リウィウス『ローマ建国以来の歴史』(正史 の史料)。扱う年は紀元前750年 〜 紀元前167年、出来事300件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 紀元前750年 〜 紀元前167年 |
| 出来事の数 | 出来事300件・地図に置いた260件 |
| 著者 | Titus Livius |
| 原題 | Ab Urbe Condita |
地域の内訳: 南ヨーロッパ 242 · 西アジア 15 · エジプト・北アフリカ 11 · 西ヨーロッパ 2
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 紀元前750年 〜 紀元前740年 | Rome | ロムルスは敵将から奪った武具を羊飼いたちが神聖視する樫の木に掛け、ユピテル神殿の敷地を定めた 伝承 | 1.10 |
| 紀元前750年 〜 紀元前740年 | Antemnae | 最初の喚声と突撃で敵は崩れ、都市(アンテムナエ)が占領された 伝承 | 1.11 |
| 紀元前749年 〜 紀元前745年 | Rome | サビニ軍とのローマ市内の戦闘中、ユピテルの名において戦列を止め戦いを再開せよとの叫びが上がった 虚構 | 1.12 |
| 紀元前670年 〜 紀元前650年 | Alba Longa | ファキアリスがトゥルス王に、アルバ人の代表と条約を結ぶよう命じられるかを問う儀礼(ホラティウス兄弟とクリアティウス兄弟の決闘前) 伝承 | 1.24 |
| 紀元前670年 〜 紀元前650年 | Alba Longa | ホラティウスは最後のクリアティウスをすでに倒していた — アルバ軍が兄弟を助けよと叫んでいる間に 虚構 | 1.25 |
| 紀元前665年 〜 紀元前650年 | Alba Longa | ローマ軍がアルバ・ロンガの城門に入った時、占領された都市の騒乱と恐怖はなかった 伝承 | 1.29 |
| 紀元前640年 〜 紀元前620年 | Politorium | アンクスは全軍を動員して会戦に勝ち、莫大な戦利品を携えて帰還し、ラティウム人数千がローマに編入された 伝承 | 1.33 |
| 紀元前610年 〜 紀元前600年 | Collatia | コッラティア降伏の手続き:王が使節に都市を引き渡すのかと問う儀礼 伝承 | 1.38 |
| 紀元前530年 〜 紀元前515年 | Gabii | ガビイを強襲でも包囲でも落とせず(城壁の下での敗北後)、策略で近づいた 伝承 | 1.53 |
| 紀元前510年 | Collatia | セクストゥスは死の脅しにも屈しないルクレティアを、名誉を傷つけるとの脅迫で屈服させた(王政崩壊の発端) 虚構 | 1.58 |
| 紀元前509年 | Rome | ケントゥリア民会で執政官2人が選ばれ、タルクィニウスは城門が閉ざされて入市できず追放が決議され、王の息子たちは陣営から追い出された 伝承 | 1.60 |
| 紀元前509年 | ローマ軍とエトルリア軍(ウェイイとタルクィニイ)が互角に対峙し、両軍とも右翼は勝ち左翼は敗れた 判定保留 | 2.6 | |
| 紀元前509年 | 戦いの後、タルクィニウスとエトルリア軍は恐慌に陥り、ウェイイとタルクィニイの両軍は夜に撤退した 判定保留 | 2.7 | |
| 紀元前508年 | Rome | ポルセンナのローマ封鎖中、ムキウスは自由なローマが封鎖されるのを恥辱と考え、行動に出た 虚構 | 2.12 |
| 紀元前508年 | Janiculum | ポルセンナはムキウスの胆力に感嘆して心変わりし、条約へと傾いた(ヤニクルム包囲) 伝承 | 2.13 |
| 紀元前506年 | Aricia | エトルリア軍がアリキアを奇襲すると、ラテン都市とクマエの援軍でアリキアは士気を得た 判定保留 | 2.14 |
| 紀元前503年 | Pometia | 攻城具(ウィネア)が焼かれ、包囲兵の多くが死傷し、執政官の一人が危うく死ぬところだった 判定保留 | 2.17 |
| 紀元前501年 | Rome | ローマで初めて独裁官が立てられ、斧を携えた護衛を見た市民は大いに恐れ、命令により従順になった 判定保留 | 2.18 |
| 紀元前496年 | Lake Regillus | 独裁官は神の助けを求め、戦闘中にカストル神殿を誓願し、先頭で突撃する者に褒賞を約束した 伝承 | 2.20 |
