南史 本紀

南史 本紀(正史 の史料)。扱う年は404年 〜 589年、出来事200件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年404年 〜 589年
出来事の数出来事200件・地図に置いた175件
著者李延壽
原題南史 本紀 (卷1~10)

地域の内訳: 中国 197 · 東南アジア 3

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
404年京口劉裕が京口で何無忌ら義徒とともに挙兵し、徐州刺史の桓修を斬った。南史 卷1 元興3年
404年覆舟山劉裕の義軍が覆舟山で火攻めをして桓謙を大破し、桓玄は逃走した。南史 卷1 元興3年
405年江陵劉毅らが江津で桓謙・桓振を破り、江陵を平定した。南史 卷1 義熙1年
409年下邳劉裕が南燕の慕容超討伐に出て、淮・泗を遡って下邳に至り、船を捨てて歩兵で琅邪へ進軍した。南史 卷1 義熙5年
409年臨朐劉裕軍が臨朐を攻め取ると、南燕軍は大きく崩れた。南史 卷1 義熙5年
410年廣固劉裕が広固を陥れ、慕容超を捕らえて建康の市で斬った。南史 卷1 義熙6年
410年豫章盧循・徐道覆が南康・廬陵・豫章を攻め、鎮南将軍の何無忌が豫章で戦死した。南史 卷1 義熙6年
410年石頭盧循の大軍が建康に迫ると、劉裕は石頭へ移って守り、盧循は蔡洲に停泊した。南史 卷1 義熙6年
412年江陵劉裕は劉毅を討つため王鎮悪を遣わして江陵を襲撃・陥落させ、劉毅とその一党を処刑した。南史 卷1 義熙8年
413年成都朱齢石が蜀を平定し、譙縦を斬って首を建鄴へ送った。南史 卷1 義熙9年
415年江陵劉裕が江陵から長江を渡り、司馬休之の軍を打ち破った。休之は襄陽へ逃げ、江陵が平定された。南史 卷1 義熙11年
416年洛陽劉裕の北伐軍が洛陽に至り、金墉を包囲して降伏させた。南史 卷1 義熙12年
417年長安沈田子が藍田で姚泓軍を破り、王鎮悪が長安を陥れて姚泓を捕らえた。南史 卷1 義熙13年
417年長安劉裕が長安に至り、漢の長陵を参拝し、未央殿に文武官を集めて大宴を催した。南史 卷1 義熙13年
418年長安長安の守将・劉義真が赫連勃勃に追われて大敗し、かろうじて身一つで逃れ、朱齢石らは戦死した。南史 卷1 義熙14年
418年建康晋の安帝が崩じ、大司馬の琅邪王(恭帝)が即位した。南史 卷1 義熙14年
420年建康晋の恭帝の禅譲を受けて劉裕が南郊で即位し、宋が建国された(永初元年)。南史 卷1 永初1年
422年建康宋の武帝が西殿で崩じ(六十歳)、太子の劉義符が即位した。南史 卷1 永初3年
422年滑台北魏軍が滑台を陥れた。南史 卷1 永初3年
423年虎牢北魏軍が虎牢を陥れた(閏四月)。南史 卷1 景平1年
424年建康皇太后の令により、少帝は営陽王に廃された。南史 卷1 景平2年
424年吳郡徐羨之らが呉郡に幽閉された営陽王を金昌亭で弑殺した。南史 卷1 景平2年
424年江陵荊州江陵の宜都王・劉義隆は少帝の廃位後に推戴を受けて江陵を離れ、建康へ出発した。南史 卷2 景平2年 (文帝 즉위 직전)
424年建康文帝が中堂で即位し、改元して元嘉とした。南史 卷2 元嘉1年
426年隱磯到彦之・檀道済が隠磯で荊州刺史の謝晦を大破した。南史 卷2 元嘉3年
430年金墉城北魏軍が金墉城を陥れた。南史 卷2 元嘉7年
430年虎牢北魏軍が虎牢を陥れた。南史 卷2 元嘉7年
434年梁州梁・秦二州刺史の蕭思話が氐の楊難当を破り、梁州を平定した。南史 卷2 元嘉11年
436年建康司空の檀道済が殺された。南史 卷2 元嘉13年
