れ、モクテスマと都市をアルバラードの側に託す。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 11876
1520年Cholulaチョルーラで、コアツァコアルコスから戻るフアン・ベラスケス(デ・レオン)の部隊と出会い、合流する。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 11897
1520年Zempoala夜陰に乗じてコルテスはセムポアラのナルバエスの宿舎の中庭まで入り、ナルバエスを逮捕。その軍を吸収する。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12113
1520年Texcocoテノチティトラン守備隊が包囲されたとの知らせに、兵を率いて急行し、テスナカン(編集注:テスココ)に到着する。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12227
1520年Mexico City聖ヨハネの祝日(6月24日)、コルテスはテノチティトランの守備隊と合流し、翌日から包囲攻撃を始めた。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12285
1520年Mexico Cityモクテスマは自分の臣民が投げた石で頭を打たれ、三日後に死んだ。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12404
1520年Mexico Cityコルテスは大神殿の塔に登り、占拠していた敵を一掃した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12490
1520年Mexico City脱出(「悲しき夜」):先住民が取り外した橋の上に仮の木橋を渡して渡る途中、大敗した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12701
1520年Tacuba撤退隊はタクバに至り、広場で恐慌状態の兵をまとめる。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12746
1520年퇴각 길 평원(오툼바 전투로 통설; 이 구간에 지명 없음)退却路の平原で(一般にオトゥンバの戦いと呼ばれる。この区間に地名なし)、追撃してきた敵の大軍と交戦し、敵の有力者の多くが絡み合うようにして死んだ。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12911
1520年Tlaxcalaトラスカラに到着すると、首長たちが慰問に訪れる。ウエホツィンゴの首長たちも合流した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 12954
1520年Tlaxcala傷を癒しながら、トラスカラに20日間滞在した。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13035
1520年Tepeacaスペイン人10~12人を殺したテペアカ地方への懲罰遠征。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13090
1520年Tepeacaテペアカにスペイン人の入植地セグラ・デ・ラ・フロンテラを建設(第二書簡の発信地)。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13205
1520年Huaquechulaモクテスマの後継者の軍の守備隊から捕虜を取りながらワケチュラに入城。援軍も交戦。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13331
1520年Izucar de Matamorosワケチュラで3日休んだ後、4リーグ先のイスクアル(イスカル・デ・マタモロス)へ移動し、降伏を受ける。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13461
1520年Huaquechulaワケチュラの捕虜から、モクテスマ死後、弟のクイトラウアク(クエトラバシン)が継ぎ、防備を整えているとの情報を得る。Letter 2, MacNutt vol.1 OCR line 13598
1520年Tepeaca12月中旬、コルテスはセグラ・デ・ラ・フロンテラ(テペアカ)を発ってトラスカラへ向かい、歩兵は先に送る。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 257
1520年Tlaxcalaトラスカラに到着。大工たちがブリガンティン(帆船)の船体と板材を急いで組み上げていたのを確認した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 305
1520年Tlaxcalaクリスマスの二日後、トラスカラで閲兵。騎兵40・歩兵550など。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 343
1520年Tlaxcala12月28日、無垢なる幼子の祝日に、全軍を率いてトラスカラを出発し、6リーグ行軍した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 416
1520年Texcocoテスココに入城。イシュトリルショチトルが宿舎を用意する。その後3日は無事に過ごし、要塞を整えた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 650
1521年Iztapalapaテスココ滞在七、八日目、コルテスはスペイン人200(騎兵18)を率いてイスタパラパへ進撃。湖畔の家に避難していた住民を襲い、火を放つ。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 778
1521年Texcocoコルテスは主席警吏サンドバルをトラスカラへ送り、ブリガンティンの輸送を護衛させる。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 947
1521年Chalcoサンドバルの一行がチャルコに着くと、住民が歓迎し、共同の防衛と支援を求めた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1017
1521年Texcocoブリガンティン13隻を、トラスカラからテスココまで陸路で運び、テスココの港に入れる。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1328
1521年Tacubaタクバに6日滞在中、毎日必ず敵と小規模な交戦があった。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1485
1521年아카피치틀라(Acapichtla, 현 위치 불명)サンドバルは、アカピチトラ(現在位置不明)に集結した敵を平和裡に降伏させるため進撃した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1627
1521年Texcoco聖週間の水曜日(3月27日)、コルテスは連行されたテノチティトランの首長たちを呼び出して立たせた(前半のみ確認)。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1764
1521年Texcoco4月5日、コルテスは騎兵30などを率いてテスココを出発し、サンドバル隊とともに湖周辺の巡回遠征を始めた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1814
1521年호수 동쪽 산성(위치 불명)要塞化された第二の山(岩山)を偵察したのち攻撃した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 1838
1521年Cuernavaca渓谷に阻まれたクアウナワク(クエルナバカ)の要塞を、渡河の末に占領した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2000
1521年Xochimilcoソチミルコに到着し、湖上で大軍と激戦となった。編集者注:4月15日~20日。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2109
