明史 本紀(正史 の史料)。扱う年は1344年 〜 1644年、出来事250件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 1344年 〜 1644年 |
| 出来事の数 | 出来事250件・地図に置いた207件 |
| 著者 | 張廷玉 等 |
| 原題 | 明史 本紀 (卷1~24) |
地域の内訳: 中国 239 · 朝鮮半島 5 · 東南アジア 5 · モンゴル・草原 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 1344年 | 皇覺寺 | 旱蝗・大飢饉で父母と兄が相次いで死ぬと、十七歳の朱元璋は皇覚寺に入って僧となった。 | 明史 卷1 至正四年 |
| 1352年 | 濠州 | 定遠人の郭子興が濠州で挙兵し、閏三月には朱元璋が濠州に入って、その親兵となった。 | 明史 卷1 至正十二年 |
| 1353年 | 滁州 | 朱元璋は定遠を南方に平定し、李善長を得て、ともに滁州を陥れた。 | 明史 卷1 至正十三年 |
| 1355年 | 牛渚 | 巣湖の水軍で長江を渡り牛渚に至った。常遇春が先頭に立って占拠し、采石も陥落した。 | 明史 卷1 至正十五年 |
| 1355年 | 太平 | 舟を断って退路をなくし、太平を陥れ、納哈出を捕らえた。太平興國翼元帥府を置き、自ら元帥となった。 | 明史 卷1 至正十五年 |
| 1356年 | 集慶 | 集慶を陥れ、集慶路を応天府と改めた(後の南京)。 | 明史 卷1 至正十六年 |
| 1356年 | 應天 | 諸将が朱元璋を呉国公に推戴し、江南行中書省を設けた。 | 明史 卷1 至正十六年 |
| 1358年 | 婺州 | 朱元璋が自ら婺州(金華)を攻め、梅花門で石抹宜孫の援軍を大破。婺州は降伏し、厚孫が捕らえられた。 | 明史 卷1 至正十八年 |
| 1360年 | 龍灣 | 陳友諒が太平を陥れて漢帝を称し応天へ攻め込んだが、龍湾で伏兵と水陸の挟撃に大敗した。 | 明史 卷1 至正二十年 |
| 1363年 | 洪都 | 陳友諒が大軍で洪都(南昌)を包囲した。 | 明史 卷1 至正二十三年 |
| 1363年 | 鄱陽湖 | 朱元璋は洪都救援に出て、鄱陽湖で陳友諒と決戦した(康郎山・火攻)。八月、友諒は流れ矢に当たって死んだ。 | 明史 卷1 至正二十三年 |
| 1364年 | 應天 | 李善長らの勧めにより、朱元璋は呉王に即位し、百官を置いた。 | 明史 卷1 至正二十四年 |
| 1364年 | 武昌 | 朱元璋が再び武昌を征伐し、陳理が降伏して、漢・沔・荊・岳がすべて陥落した。 | 明史 卷1 至正二十四年 |
| 1367年 | 平江 | 徐達が平江を陥れ、張士誠を捕らえて呉の地を平定した。 | 明史 卷1 至正二十七年 |
| 1367年 | 應天 | 徐達を征虜大将軍、常遇春を副将軍とし、二十五万を率いて淮から河に入り北伐した。まず山東を取る戦略である。 | 明史 卷1 至正二十七年 |
| 1367年 | 慶元 | 湯和が慶元を陥れ、方国珍は海へ逃げたが十二月に降伏し、浙東が平定された。 | 明史 卷1 至正二十七年 |
| 1367年 | 福州 | 湯和と廖永忠が海路で福州を陥れた。 | 明史 卷1 至正二十七年 |
