三国遺事(記録 の史料)。扱う年は紀元前1122年 〜 西暦936年、出来事119件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 記録 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 紀元前1122年 〜 西暦936年 |
| 出来事の数 | 出来事119件・地図に置いた96件 |
| 著者 | 一然(일연) |
| 原題 | 三國遺事 |
地域の内訳: 朝鮮半島 79 · 中国 24
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 紀元前1122年 | 周の武王が即位した己卯の年、箕子を朝鮮に封じた(檀君は場所を移して長堂京へ)。 虚構 | 紀異第一 古朝鮮 | |
| 紀元前109年 | 漢の使者の渉何が右渠を諭したが従わず、帰途、朝鮮の裨王長が見送りに来た浿水で、渉何は長を刺し殺した。 | 紀異第一 魏滿朝鮮 | |
| 紀元前109年 | Pyongyang | 楼船将軍の楊僕が斉の兵七千で先に王険に至ったが、右渠に破られた。左将軍の荀彘は浿水の西の軍を破れなかった。 | 紀異第一 魏滿朝鮮 |
| 紀元前108年 | Pyongyang | 夏、尼谿相参が人を使って右渠を殺し、降伏した。 | 紀異第一 魏滿朝鮮 |
| 紀元前108年 | Pyongyang | 成已が再び反乱したが平定し、真番・臨屯・楽浪・玄菟の四郡を置いた。 | 紀異第一 魏滿朝鮮 |
| 紀元前69年 | Gyeongju | 三月一日、六村の長が閼川のほとりに集まり、君主を求めることを議論した。 伝承 | 紀異第一 新羅始祖赫居世王 |
| 紀元前57年 | Gyeongju | 赫居世が十三歳で王となり、閼英を王妃とし、国号を徐羅伐と名づけた。 伝承 | 紀異第一 新羅始祖赫居世王 |
| 紀元前39年 | Gyeongju | 卞韓の人が国を挙げて新羅に降伏した。 判定保留 | 紀異第一 卞韓百濟 |
| 紀元前37年 | Gyeongju | 新羅が金城を築く(王暦の年表記事)。 伝承 | 王曆 |
| 紀元前37年 | 朱蒙が烏伊ら三人とともに淹水に至ると、魚と亀が橋を作って渡してくれた。 虚構 | 紀異第一 高句麗 | |
| 紀元前37年 | Huanren (Jolbon) | 朱蒙が卒本州に至って都を定め、国号を高句麗とし、十二歳で即位した。 伝承 | 紀異第一 高句麗 |
| 紀元前28年 | Gyeongju | 楽浪の人が新羅に来て帰順した。 判定保留 | 紀異第一 樂浪國 |
| 紀元前18年 | Jiksan (Wirye) | 東明王の三男の温祚が卒本扶余から慰礼城に至って都を定め、王と称した。 伝承 | 紀異第二 南扶餘 前百濟 |
| 紀元前5年 | Gwangju, Gyeonggi (Hansan) | 温祚十四年、都を漢山に移した(今の広州)。 伝承 | 紀異第二 南扶餘 前百濟 |
| 3年 | Gungnae | 高句麗が都を国内城(不而城)に移した。 伝承 | 王曆 |
| 4年 | Gyeongju | 南解次次雄が即位して二十一年間治めた。 判定保留 | 紀異第一 第二南解王 |
| 4年 〜 23年 | Gyeongju | 楽浪の人が金城を侵したが勝てず引き返した。 判定保留 | 紀異第一 第二南解王 |
| 22年 | 高句麗の無恤王が東扶余を攻め、帯素王を殺して国を滅ぼした。 伝承 | 紀異第一 東扶餘 | |
| 26年 〜 27年 | Pyongyang | 高句麗の無恤王(大武神王)が楽浪を滅ぼすと、その国の人々が帯方の人々とともに新羅に投降した。 伝承 | 紀異第一 樂浪國 |
| 37年 | Gyeongju | 伊西国の人々が来て新羅の金城を攻めた。 伝承 | 紀異第一 伊西國 |
| 42年 | Cheongdo (Iseo) | 新羅が伊西国を攻めて滅ぼした(同じ年、高句麗軍が侵入した)。 伝承 | 紀異第一 第三弩禮王 |
| 42年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 三月の禊日に、亀旨峰で天の声が響き、紫の紐に吊るされた金の箱の中から六つの卵が降りてきた。最初に生まれた首露が駕洛国の王となった。 伝承 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 43年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 正月、首露王は都を定めるため新答坪に行幸し、周囲千五百歩の羅城と宮殿を築いた。 伝承 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 43年 〜 48年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 完夏国から来た脱解が王位を奪うと言うと、首露は術くらべで鷹・鷲・雀・隼に変身して勝ち、脱解は船で鶏林の地へ逃げた。 虚構 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 48年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 七月二十七日、南西の海から赤い帆と赤い旗を立てた船が来て、阿踰陀国の公主の許黄玉が到着し、八月一日に首露王とともに宮へ戻った。 伝承 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 57年 | Gyeongju | 六月、脱解が王位に即き、昔を姓とした。 伝承 | 紀異第一 第四脫解王 |
