『ローマ皇帝群像(ヒストリア・アウグスタ)』

『ローマ皇帝群像(ヒストリア・アウグスタ)』(記録 の史料)。扱う年は76年 〜 285年、出来事248件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分記録
視点内側の視点
扱う年76年 〜 285年
出来事の数出来事248件・地図に置いた158件
著者Scriptores Historiae Augustae (전통적으로 6인; Magie 영역)
原題Historia Augusta

地域の内訳: 南ヨーロッパ 127 · 西アジア 30 · エジプト・北アフリカ 12 · 西ヨーロッパ 7

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
76年Romeハドリアヌスがローマで生まれる(ウェスパシアヌス7度目・ティトゥス5度目の執政官の年) 判定保留Hadr. 1.3
86年Lanuviumアントニヌスはラヌウィウムの所領で生まれ、アウレリア街道沿いのロリウムで育つ 判定保留Ant. P. 1.8
96年ドミティアヌス帝の治世末、ハドリアヌスが下モエシア属州へ転任する 判定保留Hadr. 2.3
97年トラヤヌスがネルウァの養子になると、ハドリアヌスは軍の祝意を伝えに赴き、上ゲルマニアへ転任する 判定保留Hadr. 2.5
105年 〜 106年第二次ダキア戦争で、トラヤヌスはハドリアヌスを連れて行き、第1ミネルウィア軍団を任せる 判定保留Hadr. 3.6
107年法務官級の使節として下パンノニアに派遣され、サルマタイ人を防ぎ軍紀を正す 判定保留Hadr. 3.9
117年Antiochシリア総督であったハドリアヌスが、トラヤヌスによる養子縁組の知らせを聞くHadr. 4.6
117年トラヤヌスが征服した諸民族が離反し、マウリ・サルマタイ・ブリタンニア・エジプト・リビア・パレスチナで騒乱が起こるHadr. 5.2
117年 〜 118年ルシウス・クイエトゥスの指揮権を奪って解任し、マルキウス・トゥルボをマウレタニアの反乱鎮圧に任命するHadr. 5.8
117年Antiochアンティオキアを発ってトラヤヌスの遺骸を迎え、船でローマへ送り、アンティオキアに戻ってカティリウス・セウェルスをシリア総督に任命し、イリュリクムを経てローマへ向かうHadr. 5.9, 5.10
118年サルマタイ人とロクソラニ人の侵入の報を受け、軍を先に送ってモエシアへ出発する 判定保留Hadr. 6.6
118年Tarracina陰謀に連座したパルマがタラキナで処刑される(元老院の決議による。ハドリアヌスの意向に反して)Hadr. 7.2
118年Baiae陰謀に連座したケルススがバイアエで処刑されるHadr. 7.2
118年Faventia陰謀に連座したニグリヌスがファウェンティアで処刑されるHadr. 7.2
118年Romeダキアの指揮をトゥルボに任せ、世論を鎮めるため急いでローマへ向かうHadr. 7.3
118年Rome私的債務と滞納税を免除し、借用証書をトラヤヌス広場で焼き捨てるHadr. 7.6
118年トラヤヌスが獲得した属州をいくつも放棄し、反対を押し切ってトラヤヌスが建てた劇場を取り壊すHadr. 9.1
118年 〜 138年Romeローマでパンテオン・バシリカ・アウグストゥス広場などを修復し、ハドリアヌス橋と霊廟を建て、建築家デクリアヌスと象24頭で巨像を移すHadr. 19.10, 19.11, 19.12
121年ガリア諸属州を巡行し、多くの共同体に恩恵を施す 判定保留Hadr. 10.1
121年ガリアからゲルマニアへ渡って軍事訓練を行い、兵士と同じ野営の食事で過ごす 判定保留Hadr. 10.2
121年Romeマルクスがローマのカエリウス丘の邸宅で生まれる 判定保留Marc. 1.5
122年Hadrian's Wallブリタンニアへ渡って弊害を正し、蛮族とローマ人を隔てる80マイルの城壁を初めて築くHadr. 11.2
122年Alexandriaブリタンニアを整えてガリアへ渡る。アレクサンドリアでアピス神をめぐって騒乱が起きたとの報に接する 判定保留Hadr. 12.1
122年 〜 123年Tarracoヒスパニアへ行き、タラコで冬を越し、私費でアウグストゥス神殿を修復する 判定保留Hadr. 12.3
123年パルティアとの戦争が準備段階にあったとき、ハドリアヌスは自ら会談してこれを防ぐ 判定保留Hadr. 12.8