| 1368年 | 應天 | 朱元璋は南郊で天地を祀り、皇帝に即位した。国号は明、年号は洪武と定めた。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 延平 | 湯和が延平を陥れ、元の平章・陳友定を捕らえ、福建を平定した。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 南陽 | 鄧愈が南陽を陥れた。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 廣州 | 廖永忠が広州に至ると、元の守臣・何真が降伏し、広東が平定された。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 洛陽 | 徐達・常遇春が洛水の北で元軍を大破し、河南(洛陽)を包囲した。梁王アルウェンが降伏した。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 潼關 | 馮勝が潼関を陥れ、李思斉・張思道は逃走した。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 通州 | 常遇春が徳州・通州を次々と破り、元の順帝トゴン・テムルは上都へ逃げた。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 南京 | 応天を南京、開封を北京とした。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 大都 | 徐達が元の都(大都)に入り、府庫と図書を封じ、兵の略奪を禁じた。大都路を北平府と改めた。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1368年 | 太原 | 徐達が太原を陥れ、擴廓帖木児は甘粛へ逃れ、山西が平定された。 | 明史 卷2 洪武元年 |
| 1369年 | 奉元 | 徐達が奉元(西安)に至ると、張思道が逃げた。 | 明史 卷2 洪武二年 |
| 1369年 | 開平 | 常遇春が開平を陥れ、元帝は北へ逃げた。 | 明史 卷2 洪武二年 |
| 1369年 | 慶陽 | 徐達が慶陽を陥れ、張良臣を斬って陝西を平定した。 | 明史 卷2 洪武二年 |
| 1369年 | 臨濠 | 臨濠を中都とした。 | 明史 卷2 洪武二年 |
| 1370年 | 南京 | 諸子を秦・晋・燕・呉・楚・斉・譚・趙・魯王に封じた(燕王朱棣を含む)。 | 明史 卷2 洪武三年 |
| 1370年 | 沈兒峪 | 徐達が沈児峪で擴廓帖木児を大破し、擴廓は和林へ逃げた。 | 明史 卷2 洪武三年 |
| 1370年 | 應昌 | 李文忠が応昌を陥れ、元の嗣君は北へ逃げ、その子マディリバラと五万余人が降伏した。 | 明史 卷2 洪武三年 |
| 1371年 | 遼陽 | 元の平章・劉益が遼東を挙げて降伏した。 | 明史 卷2 洪武四年 |
| 1371年 | 重慶 | 湯和が重慶に至ると、夏の明昇が降伏した。 | 明史 卷2 洪武四年 |
| 1371年 | 成都 | 傅友徳が成都を陥れ、四川を平定した。 | 明史 卷2 洪武四年 |
| 1372年 | 和林 | 徐達が嶺北で元軍と戦って敗れた。 | 明史 卷2 洪武五年 |
| 1372年 | 瓜州 | 馮勝が甘粛を陥れ、瓜州・沙州で元軍を追撃して破った。 | 明史 卷2 洪武五年 |
| 1380年 | 南京 | 左丞相の胡惟庸が謀反の罪で処刑され、中書省が廃止されて丞相の職も廃された。 | 明史 卷2 洪武十三年 |
| 1380年 | 北平 | 燕王朱棣が北平の封国へ行った。 | 明史 卷2 洪武十三年 |
| 1381年 | 北黃河 | 徐達が辺境の外、北黄河まで出て元軍を破った。 | 明史 卷2 洪武十四年 |
| 1381年 | 雲南 | 傅友徳を征南将軍、藍玉・沐英を副将軍として、雲南征伐に出陣させた。 | 明史 卷2 洪武十四年 |
| 1381年 | 曲靖 | 傅友徳が白石江で元軍を大破し、曲靖を陥れた。梁王バザラワルミは自殺した。 | 明史 卷2 洪武十四年 |
| 1382年 | 昆明 | 曲靖・中慶・澂江・武定などがすべて降伏し、雲南が平定された。 | 明史 卷3 洪武十五年 |
