遼史

遼史(正史 の史料)。扱う年は907年 〜 1125年、出来事200件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年907年 〜 1125年
出来事の数出来事200件・地図に置いた91件
著者脫脫
原題遼史

地域の内訳: 中国 198 · 中央アジア 1 · 朝鮮半島 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
907年阿保機は壇を築いて天を祭り、皇帝に即位した。母の蕭氏を皇太后、蕭氏を皇后とした。遼史 卷1 太祖1年 1月
907年平州劉守光の兄で平州刺史の守奇が数千の衆を率いて降伏し、平盧城に置かれた。遼史 卷1 太祖1年 7月
911年西奚を親征し、東奚も平定して、奚と霫の地をすべて領有した。遼史 卷1 太祖5年 1月
911年薊州灤河に留まり石に功績を刻み、再び薊州一帯を攻略した。遼史 卷1 太祖5年 3月
912年幽州太祖は劉守光を親征したが、翌年、晋王の李存勗が幽州を陥れ、守光を捕らえた。遼史 卷1 太祖6年 2月
912年朮不姑を親征して降伏させ、捕虜数万を得た。遼史 卷1 太祖6年 7月
913年幽州晋王の李存勗が幽州を陥れ、劉守光を捕らえた。遼史 卷1 太祖7年 1月
913年反乱した弟の剌葛の一党を北へ追撃し、排押河で輜重と捕虜をすべて奪い、大いに破った。遼史 卷1 太祖7年 4月
913年剌葛と涅里袞阿鉢を榆河で捕らえた。遼史 卷1 太祖7年 5月
914年諸将の一族と反乱に加わった三百余人の罪状を奏上すると、みな棄市(公開処刑)された。遼史 卷1 太祖8年 7月
915年鴨緑江で釣りをした。新羅・高麗・呉越が使者を遣わして朝貢した。遼史 卷1 太祖9年 10月
916年龍化州で群臣と属国が壇を築き、大聖大明天皇帝の尊号を奉った。年号は神册。遼史 卷1 神冊1年 2月
916年突厥・吐渾・党項・小蕃・沙陀の諸部を親征して平定し、酋長と一万五千六百戸を捕らえた。遼史 卷1 神冊1年 7月
916年朔州朔州を陥れ、節度使の李嗣本を捕らえた。遼史 卷1 神冊1年 8月
916年蔚・新・武・媯・儒の五州を攻め、一万四千七百余の首級を挙げ、陰山を越えて大北から河曲までの地を占めた。遼史 卷1 神冊1年 11月
917年幽州幽州を包囲したが落とせず、六月の暑さと長雨のため撤兵した。遼史 卷1 神冊2年 4月
918年上京臨潢府皇都(のちの上京臨潢府)に城を築き、礼部尚書の康黙記を版築使とした。遼史 卷1 神冊3年 2月
918年孔子廟・仏寺・道観の建立を命じた。遼史 卷1 神冊3年 5月
918年東京遼陽府遼陽の旧城に行幸した。遼史 卷1 神冊3年 12月
919年東京遼陽府遼陽の旧城を修復し、漢人・渤海の戸を充たし、東平郡と改めた。遼史 卷2 神冊4年 2月
920年契丹大字が完成し、頒布を命じた。遼史 卷2 神冊5年 9月
921年古北口を陥れ、軍を分けて檀・順など十余城を略奪し、住民を内地へ移した。遼史 卷2 神冊6年 11月
921年涿州涿州を包囲して外城を陥れ、翌日、刺史の李嗣弼が城を献じた。遼史 卷2 神冊6年 12月
922年薊州薊州を攻めて陥れ、刺史の胡瓊を捕らえた。遼史 卷2 天贊1年 4月
922年皇子の耶律堯骨を天下兵馬大元帥とし、薊北を攻略させた。遼史 卷2 天贊1年 11月
