周書 帝紀

周書 帝紀(正史 の史料)。扱う年は534年 〜 581年、出来事85件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年534年 〜 581年
出来事の数出来事85件・地図に置いた73件
著者令狐德棻 등
原題周書 帝紀

地域の内訳: 中国 85

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
534年長安孝武帝は高歓に追われて洛陽を去り関中に入る。宇文泰は東陽駅で儀仗を整えて迎え、長安に都を置く周書 卷1 永熙3年7月
534年潼關斉神武(高歓)が潼関を襲って陥落させ、華陰まで侵入。宇文泰は覇上に陣を張って迎え、薛瑾を攻めて捕虜七千を得る周書 卷1 永熙3年8月
537年潼關宇文泰は騎兵六千で長安を密かに出て、小関で東魏の竇泰を破り、一万余を捕らえ、竇泰を斬る周書 卷2 大統3年1月
537年弘农宇文泰は十二将軍を率いて東征し、潼関で誓いを立てる。弘農を雨の中で攻略し、李徽伯を斬って八千を捕らえる周書 卷2 大統3年8月
537年沙苑沙苑(渭曲)で葦原に伏兵を置き、太鼓の合図で一斉に起って斉神武の軍を大いに破り、六千を斬り二万余の降伏を受ける周書 卷2 大統3年10月
538年河橋河橋・邙山の戦いで東魏の高敖曹を斬り、一万五千を捕らえたが、左軍が不利となり洛陽を失って退く周書 卷2 大統4年8月
543年洛陽 北 邙山邙山で夜襲により高歓の軍を破ったが、趙貴らの左軍が不利となり、夜のうちに撤収する周書 卷2 大統9年3月
546年玉壁斉神武は玉壁を六十日包囲したが、韋孝寛が持ちこたえ、斉軍は兵の二〜三割を失い、神武は病み、陣営を焼いて退く周書 卷2 大統12年9月
552年南鄭達奚武は南鄭を一か月余り包囲し、梁州刺史の蕭循が降伏する周書 卷2 魏廢帝1年4月
553年姑臧宇文泰は騎兵三万で隴を越え、金城河を渡って姑臧に至る。吐谷渾は恐れて方物を献上する周書 卷2 魏廢帝2年4月
553年成都尉遲迥が成都を陥落させ、剣南を平定する周書 卷2 魏廢帝2年8月
554年江陵于謹らが五万で江陵を攻め、一日で陥落させる。梁の元帝を捕らえて殺し、十万余の民を奴隷として連れ帰る周書 卷2 魏恭帝1年11月
556年長安『周礼』に従い六官を立て、宇文泰を太師・大冢宰とする周書 卷2 魏恭帝3年1月
556年雲陽宮宇文泰は雲陽宮で死去し、後継の任を宇文護に託す周書 卷2 魏恭帝3年10月
557年長安西魏の恭帝が禅譲し、孝閔帝が天王に即位して北周を建国。柴燎の儀で天に告げ、魏帝を宋公に封じる周書 卷3 孝閔1年1月
557年楚国公の趙貴が謀反を企てたが事前に発覚し、誅殺される周書 卷3 孝閔1年2月
557年衛国公の独孤信が賜死される周書 卷3 孝閔1年3月
557年宇文護を除こうとした李植らの謀議が漏れ、宇文護は尉遲綱・賀蘭祥に孝閔帝を廃位・幽閉させ、十六歳で弑殺させる周書 卷3 孝閔1年
557年長安宇文護は岐州の宇文毓を呼び寄せ、明帝が長安で即位する周書 卷4 明帝1年9月
557年建康梁では陳覇先が蕭方智を廃して自立する(陳の武帝)周書 卷4 明帝1年10月
558年北豫州斉の北豫州刺史の司馬消難が州を挙げて帰服し、達奚武・楊忠が迎えに行く周書 卷4 明帝2年3月
558年同州明帝が同州の旧宅を通りかかり、詩を詠む周書 卷4 明帝2年9月
559年洮陽賀蘭祥が吐谷渾を攻め、洮陽・洪和の二城を陥落させ、吐谷渾は逃げ去る周書 卷4 武成1年5月
559年長安天王の称号を皇帝に改め、文王を文帝と追尊する周書 卷4 武成1年8月
559年成都安城公の宇文憲を益州総管に任じ、蜀を治めさせる周書 卷4 武成1年8月
560年長安明帝は食べ物に毒を盛られて重体となり、魯国公の宇文邕に位を譲って、延寿殿で二十七歳で死去する周書 卷4 武成2年4月
