ジョヴァンニ・ヴィッラーニ『新年代記』

ジョヴァンニ・ヴィッラーニ『新年代記』(正史 の史料)。扱う年は1310年 〜 1348年、出来事237件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年1310年 〜 1348年
出来事の数出来事237件・地図に置いた224件
著者Giovanni Villani
原題Nuova Cronica (Cronica di Giovanni Villani)

地域の内訳: 南ヨーロッパ 198 · 西ヨーロッパ 33 · 西アジア 3 · 東ヨーロッパ・ロシア 2 · エジプト・北アフリカ 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1310年Turin皇帝ハインリヒ7世がローザンヌから山を越え、ピエモンテのトリノに到着Libro IX, cap. IX
1311年Milan皇帝がミラノに入り、1月6日にサンタンブロージョ教会で鉄の王冠を戴冠Libro IX, cap. IX
1311年Cremonaクレモナが包囲の末に降伏。ラヴェンナ大司教の仲介で、城壁・要塞の撤去と罰金が課されるLibro IX, cap. XV
1311年Bresciaブレシアが食糧が尽きて降伏。皇帝は城壁と要塞を破壊し、罰金7万フィオリーノを課し、主だった市民100人を追放Libro IX, cap. XX
1311年Pisa皇帝がジェノヴァからガレー船30隻でピサに入り、ピサ人に君主として迎えられるLibro IX, cap. XXXVII
1312年Viterbo皇帝がピサを発ってローマへ向かい、ヴィテルボを無抵抗で手に入れるLibro IX, cap. XL
1312年Rome皇帝がローマに入城。コロンナ家の助力を得て、オルシーニ家が守る橋の要塞を力ずくで突破Libro IX, cap. XL
1312年Rome枢機卿たちがラテラノで皇帝ハインリヒに戴冠(史料では8月1日)Libro IX, cap. XLIII
1312年Incisa in Val d'Arnoインチーザの戦い。フィレンツェの騎兵約1,800が阻んだが、皇帝軍の迂回攻撃に押されて敗走(騎兵25人、歩兵100人未満が戦死)Libro IX, cap. XLVI
1312年Florence皇帝がフィレンツェの城壁の前に陣を張り、10月末まで包囲(史料:「infino air ultimo di del mese d' Ottobre」)Libro IX, cap. XLVII
1313年Colle di Val d'Elsa皇帝側の騎兵約200がコッレでロベルト王の騎兵に敗れ、皇帝派は衰えるLibro IX, cap. XLVIII
1313年Buonconvento皇帝ハインリヒがシエナ南方のブオンコンヴェントで病死Libro IX, cap. LII
1313年Pisa遺体はピサに運ばれ、大聖堂に葬られるLibro IX, cap. LIII
1313年Florenceフィレンツェがロベルト王に5年の期限でシニョリーアを委ねる(史料によれば後に3年延長)Libro IX, cap. LVI
1314年Roquemaure教皇クレメンス5世がボルドーへ向かう途中、ローヌ川を渡りロクモールで病死Libro IX, cap. LIX
1314年Luccaウグッチョーネ・デッラ・ファッジョーラがピサ兵とドイツ人傭兵とともにルッカを占領し、教会の財宝を略奪(住民の殺害も)Libro IX, cap. LX
1315年Montecatini Termeモンテカティーニの戦い。フィレンツェ・ナポリ側が大敗し、ウグッチョーネが勝利、モンテカティーニ城は降伏Libro IX, cap. LXXII
1316年Avignon枢機卿団がアヴィニョンでヨハネス22世を教皇に選出(2年の空位が終わる)Libro IX, cap. LXXXI
1317年Pisaロベルト王がピサ・ルッカと和約(ピサは艦隊の要請があればガレー船5隻を提供する条件)Libro IX, cap. LXXXII
1317年Genoaジェノヴァ:ギベリン派のスピノラ家が戻ると、ゲルフ(都市貴族側)がフィエスキとグリマルディを指揮官に立てて市を掌握し、両陣営の対立が激化Libro IX, cap. LXXXVII
1318年Genoa追放されたジェノヴァ貴族とミラノ(マルコ・ヴィスコンティ)の連合軍がジェノヴァの包囲を開始Libro IX, cap. XC
1318年Genoaロベルト王が大艦隊(輸送船47隻、ガレー船25隻、騎兵1,200)でジェノヴァに入り、包囲の解除に着手Libro IX, cap. XCIII
1318年Genoaジェノヴァの統領と人民が、教皇ヨハネス22世とロベルト王にジェノヴァとリヴィエラの統治権を10年の期限で譲るLibro IX, cap. XCIV
1319年Genoa (piano di Bisagno)ビザーニョ平原の大会戦。双方に大きな被害が出たが勝敗なし(追放者は丘へ、市内の者は市内へ退く)Libro IX, cap. XCIX
1320年Santa Maria a Monteカストルッチョ・アンテルミネッリがフィレンツェ側のサンタ・マリーア・ア・モンテを包囲。住民の裏切りで降伏Libro IX, cap. CVI