923年平州大元帥の堯骨が平州を陥れ、刺史の趙思温・裨将の張崇を捕らえた。遼史 卷2 天贊2年 1月
923年幽州堯骨が幽州の東で符存審の軍を破った。遼史 卷2 天贊2年 4月
924年皇后・皇太子を召し、吐渾・党項・阻卜らに対する大遠征を起こした。皇太子が国を監し、堯骨が従軍した。遼史 卷2 天贊3年 6月
924年旧回鶻城に至り、石に功績を刻んだ。遼史 卷2 天贊3年 9月
925年渤海の大諲譔を討つため、皇后・皇太子・堯骨を率いて親征に出た。遼史 卷2 天贊4年 12月
925年扶餘府·黃龍府商嶺に留まり、夜に扶余府を包囲した。遼史 卷2 天贊4年 12月
926年扶餘府·黃龍府扶余城を陥れ、首長を処刑した。遼史 卷2 天顯1年 1月
926年忽汗城渤海王の大諲譔が白衣に縄を帯び、羊を牽いて、三百余人の官属とともに降伏した。遼史 卷2 天顯1年 1月
926年忽汗城渤海国を東丹国、忽汗城を天福城と改め、皇太子の耶律倍を人皇王に封じた。遼史 卷2 天顯1年 2月
926年扶餘府·黃龍府扶余府付近の行宮で太祖が崩じた(五十五歳)。遼史 卷2 天顯1年 7月
927年人皇王の倍と群臣の請いにより、耶律徳光(堯骨、太宗)が皇帝に即位した。遼史 卷3 天顯2年 11月
928年定州唐の義武軍節度使・王都が定州を挙げて帰順し、奚の禿里鉄剌を救援に遣わされた。遼史 卷3 天顯3年 3月
928年定州唐軍が定州を破り、鉄剌は戦死、涅里袞・査剌ら数十人が捕らえられた。遼史 卷3 天顯3年 7月
928年東京遼陽府東丹の民を東平に移して充たし、東平郡を南京に昇格させた。この時の南京は遼陽である。遼史 卷3 天顯3年 12月
929年雲州·西京大同府弟の耶律李胡に軍を与え、雲中(大同一帯)の未服属の県を討つよう命じた。遼史 卷3 天顯4年 10月
930年李胡が寰州を陥れたという報せが届いた。遼史 卷3 天顯5年 1月
930年東丹から、人皇王の倍が海を渡って唐へ行ったとの報告があった。遼史 卷3 天顯5年 11月
934年唐の李従珂を討つため、自ら南征に出た。遼史 卷3 天顯9年 8月
934年雲州·西京大同府雲州に留まった後、夏陰を陥れた。遼史 卷3 天顯9年 9月
936年太原河東の石敬瑭が趙瑩・桑維翰を遣わして救援を請うと、出兵を許した。遼史 卷3 天顯11年 7月
936年太原太原に到着した。遼史 卷3 天顯11年 9月
936年太原太原の戦いで唐軍を大いに破り、数万を斬った。張敬達は晋安寨へ逃げた。遼史 卷3 天顯11年 9月
936年太原晋安寨を包囲した。遼史 卷3 天顯11年 9月
936年太原石敬瑭を大晋皇帝に冊封した。遼史 卷3 天顯11年 11月
936年太原楊光遠らが張敬達を殺して降伏した。遼史 卷3 天顯11年 11月
936年趙徳鈞の父子が追撃されて、部下とともに降伏した。遼史 卷3 天顯11年 11月
937年雲州·西京大同府大同軍の判官・呉巒が城門を閉じて抗ったが、太宗は城下で直接諭し、降伏させた。遼史 卷3 天顯12年 1月
937年後晋が尊号と、雁門以北・幽薊の地の返還、毎年絹三十万匹を求めたが、拒否された。遼史 卷3 天顯12年 6月
938年後晋が幽・薊・瀛・莫など十六州と盗賊を献じた。遼史 卷4 會同1年 11月
938年南京(析津府·幽州·燕京)幽州を南京に昇格させ、皇都を上京と改めた。遼史 卷4 會同1年 11月