124年Eleusisアジアと島々を経てギリシアへ行き、エレウシスの密儀に入信し、アテナイ人に恩恵を与えて競技会の主宰を務めるHadr. 13.1
128年ローマに戻った後アフリカへ渡り、属州に恩恵を施すHadr. 13.4
128年Athensアフリカから戻るとすぐ東方へ出発し、アテナイを経てオリュンピエイオン(オリンポスのゼウス神殿)と自身の祭壇を奉献し、アジアでは自分の名を冠した神殿を奉献するHadr. 13.6
129年小君主や王たちに友好を申し出、パルティア王オスロエスに娘の返還と王位の回復を約束する 判定保留Hadr. 13.8
129年Antioch巡行中、アンティオキア人を嫌ってフェニキアをシリアから分離しようとする 判定保留Hadr. 14.1
130年Pelusiumアラビアを経てペルシウムに至り、ポンペイウスの墓をいっそう壮麗に再建する 判定保留Hadr. 14.4
130年Romeルキウス・ウェルスが、父の法務官在任中にローマで生まれる 判定保留Ver. 1.8
132年割礼の禁止をめぐってユダヤ人が戦争を起こすHadr. 14.2
136年Rome反対があったにもかかわらずカエイオニウス・コンモドゥス(アエリウス・ウェルス)を養子とし、競技会と下賜金を施すHadr. 23.11, 23.12
136年 〜 138年死の直前、90歳のセルウィアヌスに自殺を強要し、些細な過ちの多くの者に死刑を命じたが、アントニヌスが救ったHadr. 25.8
138年Romeアエリウス・ウェルスの死後、重病のハドリアヌスはアントニヌス(後のピウス)を養子とし、アンニウス・ウェルスとマルクス・アントニヌスを養子にすることを条件とするHadr. 24.1
138年Baiaeハドリアヌスはアントニヌスに国政を任せ、バイアエへ去るHadr. 25.5
138年Rome1月1日、感謝の演説を終えたアエリウス・ウェルスが薬を飲み、その日に死ぬAel. 4.7
138年 〜 161年副官たちを通じてマウリ人に和を請わせ、ゲルマニア・ダキア・ユダヤ人を制圧し、アカイア・エジプトの反乱も鎮め、アラニ人の略奪を防ぐAnt. P. 5.4, 5.5
138年 〜 161年Antioch治世中、ロドスとアジアの都市を倒壊させた地震、ローマの大火があり、ナルボ・アンティオキア・カルタゴの広場も焼けた(皇帝がすべて復旧) 判定保留Ant. P. 9.1, 9.2
138年 〜 161年Carthageカルタゴの広場が火災で焼ける 判定保留Ant. P. 9.2
139年Puteoliアントニヌスはプテオリに墓の代わりとしてハドリアヌスの神殿を建て、5年ごとの競技会を制定する 判定保留Hadr. 27.3
141年Rome妃ファウスティナが死ぬと(治世3年)、元老院は彼女を神格化し、競技会・神殿・神官を議決するAnt. P. 6.7
142年Antonine Wall副官ロッリウス・ウルビクスがブリタンニア人を抑えて蛮族を追い払い、第二の城壁(土塁)を築くAnt. P. 5.4
161年Loriumアントニヌスが70歳で死ぬ。アルプスのチーズを食べ、夜に吐き、翌日熱病にかかったというAnt. P. 12.4
161年Rome元老院に迫られて統治を引き受けたマルクスは、弟ルキウス・ウェルスをカエサル・アウグストゥスとし共同皇帝とするMarc. 7.5
161年 〜 162年アッティディウス・コルネリアヌスの敗北後、ウォロガセスがパルティア戦争を宣言し、ブリタンニア・ゲルマニア・ラエティアにも戦争の脅威が起こるMarc. 8.6, 8.7
161年Lanuviumコンモドゥスが双子のアントニヌスとともにラヌウィウムで生まれる 判定保留Comm. 1.2
162年Canusiumルキウスをパルティア戦争に送り出し、病に倒れたルキウスを見舞うためカヌシウムへ急ぐ 判定保留Marc. 8.9, 8.11
162年 〜 165年Antiochシリアに到着したウェルスはアンティオキアとダプネでの享楽・剣闘・狩猟に溺れたが、部下を通じて戦争を遂行し、インペラトルとして歓呼された 判定保留Marc. 8.12
162年Capuaウェルスがパルティア戦争へ出発するとき、マルクスはカプアまで見送る 判定保留Ver. 6.7
162年Canusiumカプアから道中の別荘で暴食したウェルスが、カヌシウムで重病にかかる 判定保留Ver. 6.7