440年建康前丹陽尹の劉湛が罪により処刑され、彭城王義康は江州刺史に左遷された。南史 卷2 元嘉17年
442年仇池劉真道・裴方明が楊難当を破り、仇池を平定した。南史 卷2 元嘉19年
443年仇池北魏軍が仇池を陥れた。南史 卷2 元嘉20年
445年建康太子詹事の范曄の謀反が発覚して一味が処刑され、義康は庶人に降格された。南史 卷2 元嘉22年
450年縣瓠北魏軍が県瓠を攻めた(軍費のため百官の俸禄を三分の一削減)。南史 卷2 元嘉27年
450年瓜步北魏の太武帝が大軍を率いて瓜歩に至り、河を渡ろうとすると、建康は恐れおののき戒厳令が敷かれた。南史 卷2 元嘉27年
451年廣陵太武帝は瓜歩から退く際、広陵の住民一万余戸を北へ連行した。南史 卷2 元嘉28年
453年建康元凶・劉劭の反乱で、文帝が合殿において崩じた(享年四十七)。南史 卷2 元嘉30年
453年新亭孝武帝(劉駿)が新亭に至った翌日に即位し、大赦を行った。南史 卷2 元嘉30年
453年東府朱修之が東府を陥れて建鄴を平定し、劉劭ら二凶を処刑した。南史 卷2 元嘉30年
454年江陵荊州刺史・南郡王義宣らが臧質・魯爽・徐遺宝らとともに孝武帝に対して挙兵した。南史 卷2 孝建1年
454年梁山左衛将軍の王玄謨が梁山を攻めた義宣らを大破した。南史 卷2 孝建1年
454年江陵義宣が江陵で賜死された。南史 卷2 孝建1年
459年廣陵竟陵王・劉誕が広陵で反乱し、沈慶之が討伐に出た。南史 卷2 大明3年
459年廣陵広陵を陥れて誕を斬り、城中の男子をことごとく殺し、女は兵士に賞として与えた。南史 卷2 大明3年
461年襄陽雍州刺史の海陵王休茂が司馬・庾深之を殺して挙兵したが、参軍の尹玄慶に斬られた。南史 卷2 大明5年
464年建康孝武帝が玉燭殿で崩じた(享年三十五)。南史 卷2 大明8年
465年建康前廃帝が自ら宿衛兵を率いて太宰の義恭・尚書令の柳元景・左僕射の顔師伯を殺した。南史 卷2 景和1年
465年徐州前廃帝が徐州刺史の義陽王昶を討つため親征すると、昶は北魏へ逃げた。南史 卷2 景和1年
465年華光殿湘東王彧が側近と謀り、寿寂之らが華光殿で前廃帝を弑殺した(十七歳)。南史 卷2 景和1年
465年建康明帝(劉彧)が太極前殿で即位し、改元して泰始とした。南史 卷3 泰始1年
465年尋陽江州刺史・晋安王子勳が鄧琬を謀主として尋陽で挙兵した。南史 卷3 泰始1年
466年尋陽子勳は尋陽で帝位に即き、義嘉の年号を用いた。南史 卷3 泰始2年
466年建安王休仁が反乱軍を大破し、偽の僕射・袁顗を斬り、江・郢・荊・湘・雍の五州を平定した。子勳らは賜死された。南史 卷3 泰始2年
466年彭城薛安都が魏軍を引き入れ、張永・沈攸之が大敗し、淮北の四州と豫州の淮西を失った。南史 卷3 泰始2年
469年青州北魏軍が青州を陥れ、刺史の沈文秀を捕らえて連れ去った。南史 卷3 泰始5年
471年建康明帝が司徒の建安王休仁を鴆毒で殺した。南史 卷3 泰始7年
472年建康明帝が景福殿で崩じた(享年三十四)。南史 卷3 泰豫1年
474年新亭桂陽王休範が尋陽で挙兵し新亭を攻めたが、蕭道成が防いで大破した。南史 卷3 元徽2年
476年京城建平王景素が京城(京口)に拠って反乱し、蕭道成が総指揮として討伐した。南史 卷3 元徽4年
477年建康楊玉夫らが氈幄で眠る後廃帝(蒼梧王)を千牛刀で殺した(蕭道成・王敬則の謀)。南史 卷3 元徽5年
477年建康安成王准が即位し(順帝)、昇明と改元し、蕭道成が輔政となった。南史 卷3 昇明1年
477年荊州荊州刺史の沈攸之が執政の蕭道成に従わず挙兵した。南史 卷3 昇明1年