| 1382年 | 大理 | 藍玉・沐英が大理を陥れ、鶴慶・麗江・金歯に分かれて進軍し、いずれも平定した。 | 明史 卷3 洪武十五年 |
| 1382年 | 耽羅 | 元の梁王と威順王の家族を耽羅(済州)へ移した。 | 明史 卷3 洪武十五年 |
| 1385年 | 南京 | 魏国公の徐達が死去した(洪武十八年二月)。 | 明史 卷3 洪武十八年 |
| 1387年 | 大寧 | 馮勝が松亭関を出て、大寧・寛河・会州・富峪に城を築いた。 | 明史 卷3 洪武二十年 |
| 1387年 | 金山 | 馮勝が金山を越えると、納哈出が降伏した。 | 明史 卷3 洪武二十年 |
| 1388年 | 捕魚兒海 | 藍玉が捕魚児海で元の嗣君を奇襲して大破し、次子の地保奴と妃主・王公以下数万人を捕らえた。 | 明史 卷3 洪武二十一年 |
| 1389年 | 兀良哈 | 兀良哈に泰寧・朵顔・福余の三衛を置いた。 | 明史 卷3 洪武二十二年 |
| 1390年 | 迤都 | 燕王朱棣の軍が迤都に至ると、咬住らが降伏した。 | 明史 卷3 洪武二十三年 |
| 1392年 | 南京 | 皇太子朱標が死去した(九月、皇孫の朱允炆を皇太孫とした)。 | 明史 卷3 洪武二十五年 |
| 1392年 | 朝鮮 | 李成桂が高麗王瑶を幽閉して自立し、国号を朝鮮と改めさせた。 | 明史 卷3 洪武二十五年 |
| 1393年 | 南京 | 涼国公の藍玉が謀反の嫌疑で処刑され、連座した功臣は多かった。 | 明史 卷3 洪武二十六年 |
| 1394年 | 南京 | 潁国公の傅友徳が罪により処刑された。 | 明史 卷3 洪武二十七年 |
| 1395年 | 越州 | 西平侯の沐春が阿資を捕らえて斬り、越州を平定した。 | 明史 卷3 洪武二十八年 |
| 1395年 | 南京 | 宋国公の馮勝が罪により処刑された。 | 明史 卷3 洪武二十八年 |
| 1396年 | 徹徹兒山 | 燕王が徹徹児山で敵を破り、兀良哈禿城まで追撃した。 | 明史 卷3 洪武二十九年 |
| 1398年 | 南京 | 朱元璋が西宮で崩じた(享年七十一)。皇太孫允炆の即位を遺詔で定めた。 | 明史 卷3 洪武三十一年 |
| 1398年 | 南京 | 皇太孫朱允炆(建文帝)が即位し、翌年を建文元年とした。 | 明史 卷4 洪武三十一年 |
| 1399年 | 北平 | 燕山護衛の百戸・倪諒が燕王の不穏な動きを告発し、燕王府の官僚を逮捕する命が下った。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 北平 | 燕王朱棣が挙兵し(靖難)、北平布政使の張昺・都司の謝貴を殺した。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 薊州 | 燕軍が薊州を陥れ、馬宣が戦死した。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 居庸關 | 燕軍が居庸関を陥れた。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 懷來 | 燕軍が懐来を陥れ、宋忠・兪瑱が捕らえられて殺された。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 雄縣 | 燕軍が雄県を陥れ、月漾橋で潘忠・楊松が捕らえられ、鄚州も陥落した。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 真定 | 耿炳文が滹沱河の北で燕軍に敗れ、真定へ退いて守った。燕軍は攻めたが退いた。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 大寧 | 燕軍は劉家口の抜け道から大寧を奇襲して陥れ、寧王朱権と朵顔三衛の兵を北平へ連れ帰った。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 北平 | 李景隆が北平を包囲すると、燕軍が引き返して救援した。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 鄭村壩 | 李景隆が鄭村壩で燕軍に敗れて徳州へ逃げ、諸軍は全滅した。 | 明史 卷4 建文元年 |
