北史 本紀(正史 の史料)。扱う年は386年 〜 618年、出来事199件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 386年 〜 618年 |
| 出来事の数 | 出来事199件・地図に置いた117件 |
| 著者 | 李延壽 |
| 原題 | 北史 本紀 (卷1~12) |
地域の内訳: 中国 198 · 朝鮮半島 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 386年 | 牛川 | 拓跋珪(道武帝)が代王に即位し、天に祭祀を行い、年号を立て、牛川で大会を開いた。 | 北史 卷1 登國元年 |
| 386年 | 高柳 | 劉顯側の窟咄が南の境界を圧迫したため、後燕(慕容垂)の賀驎軍と高柳で合流し、窟咄を大破した。 | 北史 卷1 登國元年 |
| 391年 | 鐵歧山 | 衛辰が子の直力鞮を派遣して南部を攻めると、鉄歧山の南で大破し、衛辰父子は逃走した。 | 北史 卷1 登國6年 |
| 393年 | 薛幹 | 衛辰の子屈丐を匿って引き渡さない薛幹部を南征し、城を屠った。 | 北史 卷1 登國8年 |
| 395年 | 參合陂 | 参合陂で後燕の慕容宝の侵攻軍を大破し、王公以下の文武の将数千人を捕らえた。 | 北史 卷1 登國10年 |
| 396年 | 馬邑 | 皇帝は六郡四十余万を率いて馬邑から南下し、句注を越えて後燕征討に出た。 | 北史 卷1 皇始元年 |
| 396年 | 晉陽 | 陽曲に続いて晋陽を見下ろすと、後燕の并州牧慕容農は城を捨てて逃げ、并州が平定された。 | 北史 卷1 皇始元年 |
| 397年 | 信都 | 騎兵を率いて信都を包囲し、その夜慕容鳳は中山へ逃げ、翌日城は降伏した。 | 北史 卷1 皇始2年 |
| 397年 | 钜鹿 | 鉅鹿の柏肆塢に駐屯していた夜、慕容宝が全軍で夜襲をかけたが、奇陣で迎え撃って大破した。 | 北史 卷1 皇始2年 |
| 397年 | 新市 | 新市で賀驎を義台塢の戦いで大破し、投降者二万余り。ついで中山が平定された。 | 北史 卷1 皇始2年 |
| 398年 | 鄴 | 鄴に至り宮城を巡って、定都の意志を持ち、行台を設けた。 | 北史 卷1 天興元年 |
| 398年 | 平城 | 平城に遷都し、宮殿を造り、宗廟と社稷を建て始めた。 | 北史 卷1 天興元年 |
| 398年 | 平城 | 天文殿で璽綬を受けて皇帝に即位し、大赦と改元を行い、五行では土徳と定めた。 | 北史 卷1 天興元年 |
| 399年 | 高車の雑種三十余部を、三路に分かれた軍が一斉に合流して撃破した。 | 北史 卷1 天興2年 | |
| 402年 | 乾壁 | 姚興が乾壁を陥落させると、自ら西征して蒙坑を越え、姚興の救援軍を大破した。 | 北史 卷1 天興5年 |
| 409年 | 平城 | 清河王拓跋紹が反乱を起こし、道武帝は平城の天安殿で崩御した(三十九歳)。 | 北史 卷1 天賜6年 |
| 410年 | 牛川 | 長孫嵩の軍が大漠から帰還中、柔然に牛川で包囲され、明元帝は北伐に出た。 | 北史 卷1 永興2年 |
| 416年 | 滑臺 | 宋の劉裕の部将王仲徳が、魏の兗州刺史尉建が放棄した滑台に入った。 | 北史 卷1 泰常元年 |
| 418年 | 龍城 | 長孫道生が北燕の馮跋を襲撃し、龍城まで至って一万余戸を移して帰還した。 | 北史 卷1 泰常3年 |
| 422年 | 滑臺 | 奚斤の軍が黄河を渡って宋の滑台を攻めたが陥落させられず、増援を要請した。 | 北史 卷1 泰常7年 |
