旧五代史 本紀(正史 の史料)。扱う年は898年 〜 960年、出来事199件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 898年 〜 960年 |
| 出来事の数 | 出来事199件・地図に置いた186件 |
| 著者 | 薛居正 등 |
| 原題 | 舊五代史 本紀 |
地域の内訳: 中国 199
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 898年 | 貝州 | 幽州の劉仁恭は藩・漢兵十万を号して大挙して魏を攻め、貝州を陥れて城民を皆殺しにした。 | 舊五代史 卷2 |
| 898年 | 德州 | 五月庚寅、徳州を攻めて陥れ、刺史の傅公和の首を城壁に晒した。 | 舊五代史 卷2 |
| 901年 | 華州 | 乙卯、梁軍が華州の城下に集結すると、韓建は慌てふためいて城を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷2 |
| 903年 | 華州 | 丙辰、華州留後の李存審は飛騎を派遣し、青州の王師範が牙将の張厚に甲冑・兵器を積ませて謀略を仕掛けようとして来たと知らせた。 | 舊五代史 卷2 |
| 903年 | 臨朐 | 九月癸卯、楊師厚は臨朐で王師範と戦い、青州軍は大敗して一万余りを殺され、師範の弟の師克が捕らえられた。 | 舊五代史 卷2 |
| 907年 | 汴州 | 天子は御史大夫の薛貽矩を遣わし、禅譲の意向を伝えさせた。 | 舊五代史 卷3 |
| 907年 | 汴州 | 唐の昭宣帝は自ら書状を下して梁に禅譲した(『通鑑』による)。 | 舊五代史 卷3 |
| 907年 | 鄂州 | 鄂州は淮夷の攻撃を繰り返し受け、包囲が急となって兵糧が尽き、杜洪は救援を求めた。 | 舊五代史 卷3 |
| 907年 | 江陵 | 周汭の水軍が鄂州の境に至ったとき、朗州は盟約を破り、江陵の隙を突いて軍を放ち襲撃・略奪した。 | 舊五代史 卷3 |
| 907年 | 鄂州 | 武昌は包囲一年余りで兵糧が尽き、救援もなく淮の賊に陥落し、杜洪は淮の軍へ護送された。 | 舊五代史 卷3 |
| 908年 | 鼎口 | 淮の賊は朗州を救うため戦船百余隻で西へ遡り、鼎口に停泊した。 | 舊五代史 卷4 |
| 908年 | 潞州 | 五月丁丑、王師は潞州を包囲して二年近く、李進通は間もなく降伏する形勢となった。 | 舊五代史 卷4 |
| 908年 | 潞州 | 太原の李存勖は北方の蕃部諸族に厚い贈り物で誼を通じ、領内の壮丁を集めて上党を救うため決戦しようとした。 | 舊五代史 卷4 |
| 908年 | 幕穀 | 同州の劉知俊は軍を率いて撃退し、幕穀まで追撃して大敗させ、数千を殺すか捕らえ、武器・甲冑を収めた。 | 舊五代史 卷4 |
| 908年 | 晉州 | 甲午、太原の歩騎数万が晋・絳を圧迫したが、十日余りを経ても勝てず、大軍が来るとの報に陣営を焼いて逃走した。 | 舊五代史 卷4 |
| 908年 | 太原 | 二月壬戌、李存璋に伏兵を置かせて李克寧を誅殺し、反乱を平定した。 | 舊五代史 卷27 |
| 908年 | 曹州 | 同月、唐の少帝(李柷)が曹州で崩じた。梁祖が人を遣わして毒殺させたのである。 | 舊五代史 卷27 |
| 908年 | 潞州 | 李嗣源は親軍で東北の隅を攻め、李存璋・王覇は陣営を焼き、夾城を両路から掘り崩した。 | 舊五代史 卷27 |
| 908年 | 潞州 | 李嗣源が夾城の東北の隅を破って先陣を切ると、梁軍は大いに驚いて南へ逃げ、一万余の首級を挙げた。 | 舊五代史 卷27 |
| 909年 | 商州 | 商州刺史の李稠は軍を捨てて西へ逃げ、本州都牙校の李玫が州務を臨時に執った。 | 舊五代史 卷4 |
| 909年 | 襄州 | 九月丁酉、その城を陥れ、反乱兵千人を斬り、李洪・楊虔らを洛陽へ送って斬首した。 | 舊五代史 卷5 |
| 909年 | 邠州 | 陝州の康懐英と華州の寇彦卿を派遣して軍を率いさせ、邠・寧を圧迫して朔方の賊を遅らせた。 | 舊五代史 卷5 |
| 909年 | 晉州 | 八月、帝は軍を率いて南征し、周徳威・李存審・丁會を先に出して陰地関を出させ晋州を攻め、地下道を掘った。 | 舊五代史 卷27 |
| 910年 | 湖州 | 鎮海軍節度使の銭鏐は湖州で高灃を大いに破り、一万を殺すか捕らえ、湖州を陥れて平定した。 | 舊五代史 卷5 |