| 1399年 | 會州 | 燕軍は大寧で寧王と朵顔三衛の兵を収めて会州に至り、五軍を編成した(張玉が中軍、朱能が左軍など)。 | 明史 卷5 建文元年 |
| 1400年 | 白溝河 | 白溝河で李景隆は初めは勝ったが、翌日大敗し、瞿能らが戦死した。 | 明史 卷4 建文二年 |
| 1400年 | 濟南 | 燕軍が徳州を陥れて済南を攻め、城下で李景隆が敗れて南へ逃げた。 | 明史 卷4 建文二年 |
| 1400年 | 濟南 | 盛庸・鉄鉉が燕軍を破り、済南の包囲が解け、徳州が奪回された。 | 明史 卷4 建文二年 |
| 1400年 | 東昌 | 盛庸が東昌で燕軍を破り、その将・張玉を斬った。 | 明史 卷4 建文二年 |
| 1400年 | 蔚州 | 燕軍が蔚州を陥れた。 | 明史 卷5 建文二年 |
| 1400年 | 大同 | 燕王は大同まで進み、李景隆を紫荊関から誘い出した後、居庸へ引き返した。 | 明史 卷5 建文二年 |
| 1400年 | 滄州 | 燕王は遼東を攻めると偽って昼夜南下し、滄州で徐凱を捕らえて城を破った。降伏した兵卒三千を生き埋めにした。 | 明史 卷5 建文二年 |
| 1401年 | 夾河 | 盛庸が夾河で燕軍に勝ち譚淵を斬ったが、翌日敗れて徳州へ逃げた。 | 明史 卷4 建文三年 |
| 1401年 | 藁城 | 呉傑・平安が藁城で燕軍に敗れ、真定へ戻って守った。 | 明史 卷4 建文三年 |
| 1402年 | 沛縣 | 燕軍は東阿・東平・汶上・兗州・済陽を次々と陥れ、沛県を破壊した。 | 明史 卷4 建文四年 |
| 1402年 | 靈璧 | 霊璧で大会戦があり、官軍が敗れて陳暉・平安らが捕らえられた。 | 明史 卷4 建文四年 |
| 1402年 | 揚州 | 燕軍が淮水を渡って揚州へ向かい、王礼らが投降した。 | 明史 卷4 建文四年 |
| 1402年 | 高資港 | 燕軍が長江を渡り、盛庸が高資港で敗れた。鎮江の守将・童俊は降伏した。 | 明史 卷4 建文四年 |
| 1402年 | 南京 | 燕軍が金川門を攻め、谷王朱橞と李景隆が門を開いて都が陥落。宮中に火が出て、皇帝は行方が分からなくなった。 | 明史 卷4 建文四年 |
| 1402年 | 館陶 | 燕軍は館陶で河を渡って南下し、続いて徐州を巡視した。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 淝河 | 燕王が淝河に伏兵を置き、平安の四万騎を大破した。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 齊眉山 | 斉眉山の麓で大戦が行われた。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 泗州 | 燕軍が泗州を陥れて祖陵を参拝し、続いて盱眙を陥れた。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 瓜州 | 燕軍は瓜州で長江を渡り、盛庸の海艘水軍が敗れた。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 鎮江 | 燕軍が鎮江を陥れた。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 南京 | 朱棣は孝陵を参拝し、奉天殿で皇帝(成祖)に即位した。方孝孺ら奸臣を名指しし、続いて族滅した。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1402年 | 南京 | この年を洪武三十五年、翌年を永楽元年と紀年し、建文期に改めた法をすべて旧制に戻すとの詔。 | 明史 卷5 建文四年 |
