アンナ・コムネナ『アレクシアス』

アンナ・コムネナ『アレクシアス』(正史 の史料)。扱う年は1069年 〜 1118年、出来事106件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年1069年 〜 1118年
出来事の数出来事106件・地図に置いた76件
著者Anna Komnene
原題Ἀλεξιάς

地域の内訳: 南ヨーロッパ 63 · 西アジア 43

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1069年 〜 1070年十四歳のアレクシオスは、ディオゲネス皇帝のペルシア(トルコ)遠征に同行したいと望んだ。これが史書の最初の場面である。Dawes 1.1 (문장 3)
1075年 〜 1076年若いアレクシオスはフランク人の反乱者ウルセリオスを捕え、東方の情勢を数日で収拾した。Dawes 1.1 (문장 15)
1078年アレクシオスは伏兵の合図を出して、ブリエンニオスの軍を討たせた。反乱軍との最初の戦いである。Dawes 1.5 (문장 18)
1078年ブリエンニオスが捕えられたという知らせが伝令によって届き、本人が将軍の前に引き出された。Dawes 1.6 (문장 30)
1078年ブリエンニオス戦の直後、アレクシオスはすぐにバシラキオス討伐に出陣した(ヴァルダル川一帯)。Dawes 1.7 (문장 14)
1078年 〜 1079年Thessalonicaバシラキオスを捕えたアレクシオスは、テッサロニケに一時滞在して事後処理を行い、凱旋してコンスタンティノープルへ戻った。Dawes 1.9 (문장 17)
1080年Salernumサレルノでロベルトは、偽のミハイル(修道士ライクトル)を確保したという手紙を受け取った。Dawes 1.12 (문장 26)
1080年Beneventum教皇はローマを離れてベネヴェントへ来て、使節を介したのち、ロベルトと直接会見した。Dawes 1.13 (문장 20)
1080年 〜 1081年Cyzicusキュジコスがトルコ人に陥落し、皇帝はアレクシオスを呼び戻した。Dawes 2.3 (문장 1)
1081年Romeハインリヒはローマ進軍に乗り出し、ロベルトに同盟を求めた。Dawes 1.13 (문장 42)
1081年Hydruntumロベルトはヒドルントゥムからニコポリスへ渡り、ナウパクトスと周辺の要塞を狙う計画を立てた。Dawes 1.16 (문장 4)
1081年Constantinople夜明け前にコムネノス家が門を開け、家族を連れてコンスタンティノス広場へ出た。クーデターの開始である。Dawes 2.5 (문장 8)
1081年Constantinople反乱軍がブラケルナエの城門の錠を壊し、皇室の厩舎へ入った。Dawes 2.6 (문장 2)
1081年Hebrus riverアレクシオスは、ヘブロス川を渡ったばかりのトルコ兵と出会った。Dawes 2.6 (문장 34)
1081年Constantinople聖金曜日(第四インディクティオ、6589年4月)にコムネノス軍がコンスタンティノープルに入った。Dawes 2.10 (문장 17)
1081年Constantinopleパライオロゴスが艦隊で到着し歓声を上げ始めると、城壁上のコムネノス側は静かにするよう求めた。Dawes 3.2 (문장 3)
1081年Constantinopleアレクシオスは、総主教コスマスの右手によって、皇后抜きで戴冠された。Dawes 3.2 (문장 30)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)アレクシオスは義兄パライオロゴスをディラキウムへ送り、モノマカトスを追い払わせた。Dawes 3.9 (문장 18)
1081年アレクシオスは、アラマンニア(ドイツ)の王に繰り返し手紙を送り、ロベルトの牽制を求めた。Dawes 3.10 (문장 5)
1081年Nicaeaトルコ人はプロポンティス一帯に住み、スレイマンはニカイア周辺に陣を張った。アレクシオスは彼らと和約を結んだ。Dawes 3.11 (문장 2)
