三国史記(正史 の史料)。扱う年は紀元前57年 〜 西暦935年、出来事245件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 紀元前57年 〜 西暦935年 |
| 出来事の数 | 出来事245件・地図に置いた195件 |
| 著者 | 金富軾 |
| 原題 | 三國史記 本紀 |
地域の内訳: 朝鮮半島 140 · 中国 96
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 紀元前57年 | 경주시 | 朴赫居世が13歳で即位し、居西干と称して国号を徐那伐と定めた。 伝承 | 卷01 始祖赫居世居西干 即位條 |
| 紀元前37年 | 경주시 | 京城を築き、金城と名づけた。 伝承 | 卷01 始祖赫居世居西干 19年 |
| 紀元前37年 | 환런 만족 자치현 | 朱蒙が沸流水のほとりに仮小屋を建てて住み、続いて靺鞨を退けた。 伝承 | 卷13 東明王 即位條 |
| 紀元前36年 | 환런 만족 자치현 | 沸流国の松譲が国を献じて降伏したので、その地を多勿都とし、松譲を島主とした。 伝承 | 卷13 東明王 2年 |
| 紀元前34年 | 환런 만족 자치현 | 城郭と宮室を築いた。 伝承 | 卷13 東明王 3年 |
| 紀元前32年 | 경주시 | 金城に宮室を建てた。 伝承 | 卷01 始祖赫居世居西干 26年 |
| 紀元前18年 | 인천 | 沸流は海辺に住もうとして民を分け、弥鄒忽へ行って住んだ。 伝承 | 卷23 温祚王 即位條 |
| 紀元前18年 | 서울 | 温祚は漢水の南の慰礼城に都を定め、十臣を補佐とし、国号を十済と名づけた。 伝承 | 卷23 温祚王 即位條 |
| 紀元前11年 | 서울 | 靺鞨の三千が慰礼城を包囲すると、王は門を閉じて出ず、大部県で追撃して五百余人を殺した。 伝承 | 卷23 温祚王 8年 |
| 紀元前6年 | 서울 | 楽浪と靺鞨の侵入や凶兆を理由に、王は漢山の下に柵を立て、慰礼城の民を移した。 伝承 | 卷23 温祚王 13年 |
| 紀元前5年 | 서울 | 王が都を漢山に移した。 伝承 | 卷23 温祚王 14年 |
| 紀元前2年 | 서울 | 楽浪が侵入して慰礼城を焼いた。 伝承 | 卷23 温祚王 17年 |
| 2年 | 국내성 | 王が都を国内に移し、尉那巌城を築いた。 伝承 | 卷13 瑠璃王 22年 |
| 4年 | 경주시 | 楽浪の軍勢が来て金城を幾重にも包囲した。 判定保留 | 卷01 南解次次雄 1年 |
| 7年 | 狩りを口実に出兵し、馬韓を密かに襲って併合した。円山・錦峴の二城だけを残した。 伝承 | 卷23 温祚王 26年 | |
| 8年 | 円山・錦峴の二城が降伏し、民は漢山の北へ移され、馬韓は滅んだ。 伝承 | 卷23 温祚王 27年 | |
| 14年 | 경주시 | 楽浪は新羅の内が空だと思い、金城を急いで攻めた。 判定保留 | 卷01 南解次次雄 11年 |
| 28年 | 국내성 | 漢の遼東太守が軍を率いて来ると、尉那巌城を数十日堅く守り、鯉を送って水があるように見せかけた。 伝承 | 卷14 大武神王 11年 |
| 32年 | 평양시 | 好童が王に楽浪への襲撃を勧めた。楽浪の自鳴鼓が破られていたため、高句麗軍が城下に至って降伏させた。 伝承 | 卷14 大武神王 15年 |
| 37年 | 평양시 | 高句麗王の無恤が楽浪を襲って滅ぼし、その国の民五千人が新羅に投降した。 伝承 | 卷01 儒理尼師今 14年 |
| 37年 | 평양시 | 王が楽浪を襲って滅ぼした。 伝承 | 卷14 大武神王 20年 |
| 44年 | 평양시 | 漢の光武帝が海を渡って楽浪を攻め、その地を郡県とした。薩水以南は漢に属した。 虚構 | 卷14 大武神王 27年 |