| 423年 | 武牢 | 宋の毛徳祖が守っていた武牢は、長い包囲と水の断絶の末に崩れた。 | 北史 卷1 泰常8年 |
| 424年 | 盛樂 | 柔然の騎兵六万が雲中に入り盛楽を陥落させ、太武帝は軽騎兵で討伐した。 | 北史 卷2 始光元年 |
| 427年 | 統萬 | 赫連昌を大破し統万城に入り、宮人と財宝を大量に奪った。 | 北史 卷2 始光4年 |
| 428年 | 安定 | 奚斤が安定に進軍、安頡が出撃して赫連昌を捕らえた。(残党は赫連定を立てて平涼へ逃れた。) | 北史 卷2 神䴥元年 |
| 429年 | 栗水 | 砂漠で輜重を捨て、軽騎兵で栗水まで追撃すると、柔然は西へ逃げた。 | 北史 卷2 神䴥2年 |
| 430年 | 洛陽 | 安頡が黄河を渡り、宋が守っていた洛陽を陥落させた。(続いて武牢も平定。) | 北史 卷2 神䴥3年 |
| 430年 | 平涼 | 平涼を包囲すると、赫連定の弟の赫連社が降伏し、長安などの守将は逃げ去って関中が平定された。 | 北史 卷2 神䴥3年 |
| 431年 | 赫連定は北へ沮渠蒙遜を襲撃しようとして、吐谷渾の慕璝に捕らえられた。 | 北史 卷2 神䴥4年 | |
| 432年 | 和龍 | 和龍に至り塹壕を掘って包囲した(北燕の馮弘を攻略)。 | 北史 卷2 延和元年 |
| 439年 | 姑臧 | 姑臧を包囲した末、北涼の沮渠牧犍が文武五千人を率いて軍門で降伏し、二十余万の戸口を収めた。 | 北史 卷2 太延5年 |
| 442年 | 鄯善 | 酒泉王沮渠無諱が流沙を越えて鄯善を占拠した。 | 北史 卷2 太平真君3年 |
| 443年 | 仇池 | 仇池を陥落させた(後に氐・羌が楊文徳を立てて再び包囲した)。 | 北史 卷2 太平真君4年 |
| 445年 | 鄯善 | 萬度歸が軽騎で鄯善に至り、王の真達を捕らえて京師へ送った。 | 北史 卷2 太平真君6年 |
| 446年 | 東雍 | 東雍で河東の蜀の薛永宗を捕らえて殺した。男女老若すべてが水に飛び込んで死んだ。 | 北史 卷2 太平真君7年 |
| 446年 | 諸州で沙門を穴に埋め仏像を壊すよう命じた(太武帝の廃仏)。 | 北史 卷2 太平真君7年 | |
| 448年 | 焉耆 | 萬度歸が焉耆を大破、王の鳩屍卑那は亀茲へ逃げた。 | 北史 卷2 太平真君9年 |
| 450年 | 懸瓠 | 南征中、皇帝の車駕が懸瓠の征伐に出た。 | 北史 卷2 太平真君11年 |
| 450年 | 瓜步山 | 淮を渡り長江北岸の瓜歩山に行宮を設けた。宋の文帝が和平と通婚を求めた。 | 北史 卷2 太平真君11年 |
| 452年 | 中常侍宗愛の謀反により、太武帝は永安宮で崩御した(四十五歳)。 | 北史 卷2 正平2年 | |
| 458年 | 碣石山 | 遼西の黄山宮で碣石山に登り、海を眺め、山頂で群臣と宴を開いた。 | 北史 卷2 太安4年 |
| 467年 | 呂梁 | 尉元が呂梁の東で宋の張永・沈攸之を大破した。 | 北史 卷2 皇興元年 |
| 469年 | 東陽 | 東陽が陥落し、宋の沈文秀が捕らえられた。 | 北史 卷2 皇興3年 |
| 470年 | 曼頭山 | 長孫観が曼頭山で吐谷渾の什寅を大破した。 | 北史 卷2 皇興4年 |
| 471年 | 献文帝が太子(孝文帝)に璽綬を渡して帝位を譲り、太上皇帝となった。 | 北史 卷2 皇興5年 | |
| 493年 | 平城 | 歩兵・騎兵三十余万を率いて平城を発ち、南伐に出た(洛陽での遷都論議へとつながる)。 | 北史 卷3 太和17年 |
| 493年 | 洛陽 | 洛陽で群臣が馬前にひれ伏し南伐の中止を請うたので中止し、遷都計画を論じた。 | 北史 卷3 太和17年 |