| 紀元前495年 | Pometia | 軍団はスエッサ・ポメティアへ進軍し、数日で占領して兵士に略奪を許した 判定保留 | 2.25 |
| 紀元前494年 | Sacred Mount | 元老院はアエクイ人との戦争再開を口実に、軍団を市外へ行軍させるよう命じた(平民の分離の局面) 判定保留 | 2.32 |
| 紀元前493年 | Corioli | コリオリ包囲中、ローマ軍は城内の者たちにだけ気を取られていて… 判定保留 | 2.33 |
| 紀元前491年 〜 紀元前488年 | Circeii | コリオラヌス(ウォルスキ側)がキルケイイを攻撃してローマ人入植者を追い出し、自由都市としてウォルスキに引き渡した 伝承 | 2.39 |
| 紀元前488年 | Rome | ウェトゥリアとウォルムニアがコリオラヌスに訴え、アエクイ人がアッティウス・トゥッリウスの指揮をもはや受けず、連合軍の指揮を巡る争いが生じた 虚構 | 2.40 |
| 紀元前479年 | カエソは軍を率いてアエクイ領へ越え、略奪した 判定保留 | 2.48 | |
| 紀元前476年 | Janiculum | エトルリア軍は夜にティベリス川を渡ってセルウィリウスの陣営を襲ったが大敗し、かろうじてヤニクルムにたどり着いた 判定保留 | 2.51 |
| 紀元前468年 | Antium | 数日の包囲の末アンティウムが降伏した — 包囲軍の格別の努力よりも、先の敗戦と兵力の損耗のためである 判定保留 | 2.65 |
| 紀元前466年 | Algidus | ファビウス執政官は、かつてアエクイから平和をもたらしたのと同じ右手で、今度はアエクイに戦争をもたらすと言った 虚構 | 3.2 |
| 紀元前463年 | Rome | 神々の怒りで疫病に苦しむローマは、同盟者の救援要請に、好転すれば助けると答えた 虚構 | 3.6 |
| 紀元前460年 | Rome | ヘルドニウスは奴隷たちに自由を叫びつつカピトリウムを占拠した 判定保留 | 3.15 |
| 紀元前460年 | Rome | トゥスクルムの軍団とともに秩序正しくカピトリウムの丘を登り、占拠者に立ち向かった 判定保留 | 3.18 |
| 紀元前459年 | Tusculum | アエクイは精鋭を先頭に夜襲でトゥスクルムの城塞を占領し、残りは待機させた 判定保留 | 3.23 |
| 紀元前458年 | Rome | 夜明け前、独裁官(キンキンナトゥス)が広場で騎兵長官を任命した 判定保留 | 3.27 |
| 紀元前458年 | Algidus | アエクイが包囲されまいと備えているうちに、包囲されている側が先に戦闘を始めた 判定保留 | 3.28 |
| 紀元前454年 | Athens | ソロンの法を写し、他のギリシア諸国の制度・慣習・法を調べるため、使節がアテナイに派遣された 伝承 | 3.31 |
| 紀元前451年 | Rome | アテナイに赴いた委員3人が、遠い使節の報いとして席に着いた — ギリシアの法に通じているという理由で 伝承 | 3.33 |
| 紀元前449年 | Algidus | 一方の軍はエレトゥムでサビニに、他方はアルギドゥスでアエクイに撃破された 判定保留 | 3.42 |
| 紀元前449年 | Sacred Mount | 軍はアウェンティヌスを離れ、ノメンタナ(旧フィクルネア)街道に出て聖山に陣を張り、祖先の節度にならった 判定保留 | 3.52 |
| 紀元前444年 | Rome | ローマ建国310年(紀元前444年)に執政官権限を持つ軍団司令官(軍事トリブヌス)制が始まった 判定保留 | 4.7 |
| 紀元前442年 | Ardea | アルデア使節が古い同盟と新たに更新した条約を挙げ、ほぼ壊滅した都市の救援を求めた 伝承 | 4.9 |
| 紀元前439年 | Rome | キンキンナトゥスを独裁官に指名すべきだとの主張 — マエリウス事件への対応 判定保留 | 4.13 |
| 紀元前437年 | Fidenae | コッスはウェイイ王を討ち、首を槍に刺して敵を恐慌に陥れ潰走させた 伝承 | 4.19 |
| 紀元前435年 | Fidenae | エトルリア軍はフィデナエに追い込まれ、独裁官は包囲の防壁を築いた 伝承 | 4.22 |
| 紀元前431年 | 独裁官が柵を壊して敵陣内に戦いを持ち込むと、敵は武器を捨てて降伏した 伝承 | 4.29 | |
