漢書 帝紀(正史 の史料)。扱う年は紀元前209年 〜 西暦4年、出来事200件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 紀元前209年 〜 西暦4年 |
| 出来事の数 | 出来事200件・地図に置いた150件 |
| 著者 | 班固 |
| 原題 | 漢書 帝紀 |
地域の内訳: 中国 199 · 朝鮮半島 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 紀元前209年 | 陳 | 陳渉(陳勝)が蘄県で挙兵し、陳に至って自ら楚王となった。ついで武臣・張耳・陳余を趙の地へ送った。 | 漢書卷001 秦二世元年七月 |
| 紀元前209年 | 沛 | 沛の父老が県令を殺して城門を開き、劉邦を迎えて沛公に立てた。赤旗を立てて三千の兵を集めた。 | 漢書卷001 秦二世元年九月 |
| 紀元前209年 | 吳 | 項梁が甥の項羽とともに呉で挙兵した。 | 漢書卷001 秦二世元年九月(是月) |
| 紀元前209年 | 豐 | 沛公は胡陵・方与を攻めた後に帰還して豊を守り、これを包囲していた泗川郡の監平を破った。 | 漢書卷001 秦二世二年十月 |
| 紀元前209年 | 薛 | 沛公は薛に進軍し、泗川郡守の壮の軍を破った。 | 漢書卷001 秦二世二年十一月 |
| 紀元前209年 | 豐 | 雍歯が魏の誘いに応じて豊を挙げて魏に付き、沛公が豊を攻めたが落とせなかった。 | 漢書卷001 秦二世二年十二月 |
| 紀元前208年 | 薛 | 項梁は景駒・秦嘉を殺して薛に留まった。沛公が拝謁に行くと、項梁は兵五千を加えて与えた。 | 漢書卷001 秦二世二年四月 |
| 紀元前208年 | 薛 | 薛で項梁と沛公は楚の懐王の孫・心を懐王に立てた。 | 漢書卷001 秦二世二年六月 |
| 紀元前208年 | 臨濟 | 章邯が臨済で魏王咎・斉王田儋を破って殺した。 | 漢書卷001 秦二世二年六月~七月 |
| 紀元前208年 | 東阿 | 沛公・項梁が東阿で田栄を救援し、章邯を大破した。 | 漢書卷001 秦二世二年七月 |
| 紀元前208年 | 雍丘 | 沛公・項羽が雍丘で秦軍を大破し、三川郡守の李由を斬った。 | 漢書卷001 秦二世二年八月 |
| 紀元前208年 | 定陶 | 章邯が夜に定陶の項梁軍を奇襲し、項梁を殺した。 | 漢書卷001 秦二世二年九月 |
| 紀元前208年 | 彭城 | 項梁の死後、懐王は盱台から彭城へ都を移し、呂臣・項羽の軍を合わせて自ら率いた。沛公は碭郡長となった。 | 漢書卷001 秦二世二年九月~後九月 |
| 紀元前208年 | 鉅鹿 | 章邯が黄河を渡って趙を攻め、趙王歇は鉅鹿城に入って王離に包囲された。懐王は宋義・項羽・范増を派遣し北方へ救援させた。 | 漢書卷001 秦二世二年(九月 이후) |
| 紀元前208年 | 懐王は「先に関中に入って平定した者を王とする」と約束し、項羽ではなく長者である沛公を西へ送った。 | 漢書卷001 秦二世二年(後九月 이후) | |
| 紀元前208年 | 鉅鹿 | 項羽は鉅鹿の城下で秦軍を大破して王離を捕らえ、章邯を敗走させた。 | 漢書卷001 秦二世三年十二月 |
| 紀元前207年 | 昌邑 | 沛公は碭から北上して昌邑を攻め、彭越と出会ったが、陥落させられなかった。 | 漢書卷001 秦二世三年二月 |
| 紀元前207年 | 陳留 | 高陽の酈食其が沛公を説得して陳留を奇襲させ、弟の酈商が陳留の兵を率いた。 | 漢書卷001 秦二世三年二月 |
| 紀元前207年 | 開封 | 開封を攻めたが落とせず、白馬・曲遇の東で秦の将・鎮の楊熊を大破した。 | 漢書卷001 秦二世三年三月 |
| 紀元前207年 | 潁川 | 南へ潁川を攻めて殺戮し、張良とともに韓の地を攻略した。 | 漢書卷001 秦二世三年四月 |
| 紀元前207年 | 宛 | 沛公は夜に軍を引き返し宛を三重に包囲し、陳恢の説得で降伏を受けることにした。 | 漢書卷001 秦二世三年六月 |
| 紀元前207年 | 宛 | 南陽郡守の齮が降伏すると、殷侯に封じ、陳恢に千戸を与えた。以後、行く先々で降伏が相次ぎ、略奪は禁じられた。 | 漢書卷001 秦二世三年七月 |
| 紀元前207年 | 章邯が軍を率いて項羽に降り、項羽は彼を雍王とした。 | 漢書卷001 秦二世三年七月(是月) | |
