隋書 帝紀

隋書 帝紀(正史 の史料)。扱う年は580年 〜 618年、出来事148件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年580年 〜 618年
出来事の数出来事148件・地図に置いた98件
著者魏徵 等(636~656)
原題隋書 帝紀

地域の内訳: 中国 146 · 朝鮮半島 1 · 東南アジア 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
580年長安周の宣帝が崩じ、幼い静帝の下で楊堅が詔を起草して宮中に入り、朝政を総べ内外の軍を指揮した。隋書 卷001 帝紀 大象2年5月
580年鄴鄴で尉遅迥は相州総管として重臣の不満から東夏で挙兵し、趙・魏の人々が従い、十日で十万余となった。隋書 卷001 帝紀 大象2年6月
580年鄴韋孝寛は相州で尉遅迥を破り、その首を都に送り、残党を平定した。隋書 卷001 帝紀 大象2年7月
580年劍閣益州総管の王謙は巴・蜀の兵で剣閣に陣を張り、始州を陥落させた。後に行軍元帥の梁睿が平定した。隋書 卷001 帝紀 大象2年7月
581年長安楊堅は臨光殿で即位し、南郊に壇を築いて天に告げ、開皇と改元した。隋の建国である。隋書 卷001 帝紀 大定1年2月
581年青海行軍元帥の元諧は青海で吐谷渾を破り、降伏させた。隋書 卷001 帝紀 開皇1年8月
581年胡墅陳の将軍周羅睺が胡墅を陥落させ、蕭摩訶が江北を攻めた。隋書 卷001 帝紀 開皇1年9月
582年建鄴陳の宣帝が崩じ、子の叔宝(後主)が即位した。隋書 卷001 帝紀 開皇2年1月
582年馬邑上柱国の李充は馬邑で突厥を破った。隋書 卷001 帝紀 開皇2年6月
582年長安旧都は古びたとして、龍首山一帯に新都を建てるよう詔が下り、高熲らが造営を監督した。隋書 卷001 帝紀 開皇2年6月
583年長安新都は大興城と名付けられた。隋書 卷001 帝紀 開皇2年12月
583年周槃突厥が周槃を攻め、行軍総管の達奚長儒が防いだが敗れた。隋書 卷001 帝紀 開皇2年12月
583年長安皇帝は雨の中、平服で新都の大興城に入った。隋書 卷001 帝紀 開皇3年3月
583年臨洮吐谷渾が臨洮を攻め、洮州刺史の皮子信が戦死した。隋書 卷001 帝紀 開皇3年4月
583年白道衛王の楊爽が白道で突厥を破った。隋書 卷001 帝紀 開皇3年4月
583年涼州行軍元帥の竇栄定が涼州で突厥と吐谷渾を破った。隋書 卷001 帝紀 開皇3年5月
583年高熲は寧州道から、虞慶則は原州道から出て、胡を討った。隋書 卷001 帝紀 開皇3年8月
584年長安渭水から黄河まで水路を掘り、穀物の運搬を通した(広通渠)。隋書 卷001 帝紀 開皇4年6月
584年洛陽関中の凶作により、皇帝は洛陽に行幸した。隋書 卷001 帝紀 開皇4年9月
585年突厥の沙鉢略可汗が上表して臣下を称した。隋書 卷001 帝紀 開皇5年7月
585年歷陽陳の将軍湛文徹が和州(歴陽)を攻め、儀同三司の費宝首が捕らえた。隋書 卷001 帝紀 開皇5年9月
586年丁男十一万を徴発して長城を築き、二十日で完成した。隋書 卷001 帝紀 開皇6年2月
587年揚州揚州で山陽瀆を掘り、穀物の運搬を通した。隋書 卷001 帝紀 開皇7年4月
587年江陵梁を廃し、江陵で特赦を行い、梁の君主蕭琮を柱国・莒国公に封じた。隋書 卷001 帝紀 開皇7年9月
587年同州先帝の住んだ地であるため、皇帝は同州に行幸し、囚人の刑を軽減した。隋書 卷001 帝紀 開皇7年10月
588年長安陳が江南を占め暴政を行っているとして、出師の詔が下された。隋書 卷002 帝紀 開皇8年3月
