日本三代実録(正史 の史料)。扱う年は858年 〜 887年、出来事90件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 858年 〜 887年 |
| 出来事の数 | 出来事90件・地図に置いた89件 |
| 著者 | 藤原時平 등 (901 칙찬) |
| 原題 | 日本三代實錄 |
地域の内訳: 日本 88 · 中国 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 858年 | 平安京 | 八月二十七日、文徳天皇が冷然院の神生殿で崩御する。近衛の将軍らが皇太子の宿所を守り、神璽・宝剣などを皇太子に渡す。 | 卷第一 天安2年8月 (원문 1.4) |
| 858年 | 平安京 | 十一月七日、清和天皇(九歳)が大極殿で即位し、詔を宣する。 | 卷第一 天安2年11月七日 (원문 1.62) |
| 859年 | 能登 | 能登国が駅馬で報告する。渤海国入覲使一行百四人が珠洲郡に到着した。 | 卷第二 貞觀元年1月廿二日 (원문 2.20) |
| 859年 | 加賀 | 渤海使が能登国に到着したので、詔により加賀国の適地に安置するよう移す。 | 卷第二 貞觀元年2月四日 (원문 2.30) |
| 860年 | 富士郡 | 五月五日、駿河国が報告する。富士山の上に五色の雲が見えた(富士郡)。 | 卷第四 貞觀2年5月五日 (원문 4.89) |
| 860年 | 平安京 | 風雨が止まず、京の東西二川が氾濫して人馬が通れなくなる。沿岸の諸国では潮が溢れ、人と家畜に被害が出る。 | 卷第四 貞觀2年十五日 (원문 4.179) |
| 861年 | 出雲国 | 一月二十日、出雲国が報告する。渤海使李居正ら百五人が隠岐国を経て島根郡に到着した。 | 卷第五 貞觀3年1月廿日 (원문 5.20) |
| 861年 | 武藏國 | 凶悪な者が徒党を組み、盗賊が山に満ちるとして、武蔵国の各郡に検非違使を一人ずつ置く。 | 卷第五 貞觀3年十六日 (원문 5.242) |
| 862年 | 備前 | 海賊が群れをなして通行人を殺し物資を奪う。備前国の官米八十斛を積んだ船が襲われ、百姓十一人が殺される。山陽・南海道の十三国に人夫を出させ、海賊の追捕を命じる。 | 卷第六 貞觀4年廿日 (원문 6.132) |
| 863年 | 平安京 | 五月二十日、神泉苑で御霊会を開く。無実の罪で死んだ崇道天皇・伊予親王らの怨霊を鎮める法会で、苑の四門を開き京の人々に見物させる。 | 卷第七 貞觀5年5月廿日 (원문 7.136) |
| 863年 | 越中 | 六月十七日、越中・越後などで大地震がある。谷と丘が位置を変え、水が噴き出し、家屋が崩れて圧死者が多く、以後毎日揺れる。 | 卷第七 貞觀5年6月十七日 (원문 7.152) |
| 863年 | 丹後 | 丹後国が報告する。言葉の通じない細羅国の人五十四人が竹野郡に漂着した。因幡国にも新羅人五十七人が着き、食糧を与えて送り返す。 | 卷第七 貞觀5年十七日 (원문 7.292) |
| 864年 | 石見 | 昨年、新羅人三十余人が石見国美乃郡の海岸に漂着した(死者十余人、生存二十四人)。詔により食糧を与えて送り返す。 | 卷第八 貞觀6年十七日 (원문 8.44) |
| 864年 | 富士郡 | 五月二十五日、駿河国が報告する。富士山が大いに噴火して一、二里を焼き、炎は高さ二十余丈、雷のような音と地震が三度、十日余り消えない。溶岩が本栖水海を埋め、火は甲斐国の境に達した(貞観の大噴火)。 | 卷第八 貞觀6年5月廿五日 (원문 8.116) |
| 864年 | 甲斐 | 七月十七日、甲斐国が報告する。駿河国の富士山から突然火が出て、本栖・□(原文欠字)の二湖を埋め、水が沸いて魚が死に、民の家が湖とともに埋もれた。火は河口海にも向かう。 | 卷第九 貞觀6年7月十七日 (원문 9.22) |