| 紀元前426年 | Fidenae | 独裁官は騎兵長官と騎兵を呼び、左翼を督励した(フィデナエの戦い) 伝承 | 4.33 |
| 紀元前426年 | Fidenae | フィデナエ市内の殺戮は戦闘時より大きく、ついに武器を捨てて降伏し命乞いをした 伝承 | 4.34 |
| 紀元前421年 | Cumae | 当時ギリシア人が占めていたクマエがカンパニア人に占領された | 4.44 |
| 紀元前418年 | Labici | 独裁官は占領した敵陣の戦利品を兵士に与えた 判定保留 | 4.47 |
| 紀元前405年 | Veii | ウェイイ戦争の宣戦案が可決され、軍事トリブヌスたちは志願兵中心の軍を率いて進軍した | 4.60 |
| 紀元前405年 | Veii | ウェイイ包囲の直後、エトルリア全国会議がウォルトゥムナ神殿で開かれたが決定できなかった 伝承 | 4.61 |
| 紀元前396年 | Veii | 独裁官は準備を終え、元老院決議に従ってウェイイ占領時の誓願(ユノ神殿)を行った 伝承 | 5.19 |
| 紀元前396年 | Veii | 独裁官は兵士に武装を命じ、ピュティアのアポロの名においてウェイイを破壊しに行くと祈った 伝承 | 5.21 |
| 紀元前396年 | Veii | ユノ像は無事アウェンティヌス(永遠の住まい)へ移され、カミルスが後に神殿を奉献した 虚構 | 5.22 |
| 紀元前394年 | Falerii | 防壁工事を妨げる敵を破り、ファリスキは恐慌に陥って散り散りになった 伝承 | 5.26 |
| 紀元前394年 | Falerii | ローマの信義と指揮官の正義感が広場と元老院で称えられ、それに応じてファレリイに使節が送られた 伝承 | 5.27 |
| 紀元前391年 | Clusium | ガリア人はワインと果実に誘われてアルプスを越え、エトルリア近くの土地を占領した 伝承 | 5.33 |
| 紀元前391年 | Ticinus | アルプスを越えたガリア人がティキヌス川付近でエトルリア軍を破った 伝承 | 5.34 |
| 紀元前390年 | Allia | 側面からの喚声が聞こえると予備隊と残りの軍がたちまち逃げ、ローマ軍は崩れてウェイイとローマへ散った | 5.38 |
| 紀元前390年 | Rome | ガリア軍が市内で都市の破壊にかかったが、全員がその熱意に満ちていたわけではなかった 伝承 | 5.42 |
| 紀元前390年 | Rome | ガリア軍は開けた市街を占領したが、少数の守備隊が城砦とカピトリウムで撃退した 伝承 | 5.44 |
| 紀元前390年 | Ardea | カミルスの追放を撤回し独裁官に任命する法がクリア民会で可決された(アルデアを出発する前) 伝承 | 5.46 |
| 紀元前390年 | Rome | 包囲と戦争の最大の害は両陣営を襲った飢饉であり、ガリア軍には疫病も広がった 伝承 | 5.48 |
| 紀元前390年 | Rome | カミルスは祖国を敵から取り戻し、独裁官として凱旋するように市内へ戻り、兵士たちが冗談を投げかけた 虚構 | 5.49 |
| 紀元前389年 | ウォルスキを征服したカミルスはアエクイに進軍し、ボラで奇襲して最初の突撃で陣営を占領した | 6.2 | |
| 紀元前389年 | Sutrium | スートリウム包囲下で少数の防衛者は労苦と不眠で疲れ果て、もう持ちこたえられなかった | 6.3 |
| 紀元前386年 | Nepete | スートリウム奪還後、軍はエトルリアに渡ったネペテへ進軍した | 6.9 |
| 紀元前386年 | Nepete | ネペテの人々はローマとの同盟より降伏の条件を忠実に守り、堀を埋める柴の束を集めた | 6.10 |
| 紀元前382年 | Praeneste | 元老院と民会の決議でプラエネステに宣戦し、プラエネステはウォルスキと合流して翌年…を強襲した | 6.22 |
| 紀元前380年 | Praeneste | 二つの陣営と敵の九都市を占領し、プラエネステの降伏を受けて帰還した | 6.29 |
| 紀元前377年 | Satricum | サトリクムに合流して陣を張ったラテン人とウォルスキに対し、三つの軍の徴募が成った | 6.32 |
| 紀元前367年 | Anio | ガリアの蛮族数千が戦闘で、さらに多くが陣営占領時に死んだ | 6.42 |