477年石頭司徒の袁粲が石頭に拠って蕭道成の排除を図ったが、まもなく敗れて滅んだ。南史 卷3 昇明1年
477年郢城沈攸之が郢城を攻めたが、前軍長史の柳世隆が堅く守った(閏十二月)。南史 卷3 昇明1年
478年江陵沈攸之が敗れて首を斬られ、雍州刺史の張敬児が江陵を陥れ、荊州が平定された。南史 卷3 昇明2年
479年建康順帝が斉に禅譲した(宋の滅亡)。南史 卷3 昇明3年
479年建康蕭道成が南郊で即位して斉を建国し、建康宮太極前殿で大赦・改元を行った。南史 卷4 建元1年
480年壽陽北魏軍が寿陽を攻めると、豫州刺史の垣崇祖が撃退した。南史 卷4 建元2年
482年臨光殿高帝が臨光殿で崩じ(五十六歳)、太子の蕭賾が即位した。南史 卷4 建元4年
490年荊州荊州刺史の巴東王子響が反乱し、蕭順之が討伐して子響を処刑した。南史 卷4 永明8年
493年延昌殿武帝が延昌殿で崩じた(享年五十四)。最後の詔で蕭鸞(後の明帝)・王晏・徐孝嗣らに後事を託した。南史 卷4 永明11年
494年建康西昌侯蕭鸞が蕭諶・蕭坦之とともに曹道剛らを除き、兵を率いて雲龍門に入って宮城を掌握した。南史 卷5 隆昌1年
494年建康皇太后の令により、鬱林王昭業が廃位・殺害された(二十二歳)。南史 卷5 隆昌1年
494年江州江州刺史の晋安王子懋が挙兵したが、王玄邈に討伐された。南史 卷5 延興1年
494年建康皇太后の令により海陵王を廃し、宣城王蕭鸞を迎えて即位させた。南史 卷5 延興1年
494年建康明帝(蕭鸞)が即位し、建武と改元した。南史 卷5 建武1年
494年洛陽北魏の孝文帝が洛陽へ遷都した。南史 卷5 建武1年
495年鍾離北魏軍が鍾離を攻めると、徐州刺史の蕭恵休が撃破した。南史 卷5 建武2年
495年壽春北魏軍が寿春から退いた。南史 卷5 建武2年
495年漢中北魏軍が漢中を包囲したが、梁州刺史の蕭懿が退けた。南史 卷5 建武2年
495年建康領軍の蕭諶と西陽王らの宗室が殺された。南史 卷5 建武2年
497年沔北北魏軍が沔北を攻めた。南史 卷5 建武4年
498年新野新野太守の劉思忌は食糧が尽き、土を煮て粥を作り持ちこたえたが、救援が来ず城は陥ち、戦死した。南史 卷5 永泰1年
498年會稽大司馬・会稽太守の王敬則が挙兵した(四月)。南史 卷5 永泰1年
498年正福殿明帝が正福殿で崩じた(享年四十七)。南史 卷5 永泰1年
499年馬圈太尉の陳顕達が馬圏で敗れた。南史 卷5 永元1年
499年東府揚州刺史の始安王遥光が東府で反乱し、蕭坦之が討伐して斬った。南史 卷5 永元1年
499年尋陽太尉・江州刺史の陳顕達が尋陽で挙兵した(崔慧景とともに)。南史 卷5 永元1年
500年壽春豫州刺史の裴叔業が病死すると、甥の裴植が寿春を北魏に献上した。南史 卷5 永元2年
500年廣陵崔慧景が広陵で反乱し、軍を率いて建康へ向かった。南史 卷5 永元2年
500年建康崔慧景が建鄴に入り、台城は門を閉じて抗戦し、豫州刺史の蕭懿が救援に来た。南史 卷5 永元2年
500年建康東昏侯が尚書令の蕭懿を殺した。これが蕭衍挙兵の直接のきっかけとなった。南史 卷5 永元2年
500年荊州西中郎長史の蕭穎胄が荊州で南康王宝融を奉じて挙兵した。南史 卷5 永元2年
500年襄陽雍州刺史の蕭衍が襄陽で挙兵した。南史 卷5 永元2年
501年江陵南康王蕭宝融が江陵で即位した(和帝、中興)。南史 卷5 永元3年
501年新亭李居士が新亭で蕭衍軍と戦って敗れた。南史 卷5 永元3年
501年建康王珍国・張稷が宮中に入り、東昏侯を殺した(十九歳)。南史 卷5 永元3年
501年襄陽蕭衍が襄陽を発って東へ出発した(弟の偉に襄陽の守備を任せた)。南史 卷6 永元3年