| 1403年 | 北平 | 北平を北京とした。 | 明史 卷6 永樂元年 |
| 1403年 | 順天 | 北京に留守行後軍都督府・行部・国子監を設け、北平を順天府と改めた。 | 明史 卷6 永樂元年 |
| 1404年 | 南京 | 子の朱高熾を皇太子、朱高煦を漢王、朱高燧を趙王に封じた。 | 明史 卷6 永樂二年 |
| 1405年 | 西洋 | 宦官の鄭和が艦隊を率いて西洋諸国へ使節として向かった(第一次下西洋。史料に出発地の記載なし)。 | 明史 卷6 永樂三年 |
| 1406年 | 安南 | 朱能を征夷将軍とし、沐晟・張輔を副将軍として安南を征伐させた。黎季犛父子を処断し、陳氏の後裔を擁立するとの詔。 | 明史 卷6 永樂四年 |
| 1406年 | 北京 | 翌年五月に北京の宮殿建設を始めるとの詔。四川・湖広などで木材を採取させた。 | 明史 卷6 永樂四年 |
| 1406年 | 嘉林江 | 張輔が嘉林江で安南軍を大破し、東都・西都を次々と陥れた。 | 明史 卷6 永樂四年 |
| 1407年 | 河內 | 張輔が黎季犛・黎蒼を捕らえて京師に献上し、安南を平定した(六月、交阯布政司を設置)。 | 明史 卷6 永樂五年 |
| 1408年 | 生厥江 | 沐晟が生厥江で簡定と戦って敗れ、劉儁らが戦死した。 | 明史 卷6 永樂六年 |
| 1409年 | 北京 | 皇帝は二月に京師を発って北巡し、三月に北京に到着した。 | 明史 卷6 永樂七年 |
| 1409年 | 臚朐河 | 丘福が臚朐河で大敗し、丘福らが戦死した。 | 明史 卷6 永樂七年 |
| 1410年 | 北京 | 皇帝が自ら北征に出て北京を発した。 | 明史 卷6 永樂八年 |
| 1410年 | 斡難河 | 飲馬河を渡り、斡難河で本雅失里を大破した。本雅失里は七騎で逃げた。 | 明史 卷6 永樂八年 |
| 1410年 | 飲馬河 | 阿魯台が偽って降伏した後に攻めてきたため、皇帝自ら旌旗を率いて大破し、百余里を追撃した。 | 明史 卷6 永樂八年 |
| 1410年 | 北京 | 親征から帰還し、北京の奉天殿で朝賀を受けた。 | 明史 卷6 永樂八年 |
| 1413年 | 北京 | 皇帝が北京へ行幸し、皇太孫の朱瞻基が同行した。 | 明史 卷6 永樂十一年 |
| 1414年 | 老撾 | 張輔が陳季擴を老撾で捕らえて献上し、交阯を平定した。 | 明史 卷7 永樂十二年 |
| 1414年 | 忽蘭忽失溫 | 忽蘭忽失温で馬哈木の攻撃を大破し、土剌河まで追撃した。馬哈木は夜に逃げた。 | 明史 卷7 永樂十二年 |
| 1416年 | 北京 | 北京の造営について、群臣に議論させるよう詔が出た。 | 明史 卷7 永樂十四年 |
| 1417年 | 樂安 | 漢王高煦を楽安州へ移して封じた。 | 明史 卷7 永樂十五年 |
| 1419年 | 望海堝 | 劉江が望海堝で倭寇を殲滅し、広寧伯に封じられた。 | 明史 卷7 永樂十七年 |
| 1420年 | 蒲臺 | 蒲台の女・唐賽児が反乱し、柳升が討伐した(三月、唐賽児は逃走)。 | 明史 卷7 永樂十八年 |
| 1420年 | 北京 | 北京の郊廟・宮殿が完成した。九月、翌年から北京を京師とし、京師を南京とするとの詔。 | 明史 卷7 永樂十八年 |
| 1421年 | 北京 | 奉天・華蓋・謹身の三殿が焼けた。 | 明史 卷7 永樂十九年 |
| 1422年 | 北京 | 阿魯台が興和を侵すと、皇帝は自ら親征して北京を発った。 | 明史 卷7 永樂二十年 |