1320年Mortaraフィリップ・ド・ヴァロワが教皇使節ベルトラン・ド・プジェ枢機卿とともに騎兵1,500でヴェルチェッリとノヴァーラの間のモルターラに陣を張るIX.109
1320年Genovaカストルッチョが騎兵と歩兵を率いてジェノヴァ東のリヴィエラに陣を張り、ジェノヴァ包囲の連合に加わるIX.111
1320年Genovaシチリア王フェデリーコがガレー船とウシエリ船42隻を武装させ、追放ジェノヴァ人側の包囲に派遣IX.112
1320年Ischiaナポリ側の艦隊がイスキア沖でシチリア・追放者の艦隊に追いつくが、夜にシチリア側が逃げるIX.113
1320年Genovaシチリアと追放ジェノヴァ人の艦隊が9月3日にジェノヴァ港に入り、港側から攻撃するが、守備側が防ぐIX.114
1320年Genova追放者とシチリア軍が9月中に2度、カリニャーノ(ジェノヴァの地区)を攻撃したが、ジェノヴァ側が撃退IX.116
1320年Chiavari追放ジェノヴァ人のガレー船がリヴィエラを略奪し、12月14日にキアヴァリの町を占領・略奪・放火IX.117
1320年Padovaパドヴァ市内の一派がゴリツィア伯とともに城外へ出てカングランデ・デッラ・スカーラ軍を破り、カングランデはモンセリーチェへ逃げるIX.121
1321年Noli追放ジェノヴァ人(海)とフィナーレ侯(陸)がノーリを包囲し、2月6日に降伏(城塞は4月6日まで持ちこたえる)IX.118
1321年Ravennaダンテ・アリギエーリがラヴェンナで死去(本文では7月、フィレンツェ暦1321年)IX.136
1322年Firenzeフィレンツェがナポリ王ロベルトの支配(8年半)から脱し、統領とカピターノを再び選び、城壁工事を始めるIX.137
1322年Tunisi追われていたチュニス王がアラブ部族と結んで戻り、現王を破って王位を取り戻すIX.150
1322年Bresciaオーストリアのハインリヒが5月18日にブレシアを発ちヴェローナへ向かうIX.145
1322年Basignanoマルコ・ヴィスコンティ率いるミラノ軍がポー川沿いのバッシニャーナ要塞の救援に来て教皇軍と交戦(本文の勝敗の記述は食い違う)IX.160
1322年Parmaパルマ市内の党派抗争。オルランド・ロッソ側がジャンニ・クィリーコ側を破って掌握IX.168
1322年Albengaシチリア軍・追放者・フィナーレ侯がアルビンガーノ(現アルベンガ)を包囲し、12月13日に降伏IX.170
1322年Mühldorfミュールドルフの戦い。対立する二人の王が激突し、ルートヴィヒが勝利、フリードリヒとオーストリアのハインリヒは捕虜となるIX.175
1322年Piacenzaヴェルジ・デ・ランダが教皇側の騎兵400で夜陰に乗じてピアチェンツァに入り、アッツォ・ヴィスコンティを追放して市を掌握IX.178
1322年Milanoガレアッツォ・ヴィスコンティが夜陰に乗じてミラノのティチネーゼ門から入って市を掌握し、12月29日に市民に推戴されて君主となるIX.184
1323年Genovaジェノヴァ市内側が夜、ロベルト王の傭兵騎兵150と歩兵1,000を出して追放者側の砦(モンテ・サン・ベルナルド)を攻撃し、奪われた郊外を奪還IX.188
1323年Tortonaライモンド・ディ・カルドーナが教皇使節との密約で騎兵500と追放ゲルフの助けを得てトルトーナに入り、市民が彼に町を委ねるIX.190
1323年Gargazzuolaマルコ・ヴィスコンティのミラノ軍(騎兵1,000・歩兵2,000)が教皇軍(騎兵1,200・歩兵3,000)とガルガッツォラで衝突し、ミラノ側の騎兵約400が戦死・捕虜となるIX.199
1323年Trevisoゴリツィア伯がトレヴィーゾでの婚礼の宴の最中に急死し、カングランデによる毒殺の噂が立つIX.200
1323年Milanoライモンド・ディ・カルドーナと教皇軍がモンツァを発ってミラノの包囲を開始(6月11日)IX.211
1323年Fucecchioカストルッチョが12月19日の夜にフチェッキオの一部を占領したが、翌日フィレンツェの援軍が反撃して追い払うIX.233
1324年Iglesiasピサ軍がヴィッラ・ディ・キエーザでアラゴン王子アルフォンソの軍に敗れ、指揮官と多数が死亡または捕虜となり、カステル・ディ・カストロへ退くpart_03.txt L34-L62 (CAP. CCXXXVII)
1324年Constantinople2月、タタール騎兵30万がギリシアに入ってコンスタンティノポリス近くまで略奪し、4月まで留まる。15万人余りが死亡または奴隷にされるpart_03.txt L162-L183 (CAP. CCXLI)
1324年Spoleto2年以上包囲されたスポレートが食糧不足のため教会軍とペルージャの連合軍に降伏。命は保証される条件part_03.txt L245-L260 (CAP. CCXLIV)
1324年Genovaナポリ王ロベルトが教皇庁を離れ、22日にジェノヴァに到着。滞在してジェノヴァ側の歓待を受けるpart_03.txt L362-L375 (CAP. CCXLIX)
1324年Padova1324年6月初め、ドイツ諸侯軍がカングランデを攻めようとパドヴァ一帯に来たが、カングランデは城を守り、賄賂で軍を引き返させるpart_03.txt L490-L516 (CAP. CCLV)
1324年Cagliari包囲の末、ピサ軍がカステル・ディ・カストロをアラゴン王子に引き渡し、島の領有を認める和平を結ぶpart_03.txt L798-L815 (CAP. CCLIX)
