続日本後紀

続日本後紀(正史 の史料)。扱う年は833年 〜 850年、出来事94件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年833年 〜 850年
出来事の数出来事94件・地図に置いた73件
著者藤原良房 등 (칙찬, 869년 완성)
原題續日本後紀

地域の内訳: 日本 73 · 中国 20

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
833年Heian-kyo (Kyoto)2月、淳和天皇が淳和院で皇太子正良親王に譲位する旨の詔を下した。續日本後紀 卷第一 (원문 4번째 단락)
833年Heian-kyo (Kyoto)3月、仁明天皇が大極殿で即位し、即位の詔を発した。續日本後紀 卷第一 (원문 19번째 단락)
833年Heian-kyo (Kyoto)4月、帰化した新羅人の金礼真らの男女十人を左京五条の戸籍に編入した。續日本後紀 卷第一 (원문 39번째 단락)
833年5月、京・畿内と七道の諸国がみな飢饉と疫病に見舞われ、詔で飢えた民を救済するよう命じた。續日本後紀 卷第一 (원문 58번째 단락)
833年Echigo Province閏7月、越後国が、昨年の疫病で農時を逃し、今年も飢饉と疫病が続いて死者が多いとして、糴糶(てきちょう)を申請し、許された。續日本後紀 卷第二 (원문 23번째 단락)
834年Chikuzen Province1月、大宰府が筑前国で慶雲が現れたと上申した。續日本後紀 卷第三 (원문 8번째 단락)
834年Dazaifu2月、新羅人が海を渡って大宰府の海岸に停泊したが、住民が嫌って矢を射かけ傷つけた。太政官は府司を責め、医薬と食糧を与えて帰国させた。同日、遣唐の造舶使・装束司を任命した。續日本後紀 卷第三 (원문 17번째 단락)
834年Heian-kyo (Kyoto)5月、藤原常嗣を遣唐大使とし、備中権守を兼ねさせ、三嶋嶋継を造舶次官に任じた。續日本後紀 卷第三 (원문 44번째 단락)
834年Sado Province10月、佐渡国で慶雲が現れたと上申し、昨年の筑前に続く二度目の瑞祥として詔が出された。續日本後紀 卷第三 (원문 91번째 단락)
834年Heian-kyo (Kyoto)12月、天長年間に編纂された令義解を施行する旨の詔が出された。續日本後紀 卷第三 (원문 108번째 단락)
835年Heian-kyo (Kyoto)2月、長岑高名を遣唐准判官、松川貞嗣を録事とし、訳語らを任じた。續日本後紀 卷第四 (원문 14번째 단락)
835年3月、大宰府が壱岐島に新羅の商人が絶えずうかがいに来るとして、島民330人に武器を持たせ、14か所の海岸の要所を守らせるよう求め、許された。續日本後紀 卷第四 (원문 29번째 단락)
835年3月、法師(空海)の死に際し、内舎人を弔問に遣わし、弔物を下賜した。後太上天皇(淳和)も弔問の書状を送った。續日本後紀 卷第四 (원문 33번째 단락)
835年Noto Province12月、能登国が旱魃と疫病が続き民が飢えていると上申し、救済が行われた。續日本後紀 卷第四 (원문 114번째 단락)
836年Heian-kyo (Kyoto)2月、遣唐使のため北野で天神地祇を祭り、政務を休んだ。續日本後紀 卷第五 (원문 12번째 단락)
836年Kobe (Owada-no-tomari)5月、夜通し大風と大雨があり、入唐使の船が摂津国の輪田泊に停泊していたため、看督近衛を遣わして安否を確かめた。續日本後紀 卷第五 (원문 57번째 단락)
836年閏5月、遣唐使の船が新羅に漂着する場合に備え、旧例どおり新羅の執事省に牒を送って前もって知らせ、紀三津を使者として派遣した。續日本後紀 卷第五 (원문 68번째 단락)
836年Hizen Province7月、副使小野篁の乗った船が漂流し、肥前国松浦郡の別島に漂着したという飛駅の報告を受け、勅符を出した。續日本後紀 卷第五 (원문 95번째 단락)
836年8月、大宰府が遣唐第三舶の水夫16人が編板に乗って漂着したと急報した。續日本後紀 卷第五 (원문 96번째 단락)
836年Tsushima8月、大宰府が遣新羅使の出発とともに、遣唐第三舶が対馬島上県郡の南浦に漂着し、船上には三人しかいなかったと急報した。續日本後紀 卷第五 (원문 105번째 단락)
836年Heian-kyo (Kyoto)9月、遣唐大使・副使らが大宰府から入京し、節刀を返上した。第一回の航海は失敗に終わった。續日本後紀 卷第五 (원문 111번째 단락)
