ヴィルアルドゥアン『コンスタンティノープル征服記』

ヴィルアルドゥアン『コンスタンティノープル征服記』(正史 の史料)。扱う年は1201年 〜 1207年、出来事50件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点外側の視点
扱う年1201年 〜 1207年
出来事の数出来事50件・地図に置いた40件
著者Geoffroi de Villehardouin
原題Histoire de la conquête de Constantinople (Chronicle of the Fourth Crusade and the Conquest of Constantinople)

地域の内訳: 西アジア 27 · 南ヨーロッパ 22 · 西ヨーロッパ 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1201年Venice十字軍の使節がヴェネツィアと輸送契約を結ぶ — 騎士・馬・歩兵の輸送と9か月分の食糧、代金8万5千マルク、海上の戦利品は折半part_01 L278–L285 (CONDITIONS PROPOSED BY THE DOGE)
1201年Soissonsモンフェッラート侯ボニファチオがシャンパーニュ伯の後を継いで十字軍の総帥となる(ソワソンの果樹園での会議)part_01 L484–L498 (BONIFACE, MARQUIS OF MONTFERRAT, BECOMES CHIEF)
1202年Venice老いて盲目のヴェネツィア総督ダンドロ自らが十字架を受け、遠征に同行することを決めるpart_01 L700–L741 (THE DOGE AND A NUMBER OF VENETIANS TAKE THE CROSS)
1202年Verona廃位されたイサキオスの子アレクシオスが逃れてヴェローナに至り、十字軍に助けを求める使節を送るpart_01 L746–L780 (MESSAGE OF ALEXIUS)
1202年Venice十字軍の艦隊がヴェネツィアの港を出る — 投石機・攻城具300基以上を積むpart_01 L801–L812 (THE CRUSADERS LEAVE VENICE TO BESIEGE ZARA)
1202年Zara十字軍とヴェネツィア艦隊がダルマチアのザラを包囲 — 港の鎖を断ち、市を取り囲むpart_01 L815–L831 (THE CRUSADERS LEAVE VENICE TO BESIEGE ZARA)
1202年Zara5日ほどの攻撃の後、ザラの住民は降伏して市を総督の慈悲に委ねる — 命のみ保証され、市はヴェネツィアとフランク人が半分ずつ分けるpart_01 L849–L913 (THE INHABITANTS OF ZARA OFFER TO CAPITULATE … ZARA IS TAKEN)
1202年Zaraザラ市内でヴェネツィア人とフランク人が大乱闘 — 一晩中あちこちの通りで衝突し、フランドルの高位の人物ジル・ド・ランダ(Giles of Landas)が戦死part_01 L928–L951 (THE CRUSADERS ESTABLISH THEMSELVES IN THE CITY … AFFRAY)
1202年Zaraフィリップ王の義弟アレクシオスが復位の代償に20万マルク・食糧・1年間の従軍を申し出る — 十字軍側の12人が誓約して承諾part_01 L969–L987; L1036–L1046 (DISCORD AMONG THE CRUSADERS)
1203年Corfu艦隊がコルフ島を出発 — 春の順風に帆をいっぱいに張るpart_01 L1254–L1260 (DEPARTURE FROM CORFU)
1203年Abydosダーダネルス海峡のアビュドスの住民が抵抗なく降伏 — 軍は8日間滞在して小麦を集めるpart_01 L1302–L1315 (DEPARTURE FROM CORFU… ANDROS AND ABYDOS)
1203年Constantinople十字軍の艦隊は海峡をさかのぼり、コンスタンティノープルの対岸、聖ステファノス修道院の前に錨を下ろすpart_01 L1320–L1330 (ARRIVAL AT ST. STEPHEN)