1324年Castell'Arquatoピアチェンツァ領内のカステッラクアータが食糧不足で教皇特使とピアチェンツァに降伏。城主マンフレーディ・ディ・ランダは教皇特使から5千フィオリーノを受け取るpart_03.txt L846-L853 (CAP. CCLX)
1324年Pistoiaピストイアのフィリッポ・テディーチが蜂起で市を掌握し、首領アバーテ・ダ・パチェンツァーノを押しのけて任期1年の君主となる。フィレンツェの騎兵は入れないpart_03.txt L860-L878 (CAP. CCLXI)
1324年Avignon教皇ヨハネス22世がアヴィニョンで、皇帝候補バイエルンのルートヴィヒに最終的な破門判決を下し、2か月以内の自発的出頭を命じるpart_03.txt L930-L949 (CAP. CCLXIV)
1324年Urbinoマラテスタ家のリミニ軍がウルビーノ近くのカヴァッリーノ要塞を建設中、マルカのギベリン派騎兵800余の奇襲を受けて敗れ、リミニ側の死傷者・捕虜は700人超part_03.txt L957-L970 (CAP. CCLXV)
1324年Cesenaロマーニャのギベリン派が裏切りでチェゼーナを占領したが、すぐに追い出されて大損害を被るpart_03.txt L978-L989 (CAP. CCLXVI)
1324年Monza教皇特使の救援が来ず、モンツァがミラノ軍に降伏。教会側の大きな恥辱となるpart_03.txt L1081-L1095 (CAP. CCLXX)
1324年Argentaフェラーラを支配するエステ侯家が教会領のアルジェンタを奪う。人的被害はなかったと記録part_03.txt L1217-L1220 (CAP. CCLXXV)
1325年Carmignanoカルミニャーノの城と要塞がピストイアの僭主テディーチに対抗してフィレンツェに自ら帰属し、7年間の免税を得るpart_03.txt L1305-L1318 (CAP. CCLXXIX)
1325年Brindisiロベルト王の弟ジャンニがブリンディジから25隻のガレー船で出航し、ケファロニア島の反乱を鎮めてクラレンツァ(モレア)へ向かうpart_03.txt L1359-L1372 (CAP. CCLXXXI)
1325年Bruggeフランドルのブルッヘの民衆がルイ伯に反乱。ヘント(ガン)とイーペルが金を受けて伯とブルッヘの間の合意を仲介part_03.txt L1395-L1398 (CAP. CCLXXXII)
1325年Fidenzaミラノのアッツォ・ヴィスコンティがボルゴ・サン・ドンニーノ(フィデンツァ)を手に入れ、そこで大規模な遠征の準備をするpart_03.txt L1559-L1570 (CAP. CCLXXXVIII)
1325年Pistoiaフィリッポ・テディーチが裏切って、ルッカのカストルッチョ・カストラカーニの軍をピストイアに入れ、フィレンツェの守備隊を殺害・追放part_03.txt L1686-L1694 (CAP. CCXCIV)
1325年Palermoカラブリア公カルロの大艦隊がナポリから出航してパレルモを包囲し、6月18日まで続けたが市内の占領に失敗し、城壁を壊しただけに終わるpart_03.txt L1783-L1786 (CAP. CCXCVI)
1325年Osimo教皇軍のマルカ軍がオージモへ略奪に出て、オージモ側の奇襲を受け、騎兵200余と歩兵千人ほどが死亡または捕虜となるpart_03.txt L1839-L1848 (CAP. CCXCIX)
1325年Kortrijkフランドル伯ルイがコルトレイクで住民の蜂起に敗れて捕らえられ、ブルッヘへ連行されるpart_03.txt L2520-L2543 (CAP. CCCX)
1325年Altopascioフィレンツェ軍がルッカ側の要塞アルトパッショを包囲するが、疫病と遅れで兵力が減るpart_03.txt L2043-L2045 (CAP. CCCII)
1325年Altopascioアルトパッショの戦い。フィレンツェ軍がルッカのカストルッチョに大敗し、総司令ライモンド・ディ・カルドーナらが捕虜となり、フィレンツェの騎兵が多数戦死・捕虜となるpart_03.txt L2355-L2360 (장 표제 CAP. CCCIII~CCCIV 부근)
1326年Pistoiaフィレンツェ総司令ピエロ・ディ・ナルシがカルミニャーノ奪取を狙って伏兵にかかり、敗れて捕らえられ、カストルッチョがピストイアで彼を斬首part_03.txt L3854-L3882 (CAP. CCCL)
1326年Modena教皇軍のベルジオ・ダ・ランダとフィレンツェ騎兵がモデナ外郭の城門地帯(アンティポルティ)を強襲して奪い、1か月包囲part_03.txt L3677-L3692 (CAP. CCCXLII)
1333年Firenze11月1日から4日間昼夜大雨が降り、4日(木)にアルノ川がフィレンツェ市内まで溢れる。史料は溺死などの人的被害を約300人とする(当初は3,000人と推定)part_04.txt 줄 2146-2148 (Libro XI)
1333年Firenze同日の午後、アルノ川の氾濫でオニッサンティの堤が決壊してカライア橋が崩れ、サンタ・トリニタ橋も崩れて橋脚1本とアーチ1つだけが残り、ヴェッキオ橋は中央の橋脚2本だけが残るpart_04.txt 줄 2225-2226 (Libro XI)