| 910年 | 夏州 | 大軍が包囲すると、廷隠・漢玫、張初・李君用らは州民と防衛兵を率い、仁福と分担して昼夜堅く守った。 | 舊五代史 卷5 |
| 910年 | 鎮州 | 鎮州の王鎔と定州の王処直が反乱して晋人と結んだため、将を遣わして討伐させた。 | 舊五代史 卷6 |
| 910年 | 澤州 | 冬十月、梁祖は李思安・楊師厚を遣わして澤州に陣を張らせ、上党を攻めさせた。 | 舊五代史 卷27 |
| 910年 | 柏鄉 | 丁丑、王景仁が柏郷に陣を張ると、帝は親征して讃皇県から東へ進んだ。 | 舊五代史 卷27 |
| 911年 | 柏鄉 | 梁の将王景仁・韓勍・李思安らは数十騎で夜中に逃走した。 | 舊五代史 卷27 |
| 911年 | 柏鄉 | この戦いで二万の首級を斬り、馬三千頭、甲冑・兵器七万点を得た。 | 舊五代史 卷27 |
| 911年 | 黎陽 | 黎陽の都将・張從楚と曹儒が部下三千を率いて投降し、その軍を左右匡覇使とした。 | 舊五代史 卷27 |
| 911年 | 博州 | 乙丑、周徳威は臨清から貝郡を巡り博州を攻め、東武・朝城を陥れた。 | 舊五代史 卷27 |
| 912年 | 棗強 | 勅により、棗強県を攻めて陥れた功のある将校の杜暉ら十一人の官位を特進させた。 | 舊五代史 卷7 |
| 912年 | 洛陽 | 韓勍は牙兵五百人を率い、朱友珪の控鶴士に紛れて入り、禁中に伏せた。夜、門を切り開いて寝殿に至り、侍従はみな散った。 | 舊五代史 卷7 |
| 912年 | 幽州 | 周徳威が幽州に迫ると、守光は軍を出して防いだが、燕将の王行方ら四百人が来て帰順した。 | 舊五代史 卷28 |
| 912年 | 魏州 | 甲子、梁祖は洛陽から魏州へ向かい、楊師厚・李周彝を鎮州の棗強へ、賀徳倫を蓚県へ遣わした。 | 舊五代史 卷28 |
| 912年 | 滄州 | 辛丑、滄州の都将・張萬進は留後の劉繼威を殺し、みずから滄帥と称して梁に帰順の意を伝え、帝にも降伏を求めた。 | 舊五代史 卷28 |
| 912年 | 羊頭岡 | 五月乙卯朔、周徳威は羊頭岡で燕軍を大いに破り、大将の單廷珪を捕らえ、五千余りの首級を挙げた。 | 舊五代史 卷28 |
| 912年 | 河中 | 秋八月、朱友珪は韓勍・康懐英・牛存節に兵五万を与え、河中を急襲させた。 | 舊五代史 卷28 |
| 912年 | 平陽 | 癸未、帝は澤州の道から河中へ向かい、平陽で梁将の康懐英と遭遇して破り、千余の首級を挙げ、白径嶺まで追撃した。 | 舊五代史 卷28 |
| 913年 | 汴州 | 二月庚寅、後梁の朱友珪が部将の袁象先に殺され、均王の朱友貞が汴州で即位した。 | 舊五代史 卷1 |
| 913年 | 下博 | 劉守奇が一軍を率いて貝州から冀州の衡水・阜城を劫掠し、下博を陥れた。 | 舊五代史 卷8 |
| 913年 | 順州 | 正月丁巳、周徳威は順州を陥れ、刺史の王在思を捕らえた。 | 舊五代史 卷28 |
| 913年 | 幽州 | 守光は百騎余りで山中に隠れたが、徳威が急行して城門を塞いだため、守光は親将の李小喜ら七騎とともに燕城へ入った。 | 舊五代史 卷28 |
| 914年 | 徐州 | 蔣殷が淮南に救援を求めると、楊溥は大将の朱瑾を派遣して助けたが、牛存節らが迎え撃って勝った。 | 舊五代史 卷8 |
| 915年 | 魏州 | 三月二十九日夜、魏軍が反乱を起こして放火・略奪し、まず龍驤軍を襲った。王彦章は関門を斬り開いて逃げた。 | 舊五代史 卷8 |
| 915年 | 澶州 | 秋七月、梁の澶州刺史の王彦章は帝軍の圧迫を恐れ、城を捨てて逃げた。 | 舊五代史 卷28 |
| 915年 | 貝州 | 八月、梁将の賀瑰が澶州を襲って奪うと、帝は李存審に兵五千を与えて貝州を攻め、塹壕を掘って包囲させた。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 太原 | 同月、梁主は別将の王檀に兵五万を与え、陰地関から晋陽へ向かい急襲させた。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 莘縣 | 劉鄩が莘県で敗れ、王檀が晋陽から逃げたと聞いて、梁主は「わが事は終わった」と嘆いた。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 相州 | 相州節度使の張筠が城を捨てて逃げ、袁建豊が相州刺史となった。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 蔚州 | 契丹が蔚州に入り、振武節度使の李嗣本が契丹に捕らえられた。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 滄州 | 梁の滄州節度使の戴思遠が城を捨てて逃げ、旧将の毛璋がその城に入った。 | 舊五代史 卷28 |