836年Dazaifu10月、遣新羅使の紀三津が大宰府に帰った。續日本後紀 卷第五 (원문 120번째 단락)
836年12月、遣新羅使紀三津が復命した。新羅の執事省が疑って重ねて問いただしたため、使命を十分に伝えられず帰国したとして叱責された。續日本後紀 卷第五 (원문 134번째 단락)
837年2月、陸奥国が弩の部隊の必要から、鎮守府に準じて弩師を置くよう求め、許された。續日本後紀 卷第六 (원문 19번째 단락)
837年3月、彗星が東南に現れ、その尾が天の果てに届いた。續日本後紀 卷第六 (원문 27번째 단락)
837年Dazaifu3月、遣唐大使藤原常嗣が鴻臚館を出て大宰府へ向かった(二度目の出発)。續日本後紀 卷第六 (원문 37번째 단락)
837年4月、陸奥出羽按察使坂上浄野が鎮守将軍の牒に基づき、民の流言による騒動と逃亡、俘囚の動揺を報告し、援軍千人を求めた。續日本後紀 卷第六 (원문 47번째 단락)
837年Hizen Province7月、遣唐船三隻が松浦郡の旻楽崎から出航したが、第一船と第四船は逆風で壱岐島へ、第二船は値賀島へ漂着した。續日本後紀 卷第六 (원문 73번째 단락)
837年Dazaifu八月、大宰府が遣唐使の三隻が帰還した状況と上使らの上奏を報告。續日本後紀 卷第六 (원문 80번째 단락)
837年Heian-kyo (Kyoto)十二月、早朝から夜まで大風が吹き、京中の家屋が各所で破損した。續日本後紀 卷第六 (원문 107번째 단락)
838年二月、畿内の諸国で盗賊の群れが公然と放火・殺人を行い、国司に取り締まりを命じた。續日本後紀 卷第七 (원문 16번째 단락)
838年Dazaifu三月、遣唐使が毎年海を渡れず帰還するため、大宰府は各国で修行する僧九名などを得度させ、国分寺・神宮寺で使節の無事を祈らせた。續日本後紀 卷第七 (원문 27번째 단락)
838年Dazaifu七月、大宰府が遣唐使の第一・第四船が出航したと報告。續日本後紀 卷第七 (원문 54번째 단락)
838年Dazaifu七月、大宰府が遣唐第二船の出航を報告。續日本後紀 卷第七 (원문 62번째 단락)
838年九月、河内・三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐など十六か国から、灰のようなものが数日間空から降ったが被害はなかったと報告。續日本後紀 卷第七 (원문 80번째 단락)
838年十月、夜、彗星が東南に現れた。續日本後紀 卷第七 (원문 87번째 단락)
839年Dazaifu七月、風波に耐える新羅船を模して大宰府に船を造らせた。續日本後紀 卷第八 (원문 69번째 단락)
839年Dazaifu八月、遣唐録事の大神宗雄が大宰府に牒状を提出。入唐の三隻は本船を信用できず、楚州の新羅船九隻を借りて新羅南岸に沿って帰国したが、宗雄は第六番船に乗り、他は行方不明。續日本後紀 卷第八 (원문 76번째 단락)
839年九月、遣唐持節大使の藤原常嗣が節刀を返上。續日本後紀 卷第八 (원문 85번째 단락)
839年Hakata十月、遣唐録事山代氏益の乗る新羅船一隻が筑前国博多津に着いた。續日本後紀 卷第八 (원문 96번째 단락)
839年Dewa Province十月、出羽国田川郡西の海岸に十日余り雨と雷が続いた後、鏃や槍先の形の石が降ったと報告。陸奥・出羽・大宰府に異変への備えを命じた。續日本後紀 卷第八 (원문 98번째 단락)
840年Heian-kyo (Kyoto)五月、後太上天皇(淳和)が淳和院で崩御。近江・伊勢・美濃の三関を固く守らせた。續日本後紀 卷第九 (원문 45번째 단락)
840年Yamashiro Province六月、入唐請益僧常暁が、唐から請来した太元帥霊像と秘法を山城国宇治郡の法琳寺に安置することを求め、許された。續日本後紀 卷第九 (원문 59번째 단락)
840年Heian-kyo (Kyoto)六月、流罪となっていた小野篁が入京し、黄色の衣を着て拝礼して謝意を示した。續日本後紀 卷第九 (원문 68번째 단락)
840年Osumi Province六月、大宰府の急報。遣唐第二船の准判官良岑長松らが大隅国に帰着。續日本後紀 卷第九 (원문 69번째 단락)
840年Tsushima九月、対馬嶋司が風波の危険により、調・公文の輸送船がしばしば沈むとして、新羅船六隻のうち一隻の分与を求め、許された。續日本後紀 卷第九 (원문 94번째 단락)
840年九月、大宰府が肥後国阿蘇郡の健磐龍命の霊験ある池が干上がり始めたと報告。續日本後紀 卷第九 (원문 97번째 단락)
840年Izu Province九月、伊豆国賀茂郡の造作島(旧上津島)の神宮などが焼け崩れ、海と合わさって陸地と砂州二千町となったと報告(噴火の記録と読まれる)。續日本後紀 卷第九 (원문 98번째 단락)