1333年Pisa大洪水の水がピサまで下り、市が大きく冠水して大きな被害が出る。史料は、アルノ川がアルノニコ水路とカファンネ村側の沼に抜けたため、全面冠水は免れたと記すpart_04.txt 줄 2307-2308 (Libro XI)
1333年Napoliナポリ王ロベルトからフィレンツェのプリオーリと市民共同体に宛てた慰めの書簡。洪水を罪に対する神の懲罰とみなし、悔い改めと忍耐を勧める 伝承part_04.txt 줄 3444-3444 (Libro XI)
1333年Lerici同盟側がレリチで会議を開き、休戦延長をやめて戦争を再開することを決める。占領地の配分も合意(クレモナはミラノ、パルマはスカーラ家、レッジョはマントヴァ側、モデナはフェラーラ側、ルッカはフィレンツェ)part_04.txt 줄 3520-3521 (Libro XI)
1333年Correggio同盟軍の騎兵400がパルマ・レッジョ方面へ出たが、コッレッジョ城付近でパルマ軍と教皇特使軍に敗れ、指揮官エットーレ・ダ・パナーゴらが捕虜となるpart_04.txt 줄 3543-3543 (Libro XI)
1333年Argentaフェラーラ侯軍が数か月包囲していたアルジェンタ城が食糧が尽きて降伏。教皇側がフェラーラで敗れた後で、救援軍はなかったpart_04.txt 줄 3583-3584 (Libro XI)
1333年Bolognaボローニャの民衆が教皇特使の支配に対して蜂起。特使側の役人がいた穀物宮と司教館に火を放ち、アルプスの向こう側(外国)の役人を殺害。特使は新城に閉じ込められ包囲されるpart_04.txt 줄 3625-3626 (Libro XI)
1334年Bolognaボローニャでペポリ家などの反乱派が、サバティーニ家・ボダルディ家など特使側の家門を追い出して家を焼く。追放・流刑になった市民は1,500人超。フィレンツェが使節と騎兵を送って事態を収めるpart_04.txt 줄 3754-3754 (Libro XI)
1334年Cremona1334年4月、同盟軍の騎兵3,000がクレモナを包囲し、5月1日にクレモナの君主がミラノの君主に市を引き渡すことで合意(救援軍が来なければ7月中旬まで)part_04.txt 줄 3795-3796 (Libro XI)
1334年Orvietoオルヴィエート市で内戦。ナポレウッチョ・モナルデスキが殺され、その一派が追放され、マンノが市の支配者となるpart_04.txt 줄 3893-3893 (Libro XI)
1334年Firenze7月13日、フィレンツェ大聖堂(サンタ・レパラータ)の新しい鐘楼の基礎工事に着手。司教やプリオーリらが出席して最初の石を祝別し、工事監督にジョットが定められるpart_04.txt 줄 3917-3918 (Libro XI)
1334年Colornoマスティーノ・デッラ・スカーラの連合軍がパルマ近郊のコロルノ城を包囲。パルマ側の救援軍は陣を破れず、9月24日に城は降伏。史料はこの勝利でマスティーノがパルマを狙えるようになったと記すpart_04.txt 줄 3989-3989 (Libro XI)
1334年Uzzanoフィレンツェの傭兵隊長ベルトラモーネ・ダル・バルツォの策略(金2,000フィオリーノの賄賂)で、ヴァルディニエーヴォレ・ペーシャ上方のウッツァーノ城がフィレンツェに降伏。続いてルッカ近くまで2度略奪part_04.txt 줄 4004-4004 (Libro XI)
1334年Parigiボヘミア王ヨハンがパリでルッカに対する権利をフランス王フィリップに譲る。フランス王はフィレンツェの商人たちにルッカの支配権はフランスのものだと告げ、約6千の軍を送ってルッカを押さえるpart_04.txt 줄 4030-4030 (Libro XI)
1334年Avignone教皇ヨハネス22世がアヴィニョンで死去。史料は、死の前に「霊魂の直接の視」に関する主張を撤回する書簡を出したと記すpart_04.txt 줄 4128-4128 (Libro XI)
1334年Avignone枢機卿団が二派に分かれて争った末、トゥールーズ出身で修道院長だった低い身分の枢機卿ビアンコが教皇に選ばれる(史料:「parve opera divina」)。名はベネディクトゥス12世part_04.txt 줄 4370-4370 (Libro XI)
1334年Firenze12月5日、大雨でアルノ川が再び溢れ、木の杭橋1つと鎖の船橋1つが流される。史料は、1333年の洪水で川底が6ブラッチャ低くなったため市の被害は少なかったと記すpart_04.txt 줄 4391-4391 (Libro XI)
1334年Firenzeベルガモ出身のドミニコ会説教者ヴェントゥリーノが説教でロンバルディアとトスカーナの1万人余りを悔悛の巡礼に出発させる。フィレンツェでも説教し、市民のほぼ全員が集まった。教皇庁の審問の後、説教禁止と居住制限の処分を受けるpart_04.txt 줄 4421-4421 (Libro XI)
1335年Genovaジェノヴァのギベリン派がロベルト王の総督による支配に対して市街戦を行い、ゲルフを追い出して市政を握る。追われたゲルフはモナコ方面へ向かうpart_04.txt 줄 4544-4544 (Libro XI)