162年 〜 163年Athens軍団が虐殺されシリアが動揺する間、ウェルスはアプリアで狩りをし、楽団を従えてアテナイ・コリントスを巡り、アジアの沿岸都市で足を留める 判定保留Ver. 6.9
163年Artaxataスタティウス・プリスクスの下でのアルメニア遠征が成功し、アルタクサタが占領され、両皇帝にアルメニアクスの称号が付くMarc. 9.1
163年Rome18歳で演説したセウェルスが学業のためローマに来て、マルクスから幅広の紫縁(ラトゥス・クラウス)を得る 判定保留Sev. 1.5
164年Ephesus妻ルキッラを迎えにエフェソスへ戻る(マルクス自身がシリアに来ないようにする意図) 判定保留Ver. 7.7
165年 〜 166年疫病はバビロニアのアポロン神殿の黄金の箱から広がり、パルティアと全世界に及んだと伝える 伝承Ver. 8.2
165年Seleucia on the Tigrisセレウキア人が先に休戦を破ったと非難する歴史家クアドラトゥスの解釈が引用される(セレウキア事件)Ver. 8.4
166年Romeルキウスがマルクスも共に凱旋式を行うよう求め、両皇帝が凱旋式を挙行する(マルクスはルキウスの死後ゲルマニクスのみ称した)Marc. 12.8, 12.9
166年 〜 167年パルティア戦争が終わる前に、長く先延ばしにされていたマルコマンニ戦争が勃発するMarc. 12.13
166年Romeシリアを去りたがらなかったが、ローマに戻って兄と凱旋式を共にするVer. 7.9
168年Aquileia軍装の両皇帝が出発してアクイレイアまで進軍すると多くの王が退き、アルプスを越えてイタリアとイリュリクムの防備を仕上げるMarc. 14.1, 14.2, 14.6
168年 〜 176年疫病が広がる中、マルコマンニ・サルマタイ・ヴァンダル・クアディを抑えてパンノニアを解放し、コンモドゥスとともにローマで凱旋するMarc. 17.2, 17.3
168年Aquileiaゲルマニア戦争が起こると、両皇帝は共に戦線へ赴いてアクイレイアに至り、アルプスを越える。ルキウスはアクイレイアで狩りと宴会ばかりしていたVer. 9.7, 9.8
169年帰路、ルキウスが兄と同じ馬車に乗っているときに脳卒中で死ぬMarc. 14.8
169年Rome弟の遺体をローマへ運び、先祖の墓に安置する 判定保留Marc. 20.1
169年Aquileiaパンノニア戦争が片付くと、ルキウスに急かされてアクイレイアへ戻り、急いで都へ向かう 判定保留Ver. 9.10
170年 〜 173年ドナウ川を渡るマルコマンニを破って略奪品を取り戻す。イリュリクムからガリアまで諸民族が結集したが、マルコマンニの降伏を受け入れ、多くをイタリアへ連れて行くMarc. 21.10, 22.1, 22.2
172年エジプトで騒乱を起こしたブコリ(牧人)の戦士たちを、アウィディウス・カッシウスが阻止するMarc. 21.2
172年ベルギカを治めていたとき、国境突破を図るエルベ川沿岸のカウキ族を急造の補助軍で食い止める 判定保留Did. 1.7
175年マルクスがマルコマンニアとサルマティアを属州にしようとしていたとき、東方でアウィディウス・カッシウスが皇帝を称する(ファウスティナの意向とも、マルクス死亡の噂を広めたともいう)Marc. 24.6, 24.7
175年マルクスは戦争を切り上げてカッシウス討伐に出発する。ローマは恐怖に陥ったが、カッシウスはまもなく殺されその首が送られるMarc. 25.1, 25.2
175年Alexandriaカッシウスに与しアレクサンドリアを任されていたマエキアヌスが、軍に殺される 判定保留Marc. 25.4
175年 〜 176年Antiochカッシウスに味方したアンティオキア市民を赦す。シリアへ向かう際はアンティオキアとキュッルスの訪問を拒んだが、後にアンティオキアを訪れるMarc. 25.8, 25.11, 25.12
175年東方でカッシウスが自ら皇帝を称する(マルクスの病状に絶望したファウスティナの意向とも)Avid. 7.1
175年アンティオキア市民を除く全員の同意でカッシウスが殺されるAvid. 7.8
176年Alexandriaエジプトでは一私人・哲学者のように振る舞い、カッシウスを支持したアレクサンドリア市民を赦し、娘をそこに残すMarc. 26.3
176年Athens東方を整えた後アテナイに来て、エレウシスの密儀に入信するMarc. 27.1