940年南京(析津府·幽州·燕京)燕京に至り、拱辰門から入って、元和殿で入合の礼を行った。遼史 卷4 會同3年 4月
941年朔州振武軍の副節度使・趙崇が節度使を追い出して朔州で反乱し、後晋に付いた。遼史 卷4 會同4年 6月
941年朔州朔州を陥れた。褭古只が城下で戦死したため、城中の壮丁を処刑するよう命じた。遼史 卷4 會同4年 12月
942年後晋は(契丹を)孫と称して臣とは称さず、太宗は南征の意を抱き始めた。遼史 卷4 會同5年 7月
944年趙延寿・趙延昭が先鋒五万騎で臨丘に至り、敗走した延寿を包囲した。遼史 卷4 會同7年 1月
944年澶淵(澶州)澶淵の戦い。精鋭騎兵が晋軍の中軍を突いて大いに破った。遼史 卷4 會同7年 3月
945年白團村の戦い。符彦卿の万騎が横撃し、遼軍は不利となり、太宗は解車に乗って十里退いた。遼史 卷4 會同8年 3月
946年鎮州(恆州·鎮陽)鎮州を包囲し、中渡橋で晋軍を破った。遼史 卷4 會同9年 11月
946年後晋の将軍・杜重威・李守貞・張彦沢が二十万の軍を率いて降伏した。遼史 卷4 會同9年 12月
946年汴州(開封)後晋皇帝の石重貴が喪服姿で詔を受けた。遼史 卷4 會同9年 12月
946年汴州(開封)石重貴が一族とともに封丘門から出て、縄と羊を引き、降伏を待った。遼史 卷4 會同9年 12月
947年汴州(開封)汴州に法駕を整えて入り、崇元殿で百官の拝賀を受けた。遼史 卷4 大同1年 1月
947年扶餘府·黃龍府石重貴の一家を黄龍府に安置させた。遼史 卷4 大同1年 1月
947年汴州(開封)国号を大遼と定め、年号を大同と改めた。遼史 卷4 大同1年 2月
947年汴州を去って北へ帰る途中、欒城で崩じた(四十六歳)。遼史 卷4 大同1年 4月
947年鎮州(恆州·鎮陽)世宗が鎮陽(鎮州)で棺の前で即位した。遼史 卷5 大同1年 4月
947年泰德泉で太后側の李胡の軍と戦い、これを破った。遼史 卷5 大同1年 6月
951年南征の途中、帰化州の上古山で察割が反乱し、世宗を殺した(三十四歳)。遼史 卷5 天祿5年 9月
951年南京(析津府·幽州·燕京)穆宗が即位し、すぐに南京へ行った。遼史 卷6 應歷1年 9月
959年益津關(霸州)後周軍が益津・瓦橋・淤口の三関を陥れた。益津関は今の覇州である。遼史 卷6 應歷9年 4月
959年南京(析津府·幽州·燕京)穆宗が南京に行幸し、後周軍が退いた。遼史 卷6 應歷9年 5月
960年後周の殿前都点検の趙匡胤が主を廃し、国号を宋とした。遼史 卷6 應歷10年 1月
969年懷州懐州で狩りの後、行宮で側近の小哥・花哥・辛古ら六人が反逆し、穆宗を殺した(三十九歳)。遼史 卷7 應歷19年 2月
969年景宗が穆宗の棺の前で即位し、年号を保寧と改めた。遼史 卷8 保寧1年 2月
969年上京臨潢府上京に入り、蕭思温を北院枢密使とした。遼史 卷8 保寧1年 3月
970年北院枢密使の蕭思温が盤道嶺で賊に殺された。遼史 卷8 保寧2年 5月
974年涿州宋が和を請うと、涿州刺史の耶律昌朮が宋と和議を結んだ。遼史 卷8 保寧6年 3月
975年扶餘府·黃龍府黄龍府の衛将・燕頗が都監の張琚を殺して反乱した。遼史 卷8 保寧7年 7月
979年白馬嶺で宋と戦って不利となり、冀王・耶律沙・敵烈らが戦死した。遼史 卷9 乾亨1年 3月
979年南京(析津府·幽州·燕京)宋皇帝が南京を包囲した。遼史 卷9 乾亨1年 6月
