『ゾナラス歴史概要』(正史 の史料)。扱う年は312年 〜 1118年、出来事187件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 312年 〜 1118年 |
| 出来事の数 | 出来事187件・地図に置いた99件 |
| 著者 | Ioannes Zonaras |
| 原題 | Ioannis Zonarae Epitomae historiarum |
地域の内訳: 南ヨーロッパ 103 · 西アジア 83 · エジプト・北アフリカ 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 312年 | Pons Milvius (Roma 북쪽) | コンスタンティヌスがマクセンティウスを破る — マクセンティウスはミルウィウス橋でテヴェレ川に溺死 | L938–941 |
| 316年 | コンスタンティヌスがリキニウスと何度も戦って勝利 — 和解の後、再び戦争 | L1076–1079 | |
| 324年 | Byzantium | コンスタンティヌスが再び戦争 — ビザンティオンとクリュソポリスを占領、リキニウスはニコメディアへ逃走 | L1080–1082 |
| 325年 | Nicaea (Bithynia) | 皇帝がニカイアに司教を集める — 318人の教父がアリウス論争を扱う | L2021–2027 |
| 330年 | Byzantium (새 도시 Constantinopolis) | コンスタンティヌスがビザンティオンの地に都市を建て、自らの名にちなみコンスタンティノープルと命名 | L1583–1587, L1645–1648 |
| 337年 | コンスタンティヌス大帝が病で死去 — ニコメディアに滞在中に倒れる | L2288–2303 | |
| 337年 | 三人の息子の間で帝国を分割 — コンスタンティヌス2世・コンスタンス・コンスタンティウス、東方はコンスタンティウスが担当 | L2498–2504 | |
| 340年 | 待ち伏せでの戦闘 — コンスタンティヌス側の大半が戦死し、本人も落馬 | L2563–2573 | |
| 350年 | マグネンティウスがコンスタンスを殺害 | L2734 | |
| 350年 | サポル(サーサーン朝の王)がニシビスを包囲 | L3001–3053 | |
| 350年 | ウェトラニオがマグネンティウスと手を結ぶ — コンスタンティウスと対峙 | L3197–3206 | |
| 351年 | サポルが東方に侵攻し、コンスタンティウスは従兄弟のガルスをカエサルとして東方に派遣 | L3318–3322 | |
| 351年 | コンスタンティウスとマグネンティウスが陣を敷いて対峙 — 一日中どちらも攻撃せず | L3387–3392 | |
| 354年 | Antiochia | コンスタンティウスが側近をアンティオキアに送り、ガルスを殺そうとする | L3597 |
| 361年 | Constantinopolis | コンスタンティウスが死去すると、ユリアヌスが遺体を迎え、葬列に従って都に入り、軍と元老院の歓迎を受けて宮殿に入る。 | XIII 11,23–19,5 · part_02 줄 1042 |
| 363年 | Nisibis | ヨウィアヌスがペルシアと講和 — ニシビスとシンガラを明け渡し住民を移住させる。住民は非難を浴びた。 | XIII 13,34–14,14 · part_02 줄 1853 |
| 364年 | サルスティウスらが不在のヴァレンティニアヌスを皇帝に指名。 | XIII 14,14–15,1 · part_02 줄 1974 | |
| 375年 | ヴァレンティニアヌス(1世)が死去し、長男のグラティアヌスが西方を継承。本文の年齢「84」は原文どおりにはせず(史実は54、OCRの疑い)。 | XIII 15,17–106,1(OCR) · part_02 줄 2184 | |
| 378年 | Hadrianopolis | ゴート族との戦闘の後、ウァレンスが燃える建物の中で死去(焼死)。 | XIII 16,17–32 · part_02 줄 2473 |
| 379年 | ウァレンスの敗北後、スキュタイ(ゴート)がトラキアなどを荒廃させる — スペインからテオドシウスを呼び寄せて撃破。 | XIII 16,44–17,19 · part_02 줄 2763 | |
| 383年 | グラティアヌスがガリアへ向かう途中、アンドラガティウス将軍の策略で殺害される(父の死後6年の在位)。 | XIII 17,19–18,9 · part_02 줄 2846 | |