1081年嵐を生き延びた兵力でロベルトは目的を諦めず、対岸に到達した。Dawes 3.12 (문장 29)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)海と陸の両方から包囲されたディラキウムの住民は、ロベルトの大軍を見て意気消沈した。Dawes 4.1 (문장 3)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)激戦はロベルトの陣営内にまで広がり、多くの兵が追い散らされたり倒れたりした。Dawes 4.2 (문장 23)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)海戦でロベルトの側が逃げ出したため、ロベルトは全艦隊を陸に引き上げることにした。Dawes 4.3 (문장 4)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)同じ疫病がロベルトの騎兵隊にも広がり、多くが死んだ。グリキス川の陣営では食料が不足した。Dawes 4.3 (문장 11)
1081年Constantinople第四インディクティオの八月、アレクシオスはコンスタンティノープルを発ち、イサクに都の行政を任せた。Dawes 4.4 (문장 4)
1081年アレクシオスはカルチャネス川の近くに塹壕を備えた陣営を築き、ロベルトに使者を送って目的を尋ねた。Dawes 4.5 (문장 2)
1081年Dyrrachium (Epidamnus)ディラキウムの戦い。小規模な交戦の後、ロベルトはゆっくりと追い、その距離は縮まった。Dawes 4.6 (문장 18)
1082年Dyrrachium (Epidamnus)アマルフィ系の移住者にそそのかされ、ディラキウムの住民は城門を開き、ロベルトを迎え入れた。Dawes 5.1 (문장 5)
1082年 〜 1083年Larissaボエモンドはカストリアを出て、ラリサへ向かい、そこで冬を越そうとした。Dawes 5.5 (문장 11)
1082年Constantinople皇帝はブラケルナエ宮殿で教会会議を召集し、被告の立場で教会財産の没収を弁明した。Dawes 6.3 (문장 6)
1083年Larissa皇帝は自軍が逃げ、ボエモンドが無謀に追撃するのを見て、反撃の機会をつかんだ。Dawes 5.6 (문장 3)
1083年Castoriaカストリアの包囲。城壁が破られても町は降伏しなかったため、皇帝は別の手段を探した。Dawes 6.1 (문장 7)
1084年Romeロベルトはアラマンニア王を食い止めるため急いでローマへ行き、教皇の軍と合流した。Dawes 5.3 (문장 26)
1084年マニ教徒トラウロスの親族が、ベリアトヴァの丘にある村を占拠した。Dawes 6.4 (문장 9)
1084年Corfuロベルトはコルフ島で再び反乱したため、息子たちをブトリントに残し、艦隊を率いて渡った。Dawes 6.5 (문장 14)
1084年Cassope (Corfu)ヴェネツィア艦隊はパサリ港に錨を下ろしたが、ロベルトが来ると、カソペ港へ移動した。Dawes 6.5 (문장 18)
1085年Cephalonia妻ガイタは辛うじて臨終に間に合ったが、ロベルトは死んだ。Dawes 6.6 (문장 11)
1086年Nicaea皇帝はタティキオスを軍とともにニカイアへ送り、思慮深く戦うよう命じた。Dawes 6.10 (문장 7)
1086年 〜 1087年Nicaeaプロスーフが大軍でニカイアを包囲し、三か月持ちこたえた。Dawes 6.11 (문장 1)
1086年Apolloniasエルカネスがアポロニアスを包囲し、昼夜六日間の末、外壁を奪った。Dawes 6.13 (문장 4)
1086年Philippopolis皇帝はフィリッポポリス近く、ブリスノスのそばの川辺に陣を張った。Dawes 6.14 (문장 21)
1087年タゼルグは春にドナウ川上流の峠を越え、約八万の混成軍とともに侵入した。Dawes 7.1 (문장 1)
1087年激戦の末、タゼルグは致命傷を負って息絶えた。Dawes 7.1 (문장 10)
1087年戦列が崩れて兵が逃げ出すと、プロトストラトールは皇帝に、踏みとどまるなと告げた。Dawes 7.3 (문장 40)
1087年 〜 1088年コマンはスキタイを破り、オゾリムネの村へからくも逃げ込ませた。Dawes 7.5 (문장 6)
1088年Philippopolisスキタイがフィリッポポリスを奪い、皇帝は兵力が足りず、対抗できなかった。Dawes 7.6 (문장 17)
1088年Bulgarophygumブルガロフィゴンにいた皇帝は、精鋭の一部を割いて派遣した。Dawes 7.7 (문장 2)
1089年Chariopolisペチェネグがカリオポリスを通過し、アフロスを略奪しながら進んだ。Dawes 7.7 (문장 10)
1090年Methymnaツァハスに備えて、皇帝は兵を船で送り、メティムナを要塞化させた。Dawes 7.8 (문장 8)