| 紀元前207年 | 武關 | 沛公が武関を攻めて秦の中へ入った。丞相趙高は恐れて二世皇帝を殺し、関中を分割することを提案したが、拒絶された。 | 漢書卷001 秦二世三年八月 |
| 紀元前207年 | 藍田 | 趙高を殺した子嬰が要関へ軍を送ると、沛公は要関を迂回して厥山を越え、藍田の南北で次々と大破した。 | 漢書卷001 秦二世三年九月 |
| 紀元前207年 | 霸上 | 沛公が覇上に至ると、秦王子嬰は白い車と馬に乗り、首に紐をかけて璽と符節を捧げ、枳道のそばで降伏した。 | 漢書卷001 漢高祖元年十月 |
| 紀元前207年 | 霸上 | 沛公は関中の豪傑を集め、「法三章――人を殺した者は死刑、傷害・窃盗は罪に応じて償う」と布告し、秦の苛酷な法を廃した。 | 漢書卷001 漢高祖元年十一月 |
| 紀元前207年 | 函谷關 | 諸侯軍を率いて西進した項羽は、閉じられた関門に激怒し、黥布らとともに函谷関を破って戯水の下に至った。 | 漢書卷001 漢高祖元年十二月 |
| 紀元前207年 | 鴻門 | 鴻門の宴――沛公は百余騎を率いて項羽に会い謝罪した。項荘の剣舞と樊噲の乱入の後、沛公は厠へ行くふりをして抜け出し、軍へ戻った。 | 漢書卷001 漢高祖元年十二月 |
| 紀元前206年 | 咸陽 | 項羽は西へ進み咸陽を殺戮し、降伏した子嬰を殺して秦の宮殿を焼いた。秦の民は大いに失望した。 | 漢書卷001 漢高祖元年(鴻門 이후, 월 불명) |
| 紀元前206年 | 彭城 | 項羽は西楚の覇王を名乗り、彭城を都とした。約束を破って沛公を漢王とし、巴・蜀・漢中の四十一県を与え、南鄭を都とさせた。 | 漢書卷001 漢高祖元年二月 |
| 紀元前206年 | 南鄭 | 漢王が南鄭に着くと、兵は東へ帰ることを望んで逃げた。蕭何が韓信を推挙し、壇を築いて大将軍に任じた。 | 漢書卷001 漢高祖元年四月~ |
| 紀元前206年 | 陳倉 | 漢王は故道から出て雍を襲い、陳倉で雍王章邯を破り、さらに好畤で大破して廃丘へ追い込んだ。 | 漢書卷001 漢高祖元年五月 |
| 紀元前206年 | 郴州 | 項羽が九江王の英布に義帝(懐王)を郴県で殺させた。 | 漢書卷001 漢高祖二年十月 |
| 紀元前206年 | 櫟陽 | 漢王が帰還して櫟陽を都とした。 | 漢書卷001 漢高祖二年十一月 |
| 紀元前205年 | 臨晉 | 漢王は臨晋で黄河を渡り、魏王豹の降伏を受け、河内を攻略した。 | 漢書卷001 漢高祖二年三月 |
| 紀元前205年 | 雒陽 | 雒陽で新城三老の董公の諫言を聞き、漢王は義帝の喪を布告して三日間哭し、項羽討伐を諸侯に告げた。 | 漢書卷001 漢高祖二年三月 |
| 紀元前205年 | 彭城 | 漢王は五諸侯の軍を合わせて東征し、彭越が三万を率いて帰順した。彭城に入り、美女と財物を収めて大宴会を開いた。 | 漢書卷001 漢高祖二年四月 |
| 紀元前205年 | 彭城 | 項羽は精兵三万を率いて魯から湖陵・蕭を経て明け方に彭城を急襲し、睢水の上で漢軍を大破した。水が堰き止められて流れず、漢王は数十騎で脱出した。 | 漢書卷001 漢高祖二年四月 |
| 紀元前205年 | 下邑 | 敗走した漢王は下邑で呂后の兄・周呂侯に身を寄せ、兵をまとめて碭に駐屯した。 | 漢書卷001 漢高祖二年四月 이후 |
| 紀元前205年 | 滎陽 | 漢王は滎陽に駐屯し、韓信が軍を集めて合流した。京・索の間で楚軍を破り、甬道を築いて敖倉の穀物を運んだ。 | 漢書卷001 漢高祖二年五月 |
| 紀元前205年 | 廢丘 | 水を引いて廃丘を水攻めにし、城が降伏して章邯は自殺し、雍州が平定された。 | 漢書卷001 漢高祖二年六月 |
| 紀元前205年 | 井陘 | 韓信・張耳が井陘を下って趙を攻め、陳余を殺し、趙王歇を捕らえた。常山・代郡を設置した。 | 漢書卷001 漢高祖三年十月 |
| 紀元前204年 | 滎陽 | 項羽が滎陽を包囲し、漢王は和を請い、滎陽西方を漢に譲らせた。陳平の反間の計で范増が疑われ、范増は軍を率いず去った。 | 漢書卷001 漢高祖三年四月 |
| 紀元前204年 | 滎陽 | 将軍紀信が漢王の車に乗って偽りの降伏をし、その隙に漢王は数十騎で西門から脱出した。 | 漢書卷001 漢高祖三年五月 |