| 紀元前361年 | Ferentinum | ローマ軍はヘルニキ人の都市フェレンティヌムを占領したが、帰路でティブルが城門を閉ざした | 7.9 |
| 紀元前361年 | Anio | 若いマンリウスは持ち場を離れ、独裁官の命令なしには戦わないと述べつつガリア人との一騎討ちを願い出た | 7.10 |
| 紀元前360年 | Tibur | 独裁官は執政官軍をティブル牽制に残し、すべての若者に軍事宣誓をさせた | 7.11 |
| 紀元前359年 | Rome | ティブルの軍は真夜中の静けさの中、ローマ市へ向けて進軍した | 7.12 |
| 紀元前356年 | Rome | マルキウス・ルティルスが平民出身初の独裁官に指名された | 7.17 |
| 紀元前346年 | Satricum | 降伏した4000人は執政官の凱旋行列で鎖につながれて引かれたのち、売られて大金となった | 7.27 |
| 紀元前343年 | Capua | 二度目の戦闘でカンパニア軍は敗れ、城壁内へ追い込まれた | 7.29 |
| 紀元前343年 | Capua | 降伏した者たちを見捨てることはできないという名誉の問題から、ローマはサムニウムへ使節を送ることを決議した | 7.31 |
| 紀元前343年 | Mount Gaurus | 戦闘は長く続き、サムニウム軍旗の周りで大殺戮となったが、どこでも逃げなかった | 7.33 |
| 紀元前343年 | Saticula | コルネリウスは谷間に閉じ込められ、デキウスは分遣隊を率いて高地を占領する案を出した | 7.34 |
| 紀元前343年 | Suessula | サムニウム軍は急いで逃げ、盾4万枚以上を捨てた | 7.37 |
| 紀元前341年 | Privernum | 執政官はプリウェルヌムへ進軍してただちに交戦し、敵を大した苦労なく撃破した | 8.1 |
| 紀元前340年 | Vesuvius | ラテン軍との戦いは、勇気のほかローマ軍と変わるところがなく、内戦のようであった | 8.8 |
| 紀元前340年 | Vesuvius | デキウスは同僚が吉兆を得たなら良いと言い、定められた陣形で戦闘に臨んだ | 8.9 |
| 紀元前340年 | Vesuvius | 戦闘の後ラテン軍の陣営が占領され、カンパニア人を中心に多くが死んだ | 8.10 |
| 紀元前338年 | Pedum | 戦闘中、市民の出撃は撃退され、ペドゥムは強襲で占領された | 8.13 |
| 紀元前334年 | Cales | アウソニア人は酒と宴に酔って眠っているところを奇襲され、都市ごと占領された | 8.16 |
| 紀元前332年 | Paestum | エペイロスのアレクサンドロスがパエストゥム近くに上陸すると、サムニウムとルカニアは連合したが会戦で敗れた | 8.17 |
| 紀元前329年 | Privernum | プリウェルヌムが強襲で陥落してウィトルウィウスが生け捕られたとする伝承と、伝令杖を持って降伏したとする伝承に分かれる | 8.20 |
| 紀元前327年 | Palaepolis | パライポリスの人カリラオスがプブリリウス・ピロのもとを訪れ、城壁(防御施設)を引き渡すと明かした | 8.25 |
| 紀元前326年 | Palaepolis | ニンピウスはサムニウム司令官を説得し、ローマの戦力がパライポリスとサムニウムに分散した隙を突かせた | 8.26 |
| 紀元前324年 | 軍が完全に回復すると交戦し、サムニウム軍を完全に撃破して潰走させた | 8.36 | |
| 紀元前321年 | Caudine Forks | サムニウム軍は羊飼いに変装した兵士10人をカラティアに送り、ローマ執政官をおびき寄せた | 9.2 |
| 紀元前321年 | Caudine Forks | ローマ陣営は多数の突破の試みが失敗し極度の窮乏に至って、降伏の使節を送った | 9.4 |
| 紀元前321年 | Caudine Forks | 執政官たちがまず、ほとんど半裸でくびきの下をくぐらねばならなかった | 9.6 |
| 紀元前320年 | Luceria | ルケリアの前に陣を張ったサムニウム軍は、包囲された者たちがもう持ちこたえられなくなり、全軍を集めることになった | 9.13 |
| 紀元前320年 | Luceria | パピリウスが包囲を続けるとあらゆる補給路が断たれ、サムニウム軍の立場は苦しくなった | 9.15 |