501年加湖王茂が加湖で呉子陽ら十三軍を、増水の隙をついて大破した。南史 卷6 永元3年
501年魯山魯山城主の孫楽祖が降伏し、続いて郢城も降伏した。南史 卷6 永元3年
501年新林蕭衍の大軍が新林に至ると、建康の人々は都をほとんど空にする勢いで押し寄せ、帰順した。南史 卷6 永元3年
501年石頭蕭衍が石頭に陣を張って軍を分け、六門を包囲し、長囲を築いた。南史 卷6 永元3年
502年姑孰和帝が蕭衍に禅譲した(姑孰まで戻った後)。南史 卷5 中興2年
502年建康蕭衍が南郊で即位して梁を建国し、太極前殿で大赦・改元した(天監)。南史 卷6 天監1年
502年江州江州刺史の陳伯之が挙兵すると王茂が討伐し、六月、伯之は魏へ逃げた。南史 卷6 天監1年
503年成都益州刺史の鄧元起が成都を陥れた。南史 卷6 天監2年
504年梁州北魏が梁州を陥れた。南史 卷6 天監3年
504年司州北魏が司州を陥れた。南史 卷6 天監3年
506年洛口臨川王宏の軍が洛口で大きく崩れ、宏は単騎で帰還した。南史 卷6 天監5年
506年鍾離北魏軍が勢いに乗って鍾離を攻めた。南史 卷6 天監5年
507年邵陽洲曹景宗・韋叡が邵陽洲で北魏軍を破り、一万人を斬った。南史 卷6 天監6年
508年縣瓠北魏の県瓠鎮主・白皁生と豫州刺史・胡遜が城を挙げて梁に帰属した。南史 卷6 天監7年
509年宿預魏の鎮東参軍・成景雋が宿預城を挙げて帰属した。南史 卷6 天監8年
511年朐山盗が東莞・琅邪の太守・劉晰を殺して朐山を占拠し、魏の徐州刺史・盧昶を引き入れた。南史 卷6 天監10年
511年朐山振遠將軍の馬仙琕が北魏軍を大破し、十余万を斬って朐山城を奪還した。南史 卷6 天監10年
525年彭城北魏の徐州刺史元法僧が彭城を挙げて梁に投降した。南史 卷7 普通6年
525年彭城豫章王綜が北魏へ逃げると、北魏が彭城を再び領有した。南史 卷7 普通6年
527年渦陽北魏の東豫州刺史元慶和が渦陽を挙げて帰順し、蕭藻が渦陽に駐屯した。南史 卷7 大通1年
528年建康梁は北魏の北海王顥を北魏の君主に立て、陳慶之に護送させて北へ帰らせた。南史 卷7 大通2年
529年虎牢陳慶之が虎牢を陥落させると、北魏の孝荘帝は河北へ逃げた。南史 卷7 中大通1年
529年洛陽元顥が都の洛陽に入り、建武と称して即位した。南史 卷7 中大通1年
531年建康昭明太子統が4月に没した後、晋安王綱が皇太子に立てられた。南史 卷7 中大通3年
535年漢中北梁州刺史の蘭欽が漢中を攻めると、北魏の梁州刺史元羅が降伏した。南史 卷7 大同1年
541年交州交州の人李賁が刺史蕭諮を攻めた。南史 卷7 大同7年
544年交址李賁が交址で王号を称し、天徳の年号を用いた。南史 卷7 大同10年
546年交址交州刺史楊膘が交址の嘉寧城を陥落させると、李賁は屈獠洞へ逃げ、交州は平定された。南史 卷7 中大同1年
547年東魏の司徒侯景が河南十三州を挙げて梁への帰属を願い出ると、武帝は大将軍・河南王として受け入れた。南史 卷7 太清1年
547年縣瓠羊鴉仁が県瓠城に入城した。南史 卷7 太清1年
547年寒山東魏の慕容紹宗が寒山で梁軍を大破し、蕭明を捕らえた。南史 卷7 太清1年
548年侯景が挙兵して反乱を起こした。南史 卷7 太清2年
548年曆陽侯景が譙州を襲い、暦陽を陥落させた。南史 卷7 太清2年
548年建鄴侯景が采石から長江を渡って建鄴に至ると、臨賀王正徳が兵を率いて合流した。南史 卷7 太清2年
548年東府城侯景が東府城を陥落させた。南史 卷7 太清2年
549年宮城侯景が宮城(台城)を陥落させ、兵を放って略奪させた。南史 卷7 太清3年
