宋書 本紀

宋書 本紀(正史 の史料)。扱う年は420年 〜 479年、出来事150件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年420年 〜 479年
出来事の数出来事150件・地図に置いた114件
著者沈約
原題宋書

地域の内訳: 中国 149 · 東南アジア 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
420年建康劉裕が建康の南郊に壇を築き皇帝に即位して宋を建て、晋の皇帝は零陵王に封じられた。宋書 卷3 永初1年 6月
420年彭城郷里の彭城一帯(彭城・沛・下邳の三郡)の租税を三十年間免じる詔が下された。宋書 卷3 永初1年 8月
420年高句麗王高璉を征東大将軍に、百済王扶余映を鎮東大将軍に進めた。宋書 卷3 永初1年 7月
422年京城亡命者の刁彌が京城を襲って入ったが、太尉府司馬の陸仲元が討って首を斬った。宋書 卷3 永初3年 3月
422年仇池仇池公の楊盛を武都王に封じた。宋書 卷3 永初3年 4月
422年建康武帝は西殿で崩じた(享年六十)。宋書 卷3 永初3年 5月
422年建康太子の劉義符が即位し(少帝)、大赦を行った。宋書 卷4 永初3年 5月
422年滑臺北魏軍が滑台を陥落させた。宋書 卷4 永初3年 12月
423年金墉北魏の将軍達奚卬が金墉を破って虎牢を包囲し、毛徳祖は一時撃退したが、敵は再び集結した。宋書 卷4 景平1年 1月
423年許昌豫州刺史の劉粹が許昌を襲撃し、北魏の潁川太守庾龍を殺した。宋書 卷4 景平1年 3月
423年臨朐檀道済が北伐し、臨朐に留まって敵の攻城器具を焼いた。宋書 卷4 景平1年 4月
423年虎牢北魏軍が虎牢を陥落させ、司州刺史の毛徳祖を捕らえて連れ去った。宋書 卷4 景平1年 4月
423年北魏の君主拓跋嗣が崩じ、子の拓跋燾(太武帝)が即位した。宋書 卷4 景平1年 10月
424年新安零陵王の劉義真を庶人に落として新安県に移し、執政者が使者を遣わして新安で殺害させた。宋書 卷4 景平2年 2月
424年建康皇太后の令により少帝を営陽王に落とし、宜都王の劉義隆を迎えることにした。宋書 卷4 景平2年 5月
424年吳郡廃位された少帝を呉郡に幽閉した。宋書 卷4 景平2年 5月
424年金昌亭徐羨之らは中書舎人の邢安泰に命じ、金昌亭で少帝を殺させた(享年十九)。宋書 卷4 景平2年 6月
424年江陵少帝の廃位後、百官は行台を率いて宜都王のいる江陵に至り、新帝に璽綬を奉じた。宋書 卷5 元嘉1年 7月
424年建康文帝は江陵を発ち、八月に初寧陵を参拝した後、建康の中堂で即位し、元嘉と改元して大赦を行った。宋書 卷5 元嘉1年 8月
426年建康徐羨之・傅亮を罪により誅殺し、到彦之・檀道済に荊州の謝晦討伐を命じ、文帝自ら六軍を率いて西征した。宋書 卷5 元嘉3年 1月
426年隱磯到彦之・檀道済は隠磯で謝晦を大いに破った。宋書 卷5 元嘉3年 2月
426年蕪湖文帝の車駕は蕪湖で向きを変えて帰還した。宋書 卷5 元嘉3年 2月
426年延頭謝晦を延頭で捕らえ、京師に送って処刑した。宋書 卷5 元嘉3年 2月
427年丹徒文帝は丹徒に行幸し、京陵を参拝した。宋書 卷5 元嘉4年 2月
427年京邑京師に疫病が流行し、使者を遣わして慰問し薬を与え、家族のない死者には棺を下賜した。宋書 卷5 元嘉4年 5月
430年倭国王が使者を遣わして方物を献じた。宋書 卷5 元嘉7年 1月