| 紀元前316年 | Saticula | 両陣営が攻撃されても独裁官が容易に包囲されない位置を選び、兵士を冷静に保った | 9.21 |
| 紀元前315年 | Saticula | 独裁官はサティクラの陥落が戦争の性格を変えると見て、包囲をさらに強めた | 9.22 |
| 紀元前314年 | Sora | ソラは夜明けに執政官が現れた時にはすでに陥落しており、夜の殺戮を生き延びた者たちの降伏を受け入れた | 9.24 |
| 紀元前313年 | Fregellae | サムニウム軍がフレゲラエの城塞を占領したとの報で、ボウィアヌム包囲を解いてフレゲラエへ引き返した | 9.28 |
| 紀元前310年 | Sutrium | ローマでこうしたことが起きている間、エトルリア軍はスートリウムの包囲を続けた | 9.35 |
| 紀元前310年 | Ciminian Forest | 敗走する敵を追ったローマ軍は広く略奪し、戦利品を満載して陣営に帰った | 9.36 |
| 紀元前310年 | Pompeii | 艦隊司令官コルネリウスはローマ艦隊をカンパニアへ導き、ポンペイに停泊した | 9.38 |
| 紀元前310年 | Lake Vadimo | エトルリアでの成功とともに、ウンブリア軍は交戦で当初の勢いを保てなかった | 9.39 |
| 紀元前307年 | Allifae | 翌日の早朝サムニウム軍が降伏を申し出、一人につき衣一枚のみで送り出す条件で受け入れられた | 9.42 |
| 紀元前306年 | 敵の中央を突破して空の陣営に進み焼き払った。マルキウス軍は炎を見て士気を得た | 9.43 | |
| 紀元前302年 | Thuriae | スパルタのクレオニュモスの艦隊がイタリア沿岸に来て、サレントゥム地方のトゥリアエを占領した | 10.2 |
| 紀元前302年 | 独裁官は出陣し、一度の戦闘でマルシ人を破った | 10.3 | |
| 紀元前298年 | Carseoli | アエクイコリ人の土地カルセオリに植民市が建設された | 10.13 |
| 紀元前297年 | Maleventum | 交戦に誘い込んで撃破し、逃げた者が戦死者より多かった(戦死約2000) | 10.15 |
| 紀元前296年 | ウォルムニウスは自ら一つの門を攻め、アッピウスは勝利のベッローナを繰り返し呼んで兵を励ました | 10.19 | |
| 紀元前295年 | Sentinum | 両軍は互角で、エトルリアとウンブリアが加わっていればローマが負けたほどであった | 10.27 |
| 紀元前295年 | Sentinum | デキウスは敵の軍旗と武具に死を撒き、自分の死に場所がガリア人とサムニウム人の死に場所にもなるよう誓願した | 10.28 |
| 紀元前295年 | Rome | ファビウスはエトルリアをデキウス軍に任せ、軍団を率いてローマに戻り、ガリア・エトルリア・サムニウムに対する凱旋式を行った | 10.30 |
| 紀元前295年 | Perusia | 執政官が軍を引くとペルシアが再び敵対し、サムニウム軍がウェスキアとフォルミアエを略奪した | 10.31 |
| 紀元前294年 | Luceria | 戦闘は一進一退で決着がつかず、ついに敗北に慣れないローマ軍がより不利になった | 10.35 |
| 紀元前294年 | Luceria | 執政官は手を挙げ、ローマ軍が持ちこたえればユピテル・スタトル神殿を建てると大声で誓願した | 10.36 |
| 紀元前294年 | ポストゥミウスについての伝承は分かれる。クラウディウスによれば、サムニウムの諸都市を取った後アプリアで敗れ負傷した | 10.37 | |
| 紀元前293年 | Aquilonia | サムニウムの指揮官たちは最も恐ろしい言葉で誓わせ、戦場に出る誓いを取った | 10.38 |
| 紀元前293年 | Amiternum | サムニウム軍が迷信的な儀式と秘密の計画に没頭している間に、カルウィリウスがアミテルヌムを強襲で占領した | 10.39 |
| 紀元前293年 | Aquilonia | 戦闘を生き延びた歩兵は陣営かアクィロニアへ、貴族と騎兵はボウィアヌムへ逃げた | 10.41 |
| 紀元前293年 | Cominium | 二人の執政官は合意し、占領した都市を兵士の略奪に委ねた | 10.44 |
