旧唐書 本紀

旧唐書 本紀(正史 の史料)。扱う年は618年 〜 907年、出来事240件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年618年 〜 907年
出来事の数出来事240件・地図に置いた219件
著者劉昫
原題舊唐書

地域の内訳: 中国 230 · 朝鮮半島 6 · 東南アジア 4

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
618年江都宇文化及が江都の宮で隋の煬帝を殺し、秦王楊浩を皇帝に立てた。舊唐書 卷1 義寧2年 3月
618年長安李淵が長安の太極殿で即位して唐を建て、年号を武徳とした。舊唐書 卷1 武德1年 5月
618年魏州宇文化及は魏州に至り、秦王浩を毒殺して自ら天子を称し、国号を許とした。舊唐書 卷1 武德1年
618年淺水原李世民が淺水原で薛仁杲を大破して降伏させ、隴右を平定した。舊唐書 卷1 武德1年
618年涇州薛挙が涇州を侵すと、李世民は軍を率いて迎え撃ったが不利となって退いた。舊唐書 卷2 武德1年 7月
619年涼州李軌が部下の安興貴に捕らえられて降伏し、河西が平定された。舊唐書 卷1 武德2年 5月
619年介休裴寂が介州で劉武周の将宋金剛と戦って敗れた。舊唐書 卷1 武德2年
619年太原斉王李元吉が劉武周に追われて長安へ逃げ、并州が陥落した。舊唐書 卷1 武德2年
619年黎陽竇建德が黎陽を陥落させ、山東の地をすべて奪った。舊唐書 卷1 武德2年 11月
620年介休李世民が介州で宋金剛を大破し、并州を平定した。舊唐書 卷1 武德3年
620年洛陽秦王李世民に諸軍を率いさせて王世充を討たせた。舊唐書 卷1 武德3年 7月
621年虎牢李世民が虎牢の武牢で竇建德軍を大破し、竇建德を捕らえた。舊唐書 卷1 武德4年 5月
621年洛陽王世充が東都洛陽を挙げて降伏し、河南が平定された。舊唐書 卷1 武德4年 5月
622年洺州李世民が洺水のほとりで劉黑闥を破り、奪われた州県を取り戻した。舊唐書 卷1 武德5年 3月
622年雁門突厥の頡利可汗が雁門を侵攻した。舊唐書 卷1 武德5年 6月
624年平壤高句麗王の高武(栄留王)を遼東郡王に冊封し、百済・新羅の王も併せて冊封した。舊唐書 卷1 武德7年 1月
624年丹陽李孝恭が輔公祏を大破して捕らえ、丹陽が平定された。舊唐書 卷1 武德7年 3月
625年太谷并州道総管の張公謹が太谷で突厥と戦って敗れ、温彦博が敵に捕らえられた。舊唐書 卷1 武德8年 8月
626年長安李世民は太子建成と斉王元吉が自分を害そうと謀ったとして、軍を率いて両人を誅殺した(玄武門の変)。舊唐書 卷1 武德9年 6月
626年長安李世民が長安の東宮・顕徳殿で即位した。舊唐書 卷2 武德9年 8月
626年咸陽太宗が咸陽の渭水の便橋に赴き、頡利と白馬を殺して盟約し、突厥は退いた。舊唐書 卷2 武德9年 8月
630年定襄李靖が定襄で突厥を大破し、隋の煬帝の皇后の蕭氏と孫の正道を長安へ送った。舊唐書 卷3 貞觀4年 1月
630年陰山李靖が陰山で突厥を再び破ると、頡利可汗は軽騎兵を率いて遠くへ逃げた。舊唐書 卷3 貞觀4年 2月
630年長安太宗が順天門でとらえられた頡利を受け入れると、西北の諸部族は「天可汗」の尊号を奉った。舊唐書 卷3 貞觀4年 4月
635年長安太上皇の李淵が大安宮で崩じた。舊唐書 卷3 貞觀9年 5月
635年西海李靖が西海(青海)のほとりで吐谷渾を平定し、王の慕容伏允を捕らえた。舊唐書 卷3 貞觀9年 5月