979年高梁河の戦い。休哥・斜軫が横から突いて大いに破り、宋皇帝は涿州から驢車で逃げた。遼史 卷9 乾亨1年 7月
979年満城の戦いで、韓匡嗣が宋軍に敗れた。遼史 卷9 乾亨1年 10月
980年瓦橋関を包囲した。遼史 卷9 乾亨2年 10月
981年上京臨潢府上京の漢軍が反乱して喜隠を立てようとしたが失敗した。遼史 卷9 乾亨3年 5月
982年景宗が焦山の行宮で崩じ、楊王の隆緒を継がせるよう遺詔した。遼史 卷9 乾亨4年 9月
982年聖宗が十二歳で棺の前で即位し、皇后(承天太后)が遺詔により摂政した。遼史 卷10 乾亨4年 9月
982年南京(析津府·幽州·燕京)北院大王の於越・休哥を南面行軍都統とし、南京に駐屯させた。遼史 卷10 乾亨4年 10月
983年承天皇太后の尊号を奉り、年号を統和と改めた。遼史 卷10 統和1年 6月
983年高麗征伐のため、宣徽使の蒲領・林牙の肯徳らに軍を与えて東征させた。遼史 卷10 統和1年 10月
985年遼沢がぬかるんでいるとして、高麗征伐を中止した。遼史 卷10 統和3年 8月
986年西夏の李継遷が宋に背いて遼に帰順し、定難軍節度使とされた。遼史 卷11 統和4年 2月
986年涿州宋が三路から侵攻し、曹彬・米信・田重進・潘美が岐溝関・涿州・固安・新城をすべて陥れた。遼史 卷11 統和4年 3月
986年岐溝関の戦いで曹彬・米信を大いに破り、拒馬河まで追撃した。遼史 卷11 統和4年 5月
986年朔州斜軫が朔州を奪回し、宋の将軍の楊継業を捕らえた。遼史 卷11 統和4年 7月
986年聖宗が直接莫州で宋の将軍・劉廷譲と李敬源を破った。遼史 卷11 統和4年 12月
986年深州深州を陥れた。直ちには降らなかったので、首長以下を殺して大いに略奪した。遼史 卷11 統和4年 12月
987年南京(析津府·幽州·燕京)南京で皇太后に尊号を奉り、群臣が皇帝にも尊号を奉った。遼史 卷12 統和5年 4月
988年涿州涿州に至り、絹の書状で降伏を勧めたが従わず、十月に外郭を攻めて陥れた。遼史 卷12 統和6年 9月
988年祁州祁州を陥れ、兵を放って大いに略奪した。遼史 卷12 統和6年 11月
989年易州易州を陥れ、刺史の劉墀が降伏した。軍民は燕京へ移された。遼史 卷12 統和7年 1月
989年耶律襄の娘を義成公主に封じ、李継遷に嫁がせた。遼史 卷12 統和7年 3月
990年李継遷を夏国王に冊封した。遼史 卷13 統和8年 12月
992年東京留守の蕭恒德らに高麗を征伐させた。遼史 卷13 統和10年 12月
993年高麗王の王治が謝罪の表を奉ると、鴨緑江の東の数百里の地を賜った。遼史 卷13 統和11年 1月
997年宋の太宗(趙炅)が死去し、子の恒(趙恒)が即位したとの通知が届いた。遼史 卷13 統和15年 3月
999年瀛州付近で宋軍と戦い、将軍の康昭裔・宋順を捕らえた。遼史 卷14 統和17年 10月
1000年南京(析津府·幽州·燕京)南京に帰還し、功のある将兵に賞を与え、役に立たない者を罰した。遼史 卷14 統和18年 1月
1001年満城に至り、泥濘の道を通って回軍した。遼史 卷14 統和19年 10月
1003年望都で宋の将軍・王継忠を捕らえた(耶律奴瓜・蕭撻凜ら)。遼史 卷14 統和21年 4月
1004年南京(析津府·幽州·燕京)南京に行幸した後、閏九月に南征へ出発した。遼史 卷14 統和22年 9月