| 493年 | 洛陽 | 穆亮・李沖・董爵に洛陽(洛京)の造営を始めさせた。 | 北史 卷3 太和17年 |
| 493年 | 鄴 | 鄴の西に造った宮殿が完成し、そこへ移り住んだ。 | 北史 卷3 太和17年 |
| 494年 | 平城 | 平城宮に戻り、朝堂で遷都に際して残る者と移る者を分けた。 | 北史 卷3 太和18年 |
| 494年 | 懸瓠 | 南伐の途上、懸瓠(豫州)に至った。 | 北史 卷3 太和18年 |
| 495年 | 鐘離 | 淮水の南を回って鐘離に行幸した(斉軍三千を捕らえて放した)。 | 北史 卷3 太和19年 |
| 495年 | 洛陽 | 六宮と文武の官員がみな洛陽へ移った。 | 北史 卷3 太和19年 |
| 497年 | 長安 | 長安に行幸して未央殿・阿房宮・昆明池を巡覧した。 | 北史 卷3 太和21年 |
| 497年 | 新野 | 南伐の途上、新野に至り、赭陽攻略は諸将に任せた。 | 北史 卷3 太和21年 |
| 498年 | 鄧城 | 南斉の崔慧景・蕭衍の軍を鄧城で大破した。 | 北史 卷3 太和22年 |
| 499年 | 谷塘原 | 南伐中、孝文帝は谷塘原の行宮で三十三歳で崩御した。 | 北史 卷3 太和23年 |
| 500年 | 壽春 | 南斉の豫州刺史裴叔業が寿春を挙げて北魏に帰順した。 | 北史 卷4 景明元年 |
| 504年 | 義陽 | 元英が義陽で梁の馬仙琕を破り、義陽を陥落させた。 | 北史 卷4 正始元年 |
| 504年 | 漢中 | 行梁州事の夏侯道遷が漢中を挙げて北魏に降伏した。 | 北史 卷4 正始元年 |
| 505年 | 劍閣 | 邢巒の統軍王足が西へ梁軍を繰り返し破り、剣閣へ入った。 | 北史 卷4 正始2年 |
| 506年 | 鐘離 | 邢巒が淮南で梁軍を大破し、鐘離を攻撃した。 | 北史 卷4 正始3年 |
| 507年 | 鐘離 | 鐘離に大水が出て、中山王元英が大敗して引き返した。 | 北史 卷4 正始4年 |
| 508年 | 信都 | 冀州刺史京兆王元愉が冀州を挙げて反乱(後に李平が信都を陥落させた)。 | 北史 卷4 永平元年 |
| 508年 | 懸瓠 | 邢巒が懸瓠を陥落させ、反乱の首謀者白早生を斬り、梁の将らを捕らえた。 | 北史 卷4 永平元年 |
| 514年 | 益州 | 高肇を大将軍・平蜀大都督とし、歩騎十五万で益州を西から攻めさせた。 | 北史 卷4 延昌3年 |
| 516年 | 硤石 | 崔亮・李平らが梁の将趙祖悦の守る硤石を陥落させ、彼を斬って全軍を捕らえた。 | 北史 卷4 熙平元年 |
| 524年 | 沃野 | 沃野鎮の人破六韓抜陵が鎮将を殺して反乱を起こした(六鎮の乱の始まり)。 | 北史 卷4 正光5年 |
| 524年 | 秦州 | 秦州の人莫折大提が城を奪って秦王を名乗り、刺史李彦を殺した。 | 北史 卷4 正光5年 |
| 525年 | 彭城 | 徐州刺史元法僧が城を奪って宋王を名乗り、梁に帰順して子を梁に送った。 | 北史 卷4 孝昌元年 |
| 526年 | 博野 | 葛栄が博野の白牛邏で光陽王元深・章武王元融の軍を破り、元融が戦死した。 | 北史 卷4 孝昌2年 |
| 526年 | 幽州 | 杜洛周が幽州を陥落させ、刺史王延年と行台常景を捕らえた。 | 北史 卷4 孝昌2年 |
| 527年 | 冀州 | 葛栄が冀州を陥落させ、刺史元孚を捕らえた。 | 北史 卷4 孝昌3年 |
| 528年 | 陶渚 | 爾朱栄が陶渚で霊太后と幼い皇帝、丞相の高陽王元雍ら公卿二千人を殺した(河陰の変)。 | 北史 卷5 永安元年 |