640年高昌侯君集が高昌を平定し、その地に西州を置いた。舊唐書 卷3 貞觀14年
643年齊州斉王李祐が権万紀らを殺し、斉州を拠点に自立を図ったが、部下に捕らえられた。舊唐書 卷3 貞觀17年 3月
643年長安皇太子の李承乾が罪を犯して庶人に落とされ、晋王李治(高宗)が皇太子に立てられた。舊唐書 卷3 貞觀17年 4月
645年安市李勣が安市城を攻めたが九月まで勝てず、軍を退いた。舊唐書 卷3 貞觀19年 7月
646年靈州鉄勒の諸部族が霊州へ使者を送り、太宗を可汗として奉戴することを請うた。舊唐書 卷3 貞觀20年 9月
648年龜茲阿史那社爾が亀茲の五十城を破り、亀茲王を捕らえて亀茲を平定した。舊唐書 卷3 貞觀22年 12月
649年終南山太宗が終南山の含風殿で五十二歳で崩じた。舊唐書 卷3 貞觀23年 5月
649年晉州河東で地震が起き、晋州は特にひどく、五千余人が圧死した。舊唐書 卷4 貞觀23年 8月
651年蒲類阿史那賀魯が金嶺城と蒲類県を攻めて陥落させた。舊唐書 卷4 永徽2年 7月
653年長安房遺愛らが謀反の疑いで処刑され、呉王李恪らは自殺を強いられた。舊唐書 卷4 永徽4年 2月
653年睦州睦州の女子陳碩貞が文佳皇帝を称して挙兵し、睦州の属県を陥落させた。舊唐書 卷4 永徽4年 10月
655年長安王皇后を庶人に落とし、武昭儀(武則天)を皇后に立てた。舊唐書 卷4 永徽6年 10月
657年西域蘇定方が西突厥の沙缽羅可汗賀魯を破って西域を平定し、蒙池・崑陵の二都護府を置いた。舊唐書 卷4 顯慶2年
660年扶餘蘇定方らが百済を平定し、王の義慈を縛って捕らえた。舊唐書 卷4 顯慶5年 8月
661年平壤契苾何力・蘇定方・任雅相をそれぞれ大総管として高句麗を攻めさせた。舊唐書 卷4 龍朔1年 5月
662年平壤蘇定方が葦島で高句麗を破り、平壌城を攻めたが勝てず引き返した。舊唐書 卷4 龍朔2年
666年泰山高宗が泰山に登って封禅を行い、翌日は射水山で禅の祭祀を行った。舊唐書 卷5 乾封1年 1月
668年平壤李勣が高句麗を破り平壌城を陥落させ、王の宝蔵と淵男建らを捕らえ、安東都護府を置いた。舊唐書 卷5 總章1年 9月
670年龜茲吐蕃が十八州を陥落させ、于闐と合わせて亀茲の撥換城を攻めて陥落させた。舊唐書 卷5 咸亨1年 4月
670年大非川薛仁貴・郭待封が大非川で吐蕃の論欽陵の奇襲を受け、大敗した。舊唐書 卷5 咸亨1年 7月
674年雞林劉仁軌を鶏林道大総管に任じ、新羅を攻めさせた。舊唐書 卷5 咸亨5年 2月
675年七重城鶏林道行軍大総管が七重城で新羅軍を大破した。舊唐書 卷5 上元2年 2月
676年鄯州吐蕃が鄯・廓・河・芳など四州を攻めた。舊唐書 卷5 上元3年 3月
678年青海李敬玄・劉審禮らが青海のほとりで吐蕃と戦って敗れ、劉審礼が捕虜となった。舊唐書 卷5 儀鳳3年 9月
679年雲中雲中の単于大都護府の突厥阿史德温傅・奉職二部が反乱し、阿史那泥熟匐を可汗に立てた。舊唐書 卷5 調露1年 10月
680年黑山裴行倹が黒山で突厥を大破し、首長の奉職を捕らえた。舊唐書 卷5 調露2年 3月
680年湟中李敬玄が湟中で吐蕃の将の賛婆と戦って敗れたが、黒歯常之が奮戦して吐蕃軍を破った。舊唐書 卷5 調露2年 7月
682年長安干ばつとイナゴの後に伝染病が広がり、京師では人が人を食い、盗賊が横行した。舊唐書 卷5 永淳1年 6月
683年雲中突厥の骨篤禄・元珍らが単于都護府を包囲した。舊唐書 卷5 永淳2年 3月
683年洛陽高宗が洛陽の正観殿で五十六歳で崩じ、皇太子が即位するよう遺詔を残した。舊唐書 卷5 弘道1年 12月