430年右将軍の到彦之を北伐に派遣し、水軍が黄河に入った。宋書 卷5 元嘉7年 3月
430年碻磝北魏の碻磝の守備隊は城を捨てて逃走した。宋書 卷5 元嘉7年 7月
430年滑臺北魏の滑台の守備隊は城を捨てて逃走した。宋書 卷5 元嘉7年 7月
430年金墉金墉城が北魏に陥落した。宋書 卷5 元嘉7年 10月
430年虎牢虎牢城が再び北魏に陥落した。宋書 卷5 元嘉7年 11月
430年滑臺檀道済を北方に派遣し、到彦之は滑台から退いて逃走した。宋書 卷5 元嘉7年 11月
431年壽張檀道済が東平の寿張で北魏軍を破った。宋書 卷5 元嘉8年 1月
431年滑臺滑台が北魏に陥落した。宋書 卷5 元嘉8年 2月
431年青州青州刺史の蕭思話が城を捨てて逃走した。宋書 卷5 元嘉8年 2月
432年益州賊徒の趙広が益州を侵し郡県を陥落させたが、主簿が平定した。宋書 卷5 元嘉9年 9月
433年梁州氐の楊難當が漢川を侵し、梁州刺史の甄法護が城を捨てて逃げ、難當が梁州を占めた。宋書 卷5 元嘉10年 11月
434年泰山亡命者の馬大玄の徒党数百が泰山を侵したが、郡が平定した。宋書 卷5 元嘉11年 1月
434年梁州梁・秦州刺史の蕭思話が楊難當を破り、梁州を平定した。宋書 卷5 元嘉11年 4月
435年黃龍黄竜国主の馮弘を燕王に封じた。宋書 卷5 元嘉12年 1月
436年建康司空・江州刺史の檀道済が罪により誅殺された。宋書 卷5 元嘉13年 3月
438年倭王珍を安東将軍とした。宋書 卷5 元嘉15年 4月
440年建康前丹陽尹の劉湛が罪により一派とともに誅殺され、彭城王の劉義康は江州刺史として都を出た。宋書 卷5 元嘉17年 10月
441年梁州氐の楊難當が再び漢川を侵し、十二月、龍驤将軍の裴方明らを派遣して討伐させた。宋書 卷5 元嘉18年 11月
441年寧州晋寧太守の爨松子が反乱し、寧州刺史の徐循が平定した。宋書 卷5 元嘉18年 12月
442年仇池劉真道・裴方明が楊難當を破り、仇池が平定された。宋書 卷5 元嘉19年 5月
442年魯郡孔子の子孫に祭祀と廟の修理を命じ、魯郡の闕里の学舎を復し、墓のそばの五戸の労役を免じて掃除と松柏六百本の植樹をさせた。宋書 卷5 元嘉19年 12月
443年仇池仇池が北魏に占領された。宋書 卷5 元嘉20年 2月
445年雍州雍州刺史の武陵王劉駿は沔水一帯の蛮族を討ち、一万四千余人を都に移した。宋書 卷5 元嘉22年 7月
445年建康太子詹事の范曄が謀反して一派とともに誅殺され、劉義康は庶人に落とされた。宋書 卷5 元嘉22年 12月
446年林邑交州刺史の檀和之が林邑国を攻めて破った。宋書 卷5 元嘉23年 6月
446年玄武湖この年は豊作で、北堤を築いて玄武湖を造り、華林園に景陽山を築いた。宋書 卷5 元嘉23年 12月
447年京邑京邑に疫病が流行し、郡県の官吏らが巡って見舞い、薬を与えた。宋書 卷5 元嘉24年 6月
447年豫章豫章の胡誕世が太守の桓隆之を殺して反乱し、ちょうど帰還途中の前交州刺史檀和之が平定した。宋書 卷5 元嘉24年 10月
449年丹徒文帝は陸路で丹徒に行幸し、京陵を参拝した。宋書 卷5 元嘉26年 2月
450年懸瓠北魏が汝南の諸郡を侵し、懸瓠城を攻めたが、汝南郡の事を担当していた陳憲が防いだ。宋書 卷5 元嘉27年 2月
450年彭城永朔将軍の王玄謨を北伐に派遣し、太尉の江夏王劉義恭は彭城に出て留まり、諸軍を総統した。宋書 卷5 元嘉27年 7月