| 49年 | 지저우구 | 将軍を送って漢の北平・漁陽・上谷・太原を襲撃させた。 | 卷14 慕本王 2年 |
| 56年 | 함흥 | 東沃沮を攻めて、その地を城邑とし、国境を東の海、南の薩水まで広げた。 伝承 | 卷15 太祖大王 4年 |
| 64年 | 百済が蛙山城を攻め、続いて久陽城を攻めた。王は騎兵二千でこれを退けた。 判定保留 | 卷01 脫解尼師今 8年 | |
| 77年 | 양산시 | 吉門が伽耶軍と黄山津の入口で戦い、千余の首を斬った。 伝承 | 卷01 脫解尼師今 21年 |
| 98年 | 훈춘시 | 王が東の柵城を巡行し、西の山で白鹿を得て、功績を岩に刻んだ。 虚構 | 卷15 太祖大王 46年 |
| 101年 | 경주시 | 城を築いて月城と名づけ、王はそこへ移って住んだ。 伝承 | 卷01 婆娑尼師今 22年 |
| 104年 | 삼척시 | 悉直が反乱すると、軍を出して平定し、残った民を南の辺境へ移した。 伝承 | 卷01 婆娑尼師今 25年 |
| 105年 | 요동군 | 王が将軍を送って漢の遼東の六県を掠奪させたが、太守の耿夔に大敗した。 | 卷15 太祖大王 53年 |
| 115年 | 양산시 | 王は自ら伽耶を親征し、黄山河を渡ったところ伏兵に包囲されたが、突破して退いた。 伝承 | 卷01 祇摩尼師今 4年 |
| 121年 | 요동군 | 遂成が三千を遣わして玄菟・遼東の二郡を攻め、城郭を焼き、二千余の首を斬った。 | 卷15 太祖大王 69年 |
| 121年 | 王が馬韓・濊貊の騎兵一万余で玄菟城を包囲したが、扶余の救援軍に大敗した。 伝承 | 卷15 太祖大王 69年 | |
| 122年 | 요동군 | 王が馬韓・濊貊と遼東を侵したが、扶余が送った軍に撃破された。 伝承 | 卷15 太祖大王 70年 |
| 132年 | 북한산성 | 北漢山城を築いた。 判定保留 | 卷23 蓋婁王 5年 |
| 146年 | 단둥시 | 王が将軍を送って漢の遼東の西安平県を襲い、帯方令を殺し、楽浪太守の妻子を捕らえた。 | 卷15 太祖大王 94年 |
| 185年 | 仇道と仇須兮を左右の君主として召文国を攻めた。君主の名の始まり。 伝承 | 卷02 伐休尼師今 2年 | |
| 191年 | 국내성 | 左可慮らが衆を集めて王都を攻めると、王は畿内の兵馬を徴発して平定した。 伝承 | 卷16 故國川王 13年 |
| 198年 | 환도 | 丸都城を築いた。 伝承 | 卷16 山上王 2年 |
| 209年 | 환도 | 王が都を丸都へ移した。 伝承 | 卷16 山上王 13年 |
| 217年 | 훈춘시 | 漢の平州の人、夏瑤が民千余戸を率いて来たので、受け入れて柵城に住まわせた。 判定保留 | 卷16 山上王 21年 |
| 231年 | 김천시 | 伊飡の于老が大将軍となって甘文国を破り、その地を郡とした。 伝承 | 卷02 助賁尼師今 2年 |
| 232年 | 경주시 | 倭人が突然来て金城を包囲したので、王が自ら戦って千余の首を斬った。 判定保留 | 卷02 助賁尼師今 3年 |
| 236年 | 영천 | 骨伐国王の阿音夫が民を率いて降伏した。 伝承 | 卷02 助賁尼師今 7年 |
| 238年 | 양평(襄平) | 魏の司馬懿が公孫淵を討つとき、王は主簿の大加に軍一千を与えて助けさせた。 | 卷17 東川王 12年 |
| 242年 | 단둥시 | 王が将軍を送り、遼東の西安平を襲って破った。 | 卷17 東川王 16年 |
| 246年 | 환런 만족 자치현 | 魏の幽州刺史の毌丘倹が侵入すると、王は歩騎二万で沸流水の上で戦い、三千余の首を斬った。 | 卷17 東川王 20年 |
| 246年 | 환도 | 毌丘倹が丸都城を陥落させ殺戮した。王は南沃沮へ逃げた。 | 卷17 東川王 20年 |