684年洛陽武則天が皇帝李顕を廃して廬陵王とし、別に幽閉した。舊唐書 卷6 嗣聖1年 2月
684年揚州徐敬業が揚州司馬を詐称して陳敬之を殺し、揚州で挙兵した。舊唐書 卷6 光宅1年 9月
688年博州瑯邪王李沖が博州で挙兵すると、行軍総管の丘神勣を派遣して討伐させた。舊唐書 卷6 垂拱4年 8月
688年洛陽武則天が洛水を祭り、「天授聖図」を受けた。舊唐書 卷6 垂拱4年 12月
690年洛陽武則天が聖神皇帝の尊号を奉られ、皇帝睿宗を皇嗣に下げた(周の建国)。舊唐書 卷6 天授1年 9月
692年龜茲王孝傑が吐蕃を大破し、亀茲・于闐・疏勒・砕葉の四鎮を取り戻した。舊唐書 卷6 長壽1年 10月
696年營州契丹の李尽忠と孫万栄が都督の趙文翽を殺して反乱し、営州を陥落させた。舊唐書 卷6 萬歲通天1年 5月
696年冀州孫万斬が冀州を陥落させ、刺史の陸宝積が殺された。舊唐書 卷6 萬歲通天1年 10月
697年營州孫万斬が家の奴婢に殺され、残党は大きく崩れた。舊唐書 卷6 神功1年
698年定州黙啜が定州を陥落させ、刺史の孫彦高が死に、民は焼かれ殺された。舊唐書 卷6 聖曆1年 8月
698年趙州黙啜が趙州を陥落させ、刺史の高睿が殺された。舊唐書 卷6 聖曆1年 9月
701年長安武則天が京師長安に行幸して大赦し、年号を長安と改めた。舊唐書 卷6 長安1年 10月
702年鹽州突厥が塩州・夏州などを侵し、官吏と民を殺して略奪した。舊唐書 卷6 長安2年 1月
705年洛陽張柬之らが羽林軍を率いて宮に入り、張易之・張昌宗兄弟を殺した(神龍の政変)。舊唐書 卷6 神龍1年 1月
705年洛陽武則天が上陽宮の仙居殿で八十三歳で崩じた。舊唐書 卷6 神龍1年 11月
705年洛陽中宗が国号を唐に戻した。舊唐書 卷7 神龍1年 2月
706年鳴沙黙啜が霊州の鳴沙県を侵すと、沙吒忠義が抗戦したが敗れ、三万人が死んだ。舊唐書 卷7 神龍2年 12月
707年長安太子李重俊が李多祚らと羽林軍を率いて武三思・武崇訓を殺したが失敗し、逃走中に殺された。舊唐書 卷7 景龍1年 7月
707年火燒城安西都護の牛師獎が火焼城で突厥の娑葛と戦って敗れ、戦死した。舊唐書 卷7 景龍1年 11月
708年受降城朔方道大総管の張仁亶が黄河のほとりに受降城を築いた。舊唐書 卷7 景龍2年 3月
710年長安中宗が毒を飲み、神龍殿で五十五歳で崩じた。舊唐書 卷7 景龍4年 6月
710年長安臨淄王李隆基が挙兵して韋氏・武氏一族を殺し、韋太后は乱兵に殺された。舊唐書 卷7 唐隆1年 6月
713年長安太平公主の一派が七月に謀反を企むと、玄宗は蕭至忠・岑羲らを朝廷で捕らえて斬り、太平公主の勢力を取り除いた。舊唐書 卷8 先天2年 7月
714年北庭黙啜の子の同俄特勤が北庭都護府を侵すと、郭虔瓘が破り、城下で同俄特勤を斬った。舊唐書 卷8 開元2年 2月
714年渭州薛訥が渭州の西の武階駅で吐蕃を破り、一万余の首を斬った。舊唐書 卷8 開元2年
715年山東の諸州に大きなイナゴの群れが起こり、飛べば日を覆い、降りれば穀物を食べた。姚崇は御史を送って駆除させた。舊唐書 卷8 開元3年 6月
716年突厥の黙啜可汗が九姓の抜曳固に殺され、その首が京師に送られた。舊唐書 卷8 開元4年
720年涼州突厥の欲谷が甘州・涼州を侵し、涼州都督の楊敬述を破り、契苾の部落を略奪して引き返した。舊唐書 卷8 開元8年 9月
722年安南安南の盗賊の頭目梅叔鸞らが州県を攻撃したため、楊思勖を派遣して討伐させた。舊唐書 卷8 開元10年 8月