| 916年 | 代州 | 契丹が辺境を侵すと、帝は親軍を率いて北征したが、代州の北で蔚州陥落の報を聞いて引き返した。 | 舊五代史 卷28 |
| 917年 | 黎陽 | 二月甲申、晋王が黎陽を攻めたが、劉鄩が防いで退けた。 | 舊五代史 卷9 |
| 917年 | 新州 | 二月甲午、新州の将・盧文進が節度使の李存矩を殺し、契丹へ逃れて契丹を率い新州を攻めた。 | 舊五代史 卷28 |
| 917年 | 新州 | 契丹が新州を急襲し、刺史の安金全は城を捨てて逃げた。契丹は盧文進の副将の劉殷を刺史に据えた。 | 舊五代史 卷28 |
| 917年 | 楊劉 | 梁人が占拠した楊劉城には柵が連なっていたが、帝は黄河の氷上を渡ってすべてを平定し、楊劉城を攻めた。 | 舊五代史 卷28 |
| 918年 | 胡柳陂 | 癸亥、北面招討使の賀瑰が大軍を率いて晋人と胡柳陂で戦い、晋人が敗れた(梁側の記録による)。 | 舊五代史 卷9 |
| 918年 | 濮陽 | 梁の残兵で汴に帰還した者は千人に満たず、帝軍はついに濮陽を陥れた。 | 舊五代史 卷28 |
| 919年 | 兗州 | 癸未、兗州節度使の張守進の官爵を、反逆を理由に剥奪する制書が下された。 | 舊五代史 卷9 |
| 919年 | 兗州 | 同月、劉鄩が兗州を攻め陥れ、張守進を捕らえて一族を滅ぼした。 | 舊五代史 卷9 |
| 919年 | 德勝 | 夏四月、梁将の賀瑰が徳勝南城を包囲し、百方向から攻撃し、蒙衝船で渡し場を塞いだ。 | 舊五代史 卷29 |
| 919年 | 魏州 | 冬十月、帝は晋陽から魏州に至り、数万を徴発して徳勝北城を拡げ、以後毎日梁軍と接戦した。 | 舊五代史 卷29 |
| 919年 | 德勝 | 梁の王瓚は陣を張って待ち構えたが、帝軍の鉄騎が突撃すると梁軍は大いに逃げ、水に溺れる者が多く、瓚は北城へ逃れて守った。 | 舊五代史 卷29 |
| 920年 | 同州 | 六月、兗州節度使の劉鄩と華州節度使の尹皓らに軍を率いて同州を攻めさせた。 | 舊五代史 卷10 |
| 920年 | 同州 | 騎兵が接戦すると蒲人がやや退いたが、李嗣昭が軽騎で防ぎ、梁軍は崩れて二千余の首級を挙げ、追撃した。 | 舊五代史 卷29 |
| 921年 | 陳州 | 開封府の太康・襄邑・雍丘の三県は陳州の賊軍との衝突を被った。そこで夏の税は、その県で収穫した分に限って納めさせた。 | 舊五代史 卷10 |
| 921年 | 趙州 | 八月、趙州を攻めると刺史の王鋌は符節・印璽を送って迎えた。閻宝は鎮州の城下に至り、西北に陣を張った。 | 舊五代史 卷29 |
| 921年 | 戚城 | 李嗣源が鉄騎三千で突撃すると梁軍は大敗し、二万を捕らえるか斬った。 | 舊五代史 卷29 |
| 921年 | 鎮州 | 十一月、帝が鎮州の城下に至ると、張処瑾は弟の処琪らを遣わして降伏を請うたが、言葉が不遜だったため、彼らを監禁した。 | 舊五代史 卷29 |
| 921年 | 涿州 | 十二月辛未、王鬱は契丹の安巴堅を誘って幽州を侵し、軍を率いて涿州へ向かい陥れた。 | 舊五代史 卷29 |
| 922年 | 成安 | 梁人は備えがあることを知り、西へ洹水を渡って成安を陥れ、去った。 | 舊五代史 卷29 |
| 922年 | 鎮州 | 三月丙午、王師は鎮州の城下で敗れ、閻宝は趙州へ退いて守った。 | 舊五代史 卷29 |
| 922年 | 衛州 | 八月、梁将の段凝が衛州を陥れ、刺史の李存儒が捕らえられた。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 澤州 | 澤州刺史の裴約は李繼韜の謀に従わなかったため、董璋を澤州刺史に任じ、軍を率いて攻めさせた。 | 舊五代史 卷10 |
| 923年 | 博州 | 戊子、王彦章・杜晏球が博州の新壘を急襲したが勝てず、鄒口へ退いて守った。 | 舊五代史 卷10 |