| 60年 | Wolseong, Gyeongju | 八月四日、瓠公が月城の西の村、始林で黄金の箱の中に男児(閼智)を見つけた。 虚構 | 紀異第一 金閼智 |
| 157年 | Yeongil | 東海の浜の延烏郎と細烏女が岩(魚)に乗って日本へ行き、王と貴妃となった。新羅の日と月は光を失った。 虚構 | 紀異第一 延烏郎 細烏女 |
| 189年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 三月一日、許皇后が百五十七歳で死に、亀旨の東北に葬られた。 伝承 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 199年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 三月二十三日、首露王が百五十八歳で死に、水陵王墓に葬られ、居登王が継いで即位した。 伝承 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 284年 〜 298年 | Gyeongju | 伊西国が金城を侵すと、耳に竹の葉を挿した異兵が来て助け、敵を破った。 虚構 | 紀異第一 末鄒王 竹葉軍 |
| 334年 | Pyongyang | 高句麗の国原王が平壌城を増築した。 伝承 | 王曆 |
| 342年 | Wandu | 高句麗の国原王が八月に都を安市城(すなわち丸都城)に移した。 伝承 | 王曆 |
| 371年 | Yangju | 近肖古王が高句麗の南平壌を奪い、北漢城(今の楊州)に都を移した。 伝承 | 紀異第二 南扶餘 前百濟 |
| 390年 | 倭王が使者を送って王子を求めたので、三男の未海(十歳)を送った。倭は三十年間返さなかった。 伝承 | 紀異第一 奈勿王 金堤上 | |
| 407年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 左知王が龍女(傭女)を妻とし、その一族で官職を埋めたため国が乱れた。鶏林が攻めようとし、朴元度の諫言で龍女は河山島へ追放された。 | 紀異第二 駕洛國記 坐知王 |
| 413年 | Yangju | 平壌州に大橋が完成した(南平壌、今の楊州)。実聖王は訥祇を恐れて害そうとしたが、かえって殺された。 | 紀異第一 第十八實聖王 |
| 425年 | Goseong | 堤上が高句麗に入り、五月十五日に保海とともに高城の水口から脱出した。追手の矢じりを抜いた弓に射られたが、無事に帰った。 | 紀異第一 奈勿王 金堤上 |
| 425年 | 堤上が倭に行き、霧の明け方に未海を脱出させ、自身は木島で焼き殺された。「鶏林の犬・豚にはなっても、倭の臣下にはならぬ」と言った。 | 紀異第一 奈勿王 金堤上 | |
| 427年 | Pyongyang | 高句麗の長寿王が都を平壌城に移した。 | 王曆 |
| 452年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 質知王が首露王と許皇后の婚礼の場に王后寺を建て、田十結を寄進した。 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 475年 | Gongju (Ungjin) | 文周王が都を熊川(今の公州)に移した。 | 紀異第二 南扶餘 前百濟 |
| 479年 | Gyeongju | 倭の軍が侵入し、明活城を初めて築いてそこに逃げ込んだ(梁州城の包囲から退いた)。 | 王曆 |
| 488年 | Gyeongju | 毗處王が天泉亭に行幸した時、カラスとネズミに導かれて池の老人から手紙を受け取った。手紙の「琴匣を射よ」に従い、内殿の焼臾僧を殺した。これが正月十五日のオギイル(烏忌日)の由来である。 | 紀異第一 射琴匣 |
| 500年 〜 514年 | 伊飡の朴伊宗が軍を率いて亐陵島を攻め、木製の獅子を船に積み、「降伏しなければこの獣を放つ」と威嚇して降伏させた。 | 紀異第一 智哲老王 | |
| 532年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 駕洛国の仇衡王が新羅に土地を献じて降伏し、首露王以来の国が終わった。 | 王曆 |
| 532年 〜 562年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 新羅の真興王が軍を起こして駕洛国を攻めると、仇衡王は衆寡敵せず国を献じた(年は五三二年または五六二年の二説)。 | 紀異第二 駕洛國記 仇衡王 |