| 247年 | 평양시 | 丸都城が禍に遭い、再び都とすることができなかったため、平壌城を築いて民と宗廟・社稷を移した。 伝承 | 卷17 東川王 21年 |
| 261年 | 대구 | 達伐城を築き、奈麻の克宗を城主とした。 伝承 | 卷02 沾解尼師今 15年 |
| 293年 | 푸순현 | 慕容廆が侵入すると、王は新城へ逃れようとしたが、かえって新城の家臣高奴子の騎兵に突破された。 | 卷17 烽上王 2年 |
| 311年 | 단둥시 | 将軍を送って遼東の西安平を襲い、占領した。 伝承 | 卷17 美川王 12年 |
| 313年 | 평양시 | 楽浪郡を攻め、男女二千余人を捕らえた。 | 卷17 美川王 14年 |
| 314年 | 南のかた帯方郡を攻めた。 | 卷17 美川王 15年 | |
| 342年 | 환도 | 丸都城を修理し、国内城を築いた。 伝承 | 卷18 故國原王 12年 |
| 342年 | 환도 | 燕王慕容皝の軍が南道から入って丸都に入城し、美川王の陵を掘り、宮室を焼き、城を空にした。 | 卷18 故國原王 12年 |
| 343年 | 평양시 | 王は平壌の東の黄城に移り住んだ。 伝承 | 卷18 故國原王 13年 |
| 346年 | 경주시 | 倭兵が風島を略奪し、金城を包囲して激しく攻めた。強世が追撃してこれを退けた。 判定保留 | 卷02 訖解尼師今 37年 |
| 364年 | 경주시 | 倭兵が大挙して来ると、草人形を吐含山の下に立て、伏兵で大いに撃ち破った。 伝承 | 卷03 奈勿尼師今 9年 |
| 369年 | 王が二万で百済を攻めたが、雉壌で敗れた。 伝承 | 卷18 故國原王 39年 | |
| 369年 | 高句麗王の斯由が雉壌に駐屯すると、太子が攻め込んで五千余の首を斬った。 伝承 | 卷24 近肖古王 24年 | |
| 371年 | 평양시 | 百済王が三万で平壌城を攻めると、王は迎え撃ったが矢に当たり、その月の二十三日に死んだ。 伝承 | 卷18 故國原王 41年 |
| 371年 | 평양시 | 王が太子とともに精兵三万で高句麗の平壌城を攻めた。高句麗王の斯由が力戦したが流れ矢に当たって死に、軍は退いた。 伝承 | 卷24 近肖古王 26年 |
| 371年 | 서울 | 百済が都を漢山に移した。 伝承 | 卷24 近肖古王 26年 |
| 375年 | 高句麗が北の水谷城を攻めて陥落させた。王は報復しようとしたが、凶作のため果たせなかった。 伝承 | 卷24 近肖古王 30年 | |
| 377年 | 평양시 | 百済が三万の兵で平壌城を攻めた。 伝承 | 卷18 小獸林王 7年 |
| 377年 | 평양시 | 王が三万で高句麗の平壌城を攻めた。 伝承 | 卷24 近仇首王 3年 |
| 384年 | 서울 | 胡僧の摩羅難陀が東晋から来ると、王は宮中に迎えて礼をもって敬った。 伝承 | 卷24 枕流王 即位條 |
| 385年 | 요동군 | 王が四万で遼東を襲撃し、遼東と玄菟を陥落させ、一万人を捕らえて帰還した。冬、燕が奪い返した。 | 卷18 故國壤王 2年 |
| 385年 | 서울 | 漢山に寺を建て、僧十人を出家させた。 伝承 | 卷24 枕流王 2年 |
| 391年 | 広開土王が百済の関弥城を二十日攻めて陥落させた。 | 卷18 廣開土王 即位條 | |
| 392年 | 경주시 | 高句麗が強大だとして、実聖を人質として高句麗へ送った。 | 卷03 奈勿尼師今 37年 |
| 392年 | 평양시 | 平壌に九寺を創建した。 伝承 | 卷18 廣開土王 2年 |
| 392年 | 高句麗が関弥城を攻めて陥落させ、漢水以北の村落の多くが高句麗へ寝返った。 | 卷25 辰斯王 8年 | |