| 紀元前204年 | 滎陽 | 項羽は滎陽城を陥落させ、周苛を捕らえて煮殺し、ついで成皋を包囲した。 | 漢書卷001 漢高祖三年六月 |
| 紀元前204年 | 成皋 | 漢王は成皋の玉門から脱出し、北へ黄河を渡って小修武に宿泊し、夜明けに張耳・韓信の陣に入って彼らの軍を奪った。 | 漢書卷001 漢高祖三年六月 |
| 紀元前204年 | 白馬津 | 盧綰・劉賈が二万の兵を率いて白馬津を渡り、彭越を助けて楚の軍糧を焼き、睢陽・外黄など十七城を陥落させた。 | 漢書卷001 漢高祖三年八月 |
| 紀元前204年 | 高密 | 蒯通の計で韓信が斉を奇襲して破り、斉王は酈食其を煮殺して高密へ逃げた。 | 漢書卷001 漢高祖四年十月 |
| 紀元前204年 | 成皋 | 漢が成皋で繰り返し挑むと、楚の大司馬曹咎は泗水を半ば渡ったところで漢軍に攻められて大敗、曹咎は自殺した。漢王は成皋を取り戻し、広武に軍を置いた。 | 漢書卷001 漢高祖四年十月 |
| 紀元前204年 | 城陽 | 韓信・灌嬰が楚軍を破り、龍且を殺し、城陽まで追撃して斉王広を捕らえた。 | 漢書卷001 漢高祖四年十一月 |
| 紀元前203年 | 廣武 | 項羽も広武に軍を置いて漢と対峙し、両軍は広武の澗を挟んで言葉を交わした。 | 漢書卷001 漢高祖四年(月 불명) |
| 紀元前203年 | 廣武 | 漢王が項羽の十の罪を数えると、項羽は隠し持った弩で漢王の胸を射た。漢王は足をさすりながら「奴に足指を射られた」と言い、成皋へ駆け込んだ。 | 漢書卷001 漢高祖四年(月 불명) |
| 紀元前203年 | 鴻溝の盟約――天下を二分し、鴻溝の西を漢、東を楚とし、太公と呂后を返還させた。 | 漢書卷001 漢高祖四年九月 | |
| 紀元前203年 | 固陵 | 漢王は陽夏の南まで項羽を追ったが、固陵で斉王韓信と魏の相国彭越が約束の集合に現れず、楚が漢軍を大破した。 | 漢書卷001 漢高祖五年十月 |
| 紀元前203年 | 壽春 | 劉賈が楚の地に入って寿春を包囲したが、楚の大司馬周殷が裏切って英布を迎え、城塞を殺戮した。 | 漢書卷001 漢高祖五年十一月 |
| 紀元前203年 | 垓下 | 漢王は垓下で項羽を包囲し、夜、四方から漢軍が楚の歌を歌うのを聞いた項羽は数百騎で逃走し、軍は大敗した。 | 漢書卷001 漢高祖五年十二月 |
| 紀元前203年 | 東城 | 灌嬰が東城で項羽を追撃して殺した。 | 漢書卷001 漢高祖五年十二月 |
| 紀元前203年 | 魯 | 魯だけが最後まで降伏せず、漢王が項羽の首を示すと降伏した。 | 漢書卷001 漢高祖五年十二月 |
| 紀元前203年 | 穀城 | 魯公の礼で項羽を穀城に葬り、漢王は発喪して哭し、立ち去った。 | 漢書卷001 漢高祖五年十二月 |
| 紀元前202年 | 下邳 | 韓信を楚王(淮北、都は下邳)に、彭越を梁王(都は定陶)に封じた。 | 漢書卷001 漢高祖五年正月 |
| 紀元前202年 | 定陶 | 諸侯王と大臣三百余人の推戴で、漢王は定陶の氾水の北で皇帝に即位した。 | 漢書卷001 漢高祖五年二月 |
| 紀元前202年 | 洛陽 | 皇帝は西の洛陽に都を置き、五月に兵を解散して帰郷させた。 | 漢書卷001 漢高祖五年五月 |
| 紀元前202年 | 長安 | 兵卒の婁敬の進言と張良の勧めにより、その日のうちに車を西へ走らせ、長安に都を定めた。 | 漢書卷001 漢高祖五年(五月 이후) |
| 紀元前202年 | 薊 | 燕王臧荼が反乱し、皇帝が親征して九月に薊で臧荼を捕らえた。 | 漢書卷001 漢高祖五年七月 |
| 紀元前202年 | 陳 | 陳平の計で雲夢の巡幸を装い、諸侯を陳に集め、楚王韓信を捕らえた。 | 漢書卷001 漢高祖六年十二月 |
| 紀元前201年 | 馬邑 | 匈奴が馬邑で韓王信を包囲し、信は匈奴に降った。 | 漢書卷001 漢高祖六年九月 |
| 紀元前201年 | 銅鞮 | 皇帝は親征して銅鞮で韓王信の将を斬り、信は匈奴へ逃げた。以後、晋陽から楼煩まで連戦連勝した。 | 漢書卷001 漢高祖七年十月 |
| 紀元前201年 | 平城 | 極寒の中、兵の指が落ちるほどの状況で、平城で匈奴に七日間包囲された(白登の包囲)。陳平の秘策で脱出した。 | 漢書卷001 漢高祖七年十月 |
| 紀元前200年 | 長安 | 長安で蕭何が未央宮を壮大に建てたので皇帝は怒ったが、まもなく怒りを解き、櫟陽から長安へ都を移した。 | 漢書卷001 漢高祖七年二月 |