| 528年 | 滏口 | 爾朱栄が騎兵七千で滏口において葛栄を攻めて捕らえ、河北の五州が平定された。 | 北史 卷5 永安元年 |
| 529年 | 濟南 | 上党王元天穆が済南で邢杲を大破し、邢杲が降伏した。 | 北史 卷5 永安2年 |
| 529年 | 洛陽 | 梁の後援を受けた北海王元顥が洛陽に入り、皇帝は北へ避難した。 | 北史 卷5 永安2年 |
| 530年 | 安定 | 爾朱天光が安定で萬俟醜奴・蕭宝夤を撃ち、捕らえて関中が平定された。 | 北史 卷5 永安3年 |
| 530年 | 晉陽 | 爾朱兆が洛陽を襲撃し、孝荘帝を晋陽へ移した。 | 北史 卷5 永安3年 |
| 531年 | 信都 | 勃海王高歓が信都で爾朱氏を討つと称して挙兵した。 | 北史 卷5 普泰元年 |
| 531年 | 信都 | 高歓の軍が信都に至ると、高幹・封隆之が城門を開いて迎え、冀州を手中に収めた。 | 北史 卷6 普泰元年 |
| 532年 | 韓陵 | 高歓が韓陵で爾朱天光らを撃破した。 | 北史 卷5 普泰2年 |
| 532年 | 鄴 | 高歓は土山と地下道による攻撃の末に鄴城を陥落させ、拠点とした。 | 北史 卷6 普泰2年(永熙元年 표기) |
| 532年 | 晉陽 | 爾朱兆を北伐した後、高歓は晋陽が四方を塞がれた要衝だとして、大丞相府を置いて定住した。 | 北史 卷6 永熙元年 |
| 533年 | 赤洪嶺 | 竇泰が爾朱兆の本拠を奇襲し、赤洪嶺まで追撃して破ると、爾朱兆は自害した。 | 北史 卷6 永熙2年 |
| 534年 | 河橋 | 孝武帝が六郡十余万の軍を率いて河橋に駐屯し、高歓と対峙した。 | 北史 卷5 永熙3年 |
| 534年 | 長安 | 孝武帝は西へ逃れ、宇文泰の出迎えを受けて長安に入った。 | 北史 卷5 永熙3年 |
| 534年 | 鄴 | 高歓が元善見(孝静帝)を立てて鄴に遷都し、魏は東西に分裂した。 | 北史 卷5 永熙3年 |
| 534年 | 鄴 | 東魏の孝静帝が即位し、車駕を北の鄴へ移した。 | 北史 卷5 東魏天平元年 |
| 534年 | 洛陽 | 孝武帝が長安へ逃れた後、高歓が洛陽に入り永寧寺に滞在した。 | 北史 卷6 永熙3年 |
| 534年 | 略陽 | 宇文泰が略陽一帯で侯莫陳悦の軍を大破し、悦は逃げる途中、牽屯山で死んだ。 | 北史 卷9 永熙3年 |
| 535年 | 雲陽谷 | 高歓が雲陽谷の山胡・劉蠡升(自称天子)を襲撃して大破した。 | 北史 卷6 天平2年 |
| 536年 | 夏州 | 高歓が一万騎で西魏の夏州を襲撃し、刺史費也頭賀抜俄弥突を捕らえ、五千戸を移住させた。 | 北史 卷6 天平3年 |
| 537年 | 沙苑 | 勃海王高歓が西征に出たが、沙苑で敗北した。 | 北史 卷5 東魏天平4年 |
| 537年 | 小關 | 宇文泰が小関で高歓の部将竇泰を奇襲し、全軍を捕らえ、竇泰を斬った。 | 北史 卷9 大統3年 |
| 537年 | 弘農 | 宇文泰が弘農を攻めて陥落させ、東魏の陝州刺史李徽伯と八千の兵を捕らえた。 | 北史 卷9 大統3年 |
| 538年 | 洛陽 | 東魏の侯景らが洛陽を包囲すると、文帝と宇文泰が東へ出征した。 | 北史 卷5 大統4年 |
| 542年 | 玉壁 | 高歓が西魏の王思政の守る玉壁城を包囲したが、西軍は出てこず、大雪で兵が死んだため十一月に撤退した。 | 北史 卷6 興和4年 |
| 543年 | 邙山 | 高歓が邙山で西魏軍を大破し、恒農まで追撃した。 | 北史 卷5 東魏武定元年 |