| 1422年 | 屈裂兒河 | 屈裂児河で皇帝自ら兀良哈を撃破し、三十里追撃した。 | 明史 卷7 永樂二十年 |
| 1423年 | 宣府 | 再び阿魯台を親征するため京師を発し、宣府に至った。 | 明史 卷7 永樂二十一年 |
| 1424年 | 榆木川 | 北征からの帰途、榆木川で崩じた(享年六十五)。六軍が外にいたため秘して、遺体を載せて帰還した。 | 明史 卷7 永樂二十二年 |
| 1424年 | 北京 | 皇太子朱高熾(仁宗)が即位し、翌年を洪熙元年とし、西洋の宝船の派遣を停止した。 | 明史 卷8 永樂二十二年 |
| 1424年 | 茶籠州 | 交阯で方政が茶籠州において黎利と戦って敗れ、伍雲が戦死した。 | 明史 卷8 永樂二十二年 |
| 1425年 | 北京 | 南京へ還都しようとして、北京の諸司を行在と称させた。 | 明史 卷8 洪熙元年 |
| 1425年 | 北京 | 仁宗が欽安殿で崩じた(享年四十八)。 | 明史 卷8 洪熙元年 |
| 1425年 | 良鄉 | 太子朱瞻基は良郷で遺詔を受け、入宮して発喪し、後に即位した(宣宗)。 | 明史 卷9 洪熙元年 |
| 1426年 | 樂安 | 漢王朱高煦が反乱すると、皇帝は親征して楽安に至り、降伏させた。 | 明史 卷9 宣德元年 |
| 1427年 | 倒馬坡 | 柳升が倒馬坡で伏兵に遭って戦死し、軍は壊滅した。 | 明史 卷9 宣德二年 |
| 1427年 | 交阯 | 王通が交阯を捨てて黎利と盟約を結んだ。 | 明史 卷9 宣德二年 |
| 1428年 | 喜峰口 | 皇帝が自ら喜峰口を出て、寛河で兀良哈を大破した。 | 明史 卷9 宣德三年 |
| 1435年 | 北京 | 宣宗が乾清宮で崩じた(享年三十八)。 | 明史 卷9 宣德十年 |
| 1435年 | 北京 | 宣宗の死後、英宗(朱祁鎮、九歳)が即位し、翌年を正統元年とした。 | 明史 卷10 宣德十年 |
| 1439年 | 麓川 | 正統四年(1439)、方政は雲南西部の麓川反乱軍を大寨で破り、空泥まで追撃したが戦死した。 | 明史 卷10 正統四年 |
| 1441年 | 北京 | 乾清・坤寧の二宮と奉天・華蓋・謹身の三殿が完成し、北京を都と定め、諸司は行在の称を使わなくなった。 | 明史 卷10 正統六年 |
| 1441年 | 麓川 | 王驥が麓川を陥れ、思任発は孟養へ逃げた。 | 明史 卷10 正統六年 |
| 1449年 | 延平 | 御史の丁瑄・指揮の劉福が延平で福建の反乱の首謀者・鄧茂七を斬り殺した。 | 明史 卷10 正統十四年 |
| 1449年 | 北京 | 瓦剌のエセンが大同を侵すと、吏部尚書の王直らの反対にもかかわらず、皇帝は親征を決めた。郕王が北京を守った。 | 明史 卷10 正統十四年 |
| 1449年 | 大同 | 親征軍は大同に到達したが、鎮守太監の郭敬が回軍を進言し、まもなく引き返した。 | 明史 卷10 正統十四年 |
| 1449年 | 鷂兒嶺 | 成国公朱勇・永順伯薛綬が鷂児嶺で伏兵に遭い、全軍が全滅した。 | 明史 卷10 正統十四年 |
| 1449年 | 土木 | 英宗の本陣が土木で包囲され、翌日壊滅して数十万が死に、皇帝は捕らえられた(土木の変)。 | 明史 卷10 正統十四年 |
| 1449年 | 北京 | 郕王朱祁鈺(景帝)が即位し、英宗を太上皇帝に推し、翌年を景泰元年とした。 | 明史 卷11 正統十四年 |
| 1449年 | 紫荊關 | 也先が紫荊関を陥れ、孫祥が戦死したため、京師に戒厳令が敷かれた。 | 明史 卷11 正統十四年 |
| 1449年 | 北京 | 也先が都に迫ったが、彰義門で撃退された。于謙・石亨らが城下で繰り返し破ると、敵は退いた(北京保衛戦)。 | 明史 卷11 正統十四年 |