| 387年 | Antiochia | アンティオキアの住民が新税に抗議し皇帝の像を引き倒す — 皇帝は都市の特権を剥奪しようとし、フラウィアヌスが仲裁。 | XIII 18,23–19,1 · part_02 줄 3167 |
| 390年 | Thessalonica | テッサロニケの住民の蜂起の後、テオドシウスは群衆を競技場に閉じ込め、兵士に射させ、1.5万人を殺害。 | XIII 18,9–23 · part_02 줄 2970 |
| 394年 | 簒奪者エウゲニウスを除き、ローマ帝国全体がテオドシウスの下に統一される。 | XIII 19,19–96(OCR) · part_02 줄 3382 | |
| 404年 | Constantinopolis | エウドキアがクリュソストモスを憎み、アレクサンドリアのテオフィロスと結託して、アルカディウスに彼を流刑にするよう説得。 | XIII 19,96–90,15(OCR) · part_02 줄 3589 |
| 408年 | エウドキア死後まもなくアルカディウスが死去し、7歳のテオドシウス2世が継承。 | XIII 90,15–91,1 · part_02 줄 3742 | |
| 408年 | Ravenna | ホノリウスがスティリコ失墜を企む陰謀を察知し、ラヴェンナへ向かう。 | XIII 21,1–16 · part_02 줄 3819 |
| 410年 | Roma | アラリックがローマを包囲して占領(この後にガチョウの逸話が続くが省く)。 | XIII 21,1–16 · part_02 줄 3879 |
| 421年 | ホノリウスには子がなく、コンスタンティウスを共同皇帝に立てる — コンスタンティウスはまもなく殺害され、プラキディアとの子ヴァレンティニアヌス3世とホノリアが残る。 | XIII 21,1–16 · part_02 줄 3872 | |
| 457年 | Constantinople | マルキアヌス死去 — アスパルの教唆による毒殺とする説もある。 | part_03.txt 줄 1541 |
| 457年 | Constantinople | レオの即位直後、アスパルが息子の一人をカエサルに立てるよう迫る。 | part_03.txt 줄 1608 |
| 468年 | Africa | バシリスコスが指揮する大艦隊がアフリカへ出陣してゲイセリックに立ち向かい、大敗して艦隊の大半を失う。 | part_03.txt 줄 1945 |
| 471年 | Constantinople | アスパルとアルダブリオスが皇帝によって排除される(一部の伝承)。 | part_03.txt 줄 1962 |
| 474年 | Constantinople | レオ1世の在位18年の後、幼い孫のレオ2世が継承。 | part_03.txt 줄 2035 |
| 475年 | Constantinople | バシリスコスがカンプスで王に推戴される(ゼノン追放の試み)。 | part_03.txt 줄 2102 |
| 476年 | Nicaea | ハルマティオスがニカイアでゼノンと対峙したが、金と約束で買収され、ゼノン側に寝返る。 | part_03.txt 줄 2222 |
| 491年 | Constantinople | ゼノン死去、アリアドネがアナスタシウスを皇帝に擁立(元老院・軍の同意)。 | part_03.txt 줄 2427 |
| 491年 〜 493年 | ゼノンの兄弟ロンギヌスが簒奪を企てたが、アナスタシウスに敗れてアレクサンドリアへ追放される。 | part_03.txt 줄 2664 | |
| 491年 〜 518年 | Illyricum | ブルガル人が再びイリュリクムに侵入し、ローマの将軍たちが軍団で迎え撃つ。 | part_03.txt 줄 2908 |
| 512年 | Selymbria | アナスタシウスがマルマラ海からセリンブリアまでの長い城壁を築く(北方の侵入に備える)。 | part_03.txt 줄 3168 |
| 513年 〜 514年 | Constantinople | トラキア人ヴィタリアヌスが簒奪を企て、都市近郊の農地を荒廃させ、艦隊で都市を攻撃。 | part_03.txt 줄 2728 |
| 518年 | Constantinople | アナスタシウスは死の直前に陰謀を告発され、ユスティヌスとユスティニアヌスらが逮捕される。 | part_03.txt 줄 3047 |
| 518年 | Constantinople | アナスタシウス死後、後継が決まる — アマンティオスがユスティヌスに金を渡し、兵士に配らせる。 | part_03.txt 줄 3180 |
| 526年 | Antioch | 大地震がビザンティオン各地の建物を倒壊させ、アンティオキアが大きく破壊される。 | part_03.txt 줄 3114 |
