梁書 本紀

梁書 本紀(正史 の史料)。扱う年は502年 〜 557年、出来事120件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年502年 〜 557年
出来事の数出来事120件・地図に置いた118件
著者姚思廉
原題梁書 本紀

地域の内訳: 中国 115 · 東南アジア 5

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
502年建康蕭衍が建康の南郊で即位し、梁を建国した(斉の和帝は禅譲)。卷2 天監元年
502年建康即位直後、高句驪王・百済王・倭王など周辺諸国の王に将軍号を授けた。卷2 天監元年 戊辰
502年馬鞍山市禅譲した斉の和帝(巴陵王)は姑孰で死去し、和帝と追諡された。卷2 天監元年 戊辰
502年建康賊が宮城の南北の掖門から侵入し、信号門と総章観を焼き、衛尉卿の張弘策を殺した。卷2 天監元年 五月
502年尋陽江州刺史の陳伯之が反乱し、王茂が征南将軍として討伐した。六月、陳伯之は北へ逃げ、乱は平定された。卷2 天監元年 五月
502年成都元益州刺史の劉季連が成都を拠点に反乱した。卷2 天監元年 六月
502年建康皇子の蕭統を皇太子とした。卷2 天監元年 十一月
503年建康蔡法度が『梁律』二十巻・令三十巻・科四十巻を奉った。卷2 天監二年 四月
503年成都益州刺史の鄧元起が成都を陥れ、益州に大赦を行った。卷2 天監二年 五月
503年信陽市魏が司州を侵した。卷2 天監二年 十月
504年漢中魏が梁州を陥れた。卷2 天監三年 二月
504年信陽市魏が司州を陥れ、南義陽に司州を再び置いた。卷2 天監三年 八月
505年交州交州刺史の李凱が反乱し、長史の李畟が討平して交州に大赦を行った。卷2 天監四年 二月
505年建康北伐を開始し、臨川王の蕭宏を北討諸軍事都督とし、柳惔を副将とした。卷2 天監四年 十月
506年壽春陳伯之が魏の寿陽から部下を率いて梁に帰順した。卷2 天監五年 三月
506年宿遷市太子左衛率の張惠紹が魏の宿預城を陥れた。卷2 天監五年 五月
506年合肥予州刺史の韋叡が合肥城を陥れた。卷2 天監五年 五月
506年連雲港市青・斉二州刺史の桓和の全軍が朐山城を陥れた。卷2 天監五年 六月
506年鳳陽縣魏が鍾離を攻め、右衛将軍の曹景宗を派遣して救援させた。卷2 天監五年 十一月
507年鳳陽縣曹景宗・韋叡らが邵陽洲で魏軍を破り、捕虜と斬首は万を単位とした。卷2 天監六年 四月
508年建康梁の辺境の城が帰順すると、詔により大規模な北伐を命じた。卷2 天監七年 十月
508年汝南魏の顯胡鎮の軍主・白皁生と予州刺史の胡遜が城を挙げて梁に帰属した。卷2 天監七年 十月
509年宿遷市魏の鎮東参軍の成景儁が宿預城主の厳仲宝を斬り、城を挙げて帰属した。卷2 天監八年 正月
511年連雲港市賊が東莞・琅邪の太守を殺し、朐山から魏軍を引き入れた。馬仙琕を派遣して討伐させた。卷2 天監十年 三月
511年連雲港市馬仙琕が魏軍を大いに破り、朐山城を取り戻した。卷2 天監十年 十二月
513年建康太極殿が完成した。卷2 天監十二年 六月
516年交州交州刺史の李畟が反乱者の阮宗孝を斬り、その首を都へ送った。卷2 天監十五年 十一月