1090年スキタイが町を包囲し、皇帝はいわば内側から包囲された形となった。Dawes 7.11 (문장 4)
1091年スキタイの服装と旗をまとった先遣部隊がディミリア平原に現れ、斥候は「スキタイが来る」と報告した。Dawes 8.2 (문장 6)
1091年Ainus皇帝はニコメディアからフランドル伯のフランク兵五百を呼び寄せ、コンスタンティノープルを発ってアイノスに着いた。Dawes 8.3 (문장 19)
1091年レブニオンの戦い。四月二十九日火曜日。スキタイは五月を見ずに終わったという歌が生まれた。Dawes 8.5 (문장 37)
1092年準備していたツァハスは、ただちにローマ軍と交戦した。Dawes 9.1 (문장 27)
1092年Creteドゥカスがカルパトス島に着いたという知らせに、クレタ人はカリケスを殺し、クレタを大公に明け渡した。Dawes 9.2 (문장 2)
1092年Cyrene = Kyrenia (Cyprus)艦隊が上陸し、キプロスのキレニアを初回の攻撃で奪った。ラプソマテスが備えを固めた。Dawes 9.2 (문장 4)
1093年Philippopolis皇帝は西方の事務を処理するため都を離れ、フィリッポポリスに着くと、ブルガリア大司教の手紙を受け取った。Dawes 8.7 (문장 7)
1093年Philippopolisセバストクラトール・イサキオスは知らせを聞き、二昼夜かけてフィリッポポリスへ駆けつけた。Dawes 8.8 (문장 1)
1094年皇帝は都の全軍を呼び集め、ダルマティアへ直ちに出発した。Dawes 9.5 (문장 2)
1094年Serresディオゲネスがセレス近くに陣を張り、皇帝もそこにいた。陰謀が発覚する直前であった。Dawes 9.7 (문장 10)
1094年ボルカノスは親族とツァパノイの族長を連れて来て、甥たちを人質として差し出した。Dawes 9.10 (문장 5)
1095年Anchialus皇帝はアンキアロスを占拠し、義兄メリセノスやパライオロゴスらを呼んで任務を与えた。Dawes 10.2 (문장 32)
1095年Adrianopleコマンはハドリアノポリスに至り、城外に陣を張った。Dawes 10.3 (문장 21)
1096年Helenopolisトルコ人の伏兵に遭った後、隠修士ペトロスはわずかな供を連れてヘレノポリスへ戻った。Dawes 10.5 (문장 69)
1096年 〜 1097年Constantinople皇帝は伯爵たちとゴドフロワを呼び、臣従の誓いをさせようとした。Dawes 10.9 (문장 8)
1097年Constantinopleラテン軍と皇帝側のあいだで戦闘が起き、双方に死傷者が出た。Dawes 10.9 (문장 46)
1097年Constantinople伯爵たちは都に着き、コスミディオン修道院の近くからヒエロンまで軍を配置した。Dawes 10.10 (문장 20)
1097年Constantinopleボエモンドが弁明すると、皇帝は冗談めかして、ディラキウムでの昔の敵対関係を思い出させた。Dawes 10.11 (문장 5)
1097年Nicaeaフランク軍は二手に分かれ、一隊はビテュニアとニコメディアを経由し、もう一隊は海を渡ってキボトスを経てニカイアへ向かった。Dawes 11.1 (문장 3)
1097年Nicaeaニカイア攻囲戦。タティキオスの兵が矢の雨を降らせ、フランク軍は城壁を破って投石した。Dawes 11.2 (문장 14)
1097年Nicaeaトルコ人は人質を交換し、急いで皇帝のもとへ移った。ニカイアは降伏した。Dawes 11.2 (문장 43)
1097年Doryleumドリュライオンの平原のトルコ人は、フランク軍の本隊が来たと思い込み、侮って先に交戦を始めた。Dawes 11.3 (문장 16)
1097年Smyrnaスミルナの住民は、カスパクスの艦隊とドゥカスの陸軍が到着するのを見た。Dawes 11.5 (문장 14)
1097年Ephesusドゥカスは艦隊をスミルナに残し、総督タングリペルメスとマラケスが守るエフェソスへ進軍した。Dawes 11.5 (문장 27)
1098年Antiochラテン軍は都の中に閉じ込められ、城塞の守備隊と城外の敵に両側から圧迫された。Dawes 11.4 (문장 33)
1098年Laodicea (Phrygia)ドゥカスがラオディケイアに着くと、住民は自ら出て来て降伏した。Dawes 11.5 (문장 38)
1099年Laodicea (Syria)チチチルケスがラオディケイアに入ると、ボエモンドの敵意が噴き出し、甥のタンクレードを送った。Dawes 11.7 (문장 33)