| 864年 | 阿蘇市 | 十二月二十六日、大宰府が報告する。去年の十月三日の夜、阿蘇郡の健磐龍命神の霊池が音を立てて水を噴き上げ、飛び散った。比売神の峰の石神二つが崩れた。亀卜は水の疫病の兆しとした。 | 卷第九 貞觀6年12月廿六日 (원문 9.138) |
| 865年 | 大宰府 | 大宰府が報告する。唐商人李延孝ら六十三人が一隻の船で海岸に着いた。鴻臚館に安置し、例に従って供給させる。 | 卷第十一 貞觀7年廿七日 (원문 11.47) |
| 865年 | 甲斐 | 十二月九日、甲斐国八代郡に浅間明神の社を立て、官社に上げ、祝・禰宜を置く。富士山西峰の噴火と八代郡の災異に対する託宣に従った措置である。 | 卷第十一 貞觀7年12月九日 (원문 11.161) |
| 866年 | 平安京 | 閏三月二十二日、応天門の火災のため百官を会昌門前に集める。崇福寺の僧二十人に大般若経を七日間読ませ、梵釈寺の僧十人に四天王の法を七日間修めさせて災異を除こうとする。(応天門と東西の楼閣は閏三月十日夜に焼けた。) | 卷第十二 貞觀8年閏3月廿二日 (원문 12.94) |
| 866年 | 大宰府 | 四月十七日、陰陽寮が「隣国の兵が窺うだろう」と言い、大宰府に警固を命じる。唐人が勝手に京に入ったことについて、豊前・長門の国司を叱責する。 | 卷第十二 貞觀8年4月十七日 (원문 12.120) |
| 866年 | 肥前 | 七月十五日、大宰府の駅馬報告。肥前国基肄郡の者が告発する。山春永が新羅人珍賓長とともに新羅に渡り兵器製造の術を習って帰り、対馬を攻めようとしている。共謀者の名簿と射手四十五人の名簿を添付する。 | 卷第十三 貞觀8年7月十五日 (원문 13.46) |
| 866年 | 平安京 | 八月三日、左京の人大宅応取が、大納言伴善男と右衛門少尉伴中庸が共謀して応天門に放火したと告発する(応天門の変)。 | 卷第十三 貞觀8年8月三日 (원문 13.58) |
| 866年 | 平安京 | 八月十九日、勅により太政大臣藤原良房に天下の政を行わせる(摂政の始まり)。 | 卷第十三 貞觀8年8月十九日 (원문 13.74) |
| 866年 | 出雲国 | 十一月十七日、勅。怪異が多く占いで新羅の敵兵が隙を窺うとされ、能登・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐・長門と大宰府管内の国々に幣帛を奉じて鎮護し、健児・精兵を訓練させる。 | 卷第十三 貞觀8年11月十七日 (원문 13.152) |
| 867年 | 平安京 | 今年、内外が窮乏し民が飢える。特に畿内が甚だしい。盗賊が群れをなして道を塞ぎ、略奪・放火するため、国司に五家作保(ごかさくほ)を結ばせて監察させる。 | 卷第十四 貞觀9年十三日 (원문 14.44) |
| 867年 | 豊後 | 豊後国に、火南・火売の二神に鎮謝を行い大般若経を読ませる。三池が震動した怪異のためである。 判定保留 | 卷第十四 貞觀9年三日 (원문 14.80) |
| 867年 | 伊豫 | 伊予国の宮崎村に海賊が群れをなして略奪し、公の海路が断たれる。摂津・和泉・山陽・南海道の諸国に協力して捕らえるよう命じる。 | 卷第十四 貞觀9年十日 (원문 14.236) |
| 868年 | 出羽 | 出羽国が報告する。飽海郡の月山・大物忌の二神社の前に、石の鏃六つが雨のように降った。 | 卷第十五 貞觀10年十五日 (원문 15.68) |
| 868年 | 播磨 | 七月十五日、播磨国が報告する。今月八日の大地震で諸郡の官舎と定額寺の塔・堂がすべて崩れた(貞観十年の播磨地震)。 | 卷第十五 貞觀10年7月十五日 (원문 15.126) |
| 869年 | 平安京 | 二月一日、天皇が臨軒し、貞明親王(後の陽成天皇)を皇太子に立て、冊文を読む。 | 卷第十六 貞觀11年2月 (원문 16.26) |