| 紀元前200年 | 東垣 | 東へ戻る途中、韓王信の残党を東垣で攻め、趙の地を通った。 | 漢書卷001 漢高祖八年冬 |
| 紀元前200年 | 柏人 | 趙相貫高の暗殺計画――皇帝は県名が「柏人(迫る人)」であると聞いて、そこに泊まらず立ち去った。 | 漢書卷001 漢高祖八年冬 |
| 紀元前197年 | 邯鄲 | 代の相国陳豨の反乱――皇帝は親征して邯鄲に至り「陳豨は南の邯鄲を押さえられなかったのだから、なすすべはない」と言い、金で陳豨の将軍らを買収した。 | 漢書卷001 漢高祖十年九月 |
| 紀元前197年 | 東垣 | 陳豨の将趙利が守る東垣を攻めたが陥落せず、城が降伏した後、皇帝を罵った兵を斬った。 | 漢書卷001 漢高祖十一年冬 |
| 紀元前196年 | 長安 | 淮陰侯韓信が長安で謀反したとされ、三族が滅ぼされた。 | 漢書卷001 漢高祖十一年正月 |
| 紀元前196年 | 番禺 | 陸賈を派遣して趙佗(尉佗)を南越王に封じた。 | 漢書卷001 漢高祖十一年五月 |
| 紀元前196年 | 六 | 淮南王黥布の反乱――荊王劉賈を殺して淮水を渡り、楚を攻めた。 | 漢書卷001 漢高祖十一年七月 |
| 紀元前196年 | 皇帝が會缶で黥布の軍を破り、黥布は逃げた。 | 漢書卷001 漢高祖十二年十月 | |
| 紀元前196年 | 沛縣 | 帰途、沛に留まり郷里の人々と酒宴を開き、「大風歌」を作って歌った。沛を湯沐邑とし、豊も税を免じた。 | 漢書卷001 漢高祖十二年十月 |
| 紀元前196年 | 番陽 | 漢の別将が洮水の南北で黥布軍を大破し、番陽で黥布を追撃して殺した。 | 漢書卷001 漢高祖十二年(月 불명) |
| 紀元前196年 | 魯 | 淮南から帰る途中、魯を通り、太牢で孔子を祭った。 | 漢書卷001 漢高祖十二年十一月 |
| 紀元前195年 | 長樂宮 | 高帝が長楽宮で崩御し、呂后と審食其は四日間発喪しなかった。 | 漢書卷001 漢高祖十二年四月 |
| 紀元前195年 | 咸陽市 | 長陵に葬られ、呂后と群臣により諡が「高皇帝」と定められた。 | 漢書卷001 漢高祖十二年五月 |
| 紀元前194年 | 長安 | 正月、長安城の築造が始まった。 | 漢書卷002 惠帝元年正月 |
| 紀元前192年 | 長安 | 長安から六百里以内の男女十四万六千人を徴発し、三十日間で長安城を築いた。 | 漢書卷002 惠帝三年春 |
| 紀元前192年 | 番禺 | 南越王趙佗が臣と称して朝貢した。 | 漢書卷002 惠帝三年七月 |
| 紀元前188年 | 長安 | 恵帝が未央宮で崩御した。 | 漢書卷002 惠帝七年八月 |
| 紀元前183年 | 番禺 | 南越王尉佗(趙佗)が自ら南武帝を称した。 | 漢書卷003 高后五年春 |
| 紀元前181年 | 長沙 | 南越が長沙を侵し、隆慮侯灶が軍を率いて攻めた。 | 漢書卷003 高后七年九月 |
| 紀元前180年 | 滎陽 | 呂氏一族の変乱――灌嬰は斉王を討ちに行ったが、滎陽で斉と連合して呂氏の誅殺を待った。 | 漢書卷003 高后八年 |
| 紀元前180年 | 長安 | 太尉周勃が北軍に入り、「呂氏に味方するなら右腕を、劉氏に味方するなら左腕を出せ」と命じると、軍はみな左腕を出した。 | 漢書卷003 高后八年八月 |
| 紀元前180年 | 長安 | 朱虚侯劉章が未央宮の庭で呂産を追い、郎中府の厠で殺した。 | 漢書卷003 高后八年八月 |
| 紀元前180年 | 代 | 大臣らの推戴要請に応じ、代王(文帝)は宋昌・張武とともに、卜占で「大横」の卦が出たことを受けて、車で長安へ向かった。高陵に留まり、宋昌を先に送って形勢を探らせた。 | 漢書卷004 高后八年 後九月(閏) |
| 紀元前180年 | 長安 | 渭橋で群臣の出迎えを受け、代邸で三度辞退した末に即位し、その夕方、未央宮に入った。 | 漢書卷004 高后八年 後九月(閏月己酉) |
| 紀元前177年 | 匈奴が北地・河南に侵入したので、皇帝は甘泉に行幸し、丞相灌嬰が防いで匈奴は退いた。 | 漢書卷004 文帝前元三年五月 | |
| 紀元前177年 | 太原 | 皇帝は甘泉から高奴を経て太原へ行幸し、旧臣に会い、十日余り滞在した。 | 漢書卷004 文帝前元三年六月 |