176年Romeローマに至って凱旋し、急いでラウィニウムへ行くMarc. 27.4
176年 〜 178年父とともにシリアとエジプトへ行ってローマに戻り、続いて父とゲルマニア戦争に出発するComm. 2.3, 2.5
176年Rome父とともにインペラトルとして歓呼され、凱旋式を行うComm. 2.4
178年 〜 180年その後3年間、マルコマンニ・ヘルムンドゥリ・サルマタイ・クアディと戦い、あと1年生きていれば属州にしていただろうというMarc. 27.10
180年病に倒れたマルクスは息子を呼び、残る戦争を軽く見ないよう言い含めて息を引き取るMarc. 28.1
180年Rome父がほぼ終えていた戦争を敵の条件で打ち切ってローマに戻り、サオテルスとともに凱旋行列を行うComm. 3.5, 3.6
180年 〜 185年Tarracoヒスパニアで、崩れかけていたタラコのアウグストゥス神殿を修復せよという夢と、高い山の上からローマと世界を見渡す夢を見る 虚構Sev. 3.4, 3.5
185年ブリタンニア戦争で元老院議員を解任し騎士を軍の指揮に据えたとして、軍の報告によりペレンニスが国家の敵と宣告され、兵士に引き渡されて死ぬComm. 6.2
185年 〜 187年ブリタンニアで反乱を鎮めたが、軍団の反乱で危うく死にかける(死体の中に放置された) 判定保留Pert. 3.8
186年 〜 192年Carthageアフリカ艦隊を編成し、カルタゴを戯れに「アレクサンドリア・コンモディアナ・トガタ」と改名するComm. 17.8
188年 〜 189年Carthageアフリカ総督のとき、カエレスティス神殿の予言詩に力を得て多くの反乱を鎮め、その後都市長官となる 判定保留Pert. 4.2
190年Rome怒った市民に耐えられず、コンモドゥスはクレアンデルを群衆に引き渡して処罰させるComm. 7.1
193年Rome民衆と元老院はコンモドゥスの遺体を鉤で引きずってティベリス川に投げ込むよう求めたが、ペルティナクスの命でハドリアヌス廟に安置されるComm. 17.4
193年Rome夜中に元老院へ行ってコンコルディア神殿に座り、ポンペイアヌスが帝位を勧めたが辞退する。朝、議員たちが押し寄せて皇帝として歓呼するPert. 4.9, 4.10, 4.11
193年Romeペルティナクスが3月28日(原文:4月朔日の5日前)に殺される。享年60Pert. 15.6
193年Romeペルティナクスの死後、ユリアヌスは元老院が閉ざされているのを見て、2人の大隊長に連れられて近衛隊の兵営に至り、スルピキアヌスと帝位を争うDid. 2.4, 2.5, 2.6
193年Rome兵士の集会の後、夕方に元老院へ行き無条件で身を委ねると、元老院の決議で皇帝として歓呼され、護民官権限とプロコンスル権限を与えられるDid. 3.3
193年シリアのニゲルとイリュリクムのセウェルスがそれぞれ軍とともにユリアヌスに反旗を翻す。ユリアヌスはニゲル暗殺のため百人隊長を送るDid. 5.1, 5.2
193年Ravennaユリアヌスの絶頂期に、セウェルスがラウェンナの艦隊を掌握すると、元老院の使節がセウェルス側に寝返る 判定保留Did. 6.3
193年Rome元老院使節団の働きで、ユリアヌスが宮廷で一兵士に殺されるDid. 8.8
193年セウェルスは後方の属州に守備隊を置いてローマへ進軍する。イリュリクムとガリアの軍団はすでに彼の味方となっていたSev. 5.3
193年Rome武装したままローマに入ってカピトリウムと宮廷に上り、翌日、武装した兵士と友人たちとともに元老院へ出て、帝権を握った理由を説明するSev. 7.1, 7.4
193年Romeニゲルがリビアとエジプトからの穀物供給を断つことを恐れてアフリカへ軍を送り、ローマに来て30日以内に再び出発する 判定保留Sev. 8.7, 8.8
193年Byzantiumセウェルスがギリシアとトラキアを占領するために送った軍団に対し、すでにビュザンティオンを押さえたニゲルがペリントスを狙って攻め、多数を殺すSev. 8.12, 8.13
193年Cyzicusアエミリアヌスがヘレスポントスでセウェルスの将軍たちに敗れ、キュジコスへ、さらに別の都市へ逃れて死ぬ 判定保留Sev. 8.16
193年Antiochシリアで軍がペスケンニウス・ニゲルをインペラトルとして歓呼する(ユリアヌスへの反感のためともいう)Pesc. 2.1