450年碻磝北魏の碻磝守備隊は城を空けて逃走した。宋書 卷5 元嘉27年 7月
450年滑臺王玄謨は滑台を攻めたが勝てず、北魏に敗れて碻磝に退いた(閏月)。宋書 卷5 元嘉27年 10月
450年弘農雍州刺史の隨王劉誕が派遣した軍が弘農城を攻めて勝った(閏月)。宋書 卷5 元嘉27年 10月
450年關城続いて関城(潼関)を攻めて勝った(閏月)。宋書 卷5 元嘉27年 10月
450年陝城隨王劉誕の軍が再び陝城を攻めて勝った。宋書 卷5 元嘉27年 11月
450年鄒山北魏が鄒山を陥落させ、魯郡・陽平郡太守の崔邪利が捕らえられた。宋書 卷5 元嘉27年 11月
450年壽陽左軍将軍の劉康祖は寿陽の衛武水で北魏と戦って敗れ、戦死した。宋書 卷5 元嘉27年 11月
450年盱眙胡崇之・臧澄之・毛熙祚が盱眙で北魏と戦い、敗れて戦死した。宋書 卷5 元嘉27年 12月
450年瓜步北魏の君主が大軍を率いて瓜歩に至った。宋書 卷5 元嘉27年 12月
451年瓜步北魏軍は瓜歩から退いて逃走した。宋書 卷5 元嘉28年 1月
451年盱眙北魏軍が盱眙城を攻撃して包囲した。宋書 卷5 元嘉28年 1月
451年歷下王玄謨は碻磝から退いて歴下に戻った。宋書 卷5 元嘉28年 1月
451年盱眙北魏軍は盱眙から逃走した。宋書 卷5 元嘉28年 2月
451年瓜步文帝は瓜歩に行幸し、この日、戒厳を解いた。宋書 卷5 元嘉28年 2月
451年北魏の寧南将軍の魯爽と中書郎の魯秀が帰順し、魯爽を司州刺史とした。宋書 卷5 元嘉28年 4月
451年梁鄒亡命者の司馬順則が帝王を自称し、梁鄒城に拠った。宋書 卷5 元嘉28年 5月
451年梁鄒梁鄒が平定され、司馬順則の首を斬った。宋書 卷5 元嘉28年 8月
451年安東将軍・倭王済を安東大将軍に進めた。宋書 卷5 元嘉28年 7月
452年碻磝蕭思話が碻磝を攻めたが陥とせず退いた。宋書 卷5 元嘉29年 8月
452年虎牢司州刺史の魯爽が虎牢を攻めたが陥とせず退いた。宋書 卷5 元嘉29年 10月
453年西陽江州刺史の武陵王劉駿が軍を率いて西陽湾を侵した。宋書 卷5 元嘉30年 1月
453年建康文帝は含章殿で崩じた(享年四十七)。太子の劉劭が弑した。宋書 卷5 元嘉30年 2月
453年西陽孝武帝(武陵王劉駿)は西陽の五洲に出て留まっていたが、首謀者が弑逆を行った。宋書 卷6 元嘉30年 1月
453年新亭柳元景の先鋒が新亭に至って陣を構え、甲子の日、元凶の劉劭が自ら攻撃したが大敗して退いた。宋書 卷6 元嘉30年 4月
453年新亭孝武帝は新亭で即位し、大赦を行った。宋書 卷6 元嘉30年 4月
453年建康京邑が平定され、劉劭と始興王劉濬らが誅殺された。宋書 卷6 元嘉30年 5月
454年荊州豫州の魯爽、江州の臧質、荊州の劉義宣、兗州の徐遺宝が一斉に挙兵して反乱した。宋書 卷6 孝建1年 2月
454年梁山王玄謨が梁山へ進んでこれを占拠した。宋書 卷6 孝建1年 2月
454年歷陽沈慶之が歴陽の小峴で魯爽を大いに破り、その首を斬った。宋書 卷6 孝建1年 4月
454年梁山劉義宣らが梁山を攻めたが、王玄謨が大いに破った。宋書 卷6 孝建1年 5月
454年武昌臧質は武昌に逃げたが、そこで殺され、首が都に伝えられた。宋書 卷6 孝建1年 6月
454年江陵劉義宣は江陵で賜死された。宋書 卷6 孝建1年 6月
457年北魏が兗州を侵した。宋書 卷6 大明1年 2月
457年百済王余慶を鎮東大将軍とした。宋書 卷6 大明1年 10月