1335年Sansepolcroニエリ・ダ・ウグッチョーネ・ダ・ファッジョーラが騎兵200と歩兵500でボルゴ・サン・セポルクロに入って占領。城塞(ロッカ)は別に持ちこたえる(日付はOCRで不明)part_04.txt 줄 4595-4595 (Libro XI)
1335年Cortonaアレッツォ軍がペルージャの騎兵を大破し、コルトーナの城門まで追撃。続いて5日間ペルージャの農村を焼き、ペルージャの城門近くまで至るpart_05 줄 85
1335年Parmaパルマのロッシ家がヴェローナのスカーラ兄弟に市を引き渡す。アルベルトが騎兵600を率いて入城。見返りとしてポントレモリ、パルマの城塞数か所、5万フィオリーノを受け取ることにpart_05 줄 289
1335年Piacenzaピアチェンツァがアッツォ・ヴィスコンティに降伏。その後スコッティ家が反乱し、ナポリ王ロベルトが助けなかったため、同年12月15日に再び降伏part_05 줄 326
1335年Grossetoグロッセートの領主バッティーノがシエナに事実上抑留されていたが、ひそかに抜け出してグロッセートを取り戻すpart_05 줄 442
1335年Grossetoシエナ軍がグロッセートを包囲し、内側から開けられた門から突入。内にいたアルコバルド伯側の300人余りは閉じ込められ大半が捕虜となり、伯本人だけが脱出part_05 줄 449
1335年Massa Marittimaマレンマのマッサ城がシエナ側の市民の内応でシエナ軍の手に落ちる。ピサ側の役人は追い出され、ピサとフィレンツェの間の和平合意が破れるpart_05 줄 513
1335年Città di Castello裏切り者の三兄弟の内応で城門が開かれ、ペルージャ連合軍が突入。タルラティは城塞に退き、10月5日に降伏してペルージャへ連行されるpart_05 줄 546
1335年Luccaピエトロ・ロッシがルッカの支配権をマスティーノ・デッラ・スカーラに譲る。フィレンツェとの同盟の約束に反して、ルッカはフィレンツェには渡らないpart_05 줄 826
1335年Pisaグァランディ側の反対派がポデスタを襲ってピサから追い出し、官署を焼く。一晩戦った末、コンテ・ファツィオ側が反乱勢力を追い払う。ルッカ側の救援軍は間に合わなかったpart_05 줄 922
1336年Firenze画家ジョットが死去し、市によりサンタ・レパラータに葬られる。史料はミラノでの仕事を終えて戻った後に死んだとだけ記すpart_04.txt 줄 3942-3942 (Libro XI)
1336年Firenze1333年の洪水で崩れたカライア橋を新たに完成。橋脚を2本減らし、堤を築く(工費2万フィオリーノ近く)part_04.txt 줄 3949-3949 (Libro XI)
1336年Arezzoフィレンツェが、ピエロ・サッコーネのマスティーノとの同盟を理由にアレッツォへ公然と宣戦し、道路の通行禁止令を出すpart_05 줄 1297
1336年Veniceヴェネツィアとフィレンツェが同盟と軍事共同体を結ぶ。双方が騎兵2,000・歩兵2,000を常時雇い、フィレンツェは資金調達の代表をヴェネツィアに置くpart_05 줄 1414
1336年Mestreヴェネツィア軍が金でメストレ城を手に入れようとして、マスティーノ側の城主に欺かれる。ヴェネツィアの歩兵250人余りが捕虜となるpart_05 줄 1991
1336年Arezzoアレッツォのタルラティ家が市の支配権をフィレンツェに譲る。フィレンツェは25,000フィオリーノと別に14,000フィオリーノを支払い、10年間市と周辺の支配権を得るpart_05 줄 2476
1337年Veronaマスティーノがヴェローナから騎兵3,000を率いて出て連合軍の陣に対峙。夜のうちに連合軍が散り散りに逃げ、ルキーノ・ヴィスコンティの威信が落ちるpart_05 줄 2940
1337年Paduaパドヴァの内外のカッラーラ派と連合軍が呼応してアルベルト・デッラ・スカーラの守備隊を襲い、市に入る。アルベルトはヴェネツィアに送られ、ウベルティーノ・ダ・カッラーラがパドヴァの君主となるpart_05 줄 3050
1337年Monseliceピエロ・ロッシがマスティーノのモンセリーチェ城下の町を攻めて下馬して戦ううちに脇腹を槍で突かれ、堀に落ちる。パドヴァへ運ばれたが8月7日に死亡part_05 줄 3094
1337年Bolognaボローニャの貴族勢力間の争いの中で、タデオ・デ・ペポリが民衆の指導者に立てられ、市の支配者となる。教皇側はこれを問題にして抗議part_05 줄 3307
1337年シチリア王フェデリーコが死去し、長男ピエロが継ぐがうまく統治できない。ヴェンティミーリア伯がナポリのロベルト側と結んで反乱し、島は混乱に陥るpart_05 줄 3379
1337年フランス王フィリップ6世が一日で王国内のイタリア人全員(フィレンツェの商社を含む)を逮捕して罰金を科し、その後、金貨を切り下げるpart_05 줄 3430
1337年Sluisイングランドの艦隊がフランドルのスロイス河口の島に上陸し、伯側の兵と戦って島を焼く。伯の異母兄弟を捕らえるpart_05 줄 3505
1337年Bresciaマスティーノの支配下にあったブレシアの市民が10月8日に蜂起。連合軍の騎兵1,500が入り、ベネデットはヴェローナへ逃げる。その後、支配権はアッツォ・ヴィスコンティに移るpart_05 줄 3557