| 紀元前177年 | 済北王興居が皇帝の代への行幸に乗じて反乱し、滎陽を襲おうとしたが、八月に捕らえられ自殺した。 | 漢書卷004 文帝前元三年七~八月 | |
| 紀元前175年 | 淮南 | 淮南王長が謀反で廃され、蜀の厳道へ流される途中、雍で死んだ。 | 漢書卷004 文帝前元六年十一月 |
| 紀元前169年 | 濮陽 | 黄河が東郡の濮陽で決壊した。 | 漢書卷004 文帝前元十二年十二月 |
| 紀元前167年 | 匈奴が辺境を侵し、北地都尉の卬を殺した。三将軍を隴西・北地・上郡に配置し、皇帝は親征しようとしたが太后に止められた。 | 漢書卷004 文帝前元十四年冬 | |
| 紀元前165年 | 雍 | 皇帝は雍に行幸し、初めて五帝に郊祭を行った。 | 漢書卷004 文帝前元十五年四月 |
| 紀元前162年 | 匈奴と和親し、詔によって単于と兄弟の誼を結んだ。 | 漢書卷004 文帝後元二年六月 | |
| 紀元前159年 | 霸上 | 匈奴の騎兵三万が上郡・雲中に侵入すると、周亜夫は細柳に、劉礼は覇上に、徐厲は棘門に駐屯して備えた。 | 漢書卷004 文帝後元六年冬 |
| 紀元前157年 | 長安 | 文帝が未央宮で崩御し、覇陵に葬られた(遺詔により薄葬)。 | 漢書卷004 文帝後元七年六月 |
| 紀元前154年 | 廣陵 | 呉楚七国の乱――呉・楚・膠西・趙・済南・菑川・膠東の七王が挙兵し、七国に謝するため晁錯を斬ったが、鎮圧された。 | 漢書卷005 景帝前元三年正月 |
| 紀元前154年 | 太尉の周亜夫と大将軍の竇嬰が七国を破り、十万余の首級を挙げた。膠西・楚・趙などの王は自殺した。 | 漢書卷005 景帝前元三年(正月~六月) | |
| 紀元前154年 | 丹徒 | 呉王の劉濞(ビ)は丹徒で追い詰められて死んだ。 | 漢書卷005 景帝前元三年 |
| 紀元前152年 | 陽陵 | 陽陵邑の建設を始め、民を移住させた(一人あたり二十万銭)。 | 漢書卷005 景帝前元五年正月 |
| 紀元前145年 | 雍 | 皇帝は雍に行幸し、五畤で郊祭を行った。 | 漢書卷005 景帝中元六年十月 |
| 紀元前144年 | 匈奴が雁門・武泉・上郡に侵入して馬を略奪し、官吏と兵士二千余人が戦死した。 | 漢書卷005 景帝中元六年六月 | |
| 紀元前142年 | 匈奴が雁門に侵入し、太守の馮敬が戦って戦死した。 | 漢書卷005 景帝後元二年春 | |
| 紀元前141年 | 長安 | 景帝が長安の未央宮で崩御した(正月甲子)。 | 漢書卷005 景帝後元三年正月 |
| 紀元前138年 | 會稽 | 閩越が東甌を包囲して救援を求めた。厳助は会稽の兵を動員し海路から救援したが、到着前に閩越は退いた。 | 漢書卷006 武帝建元三年 |
| 紀元前135年 | 豫章 | 閩越王の郢が南越を攻めると、大行の王恢は予章、大司農の韓安国は会稽から出兵した。到着前に越人が郢を殺して降伏した。 | 漢書卷006 武帝建元六年八月 |
| 紀元前133年 | 馬邑 | 馬邑の計 — 三十万の兵を馬邑の谷に伏せて単于を誘い出そうとしたが、単于は気づいて撤退し、王恢は獄死した。 | 漢書卷006 武帝元光二年六月 |
| 紀元前132年 | 濮陽 | 黄河が濮陽で決壊し、十六郡に氾濫した。十万人を動員して塞いだ。 | 漢書卷006 武帝元光三年五月 |
| 紀元前129年 | 衛青が上谷から出撃して龍城に至り、七百の首級を挙げた。公孫敖・李広は敗れて帰還した(匈奴遠征の始まり)。 | 漢書卷006 武帝元光六年春 | |
| 紀元前127年 | 五原 | 衛青・李息は雲中から高闕を経て西の端まで進み、河南の地を取り戻して朔方・五原郡を設置した。 | 漢書卷006 武帝元朔二年 |
| 紀元前124年 | 大将軍の衛青が六将軍・十万余騎を率いて朔方・高闕から出撃し、一万五千の首級を挙げた。 | 漢書卷006 武帝元朔五年春 | |
| 紀元前123年 | 衛青は六将軍・十万余騎を率いて定襄から出撃し、三千余の首級を挙げた。 | 漢書卷006 武帝元朔六年二月 | |
| 紀元前123年 | 壽春 | 淮南王安・衡山王賜の謀反が露見して処刑され、連座した者数万人が死んだ。 | 漢書卷006 武帝元狩元年十一月 |
| 紀元前121年 | 隴西 | 驃騎将軍の霍去病が隴西から出撃して皋蘭に至り、八千余の首級を挙げた。 | 漢書卷006 武帝元狩二年春 |