1203年Chalcedon十字軍は海峡を渡ってカルケドンに上陸し皇帝の宮殿に宿営 — 続いて騎兵は海岸沿いにスクタリへ向かうpart_01 L1389–L1410 (THE CRUSADERS LAND AT CHALCEDON AND SCUTARI)
1203年Constantinopleコンスタンティノープルの港のガラタの塔を攻めて占領 — 港の鎖を断ち、艦隊を港内に入れるpart_01 L1612–L1648 (CAPTURE OF THE TOWER OF GALATA)
1203年Constantinople1203年7月17日木曜の朝、10日近い準備の末、十字軍が城壁への総攻撃を開始part_01 L1757–L1783 (ASSAULT OF THE CITY)
1203年Constantinople盲目の総督が聖マルコの旗を掲げて上陸を押し進める — ヴェネツィア軍は城壁の塔25基を占領part_01 L1801–L1831 (CAPTURE OF TWENTY-FIVE TOWERS)
1203年Constantinopleアレクシオス3世は金銀を携えてコンスタンティノープルから逃れ、視力を失ったイサキオス2世が再び皇帝に立てられるpart_01 L1905–L1921 (ALEXIUS ABANDONS CONSTANTINOPLE)
1203年Constantinople若きアレクシオスは8月1日の聖ペトロ祭にギリシャ皇帝の流儀で戴冠 — 未払いの金を分け与えるpart_01 L2033–L2039 (ENTRY OF THE CRUSADERS INTO CONSTANTINOPLE)
1203年Constantinopleギリシャ人とラテン人の住民が衝突し、火災が起きて市が二昼夜燃える — ラテン人約1万5千人が海峡を渡って十字軍の陣営へ移るpart_01 L2160–L2194 (CONFLICT BETWEEN THE GREEKS AND LATINS … BURNING OF THE CITY)
1203年 〜 1204年Constantinopleギリシャ人が火をつけた船7隻を海峡の風に乗せて十字軍艦隊へ送る — ヴェネツィアの船が一晩中火船を引き出して海へ流すpart_01 L2308–L2344 (THE WAR BEGINS — THE GREEKS ENDEAVOUR TO SET FIRE TO THE FLEET)
1204年Constantinopleギリシャ貴族ムルツフロスが夜にアレクシオス4世を寝床から引きずり出して投獄し、自ら皇帝となる — イサキオス2世もほどなく死に、アレクシオス4世は絞殺されるpart_01 L2353–L2376 (MOURZUPHLES USURPS THE EMPIRE)
1204年Constantinople4月8日木曜に乗船し、翌金曜の朝から城壁百か所余りを攻撃 — 十字軍は押し返されて船へ戻るpart_01 L2523–L2550 (ATTACK OF THE CRUSADERS REPULSED)
1204年Constantinople4月12日月曜、十字軍が城壁の塔を越えて市を占領 — ムルツフロスは黄金門から逃走part_01 L2702–L2712; L2719–L2726 (FLIGHT OF MOURZUPHLES)
1204年Constantinople13日の朝、ブコレオン宮殿がボニファチオに、ブラケルナエ宮殿がアンリに降伏 — 宮中の金銀と宮廷の貴婦人たちが捕らえられるpart_01 L2748–L2770 (THE CRUSADERS OCCUPY THE CITY)
1204年Constantinople略奪品を三つの教会に集めて分配 — ヴェネツィアに5万マルク、兵力が10万マルク以上を分け合う(歩兵2人を騎兵1人と数える)part_01 L2797–L2841 (DIVISION OF THE SPOIL)
1204年Constantinopleボードゥアン(ボールドウィン)の戴冠、ハギア・ソフィア大聖堂 — 1204年5月16日part_02 L65–67
1204年Thessalonica (Salonika)ボードゥアンはボニファチオにテッサロニキの地を与えることにする(約束した土地の代わりに) — ボニファチオは臣従の誓いを立てるpart_02 L86–88