| 546年 | 玉壁 | 高歓が韋孝寛の守る玉壁を五十日攻めたが陥落させられず、七万人が死んで塚を成し、病を得て引き返した。 | 北史 卷6 武定4年 |
| 547年 | 潁川 | 東魏の司徒侯景が潁川で河南六州を挙げて西魏に帰順した。 | 北史 卷5 大統13年 |
| 547年 | 晉陽 | 高歓が晋陽で五十二歳で没した(発喪は六月)。 | 北史 卷6 武定5年 |
| 548年 | 渦陽 | 高嶽らが渦陽で侯景を大破し、五万余人を捕らえまたは斬った。 | 北史 卷5 東魏武定6年 |
| 548年 | 黎陽 | 高澄が南の黎陽に至り、武牢で黄河を渡って洛陽を経て太行を越え、晋陽へ戻った。 | 北史 卷6 武定6年 |
| 549年 | 建康 | 侯景が梁の建業(建康)を陥落させた。 | 北史 卷5 東魏武定7年 |
| 549年 | 潁川 | 高澄が潁川を攻めて陥落させ、西魏の大将軍王思政らを捕らえた。 | 北史 卷5 東魏武定7年 |
| 549年 | 安陸 | 楊忠が随州を陥落させ、安陸で梁の馬岫を包囲した。 | 北史 卷9 大統15年 |
| 550年 | 東魏の孝静帝が斉王高洋に帝位を譲った(北斉の建国、天保元年)。 | 北史 卷5 東魏武定8年 | |
| 550年 | 鄴 | 高洋(文宣帝)が南郊で即位して北斉を建て、改元した。(原文は続けて鄴下の適作の献上を記す。) | 北史 卷7 天保元年 |
| 551年 | 南鄭 | 達奚武が散関を出て南鄭(梁州)を攻めに向かった。 | 北史 卷9 大統17年 |
| 552年 | 代郡 | 文宣帝が代郡で庫莫奚を直接攻めて大破し、捕虜を山東の民とした。 | 北史 卷7 天保3年 |
| 553年 | 成都 | 大将軍尉遅迥が成都を陥落させ、剣南が平定された。 | 北史 卷5 西魏廢帝2年 |
| 553年 | 平州 | 平州に至り、長塹方面へ向かい、徒歩で山を越えて契丹を大破した。 | 北史 卷7 天保4年 |
| 553年 | 馬邑 | 突厥を討って蠕蠕の庫提を廃し、阿那瓌の子の菴羅辰を馬邑川に置き、突厥の降伏を受けた。 | 北史 卷7 天保4年 |
| 553年 | 姑臧 | 宇文泰が精鋭騎兵三万で隴を越え金城河を渡って姑臧に至ると、吐谷渾は恐れて方物を献じた。 | 北史 卷9 西魏廢帝2年 |
| 554年 | 石樓 | 山胡を大いに破って十二歳以上の男子をすべて殺し、石楼を平定した。 | 北史 卷7 天保5年 |
| 554年 | 黃瓜堆 | 蠕蠕の数万騎に黄瓜堆で囲まれたが、包囲を破って追撃し、三万余りを捕らえた。 | 北史 卷7 天保5年 |
| 554年 | 江陵 | 于謹が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺し、百官・民十余万を奴隷として連れ帰った。 | 北史 卷9 西魏恭帝元年 |
| 555年 | 夏首 | 清河王高岳が長江を渡り夏首を陥落させ、梁の陸法和が降伏を請うた。 | 北史 卷7 天保6年 |
| 555年 | 懷朔 | 軽騎五千で懐朔鎮において蠕蠕を追いつき大破し、沃野まで至った。 | 北史 卷7 天保6年 |
| 556年 | 西魏の恭帝が北周に禅譲した(西魏滅亡)。 | 北史 卷5 西魏恭帝3年 | |
| 556年 | 鍾山 | 蕭軌らが鍾山の西で梁軍と戦ったが、長雨に敗れ、将軍らは全滅した。 | 北史 卷7 天保7年 |
| 556年 | 雲陽 | 宇文泰は雲陽で病にかかり、宇文護に後事を託し、十月に雲陽宮で死んだ。 | 北史 卷9 西魏恭帝3年 |
| 559年 | 晉陽 | 文宣帝が晋陽宮の徳陽堂で三十一歳で急逝した。 | 北史 卷7 天保10年 |