| 538年 | Buyeo (Sabi) | 百済の聖王が春に都を泗沘に移し、国号を南扶余とした。 | 紀異第二 南扶餘 前百濟 |
| 554年 | 九月、百済軍が珍城を攻めて男女三万九千人と馬八千匹を捕らえて去った。 | 紀異第一 真興王 | |
| 600年 〜 641年 | Mireuksa, Iksan | 署童(武王)が山芋を掘って善花公主と結婚し、金を得た。知命法師の神通力で池を埋めて弥勒寺を建てた。 | 紀異第二 武王 |
| 632年 〜 647年 | Gyeongju | 蛙の鳴き声によって、西郊の女根谷に隠れた百済兵五百を殺し、宇蘇将軍とそれに続く千二百も壊滅させた。 | 紀異第一 善德王知幾三事 |
| 659年 | Buyeo (Sabi) | 烏会寺で大きな赤い馬が昼夜寺をめぐり、狐の群れが宮殿に入り、白狐が左平の机に座るなど、怪異が続いた。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 660年 | 金仁問が唐に出兵を求めると、高宗は蘇定方を神丘道行軍総管とし、十三万の軍を送った。 | 紀異第一 大宗春秋公 | |
| 660年 | 蘇定方が城山から海を渡り、国の西の徳勿島に至った。新羅王は金庾信に精兵五万を与えて合流させた。 | 紀異第一 大宗春秋公 | |
| 660年 | Hwangsanseong, Nonsan | 百済の階伯が決死隊五千で黄山に進み、新羅軍と四度戦って毎回勝ったが、ついに敗れて戦死した。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 660年 | Buyeo (Sabi) | 蘇定方が都を囲むと、義慈王の子の泰が門を開いて降伏し、王と太子の隆らも皆降伏した。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 660年 | Gongju (Ungjin) | 百済を五つの都督府(熊津・馬韓・東明・金漣・徳安)に分け、劉仁願に王都を守らせた。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 661年 〜 681年 | Gyeongju | 文武王の弟の車得公が居士の姿で琵琶を持って都を出て、民情を見て回った。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 661年 〜 681年 | Gangneung | 車得公が阿瑟羅州(溟州)を通った。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 661年 〜 681年 | Chuncheon | 牛首州(今の春州)を通った。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 661年 〜 681年 | Chungju | 北原京(今の忠州)を通った。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 661年 〜 681年 | Gwangju (Mujin) | 武珍州に着いて村々を巡ると、主吏の安吉に手厚くもてなされ、「都の皇龍寺と皇城の二寺の間の端午の家を訪ねよ」と告げられた。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 661年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 三月、文武王は首露王を十五代の始祖として祀り、廟の近くの田三十頃を王位田として献じ、祭祀を継がせた。 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 662年 | Pyongyang | 蘇定方は平壌道大総管として浿江で高句麗軍を破り、馬邑山に陣を張って平壌城を包囲したが、大雪で包囲を解いて帰還した。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 662年 〜 668年 | Pyongyang | 唐軍が平壌郊外に駐屯して軍糧を催促すると、金庾信・仁問らが数万人を率いて高句麗の地に入り、穀物二万石を運んで届けた。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 665年 | Gongju (Ungjin) | 文武王が熊津城に行き、扶余隆とともに壇を築き、白馬を殺して盟約を結んだ。 | 紀異第一 大宗春秋公 |
| 668年 | Pyongyang | 文武王が軍を率いて平壌に至り、唐軍と合流して高句麗を滅ぼした。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 671年 〜 674年 | Sacheonwangsa site, Gyeongju | 唐軍が来るという時、明朗は彩色した絹で四天王寺を仮に建て、五方神像を作って秘法を行った。風浪が起こり、唐の船はすべて沈んだ。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 674年 | 二月、唐は劉仁軌を鶏林道総管として新羅を攻めさせた(唐軍が留まって新羅を攻める気配があったという)。 | 紀異第二 文虎王法敏 | |