| 869年 | 平安京 | 四月十三日、『貞観格』の編纂が終わり、大納言Fujiwara no Ujimuneらが宮中に献上する。 | 卷第十六 貞觀11年4月十三日 (원문 16.82) |
| 869年 | 多賀城 | 五月二十六日、陸奥国に大地震。空が昼のように輝き、城郭・倉庫・門楼が崩れ、海が吠えて津波が多賀城の下まで押し寄せ、溺死者千余人。(貞観の大地震・大津波) | 卷第十六 貞觀11年5月廿六日 (원문 16.86) |
| 869年 | 博多 | 六月十五日、大宰府が報告する。先月二十二日の夜、新羅の海賊が船二隻で博多津に来て、豊前国の調の絹・綿を奪い逃げた。軍を遣わして追撃したが捕らえられなかった。 | 卷第十六 貞觀11年6月十五日 (원문 16.90) |
| 869年 | 肥後国 | 七月十四日、肥後国で大雨と高潮により六郡が水没し、人と家畜が圧死し、官物の半数以上が流される。 | 卷第十六 貞觀11年7月十四日 (원문 16.112) |
| 869年 | 大宰府 | 十二月十七日、昨夏の新羅海賊による貢物略奪に続き、大きな鳥が大宰府の庁舎と兵庫に集まる怪異が起きた。神祇官・陰陽寮が隣国の兵乱を占うと、五畿七道の諸国に幣帛を奉らせる。 | 卷第十六 貞觀11年12月十七日 (원문 16.220) |
| 869年 | 大宰府 | 十二月二十八日、右近衛少将Sakanoue no Takimoriを大宰府に遣わし、祈禱と警固を担当させる。博多は隣国の船が集まる津であるので、鴻臚館の近くに統領一人・船師四十人・甲冑四十領を置くことを奏上する。 | 卷第十六 貞觀11年12月廿八日 (원문 16.232) |
| 870年 | 對馬國 | 二月十二日、大宰府が報告する。対馬の人卜部乙志麻呂が新羅に捕らわれて逃げ帰り、新羅が大船を造り兵を調練して対馬を襲おうとしていると証言。勅により沿海の郡に警戒を命じる。 | 卷第十七 貞觀12年2月十二日 (원문 17.36) |
| 870年 | 肥前 | 六月、大宰府が報告する。肥前国杵島郡の兵庫が震動し鼓が二度鳴った。占いで隣国の兵乱に備えるよう示され、筑前・肥前・壱岐・対馬に備えを命じる。捕らえておいた新羅人Yun Cheongら三十人のうち七人が逃げた。 | 卷第十八 貞觀12年6月十三日 (원문 18.50) |
| 870年 | 對馬國 | 対馬の報告。新羅に近く常に侵略を受けるが、弩があっても使う者がいないとして、弩師一人の任用を請う。大宰府が適任者を選び、常の役として置かせる。 | 卷第十八 貞觀12年廿八日 (원문 18.102) |
| 870年 | 大宰府 | 十一月十三日、筑後の権史生佐伯真継が新羅国の牒を献上し、大宰少弐Fujiwara no Motorimaroが新羅王と通謀して国を害そうとしていると告発する。佐伯を検非違使に獄に入れる。 | 卷第十八 貞觀12年十三日 (원문 18.136) |
| 870年 | 上総 | 十二月二日、太政官が上総国司に符を下す。散在する夷種の一部が放火・略奪するので取り締まること。帰順した者は優遇し、従わぬ者は奥地へ送るべきこと。 | 卷第十八 貞觀12年12月 (원문 18.154) |
| 871年 | 出羽 | 五月十六日、出羽国が報告する。飽海郡の大物忌神社の山で四月八日に火が出て土と石を焼き、雷のような音がした。川は青黒い泥水になり、魚が大量に死に、田が流された(鳥海山の噴火)。 | 卷第十九 貞觀13年5月十六日 (원문 19.96) |
| 871年 | 平安京 | 閏八月七日、雷と大雨で川が突然溢れ、京の道や橋が流され家屋が倒れる。使者を遣わして神社に幣を奉り、雨を止めるよう祈る。 | 卷第二十 貞觀13年閏8月七日 (원문 20.58) |
| 871年 | 平安京 | 九月二十八日、太皇太后藤原順子(文徳天皇の母)が崩御する。 | 卷第二十 貞觀13年9月廿八日 (원문 20.80) |