| 紀元前121年 | 武威 | 匈奴の渾邪王が休屠王を殺し、四万余人を率いて漢に投降した。五属国を置き、その地に武威・酒泉郡を設置した。 | 漢書卷006 武帝元狩二年秋 |
| 紀元前121年 | 霍去病・公孫敖は北地から二千余里を進み、居延を過ぎて三万余の首級を挙げた。 | 漢書卷006 武帝元狩二年夏 | |
| 紀元前119年 | 幕北の戦い — 衛青は幕北で単于を包囲して闐顔山に至り、霍去病は左賢王と戦って七万余の首級を挙げた後、狼居胥山で封禅を行った。 | 漢書卷006 武帝元狩四年夏 | |
| 紀元前114年 | 皇帝は雍で五畤を祀った後、河東の汾陰に行き、后土祠を建てた。 | 漢書卷006 武帝元鼎四年十一月 | |
| 紀元前112年 | 番禺 | 南越の丞相・呂嘉が反乱し、漢の使者と南越王・王太后を殺した。 | 漢書卷006 武帝元鼎五年四月 |
| 紀元前112年 | 番禺 | 伏波将軍の路博徳は桂陽、楼船将軍の楊僕は予章、戈船将軍は零陵、下瀬将軍は蒼梧からそれぞれ出兵し、いずれも番禺に集結した(漢の南越征伐)。 | 漢書卷006 武帝元鼎五年秋 |
| 紀元前112年 | 枹罕 | 西羌十万が反乱して匈奴と通じ、故安を攻めて枹罕を包囲した。 | 漢書卷006 武帝元鼎五年九月(~) |
| 紀元前111年 | 南海 | 南越平定 — 南海・蒼梧・鬱林・合浦・交趾・九真・日南・珠崖・儋耳の九郡を設置した。 | 漢書卷006 武帝元鼎六年春 |
| 紀元前111年 | 西南夷を平定 — 武都・牂柯・越嶲・沈黎・汶山郡を設置した。 | 漢書卷006 武帝元鼎六年 | |
| 紀元前111年 | 東越王の余善が反乱して漢の官吏を殺した。横海将軍の韓烈らが会稽・予章から討伐した。 | 漢書卷006 武帝元鼎六年秋 | |
| 紀元前111年 | 敦煌 | 武威・酒泉の地を分けて張掖・敦煌郡を置き、民を移住させて満たした。 | 漢書卷006 武帝元鼎六年秋 |
| 紀元前111年 | 皇帝は雲陽から北へ、上郡・西河・五原を経て長城を出、単于台に登り、朔方に至って北河に臨んだ。十八万騎を閲兵して匈奴を威圧した。 | 漢書卷006 武帝元封元年十月 | |
| 紀元前110年 | 泰安 | 皇帝は泰山に登って封禅を行い、明堂に坐して年号を元封に改めた。 | 漢書卷006 武帝元封元年四月 |
| 紀元前110年 | 碣石 | 泰山から東の海岸を巡って碣石に至り、遼西から北辺に沿って九原を経て甘泉に帰還した。 | 漢書卷006 武帝元封元年(四月 이후) |
| 紀元前109年 | 濮陽 | 瓠子で決壊した黄河を自ら視察し、将軍以下みな薪を背負って堤を塞いだ。「瓠子之歌」を作った。 | 漢書卷006 武帝元封二年四月 |
| 紀元前109年 | 遼東 | 衛満朝鮮の王が遼東都尉を攻撃して殺したため、死刑囚を募って朝鮮遠征を行った。 | 漢書卷006 武帝元封二年 |
| 紀元前108年 | 平壤 | 朝鮮の上層部が王の右渠を斬って降伏し、その地に楽浪・臨屯・玄菟・真番の四郡を設置した。 | 漢書卷006 武帝元封三年夏 |
| 紀元前107年 | 皇帝の南巡 — 成当で遠く虞舜を祀り(九嶷)、天柱山に登り、尋陽から川を下って蛟竜を射、樅陽で上陸して北へ進み琅邪に至った。 | 漢書卷006 武帝元封五年冬 | |
| 紀元前106年 | 初めて全国に十三の刺史部を設置した。 | 漢書卷006 武帝元封五年 | |
| 紀元前104年 | 太初暦を施行 — 正月を歳首とし、色は黄、数は五とし、官名と音律を定めた。 | 漢書卷006 武帝太初元年五月 | |
| 紀元前104年 | 李広利が天下の罪人を徴発し、西方の大宛征伐に出発した。 | 漢書卷006 武帝太初元年八月 | |
| 紀元前101年 | 李広利は大宛王の首を斬り、汗血馬を持ち帰った。「西極天馬之歌」が作られた。 | 漢書卷006 武帝太初四年春 | |
| 紀元前99年 | 酒泉 | 貳師将軍の李広利が三万騎で酒泉から出撃し、天山で右賢王と戦って一万余の首級を挙げた。 | 漢書卷006 武帝天漢二年五月 |
| 紀元前99年 | 騎都尉の李陵が歩兵五千で居延の北において単于と戦い、一万余の首級を挙げたが、敗れて匈奴に降った。 | 漢書卷006 武帝天漢二年五月 | |
| 紀元前97年 | 李広利が六万騎・歩兵七万で朔方から出撃し、余吾水のほとりで連日単于と戦ってから撤退した。 | 漢書卷006 武帝天漢四年正月 | |