1204年Constantinopleムルツフロス(目を潰した後に殺害した者)はコンスタンティノープルの円柱から投げ落とされて処刑されるpart_02 L563–565
1204年Thessalonica (Salonika)ボニファチオはテッサロニキ近郊でアレクシオス(イサキオスの兄、彼の目を潰した者)を捕虜にするpart_02 L574–577
1204年Adrianopleボニファチオは軍を率いてアドリアノープルを包囲(ディディモティコ占領の後)part_02 L280–283
1204年Demoticaボニファチオはディディモティコの城をその市のギリシャ人の降伏によって得て、守備隊を置くpart_02 L254–256
1204年Abydosアンリ(ボードゥアンの弟)が海峡を渡ってアビュドスを占領し、そこでギリシャ人との戦いを始める — 1204年11月11日以後part_02 L590–596
1204年Poemaninonポイマネノン前の平原でテオドロス・ラスカリス軍と戦う — 騎士140対大軍、フランク人の勝利part_02 L683–685
1205年Adramyttiumアドラミッティオン前でコンスタンティノス・ラスカリスの大軍と激戦 — フランク人の勝利、捕虜と戦利品を得るpart_02 L719–727
1205年Adrianopleアドリアノープル前でカロヤン(ヨハニツァ)軍と戦う — ボードゥアンは生け捕られ、ルイ伯は戦死し、大軍は敗走part_02 L1137–1138
1205年 〜 1206年Philippopolisカロヤンがフィリッポポリスを陥落させる — 大司教は殺害され市民は虐殺、城壁と宮殿は取り壊されるpart_02 L1612–1613
1206年Rusiumルシオン近くで、テルモンドのティエリ側のフランク騎士120余人の大半が戦死または捕虜となる — 生き残ったのは10人だけpart_02 L1705–1708
1206年Napoli (Apros)カロヤンがアプロスを陥落させる — ラテン人の指揮官らが殺され、市は破壊され、住民は捕虜となるpart_02 L1761–1763
1206年Rodosto (Tekirdağ)カロヤンがロドスト(ヴェネツィア守備隊が逃げた町)を破壊し、住民を捕虜にするpart_02 L1791–1792
1206年Demoticaアンリの軍が来ると聞いて、カロヤンはディディモティコの攻城具を焼いて撤退part_02 L1974–1976
1206年Stanimac13か月包囲されていたステニマカ城のルニエ・ド・トリ(Renier of Trit)を救援隊が救出part_02 L2012–2014
1206年Constantinople皇帝アンリの戴冠、ハギア・ソフィア大聖堂 — 1206年8月20日part_02 L2075–2079
1206年谷間でカロヤンに連れ去られようとしていた捕虜約2万人と荷車3千台を取り戻すpart_02 L2146–2149
1206年Fermeアンリの軍がカロヤンの地のフェルム城を占領・略奪した後、焼き払うpart_02 L2188–2189
1207年Constantinople皇帝アンリはボニファチオの娘アグネスとハギア・ソフィアで結婚 — 1207年2月4日ごろpart_02 L2262–2265
1207年Cibotosラスカリスの艦隊と陸軍がキボトス城(ウィリアム・ド・サンが築いていた城)を海陸から包囲 — 騎士40余人が守るpart_02 L2338–2340
1207年Adrianopleカロヤンが4月いっぱいアドリアノープルを攻める — 城壁2か所を崩すが、クマン人の離脱で包囲は解かれるpart_02 L2447–2452
1207年Nicomediaニコメディアの戦いでアンリ側の執事長ティエリ・ド・ルー(Thierry de Loos)が捕らえられ、守備隊の大半が捕虜となるpart_02 L2551–2555
1207年Nicomediaラスカリスと2年間の休戦 — スキザ城とニコメディアの教会要塞を取り壊し、捕虜を交換part_02 L2596–2603
1207年Messinopolis (산지)ボニファチオはメシノポリスの山への遠征中にブルガリア軍の待ち伏せで矢に当たって戦死し、首はカロヤンに送られるpart_02 L2747–2749

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