560年長安宇文邕が即位する(武帝)周書 卷5 武成2年4月
561年長安宇文護を都督中外諸軍事とし、太祖が定めた六官を太廟で公布する周書 卷5 保定1年1月
562年蒲州蒲州で河渠を開き、同州に龍首渠を開いて灌漑を広げる周書 卷5 保定2年1月
563年原州武帝は原州に行幸し、九月に隴山に登って同州へ戻る周書 卷5 保定3年7月
563年平陽突厥と共に斉を討つため、楊忠が騎兵一万を先導し、達奚武が騎兵三万で平陽へ出て呼応する周書 卷5 保定3年12月
564年晉陽楊忠は斉の長城を破って晋陽まで至り、そこから引き返す周書 卷5 保定4年1月
564年潼關武帝は太廟で宇文護に斧鉞を授け斉を征伐させる。宇文護は潼関へ、権景宣は豫州へ、楊𢷋は軹関へ出兵する周書 卷5 保定4年10月
564年洛陽尉遲迥が洛陽を包囲し、宇文憲は邙山に陣を張り、宇文護は陝州に駐屯する周書 卷5 保定4年11月
564年洛陽斉軍が黄河を渡って洛陽に至ると、周軍は驚いて散り、王雄が戦死、楊𢷋も軹関で死んで撤兵する(第一次征伐は失敗)周書 卷5 保定4年12月
567年沌口華皎を救援するため南征した宇文直は、沌口で陳の淳于量・呉明徹に敗れ、元定は江南で捕らえられる周書 卷5 天和2年9月
568年長安突厥の阿史那氏が皇后として長安に到着し、大赦が行われる周書 卷5 天和3年3月
569年宜陽宇文憲が宜陽に崇徳などの城を築く周書 卷5 天和4年9月
570年龍門斉の斛律明月が国境を侵し、汾水の北の華谷から竜門まで城を築く周書 卷5 天和5年12月
571年龍門宇文憲が竜門から黄河を渡ると、斛律明月は華谷へ退き、新たに築かれた五城が陥落する周書 卷5 天和6年3月
571年宜陽宇文純・田弘が斉の宜陽など九城を奪う周書 卷5 天和6年4月
572年長安武帝は大冢宰の宇文護とその子らを殺し、親政を始める。年号を建徳と改める周書 卷5 建德1年3月
573年長安武帝は群臣・僧侶・道士を集め、儒・道・仏の先後を論じ、儒を第一と定める周書 卷5 建德2年12月
574年長安仏教・道教をともに禁じ、経像を毀損し、僧侶・道士を還俗させる周書 卷5 建德3年5月
574年長安衛王の宇文直が長安で挙兵し、粛章門に突入しようとして失敗し、逃げる周書 卷5 建德3年7月
574年荊州宇文直は荊州で捕らえられ、庶人に降格される周書 卷5 建德3年8月
575年武帝は大将軍以上を集めて斉への東征計画を明かし、群臣が賛同する周書 卷6 建德4年7月
575年河陰武帝は六万で河陰の大城を陥落させたが、子城は抜けず、病を得て九月の夜に軍を引く。宇文憲らは三十余城を得たが捨てて帰還する(第二次征伐)周書 卷6 建德4年8月
576年伏俟城皇太子の宇文贇が吐谷渾を攻め、伏俟城まで進んで帰還する周書 卷6 建德5年8月
576年武帝は晋州を先に攻める方略を示し、諸将の反対を軍法で抑えて東征に出発する周書 卷6 建德5年10月
576年晉州武帝は晋州に至り、諸道を守らせて城を攻める。王軌らの呼応で城は陥落し、尉相貴を捕らえ、梁士彦を刺史として残す周書 卷6 建德5年10月
576年晉州晋州の前の大陣で周軍八万が斉軍を大いに破り、高緯は数十騎で并州へ逃げる周書 卷6 建德5年12月
576年介休武帝は斉主を追撃し、高壁では高阿那肱の軍が散り、介休では韓建業が城を挙げて降伏する周書 卷6 建德5年12月
576年晉陽并州では高延宗が四万で迎え撃つ。初戦で周軍は大敗し、武帝は辛うじて脱出するが、翌日再び戦って高延宗を捕らえ、并州を平定する周書 卷6 建德5年12月
577年鄴武帝は鄴を包囲して平定する。斉主は青州へ逃げる周書 卷6 建德6年1月
577年青州尉遲勤が青州で斉主の高緯と太子の高恒を捕らえる周書 卷6 建德6年1月
577年冀州冀州で持ちこたえた高湝を宇文憲・楊堅が討ち、斉の全州鎮が降伏して関東を平定する(五十五州・郡百六十二・県三百八十五・戸三百三十万)周書 卷6 建德6年2月