| 532年 | Constantinople | 大火の後、ユスティニアヌスがより大きく華麗な聖堂(ソフィア)の再建に着手。 | part_04 줄 120~122 |
| 533年 〜 534年 | Carthage | ベリサリウスがゲリメルを戦いで破り、カルタゴを奪って、リビア全体を掌握。 | part_04 줄 568~570 |
| 535年 | Rome | ヴァンダル戦争が終わると、ベリサリウスをローマに送り、イタリアのゴート族を征服させる。 | part_04 줄 764~765 |
| 538年 〜 539年 | ローマ軍がメディオラヌム(ミラノ)を占領(ゴートが再び包囲)。 | part_04 줄 1017~1018 | |
| 540年 | Ravenna | ベリサリウスがラヴェンナに入城 — イタリアがローマ側へ移る。 | part_04 줄 1016~1017 |
| 558年 〜 561年 | アヴァールのカガン、チャガヌスが浴場を建てる職人を求めると、皇帝はドナウ川に橋を架けさせる。 | part_04 줄 1814~1816 | |
| 582年 | マウリキウスがアヴァルのカガンと和約を結ぶ(カガンがイリュリクムを攻め、長城を壊すと脅したのち) | part_04 줄 1959~1961 | |
| 591年 | ナルセスがバラムスを破り、ホスロー2世がペルシアの王位を取り戻すのを助ける | part_04 줄 2238~2240 | |
| 602年 | Chalcedon | カルケドンで、フォカスの側がマウリキウスの息子たちを父の目の前で殺す | part_04 줄 2901~2902 |
| 603年 〜 604年 | ナルセスがフォカスから離反し、エデッサを占領してペルシアの援軍を得る(ゲルマヌス敗北) | part_04 줄 3036~3038 | |
| 608年 | Antioch | アンティオキアでユダヤ人がキリスト教徒に蜂起し、多くの人が殺される | part_04 줄 3121 |
| 609年 〜 610年 | Chalcedon | ペルシア軍がカルケドンまで進撃し、ヨーロッパ側ではアヴァルがトラキアを席巻する | part_04 줄 3112~3113 |
| 610年 | Constantinople | ヘラクレイオスがフォカスを捕らえ、衣を剥いで自分の前に引き出す——フォカスの没落 | part_04 줄 3327~3329 |
| 614年 | Jerusalem | ペルシア軍がエルサレムの総大司教と聖十字架の木をペルシアへ持ち去る | part05:17-21 |
| 624年 〜 627年 | ヘラクレイオスが、ホスロー2世が送った別のサトラップの3万の軍を破り、兵をほぼ皆殺しにする | part05:94-96 | |
| 628年 | ホスロー2世の死後、シロエスがヘラクレイオスに使節を送って和を結び、捕虜・聖十字架・総大司教ザカリアスを返還する | part05:241-245 | |
| 629年 | Constantinople | ヘラクレイオスはエルサレム回復ののち首都に戻り、元老院と市民の歓呼を受ける | part05:299-301 |
| 655年 | コンスタンス2世がムアーウィヤのサラセン艦隊に大敗し、変装して少数とともにビュザンティオンへ辛うじて逃れる | part05:799-802 | |
| 674年 〜 678年 | Constantinople | サラセンの艦隊がコンスタンティノポリスを包囲し、春から秋まで海戦が続く。包囲を解いてキュジコスを占領して冬を越し、翌春ふたたび都市を攻める | part05:1104-1108 |
| 678年 | 使節がアラブと30年期限の和約を結ぶ。アラブは毎年ローマに金3,000(terna milia)を納めることになった | part05:1270-1272 | |
| 680年 〜 681年 | 第6回公会議——アレクサンドリアとエルサレムはサラセンに占領され、総大司教たちが公会議に欠席した | part05:1345-1346 | |
| 685年 | コンスタンティノス4世が死に、息子ユスティニアノス2世が16歳で即位する | part05:1500-1503 | |
| 686年 〜 688年 | ユスティニアノス2世は将軍レオンティオスを派遣し、イベリア、アルバニアなどの地域を征服させる | part05:1576-1577 | |
| 692年 | ユスティニアノス2世はアラブとの和約を破り、戦争を仕掛ける。原因は、アラブが貢納貨幣にローマの紋章の代わりにアラブの文様を刻んだことだった | part05:1624-1628 | |
| 693年 | ユスティニアノス2世は野心を疑った将軍レオンティオスを、2年間投獄する | part05:1760-1761 | |