| 559年 | 洮陽 | 賀蘭祥が吐谷渾の洮陽・洪和の二城を陥落させた。 | 北史 卷9 明帝武成元年 |
| 560年 | 晉陽 | 高演(孝昭帝)が晋陽の宣徳殿で即位した。 | 北史 卷7 皇建元年 |
| 561年 | 晉陽 | 孝昭帝が晋陽宮で二十七歳で崩御し、長広王高湛を呼んで後を継がせた。 | 北史 卷7 皇建2年 |
| 563年 | 并州 | 北周の楊忠が突厥十余万とともに三路で攻め込み、并州を圧迫した。 | 北史 卷8 河清2年 |
| 564年 | 晉陽 | 晋陽城の西で戦い、段韶が北周・突厥軍を大破し、辺境まで追撃した。 | 北史 卷8 河清3年 |
| 564年 | 軹關 | 婁睿が軹関で北周軍を大破し、楊摽を捕らえた。 | 北史 卷8 河清3年 |
| 564年 | 洛陽 | 段韶が尉遅迥らを大破し、洛陽の包囲を解いた。 | 北史 卷8 河清3年 |
| 564年 | 洛陽 | 尉遅迥が洛陽を包囲し、宇文憲は芒山に、宇文護は陝州に駐屯した(第一次北斉征伐)。 | 北史 卷10 保定4年 |
| 564年 | 洛陽 | 北斉軍が黄河を渡って明け方に洛陽へ迫ると周軍は散り、王雄が戦死して撤退した。 | 北史 卷10 保定4年 |
| 567年 | 沌口 | 衛公宇文直らが沌口で陳の淳于量・呉明徹と戦い、敗れた。 | 北史 卷10 天和2年 |
| 571年 | 龍門 | 斉公宇文憲が龍門で黄河を渡り、斛律光を華谷へ退け、新たに築かれた五城を陥落させた。 | 北史 卷10 天和6年 |
| 572年 | 武帝は大総宰の宇文護とその子宇文会らを殺し、親政を始めた。 | 北史 卷10 建德元年 | |
| 573年 | 呂梁 | 陳の呉明徹と呂梁の南で戦い、北斉軍は大敗し、秦・涇・和・合の四州を失った。 | 北史 卷8 武平4年 |
| 573年 | 壽陽 | 陳の呉明徹が寿陽を陥落させた。 | 北史 卷8 武平4年 |
| 574年 | 仏教と道教を禁じ、経典と仏像を破壊し、僧侶と道士を還俗させた(北周の廃仏)。 | 北史 卷10 建德3年 | |
| 575年 | 洛陽 | 北周軍が洛川に入って芒山に駐屯し洛城を圧迫、火船で浮橋を焼き、河橋が断たれた。 | 北史 卷8 武平6年 |
| 575年 | 河陰 | 武帝は六郡を率いて北斉の河陰大城を陥落させたが、子城を抜けず、病を得て九月に撤退した。 | 北史 卷10 建德4年 |
| 576年 | 晉州 | 北周軍が晋州を攻撃した(後主は狩りの最中)。 | 北史 卷8 武平7年 |
| 576年 | 晉州 | 北周の武帝が晋州救援に来て、城南の戦いで斉軍を大破し、後主は軍を捨てて先に逃げた。 | 北史 卷8 武平7年 |
| 576年 | 晉陽 | 安徳王高延宗が晋陽で即位して戦ったが、周軍に大敗して捕らえられた。 | 北史 卷8 武平7年 |
| 576年 | 晉州 | 晋州刺史崔嵩が内応し、明け方に城に登って晋州を陥落させた。 | 北史 卷10 建德5年 |
| 576年 | 晉州 | 晋州の前での決戦で北斉軍は大崩れし、軍需物資が数百里にわたり積み上がった。 | 北史 卷10 建德5年 |
| 576年 | 并州 | 武帝は晋陽で昼夜戦い、高延宗を捕らえて并州が平定された。 | 北史 卷10 建德5年 |
| 577年 | 鄴 | 周軍が迫ると、幼主は鄴から東へ逃げた。 | 北史 卷8 承光元年 |
| 577年 | 青州 | 太上皇(後主)が青州南の鄧村で周将尉暹綱に捕らえられ鄴へ護送され、北斉は滅びた。 | 北史 卷8 承光元年 |
| 577年 | 鄴 | 鄴を包囲して大破し平定した(北斉の首都陥落)。 | 北史 卷10 建德6年 |