1099年Laodicea (Syria)タンクレードがラオディケイアを占拠したと聞き、皇帝はボエモンドに書簡を送った。Dawes 11.9 (문장 1)
1099年Attaliaブトゥミテスが全軍を率いてアタリアに到着した。Dawes 11.9 (문장 14)
1099年Cosピサの艦隊が通過したと聞くと、ローマ艦隊は錨を上げ、コスまで追跡し、夕方には島に着いた。Dawes 11.10 (문장 11)
1099年Rhodesローマ艦隊はセウトロス島に寄ってから、朝に出港し、ロードス港に入った。Dawes 11.10 (문장 23)
1099年 〜 1100年Laodicea (Syria)カンタクゼノスの兵が城壁から雪嵐のように矢を射かけ、接近するフランク人を退けた。Dawes 11.11 (문장 25)
1100年 〜 1118年Constantinopleボゴミル派の指導者バシレイオスの弟子たちのため、宮殿のツィキステリオンに火刑台が築かれた。Dawes 15.9 (문장 21)
1101年Ancyraノルマン軍はアンキラを強襲で奪い、ハリュス川を渡って小さな村に着いた。Dawes 11.8 (문장 10)
1101年トルコ人が陣営を急襲して荷物を奪い、歩兵を全滅させた。Dawes 11.8 (문장 21)
1104年ボエモンドは自分が死んだという噂を流し、棺とともにガレー船でスーダイを発った。Dawes 11.12 (문장 4)
1104年Mopsuestiaタンクレードはアンティオキアで大軍を二つに分け、半分は陸路でモプスエスティアへ、半分は船で送った。Dawes 12.2 (문장 12)
1105年Thessalonica皇帝は第十四インディクティオの九月にテッサロニケに到着した。Dawes 12.3 (문장 6)
1107年ボエモンドは四方から兵力と伯爵たちを集め、イリュリアへの渡海を急いだ。Dawes 12.1 (문장 6)
1107年Valonaヴァロナ海峡を守り、ヤソンの丘に斥候を置いて海を監視した。Dawes 12.8 (문장 28)
1107年Dyrrachium (Epidamnus)ボエモンドは戦闘隊形でエピダムノス(ディラキウム)へ進み、無血で落とせなければ攻城兵器で攻めるつもりだった。Dawes 13.2 (문장 11)
1107年 〜 1108年Dyrrachium (Epidamnus)ボエモンドの「蛮族」は塔の形をした巨大な攻城塔を組み立てた。Dawes 13.3 (문장 41)
1108年フランク軍はブーセス川の堤で一休みした後、夜明けの最初の光の前に奇襲をかけた。Dawes 13.6 (문장 22)
1108年Diabolis (Devol)ボエモンドはキリストの受難と福音書にかけて皇帝に誓った。デヴォル条約である。Dawes 13.12 (문장 81)
1109年Adramyttiumエウマティオスはアビュドスから海峡を渡り、アドラミティオンに着いた。Dawes 14.1 (문장 15)
1109年Smyrnaトルコ人はスミルナとニンファイオンの方へ追撃され、前後左右から攻められて完全に打ち破られた。Dawes 14.1 (문장 32)
1110年Callipolis足の痛みのため、皇帝は同行した皇后とともにカリオポリスで冬を越した。Dawes 14.4 (문장 2)
1113年Cyzicus伝令が報告したところによると、トルコ人はロパディオン一帯を略奪し、海側からキュジコスを初回の攻撃で奪ったという。Dawes 14.5 (문장 15)
1114年コマンがイステル川を渡ったという噂により、皇帝は第八インディクティオの十一月初めに動いた。Dawes 14.8 (문장 1)
1114年 〜 1115年皇帝はヴィディンに着いたが、コマンはすでに引き返していた。Dawes 14.9 (문장 3)
1116年Iconium皇帝はイコニオンまで進軍し、スルタンのスレイマンを決戦に引きずり出そうとした。Dawes 15.1 (문장 3)
1116年Doryleum皇帝はアルメノカストロンとレウカイを経由して、三日でドリュライオンの平原に到着した。Dawes 15.3 (문장 29)
1116年Polybotum皇帝は馬首を返し、ポリボトスへ進軍した。Dawes 15.4 (문장 6)
1116年Philomelium軍はフィロメリオンに着き、四方から捕虜を救出した。Dawes 15.7 (문장 6)
1118年Constantinople皇帝が息を引き取る直前、皇后が枕元に身を投げた。アレクシオスの死である。Dawes 15.11 (문장 94)

同じ時代の別の史料

地図で見る — アンナ・コムネナ『アレクシアス』を開く