840年九月、入唐からの帰還使節について、判官以下水夫に至るまで三百九十一人の叙位等級を定めた。續日本後紀 卷第九 (원문 99번째 단락)
841年Dazaifu二月、新羅人張宝高が昨年十二月末に鞍などを献上したのを、「他臣が勝手に貢物を献じた」ものとして礼に従い拒んで返したが、随行品は民間交易を許した。續日本後紀 卷第十 (원문 16번째 단락)
841年Heian-kyo (Kyoto)九月、洪水で民家が流され、京中の橋と山埼橋がすべて流失した。續日本後紀 卷第十 (원문 64번째 단락)
841年Nagato Province十二月、長門国が渤海客徒の賀福延らの百五人が来着したと報告。續日本後紀 卷第十 (원문 92번째 단락)
842年Chikuzen Province一月、新羅人の李少貞らが筑紫大津に着き、張宝高が死去し、副将の李昌珍の反乱は武珍州の列賀閻丈が討伐したと伝え、貨物の返還を求めた。續日本後紀 卷第十一 (원문 5번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)三月、渤海客徒の賀福延らが河陽を発って入京し、鴻臚館に安置された。續日本後紀 卷第十一 (원문 27번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)四月、渤海使の賀福延らが八省院で啓函と信物を献上した。續日本後紀 卷第十一 (원문 31번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)七月、嵯峨太上天皇が嵯峨院で崩御(享年五十七)。遺詔により薄葬とされた。續日本後紀 卷第十二 (원문 9번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)承和の変:七月、春宮坊帯刀舎人の伴健岑が橘逸勢と結んで国家転覆を企んだとして、皇太子(恒貞)を廃し、連座者を処分した。續日本後紀 卷第十二 (원문 19번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)八月、道康親王を皇太子に立てる詔が出された。續日本後紀 卷第十二 (원문 24번째 단락)
842年Heian-kyo (Kyoto)八月、参議正躬王が廃太子を淳和院へ送った。續日本後紀 卷第十二 (원문 26번째 단락)
842年Dazaifu八月、大宰大弐藤原衛が四か条を建議し、第一に新羅人の入京を全面禁止するよう求めたが、朝廷は漂着者には食糧を与えて送り返し、商人は交易後速やかに帰国させると答えた。續日本後紀 卷第十二 (원문 28번째 단락)
842年Izu Province九月、伊豆国に流されていた橘逸勢が前月十三日に死去し、その孫の珍令を赦して旧郷へ帰らせた。續日本後紀 卷第十二 (원문 33번째 단락)
843年Heijo-kyo (Nara)四月、楯列陵の守らが報告。前月十八日、山陵が二度雷のような音を立て、赤い気が飛び去った。續日本後紀 卷第十三 (원문 22번째 단락)
843年Tsushima八月、対馬嶋上県郡竹敷崎の防人が、正月中旬から新羅の方角で太鼓の音が聞こえ、夕方には灯火が見えると報告。勅により防備を命じ、筑紫人の防人配置を許した。續日本後紀 卷第十三 (원문 55번째 단락)
843年Nagato Province十二月、入唐留学僧円載の弟子の仁好・順昌と新羅人張公靖ら、計二十六人が長門国に到着。續日本後紀 卷第十三 (원문 77번째 단락)
843年Izu Province十二月、謀反の文室宮田麻呂は斬刑を一等減じ伊豆に流罪、その子らは佐渡・土佐、従者は越後・出雲などへ流された。續日本後紀 卷第十三 (원문 84번째 단락)
844年Dazaifu六月、大宰府が白烏一羽を献上。續日本後紀 卷第十四 (원문 39번째 단락)
844年Heian-kyo (Kyoto)七月、源常を左大臣、橘氏公を右大臣に任じ、同日、在唐の天台請益僧円仁と留学僧円載へ黄金二百小両を仁好に託して送らせた。續日本後紀 卷第十四 (원문 43번째 단락)
845年Yamashiro Province二月、河陽宮へ行幸して狩猟。兵部卿忠良親王と百済王らが御贄を献じた。續日本後紀 卷第十五 (원문 22번째 단락)
845年Musashi Province三月、武蔵国が国分寺の七重塔が承和二年に神火で焼かれたまま再建されていないと報告。壬生吉志福正が再建を請い、許された。續日本後紀 卷第十五 (원문 27번째 단락)