| 577年 | 青州 | 尉勤が青州で北斉の後主と太子恒を捕らえた。 | 北史 卷10 建德6年 |
| 577年 | 呂梁 | 陳の呉明徹が呂梁を攻めると、梁士彦は戦ったが不利となり徐州へ退いた。 | 北史 卷10 建德6年 |
| 578年 | 呂梁 | 王軌が呂梁で陳軍を大破し、呉明徹らを捕らえ、三万余人を斬りまたは捕虜とした。 | 北史 卷10 宣政元年 |
| 578年 | 雲陽 | 北伐中に皇帝は病にかかり雲陽宮に留まった(六月に崩御)。 | 北史 卷10 宣政元年 |
| 579年 | 洛陽 | 山東の諸州の兵を動員して洛陽宮を造らせた(常時四万人)。 | 北史 卷10 大象元年 |
| 579年 | 壽陽 | 韋孝寬が寿陽、宇文亮が黄城、梁士彦が広陵を陥落させ、江北が平定された。 | 北史 卷10 大象元年 |
| 580年 | 鄴 | 相州総管尉遅迥が交替を拒んで挙兵し、楊堅の執権に反発した。 | 北史 卷10 大象2年 |
| 580年 | 鄴 | 韋孝寛が鄴で尉遅迥を破ると、迥は自殺し、相州が平定された。 | 北史 卷10 大象2年 |
| 580年 | 益州 | 梁睿が王謙を破って斬り、益州が平定された。 | 北史 卷10 大象2年 |
| 581年 | 北周の静帝が隋に禅譲した(北周滅亡)。 | 北史 卷10 大定元年 | |
| 581年 | 青海 | 元諧が青海で吐谷渾を破り、降伏させた。 | 北史 卷11 開皇元年 |
| 582年 | 馬邑 | 李充が馬邑で突厥を撃破した。 | 北史 卷11 開皇2年 |
| 583年 | 大興城 | 新しい都・大興城に喪服で入った。 | 北史 卷11 開皇3年 |
| 583年 | 涼州 | 竇栄定が涼州で突厥と吐谷渾を破った。 | 北史 卷11 開皇3年 |
| 587年 | 江陵 | 後梁を廃して江陵を恩赦し、蕭琮を柱国・莒国公とした。 | 北史 卷11 開皇7年 |
| 588年 | 六合 | 晋王楊広は六合へ、秦王は襄陽へ、楊素は信州へ出て陳を討った。総勢五十一万八千(九十総管)。 | 北史 卷11 開皇8年 |
| 589年 | 建康 | 賀若弼が蔣山で陳軍を破り、韓擒が建業に入って陳主叔宝を捕らえ、陳を平定した。 | 北史 卷11 開皇9年 |
| 590年 | 會稽 | 婺州・会稽・蘇州など江南各地で、天子や大都督を称する反乱が起き、楊素が平定した。 | 北史 卷11 開皇10年 |
| 598年 | 漢王楊諒を元帥に、水陸三十万を送って高句麗を征伐したが、九月に疫病が流行して撤退した。 | 北史 卷11 開皇18年 | |
| 600年 | 太子楊勇とその子らを庶人に落とし、十一月に楊広を太子とした。 | 北史 卷11 開皇20年 | |
| 604年 | 仁壽宮 | 仁寿宮で病が重くなった文帝は群臣と別れを告げ、七月丁未に六十四歳で崩御した。 | 北史 卷11 仁壽4年 |
| 604年 | 并州 | 并州総管漢王楊諒が挙兵すると、楊素がこれを平定した。 | 北史 卷12 仁壽4年 |
| 605年 | 洛陽 | 楊素・楊達・宇文愷に東京(洛陽)の造営を命じ、予州の民を移して住まわせた。 | 北史 卷12 大業元年 |
| 605年 | 板渚 | 河南の男女七百万人を動員して通済渠を掘り、板渚で黄河の水を引いて淮水に通じさせた。 | 北史 卷12 大業元年 |
| 605年 | 江都 | 皇帝は龍舟に乗って江都へ行幸し、数百隻が二百里余り続いた。 | 北史 卷12 大業元年 |
| 606年 | 洛陽 | 伊闕から儀仗を整えて東京に入り、端門で大赦を行った。 | 北史 卷12 大業2年 |