588年長安太廟に報告し、晋王楊広・秦王楊俊・楊素を行軍元帥に任じて陳征討を始めた。隋書 卷002 帝紀 開皇8年10月
588年襄陽晋王は六合から、秦王は襄陽から、楊素は信州などの諸道から出兵した。総管九十名、兵五十一万八千。隋書 卷002 帝紀 開皇8年10月
589年京口賀若弼は陳の京口を、韓擒虎は南豫州を陥落させた。隋書 卷002 帝紀 開皇9年1月
589年建鄴賀若弼は蔣山で陳軍を破り、陳の将軍蕭摩訶を捕らえた。隋書 卷002 帝紀 開皇9年1月
589年建鄴韓擒虎は建鄴に入り陳の君主陳叔宝を捕らえた。陳は平定され、州三十・郡百・県四百であった。隋書 卷002 帝紀 開皇9年1月
589年長安三軍は凱旋し、太廟に捕虜を献上した。隋書 卷002 帝紀 開皇9年4月
590年晉陽皇帝は并州の晋陽に行幸した。隋書 卷002 帝紀 開皇10年2月
590年江南で汪文進・高智慧・沈玄懀らが反乱を起こし、天子を称した。楊素が平定した。隋書 卷002 帝紀 開皇10年11月
592年長安死刑判決は各州が勝手に執行できず、大理寺が覆審することが制度化された。隋書 卷002 帝紀 開皇12年8月
593年岐州岐州に行幸した。隋書 卷002 帝紀 開皇13年1月
593年仁壽宮仁寿宮の造営が命じられた。隋書 卷002 帝紀 開皇13年2月
594年洛陽関中で大旱魃が起き、皇帝は戸口を率いて食糧を求め洛陽に行った。隋書 卷002 帝紀 開皇14年8月
595年泰山旱魃のため泰山で祭祀を行い過ちを謝し、大赦を行った。隋書 卷002 帝紀 開皇15年1月
595年仁壽宮仁寿宮に行幸した。隋書 卷002 帝紀 開皇15年3月
597年桂州上柱国の王世積が桂州の賊李光仕を討って平定した。隋書 卷002 帝紀 開皇17年2月
597年桂州桂州の李代賢が反乱を起こし、虞慶則が討って平定した。隋書 卷002 帝紀 開皇17年7月
598年漢王の楊諒を行軍元帥に任じ、水陸三十万で高麗を討たせた。隋書 卷002 帝紀 開皇18年2月
598年楊諒の軍は疫病に遭って帰還し、死者は十に八九に上った。隋書 卷002 帝紀 開皇18年9月
599年突厥の達頭可汗が辺境を侵し、行軍総管の史万歳が撃破した。隋書 卷002 帝紀 開皇19年4月
600年突厥が辺境を侵し、晋王楊広が行軍元帥として撃破した。隋書 卷002 帝紀 開皇20年4月
600年長安皇太子楊勇と息子たちを廃して庶人とした。隋書 卷002 帝紀 開皇20年10月
600年長安晋王楊広を皇太子とした。隋書 卷002 帝紀 開皇20年11月
601年恒安突厥が恒安を攻めた。柱国の韓洪が防いだが、官軍は敗れた。隋書 卷002 帝紀 仁壽1年1月
601年長安国子学は学生七十人のみを残し、太学・四門学・州県の学をすべて廃止した。隋書 卷002 帝紀 仁壽1年6月
602年仁壽宮皇后独孤氏が死去した(九月に仁寿宮から戻っていた)。隋書 卷002 帝紀 仁壽2年8月
603年成都益州総管の蜀王楊秀を廃して庶人とした。隋書 卷002 帝紀 仁壽2年12月
603年交趾交趾で、交州の人李仏子が反乱を起こし、行軍総管の劉方が平定した。隋書 卷002 帝紀 仁壽2年12月
604年河南の諸州が水害に遭い、納言の楊達を派遣して救恤させた。隋書 卷002 帝紀 仁壽3年12月
604年仁壽宮文帝が仁寿宮大宝殿で崩御した(六十四歳)。遺詔により皇太子広を後継に指名した。隋書 卷002 帝紀 仁壽4年7月
604年仁壽宮煬帝(楊広)が仁寿宮で即位した。隋書 卷003 帝紀 仁壽4年7月
604年長安文帝の梓宮を奉じて京師に戻った。隋書 卷003 帝紀 仁壽4年8月
604年晉陽并州総管の漢王楊諒が晋陽で挙兵して反乱したが、楊素が平定した。隋書 卷003 帝紀 仁壽4年8月