| 紀元前219年 | Saguntum | ローマでこうしたことが進む間、サグントゥム包囲は全力で圧迫された | 21.7 |
| 紀元前219年 | Saguntum | 崩れた城壁の裂け目から武装した縦隊が市内に入った | 21.11 |
| 紀元前219年 | Saguntum | アルコはサグントゥム人に隠れて夜、ハンニバルのもとへ渡り交渉を試みた | 21.12 |
| 紀元前218年 | Carthage | サグントゥムとエブロ川の論争をやめよと言われ、ローマ使節はトガの裾をつかんで戦争を持ってきたと宣言した | 21.18 |
| 紀元前218年 | Iliberri | ハンニバルは軍が弛緩しないようピレネーを越え、イリベリ人の町に陣を張った | 21.24 |
| 紀元前218年 | Rhone | ハンニバルはアルプスへ直行せず、左のトリカスティニ人の方へ折れた | 21.31 |
| 紀元前218年 | Rhone | スキピオは戦闘隊形で空になった敵陣に到着し、ただちに交戦する構えであった | 21.32 |
| 紀元前218年 | Ticinus | 橋が完成するとローマ軍はインスブレス領で渡り、ハンニバルの陣営から5マイルの地点に陣を張った | 21.45 |
| 紀元前218年 | Trebia | センプロニウスはヌミディア軍の攻撃に対し全騎兵を出動させた | 21.54 |
| 紀元前218年 | Trebia | 敗走兵の一部は川へ向かって流れにさらわれ、あるいはためらううちに捕らえられた | 21.56 |
| 紀元前218年 | Cissa | ハスドルバルは敗戦を正確に知る前に、上陸するローマ軍を迎えるため歩兵8千・騎兵1千でエブロ川を渡った | 21.61 |
| 紀元前217年 | Ariminum | フラミニウスはローマではなくアリミヌムで執政官職に就いた | 21.63 |
| 紀元前217年 | Arretium | ハンニバルはローマ軍の陣営を左に置いてファエスラエ方面へ進軍し、エトルリア中部を荒らした | 22.3 |
| 紀元前217年 | Lake Trasimene | 兵士たちはたまたま入り交じり、各自の勇気の導くままに前でも後ろでも位置を取って戦闘に没頭した | 22.5 |
| 紀元前217年 | トラシメヌスの報でウンブリアへ進軍したローマ騎兵が包囲され、ハンニバルに捕らえられた | 22.8 | |
| 紀元前217年 | Tibur | 独裁官はフルウィウス・フラックスから執政官軍を引き継ぎ、サビニ領を通ってティブルへ行軍した | 22.12 |
| 紀元前217年 | Telesia | ハンニバルはヒルピニからサムニウムへ渡り、ベネウェントゥムの地を荒らしてテレシアの町を占領した | 22.13 |
| 紀元前217年 | Volturnus | ハンニバルがウォルトゥルヌス川に陣を張り、カンパニアが燃える間、ファビウスは行軍を続けた | 22.14 |
| 紀元前217年 | ハンニバルは隘路を通過した全軍を率いてアッリファエの地に陣を張った | 22.17 | |
| 紀元前217年 | Onusa | ローマ艦隊はオヌサに上陸して町を占領・略奪し、ノウァ・カルタゴへ進んだ | 22.20 |
| 紀元前217年 | Saguntum | カルタゴがケルティベリア戦争に拘束されている間、スキピオ兄弟はエブロ川を渡り、まっすぐサグントゥムへ行軍した | 22.22 |
| 紀元前217年 | 一部の著者は、両軍が正規の隊形で衝突しカルタゴ軍が最初の衝突で敗走したと伝える(伝承は一致しない) | 22.24 | |
| 紀元前216年 | Cannae | 執政官たちは道を探りながらカルタゴ軍を追ってカンナエに着き、敵を見て二つの陣営を築いた | 22.44 |
| 紀元前216年 | Cannae | 喚声が上がると補助兵が飛び出し、軽装歩兵から戦闘が始まった | 22.47 |
| 紀元前216年 | Cannae | レントゥルスは執政官に、自らの死で戦いをさらに不吉なものにしないよう懇願した | 22.49 |
| 紀元前216年 | Cannae | カンナエの戦いはアッリア川の敗戦に劣らず有名だが、敵の消極性のおかげで結果は深刻さが少なかった | 22.50 |
| 紀元前216年 | Cannae | ハンニバルが小さい陣営を降伏させた後、大きい陣営の負傷者と怯えた者たちも同じ条件で陣営を敵に引き渡した | 22.52 |