| 697年 | アフリカを取り戻すためにレオンティオスが送った軍が、そこのアラブ人を破ってアフリカから追い払い、その地で冬を越す | part05:1827-1830 | |
| 698年 | アプシマルス(ティベリオス3世)がレオンティオスの鼻を切り落とし、投獄する。レオンティオスの3年の治世が終わる | part05:1948-1949 | |
| 717年 | ローマ軍がギリシア火でアラブの軍船を撃退し、アラブの大艦隊の多くを破壊する | part05:3262-3265 | |
| 781年 | Constantinople | イレーネ女帝が、息子コンスタンティノス6世の妻にするため、カール王の娘を求めて使節を送る | 1908–1910 |
| 789年 〜 803年 | カルダモスが使節を送り、ローマ人に自分への貢納を求める | 2579–2581 | |
| 790年 〜 792年 | コンスタンティノス6世がブルガリアの君主カルダモスと戦う。軽い接触戦ののち、両軍は恐怖に駆られて退く | 2386–2388 | |
| 790年 | Constantinople | ニケフォロス・カエサル(コンスタンティノスの叔父)を帝位に就けようとする陰謀が露見し、彼の両眼が抉り取られる | 2442–2444 |
| 795年 | Rome | ハドリアヌス教皇の死後、レオが教皇座に就く | 2725 |
| 797年 | Constantinople | 5年後、イレーネは再び帝位を取り戻す | 2723–2724 |
| 799年 | Rome | 教皇レオはカールのもとへ逃れ、カールの助けで教皇座に復帰して、敵に報復する | 2773–2775 |
| 800年 | Rome | この時から、フランク人がローマを支配する | 2775 |
| 800年 〜 802年 | Rome | 教皇レオはカールをローマ王と呼ぶ。続いてカールはイレーネに使節を送り、婚姻を求める | 2861–2862 |
| 802年 | Constantinople | 帝位をめぐる陰謀。アイティオス側がレオを帝位に就けようとする(主語は原文で判読が不確か) | 2912–2914 |
| 802年 | Constantinople | 夜明けにイレーネは宮殿から東の宮殿へ移される。イレーネの廃位 | 2985–2987 |
| 806年 | Constantinople | 元秘書官のニケフォロスが復活祭の共同投票で総大司教となるが、プラトンとストゥディオス修道院長テオドロスが反対する(皇帝ニケフォロス1世とは別人) | 3182–3184 |
| 811年 | 皇帝ニケフォロス1世がブルガリア遠征中に殺される。誰の手によるのかも本文では不明である | 3503–3505 | |
| 811年 | Constantinople | ミカエル・クロパラテスが夜明けに皇帝として宣言される。スタウラキオスは髪を剃り、修道士の衣をまとう | 3651–3653 |
| 811年 〜 813年 | アラブ人が東方を荒らすと、東方将軍レオ・アルメニオスが戦い、約2千人が倒れる(倒れた側は原文の該当箇所が短く確認できなかった) | 3795–3796 | |
| 813年 | Thracia | ローマ軍がブルガリア軍に敗れ、追われる(小見出し) | 줄 33 소제목 |
| 813年 | Constantinopolis | アルメニア出身のレオ5世が皇帝となる(小見出し) | 줄 174 소제목 |
| 815年 | Constantinopolis | レオ5世がイコンへの迫害を始める(小見出し) | 줄 456 소제목 |
| 815年 | Constantinopolis | ニケフォロスが追放され、テオドトス(カッシテラス)が後を継ぐ(小見出し) | 줄 597 소제목 |
| 820年 | Constantinopolis | イコン攻撃のさなか、ミカエル(バルブス)が断罪される(小見出し) | 줄 878 소제목 |
| 820年 | Constantinopolis | ミカエルがレオ5世を殺すことを決める(小見出し) | 줄 1137 소제목 |
| 820年 | Constantinopolis | レオ5世が殺された後、ミカエルが後を継ぐ(小見出し) | 줄 1289 소제목 |
| 821年 | ミカエルの見解とトマスの反乱(小見出し) | 줄 1568 소제목 | |
| 821年 〜 823年 | Constantinopolis | 数日後、トマスが陸と海から、器械と梯子で再び都市を攻める | 줄 1893~1894 |
| 823年 | トマスの反乱が鎮圧される(本文2150〜2151) | 줄 2150~2151 | |