| 923年 | 汴州 | ある者が洛陽へ西に逃げるよう勧めたが、趙岩は「この楼を一度降りれば、誰の心を頼みにできようか」と言った。 | 舊五代史 卷10 |
| 923年 | 魏州 | 帝が柏郷で梁軍を破り趙・魏を平定してから四十九年後、鄴宮(魏州)で即位した。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 德勝 | 五月辛酉、王彦章は夜、主力を率いて楊村から川沿いに下り、徳勝の浮橋を断ち、南城を攻めて陥れた。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 楊劉 | 己巳、王彦章・段凝が大軍で楊劉南城を攻め、焦彦賓・李周が堅く守った。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 鄒家口 | 秋七月丁未、帝が黄河に沿って南下すると、梁軍は鄒家口を捨てて夜中に逃げた。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 朝城 | 戊戌、梁の左右先鋒指揮使の康延孝が百騎を率いて投降すると、帝は心を虚しくして接見し、御衣・玉帯を与えた。 | 舊五代史 卷29 |
| 923年 | 中都 | 甲戌、帝は中都を攻めた。もともと城に守備がなく、軍勢が雲のように集まると、梁の民は自ら崩れた。 | 舊五代史 卷30 |
| 923年 | 汴州 | 己卯の明け方、前軍が汴城に至り、李嗣源が封丘門を攻めさせると、梁の開封尹の王瓚は城を挙げて降伏を請うた。 | 舊五代史 卷30 |
| 924年 | 潞州 | 丙申、潞州の小校の楊立が城に拠って反乱し、李嗣源を招討使として討伐させた。 | 舊五代史 卷31 |
| 925年 | 洛陽 | 壬寅、皇太后が長寿宮で崩じた。帝は宮中で喪に服し、遺令を外に示させた。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 洛陽 | 興聖宮使・魏王の李繼岌を西川四面行営都統とし、侍中・枢密使の郭崇韜を西川東北面行営招討使とした。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 大散關 | 戊寅、西征軍が大散関に入ると、偽の鳳州節度使・王承捷らが次々に降伏した。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 三泉 | 辛巳、偽の興州刺史・王承鑑らが城を捨てて逃げ、康延孝は三泉で蜀軍を大いに破った。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 利州 | 王衍は敗報を聞いて利州から成都へ逃げ、吉柏津を断ち、浮橋で去った。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 興州 | 己丑、魏王の李繼岌が興州に至ると、偽の東川節度使・宋光葆が梓・綿・劍・龍・普の五州を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 劍州 | 甲辰、魏王が剣州に至ると、偽の武信軍節度使・王宗壽が遂・合・渝・瀘・忠の五州を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 漢州 | 康延孝・李嚴が漢州に至ると、王衍は人を遣わして牛と酒で降伏を請い、李嚴が先に成都に入った。 | 舊五代史 卷33 |
| 925年 | 魏州 | 去年は天下に大水が出て、十月には鄴の地で大地震が起き、民の中には他郡へ逃げた者があったという。 | 舊五代史 卷34 |
| 926年 | 魏州 | 夕方、趙在禮は軍を率いて宮城を占拠し、皇甫暉らを都虞候・斬斫使とした。兵は大いに略奪した。 | 舊五代史 卷34 |
| 926年 | 魏州 | 辛丑、元行欽が鄴都に至って南門を攻め、詔書で説得すると、趙在禮は羊と酒を献じ、城に登って遙拝した。 | 舊五代史 卷34 |
| 926年 | 洛陽 | 帝は流れ矢に当たり、正午に絳霄殿の廊下の下で崩じた。享年四十三。 | 舊五代史 卷34 |
| 926年 | 魏州 | 三月六日、嗣源が鄴都に至ると、趙在禮らは城に登って謝罪し、犠牲と穀物を出して軍を慰労した。嗣源は鄴城の西に陣を置いた。 | 舊五代史 卷35 |
| 926年 | 魏州 | 従馬直の軍士・張破敗が諸軍に号令し、各々が都将を殺し、陣営に火を放った。鬨の声は雷のようだった。 | 舊五代史 卷35 |