577年長安武帝は長安に戻り、斉主以下の捕虜を太廟に献じる。高緯を温国公に封じる周書 卷6 建德6年4月
577年徐州(呂梁)陳の呉明徹が呂梁を攻め、梁士彦が迎え撃つが不利となって徐州へ退く。王軌が討伐に出る周書 卷6 建德6年11月
577年晉陽東寿陽の土民五千が并州城を襲うが、宇文神挙が撃破する周書 卷6 建德6年12月
578年洛陽武帝は鄴・懐州・洛州を巡幸し、懐州に宮を置かせる周書 卷6 宣政1年1月
578年徐州(呂梁)王軌が呂梁で陳軍を破り、呉明徹らを捕らえ、三万余を殺すか捕虜とする周書 卷6 宣政1年3月
578年幽州突厥が幽州に侵入し、官吏・民を殺し略奪する周書 卷6 宣政1年4月
578年雲陽宮武帝は突厥北伐のため五道から出兵させたが、病を得て雲陽宮に留まり、軍を止める周書 卷6 宣政1年5月
578年武帝は都へ戻る途中の輿の中で夜に死去する(三十六歳)周書 卷6 宣政1年6月
578年長安宇文贇が即位(宣帝)し、そのあと上柱国・斉王の宇文憲を殺す周書 卷7 宣政1年6月
578年范陽幽州の盧昌期が范陽に拠って反乱し、宇文神挙が討伐する周書 卷7 宣政1年6月
579年洛陽河洛の旧都を復興しようと山東の兵を発して洛陽宮を造り、一度に四万を使役する周書 卷7 大象1年2月
579年鄴宣帝は鄴で太子の宇文衍に帝位を譲り、自ら天元皇帝と称する周書 卷7 大象1年2月
579年壽陽陳を攻める軍が寿陽(韋孝寛)・黄城(宇文亮)・広陵(梁士彦)を陥落させ、江北がすべて平定される周書 卷7 大象1年11月
579年廣陵梁士彦が広陵を陥落させる。周書 卷7 大象1年11月
579年宣帝は駅馬に乗り、一日に三百里を駆けて洛陽に行幸する周書 卷7 大象1年12月
580年豫州宇文亮が挙兵して豫州で韋孝寛を襲うが敗れて死ぬ周書 卷7 大象2年3月
580年長安宣帝が二十二歳で死去すると、劉昉・鄭譯が詔を偽り、楊堅が遺詔により補佐することになる周書 卷7 大象2年5月
580年長安静帝が天台に入り、楊堅は仮黄鉞・左大丞相となり、百官が彼のもとに集まる周書 卷8 大象2年5月
580年相州相州総管の尉遲迥は交代を拒んで挙兵し、韋孝寛を行軍元帥として派遣して討伐させる周書 卷8 大象2年6月
580年長安趙王の宇文招・越王の宇文盛が執政を図ったとされ誅殺される周書 卷8 大象2年7月
580年滎州滎州刺史の宇文冑が挙兵するが、楊素が討伐し、八月に石済で斬る周書 卷8 大象2年7月
580年青州青州総管の尉遲勤が挙兵する周書 卷8 大象2年7月
580年魯山·甑山䢵州総管の司馬消難が挙兵し、八月に魯山・甑山の二つの鎮を率いて陳へ逃げる周書 卷8 大象2年7月
580年益州益州総管の王謙は交代を拒んで挙兵し、梁睿を行軍元帥に派遣して討伐させる周書 卷8 大象2年8月
580年鄴韋孝寛が鄴城で尉遲迥を破り、迥は自殺。相州は平定される。鄴城は破壊され、相州は安陽へ移される周書 卷8 大象2年8月
580年益州梁睿が剣南で王謙を破り、追撃して斬る。益州は平定される周書 卷8 大象2年10月
580年長安太祖が下賜した姓を元に戻すよう詔が下り、楊堅が隋王に進められる周書 卷8 大象2年12月
581年長安隋王の楊堅が尊号を称し(隋)、静帝は別宮に退いて北周は滅亡する(三十三歳)。隋は静帝を介国公に封じる周書 卷8 大定1年2月

原文のライセンスと出典

周書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

원저작 PD · 위키문고(zh.wikisource.org) 본문 CC BY-SA 4.0

https://zh.wikisource.org/wiki/周書

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