1521年Xochimilco馬が倒れ、コルテスは捕虜になりかけたが、トラスカラ人と従者に救出された。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2199
1521年Coyoacanソチミルコから2リーグの距離にあるコヨアカンに到着した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2328
1521年Tacubaタクバで貴族100余名を殺害し、テノチティトラン住民の意図を確認した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2410
1521年Texcoco50日間、毎日8,000余人が掘り続け、運河(ブリガンティン出航路)を完成させた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2537
1521年Texcoco4月28日、ブリガンティンを運河に浮かべ、全軍を閲兵した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2547
1521年Texcoco包囲戦を前にして軍を三つに分け、アルバラードに騎兵30、弓兵・銃兵18などを配属した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2623
1521年Texcoco5月10日、アルバラードとオリドの部隊がテスココを出発し、タクバとコヨアカンに駐屯する任務についた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2721
1521年Mexico City二人の隊長はテノチティトランに水を送る水道を断った。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2789
1521年Iztapalapaイスタパラパの人々が煙の合図を上げると、サンドバルとコルテスが都市を攻撃した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2917
1521年Mexico Cityブリガンティンが湖上でカヌーの艦隊を3リーグ追撃し、湖の制海権を確保した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 2991
1521年Mexico Cityサンドバルが合流し、テノチティトランは四方から包囲された。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 3148
1521年Mexico Cityコルテスは堤道を進み、防壁と橋の占領を繰り返しながら市内への突入を試みた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 3178
1521年Mexico City市内深くに入り込んだところを待ち伏せに遭って大敗し、コルテス自身も危機に陥った。編集者注:馬7頭とスペイン人70名が捕虜となった。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 4092
1521年Cuernavaca敗北の2日後、クエルナバカの人々がマリナルコなどに対する支援を求めてきた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 4346
1521年Mexico City広場での待ち伏せで得た勝利により、敵は広場に入ることを恐れるようになった。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 4813
1521年Mexico Cityサンティアゴの祝日(7月25日)に都市の占領が進んだ。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 4897
1521年Mexico City火薬が不足していたため投石機の製作が協議され、市場の広場に設置された。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 5037
1521年Mexico City陥落の直前、首長たちは講和を求めたが、コルテスは王が自ら来るべきだと答えた。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 5119
1521年Mexico Cityブリガンティンの船長ガルシ・オルギンがカヌーで逃げる王(クアウテモック)を捕らえてコルテスのもとへ連れて来ると、都市は降伏した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 5494
1521年Coyoacan捕虜の処理を終えるとコヨアカンへ戻り、以後そこに滞在した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 5592
1521年Veracruzキューバ総督が派遣したクリストバル・デ・タピアがベラクルス港に到着し、着任の権限を主張した(年月は判断による)。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 5929
1521年Texcoco包囲以前、テスココでベラスケス派がコルテス暗殺を企てていたことが密告によって明らかになった。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 6208
1521年Coyoacan陥落後、コヨアカンでテスココの領主ドン・フェルナンドが死去した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 6280
1521年Mexico City陥落後、コルテスはテノチティトランを再建することを決めた。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 8411
1521年Mexico Cityブリガンティンを保管するための要塞(造船所)を水上に建設した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 8465
1522年Coyoacan1月末、アルバラードは軍を率いて南海岸のトゥトゥテペケへ出発した。Letter 3, MacNutt vol.2 OCR line 6139
1522年Coatzacoalcosサンドバルは海岸沿いにグアサクアルコ地方を征服して定住させるため派遣された。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 6651
1522年Tututepecトゥトゥテペケの首長が死ぬと周辺の地方が反乱を起こし、アルバラードは再び出動した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 6859
1522年Mexico Cityコルテスは騎兵120、歩兵300、先住民4万を率いてパヌコへ遠征し、反乱した地方を鎮圧した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 7149
1522年산테스테반 델 푸에르토(파누코 강가; 위치 사전 없음)パヌコを平定した後、サン・エステバン・デル・プエルトを建設して残留者を定住させた。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 7296
1523年Panucoジャマイカ総督ガライが馬120頭と多数の兵を率いてパヌコに上陸した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 7525
1523年Mexico Cityガライがテノチティトランに来ると、コルテスは歓待し、誓約による合意に達した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 7894
1523年파누코 강 지방(위치 불명)パヌコでガライの部下210名が夜襲によって全滅したという知らせが届いた。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 8073
1524年Tehuantepecアルバラードの遠征隊は1月12日にテワンテペクに到着した。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 8235