| 926年 | 洛陽 | 天成元年夏四月丙午、帝は興聖宮から西宮へ移り、文武百官は喪服を着け、帝は斬衰をまとって殯宮に侍した。 | 舊五代史 卷36 |
| 926年 | 洛陽 | 荘宗が内乱に遭った際に逃げた宦官数百人のうち、僧となって太原まで至った七十余人を、すべて都で誅殺した。 | 舊五代史 卷36 |
| 926年 | 汴州 | 汴州駐屯の控鶴指揮使・張諫らが謀反して誅され、枢密使の孔循が汴州の軍州事を臨時に執った。 | 舊五代史 卷36 |
| 927年 | 江陵 | 壬寅、荊南節度使・南平王の高季興の官爵を剥奪する制書が下された。 | 舊五代史 卷38 |
| 927年 | 汴州 | 翌日、汴州に至って城を攻め陥れ、朱守殷は処刑された。 | 舊五代史 卷38 |
| 928年 | 定州 | 晏球は城内に備えがあると知って急攻しようとしなかったが、朱宏昭・張虔釗が功を立てようと堡塁攻撃を促したため、やむなく進軍した。 | 舊五代史 卷39 |
| 928年 | 滿城 | 満城まで追撃して再び破り、二千の首級を挙げ、馬千頭を得た。 | 舊五代史 卷39 |
| 930年 | 忠州 | 壬申、黔南節度使の楊漢章は董璋の攻撃を受けて城を捨て、忠州へ逃げた。 | 舊五代史 卷41 |
| 930年 | 成都 | 乙亥、西川節度使の孟知祥が董璋と共に反乱したとして、官爵を剥奪する制書が下された。 | 舊五代史 卷41 |
| 931年 | 太原 | 辛酉、左補闕の李詳が、北京(太原)で数日にわたり地震が起きたとして、使者を遣わして民を慰め山川を祭るよう上奏した。 | 舊五代史 卷42 |
| 932年 | 方渠 | 己丑、邠州節度使の藥彦稠と霊武節度使の康福に歩騎七千を与え、方渠へ行かせて党項の反乱者を討たせた。 | 舊五代史 卷43 |
| 933年 | 洛陽 | 十二月癸卯朔、西宮で発喪し、帝は柩の前で即位した。 | 舊五代史 卷45 |
| 934年 | 鳳翔 | 庚申、西面歩軍都監の王景従が軍前から来て、今月十五日に大軍が鳳翔を攻めたと報告した。 | 舊五代史 卷45 |
| 934年 | 鳳翔 | 十六日、大将が外城を攻めると、帝(潞王)は城に登って涙を流しながら叫び、兵をなだめた。 | 舊五代史 卷46 |
| 934年 | 長安 | 二十日、長安に至ると副留守の劉遂雍が城を挙げて降伏し、京兆の民の財物で軍を慰労した。 | 舊五代史 卷46 |
| 934年 | 靈寶 | 二十六日、霊宝に至ると河中節度使の安彦威が来て降伏し、罪を請うたので赦して返した。 | 舊五代史 卷46 |
| 934年 | 衛州 | 閔帝が洛陽から衛へ逃げる途中で石敬瑭と出会い、ともに閔帝を連れて衛州へ戻った。 | 舊五代史 卷75 |
| 935年 | 忻州 | 石敬瑭が忻州に駐屯していたとき、ある日兵たちが騒がしく万歳を叫んだ。敬瑭は暉らを斬ってこれを止めた。 | 舊五代史 卷47 |
| 936年 | 太原 | 壬寅、石敬瑭の官爵を剥奪し、直ちに張敬達に進軍させて討伐させた。 | 舊五代史 卷48 |
| 936年 | 魏州 | 壬子、鄴都駐屯の捧聖都虞候・張令昭が節度使の劉延皓を追放し、城に拠って反乱した。 | 舊五代史 卷48 |
| 936年 | 晉安寨 | 夜、残りの兵を集めて晋祠の南の晋安寨を守ったが、蕃軍が濠を掘って包囲し、以後の消息は絶えた。 | 舊五代史 卷48 |
| 936年 | 晉安寨 | 甲子、太原行営副招討使の楊光遠が招討使の張敬達を晋安寨で殺し、軍を率いて契丹に降った。 | 舊五代史 卷48 |
| 936年 | 團柏谷 | 戎王が晋高祖とともに南下すると、趙徳鈞の父子と諸将は団柏谷から南へ逃げ、王師は蕃騎に追われた。 | 舊五代史 卷48 |
| 936年 | 太原 | 十一月己亥、帝(高祖)は北京の崇元殿で長興七年を天福元年と改め、大赦を行った。 | 舊五代史 卷76 |
| 936年 | 河陽 | 己卯、河陽の北に至ると節度使の萇從簡が降伏した。船はすでに整えられていた。 | 舊五代史 卷76 |
| 936年 | 河陽 | 十二月乙酉朔、河陽に行幸して契丹・蕃部の兵を送り帰らせ、末帝を庶人に降す詔を出した。 | 舊五代史 卷76 |
| 937年 | 河陽 | 同日、張從賓もまた反乱し、範延光と謀って皇子で河陽節度使の重信と東都留守の重乂を害した。 | 舊五代史 卷76 |