| 393年 | 경주시 | 倭人が金城を五日間包囲したが、王は城門を閉じて持ちこたえ、独山から追撃して撃破した。 伝承 | 卷03 奈勿尼師今 38年 |
| 394年 | 王が浿水のほとりで百済軍を大いに撃ち、八千余の首を斬った。 | 卷18 廣開土王 4年 | |
| 395年 | 삼척시 | 靺鞨が北の辺境を侵したので出兵し、悉直の野で大いに破った。 伝承 | 卷03 奈勿尼師今 40年 |
| 395年 | 王命により真武が高句麗を攻めたが、談徳が浿水のほとりで防ぎ、百済軍八千が死んだ。 | 卷25 阿莘王 4年 | |
| 399年 | 푸순현 | 燕が高句麗を攻めて新城・南蘇の二城を奪い、七百余里を広げた。 | 卷18 廣開土王 9年 |
| 404年 | 랴오양현 | 燕王の慕容熙が遼東城を攻めたが、城が備えており勝てず引き返した。 | 卷18 廣開土王 14年 |
| 405年 | 경주 명활성 | 倭兵が明活城を攻めたが勝てずに引き返したので、王は独山の南で迎え撃った。 | 卷03 實聖尼師今 4年 |
| 427年 | 평양시 | 長寿王が都を平壌に移した。 | 卷18 長壽王 15年 |
| 431年 | 경주 명활성 | 倭兵が東の辺境を侵して明活城を包囲したが、功なくして退いた。 | 卷03 訥祇麻立干 15年 |
| 436年 | 차오양현 | 王は葛盧・孟光を遣わして、和龍で北燕王を迎え連れてきた。 | 卷18 長壽王 24年 |
| 438年 | 가이저우시 | 北燕王の馮弘が遼東に至ると、平郭に置いてから北豊に移し、ついに殺した。 | 卷18 長壽王 26年 |
| 444年 | 경주시 | 倭人が金城を十日包囲し、王が追撃したが独山の東で敗れ、将士の半数以上が死んだ。 | 卷03 訥祇麻立干 28年 |
| 450年 | 강릉시 | 何瑟羅城主の三直が、悉直の野で狩りをしていた高句麗の辺境の将を襲って殺すと、高句麗が西の辺境を侵した。 | 卷03 訥祇麻立干 34年 |
| 459年 | 경주시 | 倭人が兵船百余隻で東の辺境を襲い、月城を包囲した。王は城を守りながら出撃して撃破した。 | 卷03 慈悲麻立干 2年 |
| 468年 | 삼척시 | 高句麗が靺鞨とともに北の辺境の悉直城を襲った。 | 卷03 慈悲麻立干 11年 |
| 468年 | 삼척시 | 王は靺鞨の兵一万で新羅の悉直州城を奪った。 | 卷18 長壽王 56年 |
| 474年 | 서울 | 高句麗王の巨連が百済を攻めて陥落させ、百済王の余慶が被害を受けた。新羅は救援軍を出したが遅れた。 | 卷03 慈悲麻立干 17年 |
| 475年 | 경주 명활성 | 王は明活城に移って住んだ。 | 卷03 慈悲麻立干 18年 |
| 475年 | 서울 | 王は三万で百済の都、漢城を陥落させ、蓋鹵王の扶余慶を殺した。 | 卷18 長壽王 63年 |
| 475年 | 서울 | 高句麗の将軍桀婁が蓋鹵王を縛って阿旦城の下に送り、殺した。 | 卷25 蓋鹵王 21年 |
| 475年 | 공주시 | 文周王が都を熊津に移した。 | 卷26 文周王 即位條 |
| 498年 | 광주광역시 | 耽羅が貢物を納めないとして王が親征し、武珍州に至ると、耽羅が使者を送って詫びたので、兵を止めた。 | 卷26 東城王 20年 |
| 501年 | 부여 청산성 | 王が泗沘の東の野で狩りをしていたとき、白加の遣わした者に刺され、十二月に死んだ。 | 卷26 東城王 23年 |
| 505年 | 삼척시 | 悉直州を置き、異斯夫を州の長官とした。 | 卷04 智證麻立干 6年 |
| 507年 | 서울 | 高句麗の将軍高老が靺鞨とともに百済の漢城を攻めようと横岳の下に駐屯したが、百済が迎え撃ったため退いた。 | 卷19 文咨明王 16年 |
| 512年 | 異斯夫は木製の獅子を戦船に載せて于山国の海岸へ行き、威嚇して降伏させた。 | 卷04 智證麻立干 13年 | |