| 827年 | Creta | アラブ人がクレタ島を占領する(小見出し) | 줄 2249 소제목 |
| 827年 | Sicilia | シチリアがアラブ人に引き渡される(小見出し) | 줄 2384 소제목 |
| 829年 | Constantinopolis | ミカエル2世が在位8年9か月で死に、テオフィロスが即位する(本文2507、小見出し2525) | 줄 2507 (소제목 2525) |
| 829年 〜 842年 | Constantinopolis | テオフィロスは敬虔な人々に対して非常に過酷であった(本文 3108~3109) | 줄 3108~3109 |
| 867年 | Constantinople | バシレイオス派の陰謀者たちが、酔ったミカエル3世を襲撃した | 3.216–3.219 |
| 867年 | Constantinople | バシレイオス1世は国内の基盤を固め、すべての人から皇帝として歓呼された | 3.230 |
| 867年 | Constantinople | バシレイオス1世が大聖堂に入ろうとしたところ、総主教フォティオスに阻まれたため、公会議を開きフォティオスを教会から追放した | 3.302–3.305 |
| 867年 〜 868年 | Constantinople | 即位直後、バシレイオス1世に逆らった貴族数名が捕らえられ、罰を受けた | 3.365–3.366 |
| 867年 〜 886年 | Crete | バシレイオス1世のクレタのアラブ人に対する遠征は失敗し、彼は捕らえられかけたが救出された | 3.373–3.376 |
| 867年 〜 886年 | Crete | バシレイオス1世が派遣したクリストフォロスが戦いでクレタのアラブ人を破り、その勢いをくじいた | 3.377–3.379 |
| 872年 | Tephrice | バシレイオス1世は、クリュソケイルの配下でマニ教徒の拠点であるテフリケの包囲は困難と判断して撤退し、ユーフラテス川を渡って周辺を略奪した | 3.423–3.428 |
| 912年 | レオ皇帝が死去。原文は、予言された十年後と同じ日に死んだと記す | part_09 줄 1661–1662 | |
| 912年 | サモナスはアラブ(アガレノイ)側へ逃げようとしたが、ハリス川で捕らえられ、首都へ連行された | part_09 줄 1663–1665 | |
| 913年 | Constantinople | アレクサンドロスは1年1か月の治世の後に死去し、7歳のコンスタンティノス7世が単独の皇帝となった | part_09 줄 2335–2338 |
| 913年 | Constantinople | アンドロニコス・ドゥカスの息子コンスタンティノス・ドゥカスは、アレクサンドロスの死を聞いて帝位を奪った(彼は首都の外にいた) | part_09 줄 2339–2340 |
| 913年 | Constantinople | 首都内での市街戦: 摂政派が兵を集めて応戦し、ドゥカス派のグレゴラスが戦死 | part_09 줄 2405–2406 |
| 913年 | Constantinople | コンスタンティノス・ドゥカスは首を切られ、その首が皇帝コンスタンティノス7世に献じられた。レオの予言どおり、ドゥカスは皇帝にはなれなかった | part_09 줄 2457–2458 |
| 919年 | Constantinople | ロマノス・レカペノスは誓いを破って宮廷に入り、コンスタンティノス7世の信任を得て、大ヘタイリアルケスに任じられた | part_09 줄 2997–2998 |
| 919年 | Constantinople | ロマノスの娘ヘレナがコンスタンティノス7世と結婚した(復活祭の三日目、総主教ニコラオスが祝福を与えた) | part_09 줄 3004–3005 |
| 920年 | Constantinople | ロマノスは9月24日にカエサル(副帝)の称号を受けた(12月の部分は断片の端で切れている) | part_09 줄 3073–3074 |
| 921年 〜 931年 | Constantinople | ロマノスは長男クリストフォロスに加え、ほかの息子二人と孫にも帝冠を授け、末子テオフュラクトスは聖職者にした | part_09 줄 3261–3262 |
| 924年 | Constantinople | ブルガリア王シメオンが首都を攻撃した。ロマノスは郊外を守るため兵を送り出した。ブルガリア軍の反撃で貴族数名が戦死し、兵の一部は船から落ちて溺死した | part_09 줄 3130–3131 |
| 927年 | 和平の後、ロマノスの孫娘(クリストフォロスの娘)が嫁がされた。主語が前の行で切れているため、相手は原文に記されていない | part_09 줄 3402–3403 | |