| 871年 | 平安京 | 十二月十四日、陰陽寮が来年に天行(流行病)があると言い、老人も冬に花が咲く年は天下の大疫病だと言うので、五畿七道の諸国に幣帛と転経を命じる。 | 卷第二十 貞觀13年12月十四日 (원문 20.137) |
| 872年 | 平安京 | 五月二十四日、渤海大使楊成規が私的な贈物を天皇と皇太子に献上することを請い、許される。同日、勅により曲宴を催し御衣を賜る(渤海使の接待)。 | 卷第廿一 貞觀14年5月廿四日 (원문 21.98) |
| 872年 | 平安京 | 九月二日、太政大臣藤原良房が東一条第で六十九歳で卒去する。 | 卷第廿二 貞觀14年9月二日 (원문 22.54) |
| 873年 | 甑島郡 | 大宰府が報告する。三月十一日、正体不明の船二隻・六十人が薩摩国甑島郡に漂着した。頭目の崔宗佐は渤海人だと言うが、新羅人が偽って称している疑いがあり、一隻は逃げた。勅により尋問させる。 | 卷第廿三 貞觀15年廿七日 (원문 23.111) |
| 873年 | 肥後国 | 大宰府の駅馬報告。渤海人崔宗佐らが肥後国天草郡に漂着した。唐通事張建忠が尋問し、渤海の入唐使と確認された。衣服と食糧を与え、善隣の使者として遇する。 | 卷第廿四 貞觀15年八日 (원문 24.18) |
| 873年 | 陸奧 | 陸奥国が報告する。俘夷が国内に満ち、しばしば反乱を起こすので、官吏も民も恐れている。武蔵国の例に従い、五大菩薩像を国分寺に安置することを許す。 | 卷第廿四 貞觀15年12月七日 (원문 24.112) |
| 873年 | 對馬國 | 十二月二十二日、大宰府が報告する。去年九月二十五日、新羅人三十二人が船一隻で対馬に漂着し、鴻臚館に拘禁された。勅により、新羅は凶悪な毒心を捨てていないので、徹底して取り調べてから送り返させる。 | 卷第廿四 貞觀15年12月廿二日 (원문 24.127) |
| 874年 | 薩摩国 | 七月二日、大宰府が報告する。薩摩国開聞岳の山頂から火が出て、煙が天を覆い、砂が雨のように降り、百里の外まで鳴動が響く。神に封戸二十戸を奉る(開聞岳の噴火)。 | 卷第廿六 貞觀16年7月 (원문 26.2) |
| 874年 | 松浦 | 七月十八日、大宰府が報告する。唐商人崔岌ら四十六人が六月三日に肥前国松浦郡の海岸に着いた。帰化人の例に従い、安置し供給させる。 | 卷第廿六 貞觀16年7月十八日 (원문 26.12) |
| 875年 | 平安京 | 一月二十八日の夜、冷然院の火災で建物五十四棟が焼け、秘閣の蔵書・文書が灰となる。 | 卷第廿七 貞觀17年1月廿八日 (원문 27.26) |
| 875年 | 平安京 | 四月二十八日卯時、北東に赤い彗星が現れ(原文「白彗…其色赤」)、光芒が生じる。五月二日には長さ一丈余り。同じ四月二十八日、天皇が初めて史記を読み始める。 | 卷第廿七 貞觀17年4月廿八日 (원문 27.106) |
| 875年 | 下総 | 下総守Funya no Kanramaroが駅馬で報告する。俘囚が反乱して官舎を焼き、良民を殺した。勅により、武蔵・上総・常陸・下野の四国は各三百の兵を出し、合力して追討させる。 | 卷第廿七 貞觀17年十日 (원문 27.112) |
| 875年 | 秋田 | 出羽国が報告する。渡島の黄狄が反乱し、水軍八十艘で秋田・飽海の二郡の民二十一人を殺し略奪する。勅により牧宰に討平させる。 | 卷第廿七 貞觀17年十六日 (원문 27.262) |
| 876年 | 平安京 | 四月十一日、前丹波守Abe no Hōshōと Kasa no Kōkōが放火の疑いで追問される(大極殿の火災の調査)。 | 卷第廿八 貞觀18年4月 (원문 28.76) |
| 876年 | 博多 | 八月三日、大宰府が報告する。去る七月十四日、唐商人楊清ら三十一人が一隻の船で荒津の海岸に着いた。帰化人の例に従い、安置し供給させる。 | 卷第廿九 貞觀18年8月三日 (원문 29.64) |