| 939年 | 靈州 | 霊州の戍将・王彦忠が懐遠城に拠って反乱したが、供奉官の斉延祚が赴くと、彦忠は部下を率いて出て降伏した。 | 舊五代史 卷78 |
| 939年 | 洛陽 | 西京に大水が出て、伊・洛・澗がみな溢れ、天津橋を壊した。 | 舊五代史 卷78 |
| 940年 | 安州 | 戊申、鄂州の賊軍と安陸の南に陣を張って三度戦い、勝って三千の首級を挙げ、千余人を生け捕りにした。 | 舊五代史 卷79 |
| 940年 | 安州 | 丁巳、淮夷の偽校・李承裕が城内の財物を略奪して逃げたため、馬全節が入城して残った民を慰撫し、安審暉を派遣して追撃させた。 | 舊五代史 卷79 |
| 941年 | 鎮州 | 吐渾は契丹の虐待に苦しみ、鎮州の安重榮の誘いで反乱し、南へ移って常山・太原両境に入った。 | 舊五代史 卷79 |
| 941年 | 魏州 | 御札を下し、八月五日に一時鄴都へ行幸するとし、道中の供給は官物で賄い、州県の過剰な賦課を禁じた。 | 舊五代史 卷80 |
| 941年 | 滑州 | 辛酉、滑州で黄河が決壊して一筋となって東へ流れ、村人は老幼を連れて堤に登ったが、水に阻まれて餓死する者が多かった。 | 舊五代史 卷80 |
| 941年 | 襄州 | 丁丑、襄州の安從進が兵を挙げて反乱し、西京留守の高行周を南面行営都部署として討伐させた。 | 舊五代史 卷80 |
| 942年 | 魏州 | 六月十三日乙丑、高祖が崩じ、遺制により少帝が柩の前で即位した。 | 舊五代史 卷81 |
| 944年 | 戚城 | 丙午、先鋒指揮使の石公覇が戚城の北で契丹と遭遇し、包囲された。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 冀州 | 壬戌、楊光遠が軍を率いて冀州を囲んだが、刺史の李瓊が州兵で攻撃すると、陣営を捨てて逃げた。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 戚城 | この日、前軍の高行周は戚城の南にあり、賊将の趙延寿・趙延昭が数万騎で王師の西に出て、契丹主が自ら指揮した。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 泰州 | 辛卯、定州の馬全節が泰州を攻めて陥れ、兵二千と家畜・兵器を奪った。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 淄州 | 六月辛丑朔、王師は淄州を陥れ、楊光遠が任じた刺史の劉翰を斬った。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 滑州 | 丙辰、滑州で黄河が決壊し、曹・単・濮・鄆の境を押し流し、梁山を巡って汶・済と合流した。 | 舊五代史 卷82 |
| 944年 | 恒州 | 契丹の耶律徳光が趙延寿とともに全軍を率いて侵入し、恒州を包囲し、鼓城・槁城・元氏・高邑などを陥れた。 | 舊五代史 卷83 |
| 945年 | 安陽 | 壬子、王師と契丹が相州の北の安陽河上で対峙し、皇甫遇・慕容彦超の先鋒が楡林店で戦った。 | 舊五代史 卷83 |
| 945年 | 邯鄲 | 戎王は邯鄲で知らせを聞くと、すぐに北へ逃げ、官軍も南へ下がって黎陽を守った。 | 舊五代史 卷83 |
| 946年 | 狼山 | 狼山の招収指揮使・孫方簡が反乱して狼山に拠り、契丹に帰順した。 | 舊五代史 卷84 |
| 946年 | 瀛州 | 十一月、北面行営招討使の杜威が諸将と大軍を率いて鄴から北征し、瀛州の城下に至った。 | 舊五代史 卷85 |
| 946年 | 鎮州 | 張彦沢が鎮・定から騎兵を率いて来て契丹を破れると言ったため、大軍は西へ向きを変えて鎮州を目指した。 | 舊五代史 卷85 |
| 946年 | 汴州 | その夜、相州節度使の張彦沢は契丹の命を受け、先鋒二千で封丘門を破って突入した。 | 舊五代史 卷85 |
| 947年 | 汴州 | 帝は一族を率いて封丘門を出て、輿に乗って野に至ったが、契丹主は会おうとせず、封禅寺に留めた。 | 舊五代史 卷85 |
| 947年 | 黃龍府 | 辛卯、契丹は帝を光禄大夫・検校太尉・負義侯に降格し、黄龍府に安置した。 | 舊五代史 卷85 |
| 947年 | 遼陽 | 遼陽に至ると、皇后の馮氏は帝が夷狄の地に陥って苦難を受けるのを悲しみ、宦官に毒を求めさせた。 | 舊五代史 卷85 |