1004年澶淵(澶州)澶淵に着いた時、蕭撻凜が弩の伏兵に射られて戦死した。遼史 卷14 統和22年 11月
1004年澶淵(澶州)宋は太后を叔母として遇し、毎年銀十万両・絹二十万匹を納めることで和睦した。澶淵の盟である。遼史 卷14 統和22年 12月
1005年宋の歳幣が初めて届き、以後の定例となった。遼史 卷14 統和23年 10月
1007年中京大定府中京(大定府)を建設した。遼史 卷14 統和25年 1月
1009年承天太后が行宮で崩じた。遼史 卷14 統和27年 12月
1010年高麗の西京留守康肇が王誦を殺し、従兄の王詢を擁立した。遼は高麗征伐の準備に入った。遼史 卷15 統和28年 5月
1010年聖宗が自ら高麗征伐に出陣し、蕭排押を都統とした。遼史 卷15 統和28年 8月
1010年開京開京を攻撃。王詢は城を捨てて逃げ、遼軍は開京を焼き、清江まで進んで引き返した。遼史 卷15 統和28年 11月
1012年南京(析津府·幽州·燕京)年号を開泰に改め、幽都府を析津府と改めた。遼史 卷15 開泰1年 11月
1014年鴨緑江に浮橋を架け、保・宣義・定遠などの州城を築いて高麗征伐に備えた。遼史 卷15 開泰3年 6月
1016年郭州の西で高麗軍を破り、数万の首級を挙げ、輜重をすべて奪った。遼史 卷15 開泰5年 1月
1017年高麗の興化軍を攻めたが落とせず、撤退した。遼史 卷15 開泰6年 9月
1018年車・沱の二河の戦いで遼軍が敗れ、天雲・牛皮室の両軍から溺死者が多く出た。遼史 卷16 開泰7年 12月
1020年高麗王詢は藩を称して朝貢すると表を奉じた。遼史 卷16 開泰9年 5月
1021年尊号を奉り、年号を太平と改めた。遼史 卷16 太平1年 11月
1026年甘州西北路招討使の蕭惠を派遣し、甘州の回鶻を攻めさせた。遼史 卷17 太平6年 5月
1026年甘州蕭惠は甘州を攻めたが落とせず撤退した。以後、Jobokの諸部がすべて反乱した。遼史 卷17 太平6年 8月
1029年東京遼陽府東京では舎利軍詳穩の大延琳が留守の蕭孝先を捕らえ、興遼国を建てた(年号は天慶)。遼史 卷17 太平9年 8月
1030年東京遼陽府東京の敵将Yang Sangseが南門を開いて遼軍を入れ、延琳を捕らえた。渤海は平定された。遼史 卷17 太平10年 8月
1031年聖宗が大復河の北の行宮で崩じた(61歳)。遼史 卷17 太平11年 6月
1031年興宗が棺の前で即位した。遼史 卷18 景福1年 6月
1032年上京臨潢府太后は斉天皇后を陥れ、上京で殺させた。遼史 卷18 重熙1年 3月
1034年慶州(慶陵)太后は政務を皇帝に返し、慶陵を守った。遼史 卷18 重熙3年 5月
1041年宋の辺境防備を理由に、関南十県の地を取り戻すため蕭英・劉六符を宋へ派遣した。遼史 卷19 重熙10年 12月
1042年耶律仁先と劉六符は宋と和約を結んだ。宋は歳幣に銀と絹を各十万を加え、文書では「貢」と称し、baeguまで送った。遼史 卷19 重熙11年 9月
1044年西夏の李元昊を討つため、九十九泉に大軍を集めた。遼史 卷19 重熙13年 9月
1044年夏谷に陣を張り、元昊を責めたところ、元昊は謝罪した。遼史 卷19 重熙13年 10月
1044年雲州·西京大同府雲州を西京(大同府)に昇格させた。遼史 卷19 重熙13年 11月
1049年西夏への親征。遼軍は逃げ帰った。遼史 卷20 重熙18年 8月