845年Yamashiro Province三月、大宰員外帥藤原吉野を山城国に流した(入京不許可)。續日本後紀 卷第十五 (원문 28번째 단락)
845年Heian-kyo (Kyoto)三月、仁寿殿の東廂に火が出たが、人々が消し止めた。續日本後紀 卷第十五 (원문 30번째 단락)
845年九月、大雨と大風で木が倒れ家が壊れた。この日、損田・不堪佃田の検使の規定を初めて定めた。續日本後紀 卷第十五 (원문 71번째 단락)
845年Dazaifu十二月、大宰府の急報。新羅人が康州の牒二通を持ち、本国の漂流民五十余人を連れて来着。續日本後紀 卷第十五 (원문 82번째 단락)
846年Osumi Province四月、大宰府の解(申請)によって大隅国桑原郡に主政一人を置いた。續日本後紀 卷第十六 (원문 25번째 단락)
846年Heijo-kyo (Nara)十二月、西大寺が焼失し、講堂の仏像がいっせいに灰となった。續日本後紀 卷第十六 (원문 52번째 단락)
847年閏三月、天から響きが聞こえ、長く余韻が続いた。 判定保留續日本後紀 卷第十七 (원문 23번째 단락)
847年六月、大風で家が吹き飛ばされ木が折れ、夜にはさらに激しくなった。續日本後紀 卷第十七 (원문 40번째 단락)
847年九月、入唐求法僧慧雲が孔雀一羽・オウム三羽・犬三頭を献上。續日本後紀 卷第十七 (원문 63번째 단락)
847年十月、入唐請益の天台僧円仁・弟子二名・唐人二名が唐から到着。續日本後紀 卷第十七 (원문 66번째 단락)
848年Kazusa二月、上総国が俘囚丸子廻毛らの反乱を急報。相模・上総・下総など五国に共同討伐を命じる勅符が出された。續日本後紀 卷第十八 (원문 20번째 단락)
848年Dazaifu三月、円仁が弟子の性海・惟正らと、去年十月に新羅商船で鎮西府へ着いたことに対し、帰朝を慰める中使を遣わし、御被を下賜した。續日本後紀 卷第十八 (원문 37번째 단락)
848年Dazaifu五月、大宰府が白い亀を献上。續日本後紀 卷第十八 (원문 58번째 단락)
848年Yamashiro Province大洪水で人と家畜が流され、河陽橋は六間を残して切れ、宇治橋が損壊、茨田堤も各所で決壊した。續日本後紀 卷第十八 (원문 88번째 단락)
848年Noto Province十二月、能登国の急報。渤海入覲使王文矩ら百人が来着。續日本後紀 卷第十八 (원문 119번째 단락)
848年Tosa Province十二月、大判事讃岐永直が和気斉事件に連座し、土佐国へ流された。續日本後紀 卷第十八 (원문 119번째 단락)
849年Tsushima二月、対馬嶋司が新羅に近く防備が必要だとして、史生一人を減らし弩師一人を置くことを求め、許された。續日本後紀 卷第十九 (원문 18번째 단락)
849年Heian-kyo (Kyoto)四月、領客使が渤海使王文矩らを入京させ鴻臚館に安置し、宣命で十二年一回の朝貢期限を破ったことを赦した。續日本後紀 卷第十九 (원문 36번째 단락)
849年Dazaifu八月、大宰府の急報。大唐の商人五十三人が多くの貨物を積んで船一隻で来着。續日本後紀 卷第十九 (원문 60번째 단락)
849年Bungo Province十二月、大宰府が豊後権守登美真人直名の謀反の状況を急報。續日本後紀 卷第十九 (원문 86번째 단락)
850年Heian-kyo (Kyoto)一月、盗賊の群れが放火・略奪を重ね、左右京職と畿内の国司に捜索を命じる勅が出された。續日本後紀 卷第二十 (원문 13번째 단락)
850年Heian-kyo (Kyoto)二月、病が重くなり、皇太子と大臣を寝台の下に呼んで遺制を受けさせ、鷹と犬を放した。續日本後紀 卷第二十 (원문 19번째 단락)
850年三月、固関使を近江・美濃・伊勢などへ派遣。續日本後紀 卷第二十 (원문 41번째 단락)
850年Heian-kyo (Kyoto)三月、仁明天皇が清涼殿で崩御。璽と宝剣などは皇太子の直曹が守り奉った。續日本後紀 卷第二十 (원문 44번째 단락)
850年Yamashiro Province三月、山城国紀伊郡深草山陵に天皇を葬った。遺制により薄葬。續日本後紀 卷第二十 (원문 47번째 단락)

原文のライセンスと出典

원문 전사: 위키문고(zh.wikisource.org) 기여자들, CC BY-SA 4.0 (원저는 퍼블릭 도메인)

PD-old(본문)·위키 CC BY-SA 4.0

https://zh.wikisource.org/wiki/續日本後紀

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