ゲオルギオス・アクロポリテス『歴史』

ゲオルギオス・アクロポリテス『歴史』(正史 の史料)。扱う年は1203年 〜 1261年、出来事42件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年1203年 〜 1261年
出来事の数出来事42件・地図に置いた24件
著者Georgios Akropolites
原題Georgius Acropolita, Annales

地域の内訳: 南ヨーロッパ 25 · 西アジア 17

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1203年Constantinopolis第4回十字軍の軍勢がイサキオスの子アレクシオスを連れてコンスタンティノポリスに到着する。c.2 · L6752
1204年Constantinopolis十字軍は40日の包囲の末にコンスタンティノポリスを陥落させ、略奪する(4月)。c.4 · L6868-6870
1204年Constantinopolisアレクシオス5世ドゥーカスがアレクシオス4世を殺し、その娘エウドキアと結婚する。c.5 · L6901-6903
1204年Nicaeaテオドロス・ラスカリスはコンスタンティノポリスを出てニカイアへ行き、住民を説得して受け入れられる。c.6 · L6977-6978
1208年Nicaeaミカエル・アウトレイアノスがニカイアの専制君主ラスカリスに帝冠を授ける。c.7 · L7027-7028
1211年Antiochia ad Maeandrumアンティオキア近くのマイアンドロス川付近の戦いで、テオドロスがスルタンを討ち殺す。c.9-10 · L7241-7249
1212年Heraclea Ponticaテオドロスがダヴィドを破り、ヘラクレア、アマストリスなどを手に入れる。c.11 · L7278-7279
1222年Nicaeaヨハネス3世ヴァタツェスが即位する(テオドロスの死後、ニカイア)。c.22 · L8050
1225年Adrianopleテオドロス・コムネノスがアドリアノポリスを占領し、ラテン勢力を揺さぶる。c.24 · L8277
1230年Clocotinitza(본문 지명)クロコトニツァの戦いで、テオドロス・コムネノスがブルガリア・スキタイ軍に敗れ捕らえられる。c.25 · L8347-8348
1231年Constantinopolisエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌが海路で来て、コンスタンティノポリスに到着する。c.27 · L8455-8465
1232年Pegaeヨハネス3世がペガイへ向かう途中で厳寒の吹雪に遭い、300人近くが凍死する。c.41 · L9342-9353
1246年Philippi(본문 Philippos)ブルガリアの君主カリマン(カロヤン)が死ぬ(毒殺か病死か、本文は両説を併記)。c.44-45 · L9526-9529
1246年Serraeヨハネス3世が現地の総督ドラゴタスを買収し、セレスの城を得る。c.44 · L9592
1246年Thessalonicaヨハネス3世の軍がテッサロニキに入り、デメトリオスを追い出す(雪による攻撃の免除を誓う)。c.45 · L9986
1248年Rhodusニカイア側(ヨハネス・ガバラス)が、ジェノヴァの守備隊が守るロドス島の城を奇襲で取り戻す。c.48 · L10139-10231
1254年Nymphaeumヨハネス3世ヴァタツェスがニュンファイオンで死去する(62歳、在位33年)。L10782-10789
1254年Nymphaeumテオドロス2世ラスカリスが皇帝に即位し、フィラデルフィアへ行く。L10825-10827
1254年Stenimachusヨハネスの死後、ブルガリアのミハイル・アセンがかつてのマケドニア・トラキアの諸城を取り戻す。L10891-10894 · L10944-10961
1254年 〜 1258年Beroe皇帝はブルガリアが占領するベロエを最初の接近で陥とし、住民と家畜を略奪してアドリアノポリスへ戻る。c.56 · L11182-11184
1254年 〜 1258年Melenicumメレニコン軍の指揮官ドラゴタスがブルガリア側に寝返り、メレニコンの城壁を包囲する(皇帝を追う途中で死ぬ)。c.58 · L11266-11286