| 947年 | 河陽 | 河陽の偽命節度使・崔廷勲が防いで敗れ、行徳らが追撃すると、廷勲は城を捨てて逃げ、行徳がその城に拠った。 | 舊五代史 卷99 |
| 947年 | 洛陽 | 偽命の西京留守・劉晞が洛城を捨てて許州へ南走し、のち東京へ赴いた。洛京巡検使の方太は自ら留守の務めを担った。 | 舊五代史 卷99 |
| 947年 | 絳州 | 戊申、御駕が絳州に至ると、本州刺史の李從朗が軍を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷100 |
| 947年 | 定州 | 麻答は河陽節度使の崔廷勲・洛京留守の劉晞とともに定州へ逃げた。 | 舊五代史 卷100 |
| 948年 | 汴州 | 二十七日丁丑、帝(高祖)が万歳殿で崩じた。享年五十四。 | 舊五代史 卷100 |
| 948年 | 汴州 | 二月辛巳朔、遺制を下し、皇子の周王・劉承祐が柩の前で即位した。 | 舊五代史 卷100 |
| 948年 | 河中 | 李守貞・王景崇・趙思綰が連衡して反乱したため、白文珂・常思に河中を攻めて討伐させた。 | 舊五代史 卷101 |
| 948年 | 鳳翔 | 九月戊申、侯益の部曲・王守筠が鳳翔から来て、益の家族がみな王景崇に害されたと報じた。 | 舊五代史 卷101 |
| 949年 | 河中 | 正月四日の夜、賊将の王三鉄らが精鋭千余人を率いて川沿いに南下し、王師の陣営を襲った。 | 舊五代史 卷102 |
| 949年 | 河中 | 賊軍は王師の陣営内に入ったが、劉詞が力を尽くして防ぎ、短兵による接近戦で打ち破った。 | 舊五代史 卷102 |
| 949年 | 河中 | 五月九日、河西の陣営を奪うと、賊将の周光遜が陣営と千余人を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷110 |
| 949年 | 河中 | 十七日、城攻めを命じたところ、西北から大風と砂塵が起きたので河伯祠に祈ると風は止み、以後昼夜攻め続けた。 | 舊五代史 卷110 |
| 950年 | 汴州 | 枢密承旨の聶文進が宰臣・百官を崇元殿に急ぎ召し、楊邠・史宏肇・王章らを名指しする言葉を朝廷で宣告した。 | 舊五代史 卷103 |
| 950年 | 兗州 | 慕容彦超が部下十余騎とともに兗州へ逃げた。 | 舊五代史 卷103 |
| 950年 | 汴州 | 帝が蘇逢吉・郭允明とともに西北の村舎へ行くと、郭允明は事が成らぬと悟り、刀で刺した。帝は崩じた。二十歳。 | 舊五代史 卷103 |
| 950年 | 內丘 | 契丹の永康王・烏裕が部族を率いて二路で辺境に入り、内丘城を五日間攻めたが落とせなかった。 | 舊五代史 卷103 |
| 952年 | 下邳 | 慕容彦超が淮南に救援を求めると、李景は軍を出して下邳に駐屯したが、官軍が来るとの報を聞いて沭陽へ退いた。 | 舊五代史 卷112 |
| 952年 | 朗州 | 十二月丙戌、権武平軍留後の劉言が牙将の張崇嗣を派遣して入州させ、十月十三日に節度副使の王進逵とともに行ったことを報告させた。 | 舊五代史 卷112 |
| 953年 | 朗州 | 鄭交は軍中に捕らえられて武陵へ入り、劉言はたちまち諸軍によって廃された。臣は朗州に至り、安撫を終えた。 | 舊五代史 卷113 |
| 953年 | 齊州 | 馬諤は萬友とともに彦章ら十三人を捕らえて斬り、残りの者は斉州へ逃げた。 | 舊五代史 卷113 |
| 954年 | 汴州 | 丙申、太祖の遺制を下し、晋王の栄が柩の前で即位した。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 團柏谷 | 河東の賊将・張暉が先鋒として団柏谷から侵入し、帝は群臣を召して親征を議した。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 高平 | 癸巳、王師は高平で河東の劉崇と契丹の楊袞と大会戦し、賊軍は敗走した。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 高平 | 両軍が交戦すると、樊愛能・何徽は敵を見て逃げ、東廂の騎兵は乱れ、歩兵は甲を脱いで敵に投降した。帝は自ら騎兵を率いて出た。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 潞州 | 帝は潞州に至り、逃亡した者を選り分け、軍使以上と監押使臣をすべて斬った。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 太原 | 戊寅、偽命の石州刺史・安彦進を太原の城下で斬った。王師に抗したためである。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 太原 | 山東・懐・孟・蒲・陝の壮丁数万を徴発して太原を急攻し、朝夕のうちに必ず取ろうとした。 | 舊五代史 卷114 |