1524年Mexico City第四の書簡は1524年10月15日にテノチティトランから発送された。Letter 4, MacNutt vol.2 OCR line 9249
1524年Mexico Cityオリドの件を処理したコルテスは、腕の傷が癒える前に自ら探検(ホンジュラス)に出ることを決意した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 9494
1524年Coatzacoalcosエスピリトゥ・サント(コアツァコアルコス)に到着する前、首都の役人間の不和を知らせる書簡を受け取った。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 9603
1524年Coatzacoalcos閲兵の結果は騎兵93、歩兵30余など、計230名。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 9657
1524年타바스코 지방 늪 마을(이름 읽은 구간 밖)村に20日間滞在した後、沼地の上に長さ300歩の橋を架けた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 9892
1524年이스타판(Iztapan; 타바스코, 지명 사전 없음)イスタパンに到着し、8日間滞在して道と丸木舟を整えた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 10033
1525年Trujillo10月23日、トルヒージョ港から、従者一人をスペインへ送るための船が派遣された(第五書簡の冒頭)。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 9453
1525年아칼란 지방(이차므칸 추정; 지명 사전 없음)アカラン地方の農場に到着した。首長アパサポロンは来ず、息子を通じて交渉した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 10609
1525年아칼란 지방(이차므칸 추정; 지명 사전 없음)クアウテモックの反乱計画を密告されたコルテスは二人を絞首刑にした(名前は読んだ区間の外)。編集者注:クアウテモックらが処刑された。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 10827
1525年마사틀란 지방(키아초; 지명 사전 없음)マサトラン(キアチョ)地方の丘の上の村に到着し、矢による小競り合いがあった。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11061
1525年Floresタヤサル(ペテン・イツァ)地方に到着し、丸木舟で湖の島の都市を訪れた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11162
1525年Floresタヤサルの首長カネクがミサに参列し、フランシスコ会の司祭が説教した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11262
1525年텐시스(Tenciz; 지명 사전 없음)山あいの峠を越え、復活祭の前日にテンシスに到着した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11569
1525年니토(Nito; 이사발 호 인근, 지명 사전 없음)スペイン人の残留者がニトにいるという知らせを聞き、目的地を確定した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11757
1525年니토(Nito; 이사발 호 인근, 지명 사전 없음)大河をボートとカヌーで渡ってニトに着き、ゴンサレスが残した70余名と合流した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 11855
1525年골포 둘세(Golfo Dulce; 지명 사전 없음)食料を求めて川をさかのぼり、山中に30リーグの淡水湾(ゴルフォ・ドゥルセ)を見つけた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 12092
1525年골포 둘세 하구(지명 사전 없음)いかだで川を一昼夜かけて20リーグ下り、ブリガンティンが待つ湾に着いた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 12511
1525年나티비다드(Natividad; 푸에르토 카바요스 근처, 지명 사전 없음)聖母誕生の日に、ナティビダ・デ・ヌエストラ・セニョーラの町を建て、50名が定住した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 12626
1525年Trujilloトルヒージョに上陸すると、住民が広場で待ち構え、コルテスを担ぎ上げた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 12751
1525年Nacoフランシスコ・デ・ラス・カサスは捕虜となった後に解放され、オリドを奇襲して逮捕・処刑した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 12874
1525年Trujilloトルヒージョの入植者に対し、オリドの下での過去を赦免した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 13088
1526年Trujillo天候は良かったが三度出航して三度引き返し、ホンジュラス平定のため残ることに決めた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 13487
1526年Islas de la Bahia(호두라스 앞 섬들; 지명 사전 없음)島の首長たちは奴隷狩りを禁じる書簡に感謝し、臣下としての誓いを立てた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 13865
1526年Havanaキューバのハバナに到着し、5日間停泊してヌエバ・エスパーニャの知らせを聞き、平穏を確認した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 13925
1526年Mexico Cityメキシコ市に帰還すると、スペイン人も先住民も父のように歓迎した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 13981
1526年Mexico City聖ヨハネの祝日(6月24日)の闘牛の最中、審問官ルイス・ポンセの到着を告げる書簡を受け取った。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14050
1526年Mexico City審問官ポンセが入城し、市の役人たちは職権を引き渡す儀式を行った。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14134
1526年Mexico Cityポンセの死の直後に葬儀が行われ、市参事会はコルテスに統治を求めた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14156
1526年Tehuantepec南の海岸沿いのテワンテペクに、ロアイサ艦隊の船が到着した。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14527
1526年사포텍 지방(오악사카; 지명 사전 없음)サポテカ地方の平定のため三部隊が派遣された。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14627
1526年Colima南海岸のコリマへ隊長を派遣し、海岸に沿って150~200リーグを探査させた。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14741
1526年Mexico City第五の書簡は1526年9月3日にテノチティトランで作成された。Letter 5, MacNutt vol.2 OCR line 14782

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