| 紀元前216年 | Rome | 報告では両執政官と二つの執政官軍がすべて失われ、ローマは衝撃を受けた | 22.54 |
| 紀元前216年 | Compsa | カンナエの勝利とローマ陣営の略奪の直後、ハンニバルはアプリアを離れサムニウムへ移動した | 23.1 |
| 紀元前216年 | Capua | カプアで親ローマのデキウス・マギウスが、カルタゴの友ではなくカンパニア人と呼ばれる資格もないと糾弾された | 23.10 |
| 紀元前216年 | Neapolis | ローマの法務官が近づくとハンニバルは驚いて領土を離れ、ネアポリス近くの海岸へ下った | 23.15 |
| 紀元前216年 | Nola | ノラの戦いは、戦争全体の中で結果が最も重要な交戦の一つとされる | 23.16 |
| 紀元前216年 | Acerrae | アケラエを略奪・放火したハンニバルは、独裁官がカプアへ進軍するとの報でカシリヌムへ向かった | 23.17 |
| 紀元前215年 | Petelia | ブルッティウムのペテリアが数か月の包囲の末、ハンニバルの副将ヒミルコに陥落した | 23.30 |
| 紀元前215年 | ハンニバルはフィリッポスと友好条約を結んだ:王が艦隊でイタリアに侵攻するという条件 | 23.33 | |
| 紀元前215年 | Cumae | ハンニバルはカンパニア人の懇願に応じ、攻城装備を整えてクマエへ引き返し、周辺を徹底的に荒廃させた | 23.36 |
| 紀元前215年 | Sardinia | ホストゥスは若者らしい性急さで交戦して敗走し、サルディニア人3000人が戦死した | 23.40 |
| 紀元前215年 | Nola | ノラの人々の激励の喚声でローマ軍の士気が上がり、敵は四方から退いた | 23.46 |
| 紀元前215年 | Croton | ハンニバルはクロトンの市民に、ブルッティウム人の入植を受け入れる条件で降伏するよう説得した | 24.3 |
| 紀元前214年 | Beneventum | グラックスが先にベネウェントゥムに入り、ハンノがカロル川岸に陣を張って略奪しているとの報で町を出て陣営を築いた | 24.14 |
| 紀元前214年 | Nola | ハンニバルはネアポリスの領土を荒らしたのち、陣営をノラに移した | 24.17 |
| 紀元前214年 | Casilinum | ファビウスは、カンパニア人2000とハンニバルの兵700が守るカシリヌム付近に陣営を築いた | 24.19 |
| 紀元前214年 | Syracuse | アッピウスが送ったシラクサ使節がマルケッルスのもとに来て和平の条件を説明した | 24.27 |
| 紀元前214年 | Oricum | ラエウィヌスはオリクムで兵を降ろして艦船を帰し、王の軍を避けて川から離れて行軍した | 24.40 |
| 紀元前214年 | 戦利品の大半はガリア人のものとなり、ガリアの首領二人が戦死した(ムンダの戦い) | 24.42 | |
| 紀元前213年 | Syracuse | 事情を知ったローマ軍はレオンティノイの陣営を撤収し、シラクサへ行軍した | 24.33 |
| 紀元前213年 | Megara Hyblaea | ヘロルムとヘルベッソスが降伏し、メガラは強襲・略奪されたのち完全に破壊され、シラクサに恐怖を与えた | 24.35 |
| 紀元前213年 | Syracuse | カルタゴ軍船55隻がシラクサの大港に入り、ローマ軍船30隻も上陸した | 24.36 |
| 紀元前212年 | Tarentum | ヌミディア騎兵が少数で野を略奪しているとの噂が同時にタレントゥムに広まった | 25.9 |
| 紀元前212年 | Tarentum | タレントゥムは海上補給が断たれ、包囲軍のほうがむしろ飢える立場にあった | 25.11 |
| 紀元前212年 | Beneventum | 敵1万人以上が死に、7000人が捕虜となり、荷車と家畜をすべて鹵獲した | 25.14 |
| 紀元前212年 | Herdonea | 夜通し配置を終えた後、夜明けに戦闘へ出陣した(ヘルドネア) | 25.21 |
| 紀元前212年 | Syracuse | アクラディナへ進む前に、マルケッルスは…を決意した(エピポライ・ヘクサピュロン一帯) | 25.24 |