| 679年 | Sacheonwangsa site, Gyeongju | のちに寺を建て直し、四天王寺と名づけた。 | 紀異第二 文虎王法敏 |
| 681年 | 文武王は在位二十一年に死に、遺言により東海の中の大岩の上に葬られた(死して護国の大龍になることを望んだ)。 | 紀異第二 文虎王法敏 | |
| 681年 | Gyeongju | 神文王が七月七日に即位し、父のために東海のほとりに感恩寺を建てた。 | 紀異第二 万波息笛 |
| 681年 | Gimhae (Garak/Geumgwan) | 神文王が即位すると、駕洛の旧地を金官京とし、太守を置いた。 | 紀異第二 駕洛國記 |
| 702年 〜 737年 | Gangneung | 江陵の太守へ向かう純貞公の夫人水路が海辺で昼食をとった時、崖の上のツツジを求めると、老人が花を捧げた。二日後、臨海亭で海竜が夫人をさらったが、民の海歌によって返された。 虚構 | 紀異第二 水路夫人 |
| 706年 〜 707年 | 飢饉で民が飢えたため、翌年正月一日から七月三十日まで、一人一日三升の穀物を配って救済した(総計三十万五千石)。 | 紀異第二 聖德王 | |
| 722年 | Gyeongju | 十月、毛火郡に関門を築いて日本を防いだ。城壁の周囲は六千七百九十二歩、動員は三万九千二百六十二人。 | 紀異第二 孝成王 |
| 742年 〜 765年 | Gyeongju | 三月三日、景徳王が敀正門の楼に上って道で忠談師を呼び、茶を受け、「安民歌」を作らせた。 | 紀異第二 景德王 忠談師 表訓大德 |
| 767年 | Gyeongju | 七月三日、大恭の角干が反乱を起こし、王都と五道の州郡の九十六角干が互いに争い、三か月にわたって大乱が続いた。 | 紀異第二 惠恭王 |
| 779年 | Gyeongju | 四月、金庾信の墓で旋風が起こって未鄒王陵に入り、訴えた。恵恭王が謝り、功徳宝田三十結を与えた。 | 紀異第一 末鄒王 竹葉軍 |
| 785年 | Gyeongju | 宣徳王が死ぬと、伊飡の金周元は閼川が増水して渡れない間に、継承順位にない敬信が先に入宮して即位した。 | 紀異第二 元聖大王 |
| 795年 | Gyeongju | 唐の使者が都に来て一か月滞在して帰った。 | 紀異第二 元聖大王 |
| 795年 | Hayang | 元聖王が河陽館まで追って宴を開き、唐の使者が作った小さな三匹の龍を放させた。 虚構 | 紀異第二 元聖大王 |
| 808年 | 八月十五日、雪が降った。 | 紀異第二 早雪 | |
| 818年 | 三月十四日、大雪が降った。 | 紀異第二 早雪 | |
| 826年 | Gyeongju | 興徳王が即位すると、まもなく唐から使者がオウム一つがいを持ってきた。雌が死ぬと、雄は鏡に映った自分を見て死んだ。 | 紀異第二 興德王鸚鵡 |
| 839年 | 五月十九日、大雪が降った。八月一日、天地が暗くなった。 | 紀異第二 早雪 | |
| 839年 | Cheonghaejin, Wando | 神武王が即位した後、約束を破られた恨みを抱いた清海鎮の兵の弓福(弓巴)が、廉長にそそのかされて剣で斬られた。 | 紀異第二 神武大王閻長 弓巴 |
| 861年 | Gyeongju | 景文王(膺廉)が憲安王の遺詔により即位した。耳がロバの耳になったという話。 | 紀異第二 四十八景文大王 |
| 867年 | Sangju | 甄萱は尚州の加恩県の人として生まれた(父の阿慈介は沙弗城で将軍を名乗った)。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 875年 〜 886年 | Ulsan | 憲康王が開雲浦で霧に道を失うと、東海の龍が七人の息子を連れてきて舞を捧げ、その一人の処容が都までついてきて政務を助けた。 虚構 | 紀異第二 處容郎 望海寺 |
| 887年 〜 897年 | Gyeongju | 乳母の富豪夫人と魏弘らが権力を振るい、盗賊が跋扈した。陀羅尼の隠語の詩を道に投げた王居人が獄に入れられたが、天の雷で解き放たれた。 伝承 | 紀異第二 真聖女大王居陀知 |
| 887年 〜 897年 | 唐へ使者として行く楊覇が鵠島で風浪に阻まれ、くじで選ばれた残りの弓の名人の居陀知が、西海の竜の頼みで老狐を射殺し、竜の娘を妻に得た。 | 紀異第二 真聖女大王居陀知 | |
| 889年 〜 892年 | Gwangju (Mujin) | 甄萱が武珍州を襲って自ら王と名乗ったが、正式の称号は用いず、新羅西南道都統などを名乗った。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 892年 | Gwangju (Mujin) | 甄萱が初めて光州に都を定めた。 | 王曆 |