604年洛陽煬帝が洛陽に行幸した。隋書 卷003 帝紀 仁壽4年11月
604年洛陽伊水・洛水の一帯に東京を造営するとの詔が出された。隋書 卷003 帝紀 仁壽4年11月
605年洛陽楊素・楊達・宇文愷に東京の造営を任せ、豫州の城下の民を移して住まわせた。隋書 卷003 帝紀 大業1年3月
605年洛陽河南の男女百余万を動員して通済渠を掘った(西苑から穀水・洛水を黄河へ、板渚で黄河を淮水へ通じさせた)。隋書 卷003 帝紀 大業1年3月
605年林邑大将軍の劉方が林邑を攻めて破った。隋書 卷003 帝紀 大業1年4月
605年江都煬帝が竜舟に乗って江都に行幸した。船は二百里にわたって連なった。隋書 卷003 帝紀 大業1年8月
606年洛陽東京が完成し、監督者に褒賞が与えられた。隋書 卷003 帝紀 大業2年1月
606年洛陽伊闕から法駕(千乗万騎)を備えて東京に入城した。隋書 卷003 帝紀 大業2年4月
607年長安車駕が京師に戻った。隋書 卷003 帝紀 大業3年3月
607年流求羽騎尉の朱寛を流求国に使者として派遣した。隋書 卷003 帝紀 大業3年3月
607年長安煬帝が北方巡幸に出発した。隋書 卷003 帝紀 大業3年4月
607年晉陽河北の十余郡の壮丁を動員して太行山を穿ち、并州に通じる馳道を開いた。隋書 卷003 帝紀 大業3年5月
607年榆林榆林郡に滞在した。隋書 卷003 帝紀 大業3年6月
607年榆林郡城の東に大きな幕舎を張り、啓民可汗とその部落三千五百人を宴でもてなした。隋書 卷003 帝紀 大業3年7月
607年榆林成年男子百余万を動員して長城を築いた(西は榆林、東は紫河まで)。十日で完成したが、死者は十人中五、六人に上った。隋書 卷003 帝紀 大業3年7月
607年晉陽太原に至り、晋陽宮の造営を命じた。隋書 卷003 帝紀 大業3年8月
607年洛陽東都に到着した。隋書 卷003 帝紀 大業3年9月
608年涿郡河北の男女百余万を動員して永済渠を掘った(沁水から南は黄河まで、北へは涿郡まで)。隋書 卷003 帝紀 大業4年1月
608年五原五原に行幸し、辺境の外に出て長城を巡視した。隋書 卷003 帝紀 大業4年3月
608年赤土屯田主事の常駿を赤土に使者として派遣した。隋書 卷003 帝紀 大業4年3月
608年左翊衛大将軍の宇文述が吐谷渾を曼頭・赤水で破った。隋書 卷003 帝紀 大業4年7月
609年洛陽東京を東都と改称した。隋書 卷003 帝紀 大業5年1月
609年長安煬帝が河右(西方)巡幸に出発した。隋書 卷003 帝紀 大業5年3月
609年西平臨津関を出て黄河を渡り、西平で軍を展開して武芸を講習させた。隋書 卷003 帝紀 大業5年4月
609年吐谷渾王が覆袁川に立てこもると、内史の元寿らは軍を四方面に分けて包囲した。隋書 卷003 帝紀 大業5年5月
609年窮地に陥った吐谷渾の仙頭王は、男女十余万人を率いて降伏した。隋書 卷003 帝紀 大業5年5月
609年大斗拔谷大斗抜谷を通ると山道は険しく、吹雪で兵が散り、凍死した者が大半だった。隋書 卷003 帝紀 大業5年6月
609年張掖張掖に滞在した。隋書 卷003 帝紀 大業5年6月
609年張掖高昌王麹伯雅が来朝し、伊吾の吐屯設が西域数千里の地を献上した。隋書 卷003 帝紀 大業5年6月
609年西海・河源・鄯善・且末の四郡を設置した。隋書 卷003 帝紀 大業5年6月
609年長安煬帝の車駕が長安に入った。隋書 卷003 帝紀 大業5年9月
609年洛陽東都洛陽に行幸した。隋書 卷003 帝紀 大業5年11月
610年洛陽正月元旦の未明、数十人が弥勒仏を自称して建国門から入り、衛士の武器を奪って乱を企てた。斉王楊暕が斬り殺した。隋書 卷003 帝紀 大業6年1月