725年泰山玄宗が東都洛陽を発って泰山で封禅を行った。舊唐書 卷8 開元13年
727年青海王君㚟が青海の西で吐蕃を破り、輜重・馬・羊を奪った。舊唐書 卷8 開元15年 1月
727年瓜州吐蕃が瓜州を攻め、刺史の田元獻と王君㚟の父を捕らえ、軍糧をすべて奪った。舊唐書 卷8 開元15年 9月
729年石堡城信安王李禕が軍を率いて吐蕃の石堡城を陥落させた。舊唐書 卷8 開元17年
730年營州契丹の衙官可突干が君主の 李召固を殺し、部落を率いて突厥に降り、奚も反乱した。舊唐書 卷8 開元18年 5月
732年幽州李禕と趙含章が幽州北山で奚と契丹を大破した。舊唐書 卷8 開元20年 3月
732年登州渤海の靺鞨が登州を侵して刺史の韋俊を殺したため、蓋福順に討伐を命じた。舊唐書 卷8 開元20年 7月
734年秦州秦州で地震が起き、官舎と民家がほとんど崩れ、官吏以下四十余人が圧死した。舊唐書 卷8 開元22年 2月
734年幽州張守珪が契丹を攻め、王の屈烈と可突幹を陣中で殺し、李過折を契丹王に立てた。舊唐書 卷8 開元22年 8月
738年長安忠王李璵(のちの粛宗)を皇太子に立てた。舊唐書 卷9 開元26年 6月
739年碎葉北庭都護の蓋嘉運の曳衆が軽騎兵で砕葉城の突騎施を襲撃し、蘇禄を殺した。舊唐書 卷9 開元27年
741年廓州吐蕃が廓州の達化県と振武軍の石堡城を陥落させ、節度使の蓋嘉運が守り切れなかった。舊唐書 卷9 開元29年 12月
742年長安正月元旦に大赦を行い、年号を天宝と改めた。舊唐書 卷9 天寶1年 1月
744年抜悉密の葉護が突厥の烏蘇米施可汗を攻めて殺し、その首を京師に送った。舊唐書 卷9 天寶3年 8月
745年營州契丹と奚の首長がそれぞれ唐の公主を殺し、部落を率いて反乱した。舊唐書 卷9 天寶4年 9月
749年石堡城哥舒翰が吐蕃の石堡城を攻めて陥落させた。舊唐書 卷9 天寶8年
751年鮮于仲通が六万の兵で雲南を攻めたが、瀘川で閣羅鳳に大敗し、瀘水で死んだ者は数えきれなかった。舊唐書 卷9 天寶10年 4月
754年西洱河李宓が西洱河から雲南を攻めたが、軍糧が尽きて引き返す途中で閣羅鳳に捕らえられ、全軍が全滅した。舊唐書 卷9 天寶13年
755年范陽安禄山が蕃・漢兵十余万を率いて幽州から南下し、楊国忠討伐を名目に反乱した(安史の乱)。舊唐書 卷9 天寶14年 11月
755年洛陽安禄山が東京洛陽を陥落させ、留守の李憕・盧奕らを殺した。舊唐書 卷9 天寶14年 12月
756年井陘李光弼・郭子儀が井陘に出て史思明を大破し、十余の郡県を取り戻した。舊唐書 卷9 天寶15年 2月
756年靈寶哥舒翰が八万の兵で霊宝の西原で崔乾祐と戦って大敗し、十人中六、七人が死んだ。舊唐書 卷9 天寶15年 6月
756年潼關哥舒翰が麾下の火拔帰仁に捕らえられて敵に降り、潼関は守れなかった。舊唐書 卷9 天寶15年 6月
756年馬嵬玄宗一行が馬嵬駅で止まると、兵士たちが楊国忠一族を殺した。舊唐書 卷9 天寶15年 6月
756年靈武太子李亨が霊武で即位した。群臣は、上皇が帝位を譲ったことを挙げて千秋を祈った。舊唐書 卷10 至德1年
757年長安広平王李俶が香積寺の西北で安守忠らを大破し、長安奪還の足がかりを作った。舊唐書 卷10 至德2年 9月
757年長安広平王が西京長安を奪還した。舊唐書 卷10 至德2年 9月
757年睢陽尹子奇が睢陽を陥落させ、張巡・許遠・姚誾らを殺した。舊唐書 卷10 至德2年
757年洛陽広平王が東京洛陽に入った。舊唐書 卷10 至德2年