193年 〜 211年Romeセウェルスはローマにセプティゾディウムとセウェルス浴場などを建てる(セプティミウス浴場は水道が崩れて使い物にならなかった)Sev. 19.5
194年Cyzicusニゲルはアエミリアヌスの指揮下で一度敗れ、二度目も迎え撃って敗れ、キュジコス湖の近くで負傷してセウェルスの前に引き出され、まもなく死ぬPesc. 5.7, 5.8
195年アラビア方面で作戦を行い、ニゲルに味方したパルティアとアディアベネを再び服属させるSev. 9.9
195年 〜 197年ニゲルの件から戻る途上、セウェルスはガリアでクロディウス・アルビヌスが反乱したとの報に接する。アルビヌス側の者が多数、投降または逮捕されるSev. 10.1, 10.8
196年 〜 197年陰謀が露見すると、アルビヌスは大軍を集めて進軍し、最初の接戦ではセウェルスの将軍たちに勝つが、後にセウェルスが自らガリアに来て激戦となるClod. 8.4
197年Tinurtium (Tournus)ガリアでしばらく一進一退の後、セウェルスがティヌルティウムでアルビヌスに対して初の勝利を収めるSev. 10.8, 11.5
197年Rome剣闘競技会と下賜金を施した後、パルティア戦争に出発するSev. 14.11
197年Brundisiumセウェルスはブルンディシウムで軍を船に乗せ、休みなくシリアに至ってパルティアを退却させる 判定保留Sev. 15.2
198年Ctesiphon夏の終わりにパルティアへ侵攻して王を破り、クテシフォンに至って初冬に都市を陥落させるSev. 16.1
198年パルティア戦争の後、セウェルスがバッシアヌスを共同統治者とした栄光の時に、ゲタにカエサルの称号を与えるGeta 5.3
199年Alexandriaアレクサンドリア人に自治の元老院を認めるSev. 17.2
200年Memphisエジプト巡行でセラピス祭儀に参加し、メンフィス・メムノン像・ピラミッド・迷宮を見て回るSev. 17.4
208年 〜 211年海から海までブリタンニアを横断する城壁を築いて属州を安全にし、「ブリタンニクス」の称号を受けるSev. 18.2
208年Arca (Caesarea Libani)アレクサンデルがアルカのアレクサンドロス大王神殿の祭りの日に神殿で生まれ、その名を得る 伝承Alex. Sev. 5.1
209年 〜 211年Carlisleルグウァリウムの城壁を視察して戻る途中、ユーモラスなエチオピア人道化師が糸杉の花冠を持って出迎える 判定保留Sev. 22.4
211年York治世18年、老いて重病にかかったセウェルスがブリタンニアのエボラクムで死ぬSev. 19.1
211年Rome父の死後、カラカラは近衛兵営で弟が陰謀を企てていると訴えた後、宮廷で弟を殺し、遺体をすぐに焼かせるCarac. 2.4
212年Romeパトルイヌスがピウス神殿の前で殺され、パピニアヌスとその息子(財務官)も殺されて遺体が街路を引きずられるCarac. 4.2
212年 〜 216年Romeローマにカラカラ浴場を建てる。建築家たちは円形の部屋(cella soliaris)は再現できないと言ったCarac. 9.4
213年ローマを発ってガリアへ行き、到着するなりナルボネンシス総督を殺す 判定保留Carac. 5.1
213年東方遠征の準備をしながら中断してダキアに留まり、ラエティアで原住民を多数殺して兵士に下賜金を与えるCarac. 5.4
213年ゲルマニア人を破った後、「ゲルマニクス」を称するCarac. 5.6
214年トラキアを経てアジアへ渡る途中、船の帆柱が折れ、小舟に乗り換えて救助される 判定保留Carac. 5.8
215年Alexandria兵士たちに宿主を殺すよう命じ、アレクサンドリアで大虐殺が起こるCarac. 6.3
216年カドゥシイ人とバビロニアの地を通り、パルティアの太守たちとゲリラ戦を行い、野獣を敵に放つCarac. 6.4
216年 〜 217年Edessaエデッサで冬を越し、パルティアとの戦争再開を図るCarac. 6.6
217年Carrhaeカッラエへ向かう途中、馬から降りて小用を足していたところ、近衛長官マクリヌスの陰謀で護衛兵に暗殺される(日付はCarac. 6.6:4月イドゥスの8日前)Carac. 7.1
217年カラカラ殺害の後、近衛長官オペッリウス・マクリヌスが帝権を握り、「セウェルス」または「アントニヌス」を称するMacr. 2.1