| 523年 | 서울 | 王が漢城に行幸し、漢北の州郡の十五歳以上の者を徴発して双峴城を築かせた。 | 卷26 武寧王 23年 |
| 526年 | 공주시 | 熊津城を修理し、防備の策を立てた。 | 卷26 聖王 4年 |
| 529年 | 高句麗王の興安が北の穴城を奪うと、佐平の燕謨が三万で五谷の野で防いだが、勝てなかった。 | 卷26 聖王 7年 | |
| 532年 | 김해시 | 金官国主の金仇亥が王妃・三人の息子と国の財物を携えて投降してきた。 | 卷04 法興王 19年 |
| 538年 | 부여 청산성 | 聖王が都を泗沘に移し、国号を南扶余とした。 | 卷26 聖王 16年 |
| 549年 | 흥륜사지 | 梁の使者が入学僧の覚徳と仏舎利を送ってきたので、興輪寺の前の道で迎えた。 | 卷04 眞興王 10年 |
| 550年 | 금현성 | 高句麗が金峴城を陥落させると、異斯夫に二つの城を奪い返させて築かせ、甲士千人を置いて守らせた。 | 卷04 眞興王 11年 |
| 550年 | 王は将軍達己に一万を与え、高句麗の道薩城を奪った。 | 卷26 聖王 28年 | |
| 551年 | 居柒夫らが高句麗を攻め、勢いに乗って十郡を取った。 | 卷04 眞興王 12年 | |
| 551年 | 푸순현 | 突厥が新城を包囲したが勝てず、白巌城に移って攻撃したが、将軍の高屹が一万の兵で防いだ。 | 卷19 陽原王 7年 |
| 552年 | 평양시 | 長安城を築いた。 | 卷19 陽原王 8年 |
| 553年 | 경주시 | 月城の東に新しい宮を造ろうとしたとき黄龍が現れたので、寺に改めて皇龍寺と名づけた。 | 卷04 眞興王 14年 |
| 554年 | 百済王の明穠が管山城を攻めたが、新羅の服を着た道看らに殺され、百済軍二万九千六百が死んだ。 | 卷04 眞興王 15年 | |
| 554年 | 王が新羅を襲撃しようと、歩騎五十で夜に狗川に至ったが、伏兵と戦ううち乱兵に殺された。 | 卷26 聖王 32年 | |
| 555年 | 북한산성 | 王は北漢山を巡行し、国境を広げて定めた。 | 卷04 眞興王 16年 |
| 562年 | 고령 주산성 | 加耶が反乱すると、異斯夫と斯多含が攻めて全員を降伏させた。 | 卷04 眞興王 23年 |
| 586年 | 평양시 | 都を長安城に移した。 | 卷19 平原王 28年 |
| 598年 | 차오양현 | 王が靺鞨一万余を率いて遼西を侵したが、営州総管の韋冲に撃退された。隋の文帝は三十万を送って侵攻した。 | 卷20 嬰陽王 9年 |
| 600年 | 왕흥사 | 王興寺を建て、僧三十人を出家させた。 | 卷27 法王 2年 |
| 602年 | 남원시 | 武王が新羅の阿莫山城を包囲したが新羅の騎兵に敗れ、新羅が小他など四城を築くと、解修らが四万で攻めたが敗れた。 | 卷27 武王 3年 |
| 603年 | 북한산성 | 高句麗が北漢山城を侵すと、王は一万の兵で自ら防いだ。 | 卷04 眞平王 25年 |
| 603年 | 북한산성 | 将軍の高勝が新羅の北漢山城を攻めたが、守備軍の呼応によって退いた。 | 卷20 嬰陽王 14年 |
| 611年 | 武王が新羅の椵岑城を包囲し、城主の讃徳を殺して城を滅ぼした。 | 卷27 武王 12年 | |
| 612年 | 랴오양현 | 隋の水軍が遼水を渡り、勢いに乗って遼東城を包囲したが、城は堅く守って陥落しなかった。 | 卷20 嬰陽王 23年 |
| 612年 | 평양시 | 来護児が水軍で浿水に入り、平壌から六十里のところまで来て、高句麗軍を破った。 | 卷20 嬰陽王 23年 |
| 612年 | 평양시 | 来護児が勢いに乗って城に入り略奪したが、伏兵に大敗し、帰還できたのは数千にすぎなかった。 | 卷20 嬰陽王 23年 |