757年長安粛宗が鳳翔から長安へ戻った。舊唐書 卷10 至德2年
758年相州九節度使の二十万の軍が安慶緒を相州で討伐し始めた。舊唐書 卷10 乾元1年
758年廣州大食・ペルシアの兵が広州を攻めると、刺史の韋利見は城を捨てて逃げた。舊唐書 卷10 乾元1年
759年相州相州の行営の郭子儀らが史思明と戦って不利となり、九節度の軍は崩れた。郭子儀は河陽橋を断って東京を守った。舊唐書 卷10 乾元2年
759年洛陽史思明が洛陽を陥落させ、李光弼が河陽を守った。舊唐書 卷10 乾元2年 9月
761年北邙李光弼が五万の兵で北邙で史思明と戦って敗れ、河陽・懐州が陥落して京師に戒厳令が敷かれた。舊唐書 卷10 上元2年 2月
762年長安上皇の玄宗が神龍殿で七十八歳で崩じた。舊唐書 卷9 上元2年 4月
762年長安粛宗が長生殿で五十二歳で崩じた。舊唐書 卷10 寶應1年 4月
762年洛陽雍王李适が横水で史朝義の軍を大破し、六万を殺すか捕らえ、河北の州郡がすべて平定された。舊唐書 卷11 寶應1年 10月
762年范陽范陽尹の李懐仙が史朝義の首を斬って献じ、降伏した(安史の乱の終結)。舊唐書 卷11 寶應1年
762年臨洮吐蕃が臨・洮・成・渭など諸州を陥落させた。舊唐書 卷11 寶應1年 12月
763年長安吐蕃が長安に入り、広武王承宏を皇帝に立てた。舊唐書 卷11 廣德1年
763年邠州僕固懐恩が吐蕃二万を引いて邠州を攻めたが、白孝徳が城門を閉じて防いだ。舊唐書 卷11 廣德1年 10月
765年靈臺郭子儀の先鋒白元光が回紇軍と合流し、霊台の西原で吐蕃を撃って五万人を殺した。舊唐書 卷11 永泰1年 10月
765年成都剣南節度使の郭英乂が部下の崔旰に殺され、周辺の刺史が討伐に立ち、蜀は混乱に陥った。舊唐書 卷11 永泰1年
767年靈州霊州から吐蕃二万を破ったとの報告が届き、京師の戒厳が解かれた。舊唐書 卷11 大歷2年 10月
770年潭州湖南道団練使の崔旰が兵馬使の臧玠に殺され、臧玠が潭州で反乱した。舊唐書 卷11 大歷5年 4月
775年洺州田承嗣が洛州を奪い取って衛州を破った。舊唐書 卷11 大歷10年
776年汴州李霊耀が汴州を拠点に反乱した。舊唐書 卷11 大歷11年 8月
776年汴州滑州の将杜如江が李霊耀を生け捕りにして差し出した。舊唐書 卷11 大歷11年 10月
778年太原回紇が太原を攻めると、鮑防が迎え撃ったが不利となった。舊唐書 卷11 大歷13年 1月
779年長安代宗が紫宸殿の内殿で崩じ、皇太子が柩の前で即位するよう遺詔を残した。舊唐書 卷11 大歷14年 5月
781年襄州李希烈が襄陽を攻め、梁崇義を殺した。舊唐書 卷12 建中2年 8月
783年長安涇原軍が長安を出て滻水で反乱し、槍を逆さに立てた(涇原の変)。舊唐書 卷12 建中4年 10月
783年奉天朱泚の軍が奉天城を三方から攻め、渾瑊が力いっぱい防いだ。舊唐書 卷12 建中4年
784年梁州徳宗が梁州へ行幸し、戴休顔に奉天を守らせた。舊唐書 卷12 興元1年 6月
785年蒲州朔方大将の牛名俊が李懐光を斬って首を闕下に送り、馬燧が蒲州を取り戻した。舊唐書 卷12 貞元1年
786年蔡州李希烈が部将の陳仙奇に殺され、陳仙奇は淮西を挙げて帰順した。舊唐書 卷12 貞元2年 4月
786年涇州吐蕃が涇・隴・邠・寧などを攻め、諸鎮が城門を閉ざし、京師に戒厳令が敷かれた。舊唐書 卷12 貞元2年 7月
786年鹽州吐蕃が塩州を陥落させ、続いて夏州・銀州も陥落させた。舊唐書 卷12 貞元2年