521年建康百済と新羅がそれぞれ使者を遣わして方物を献じた。卷3 普通二年 十一月
524年壽春宣毅将軍の裴邃が寿陽を急襲して外城に入ったが、陥落させられなかった。卷3 普通五年 九月
525年彭城魏の徐州刺史の元法僧が彭城を挙げて梁に帰順した。卷3 普通六年 正月
525年建康皇帝が白下城に行幸し、陸軍の駐屯地を巡視した。卷3 普通六年 三月
525年彭城豫章王の蕭綜が彭城に仮に駐屯し、諸軍の総督と徐州の政務を兼務した。卷3 普通六年 三月
525年彭城蕭綜が北魏へ逃げ、魏が彭城を取り戻した。卷3 普通六年 六月
526年壽春夏侯亶らの諸軍が寿陽城を陥れ、以後寿陽に予州を置いた。卷3 普通七年 十一月
527年建康皇帝が東台寺に行幸し、捨身の法会を行った。卷3 大通元年 三月
527年涡阳县魏の東豫州刺史の元慶和が渦陽を挙げて帰属した。卷3 大通元年 十月
527年涡阳县蕭淵藻を北討都督・征北大将軍とし、渦陽に駐屯させた。卷3 大通元年 十一月
528年信陽市魏の郢州刺史の元願達が義陽を挙げて帰順し、北司州を置いた。卷3 大通二年 四月
528年建康魏の北海王・元顥を魏主に立て、陳慶之が護送して北へ送り返した。卷3 大通二年 十月
529年虎牢陳慶之が虎牢城を陥れた。卷3 中大通元年 五月
529年洛陽魏主の元子攸が洛陽を捨てて河北へ逃げると、元顥が洛陽に入った。卷3 中大通元年 五月
529年洛陽爾朱栄が元顥を攻めて殺し、洛陽を取り戻した。卷3 中大通元年 閏月
529年建康東台寺で四部無遮大会を開き、皇帝は自ら捨身し、群臣が一億万銭で贖った。卷3 中大通元年 九月
530年建康魏の太保・汝南王の元悦を魏主に立て、北へ送り返した。卷3 中大通二年 六月
531年建康皇太子の蕭統が薨じた。卷3 中大通三年 四月
531年建康東台寺で皇帝が法座に登り、『大般涅槃経』を講じた。卷3 中大通三年 十月
532年洛陽薛法護が元悦を護衛して洛陽へ入らせた。卷3 中大通四年 正月
533年下邳魏の建義城主・蘭宝が東・西徐州刺史を殺し、下邳城を挙げて降った。卷3 中大通五年 六月
535年漢中北揚州刺史の蘭欽が漢中を攻めて陥れ、魏の梁州刺史の元羅が降伏した。卷3 大同元年 十一月
536年建康詔により大規模な北伐を命じ、十一月に撤兵を命じた。卷3 大同二年 十月
536年建康魏が和睦を求めたので、詔により許可した。卷3 大同二年 十二月
537年廣陵南兗州で大飢饉(治所は広陵)。卷3 大同三年 九月
541年交州交州の土着民の李賁が刺史の蕭諮を攻めた。蕭諮は賄賂を贈って越州へ戻った。卷3 大同七年 末
542年豫章安成郡の劉敬躬が左道によって反乱し、郡を奪い、廬陵を攻めて豫章を取った。その勢力は数万。卷3 大同八年 正月
542年建康劉敬躬を大いに破って捕らえ、都へ送って建康の市で斬った。卷3 大同八年 三月
542年交州越州・那州・安州・愛州の刺史が共に派遣され、交州の李賁を征伐させられた。卷3 大同八年 三月
543年林邑王が德州を破って李賁を攻めたが、李賁の将・范脩が九德で打ち破り、林邑王は敗走した。卷3 大同九年 四月
544年交州李賁が交址で帝号を僭称し、百官を置いた。卷3 大同十年 正月
544年丹陽市皇帝が故郷の蘭陵に行幸し、父の建寧陵を参拝した。卷3 大同十年 三月