| 612年 | 隋の水軍が薩水の半ばを渡る時、高句麗軍が背後から攻撃して全軍が崩れ、一昼夜で鴨緑水まで逃げた。三十万五千のうち、二千七百人が帰還した。 | 卷20 嬰陽王 23年 | |
| 613年 | 랴오양현 | 隋の煬帝が遼東城を二十余日攻めたが陥落できず、楊玄感の反乱の報を受けて軍を引いた。 | 卷20 嬰陽王 24年 |
| 614年 | 다롄시 | 来護児が卑奢城に至って高句麗軍を破り、平壌へ向かおうとすると、王は降伏を請うた。 | 卷20 嬰陽王 25年 |
| 621年 | 장안 | 王が唐に使者を送り、方物を献じた。 | 卷04 眞平王 43年 |
| 627年 | 공주시 | 王は新羅に奪われた地を取り返すため大軍を起こして熊津に駐屯した。新羅はこの状況を唐に急報した。 | 卷27 武王 28年 |
| 629年 | 龍春・舒玄・庾信が高句麗の娘臂城を攻め、五千余の首を斬ったうえで降伏させた。 | 卷04 眞平王 51年 | |
| 630年 | 부여 청산성 | 泗沘の宮を再び修理した。 | 卷27 武王 31年 |
| 631年 | 王は東北の扶余城から西南の海まで千余里の長城を築き、十六年で完成させた。 | 卷20 榮留王 14年 | |
| 634年 | 왕흥사 | 王興寺が完成した。寺が水辺にあったので、王は舟で香を供えに行った。 | 卷27 武王 35年 |
| 634年 | 부여 청산성 | 宮の南に池を掘り、二十里余りの水を引き、池の中に島を築いた。 | 卷27 武王 35年 |
| 636年 | 武王が将軍于召に甲士五百で新羅の独山城を襲わせたが、閼川に捕らえられた。 | 卷27 武王 37年 | |
| 638年 | 칠중성 | 閼川が高句麗軍と七重城の外で戦って勝ち、多くを殺し、また捕らえた。 | 卷05 善德王 7年 |
| 642年 | 합천 | 百済の将軍允忠が大耶城を攻め落とし、都督の品釈らが殺された。 | 卷05 善德王 11年 |
| 642年 | 평양시 | 大耶城の敗戦を報復するため金春秋を高句麗に送って軍を求めたが、高句麗は彼を抑留した。 | 卷05 善德王 11年 |
| 642年 | 평양시 | 淵蓋蘇文が栄留王を殺し、宝蔵王を立てた。 | 卷21 寶藏王上 即位條 |
| 643年 | 장안 | 唐に使者を送り、高句麗と百済の侵略を告げて救援軍を求めた。 | 卷05 善德王 12年 |
| 643年 | 수원 화성 | 王が高句麗と和親し、新羅の党項城を奪って唐への道を断とうとしたが、新羅が唐に救援を求めたので取りやめた。 | 卷28 義慈王 3年 |
| 644年 | 金庾信が上将軍として百済を攻め、大勝して七城を得た。 | 卷05 善德王 13年 | |
| 645年 | 唐の太宗が高句麗を親征すると、王は軍三万を送って助けた。百済はその隙に西の七城を奪った。 | 卷05 善德王 14年 | |
| 645年 | 다롄시 | 唐の張亮が水軍で海を渡り、卑沙城を襲って陥落させ、八千人を捕らえた。 | 卷21 寶藏王上 4年 |
| 645年 | 랴오양현 | 李世勣が遼東城を昼夜十二日攻め、唐の太宗が合流して陥落させ、遼州とした。 | 卷21 寶藏王上 4年 |
| 645年 | 하이청시 | 唐の太宗が安市城に至って攻撃を始めた。 | 卷21 寶藏王上 4年 |
| 645年 | 하이청시 | 北部の褥薩高延寿と南部の褥薩高恵真が、高句麗・靺鞨軍十五万で安市城を救援に来たが、大敗して降伏した。 | 卷21 寶藏王上 4年 |
| 645年 | 하이청시 | 唐の太宗は安市城をついに抜けず、寒さが来て兵糧が尽きると撤退を命じ、城主に絹を与えた。 | 卷21 寶藏王上 4年 |
| 647年 | 경주시 | 毗曇と廉宗が女王の統治を問題にして反乱を起こしたが、勝てなかった。 | 卷05 善德王 16年 |