| 876年 | 平安京 | 十一月二十九日、天皇(清和)が皇太子(陽成)に譲位し、右大臣藤原基経に幼い君主を補佐させ、政務を代行させる。 | 卷第廿九 貞觀18年11月廿九日 (원문 29.132) |
| 877年 | 平安京 | 正月三日、大極殿がまだ無いため、陽成天皇が豊楽殿で即位し、詔を宣する。 | 卷第三十 元慶元年1月 (원문 30.32) |
| 877年 | 平安京 | 四月九日巳時、大極殿の再建に着手する。比担の大工らと親王・公卿が、八省院で工事担当の官人と工人たちを饗応する。 | 卷第卅一 元慶元年4月九日 (원문 31.12) |
| 877年 | 出雲国 | 渤海使楊中遠らが出雲国から本国へ帰る。王の啓と信物は受け取らず返し、大使が献じようとした玳瑁の杯も受け取らない。 | 卷第卅一 元慶元年廿五日 (원문 31.76) |
| 877年 | 筑前 | 八月二十二日、大宰府が報告する。去る七月二十五日、唐商人崔鐸ら六十三人が唐の台州から日本の使者の多安康らを載せて来て、筑前国に着いた。例に従い安置し供給させる。 | 卷第卅二 元慶元年8月廿二日 (원문 32.42) |
| 878年 | 秋田 | 三月二十九日、出羽守藤原興世が駅馬で報告する。夷俘が反乱し、三月十五日に秋田城と郡院および周辺の民家を焼いた(元慶の乱)。勅により要所を守る郡を選んで防がせ、足りなければ陸奥の六国に救援を請う。 | 卷第卅三 元慶2年3月廿九日 (원문 33.76) |
| 878年 | 秋田 | 出羽国の報告。賊はますます盛んで、六百人を出して八大の隘路を守らせたが、焼山で敵千余人と遭遇し、五百余人が逃げ、城下の村が焼けた。勅により上野・下野からそれぞれ千の兵を出させ、陸奥も救援させる。 | 卷第卅三 元慶2年廿八日 (원문 33.108) |
| 878年 | 秋田 | 五月五日、陸奥守源寛が報告する。出羽に二千人を送り、さらに五百人を求められ送った。自国の夷も動揺しているので援兵二千を請う。勅により、糧食の浪費を懸念し、方便として労役を減らすよう命じる。 | 卷第卅三 元慶2年5月五日 (원문 33.118) |
| 878年 | 秋田 | 七月十日、出羽権守・右中弁藤原保則が入国し軍略を立てる。上野の兵六百余人を秋田川の南に駐屯させて北の敵を防ぎ、敵地十二村と帰順三村を区別して報告する。 | 卷第卅四 元慶2年7月十日 (원문 34.10) |
| 878年 | 相模国 | 九月二十九日夜、関東の諸国に大地震があり、地が裂ける。相模・武蔵が最も甚だしく、建物はほぼ無事なものがなく、圧死者は数えきれず、五、六日揺れが続く。 | 卷第卅四 元慶2年9月廿九日 (원문 34.80) |
| 878年 | 秋田 | 十月十二日、出羽国が報告する。八月二十九日、賊三百余人が城下に来て降伏を請う。陸奥権介坂上好蔭が二千の兵を率いて到着し、鎮守将軍小野春風ら四百七十人が秋田営の北に到着する。 | 卷第卅四 元慶2年10月十二日 (원문 34.93) |
| 879年 | 秋田 | 三月二日、上奏が出される。正月十三日に勅により討つはずだったが、兵一千八百余(上野・下野各八百、陸奥二百)では進退が難しい。賊は十数条の訴えを出し、理があるので法を緩めて宥める。 | 卷第卅五 元慶3年3月 (원문 35.56) |
| 879年 | 丹後 | 三月十三日、丹後国が報告する。長さ六丈・幅一丈五尺の異国の船一隻が竹野郡に漂着したが、すべて壊れて道具もない。 | 卷第卅五 元慶3年3月十三日 (원문 35.64) |
| 879年 | 平安京 | 十月八日、大極殿が落成する。右大臣が朝堂院の含章堂で落成の宴(釁落)を開き、造営に加わった官人・工人、比担の大工らを饗応する。 | 卷第卅六 元慶3年10月八日 (원문 36.76) |
| 880年 | 大宰府 | 西国から新羅の凶賊が侵入するという流言が広がる。左近衛少将Sakanoue no Takimoriを大宰少弐として派遣したが、近衛らが暴行して騒動が起こり、後任のFujiwara no Fusaoは騒動を理由に肥後守へ移される。 | 卷第卅七 元慶4年廿三日 (원문 37.118) |