| 紀元前212年 | Syracuse | ナソス占領、アクラディナの一区画の占領、モエリクスの帰順の報で、マルケッルスは退却の合図を吹かせた | 25.30 |
| 紀元前211年 | ハスドルバルがエブロ川を渡ったとの知らせが届き、新任司令官の戦闘合図が上がった | 25.37 | |
| 紀元前211年 | Capua | フルウィウスとクラウディウスは指揮権を保ち、カプアが陥落するまで包囲を続けるよう命じられた | 26.1 |
| 紀元前211年 | Capua | これがカプアが降伏する前の最後の戦闘であった | 26.6 |
| 紀元前211年 | Rome | フルウィウス・フラックスはカペナ門を通り、市内を横切ってコッリナ門の外に陣営を築いた | 26.10 |
| 紀元前211年 | Anio | 翌日ハンニバルはアニオ川を渡り、全軍を率いて戦闘に臨んだ | 26.11 |
| 紀元前211年 | Capua | カプア人の処刑などの措置の大半は、フルウィウスの単独の指示で執行された | 26.16 |
| 紀元前210年 | Emporiae | スキピオはティベリス河口から五段櫂船30隻でエトルリア沿岸に沿い、ガリア湾を渡ってヒスパニアへ向かった | 26.19 |
| 紀元前210年 | Anticyra | アンティキュラが降伏してアイトリア人に引き渡され、戦利品は条約どおりローマのものとなった | 26.26 |
| 紀元前210年 | Agrigentum | 短期間に20の都市が密かに降伏し、6が強襲で陥落し、40が条件付きで降伏した | 26.40 |
| 紀元前209年 | Carthago Nova | 城塞が降伏するまで、市内で出会った成人男子はすべて殺戮された | 26.46 |
| 紀元前209年 | Carthago Nova | 港で輸送船63隻と穀物・武器・青銅などが鹵獲された | 26.47 |
| 紀元前209年 | Tarentum | タレントゥムが陥落すると、ハンニバルは、ローマにもハンニバルがいる、我々も同じ手口で失ったと言った | 27.16 |
| 紀元前208年 | Baecula | ハスドルバルはローマ軍の戦列を見て、ヌミディア騎兵とバレアレス・アフリカの軽装歩兵を低地へ出した | 27.18 |
| 紀元前208年 | Tagus | ハスドルバルは軍資金を確保して象を先に出し、敗残兵を集めてタグス川の方へ行軍した | 27.19 |
| 紀元前208年 | Venusia | 騎兵43人が戦闘と追撃で死に、18人が捕虜となった | 27.27 |
| 紀元前208年 | Salapia | 不意の奇襲のため一時は互角の戦いとなり、ヌミディア軍が来ると恐慌が起きた(サラピア) | 27.28 |
| 紀元前208年 | Sicyon | スルピキウスの艦隊はシキュオンとコリントスの間に錨を下ろし、その肥沃な土地を略奪した | 27.31 |
| 紀元前207年 | Grumentum | 撤退を急いだハンニバルは全軍を戦闘隊形で出陣させた | 27.41 |
| 紀元前207年 | Placentia | ハスドルバルはプラケンティア包囲を解き、ガリア・ヌミディア騎兵6人をハンニバルのもとへ送った | 27.43 |
| 紀元前207年 | Metaurus | メタウルスでは敵がすでに陣営の前に戦闘隊形で並んでおり、ハスドルバルは古い盾と痩せた馬を見てローマ軍の増援を疑い、戦闘が遅れた | 27.47 |
| 紀元前207年 | Metaurus | メタウルスの戦いでハスドルバルは戦死し、敵5万6~7千が死に、敵に捕らわれていたローマ市民4000余りが戻されて損失を一部慰めた | 27.49 |
| 紀元前207年 | Rome | 一人の執政官は戦車に乗ったが、真の凱旋は馬に乗ったもう一人の執政官(ネロ)のものだという評 | 28.9 |
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원문·영역(Canon Roberts): Perseus Digital Library, Tufts University, CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/) — 대목 나누기·정리: 이 프로젝트
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