217年 〜 218年大軍を率いてパルティアと戦ったが敗れ、アルタバヌスが報復すると和を請い、まもなく受け入れられるMacr. 8.1, 8.3
217年 〜 218年Emesaマクリヌスの陰謀で父が死ぬと、エラガバル神の神殿に保護を求める 伝承Heliog. 2.3
218年Antiochアンティオキアへ行って享楽に溺れ、軍に自分を殺す口実を与えるMacr. 8.4
218年Emesaアンティオキア近くに野営していたマクリヌスは女たちの大胆さを侮り、近衛長官ユリアヌスに軍団を与えて包囲させるMacr. 10.1
218年エラガバルスを支持する軍に戦闘で敗れたマクリヌスは息子と逃げたが、ビテュニアのある村で殺されるMacr. 10.3
218年 〜 219年Nicomediaニコメディアで冬を越す間に、兵士たちは後悔し、従弟アレクサンデルのほうへ傾き始めるHeliog. 5.1
219年Romeローマに入ると属州の仕事を放り出し、エラガバル神をパラティヌス丘に安置して神殿を建てるHeliog. 3.4
221年Rome養子にしたアレクサンデルを後悔して退け、元老院にカエサルの称号を剥奪するよう命じたが、返ってきたのは沈黙だけだったHeliog. 13.1, 13.2
222年Romeエラガバルスの遺体が下水道に入らなかったため、重りをつけてアエミリウス橋からティベリス川に投げ込むHeliog. 17.2
222年Rome3月ノナエの前日、コンコルディア神殿での元老院会議でアレクサンデルがアウグストゥスの称号を受けるAlex. Sev. 6.2
231年Antiochダプネで遊び興じた軍団を解散したが、30日後にペルシア遠征出発前に復職させ、護民官たちを処刑する 判定保留Alex. Sev. 54.7
232年大軍でペルシアに出征し、自ら翼を指揮してアルタクセルクセス王を破る(HAの記述。象700頭・鎌付き戦車1800両) 伝承Alex. Sev. 55.1, 55.2
232年Antioch戦闘直後にアンティオキアへ戻り、戦利品を兵士に分け与える 判定保留Alex. Sev. 55.2
232年 〜 233年マウレタニア・ティンギタナ、イリュリクム、アルメニア、イサウリアからも勝利の知らせがローマに届く 判定保留Alex. Sev. 58.1
233年Romeローマに戻って盛大な凱旋式を行い、元老院に「ペルシアに勝った」と報告する(9月25日の記録)Alex. Sev. 56.1, 56.2
234年Romeゲルマニア戦争に出発する際、市民と元老院議員が100〜150マイルにわたって見送るAlex. Sev. 59.1
235年ブリタンニア(あるいはガリア)のシキリアという村で少数の兵とともに宿営中、兵士に殺されるAlex. Sev. 59.6
235年アレクサンデルの死後、マクシミヌスが元老院の議決なしに軍によってアウグストゥスとして歓呼され、息子が共同統治者となるMax. duo 8.1
235年 〜 236年全軍を率いてラインを渡り、ゲルマニアの30〜40マイル奥の村々を焼き、沼地で一種の海戦を行うMax. duo 11.7, 12.1, 12.4
236年Sirmiumゲルマニアが平定されると、サルマタイ戦争のためシルミウムへ行くMax. duo 13.3
238年Thysdrusゴルディアヌスは初め渋ったがやがて帝位を受け入れ、ティスドルスで息子とともにアフリカ人によってアウグストゥスと宣言されるMax. duo 14.3
238年Carthageティスドルスからただちにカルタゴへ行き、元老院に書簡を送るMax. duo 14.4
238年Romeローマで密告者・告発者とマクシミヌスの友人たちが処刑され、都市長官サビヌスが群衆に殴り殺される 判定保留Max. duo 15.1
238年Rome6月26日(朔日の6日前)、カストルとポルクスの神殿で元老院が開かれ、アフリカのゴルディアヌスの書簡が読み上げられるMax. duo 16.1
238年Carthageカペリアヌスがマウリ人の兵を集めてカルタゴに来て戦い、訓練不足の若いゴルディアヌスが敗れて同じ戦役で死ぬGord. 15.1, 15.3
238年Romeマクシムスとバルビヌスが民衆にアウグストゥスとして歓呼され、ゴルディアヌスの孫がカエサルとなる。マクシムス出陣後、近衛兵と市民が衝突して都市の大半が焼ける 伝承Max. duo 20.2, 20.6