| 880年 | 平安京 | 十二月五日、太上天皇(清和)の崩御を内外に告げる。詔により哭礼はせず、心喪とし、諸衛を厳重に警戒させ、関を閉じる。 | 卷第卅八 元慶4年12月五日 (원문 38.104) |
| 880年 | 平安京 | 十二月六日子刻、大地震。夜から朝まで十六回揺れる。大極殿の西北隅の石壇が割れ、宮城の垣や京の家屋が多く崩れる。 | 卷第卅八 元慶4年12月六日 (원문 38.106) |
| 882年 | 加賀 | 十一月二十七日、加賀国が駅馬で報告する。今月十四日、渤海入覲使の裴頲ら百五人が到着した。 | 卷第卌二 元慶6年11月廿七日 (원문 42.106) |
| 883年 | 上総 | 二月九日、上総介藤原正範が報告する。市原郡の俘囚三十余人(四十余人とも)が反乱し官物を略奪したので、千人の兵を出して討たせた。勅により「盗賊四十人に羽檄を用いるほどではない」として、官府から人夫を送って捕えさせる。 | 卷第卌三 元慶7年2月九日 (원문 43.38) |
| 883年 | 平安京 | 五月二日、渤海大使裴頲が朝堂で王の啓と信物を献上する。三日、豊楽殿で賜宴。 | 卷第卌三 元慶7年5月二日 (원문 43.104) |
| 884年 | 平安京 | 二月四日、陽成天皇が病を理由に太政大臣に自筆の譲位要請を送り、伊条院に移って譲位する。 | 卷第卌四 元慶8年2月 (원문 44.160) |
| 884年 | 平安京 | 二月二十三日、光孝天皇が大極殿で即位し、詔を宣する。 | 卷第卌五 元慶8年2月廿三日 (원문 45.26) |
| 884年 | 平安京 | 三月十五日夜、大雷雨で常住寺の塔に雷が落ち、五層から火が出て、講堂・金堂・鐘楼・経蔵・廊・中門が一瞬で焼失する。 | 卷第卌五 元慶8年3月十五日 (원문 45.55) |
| 884年 | 秋田 | 九月二十九日、出羽国が報告する。六月二十六日、秋田城に雷雨で暗くなり石の鏃二十三個が降る。七月二日には飽海郡の海辺にも降る。陰陽寮は兵籍か疫病の憂いと占う。 | 卷第卌六 元慶8年9月廿九日 (원문 46.104) |
| 885年 | 大宰府 | 八月一日、陰陽寮が北の辺境と西の辺境に兵の徴発があると占い、北陸道諸国と長門国・大宰府に警固を命じる。 | 卷第卌八 仁和元年8月 (원문 48.16) |
| 885年 | 大宰府 | 唐の商人が大宰府に到着する。王信佳の使いと管内の官民が値を吊り上げて物を争い買うことを禁じるよう、次官に命じる。 | 卷第卌八 仁和元年10月廿日 (원문 48.89) |
| 886年 | 石清水八幡宮 | 六月七日、石清水八幡宮の楼が鳴る怪異が起き、陸奥・出羽の二国と大宰府に警固を命じる。 | 卷第卌九 仁和2年6月 (원문 49.134) |
| 886年 | 平安京 | 七月七日、五月からの長雨の末に大風雨と洪水があり、賀茂・松尾など六社に使者を遣わして幣を奉り、雨を止めるよう祈る。 | 卷第卌九 仁和2年7月七日 (원문 49.190) |
| 887年 | 平安京 | 七月三十日申刻、大地震が数時間続く。天皇は仁寿殿から紫宸殿の南庭へ避難する。京と五畿七道に大被害、海の潮が陸に上がって溺死者が多く、摂津国が最も甚だしい(仁和の地震)。 | 卷第五十 仁和3年7月卅日 (원문 50.151) |
| 887年 | 平安京 | 八月二十日、明け方から夕方まで大風雨で木が抜け家屋が倒れ、圧死者が多い。賀茂川・葛野川が溢れ人馬が通れない。 | 卷第五十 仁和3年8月廿日 (원문 50.183) |
| 887年 | 平安京 | 八月二十六日、天皇の病が重く、第七皇子(後の宇多天皇)を皇太子に立て、同日巳時に仁寿殿で五十八歳で崩御する。 | 卷第五十 仁和3年8月廿六日 (원문 50.193) |
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