549年淨居殿武帝が浄居殿で崩御した(86歳)。南史 卷7 太清3年
549年廣州広州刺史の元景仲が侯景に呼応しようとしたが、西江督護陳覇先に攻められ自殺した。南史 卷8 太清3年
549年湘州湘東王繹が世子方等を送って河東王誉を攻めたが敗れ、方等は戦死した。南史 卷8 太清3年
550年安陸西魏が安陸を陥落させ、司州刺史柳仲礼を捕らえ、漢東の地をすべて手に入れた。南史 卷8 大寶1年
550年廣陵侯景が広陵を陥落させ、義兵を挙げた祖皓を殺した。南史 卷8 大寶1年
550年江州侯景の任約が江州を攻め、刺史の尋陽王大心が降伏した。南史 卷8 大寶1年
550年郢州湘東王繹が送った王僧辯が郢州に迫ると、邵陵王綸は郢州を捨てて逃げた。南史 卷8 大寶1年
550年湘州湘州を陥落させ、河東王譽を斬って湘州を平定した。南史 卷8 大寶1年
550年南康陳覇先が始興を出て、大庾嶺で蔡路養を大破し、南康に駐屯した。南史 卷9 大寶1年
551年巴陵侯景が巴陵を包囲した。南史 卷8 大寶2年
551年巴陵胡僧佑らが任約を捕らえると、侯景は巴陵の包囲を解き、夜に逃走した。南史 卷8 大寶2年
551年建康侯景が簡文帝を晋安王に廃し、皇太子大器らを殺したうえで、豫章王棟に帝位を譲るふりをした。南史 卷8 大寶2年
551年永福省簡文帝が永福省に幽閉されたまま崩御した(49歳)。南史 卷8 大寶2年
552年建康王僧辯らが侯景を平定し、その首を江陵へ送った。南史 卷8 承聖1年
552年蜀益州刺史の武陵王紀が蜀で即位し、年号を天正とした。南史 卷8 承聖1年
552年江陵元帝(蕭繹)が江陵で即位し、承聖と改元した。南史 卷8 承聖1年
552年豫章陳覇先が豫章で兵を挙げ、王僧辯の軍と合流するため東進した。南史 卷9 大寶3年
552年石頭陳覇先が石頭の西に柵を立て、王琳・杜龕とともに力戦して侯景軍を大いに破った。南史 卷9 大寶3年
553年湘州王僧辯が湘州を平定した(陸納の反乱を鎮圧)。南史 卷8 承聖2年
553年武陵王紀の軍が大敗し、紀は殺された。南史 卷8 承聖2年
553年蜀西魏の尉遅迥が蜀を平定した。南史 卷8 承聖2年
554年襄陽西魏軍が襄陽に至ると、梁王蕭察が兵を率いて合流した。南史 卷8 承聖3年
554年江陵西魏の大攻勢の中、西門の守兵が裏切って江陵は陥落し、元帝は捕らえられた。南史 卷8 承聖3年
554年江陵西魏が元帝を殺した。南史 卷8 承聖3年
555年石頭陳覇先が南徐州から夜のうちに兵を出して石頭を奇襲し、王僧辯を捕らえ、その夜のうちに絞め殺させた。南史 卷9 承聖4年
555年建康陳覇先が冶城に浮橋を架け、北斉・徐嗣徽の軍を火攻めで大破した。南史 卷9 紹泰1年
556年梁山北斉の蕭軌が柵口から梁山へ向かうと、陳覇先が大破した。南史 卷8 太平1年
556年玄武湖陳覇先が玄武湖の西北に至った北斉軍を大破した。南史 卷8 太平1年
556年建康陳覇先軍が北斉軍を大破し、徐嗣徽兄弟を斬り、蕭軌ら将軍四十六人を捕らえた。南史 卷9 紹泰2年
557年合肥領軍の徐度が合肥で北斉の船三千隻を焼き払った。南史 卷8 太平2年
557年建康敬帝が陳覇先に禅譲した(梁の滅亡)。南史 卷8 太平2年
557年南康広州刺史の蕭勃が嶺を越えて南康に進駐し、反乱を起こした。南史 卷9 太平2年
557年建康陳覇先が建康の南郊で即位し、陳を建国した(永定)。南史 卷9 永定1年
557年郢州西討都督の周文育・侯安都が郢州で敗れ、王琳に捕らえられた。南史 卷9 永定1年
559年璿璣殿武帝が璿璣殿で崩御した(57歳)。南史 卷9 永定3年
560年梁山太尉の侯瑱が梁山で王琳を破り、北斉軍も博望で撃破した。王琳と蕭荘は北斉へ逃げた。南史 卷9 天嘉1年