1049年蕭惠らが西夏軍に敗れた。遼史 卷20 重熙18年 9月
1055年興宗が行宮で崩じた(40歳)。燕趙国王の洪基が継いだ。遼史 卷20 重熙24年 8月
1055年道宗が棺の前で即位した。遼史 卷21 重熙24年 8月
1055年慶州(慶陵)興宗を慶陵に葬った。遼史 卷21 清寧1年 11月
1063年皇太叔耶律重元が子の耶律涅魯古ら四百余人とともにNushuiを脅かし、行宮を襲った。遼史 卷22 清寧9年 7月
1063年重元は大漠へ逃れ、自ら命を絶った。遼史 卷22 清寧9年 7月
1069年Jobokが反乱すると、晋王の耶律仁先を西北路招討使とし、禁軍を率いて討伐させた。遼史 卷22 咸雍5年 1月
1075年皇后蕭観音は無実の罪を着せられ、自害を強いられた。遼史 卷23 大康1年 11月
1077年耶律乙辛は皇太子を讒言し、棍棒で打って宮中に幽閉した。遼史 卷23 大康3年 6月
1077年上京臨潢府皇太子を廃して庶人とし、上京に幽閉した。遼史 卷23 大康3年 6月
1077年上京臨潢府乙辛の舎人が、庶人の耶律浚を上京で密かに殺した。遼史 卷23 大康3年 11月
1083年混同郡王耶律乙辛は宋へ逃げようとして処刑された。遼史 卷24 大康9年 10月
1085年宋の神宗が崩じ、子の趙煦(哲宗)が即位したとの訃報。遼史 卷24 大安1年 4月
1092年Jobokのマゴサが金吾の官トゴサを殺して反乱した。遼史 卷25 大安8年 10月
1093年マゴサは偽って降伏し、西北路招討使の耶律撻不也を奇襲して殺した。遼史 卷25 大安9年 10月
1096年オゴ・チョクリョル部をOnasuに移し、北辺の要衝を守らせた。遼史 卷26 壽隆2年 9月
1100年耶律斡特剌が馬古斯を捕らえて献上した。二月、市場で公開処刑された。遼史 卷26 壽隆6年 1月
1101年道宗が崩じた(70歳)。耶律延禧が遺詔によって即位した。遼史 卷26 壽隆7年 1月
1101年乙辛一派に陥れられた者らの官爵を回復させた。遼史 卷27 乾統1年 2月
1102年乙辛の一党を処罰し、その子孫を辺境へ移した。遼史 卷27 乾統2年 4月
1112年春州・混同江での頭魚宴で、生女直の完顔阿骨打が踊りを断った。皇帝は蕭奉先に殺意を示した。遼史 卷27 天慶2年 2月
1113年咸州阿骨打は五百騎を率いて咸州に突如現れ、官民が大いに驚いた。遼史 卷27 天慶3年 3月
1114年阿骨打が永江州を攻め、蕭撻不也は永江の東で女直に敗れた。遼史 卷27 天慶4年 7月
1114年出河店で女直が混同江を密かに渡り遼軍を奇襲、蕭嗣先の軍は全滅した。遼史 卷27 天慶4年 10月
1115年扶餘府·黃龍府女直軍が黄龍府を陥落させた。遼史 卷28 天慶5年 9月
1115年上京臨潢府耶律章奴が反乱し、上京へ急行して衛国王の耶律淳を擁立しようとした。遼史 卷28 天慶5年 9月
1115年呼保答江の戦いで皇帝が親征したが敗れ、輜重をすべて失った。遼史 卷28 天慶5年 12月
1116年東京遼陽府東京の副将で渤海人の高永昌が僭称し、隆基元年と称した。遼史 卷28 天慶6年 1月
1116年東京遼陽府女直軍は瀋州を陥れ、再び東京を攻めて高永昌を捕らえた。遼史 卷28 天慶6年 5月
1117年女直軍が春州を攻撃した。遼史 卷28 天慶7年 1月
1117年援軍八営を設け、威州の質慮山に駐屯させた。遼史 卷28 天慶7年 9月