| 647年 | 唐の牛進達・李海岸が高句麗に入り、百余回戦って石城を落とし、積利城の下まで至った。 | 卷22 寶藏王下 6年 | |
| 648年 | 장안 | 金春秋とその息子の文汪が唐に行き、太宗から出兵の約束を取りつけた。 | 卷05 眞德王 2年 |
| 648年 | 단둥시 | 唐の薛万徹が海路から鴨緑に入り、泊灼城の南に陣を張ると、城主の所夫孫が一万余で迎え撃った。 | 卷22 寶藏王下 7年 |
| 650年 | 장안 | 真徳王が絹に五言の太平頌を織り込み、法敏を通じて唐の皇帝に献じた。 | 卷05 眞德王 4年 |
| 655年 | 高句麗が百済・靺鞨と連合して北の辺境の三十三城を奪ったので、唐に救援を求めた。 | 卷05 武烈王 2年 | |
| 657年 | 百済が将軍を送って新羅の独山城・桐岑城の二城を攻めた。 | 卷28 義慈王 17年 | |
| 658年 | 강릉시 | 何瑟羅が靺鞨と接して不安だったため、京を廃して州とし、都督を置いた。 | 卷05 武烈王 5年 |
| 660年 | 太子の法敏が兵船百隻で徳物島に出て、蘇定方を迎えた。 | 卷05 武烈王 7年 | |
| 660年 | 논산시 | 金庾信らが黄山の野に至ると、百済の階伯が険しい地に三つの陣営を構えて迎え撃った。四度戦って不利だったが、官昌らの奮戦で大いに勝った。 | 卷05 武烈王 7年 |
| 660年 | 부여 청산성 | 郎将の劉仁願が一万の兵で泗沘城にとどまって守り、新羅の王子の仁泰が七千の兵で繰り返し助けた。 | 卷05 武烈王 7年 |
| 660年 | 부여 청산성 | 唐軍が勢いに乗って王都に迫り、王と太子は北へ逃げた。蘇定方が城を包囲した。 | 卷28 義慈王 20年 |
| 660年 | 부여 청산성 | 義慈王と太子の孝、そして多くの城が降伏し、王族と大臣八十八人、民一万二千八百七人が長安へ送られた。 | 卷28 義慈王 20年 |
| 660年 | 武王の甥の福信と僧の道琛が周留城で反乱し、倭に人質として行っていた扶余豊を王に立てた。 | 卷28 義慈王 20年 | |
| 661年 | 북한산성 | 高句麗・靺鞨の連合軍が述川城を落とせず、北漢山城へ移って攻撃した。城主の冬陁川は二十日余り持ちこたえた。 | 卷05 武烈王 8年 |
| 661年 | 文武王が軍を進めて甕山城を包囲し、大きな木柵を焼き払って降伏させた。 | 卷06 文武王 1年 | |
| 661年 | 평양시 | 蘇定方が浿江で高句麗軍を破り、馬邑山を奪って平壌城を包囲した。 | 卷22 寶藏王下 10年 |
| 661年 | 부여 청산성 | 西北部が呼応し、軍を率いて王都の劉仁願を包囲した。 | 卷28 義慈王 20年 |
| 661年 | 福信らは王都の包囲を解いて任存城に退いて守った。 | 卷28 義慈王 20年 | |
| 662年 | 평양시 | 金庾信らが車二千余台に米と粟を積み、平壌の唐軍へ軍糧を送った。 | 卷06 文武王 2年 |
| 662年 | 제주시 | 耽羅国主の徒冬音律が降伏してきて属国となった。 | 卷06 文武王 2年 |
| 662年 | 평양시 | 蘇定方が平壌を包囲したが、大雪のため解いて退いた。 | 卷22 寶藏王下 21年 |
| 662年 | 공주시 | 劉仁願・劉仁軌らが熊津の東で福信の残党を大きく破り、支羅城などを奪った。 | 卷28 義慈王 20年 |
| 663年 | 경주시 | 唐は新羅を鶏林大都督府とし、文武王を鶏林州大都督とした。 | 卷06 文武王 3年 |
| 663年 | 王と金庾信ら二十八将軍が唐軍と豆陵尹城・周留城などを攻め、すべて陥落させた。扶余豊は逃げた。 | 卷06 文武王 3年 | |
