『扶桑略記』(正史 の史料)。扱う年は901年 〜 1091年、出来事49件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 901年 〜 1091年 |
| 出来事の数 | 出来事49件・地図に置いた38件 |
| 著者 | 皇圓(阿闍梨) |
| 原題 | 扶桑略記 |
地域の内訳: 日本 38 · 中国 11
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 901年 | Dazaifu | 右大臣菅原道真を大宰権帥に左遷(「坐事」)。 | L85 |
| 903年 | Dazaifu | 菅原道真が大宰府で死去(原文に年60)。 | L94 |
| 909年 | 左大臣藤原時平が死去(39歳)。 | L138 | |
| 914年 | Kyoto | 東の一条・二条一帯で617戸が焼失(火災)。 | L159 |
| 917年 | Nara (Tōdaiji) | 東大寺の講堂1棟(11間)と三面僧房124間が焼失。 | L171 |
| 923年 | 全国に咳病(疫病)が流行し、多くの人が若死にした。 | L463 | |
| 928年 | Danrin-ji (檀林寺) | 3月13日夜、檀林寺が火災。金堂から出火して堂舎の大半が焼け、塔など一部のみ残った。 | L501 |
| 930年 | Kyoto | 6月26日、清涼殿に落雷。大納言清貫・右中弁希世が雷に打たれた(L666は「震死」、L527は「被震」で、二つの記録が分かれる)。 | L666 ; L527 |
| 930年 | 醍醐天皇(46歳)が皇太子寛明親王(朱雀)に譲位。 | L528 | |
| 930年 | Kyoto | 醍醐天皇(46歳)が右近衛府で崩御。 | L681 |
| 930年 | Kyoto | 朱雀天皇(原文に生年8歳)が大極殿で即位。 | L697 |
| 930年 | 京 | 天皇が譲位(9月22日)。新天皇は宣耀殿から弘徽殿へ移った。 | part_02 줄 11 |
| 933年 | 阿波國 | 南海道の海賊は追い払われず満ちていた。阿波の解状を受けて、国ごとに警固使を派遣した。 | part_02 줄 44 |
| 935年 | 伊豫國 喜多郡 | 海賊が伊予国喜多郡の不動の穀物3,000余石を運び去った。 | part_02 줄 62 |
| 935年 | 比叡(中堂) | 比叡の中堂・鐘堂・食堂など40余棟が焼けた。仏像・法具は一部のみ取り出された。 | part_02 줄 70 |
| 936年 | Mount Hiei (比叡山) | 比叡山根本中堂が火災、周辺の堂舎40余棟が焼け、薬師仏像は残った。 | L711 |
| 936年 | Nankaidō (南海道) | 南海道の海賊船千余隻が海上に浮かび、官物を奪い人を殺した。 | L712 |
| 938年 | 大地震があり、天下の家の多くが倒れた。陰陽寮は東西の兵乱を占った。 | L717 | |
| 939年 | Hitachi Province | 平将門が千余の兵で反乱し、常陸国で合戦した(官舎を焼く)。 | L723 |
| 939年 | Shimotsuke Province | 将門が数千の兵で下野国の国庁に入った。 | L725 |
| 939年 | Kōzuke Province | 将門が上野国に移り、国司藤原尚範の印鑰を奪った。 | L726 |
| 939年 | Settsu Province | 純友方の郎等が摂津国須岐駅で藤原子高を捕らえ、耳と鼻を削いで妻を奪い去り、子らは殺された。 | L736 |
| 939年 〜 941年 | Dazaifu | 賊が大宰府の累代の財物を奪い、府に火を放った。 | L736 |
| 940年 | Shimotsuke Province | 押領使の秀郷・貞盛らが4千余の兵で下野国で将門と合戦し、将門方は矢に当たる者数百に及んだ。 | L730 |
| 940年 | Shimōsa Province | 秀郷が駆けつけ、将門の首を斬った(下総国)。 | L730 |
| 940年 | Kyoto | 将門の首が京に到着。 | L735 |
| 941年 | 藤原忠平が摂政を辞し、関白となった(63歳)。 | L740 | |
| 946年 | Kyoto | 朱雀天皇が皇太子成明親王(村上)に譲位(4/13)。4/28、村上が大極殿で即位。 | L751 ; L756 |
| 952年 | Atago-gun (愛宕郡) | 朱雀太上皇が崩御。愛宕郡の山に葬られ、遺骨は醍醐山陵のそばに置かれた。 | L775 |
| 960年 | 京 | 内裏が火災。宜陽殿の累代の宝物、温明殿の神霊鏡などが焼失した。 | part_02 줄 132 |
| 961年 | 京 | 新造の内裏に遷った(遷幸)。 | part_02 줄 164 |
| 967年 | 京 | 村上天皇が崩御(42歳)。即日、凝華舎で皇位を継いだ。 | part_02 줄 198 |
| 967年 | 京 | 冷泉天皇が即位(南殿、18歳)。 | part_02 줄 209 |
| 969年 | 京 | 冷泉天皇が譲位し、皇太子守平親王に皇位を渡した。 | part_02 줄 224 |
| 1072年 | 京 | 践祚(20歳)。見出しは原文のまま六条天皇。 | part_02 줄 237 |
| 1073年 | 摂津國 (住吉·天王寺) | 太上天皇・陽明門院らが住吉に参詣し、続いて天王寺・八幡宮に参詣した。2月27日に洛陽へ還御した。 | part_02 줄 244 |
| 1074年 | 奈良(興福寺) | 興福寺の大衆が別当頼信房を襲い、寺の東の閭里を焼いた。原因は春日社司の非法と記される。 | part_02 줄 258 |
| 1078年 | 近江國 (石山寺) | 近江石山寺が焼失。 | part_02 줄 310 |
| 1079年 | 京 | 春日小路と町の北から出火し、一条以北に及んだ。東西洞院の数十町が焼けた。 | part_02 줄 322 |
| 1081年 | 大和國 (多武峯) | 興福寺の大衆が兵を率いて多武峯に向かい、山麓の人家300余棟を焼いた。 | part_02 줄 352 |
| 1081年 | 大津 (三井寺) | 叡山の僧徒数千が甲冑を着て三井寺に向かい、寺塔・僧房などを焼いた。 | part_02 줄 357 |
| 1082年 | 京 | 内裏が焼失。内膳大炊屋から出火し、神嘉殿まで広がった。天皇は太政官朝所に移った。 | part_02 줄 369 |
| 1086年 | 京(堀河院) | 天皇が譲位し、太上皇と号した。第二皇子善仁親王が堀河の新内裏で践祚した。 | part_02 줄 404 |
| 1088年 | 京 | 太上皇が高野の弘法大師廟堂に参詣するため東洛を発ち、南京(奈良)の方へ向かった。 | part_02 줄 418 |
| 1088年 | 宇治(平等院) | 午の刻、宇治平等院に御所を設けた(本堂の北廂)。 | part_02 줄 418 |
| 1088年 | 紀伊國 (高野政所) | 紀伊の御河辺に到着。原文に「是高野政所也」。 | part_02 줄 420 |
| 1088年 | 紀伊國 (高野 廟堂) | 廟堂(弘法大師)に参詣した。御供として布300端などを施入した。 | part_02 줄 423 |
| 1090年 | 紀伊國 (熊野) | 太上天皇が熊野に参詣。 | part_02 줄 441 |
| 1091年 | 京(法成寺) | 大地震。法成寺五大堂の軍荼利丈六が倒れ、九重塔が傾き、諸堂が損壊した。 | part_02 줄 453 |