458年青州この冬、北魏が青州を侵したが、刺史の顔師伯が幾度も大いに撃破した。宋書 卷6 大明2年 12月
459年廣陵竟陵王の劉誕が命を受けず広陵城で反乱し、兗州刺史の垣閬を殺した。宋書 卷6 大明3年 4月
459年廣陵広陵城を陥落させ、誕の首を斬り、城中の男子をすべて殺し、女子を兵士の賞とした。宋書 卷6 大明3年 7月
459年粛慎国は通訳を重ねて楛矢・石砮を献じ、西域は舞馬を献じた。宋書 卷6 大明3年 11月
460年北魏が使者を送り和親を請うた。宋書 卷6 大明4年 12月
461年雍州雍州刺史の海陵王劉休茂が司馬の庾深之を殺して挙兵したが、義成太守の薛継考が討って首を斬った。宋書 卷6 大明5年 4月
463年烏江孝武帝は歴陽の烏江で狩猟しながら巡幸した。宋書 卷6 大明7年 2月
463年征東大将軍・高麗王の高璉を車騎大将軍・開府儀同三司に進めた。宋書 卷6 大明7年 7月
463年姑孰孝武帝は姑孰で狩猟した。宋書 卷6 大明7年 10月
463年梁山孝武帝は梁山で水軍を調練した。宋書 卷6 大明7年 11月
463年歷陽孝武帝は歴陽に行幸した。宋書 卷6 大明7年 12月
464年建康孝武帝は玉燭殿で崩じた(享年三十五)。宋書 卷6 大明8年 5月
464年建康孝武帝崩御の当日、太子劉子業(前廃帝)が即位した(閏月)。宋書 卷7 大明8年 5月
465年建康前廃帝は自ら宿衛兵を率いて、太宰の江夏王劉義恭・柳元景・顔師伯・劉徳願を殺した。宋書 卷7 景和1年 8月
465年徐州前廃帝が征北将軍・徐州刺史の義陽王劉昶を討とうとすると、昶は北魏へ逃げた。宋書 卷7 景和1年 9月
465年建康前廃帝は華林園の竹林堂で鬼を射ようとして寿寂之に殺された(十七歳)。宋書 卷7 景和1年 11月
465年建康上王の劉彧(明帝)が即位し、景和元年を泰始元年と改め、大赦を行った。宋書 卷8 泰始1年 12月
465年江州江州刺史の晋安王劉子勛が挙兵して反乱し、鄧琬・雍州刺史の袁顗が軍を率いて合流した。宋書 卷8 泰始1年 12月
465年劉子綏・劉子房・劉子頊が命を受けず挙兵して反乱に加わった。宋書 卷8 泰始1年 12月
466年徐州徐州刺史の薛安都も命を受けなかった。宋書 卷8 泰始2年 1月
466年建康司徒・建安王劉休仁が都督征討諸軍事として大軍を率いて南征した。宋書 卷8 泰始2年 1月
466年吳郡呉郡太守の顧琛・王曇生・劉延熙・袁摽・程天祚ら五郡の太守が挙兵して反乱した。宋書 卷8 泰始2年 1月
466年義興郡主の任農夫・劉懐珍が義興を平定した。宋書 卷8 泰始2年 1月
466年吳郡建武将軍の呉喜公が呉・呉興・会稽で敵を破り、三郡を平定した。宋書 卷8 泰始2年 2月
466年赭圻敵将の劉胡が四万を率いて赭圻に拠った。宋書 卷8 泰始2年 2月
466年赭圻武軍将軍の殷孝祖が赭圻を攻撃して戦死した。宋書 卷8 泰始2年 3月
466年濃湖袁顗は鵲尾に駐屯し、濃湖まで陣営を連ねて十数万に及んだ。宋書 卷8 泰始2年 3月
466年濃湖建安王劉休仁が大いに破り、尚書右僕射の袁顗を斬り、江・郢・荊・雍・湘の五州を平定し、子勛らは自死を命じられた。宋書 卷8 泰始2年 8月
466年壽陽劉勔が寿陽に勝利し、豫州が平定された。宋書 卷8 泰始2年 12月
466年彭城薛安都が北魏を引き入れ、張永・沈攸之が大敗し、淮北四州と予州の淮西の地を失った。宋書 卷8 泰始2年 12月