560年尋陽周の将軍獨孤盛が水軍を率いて巴・湘へ向かうと、侯瑱が尋陽で食い止めた。南史 卷9 天嘉1年
561年湘州周の湘州城主殷亮が降伏し、湘州が平定された。南史 卷9 天嘉2年
564年晉安章昭達が陳宝応・留異を捕らえて建鄴へ護送し、晋安郡を平定した。南史 卷9 天嘉5年
565年臨川臨川太守の駱牙が周迪を斬り、その首を建鄴へ送った。南史 卷9 天嘉6年
566年有覺殿文帝が有覺殿で崩御した。南史 卷9 天康1年
567年湘州湘州刺史の華皎が執政に従わず、淳于量が水軍を率いて討伐した。南史 卷9 光大1年
567年郢州周の将軍拓拔定が華皎とともに郢州に入ったが、淳于量・呉明徹が大破し、拓拔定は捕らえられた。南史 卷9 光大1年
568年建康慈訓太后の令で廃帝(伯宗)を臨海郡王に降格し、安成王頊を立てた。南史 卷9 光大2年
569年建康宣帝(陳頊)が太極前殿で即位し、太建と改元した。南史 卷10 太建1年
569年廣州左衛将軍の欧陽紇が広州で反乱を起こし、章昭達が討伐した。南史 卷10 太建1年
570年廣州章昭達が欧陽紇を捕らえ、建康の市場で斬首し、広州を平定した。南史 卷10 太建2年
573年壽陽呉明徹が寿陽城を陥落させ、王琳を斬り、その首を建鄴へ送った。南史 卷10 太建5年
575年呂梁呉明徹が呂梁で北斉軍を大破した(閏九月)。南史 卷10 太建7年
577年北周が北斉を滅ぼした。南史 卷10 太建9年
577年呂梁司空の呉明徹が呂梁で周の将軍梁士彦を破った。南史 卷10 太建9年
578年呂梁周軍が梁士彦を救援に来て、呂梁で呉明徹を大破し、呉明徹と将兵は捕虜となった。南史 卷10 太建10年
579年壽陽周の将軍梁士彦が寿陽を包囲して陥落させ、以後淮南の地はすべて周に渡った。南史 卷10 太建11年
580年周の鄖州総管の司馬消難が九州八鎮の地を挙げて陳に降伏した。南史 卷10 太建12年
582年宣福殿宣帝が宣福殿で崩御した(53歳)。南史 卷10 太建14年
582年建康始興王叔陵の反逆が鎮圧された。南史 卷10 太建14年
582年太極前殿後主(叔宝)が太極前殿で即位した。南史 卷10 太建14年
587年荊州後梁の太傅蕭岩と荊州刺史蕭瓛が陳の荊州刺史陳慧紀に降伏を求め、文武官の家族を連れて長江を渡った。南史 卷10 禎明1年
589年隋の賀若弼は広陵から、韓擒は横江から長江を渡り、採石を急襲して陥落させた。南史 卷10 禎明3年
589年南徐州賀若弼が南徐州を陥落させた。南史 卷10 禎明3年
589年鍾山賀若弼が鍾山に陣を張って陳の大軍を破り、宮城へ進んで北掖門を焼き払った。南史 卷10 禎明3年
589年朱雀航鎮東大将軍の任忠が韓擒に降伏し、朱雀航を経て南掖門へ導いた。南史 卷10 禎明3年
589年宮城後主は袁憲の諫めを退け、宮城の井戸へ逃れた。南史 卷10 禎明3年
589年台城隋の晋王広が台城に入り、後主を東宮へ送った(陳の滅亡)。南史 卷10 禎明3年
589年建鄴後主が王公・百司とともに建鄴を発ち、長安へ送られた。南史 卷10 禎明3年
589年長安長安に着くと、陳の輿服・器物を庭に並べ、後主以下を隋の文帝の前に立たせた。彼らは赦された。南史 卷10 禎明3年

原文のライセンスと出典

南史 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

원저작 PD · 위키문고(zh.wikisource.org) 본문 CC BY-SA 4.0

https://zh.wikisource.org/wiki/南史

同じ時代の別の史料

地図で見る — 南史 本紀を開く