544年京口京口城の北の高楼に行幸し、名を北顧と改めた。卷3 大同十年 三月
546年建康同泰寺の法会、開元日の夜、同泰寺に火災が起きた。卷3 中大同元年 四月
547年建康魏の司徒・侯景が十三州を献じて帰属を請うた。大将軍・河南王に封じ、大行台を任せた。卷3 太清元年 二月
547年汝南羊鴉仁が懸瓠城に入城した。卷3 太清元年 七月
547年彭城寒山で大会戦。蕭淵明は大敗し、胡貴孫らとともに魏に捕らえられた。卷3 太清元年 十一月
548年涡阳县魏が渦陽を陥れた。卷3 太清二年 正月
548年壽春侯景が反乱し、馬頭・木柵・荊山などの守備を攻めた。卷3 太清二年 八月
548年歷陽侯景が歴陽を攻め、太守の荘鉄が降伏した。卷3 太清二年 十月
548年馬鞍山市侯景が横江から長江を渡り、採石に上陸した。卷3 太清二年 十月
548年建康侯景軍が都に至り、臨賀王の蕭正徳が部下を率いて投降した。卷3 太清二年 十月
548年建康敵が東府城を陥れ、南浦侯の蕭推らを殺した。卷3 太清二年 十一月
549年建康敵が青塘から軍を渡らせ、韋粲の陣を攻めて破った。韋粲は戦死した。卷3 太清三年 正月
549年建康敵が宮城を陥れ、兵を放って大いに略奪した。卷3 太清三年 三月
549年建康武帝が浄居殿で八十六歳で崩じた。卷3 太清三年 五月
549年建康蕭綱(簡文帝)が即位した。卷4 太清三年 五月
549年廣州市広州刺史の元景仲が侯景に呼応しようとしたため、陳覇先が攻め、元景仲は自殺した。卷4 太清三年 七月
549年尋陽九江で大飢饉。十人のうち四、五人が人肉を食べた。卷4 太清三年 七月
550年廣陵侯景が広陵を陥れた。卷4 大寶元年 二月
550年建康侯景が簡文帝を追い詰め、西州へ行幸させた。卷4 大寶元年 二月
550年尋陽侯景の行台・任約が江州を攻めると、刺史の尋陽王・蕭大心が州を挙げて降伏した。卷4 大寶元年 七月
550年夏口湘東王の蕭繹が王僧弁を遣わして郢州を圧迫した。卷4 大寶元年 八月
550年長沙王僧弁が湘州を陥れ、河東王の蕭譽を斬って湘州を平定した。卷5 大寶元年 五月
550年武昌任約が西陽・武昌を侵し、徐文盛らが武昌へ下って防いだ。卷5 大寶元年 九月
551年安陸邵陵王の蕭綸が安陸の東城に逃げたが、西魏の攻撃を受けて敗れ、死んだ。卷4 大寶二年 二月
551年夏口侯景が宋子仙・任約を派遣して郢州を襲い、刺史の蕭方諸を捕らえた。卷4 大寶二年 四月
551年岳陽市侯景が巴陵を攻め、王僧弁は繰り返し戦ったが勝てなかった。卷4 大寶二年 閏月
551年岳陽市胡僧祐が任約を破って捕らえ、侯景は包囲を解いて夜中に逃げた。卷4 大寶二年 六月
551年夏口王僧弁が魯山城に続いて郢州を包囲・陥落させ、宋子仙らを生け捕りにした。卷4 大寶二年 六月
551年建康侯景が簡文帝を廃して晋安王とし、永福城に幽閉した。卷4 大寶二年 八月
551年建康簡文帝が永福城で四十九歳で崩じた(侯景側が殺害)。卷4 大寶二年 十月
551年岳陽市元帝が胡僧祐・陸法和を派遣して巴陵を救援させ、任約は敗れ、侯景は逃げた。卷5 大寶二年 五月
552年江陵王僧弁らが侯景を平定し、その首を江陵へ送った。卷5 承聖元年 三月
552年成都武陵王の蕭紀が蜀で帝位を僭称し、年号を天正元年と改めた。卷5 承聖元年 四月