610年流求武賁郎将の陳稜らが流求を攻めて破り、捕虜一万七千人を献上した。隋書 卷003 帝紀 大業6年2月
610年江都江都宮に行幸した。隋書 卷003 帝紀 大業6年3月
611年涿郡江都から竜舟に乗って通済渠に入り、涿郡に行幸した。隋書 卷003 帝紀 大業7年2月
611年涿郡高句麗の高元が藩国の礼を失ったとして、遼東征討の意思を示す詔が出た。隋書 卷003 帝紀 大業7年2月
611年涿郡涿郡の臨朔宮に到着した。隋書 卷003 帝紀 大業7年4月
611年山東・河南の三十余郡が水没し、民は自ら奴婢として身を売った。隋書 卷003 帝紀 大業7年7月
612年遼東への兵士と軍糧輸送の人夫が道を埋め、昼夜途絶えなかった。賦役に疲れた者たちがついに盗賊の群れとなった。隋書 卷003 帝紀 大業7年12月
612年涿郡大軍が涿郡に集結した。隋書 卷004 帝紀 大業8年1月
612年涿郡高句麗遠征軍の総数は百十三万三千八百人(二百万と称した)、軍糧輸送の者はその倍であった。先頭の軍が出発してから四十日間、軍旗は千里に連なった。隋書 卷004 帝紀 大業8年1月
612年遼水遼水で高句麗軍に阻まれ渡河できず、右屯衛大将軍の麦鉄杖らが戦死した。隋書 卷004 帝紀 大業8年3月
612年遼東城煬帝は遼水を渡り、東岸で会戦して破り、遼東城を包囲した。隋書 卷004 帝紀 大業8年3月
612年遼東城遼東に行幸し、将軍たちを叱責した。城の西数里に六合城を築き、そこに滞在した。隋書 卷004 帝紀 大業8年6月
612年薩水宇文述らが薩水で敗れ、右屯衛将軍の辛世雄が戦死した。九軍は崩れ、生還した騎兵は二千余人であった。隋書 卷004 帝紀 大業8年7月
612年洛陽東都洛陽に到着した。隋書 卷004 帝紀 大業8年9月
612年この年、大旱魃と疫病で多くの人が死んだ(山東で特に甚だしかった)。隋書 卷004 帝紀 大業8年(是歲)
613年涿郡天下の兵を徴発し、民を集めて驍果とし、涿郡に集結させた。隋書 卷004 帝紀 大業9年1月
613年遼東城煬帝が再び遼東に行幸した。隋書 卷004 帝紀 大業9年3月
613年平壤宇文述・楊義臣を平壌に向けて派遣した。隋書 卷004 帝紀 大業9年4月
613年黎陽礼部尚書の楊玄感が黎陽で反乱を起こした。隋書 卷004 帝紀 大業9年6月
613年洛陽楊玄感が東都に迫り、河南賛務の裴弘策が防いだが敗れた。隋書 卷004 帝紀 大業9年6月
613年閿鄉宇文述らが閿郷で楊玄感を破って斬り、残党を平定した。隋書 卷004 帝紀 大業9年8月
613年斉の人孟譲・王薄らが十余万人で長白山に拠り、諸郡を略奪した。隋書 卷004 帝紀 大業9年10月
613年清河右候衛将軍の馮孝慈が清河で張金称を攻めたが敗れて戦死した。隋書 卷004 帝紀 大業9年11月
614年涿郡煬帝が涿郡に行幸した(高句麗への三度目の遠征に備えて)。隋書 卷004 帝紀 大業10年3月
614年高句麗が使者を送って降伏を請い、斛斯政を縛って送ってきた。煬帝は大いに喜んだ。隋書 卷004 帝紀 大業10年7月
614年洛陽東都洛陽に到着した。隋書 卷004 帝紀 大業10年10月
614年長安斛斯政を長安の金光門の外で車裂きの刑に処した。隋書 卷004 帝紀 大業10年11月
615年都梁宮賊帥の孟譲が都梁宮に拠ったが、江都郡丞の王世充がこれを破り、その一味をことごとく捕らえた。隋書 卷004 帝紀 大業10年12月
615年雁門突厥の始畢可汗が騎兵数十万で煬帝を襲おうとした。義成公主が知らせ、煬帝は雁門へ馳せた。隋書 卷004 帝紀 大業11年8月
615年雁門突厥が雁門城を包囲した。官軍は幾度も戦ったが不利で、煬帝は大いに恐れた。隋書 卷004 帝紀 大業11年8月