| 954年 | 太原 | 大雨が折悪しく降って兵は苦しみ、忻口の軍も振るわず、帝は回軍を決めた。 | 舊五代史 卷114 |
| 955年 | 秦州 | 癸丑、秦州の偽命観察判官・趙比が本城を挙げて降伏し、詔により郢州刺史とされた。 | 舊五代史 卷115 |
| 956年 | 壽春 | 先に李穀は寿春の城下に駐屯して攻撃していたが、淮南の援軍が大挙して来ると、将佐らと退却を協議した。 | 舊五代史 卷116 |
| 956年 | 正陽 | 李重進は正陽に至り、淮軍が近くにあると聞くと、諸将とともに橋を渡って賊軍と遭遇し、合力して一撃で打ち破った。 | 舊五代史 卷116 |
| 956年 | 壽州 | 丁亥、寿州の城内の左神衛軍使・徐象ら十八人が逃げて来て帰順した。 | 舊五代史 卷116 |
| 956年 | 揚州 | 丁丑、揚州の韓令坤は州の東側の境で江南の賊軍を破り、大将の陸孟俊を生け捕りにした。 | 舊五代史 卷116 |
| 957年 | 紫金山 | 三月庚寅の明け方、帝は諸軍を率いて紫金山の麓に陣を張り、親軍に山へ登って敵を攻めさせ、諸陣営を次々と破って数千を斬った。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 紫金山 | 翌日、すべての陣営が陥ち、建州節度使の許文縝と前湖南節度使の辺鎬を生け捕りにした。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 壽州 | 戊申、帝が寿州の北に行幸すると、劉仁贍が属官と兵万余人とともに出て降伏した。帝は長く慰撫し、功に応じて賞を差等をつけて与えた。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 濠州 | 癸巳、帝は親ら諸軍を率いて濠州を攻め、関城を奪い、水寨を壊し、戦艦七十余隻を焼き、二千の首級を斬った。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 渦口 | 癸卯、淮の賊を渦口で大いに破り、五千の首級を挙げ、降卒二千を収め、戦船三百隻を奪った。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 泗州 | 十二月乙卯、泗州の守将・範再遇が城を挙げて降伏し、宿州団練使に任じられた。 | 舊五代史 卷117 |
| 957年 | 楚州 | 辛酉、楚州の西北に至って賊衆を大いに破り、陸海ともに逃げ、賊船数隻だけが順流で逃れた。帝は騎兵で追撃した。 | 舊五代史 卷117 |
| 958年 | 楚州 | 丙午、楚州を陥れ、偽の守将・張彦卿らを斬ったところ、六軍が大いに略奪し、城内の軍民一万余人が死に、家屋はほとんど焼けた。 | 舊五代史 卷118 |
| 958年 | 隰州 | 劉鈞は帝の南征の報を聞いて軍を送り隰州を包囲したが、巡検使の李謙溥が州兵で防ぎ、退いた。 | 舊五代史 卷118 |
| 959年 | 乾寧軍 | 壬辰、乾寧軍に至ると、偽の寧州刺史・王洪が城を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷119 |
| 959年 | 瓦橋關 | 癸卯、今上が先に瓦橋関に至ると、偽の守将・姚内斌が城を挙げて降伏した。 | 舊五代史 卷119 |
| 959年 | 瓦橋關 | 先鋒都指揮使の張藏英が瓦橋関の北で契丹の騎兵数百騎を破り、固安県を攻略した。 | 舊五代史 卷119 |
| 959年 | 汴州 | 群臣は梁王を奉じて殿の東の柱のところで即位させ、中外に布告を発した。 | 舊五代史 卷119 |
| 960年 | 汴州 | 「応天順民、法堯禅舜」で始まる禅譲の詔(恭帝の禅譲)。 | 舊五代史 卷120 |
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