| 紀元前91年 | 長安 | 巫蠱の乱 — 太子は江充を殺し、符節で兵を起こして長安で丞相の劉屈氂と戦い、数万人が死んだ。 | 漢書卷006 武帝征和二年七月 |
| 紀元前91年 | 太子は湖で自殺した。 | 漢書卷006 武帝征和二年八月 | |
| 紀元前90年 | 五原 | 李広利の出兵 — 五原から七万、上邱城から西河を経て二万、馬通が酒泉から四万騎で出撃したが、李広利は敗れて匈奴に降った。 | 漢書卷006 武帝征和三年三月 |
| 紀元前87年 | 盩厔 | 皇帝が盩厔の五柞宮で崩御した(二月丁卯)。八歳の弗陵(昭帝)を太子に立てた。 | 漢書卷006 武帝後元二年二月 |
| 紀元前86年 | 益州の廉頭・姑繒・牂柯談指・同並など二十四邑が反乱し、綬衝図尉の呂破胡が兵を集めてこれを大いに破った。 | 漢書卷007 昭帝始元元年 | |
| 紀元前82年 | 大鴻臚の田広明らが益州を攻め、三万余人を斬首・捕虜とした。 | 漢書卷007 昭帝始元五年秋 | |
| 紀元前81年 | 金城 | 天水・隴西・張掖からそれぞれ二県を割いて金城郡を設置した。 | 漢書卷007 昭帝始元六年七月 |
| 紀元前81年 | 蘇武は単于の庭に十九年間抑留された末に帰還し、典属国に任じられた。 | 漢書卷007 昭帝始元六年二月 | |
| 紀元前80年 | 長安 | 燕王旦・上官桀・上官安・桑弘羊らが霍光の排除を謀ったが発覚し、誅殺された。 | 漢書卷007 昭帝元鳳元年九月 |
| 紀元前78年 | 遼東 | 遼東の烏桓が反乱し、範明友を「タオヤオ将軍」に任じ、北辺七郡の騎兵二千を率いさせて討伐させた。 | 漢書卷007 昭帝元鳳三年冬 |
| 紀元前77年 | 平楽監の傅介子が楼蘭王安を殺し、その首を北闕に掲げた。 | 漢書卷007 昭帝元鳳四年四月 | |
| 紀元前74年 | 長安 | 霍光は昌邑王を廃し、長安から尚冠里の曾孫の病已(劉病已)を迎え、七月に未央宮で即位した(宣帝)。 | 漢書卷008 宣帝元平元年七月 |
| 紀元前72年 | 烏孫が匈奴の侵略を訴えたため、五将軍・騎兵十五万を編成し、校尉の常恵が烏孫軍を率いて共同で匈奴を攻めた。 | 漢書卷008 宣帝本始二年秋 | |
| 紀元前71年 | 長安 | 五将軍の軍が長安から出発した。 | 漢書卷008 宣帝本始三年正月 |
| 紀元前71年 | 校尉の常恵が烏孫軍を率いて匈奴の于知に入り大いに略奪し、列侯に封じられた。 | 漢書卷008 宣帝本始三年 | |
| 紀元前66年 | 長安 | 大司馬の霍禹ら霍氏一族の謀反が発覚し、誅殺された。 | 漢書卷008 宣帝地節四年七月 |
| 紀元前61年 | 金城 | 西羌が反乱し、後将軍の趙充国・強虜将軍の許延寿を金城に派遣して討伐させた。 | 漢書卷008 宣帝神爵元年四月 |
| 紀元前60年 | 金城 | 羌が降伏し、首領の楊玉・劉俾首らを斬った。降伏した羌を住まわせるため金城属国を置いた。 | 漢書卷008 宣帝神爵二年五月 |
| 紀元前60年 | 匈奴の日逐王・先賢撣が一万余人を率いて投降し、西域都護の鄭吉がこれを迎え、車師を破った。 | 漢書卷008 宣帝神爵二年秋 | |
| 紀元前55年 | 匈奴は五単于に分かれて互いに攻撃し合い、家畜の八〜九割を失った。単于の家族と王たちは五万人を率いて漢に投降した。 | 漢書卷008 宣帝五鳳三年三月 | |
| 紀元前51年 | 五原 | 呼韓邪単于が五原塞に来て、翌年の正月の朝賀を願い出た。漢は賓客の礼で遇し、その位を諸侯王の上に置いた。 | 漢書卷008 宣帝甘露二年十二月 |
| 紀元前51年 | 長安 | 呼韓邪単于が長安に来て朝賀した。渭橋で万歳が唱えられ、建章宮で宴が催された。臣と称したが、名は呼ばれなかった。 | 漢書卷008 宣帝甘露三年正月 |
| 紀元前51年 | 単于は帰国して幕南の光禄城に住んだ。漢はこれを護送し、北辺に穀物を供給した。郅支単于は遠くへ逃げ去った。 | 漢書卷008 宣帝甘露三年二月 | |
| 紀元前48年 | 長安 | 宣帝が未央宮で崩御した。 | 漢書卷008 宣帝黃龍元年十二月 |
| 紀元前47年 | 隴西 | 隴西郡で地震が起き、太上皇廟の壁が崩れ、環道県の城郭が崩壊して多くの人が圧死した。 | 漢書卷009 元帝初元二年二月 |
| 紀元前46年 | 珠崖郡の山南県が反乱したため、賈捐之の進言により珠崖郡を廃止した。 | 漢書卷009 元帝初元三年春 | |