787年平涼渾瑊が平涼で吐蕃の宰相尚結賛と会盟したが、吐蕃兵の奇襲を受けて辛うじて逃れ、崔漢衡ら六十余人が捕虜となった。舊唐書 卷12 貞元3年
790年北庭吐蕃が北庭都護府を陥落させ、節度使の楊襲古は西州へ逃げた。舊唐書 卷13 貞元6年
792年維州韋皋が吐蕃の維州を攻め、蕃将の論莽熱を生け捕って献上した。舊唐書 卷13 貞元8年 9月
793年鹽州徳宗が塩州城を再び築かせた。以後、辺境への侵入は止んだ。舊唐書 卷13 貞元9年
797年巂州韋皋が巂州を収復し、地図を描いて献上した。舊唐書 卷13 貞元13年 5月
799年汴州汴州の軍が乱を起こし、陸長源と判官の孟叔度・丘穎を殺した。舊唐書 卷13 貞元15年 2月
800年溵水韓全義が溵水の南で呉少誠と戦って敗れた。舊唐書 卷13 貞元16年 4月
801年麟州吐蕃が麟州を陥落させ、刺史の郭鋒を殺し、城楼を壊して引き揚げた。舊唐書 卷13 貞元17年 7月
805年長安徳宗が会寧殿で六十四歳で崩じた。舊唐書 卷13 貞元21年 1月
805年長安徳宗の崩御後、順宗が太極殿で即位した。舊唐書 卷14 貞元21年 1月
806年長安太上皇の順宗が興慶宮で崩じた。舊唐書 卷14 元和1年 1月
806年成都高崇文が成都を回復し、劉辟を捕らえて差し出した。舊唐書 卷14 元和1年
807年潤州潤州の大将張子閬らが李錡を生け捕りにして差し出した。舊唐書 卷14 元和2年
809年鎮州王承宗が反乱すると、宦官の吐突承璀を鎮州行営招討処置使に任じて討伐に当たらせた。舊唐書 卷14 元和4年
812年魏州魏博軍が田興を推戴すると、朝廷は裴度を送って禅譲を受けさせ、三軍に賞金を与えた。舊唐書 卷15 元和7年 10月
815年長安王承宗の刺客が長安の靖安坊で宰相の武元衡を殺し、御史中丞の裴度を傷つけた。舊唐書 卷15 元和10年 6月
815年洛陽李師道が嵩山の僧円浄と洛陽の進奏院に刺客を潜ませ、宮を焼き払おうとしたが、洛陽の留守が包囲して防いだ。舊唐書 卷15 元和10年
817年郾城李光顔が郾城で呉元済の軍三万を破り、馬千頭と甲冑三万領を得た。舊唐書 卷15 元和12年 4月
817年蔡州李愬が蔡州に入り、呉元済を生け捕りにして献上し、淮西が平定された。舊唐書 卷15 元和12年 10月
819年鄆州劉悟が李師道父子の首を斬って降伏し、淄青十二州が平定された。舊唐書 卷15 元和14年
820年長安憲宗が大明宮の中和殿で四十三歳で崩じた(宦官陳弘志による弑逆説あり)。舊唐書 卷15 元和15年 1月
824年長安穆宗が崩じ、翌日皇太子の李湛(敬宗)が柩の前で即位した。舊唐書 卷17上 長慶4年 1月
824年長安張韶ら百余人が右銀台門に至り、門番を殺して清思殿に入り、玉座に上がって食事をした。舊唐書 卷17上 長慶4年
826年幽州幽州の軍が乱を起こして朱克融・その子を殺し、次男の朱延嗣を幽后に立てた。舊唐書 卷17上 寶曆2年
826年長安宦官の劉克明らが敬宗を弑殺した。十八歳であった。舊唐書 卷17上 寶曆2年
835年長安甘露の変:宦官の仇士良が軍を率いて宰相の王涯らを殺し、十余の家を滅ぼした。舊唐書 卷17下 大和9年
836年長安文宗が宣政殿で朝賀を受け、大赦を行い、年号を開成と改めた。舊唐書 卷17下 開成1年 1月
839年長安文宗が皇太子李永を廃そうとし、少陽院に移されたのち太子は死んだ(諡は章)。舊唐書 卷17下 開成4年
840年長安文宗が大明宮の太和殿で三十三歳で崩じた。舊唐書 卷17下 開成5年 1月
843年殺胡山石雄が殺胡山で迴鶻を大破し、烏介可汗は傷を負って逃げた。舊唐書 卷18上 會昌3年 1月