1337年 〜 1338年Orvietoオルヴィエートの市民が蜂起してモナルデスキ家の支配を倒し、民衆(ポポロ)政府を立てる。同じ頃ファブリアーノも同様に変わるpart_05 줄 3725
1338年Barlettaプーリアの複数の都市(ソルモーナ・ラクイラ・ガエータ・サレルノ・バルレッタ)で党派間の内戦が始まる。バルレッタの内戦が最も大きく、市と周辺地域が荒廃。王はミネルヴィーノ伯の兄弟を捕らえて没落させるpart_05 줄 3942
1338年Monseliceパドヴァ人がモンセリーチェ城を手に入れる(城塞は11月25日に降伏)L.XI c.LXXXII
1338年Montagnanaマスティーノがモンタニャーナでの裏切りを企み、スピネッタ侯の部隊を送ったが、連合軍の伏兵にかかって大敗L.XI c.LXXXII
1338年Anversaイングランド王エドワード3世が船300隻と騎士団を率いてアントウェルペンに到着し、9月末まで滞在L.XI c.LXXXIV
1338年Cambraiイングランドと連合軍がカンブレーを包囲し、フランス守備隊(コンスタブル)が守って約9日間にらみ合うL.XI c.LXXXV
1338年Péronne 일대両王の軍が戦闘を前に対峙したが、フランス側が戦いを受けず、双方とも撤退L.XI c.LXXXVII
1338年Vicenza連合軍の騎兵がヴィチェンツァの外郭の3つの市街(ボルギ)に入り、市をほぼ制圧。城だけが残るL.XI c.LXXXIX
1338年Veneziaヴェネツィアがフィレンツェとの同盟を破ってマスティーノと単独講和し、フィレンツェはルッカの取り分を失うL.XI c.XC
1338年Romaローマの貴族と平民が和解して全面的な和平を結び、フィレンツェに法令(正義の規則)の写しを求めるL.XI c.XCVI
1339年Parabiagoロデリーゴ・ヴィスコンティがパラビアーゴの夜襲でミラノ軍を破り、翌日ルキーノ・ヴィスコンティの本隊も敗れて捕虜となるL.XI c.XCVII
1339年Milanoミラノの君主アッツォ・ヴィスコンティが死去し、叔父のルキーノ・ヴィスコンティが権力を握るL.XI c.CI
1339年Genovaサヴォーナで民衆蜂起が起き、3日後にジェノヴァも蜂起してシモーネ・ボッカネグラをドージェに選ぶL.XI c.CII
1339年Astiモンフェッラート侯がアスティを奪い、ナポリ王ロベルトから切り離す(王が傭兵に給料を払わず守りが崩れた)L.XI c.CIV
1339年Lipariナポリ王ロベルトの艦隊がリーパリ城を包囲して占領し、救援に来たシチリア側の艦隊を海上で破るL.XI c.CVIII
1340年Sluysエドワード3世がスロイス沖の夜の海戦でフランス艦隊を破り、大半が沈没または捕虜となるL.XI c.CX
1340年Tornaiエドワード3世の連合軍がトゥルネーを包囲。フランス王の軍が接近したが、衝突なく休戦を結んで撤退L.XI c.CXII
1340年Firenze彗星が現れた後、フィレンツェに大疫病が起こり、一年間に1万5千人以上が死亡L.XI c.CXIV
1340年Firenzeバルディ家などの貴族の陰謀が発覚し、万聖節の前夜にフィレンツェ市街で武装騒乱が起こる。陰謀者の多くが追放され、財産が破壊されるL.XI c.CXVIII
1341年Parmaアッツォ・ダ・コッレッジョがゴンザーガ家の支援でパルマをマスティーノ側の守備隊から奪うL.XI c.CXXVII
1341年Milazzoナポリ王ロベルトの軍が6月からメラッツォを包囲し、守備側が飢え、ドン・ピエトロも死んだため、9月15日に降伏L.XI c.CXXVIII
1341年Ferraraフィレンツェがルッカ購入条約を保証するため、使節団50人をフェラーラへ送る(人質の性格を帯びる)。2か月半滞在L.XI c.CXXX
1341年Luccaピサ軍がルッカの包囲を始める。フィレンツェが買うことにしたルッカをピサが狙うL.XI c.CXXXI
1341年Luccaフィレンツェの使節がマスティーノの代理人からルッカの市と城の占有を引き渡されるL.XI c.CXXXIII
1341年Luccaフィレンツェ軍がルッカ近くのセルキオ川岸でピサ軍と戦ったが、偽の敗報で本隊が崩れて大敗し、多数が捕虜となるL.XI c.CXXXIV
1342年 〜 1343年Brettagna (Brittany)ブルターニュ公が死去し、相続争いの発端となる(フランス王が甥夫妻を公爵に据え、モンフォール伯の反乱を招く)part_07 l.713–765 (Lib.XI, GAP.CXLIII)
1342年Firenzeアテネ公ゴーティエ・ド・ブリエンヌ(ワルテル)がフィレンツェの評議会広場でシニョリーアを掌握し、終身君主を宣言(武装した群衆を動員)part_07 l.1894–2230 (Lib.XII, Cap.I–III, 2145 부근)
1342年Arezzoアレッツォとピストイアが公に終身のシニョリーアを捧げる(続いてコッレ、サン・ジミニャーノ、ヴォルテッラ)part_07 l.2234–2243 (Lib.XII, Cap.III)
1342年Lucca公の主導による協定が公布される。ルッカは15年間ピサの管轄下、フィレンツェ側のピサ関税は5年間免除、ヴァルダルノの城などはフィレンツェに返還part_07 l.2504–2510 (Lib.XII, GAP.VIII)