| 1450年 | 北京 | 上皇(英宗)が瓦剌から帰還し、東安門で皇帝の出迎えを受け、南宮に居を定めた。 | 明史 卷11 景泰元年 |
| 1457年 | 北京 | 石亨・徐有貞らが上皇を迎えて復位させた(奪門の変)。 | 明史 卷11 景泰八年 |
| 1457年 | 北京 | 石亨・張軏・徐有貞・曹吉祥が南宮の英宗を迎え、奉天殿で復位させ、景泰八年を天順元年と改めた。 | 明史 卷12 天順元年 |
| 1457年 | 北京 | 兵部尚書の于謙と大学士の王文を処刑し、家産を没収した。 | 明史 卷12 天順元年 |
| 1459年 | 安邊營 | 石彪・楊信が安辺営で孛来を破った(周賢・李鑑が戦死)。 | 明史 卷12 天順三年 |
| 1461年 | 北京 | 曹吉祥・曹欽が反乱し、孫鏜が討伐して曹吉祥を磔にし、一族を滅ぼした。 | 明史 卷12 天順五年 |
| 1464年 | 北京 | 英宗が崩じた(享年三十八)。 | 明史 卷12 天順八年 |
| 1464年 | 北京 | 憲宗(朱見深)が即位し、翌年を成化元年とした。 | 明史 卷13 天順八年 |
| 1465年 | 大藤峽 | 韓雍が大藤峡の瑤族を大破し、峡の名を「断藤」と改めた。 | 明史 卷13 成化元年 |
| 1466年 | 南漳 | 朱永が南漳で荊・襄の反乱の首謀者・劉通を破り捕らえた。 | 明史 卷13 成化二年 |
| 1468年 | 開城 | 項忠が開城(固原一帯)の反乱の首謀者・満俊を捕らえ、京師へ送って処刑した。 | 明史 卷13 成化四年 |
| 1470年 | 延綏 | 王越が延綏の東路で河套の阿羅出を破った。 | 明史 卷13 成化六年 |
| 1471年 | 襄陽 | 荊・襄の流民の反乱が平定され、140余万人が生業に復帰した。 | 明史 卷13 成化七年 |
| 1473年 | 哈密 | 土魯番の速檀阿力が哈密を破り、占拠した。 | 明史 卷13 成化九年 |
| 1473年 | 紅鹽池 | 王越が紅塩池で満都魯・孛羅忽・癿加思蘭を大破し、諸部は河套の外へ退いた。 | 明史 卷13 成化九年 |
| 1476年 | 鄖陽 | 鄖陽府を設置し、行都司・衛所を置いて荊襄の流民を受け入れた。 | 明史 卷14 成化十二年 |
| 1477年 | 北京 | 西廠を設置し、太監の汪直が関門の偵察を統括した。 | 明史 卷14 成化十三年 |
| 1480年 | 威寧海子 | 王越が威寧海子で亦思馬因を急襲して破った。 | 明史 卷14 成化十六年 |
| 1482年 | 哈密 | 罕慎が哈密城を奪回した。 | 明史 卷14 成化十八年 |
| 1483年 | 大同 | 迤北の小王子が大同を侵し、防いだ許寧は敗れた。 | 明史 卷14 成化十九年 |
| 1487年 | 北京 | 憲宗が崩じた(享年四十一)。 | 明史 卷14 成化二十三年 |
| 1487年 | 北京 | 孝宗(朱祐樘)が即位し、翌年を弘治元年とした。 | 明史 卷15 成化二十三年 |
| 1488年 | 蘭州 | 小王子が蘭州を侵し、都指揮の廖斌が撃破した。 | 明史 卷15 弘治元年 |
| 1488年 | 哈密 | 土魯番が忠順王の罕慎を殺し、再び哈密を占拠した。 | 明史 卷15 弘治元年 |
| 1498年 | 賀蘭山 | 総制三辺の王越が賀蘭山の後ろから小王子を奇襲して破った。 | 明史 卷15 弘治十一年 |
| 1500年 | 大同 | 火篩が大同左衛を大挙して侵したが、遊撃将軍の張俊が防ぎきった。 | 明史 卷15 弘治十三年 |
| 1501年 | 河套 | 朱暉・史琳が河套で小王子を急襲した。 | 明史 卷15 弘治十四年 |
| 1505年 | 靈州 | 小王子の諸部が霊州を包囲し、花馬池に入り、韋州・環県を略奪した。 | 明史 卷15 弘治十八年 |
| 1505年 | 北京 | 孝宗が乾清宮で崩じた(享年三十六)。 | 明史 卷15 弘治十八年 |