1117年都元帥・鎮晋国王の耶律淳が質慮山で女直軍と戦い敗れた。遼史 卷28 天慶7年 12月
1117年阿骨打が皇帝に即位し、年号を天輔と改め、国号を金とした(史料の記載位置)。遼史 卷28 天慶7年 12月
1118年耶律奴哥らを金へ派遣し、和議を始めた。遼史 卷28 天慶8年 1月
1120年上京臨潢府金の皇帝が自ら上京を攻撃して外城を破ると、留守の撻不也は部下とともに降伏した。遼史 卷28 天慶10年 5月
1121年蕭奉先の讒言による禍を恐れた耶律余睹が千余騎を率いて金に投降した。遼史 卷29 保大1年 1月
1122年中京大定府金が中京を陥れた。遼史 卷29 保大2年 1月
1122年雲州·西京大同府天祚帝は近衛の騎兵約五千とともに雲中へ向かい、国璽を上乾河に捨てた。遼史 卷29 保大2年 1月
1122年金軍が近づくと、軽騎兵とともに夾山へ入った。遼史 卷29 保大2年 3月
1122年南京(析津府·幽州·燕京)燕京で耶律淳が天錫皇帝を自称し、建福と改元した。天祚帝は上陰王に降封された。遼史 卷29 保大2年 3月
1122年雲州·西京大同府西京などが金に降伏し、砂漠以南の諸部族はすべて金に服属した。遼史 卷29 保大2年 4月
1122年南京(析津府·幽州·燕京)耶律淳が病死すると、蕭德妃が皇太后を称し、徳興と改元した。遼史 卷29 保大2年 6月
1122年石聯駅で金軍と直接戦って敗れ、都統の蕭特末が捕らえられた。遼史 卷29 保大2年 8月
1122年金軍が居庸関に至ると、岩が自然に崩れて守備兵が埋まり、遼軍は戦わずして潰走した。遼史 卷29 保大2年 11月
1123年海王の回離保が僭称し、天復元年と称した。遼史 卷29 保大3年 1月
1123年清塚で金軍が輜重を包囲し、晋王・許王・妃嬪・公主らを捕らえた。遼史 卷29 保大3年 4月
1123年敵烈らが陽王の耶律雅里を西北へ連れて行き皇帝に立て、神力と改元した。遼史 卷29 保大3年 5月
1124年南京(析津府·幽州·燕京)金が燕京を得て、燕の大族を東へ移したのち、空になった燕城と六州を宋に引き渡す盟約を結んだ。遼史 卷29 保大4年 5月
1124年平州平州の張覚が天祚帝の肖像を奉じ、保大三年を称し、遼の官職を用いさせた。遼史 卷29 保大4年 5月
1124年平州宋は平州を泰寧軍とし、張覚を節度使に任命した。遼史 卷29 保大4年 7月
1124年耶律大石は蕭乙薛らを殺し、自ら王となって民衆とともに西へ去った。遼史 卷29 保大4年 7月
1124年金の主アグダが死去(史料の記載位置)。遼史 卷29 保大4年 8月
1124年尋思干耶律大石は尋思干で西域諸国の連合軍十万を大破し、九十日間駐屯した。年は甲辰(1124、即位直前)とされるが、史料内では不確かである。遼史 卷30 保大4年 2月
1125年金軍が突然押し寄せ、天祚帝は徒歩で逃げた。遼史 卷30 保大5年 1月
1125年応州新城の東六十里で、金の完顔婁室らに捕らえられた。遼史 卷30 保大5年 2月
1125年金に送られ、海濱王に封じられた。遼史 卷30 保大5年 8月

原文のライセンスと出典

遼史 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

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