| 896年 | Cheorwon | 弓裔が鉄圓城に都を定めた。 | 王曆 |
| 897年 | Gaeseong | 弓裔が都を松岳郡に移した。 | 王曆 |
| 900年 | Jeonju (Wansan) | 甄萱が完山で後百済王を称し、官制を定めた。百済の恨みを晴らすと宣言した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 912年 | Gyeongju | 奉聖寺の外門の二十一間に、カササギが巣を作る怪異が続いた。 | 紀異第二 孝恭王 |
| 918年 | Cheorwon | 六月に弓裔が死に、太祖が鉄原京で即位した。 | 王曆 |
| 918年 〜 919年 | Sacheonwangsa site, Gyeongju | 四天王寺の壁の絵の犬が吠え、翌年、皇龍寺の塔の影が逆さに立ち、五方神の弓の弦が切れるなど怪異が続いた。 | 紀異第二 景明王 |
| 918年 | Cheorwon | 鉄原京の民心が変わり、太祖が推戴されて即位すると、甄萱は使者を送って祝い、孔雀扇と智異山の矢竹を献じた。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 919年 | Gaeseong | 太祖が都を松岳郡に移した(この年、法王寺・慈雲寺など十の寺を建てた)。 | 王曆 |
| 920年 | 十月、甄萱が三千騎を率いて曹物城に至り、太祖と戦ったが勝負がつかず、和睦して人質を交換した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 | |
| 924年 | Gyeongju | 二月十九日、皇龍寺で百座説経を開き、禅僧三百人に供養した。 | 紀異第二 景哀王 |
| 927年 | 九月、甄萱が新羅を攻めて高鬱府に至ると、景哀王は高麗の太祖に救援を求めた。 | 紀異第二 金傅大王 | |
| 927年 | Gyeongju | 十一月、甄萱が王京に攻め入り、鮑石亭で宴を催していた景哀王を捕らえて殺し、金傅を立てた。 | 紀異第二 金傅大王 |
| 927年 | 九月、甄萱が近品城を攻めて奪い焼き払い、続いて高鬱府・慶州に侵入した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 | |
| 927年 | Daegu | 太祖が精兵五千で公山の下で甄萱と大いに戦ったが敗れ、金樂と申崇謙が戦死し、太祖は身一つでかろうじて逃れた。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 928年 | Gyeongju | 三月、太祖が五十騎を率いて都に着くと、王は郊外に出迎え、臨海殿で宴を催した。 | 紀異第二 金傅大王 |
| 930年 | Andong | 甄萱が古昌郡を攻めようとしたが、太祖が甁山に陣を張って何度も戦い、甄萱が敗れて順城は陥落した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 932年 | 九月、甄萱が一吉に船団を率いさせて高麗の礼城江に入り、三日間留まって塩州・白州・鎭州の船百隻を焼いて去った。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 | |
| 934年 | 甄萱が太祖の運州滞在を知って急襲したが、劉黔弼が騎兵で撃ち、三千余の首を斬ると、熊津以北の三十余城が降伏した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 | |
| 935年 | Gyeongju | 十月、敬順王が臣下と相談して国ごと太祖に降伏することにし、太子は皆骨山へ去った。 | 紀異第二 金傅大王 |
| 935年 | 三月、神剣が英順らとともに甄萱を金山の仏宇に閉じ込め、金剛を殺して自立した。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 | |
| 936年 | Seonsan (Ilseon) | 九月、太祖が三軍を率いて天安で合流し、一善に進んで神剣の軍と一利川で対峙し、後百済軍は崩れた。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| 936年 | Hwangsanseong, Nonsan | 甄萱が心労と憤りから背中に腫れ物ができ、数日後に黄山寺で死んだ(七十歳)。 | 紀異第二 後百濟 甄萱 |
| — | Myohyangsan | 桓雄が三千の従者を率いて太伯山の頂の神壇樹の下に降り、神市を開いた。 | 紀異第一 古朝鮮 |
| — | Pyongyang | 檀君王倹が平壌城に都を定め、初めて朝鮮と称した。 | 紀異第一 古朝鮮 |
| — | Pyongyang | 燕の人衛満が亡命し、千余の従者とともに浿水を渡って王険に都を定めた。 | 紀異第一 魏滿朝鮮 |
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