| 663年 | 唐・新羅の水軍が白江口で倭軍と四度戦ってすべて勝ち、船四百隻を焼いた。 | 卷28 義慈王 20年 | |
| 664年 | 공주시 | 金仁問と天存が唐の使者劉仁願、百済の扶余隆と熊津で同盟を結んだ。 | 卷06 文武王 4年 |
| 665年 | 공주시 | 王は劉仁願・扶余隆と熊津の就利山で白馬を殺して誓いを立てた。 | 卷06 文武王 5年 |
| 666年 | 국내성 | 淵男生が弟の男建・男山に追われて国内城に拠り、子の献誠を唐に送って救援を求めた。 | 卷22 寶藏王下 25年 |
| 667年 | 서울 | 王は大角干の金庾信ら三十将軍とともに国境を出て、漢城停に至り、唐の将軍李勣(英公)を待った。 | 卷06 文武王 7年 |
| 667年 | 푸순현 | 李勣が高句麗の西の要衝の新城を陥落させ、契苾何力を置いて守らせた。 | 卷22 寶藏王下 26年 |
| 668年 | 수원 화성 | 劉仁軌が皇帝の勅旨を奉じて党項津に至ると、王は金仁問を遣わして礼をもって迎えた。 | 卷06 文武王 8年 |
| 668年 | 평양시 | 新羅軍が唐の大軍とともに平壌を包囲すると、高句麗王は南山を送って降伏を請うた。 | 卷06 文武王 8年 |
| 668年 | 평양시 | 李勣が平壌を陥落させた。 | 卷22 寶藏王下 27年 |
| 668年 | 평양시 | 宝蔵王は泉男産に首長九十八人を率いさせ、白旗を持たせて李勣に降伏させた。 | 卷22 寶藏王下 27年 |
| 668年 | 평양시 | 李勣が帰国すると、高句麗は九都督府・四十二州に分けられ、平壌に安東都護府が置かれた。 | 卷22 寶藏王下 27年 |
| 670年 | 新羅の薛烏儒と高句麗の高延武が精兵一万ずつを率いて鴨緑江を渡り、屋骨に至って靺鞨軍と戦って勝った。 | 卷06 文武王 10年 | |
| 670年 | 王は百済が謀反すると疑い、軍を起こして六十三城を奪い、民を内地へ移した。 | 卷06 文武王 10年 | |
| 671年 | 공주시 | 新羅が百済を攻め、熊津の南で戦った。 | 卷07 文武王 11年 |
| 671年 | 부여 석성산성 | 竹旨らが百済の加林城の稲を踏み荒らし、唐軍と石城で戦い、五千余の首を斬った。 | 卷07 文武王 11年 |
| 671年 | 부여 청산성 | 所夫里州を置き、阿飡の真王を都督とした。 | 卷07 文武王 11年 |
| 671年 | 평양시 | 唐の将軍高侃らが藩兵四万を率いて平壌に至った。 | 卷07 文武王 11年 |
| 671年 | 하이청시 | 唐の高侃が安市城で高句麗の遺民を撃破した。 | 卷22 寶藏王下 2年 |
| 672年 | 新羅軍が白水城の付近で高句麗軍と対峙して数千の首を斬り、続いて石門で唐軍に敗れた。 | 卷07 文武王 12年 | |
| 673年 | 唐軍が靺鞨・契丹軍とともに北の辺境を侵したが、新羅が九回戦って勝ち、二千余の首を斬った。 | 卷07 文武王 13年 | |
| 674年 | 장안 | 新羅が高句麗の遺民を受け入れ、百済の地を占めると、高宗は文武王の官爵を削り、金仁問を新羅王に立てた。 | 卷07 文武王 14年 |
| 675年 | 칠중성 | 劉仁軌が七重城で新羅軍を破った。 | 卷07 文武王 15年 |
| 675年 | 李謹行が二十万の兵で買肖城に駐屯すると、新羅軍が追い払い、馬三万余匹を得た。 | 卷07 文武王 15年 | |
| 675年 | 칠중성 | 唐軍が契丹・靺鞨とともに七重城を包囲したが、落とせなかった。 | 卷07 文武王 15年 |
| 676年 | 施得が水軍を率いて所夫里州の伎伐浦で薛仁貴と戦って敗れたが、その後は二十二回戦って勝ち、四千余の首を斬った。 | 卷07 文武王 16年 |
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