552年成都蕭紀が巴・蜀の大軍を船で率いて東へ下り、陸法和が巴峡で防いだ(出発地は成都と記す)。卷5 承聖元年 八月
552年長沙王琳の後、長沙の陸納が反乱し、湘州を襲って陥れた。卷5 承聖元年 十月
552年江陵蕭繹(元帝)が江陵で即位した。卷5 承聖元年 十一月
553年成都西魏が尉遅迥を派遣して益州を襲わせた。卷5 承聖二年 正月
553年夷陵蕭紀の軍が西陵に至った。卷5 承聖二年 五月
553年長沙陸納の乱が平定され、湘州が平定された。卷5 承聖二年 六月
553年成都尉遅迥が益州を陥れた。卷5 承聖二年 八月
554年宿遷市魏の王球が七百人で宿預を攻めたが、杜僧明が迎え撃って大いに破った。卷5 承聖三年 三月
554年長安西魏が柱国の于謹に大軍を与えて侵入させた(出発地は長安と記す)。卷5 承聖三年 九月
554年襄陽魏軍が襄陽に至り、蕭詧が部下を率いて合流した。卷5 承聖三年 十月
554年江陵魏軍が江陵の外の木柵の下に至った。卷5 承聖三年 十一月
554年江陵西魏が元帝を殺し、四十七歳で崩じた。卷5 承聖三年 十二月
555年建康蕭方智(敬帝)が尋陽から都に至り、朝堂に居を構えた。卷6 序(承聖四年 二月)
555年馬鞍山市王僧弁が貞陽侯の蕭淵明を迎えて採石から長江を渡った。卷6 序(承聖四年 七月)
555年建康陳覇先が挙兵して王僧弁を襲って殺し、蕭淵明を廃した。卷6 序(承聖四年 九月)
555年馬鞍山市徐嗣徽・任約が採石に至り、斉の援軍を迎えた。卷6 紹泰元年 十二月
556年馬鞍山市徐嗣徽・任約が採石の守備を襲って張懐鈞を捕らえ、斉へ入った。卷6 太平元年 二月
556年會稽周文育・陳蒨が会稽を襲い、張彪が敗走した際、若耶村の人に斬られた。卷6 太平元年 二月
556年斉の蕭軌が柵口から梁山へ向かうと、陳覇先・黄菆が迎えて大いに破った。卷6 太平元年 三月
556年歷陽侯安都が軽騎で歴陽の斉の行台・司馬恭を襲って大いに破り、捕虜は万を単位とした。卷6 太平元年 四月
556年建康斉軍が丹陽県を経て秣陵の古治に至った(建康に近い)。卷6 太平元年 五月
556年建康陳覇先が軍を指揮して建康近郊の斉軍を大いに破り、徐嗣徽らを斬るか生け捕りにした。卷6 太平元年 六月
556年建康陳覇先を丞相・録尚書事・揚州牧とし、義興郡公に封じた。卷6 太平元年 九月
557年廣州市太保・広州刺史の蕭勃が兵を挙げて反乱し、周文育・侯安都が南へ出て討伐した。卷6 太平二年 二月
557年韶關市陳法武・譚世遠が始興で蕭勃を攻めて殺した。卷6 太平二年 三月
557年豫章侯安都が軍を進め、余孝頃は逃亡、蕭孜が降伏し、豫章は平定された。卷6 太平二年 四月
557年建康丞相の陳覇先を相国に進め、十郡を割いて陳公に封じた。卷6 太平二年 九月
557年建康陳王が禅譲により即位し、敬帝は江陰王となり、十六歳で死去した。梁の滅亡。卷6 太平二年 十月

原文のライセンスと出典

梁書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

원저작 PD · 위키문고(zh.wikisource.org) 본문 CC BY-SA 4.0

https://zh.wikisource.org/wiki/梁書

同じ時代の別の史料

地図で見る — 梁書 本紀を開く