| 927年 | ブルガリア側はクリストフォロスをコンスタンティノス7世より先に呼ぶよう要求した。ロマノスは承諾し、残りの息子たちもコンスタンティノス7世の前に立たせた | part_09 줄 3404–3405 | |
| 928年 | Constantinople | 総主教ニコラオスの死後、アマセイア司教ステファノスがコンスタンティノポリス総主教に指名された | part_09 줄 3268–3270 |
| 944年 | Constantinople | 原文は、ロマノスがコンスタンティノス7世との約束を破ったことを振り返る。廃位の場面は文が途中で切れ、次の断片に続く | part_09 줄 3717–3718 |
| 960年 〜 961年 | ニケフォロス・フォカスがクレタ遠征軍を率い、7か月でカンダクス(Chandax)を攻め、サラセン人の指揮官Kourouphesを捕らえた | part_10 줄 873~874 | |
| 961年 〜 963年 | フォカスは東方(シリア)へ向かい、戦いに勝利し、ベロイアの城壁外を略奪して、多くの財貨と捕虜を得た | part_10 줄 941~942 | |
| 963年 | ロマノス2世は3年余り在位した後死去した(本文は毒殺説も伝える) | part_10 줄 1014 | |
| 963年 | Constantinople | ロマノスの死後、皇后テオファノの召しに応じて、フォカスは首都へ戻った | part_10 줄 1077 |
| 964年 〜 965年 | ニケフォロス2世は大軍でキリキアに侵攻し、テオファノをドリジオン城に置いた | part_10 줄 1556~1557 | |
| 965年 | ニケフォロス2世は、キリキアのアナザルブス、Losos、アダナを奪取した | part_10 줄 1621 | |
| 967年 〜 968年 | ロシア人の軍勢はブルガリアの平原を広く荒らし、多くの戦利品を持ち去った | part_10 줄 2402~2404 | |
| 968年 〜 969年 | Antioch | ブルツェスが城門を開き、アンティオキアはローマ側に渡った。皇帝はブルツェスの功績に怒り、権限を奪った | part_10 줄 2190~2191 |
| 969年 | Constantinople | ニケフォロス2世は眠っている間に刺された。ツィミスケスはその場に座っていて、瀕死の皇帝に近づいた | part_10 줄 2738~2742 |
| 970年 | Constantinople | 総主教ポリエウクトスは、ツィミスケスの即位35日後に死去し、修道士バシリオス(Seamandrenus)が後を継いだ | part_10 줄 2973~2974 |
| 971年 | バルダス・フォカスは流刑地アマセイアを捨て、カイサレイアを占領して反乱皇帝として振る舞った。父レオは息子とともに両眼をえぐり出される判決を受けた | part_10 줄 3165~3166 | |
| 971年 | 皇帝ツィミスケスは宦官バシリオスの仲介でテオドラを妻に迎え、大軍と艦隊を率いてロシア遠征に出発した(本文の「王(rex)」はツィミスケスと解する) | part_10 줄 3305~3306 | |
| 971年 | ペルストラヴァが陥落し、ブルガリア王ボリスが捕らえられたが、皇帝は彼を釈放した | part_10 줄 3422~3423 | |
| 971年 | スフェンドスラブスとロシア軍は一日中戦ったが、日没時に逃走し、多くが殺され捕らえられた | part_10 줄 3482~3483 | |
| 976年 | Constantinople | ヨアンネス・ツィミスケスは毒殺により死去した | 행 359 |
| 976年 | Constantinople | ツィミスケスは帝位を二人の息子バシリウスとコンスタンティノスに譲った | 행 410~411 |
| 976年 〜 977年 | Serres | サムエルの兄モーセスは、セレスの包囲中に石に当たって即死した | 행 986~987 |
| 978年 | Nicaea | バルダス・スクレロスはニカイアを占領し、レオ・フォカスを捕らえた | 행 676 (표제) |
| 979年 | 불명 | スクレロスとフォカスの一騎打ち。棍棒で打ったという説と、剣で刺したという説がある | 행 849~850 |
| 987年 | 불명 | フォカスはディアデマ(帝冠)を戴き、王と呼ばれた(反乱) | 행 1193 |
| 989年 | Chrysopolis | フォカスがクリュソポリスに陣を張っていたとき、ロシア軍が突然襲撃した | 행 1362 |
| 1000年 | Iberia | イベリアのダヴィド・クロパラテスの死後、バシリウスがその領地を相続した | 행 1701~1702 |