844年潞州郭誼が劉稹の首を斬って石雄を迎え、澤・潞など五州が平定された。舊唐書 卷18上 會昌4年
845年会昌の廃仏:天下の寺院四千六百余を壊し、僧尼二十六万五百人を還俗させて両税の納税者とした。舊唐書 卷18上 會昌5年 8月
846年長安武宗が三十三歳で崩じ、皇太叔の光王(宣宗)が即位した。舊唐書 卷18上 會昌6年 3月
849年秦州鳳翔節度使の李玭が秦州を収復したと報告した。舊唐書 卷18下 大中3年 8月
849年維州西川節度使の杜悰が維州を収復したと報告した。舊唐書 卷18下 大中3年 9月
851年沙州張義潮が兄を送り、瓜・沙・伊・粛など十一州の戸口を献上した。河・隴が吐蕃に落ちて百余年ぶりに隴右を取り戻した。舊唐書 卷18下 大中5年
858年安南南蛮が安南府を攻撃した。舊唐書 卷18下 大中12年 6月
859年長安宣宗が大明宮で五十歳で崩じ、運王が皇太子に立てられて即位した。舊唐書 卷18下 大中13年 8月
862年交趾南蛮が交址を陥落させ、諸道の兵を嶺南に徴発した。舊唐書 卷19上 咸通3年
866年安南高駢が海門から進軍して南蛮軍を破り、安南府を収復した。舊唐書 卷19上 咸通7年
868年徐州桂林の戍卒龐勲が徐州を陥落させ、節度使の崔彦曾を殺した(龐勲の乱)。舊唐書 卷19上 咸通9年
869年徐州馬挙が渙河で龐勲を攻め、龐勲は溺死して徐州の乱は平定された。舊唐書 卷19上 咸通10年 9月
869年雋州南詔の標信坦綽酋龍が二万の兵で携州を攻めた。舊唐書 卷19上 咸通10年 11月
873年長安懿宗が咸寧殿で四十一歳で崩じ、保王嚴が皇太子に立てられた。舊唐書 卷19上 咸通14年 7月
875年濮州濮州の盗賊王仙芝が長垣県で三千人を集めて略奪し、濮州を陥落させた。舊唐書 卷19下 乾符2年 5月
876年汝州王仙芝の一味が潁州・許州を圧迫し、汝州を陥落させて刺史の王鐐を捕らえた。舊唐書 卷19下 乾符3年 7月
877年鄆州冤朐の盗賊黄巣が一万の兵で鄆州を攻めて陥落させ、節度使の薛崇を追い出した。舊唐書 卷19下 乾符4年
879年廣州黄巣が広州を陥落させ、嶺南の諸邑を大いに略奪した。舊唐書 卷19下 乾符6年 5月
880年洛陽黄巣軍が東都洛陽を陥落させると、留守の劉允章が分司の官属を率いて迎えた。舊唐書 卷19下 廣明1年
880年潼關黄巣軍が潼関を占拠した。舊唐書 卷19下 廣明1年 12月
880年長安僖宗が長安を捨てて金光門から逃れ、山南(蜀)へ逃げ、黄巣が長安に入った。舊唐書 卷19下 廣明1年 12月
881年成都僖宗が成都府の官舎で大赦を行い、年号を中和と改めた。舊唐書 卷19下 中和1年 1月
882年同州黄巣の同州防御使の朱温が監軍を殺して投降した(のちの朱全忠)。舊唐書 卷19下 中和2年 8月
883年長安李克用らの連合軍が長安を奪還した。舊唐書 卷19下 中和3年
884年中牟黄巣軍が中牟で汴河を渡ろうとしたところ、沙陀軍に襲われ、半数が死ぬか溺れた。舊唐書 卷19下 中和4年
884年汴州朱全忠が汴州の上源駅で李克用を酔わせた後、包囲して火を放ったが、克用は塀を越えてかろうじて逃れた。舊唐書 卷19下 中和4年

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原文のライセンスと出典

舊唐書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

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