615年雁門突厥は包囲を解いて去った。隋書 卷004 帝紀 大業11年9月
615年洛陽東都洛陽に到着した。隋書 卷004 帝紀 大業11年10月
615年江都東海の盗賊李子通が一味を率いて淮水を渡り、楚王を名乗って江都を攻めた。隋書 卷004 帝紀 大業11年10月
616年太原甄翟児が歴山飛を称して太原を攻め、将軍の潘長文が敗れて戦死した。隋書 卷004 帝紀 大業12年4月
616年江都煬帝が江都宮に行幸し、越王楊侗らに留守(都の留後事)を任せた。隋書 卷004 帝紀 大業12年7月
617年九江鄱陽の林士弘が皇帝を称して国号を楚とし、九江・廬陵の二郡を陥落させた。隋書 卷004 帝紀 大業12年12月
617年西河唐公(李淵)が西河で甄翟児を破り、男女数千人を捕らえた。隋書 卷004 帝紀 大業12年12月
617年歷陽斉郡の盗賊杜伏威が淮水を渡り、歴陽郡を陥落させた。隋書 卷004 帝紀 大業13年1月
617年樂壽勃海の盗賊竇建徳が河間の楽寿に壇を築き、長楽王を称した。隋書 卷004 帝紀 大業13年1月
617年朔方朔方の人梁師都が郡丞を殺して郡を奪い、大丞相を称した。隋書 卷004 帝紀 大業13年2月
617年馬邑馬邑の校尉劉武周が太守王仁恭を殺し、突厥と結んで定楊可汗を称した。隋書 卷004 帝紀 大業13年2月
617年興洛倉李密・翟譲が興洛倉を陥落させた。李密は魏公を称し、倉を開いて部衆を救恤し、その勢力は数十万に達した。隋書 卷004 帝紀 大業13年2月
617年金城金城校尉の薛挙が西秦覇王を称し、隴右の諸郡を陥落させた。隋書 卷004 帝紀 大業13年4月
617年洛陽孟譲が夜に東都の外郭に入り、豊都の市を焼いて去った。隋書 卷004 帝紀 大業13年4月
617年太原唐公(李淵)が太原で義兵を挙げた。隋書 卷004 帝紀 大業13年5月
617年涼州武威の人李軌が河西の諸郡を陥落させ、涼王を称した。隋書 卷004 帝紀 大業13年7月
617年霍邑唐公が霍邑で武牙郎将の宋老生を破り、斬った。隋書 卷004 帝紀 大業13年8月
617年黎陽武陽郡丞の元宝蔵が郡を挙げて李密に帰属し、黎陽倉を陥落させた。隋書 卷004 帝紀 大業13年9月
617年羅縣羅県の県令蕭銑が県を挙げて反乱し、董景珍が羅県で迎えて梁王を称し、近隣の郡を陥落させた。隋書 卷004 帝紀 大業13年10月
617年長安唐公(李淵)が京師長安に入った。隋書 卷004 帝紀 大業13年11月
617年長安煬帝を太上皇に尊び、代王侑を皇帝に立てて年号を義寧と改めた。煬帝は丹陽に宮を築き、長江以南へ退こうとした。隋書 卷004 帝紀 大業13年11月
617年長安恭帝(楊侑)が大興殿で即位した。隋書 卷005 帝紀 義寧1年11月
617年長安李淵を大丞相・唐王に封じた。隋書 卷005 帝紀 義寧1年11月
618年扶風薛挙が天子を称して扶風を攻めたが、秦公(李世民)が元帥としてこれを破った。隋書 卷005 帝紀 義寧1年12月
618年閿鄉義師は閿郷で驍衛大将軍の屈突通を捕らえ、数万の兵を捕虜とした。隋書 卷005 帝紀 義寧1年12月
618年江都右屯衛将軍の宇文化及が江都宮で太上皇(煬帝)を殺した。隋書 卷005 帝紀 義寧2年3月
618年長安恭帝は唐に禅譲し、酅国公となった。隋書 卷005 帝紀 義寧2年5月

原文のライセンスと出典

隋書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

원저작 PD · 위키문고(zh.wikisource.org) 본문 CC BY-SA 4.0

https://zh.wikisource.org/wiki/隋書

同じ時代の別の史料

地図で見る — 隋書 帝紀を開く