238年Rome祭祀と競技会を終えたマクシムスが、カピトリウムで誓願を立て、大軍を率いてマクシミヌス討伐に出発する 伝承Max. Balb. 8.4
238年Emonaイタリアへ進軍したマクシミヌスは、マクシムスが派遣されたと聞いて怒り、エモナで戦列を整える 判定保留Max. duo 21.1
238年Aquileiaマクシミヌスがアクイレイアに来ると城門が閉ざされ、執政官経験者メノピルスとクリスピヌスが防衛する。彼はぶどう酒樽の橋で川を渡って包囲する 伝承Max. duo 21.6, 22.4, 22.6
238年Aquileia隣接する都市でマクシミヌスの肖像が投げ捨てられ、近衛長官が殺され、マクシミヌスの首がイタリアを経てローマへ運ばれるMax. duo 23.7, 24.4
238年Ravennaラウェンナでゲルマニア補助軍を集めて準備していたマクシムスは、軍が自分の側に寝返ったと聞いて補助軍を解散し、月桂冠の書簡をローマに送る 伝承Max. duo 24.5
238年Romeマクシムスはパルティア、バルビヌスはゲルマニア遠征と決まったが、兵士たちが幼いゴルディアヌスをアウグストゥスとして歓呼し、兵営へ行くMax. Balb. 13.5, 14.7
238年Histriaこの頃、カルピ族がモエシア人と戦争を起こし、スキタイ戦争が始まり、ヒストリア市が破壊される 伝承Max. Balb. 16.3
238年Romeマクシムスとバルビヌスが兵士の暴動で殺され、ゴルディアヌス3世がアウグストゥスとなる(HAは2年間統治したと記す)Gord. 22.5
240年Carthageサビニアヌスがアフリカでゴルディアヌス3世に反乱したが、マウレタニア総督が鎮圧し、反徒はカルタゴに来て降伏する 判定保留Gord. 23.4
242年Romeヤヌス神殿の門を開き、ペルシア遠征に出発してモエシアへ行軍し、トラキアの敵を追い払うGord. 26.3, 26.4
243年Antiochトラキアからシリアを経て、ペルシアが占領していたアンティオキアで連戦連勝し、シャープールを追い払う 判定保留Gord. 26.5
243年Nisibisアルタクサタ、アンティオキア、カッラエ、ニシビスなど、ペルシアの支配下にあった地を取り戻す 判定保留Gord. 26.6
244年Circesiumペルシア領内のキルケシウム近くの陣営の傍らに、兵士たちがゴルディアヌスの墓を築き、5言語の碑文を刻む 伝承Gord. 34.2
254年 〜 260年Mainz第6ガッリカ軍団の護民官アウレリアヌスが、マインツでガリアを荒らすフランク族を破り、700人を殺して300人を奴隷に売る 伝承Aurel. 7.1
255年 〜 258年Byzantiumウァレリアヌスはビュザンティオンの公衆浴場で席に着き、ウルピウス・クリニトゥスがアウレリアヌスを副官として与えたことに感謝し、軍の前でゴート族から国を救った功を称える 判定保留Aurel. 10.3, 13.1
258年Nicomediaスキタイ人がビテュニアに侵入し、アスタクス(後のニコメディア)を焼き払って略奪する 判定保留Gall. 4.7, 4.8
260年ウァレリアヌスがシャープールに捕らえられる。カドゥシイ人の王ウェレヌスが書簡でこれに触れるValer. 2.1
260年ウァレリアヌスが捕らえられると、オダエナトゥスが東方を掌握し、軍や将軍たちがあちこちでざわめくGall. 1.1
260年Antiochシャープールと結んだキリアデスがペルシア軍をローマ領に引き入れ、アンティオキアとカイサレアを占領するTyr. trig. 2.2
260年 〜 269年ポストゥムスは軍とガリア人全体に歓迎され、7年間ガリア諸属州を回復させるTyr. trig. 3.4
260年ガッリエヌスはパンノニアを治めていたインゲヌウスと戦って勝ち、モエシア人に残酷な報復をするTyr. trig. 8.13, 9.3
260年イリュリクムのレガリアヌスはサルマティアで武勇を示したが、ロクソラニ人の唆しと兵士・属州民の同意により殺される 伝承Tyr. trig. 10.2
261年東方を掌握したマクリアヌスは、息子の一人を残してアジアへ、さらにイリュリクムへ進軍するGall. 2.5
261年マクリアヌス父子が死んだとの報に、オダエナトゥスは息子クィエトゥスを捕らえようと急いだが、クィエトゥスの側近たちはバッリスタの唆しでクィエトゥスを殺して城壁の外へ投げ、投降する 判定保留Gall. 3.1, 3.2