467年汝陰北魏が汝陰を侵したが、太守の張景遠が撃破した。宋書 卷8 泰始3年 2月
467年雍州薛安都の子薛伯令が雍州の四郡を奪ったが、刺史の巴陵王劉休若が討って首を斬った。宋書 卷8 泰始3年 7月
467年南兗州中領軍の沈攸之が南兗州刺史を代行し、軍を率いて北伐した。宋書 卷8 泰始3年 8月
468年交州交州の人李長仁が州を占拠して反乱した。宋書 卷8 泰始4年 3月
468年廣州盗賊が広州を攻め、刺史の楊希を殺したが、陳伯紹が平定した。宋書 卷8 泰始4年 3月
471年合肥妖寇の宋逸が合肥を攻め汝陰太守の王穆之を殺したが、郡県が平定した。宋書 卷8 泰始7年 2月
471年建康司徒・建安王劉休仁が罪を受けて自殺した。宋書 卷8 泰始7年 5月
472年建康明帝は景福殿で崩じた(享年三十四)。宋書 卷8 泰豫1年 4月
472年建康太子劉昱(後廃帝)が即位して大赦を行い、袁粲・褚淵が補佐した。宋書 卷9 泰豫1年 4月
472年義陽北魏が義陽を侵したが、司州刺史の王瞻が撃破した。宋書 卷9 泰豫1年 12月
474年江州太尉・江州刺史の桂陽王劉休範が挙兵して反乱した。宋書 卷9 元徽2年 5月
474年新亭敵が新亭楼を攻めたが、斉王(蕭道成)が防いで大いに破り、越騎校尉の張敬児が劉休範を斬った。宋書 卷9 元徽2年 5月
474年東府武軍の錢瞻・茅恬が東府を開いて敵を迎え入れた。宋書 卷9 元徽2年 5月
474年京邑張敬児らが宣陽門・荘厳寺・小市で敵を破り、東府城を平定した。宋書 卷9 元徽2年 5月
474年尋陽晋安王の劉燮が軍を派遣して尋陽を破り、江州を平定した。宋書 卷9 元徽2年 6月
476年京城征北将軍・南徐州刺史の建平王劉景素が京城を占拠して反乱した。宋書 卷9 元徽4年 7月
476年京城京城を陥落させ、劉景素の首を斬った。宋書 卷9 元徽4年 7月
477年建康後廃帝劉昱が仁寿殿で崩じた(十五歳)。宋書 卷9 元徽5年 7月
477年建康安成王劉準(順帝)が即位し、改元して大赦を行った。宋書 卷10 元徽5年 7月
477年江陵車騎大将軍・荊州刺史の沈攸之が挙兵して反乱した。宋書 卷10 昇明1年 12月
477年石頭司徒の袁粲が石頭に拠って反乱し、劉秉らが呼応したが、石頭は陥落し、袁粲は死んだ。宋書 卷10 昇明1年 12月
477年郢城沈攸之が郢城を攻めて包囲し、前軍長史の柳世隆が固く守った(閏月)。宋書 卷10 昇明1年 12月
477年吳郡呉郡太守の劉遐が郡を占拠して反乱し、張瓌が討って首を斬った。宋書 卷10 昇明1年 12月
478年郢城沈攸之は郢城から散り散りになって逃走した。宋書 卷10 昇明2年 1月
478年江陵進軍将軍・雍州刺史の張敬児が江陵に勝利し、荊州を平定した。宋書 卷10 昇明2年 1月
478年倭王武が使者を遣わして方物を献じたので、武を安東大将軍とした。宋書 卷10 昇明2年 5月
479年建康太傅の斉王蕭道成を相国に進め、十郡に封じて斉公とし、九錫の礼を備えた。宋書 卷10 昇明3年 3月
479年建康宋の順帝が斉に禅譲し、翌日東邸に退き、汝陰王に封じられた。宋書 卷10 昇明3年 4月
479年建康順帝は丹陽宮で崩じた(十三歳)。宋書 卷10 昇明3年 5月

原文のライセンスと出典

宋書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

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