| 1505年 | 北京 | 武宗(朱厚照)が即位し、翌年を正徳元年とした。 | 明史 卷16 弘治十八年 |
| 1506年 | 北京 | 韓文・劉健らが宦官の馬永成ら八人の処刑を求めたが許されず、劉瑾が司礼監を掌握した。 | 明史 卷16 正德元年 |
| 1508年 | 北京 | 内廠を立て、劉瑾に率いさせた。 | 明史 卷16 正德三年 |
| 1510年 | 寧夏 | 安化王朱寘鐇が寧夏で反乱し、巡撫の安惟学・総兵の姜漢を殺した(まもなく仇鉞が捕らえた)。 | 明史 卷16 正德五年 |
| 1510年 | 北京 | 劉瑾が処刑された。 | 明史 卷16 正德五年 |
| 1512年 | 霸州 | 河北の反乱軍(劉六ら)が覇州を侵し、京師に戒厳令が敷かれた。 | 明史 卷16 正德七年 |
| 1512年 | 光山 | 仇鉞が光山で反乱軍を破り、河南の反乱を平定した。 | 明史 卷16 正德七年 |
| 1517年 | 應州 | 小王子が陽和を侵し応州を略奪すると、皇帝が自ら指揮して五日間戦った(応州の戦い)。 | 明史 卷16 正德十二年 |
| 1519年 | 南昌 | 寧王朱宸濠が反乱し、巡撫の孫燧らが死んだ。南康・九江が相次いで陥落した。 | 明史 卷16 正德十四年 |
| 1519年 | 樵舍 | 王守仁が樵舎で朱宸濠を破って捕らえた。 | 明史 卷16 正德十四年 |
| 1521年 | 北京 | 武宗が豹房で崩じた(享年三十一)。 | 明史 卷16 正德十六年 |
| 1521年 | 安陸 | 武宗が後嗣なく死ぬと、慈寿皇太后と楊廷和は遺詔により、興王(朱厚熜)を興邸から迎えると定めた(世宗即位、嘉靖)。 | 明史 卷17 正德十六年 |
| 1523年 | 大同 | 俺答(アルタン・ハーン)が大同を侵した。史料に俺答が初めて現れる項目である。 | 明史 卷17 嘉靖二年 |
| 1524年 | 北京 | 大礼の議の結果、孝宗を皇伯考、興献王を皇考と定めた。 | 明史 卷17 嘉靖三年 |
| 1524年 | 肅州 | 土魯番が侵入して粛州を包囲し、兵部尚書の金献民が総制となった。 | 明史 卷17 嘉靖三年 |
| 1527年 | 田州 | 王守仁が両広・江西・湖広の軍務を総制し、田州の反乱を討伐しに向かった。 | 明史 卷17 嘉靖六年 |
| 1538年 | 河內 | 仇鸞・毛伯温を派遣して安南の莫登庸を討とうとした。 | 明史 卷17 嘉靖十七年 |
| 1541年 | 石州 | 俺答が山西を侵し、石州に入った。 | 明史 卷17 嘉靖二十年 |
| 1542年 | 太原 | 俺答が朔州を侵し、雁門関を越えて太原を攻めた。 | 明史 卷17 嘉靖二十一年 |
| 1542年 | 北京 | 宮人らが皇帝を害そうとして処刑された(壬寅宮変)。端妃曹氏・寧嬪王氏は磔にされた。 | 明史 卷17 嘉靖二十一年 |
| 1550年 | 古北口 | 俺答が大挙して侵入し古北口を攻め、薊鎮の兵が崩れた(庚戌の変)。 | 明史 卷18 嘉靖二十九年 |
| 1550年 | 北京 | 俺答が通州を略奪し白河に駐屯、続いて都城に迫り京師に戒厳令が敷かれた(史料は北京を「都城」と記す)。 | 明史 卷18 嘉靖二十九年 |
| 1555年 | 王江涇 | 張経・兪大猷が王江涇で倭寇を大破した。 | 明史 卷18 嘉靖三十四年 |
| 1555年 | 南京 | 倭寇が南陵を陥れ、蕪湖・太平を略奪した後、南京を犯した。 | 明史 卷18 嘉靖三十四年 |
| 1560年 | 豐州 | 大同総兵の劉漢が豊州で俺答を急襲して破った。 | 明史 卷18 嘉靖三十九年 |
| 1563年 | 平海衞 | 戚継光が平海衛で倭寇を破った。 | 明史 卷18 嘉靖四十二年 |
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