261年 〜 262年Alexandriaエジプトでアエミリアヌスが帝権を握り、穀倉を押さえて飢えで諸都市を屈服させたが、ガッリエヌスの将軍テオドトゥスに捕らえられ、獄中で絞殺されるGall. 4.1, 4.2
261年マクリアヌスは4万5千の兵で進軍したが、イリュリクムまたはトラキアの境でアウレオルスに敗れ、息子とともに死ぬTyr. trig. 12.13
261年Alexandriaアレクサンドリアで兵士が総督の奴隷を殺すと、暴徒が押し寄せて将軍アエミリアヌスを石と剣で襲う 伝承Tyr. trig. 22.3
262年Romeガッリエヌスとファウスティアヌスの執政官の年、大地震と数日間の暗闇があり、アジアの都市が被害を受け、ローマとアカイアの諸都市では1日に5千人が死ぬ疫病が広がる 伝承Gall. 5.2, 5.3, 5.5
262年Ephesusスキタイ人(ゴート族の一派)がアジアを荒らし、エフェソスの月(アルテミス)神殿を略奪して焼くGall. 6.2
262年 〜 265年ガッリエヌスがアウレオルスとクラウディウスとともにポストゥムスを攻め、ポストゥムスはケルト・フランクの補助軍とウィクトリヌスを擁して対抗し、戦いは一進一退となるGall. 7.1
262年 〜 268年Byzantiumビュザンティオンでの出来事への報復に出たガッリエヌスは翌日入城し、合意に背いて武装解除した兵士たちを武装兵で取り囲み、皆殺しにする 判定保留Gall. 7.2
262年Romeビュザンティオンの虐殺の後、急いでローマへ行って元老院を召集し、10年祭を挙行して、象・剣闘士・ゴート・サルマタイ・フランク・ペルシアに扮した行列を催すGall. 7.4, 8.7
262年 〜 267年Ctesiphonオダエナトゥスがクテシフォンでパルティア軍を包囲し、周辺一帯を荒らす 伝承Gall. 10.6
262年 〜 267年Ctesiphonオダエナトゥスは王を称してペルシアを攻め、ニシビスとメソポタミアを手にし、シャープールをクテシフォンまで追撃して後宮の女たちと戦利品を得る 伝承Tyr. trig. 15.3, 15.4
265年ガッリエヌスがポストゥムスのいる都市を包囲中、城壁を巡っていて矢に当たる 判定保留Gall. 4.4
265年Nisibisウァレリアヌスとルキッルスの執政官の年、オダエナトゥスがペルシアを攻めてニシビスとカッラエをローマに帰属させ、メソポタミア全域を確保してクテシフォンに至る 伝承Gall. 12.1
267年マルキアヌスの指揮でアカイアにおいてゴート族と戦って勝ち、ゴート族はアカイアを通って退く 伝承Gall. 6.1
267年Athensゴート族がキュジコス・アジア・アカイア全域を略奪していたが、歴史家デクシッポスの指揮するアテナイ人に敗れ、エピルス・マケドニア・ボイオティアをさまよう 伝承Gall. 13.8
267年東方を整えたオダエナトゥスは、従兄弟マエオニウスに、息子ヘロデスとともに殺されるTyr. trig. 15.5
267年Palmyraオダエナトゥスの死後、ゼノビアが帝国の外套をまとい、息子ヘレンニアヌスとティモラオスの名で統治するTyr. trig. 30.2
268年Milanこの碑文のウァレリアヌスはペルシアに捕らえられた人物ではなく、ミラノ近郊に葬られた若いウァレリアヌスだと訂正する 判定保留Valer. 8.3
268年ガッリエヌスはイリュリクムをさまようゴート族に遭遇して多数を殺し、スキタイ人は荷車の防壁を築いてゲサケス山へ抜け出そうとする 判定保留Gall. 13.9

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原文のライセンスと出典

Historia Augusta, Latin text and tr. David Magie (Loeb, 1921-32); text by Bill Thayer, LacusCurtius

PD (고대 원저; LacusCurtius 전재 라틴 본문 — 판본 저작권 표기는 사이트에서 미확인) / PD (Magie, Loeb 1921, LacusCurtius 명시)

https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/home.html

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