| 1002年 〜 1003年 | Vidin | バシリウスがヴィディンを攻めている間に、サムエルがアドリアノポリスを奇襲した | 행 1903~1904 |
| 1009年 | Hierosolyma | エジプトの支配者がローマとの条約を破り、エルサレムに関わる事態を引き起こした。下の行は欠けており、要確認 | 행 2045~2046 |
| 1014年 | 불명 | バシリウスは、サムエル軍の捕虜約1万5千人の目をえぐり出した | 행 2166~2167 |
| 1018年 | Bulgaria | バシリウスはブルガリア全土を平定した(要塞の建設、貴族の任命) | 행 2297~2298 |
| 1021年 | Iberia (Abasgia) | アバスギアの支配者ゲオルギオスが敗れ、イベリア奥地へ逃げた。ローマ軍の勝利 | 행 2439~2440 |
| 1025年 | Constantinople | バシリオス2世が死去(本文の表記LXXITはOCRのまま — 数値は未検証) | 행 2497~2498 |
| 1025年 | バシリオスが死に、弟のコンスタンティノスが単独の皇帝となる | 행 2502 | |
| 1034年 | Constantinople | ロマノス3世が死去しミカエル4世が即位 — 総大主教アレクシオスが宮廷に召される | L11–L17 |
| 1035年 〜 1041年 | Edessa | アラブ人がエデッサを包囲し、もう少しで奪うところだった — アンティオキア公コンスタンティノス(皇帝の弟)が救援 | L306–L309 |
| 1040年 〜 1041年 | Constantinople | ヨハネスが病気の皇帝を説得し、甥のミカエルをカエサルに立てる — ゾエの継承を阻むため | L789–L794 |
| 1042年 | Constantinople | 民衆がゾエを劇場に担ぎ出し、続いてテオドラの側に付いて大聖堂へ押し寄せる | L1739–L1747 |
| 1042年 | Constantinople | ゾエの選択はコンスタンティノス9世モノマコスに傾く — 彼はロマノスの姪を最初の妻に迎えたが、その妻を失った貴族 | L2026–L2033 |
| 1043年 | マニアケスは軍を船で、イタリアの対岸の大陸へ渡らせ、帝位を狙う | L2535–L2539 | |
| 1043年 | マニアケスは戦列が散ったところで致命傷を負い、落馬して死ぬ | L2596–L2600 | |
| 1043年 | Constantinople | 総大主教アレクシオスが死去し、ミカエル・ケルラリオスが後を継ぐ | L2661–L2662 |
| 1043年 | Propontis | 蛮族がモノクシラ(丸木舟)の大艦隊でプロポンティスに入り、ローマ人に宣戦する | L3132–L3140 |
| 1047年 | Constantinople | レオ・トルニキオスが突如コンスタンティノポリスに侵攻し、城壁前まで至る — 兵と市民が多く従う | L2847–L2855 |
| 1047年 | トルニキオスは包囲を解き、トラキアの要塞へ向かおうとするが押し戻される — 皇帝の命で東方軍団が来て反乱軍を追い払う | L3011–L3019 | |
| 1055年 | Baghdad | トゥグリル(タングロリペクス)がバビロニア人(バグダード)を服従させ、甥のクトゥルムをアラブ人のもとへ送る | L3414–L3419 |
| 1057年 | Nicaea | イサキオス・コムネノスが税を集め大軍を率いてニカイアへ進軍 — 都市の掌握が目標 | part13 L1357–1358 |
| 1057年 | 戦闘 — コムネノス側が勝利、ロマノス・セレロスが捕虜となる | part13 L1411–1419 | |
| 1057年 | Constantinople | ミカエル6世は総大主教の助言に従い、帝位の標章を外して退位 — コムネノスは宮廷の占拠を命じる | part13 L1756–1759 |
| 1058年 | コムネノスの遠征 — ウグリ人は和を請い平和が成立、ペチェネグの一派(セルテス)は戦いを続ける | part13 L2184–2186 | |
| 1059年 | Constantinople | イサキオスは帝位をコンスタンティノス10世ドゥカスに譲り、ストゥディオス修道院に入る | part13 L2337–2350 |
| 1064年 | ウズ族がダニューブ(イストロス)を渡り軍団を破る — ニケフォロス・ボタネイアテスとバシリオス・アポカパスが捕虜となる | part13 L2682–2683 | |