1254年 〜 1258年Bizyeディディモテイコン近くでローマの指揮官たちがスキタイの略奪隊と戦って敗走する。その後、皇帝が追撃し、ビゼ一帯で多数を殺戮する。c.61 · L11758-11760
1254年 〜 1258年Tzepaenaハンガリー王の娘婿ウロシュの仲介で皇帝とブルガリア君主が和約し、誓いで確定する。ブルガリアが占める城ツェパイナ1か所を皇帝に返す条件である。c.62 · L11806-11808
1254年 〜 1258年Prilapus専制君主ミカエルがアルバノンの指揮官カバロネスをおびき寄せて捕らえ、公然と裏切る(続いてプリラポス方面へ攻撃を試みるが撃退される)。c.68 · L12435-12442
1254年 〜 1258年Prilapum反乱側のミカエルがプリラポン城を守備隊の裏切りで陥とし、守備兵を捕虜にする。c.72 · L167–168
1255年Nicaeaテオドロス2世が修道士アルセニオスをニカイア総主教に立てるよう命じる(1週間以内に叙階)。L10887-10889
1258年테오도로 2세 사망지 (본문 불명)皇帝テオドロス2世が8月に死去する。在位4年足らずで、修道院(ソサンドラ)に葬られる。c.74 · L266–267
1258年テオドロス2世は遺言でムザロンを帝国全権の摂政に指名する(息子ヨハネス4世に代わって)。c.75 · L327–328
1258年Sosandrorum monasterium (소산드라 수도원 교회)ムザロンとその兄弟たちが、ソサンドラ修道院の聖堂で群衆に殺される。c.75 · L373–387
1258年 〜 1259年Nicaeaミカエル・コムネノスがニカイアへ行き、総主教アルセニオスから帝冠を受ける(史料表記の Michael Comnenus が後出のミカエルと同一人物かは本文だけでは不確か)。c.77 · L549–550
1259年 〜 1261年Deabolis (Deabolim)セバストクラトールのヨハネスがデアボリス城を包囲して降伏させる。c.80 · L840–842
1259年 〜 1261年Castoria (Kastoria)アカイア公がカストリアで捕虜となる。c.81 · L989–990
1259年 〜 1261年Platamone (Platamon)プラタモン付近の戦いで、マンフレッドの補助軍(約400騎)が撃破され、指揮官たちが捕虜となる。c.81 · L1014–1015
1259年 〜 1261年Arta (Árta)ストラテゴプロスとラウルがピンドス山脈を越えてアルタへ進軍し、アルタを占領する(後に情勢は逆転)。c.82 · L1068–1071
1259年 〜 1261年Ioannina (Ioánnina)ニケフォロスとその息子ヨハネス側がアルタ領の皇帝軍を追い出し、ヨアニナの包囲を解かせる。c.82 · L1111–1116
1259年 〜 1261年Lampsacus (Lapseki)皇帝ミカエルはランプサコスで冬を越し、春にコンスタンティノポリスへ向けて出発する。c.83 · L1153–1154
1259年 〜 1261年Galata (콘스탄티노폴리스 북안 구역)皇帝はコンスタンティノポリス北方のガラタに陣を張って攻撃の準備をし、内応者アセロスと連絡を取る。c.83 · L1189–1190
1259年 〜 1261年ラテン側の使節3人が和平を求め、皇帝は1年余りの休戦を認める。c.83 · L1201–1203
1261年Constantinopolisストラテゴプロスの部隊が夜、城壁の隙間から15人以上を入れる。c.85 · L1400–1402
1261年Constantinopolisストラテゴプロスとローマ軍がコンスタンティノポリスに入城し、ラテン人は逃げ、都市はローマ側に戻る(7月25日)。c.85 · L1455–1456
1261年Achyraum (아키라움)皇帝ミカエルはカラミの丘を越え、アキラウム付近に陣を張る。c.87 · L1631–1632
1261年Constantinopolis皇帝ミカエルは8月14日にコンスタンティノポリスに着き、ブラケルナイ近くのコスミディオン修道院に陣を張る。c.88 · L1675–1677

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