| 607年 | 榆林 | 楡林郡の城の東に大天幕を張り、啓民可汗と部族三千五百人を宴でもてなした。 | 北史 卷12 大業3年 |
| 607年 | 榆林 | 成年男子百余万人を動員して楡林から紫河まで長城を築いた。二十日で工事を打ち切ったが、死者は十人のうち五、六人に及んだ。 | 北史 卷12 大業3年 |
| 608年 | 涿郡 | 河北の男女百余万人を動員して永済渠を掘り、沁水から黄河へ、北は涿郡まで通じさせた。 | 北史 卷12 大業4年 |
| 609年 | 大鬥拔谷 | 大鬥抜谷の険しい道で風雨・霙に遭い、後宮と離れ、兵の大半が凍死した。 | 北史 卷12 大業5年 |
| 609年 | 張掖 | 張掖に至り高昌王と会い、ついで西域の地を受けて西海などの四郡を設置した。 | 北史 卷12 大業5年 |
| 610年 | 洛陽 | 弥勒仏を自称する盗賊数十人が建国門から入り反乱を企てたが、斉王楊暕に斬られた。 | 北史 卷12 大業6年 |
| 611年 | 涿郡 | 江都から龍舟で通済渠に入り、涿郡へ行幸した(高句麗遠征の準備)。 | 北史 卷12 大業7年 |
| 611年 | 大水で山東・河南の三十余郡が水没し、民は互いに奴隷として売られた。高句麗への徴発とともに盗賊が起こった。 | 北史 卷12 大業7年 | |
| 612年 | 涿郡 | 高句麗遠征軍が涿郡に集結した(総勢百十三万、補給は倍)。 | 北史 卷12 大業8年 |
| 612年 | 遼東 | 皇帝は遼水を渡り、東岸で大戦して破り、遼東城を包囲した。 | 北史 卷12 大業8年 |
| 612年 | 薩水 | 宇文述・薛世雄らが薩水で敗れ(別動の九軍が崩れて引き返した)、七月に撤退した。 | 北史 卷12 大業8年 |
| 613年 | 平壤 | 皇帝は遼を渡り、宇文述・楊義臣を平壌城へ向かわせた(第二次遠征)。 | 北史 卷12 大業9年 |
| 613年 | 黎陽 | 礼部尚書楊玄感が黎陽で反乱を起こした(遠征軍の補給を担当中)。続いて東都を圧迫した。 | 北史 卷12 大業9年 |
| 613年 | 閿鄉 | 宇文述らが閿郷で楊玄感を破って斬り、反乱が平定された。 | 北史 卷12 大業9年 |
| 614年 | 高句麗が降伏を請い、斛斯政を縛って送ってくると、煬帝は大いに喜んだ(第三次遠征終了)。 | 北史 卷12 大業10年 | |
| 615年 | 雁門 | 始畢可汗が数十万の騎兵で雁門を包囲し、皇帝は包囲された(九月に解かれた)。 | 北史 卷12 大業11年 |
| 616年 | 江都 | 皇帝は江都宮へ行幸し、以後戻らなかった。 | 北史 卷12 大業12年 |
| 617年 | 樂壽 | 竇建徳が河間の楽寿に壇を築き、長楽王を称した。 | 北史 卷12 大業13年 |
| 617年 | 興洛倉 | 李密・翟譲らが興洛倉を陥落させ、以後倉を開いて民衆に分け、その数は数十万に達した。 | 北史 卷12 大業13年 |
| 617年 | 太原 | 唐公李淵が太原で義兵を挙げた。 | 北史 卷12 大業13年 |
| 617年 | 霍邑 | 霍邑で唐公が宋老生を破って斬り、長安への道を開いた。 | 北史 卷12 大業13年 |
| 617年 | 大興城 | 唐公が京師大興城に入り、煬帝を太上皇に、代王侑を立てた。 | 北史 卷12 大業13年 |
| 618年 | 江都 | 宇文化及が江都宮で太上皇(煬帝)を殺害した。 | 北史 卷12 義寧2年 |
| 618年 | 恭帝が唐の李淵に禅譲した(隋滅亡)。 | 北史 卷12 義寧2年 |
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