1342年 〜 1343年Messinaメッシーナでパリッツィ家主導の反乱が起き、守備隊が虐殺され、サン・サルヴァトーレ城塞が占領される。ジーリオが艦隊で奪還part_07 l.3138–3176 (Lib.XII, GAP.XIV)
1343年Valdinievoleフィレンツェの大軍がルッカ救援のためヴァルディニエーヴォレへ出陣part_07 l.367–369 (Lib.XI, GAP.CXXXIX)
1343年San Piero in Campoフィレンツェ軍がグラニャーノを発ち、セルキオ川を渡ってサン・ピエーロ・イン・カンポに陣を張るが、ピサの柵に阻まれるpart_07 l.470–471 (Lib.XI, GAP.CXL)
1343年Serchioフィレンツェ騎兵の一部がセルキオ川を渡ってピサの柵の突破を試みたが、大した成果なく退くpart_07 l.568–579 (Lib.XI, GAP.CXL)
1343年Luccaフィレンツェ軍が5月19日にルッカ救援に失敗し、セルキオ川を渡って退却part_07 l.588–591 (Lib.XI, GAP.CXL)
1343年Luccaルッカが救援軍なしで持ちこたえたのち、ピサに降伏。条件は、ピサが18万フィオリーノを6年かけて支払い、毎年1万フィオリーノ相当の貢納を行うことpart_07 l.611–618 (Lib.XI, GAP.CXL)
1343年Mechelen (Mellina di Brabante)ブラバントのメヘレン(マリーヌ)で大火災が起き、教会や織物会館を含む多数の家屋が焼失part_07 l.672–692 (Lib.XI, GAP.CXLI)
1343年Anconaアンコーナの平民が蜂起して貴族と有力者を攻撃・追放し、財産を略奪part_07 l.699–709 (Lib.XI, GAP.CXLII)
1343年Arezzoギベリン派のタルラティ家が夜明けの奇襲でポルタ・ブイアを開けてアレッツォに入ったが、公の騎兵に撃退されるpart_07 l.2370–2379 (Lib.XII, GAP.V)
1343年Napoliナポリ王ロベルトが死去(1月19日、フィレンツェ暦1342年)。孫娘ジョヴァンナが継ぎ、アンドレアと結婚part_07 l.2970–2999 (Lib.XII, GAP.X)
1343年Pietrasantaピエトラサンタで大火災が起き、城塞を除いてほとんどが焼失。公が穀物と資金を援助part_07 l.3084–3091 (Lib.XII, GAP.XII)
1343年Maiorca (Palma)アラゴン王がマヨルカ商人層の内応で、従兄弟のマヨルカ王から島を奪うpart_07 l.3207–3211 (Lib.XII, GAP.XV)
1343年Firenze公の暗殺計画が発覚して逮捕される(首謀者のアディマリ家の者を含む)。公は側近を増やし、宮殿の防備を固めるpart_07 l.3371–3379 (Lib.XII, GAP.XVI)
1343年Firenze7月26日のフィレンツェ蜂起。牢獄が破壊され、シニョリーア宮が襲撃され、公の騎兵が退き、公は宮殿に包囲されるpart_07 l.3398–3422, 3457–3581 (Lib.XII, GAP.XVI–XVII)
1343年Firenze8月1日、公の治安長官グリエルモ・ダッシージとその息子が群衆に引き渡されて殺される(遺体は損壊される)part_07 l.3750–3775 (Lib.XII, GAP.XVII)
1343年Firenze公が宮殿を引き渡してシニョリーアを放棄する誓いを立てる。命の保証を条件に降伏part_07 l.3791–3797 (Lib.XII, GAP.XVII)
1343年Bologna公がフィレンツェのサン・ニッコロ門を出てロマーニャを経てボローニャへ行く。その後ヴェネツィア、プーリアへ移るpart_07 l.3805–3814 (Lib.XII, GAP.XVII)
1343年Firenze9月23日、民衆の圧力でプリオーリ全員が辞任し、平民のプリオーリに交替(貴族排除要求が爆発)part_07 l.4095–4098 (Lib.XII, GAP.XIX)
1343年Florenceアンドレア・デッリ・ストロッツィが数千人の群衆を率いてプリオーリ宮へ押し寄せる。大貴族と民衆の間の騒乱の始まりXII.20
1343年Florenceサン・ジョヴァンニ地区の民衆と職人がアディマリ家の要塞を攻撃し、ついに降伏して武装解除されるXII.21
1343年Florenceバルディ家の邸宅がすべて民衆に略奪され、大きな家22軒が焼かれる。損失は6万フィオリーノ以上XII.21
1343年Florence新しいスクルティーニオ(抽選選挙)が完了し、プリオーリ8人と正義の旗手(ゴンファロニエーレ・ディ・ジュスティツィア)らから成る、職人中心の新執行部が構成されるXII.22
1343年Pisaフィレンツェとピサの和約が公布される(11月16日)。ルッカはピサに返され、フィレンツェはルッカの収入10万フィオリーノを14年間受け取るXII.25
1343年Naplesナポリ港をシロッコの嵐が襲い、ガレー船と船の大半が破壊され、沿岸の倉庫が浸水、被害は金4万オンス以上(同じ嵐がコンスタンティノポリス対岸のペラ港でも起きた)XII.27