| 紀元前42年 | 西羌が反乱し、右将軍の馮奉世を派遣して討伐させた。 | 漢書卷009 元帝永光二年七月 | |
| 紀元前39年 | 潁川 | 潁川で洪水が起き、多くの人が流されて死んだ。 | 漢書卷009 元帝永光五年秋 |
| 紀元前36年 | 甘延寿・陳湯が西域諸国の兵を動員して郅支単于を攻め、冬にその首を斬って長安に送った。 | 漢書卷009 元帝建昭三年秋 | |
| 紀元前33年 | 呼韓邪単于が入朝し、待詔の王檣(王昭君)を閼氏として賜った。年号は竟寧に改められた。 | 漢書卷009 元帝竟寧元年正月 | |
| 紀元前33年 | 長安 | 元帝が未央宮で崩御した。 | 漢書卷009 元帝竟寧元年五月 |
| 紀元前31年 | 長安 | 長安の南北の郊を造り、甘泉・汾陰の祭祀を廃止した。 | 漢書卷010 成帝建始元年十二月 |
| 紀元前30年 | 長安 | 「大水が来る」という流言に長安の官民が驚き、城内へ逃げ込む騒ぎとなった。少女の真之宮が横門を通り未央宮まで入った。 | 漢書卷010 成帝建始三年七月 |
| 紀元前29年 | 白馬津 | 大水とともに黄河が東郡の金堤で決壊した。 | 漢書卷010 成帝建始四年秋 |
| 紀元前28年 | 白馬津 | 黄河が東郡で決壊し二州を飲み込んだが、校尉の王延世がこれを塞いだ。年号は河平に改められた。 | 漢書卷010 成帝河平元年三月 |
| 紀元前22年 | 潁川 | 潁川の鉄官徒・申屠聖ら百八十人が長吏を殺し、武器庫を襲って将軍を自称し、九郡を席巻したが鎮圧された。 | 漢書卷010 成帝陽朔三年六月 |
| 紀元前18年 | 広漢の鄭躬ら六十余人が官府を攻め、囚人を解放して自ら「山君」と称した。 | 漢書卷010 成帝鴻嘉三年冬 | |
| 紀元前17年 | 鄭躬の一味が一万に達すると、河東都尉の趙護を広漢太守とし、三万で鎮圧させ、一か月で平定した。 | 漢書卷010 成帝鴻嘉四年冬 | |
| 紀元前16年 | 昌陵の造営は五年たっても完成せず、皇帝は工事を中止した。 | 漢書卷010 成帝永始元年七月 | |
| 紀元前13年 | 山陽 | 山陽の鉄官徒・蘇令ら二百二十八人が長吏を殺し、武器を奪って将軍を自称し、十九の郡国を席巻したが鎮圧された。 | 漢書卷010 成帝永始三年十二月 |
| 紀元前10年 | 蜀郡の岷山が崩れて川を塞ぎ、三日間水が涸れた。 | 漢書卷010 成帝元延三年正月 | |
| 紀元前7年 | 長安 | 成帝が未央宮で崩御した。 | 漢書卷010 成帝綏和二年三月 |
| 紀元前5年 | 長安 | 夏賢良らの進言により年号を「太初元將」、皇帝号を「陳聖劉太平皇帝」に改めたが、二か月後に撤回された。 | 漢書卷011 哀帝建平二年六月 |
| 紀元前3年 | 長安 | 西王母の呪文(籌)を回しながら関東の民が郡国を経て関中・長安に至り西王母を祀った。夜には松明を掲げ、太鼓を打ち鳴らして騒いだ。 | 漢書卷011 哀帝建平四年春 |
| 紀元前1年 | 匈奴の単于と烏孫の大昆弥が入朝した。 | 漢書卷011 哀帝元壽二年正月 | |
| 紀元前1年 | 長安 | 哀帝が未央宮で崩御した。 | 漢書卷011 哀帝元壽二年六月 |
| 紀元前1年 | 長安 | 中山王が九歳で即位した(平帝)。太皇太后が臨朝し、大司馬の王莽が政務を統括した。 | 漢書卷012 平帝元壽二年九月 |
| 1年 | 越裳氏が通訳を重ねて、白雉一羽・黒雉二羽を献上した。 | 漢書卷012 平帝元始元年正月 | |
| 1年 | 長安 | 大司馬の王莽の功績は周公に比せられ、「安漢公」の号が与えられた。 | 漢書卷012 平帝元始元年 |
| 2年 | 黄支国が犀(サイ)を献上した。 | 漢書卷012 平帝元始二年春 | |
| 2年 | 郡国に大旱魃とイナゴの大群が発生し、特に青州がひどく、民は流浪した。安漢公らが田宅を献じて救済した。 | 漢書卷012 平帝元始二年夏 | |
| 3年 | 陽陵 | 陽陵の任横らが将軍を自称し、武器庫を襲って官府を攻めたが、全員が処刑された。 | 漢書卷012 平帝元始三年 |
| 4年 | 西海郡を設置し、天下の禁令を犯した者を移住させた。 | 漢書卷012 平帝元始四年 |
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