| 1067年 | トルコ人がメソポタミア、メリテネ、キリキア、カッパドキアを略奪 — 皇后は新たな夫を選ぶことを決める | part13 L3014–3017 | |
| 1067年 | Iconium | イサキオス・コムネノスはイコニオン遠征でトルコに敗れ捕虜となる | XVIII 16,15–29 · L1064 |
| 1068年 | Constantinople | エウドキアがロマノス・ディオゲネスと結婚し、ディオゲネスが皇帝として宣言される | part13 L3296–3301 |
| 1068年 | ロマノス・ディオゲネスの遠征 — カエサレアに至りトルコの大軍を破り、ユーフラテスまで進軍 | part13 L3648–3652 | |
| 1069年 | コムネノスが自分を捕らえたトルコ人とともに到着する。そのトルコ人はスルタンの処罰を恐れて皇帝に寝返り、すぐに総督に任じられた | XVIII 13,1–14 · L128 | |
| 1071年 | カエサルの息子アンドロニコスが寝返り、ローマ軍は敗走;王は包囲され、死の寸前まで戦う | XVIII 14,19–15,1 · L516 | |
| 1071年 | Propontis | カエサルのヨアンネスがミカエルを皇帝に推戴し、エウドキア皇后は海峡近くの修道院に流される | XVIII 15,16–16,4 · L689 |
| 1074年 〜 1075年 | Istros | 奴隷出身のネストルがダニューブの指揮権を得て反乱、パツィナク人のタトスと組み、首都の前に陣を敷く | XVIII 17,6–19 · L1350 |
| 1078年 | Calabrya | アレクシオス・コムネノスがブリエンニオスを討つ — カラブリア付近で破り捕虜とする | XVIII 19,6–19 · L1846 |
| 1079年 | ロゴテテスは島への流刑中に拷問で死に、コムネノス家のイサキオスとアレクシオスが王の寵愛を受ける | XVIII 20,7–18 · L2172 | |
| 1081年 | Constantinopolis | ボタネイアテスは宮殿を去りペリブレプトス修道院に入って修道服をまとう。コムネノス家は抵抗なく入城する | XVIII 21,7–20 · L2426 |
| 1081年 〜 1082年 | フランク陣営への迂回奇襲と天幕の略奪。ロベルトゥス側への攻撃の後、片方の騎兵が逃走(主体は未確定) | XVIII 21–22 (머리말 판독 불확실) · L2804 | |
| 1092年 〜 1094年 | ディオゲネスの息子ニケフォロス・ポルフィロゲニトスを中心とした陰謀が露見、首謀者2人が追放され財産没収、マニ教徒の軍団は解散 | XVIII 23,11–24 · L3171 | |
| 1094年 | アネマスによるミカエルへの陰謀が露見、加担者は頭と髭を剃られた後に追放、アネマスは失明刑を免れる | XVIII 24,8–18 · L3445 | |
| 1102年 〜 1103年 | Constantinopolis | 母アンナの死後、セバストクラトルのイサキオスは1年以内に修道服をまとって死去 | XVIII 24,18–95,3 · L3509 |
| 1118年 | Constantinople | 皇帝アレクシオスは重病のまま宮殿で最期を迎える(AM 6626)。皇帝の息子と現皇帝に、父が息を引き取ろうとしていると伝えられる | 1094~1098줄 (임종 무대 768~771, 888~891줄) |
| 1118年 | Constantinople | 宮殿に入った後、カエサルのブリエンニオスは母・兄弟・姉妹の扱いについて側近と協議 — 新たな企てをされるのではと恐れている | 1090~1093줄 |
원문: Ioannes Zonaras, Epitome Historiarum (Corpus Scriptorum Historiae Byzantinae, Bonn 판). archive.org OCR(djvu.txt) 그대로, 글자 교정 없음. (전 3권: https://archive.org/download/corpusscriptorum29niebuoft/corpusscriptorum29niebuoft_djvu.txt · https://archive.org/download/corpusscriptorum30niebuoft/corpusscriptorum30niebuoft_djvu.txt · https://archive.org/download/corpusscriptorum31niebuoft/corpusscriptorum31niebuoft_djvu.txt)
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