1343年Tanaタナ(黒海北岸の交易地)でヴェネツィア軍とサラセン側が大規模に衝突。その後住民が蜂起してヴェネツィア・ジェノヴァ・フィレンツェの商人を殺し、捕虜は60人余り。損失はジェノヴァ35万、ヴェネツィア30万フィオリーノXII.27
1343年 〜 1344年Florenceフィレンツェ・ペルージャ・シエナ・アレッツォの同盟が結成される。タルラティ家とトスカーナの他の僭主勢力を倒すことが目的XII.28
1344年Algecirasスペイン王が4年余り包囲していたグラナダ王国の要衝アルヘシラスが降伏。飢えの末、住民全員がグラナダへ去るXII.31
1344年Parmaアッツォ・ダ・コッレッジョがパルマを2万フィオリーノで売り、マスティーノ・デッラ・スカーラの仲介でフェラーラ侯オビッツォの手に渡るXII.35
1344年Reggio nell'Emiliaフェラーラ侯がレッジョを去る際にゴンザーガ側が待ち伏せ、ジベルト・ダ・フォリアーノと騎兵300が捕虜または戦死XII.35
1344年Izmir5月、教皇側のキリスト教連合艦隊がスミルナ(イズミル)の港と城を占領し、守っていたトルコ人とサラセン人をすべて斬り殺すXII.39
1345年Reggio nell'Emilia春、ロンバルディア同盟軍(スカーラ・ボローニャ・パドヴァ・フェラーラ)がレッジョを包囲。病気と補給難のため、1345年10月初めに双方が撤退XII.35
1345年Izmir1月17日、守備軍が包囲中のトルコ軍陣営を奇襲して優勢となるが、戦利品を集めて祝っているところを伏兵に襲われて大敗し、総主教と提督2人が戦死XII.39
1345年Paduaパドヴァの君主ウベルティーノ・ダ・カッラーラが死去。後継者マルシーリオは同族のヤコポに夜殺され、ヤコポ自身が僭主となるXII.42
1345年Fucecchioフチェッキオの貴族(ヴォルタ家)がサン・ミニアートとルッカの兵を引き入れてフィレンツェ領フチェッキオを覆そうとして失敗。捕虜は絞首刑XII.45
1345年Florenceフィレンツェの旧橋の跡に石橋(ヴェッキオ橋)が完成(7月18日)。橋上に店43軒、家賃は年80フィオリーノ以上XII.46
1345年Ghentフランドルのヘントの指導者ヤコブ・ファン・アルテフェルデが市民の蜂起で殺される。エドワード3世はフランドル遠征を取りやめ、イングランド側の交易禁止令を出すXII.47
1345年Aiguillon6月16日、エギヨン(原文では Aguglione)の守備隊が城外へ出てフランス軍の補給船2隻を奪うXII.47
1345年Aversaナポリ王アンドレア(19歳未満)がアヴェルサの王宮で側近たちに夜、絞殺される。王妃側が黒幕と目されるLI
1345年Florenceフィレンツェ最大の商社バルディが破産。イングランド王とシチリア王への貸付を回収できず、バルディの債務は56万5千フィオリーノ以上LV
1346年Florenceサンタ・トリニタ橋の再建が完成(1346年10月4日)。新しい橋脚で、2万フィオリーノXII.46
1346年Zadarヴェネツィア軍がザラ(原文では Giara)を海陸から総攻撃。一日中戦っても失敗し、ハンガリー王が接近すると陣へ退くLIX
1346年Aiguillon7月31日、イングランド軍が夜明けに奇襲してフランス軍を破る(騎士約400・歩兵2000が戦死または捕虜)。エギヨン城の包囲が解かれるLXI
1346年Liègeリエージュ司教と参事会・市民の間の内戦。城外の戦闘で司教軍が大敗し、司教はディナンへ逃げるLXII
1346年エドワード3世が艦隊でノルマンディーに上陸(7月10日出航、20日到着)。船の大半を帰すLibro XII, cap. LXIII 말미
1346年Caenカーン(原文では Camo)の戦い。イングランド軍がフランスのコンスタブル軍を破り、カーンを占領・略奪・放火し、貴族を多数捕らえるLibro XII, cap. LXIII 말미
1346年Poissyエドワード3世がポワシー(原文では Pusci)に木橋を架けてセーヌ川を強行渡河し、フランス軍の陣を焼くLibro XII, cap. LXV
1346年エドワード3世が夜にソンム川の浅瀬を渡り、朝、フランス側の伏兵部隊を奇襲して破るLibro XII, cap. LXVI
1346年Crécy-en-Ponthieuクレシーの戦い。フィリップ6世のフランス軍がイングランド軍の陣地を攻め、ジェノヴァの弩兵が押し返され、夕方まで交戦。ボヘミア王ヨハンら貴族が多数戦死Libro XII, cap. LXVII
1346年Amiensフィリップ6世が戦闘の夜、負傷したままアミアンへ逃げるLibro XII, cap. LXVII
1346年 〜 1347年Calaisエドワード3世がカレー(原文では Galese)の包囲を始める。陸と海を封鎖し、1347年夏まで続くLibro XII, cap. LXVIII
1346年Durhamスコットランド王デイヴィッド2世がイングランドに侵入するが、イングランド側の攻撃に敗走し、王と王子は捕虜としてロンドンへ送られるLibro XII, cap. LXXVI
1346年Bonnボヘミア王カールが教皇の承認を得てボンでローマ王に戴冠。選帝侯の多くは欠席Libro XII, cap. LXXVIII

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