『ゾナラス歴史概要』

『ゾナラス歴史概要』(正史 の史料)。扱う年は312年 〜 1118年、出来事187件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年312年 〜 1118年
出来事の数出来事187件・地図に置いた99件
著者Ioannes Zonaras
原題Ioannis Zonarae Epitomae historiarum

地域の内訳: 南ヨーロッパ 103 · 西アジア 83 · エジプト・北アフリカ 1

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
312年Pons Milvius (Roma 북쪽)コンスタンティヌスがマクセンティウスを破る — マクセンティウスはミルウィウス橋でテヴェレ川に溺死L938–941
316年コンスタンティヌスがリキニウスと何度も戦って勝利 — 和解の後、再び戦争L1076–1079
324年Byzantiumコンスタンティヌスが再び戦争 — ビザンティオンとクリュソポリスを占領、リキニウスはニコメディアへ逃走L1080–1082
325年Nicaea (Bithynia)皇帝がニカイアに司教を集める — 318人の教父がアリウス論争を扱うL2021–2027
330年Byzantium (새 도시 Constantinopolis)コンスタンティヌスがビザンティオンの地に都市を建て、自らの名にちなみコンスタンティノープルと命名L1583–1587, L1645–1648
337年コンスタンティヌス大帝が病で死去 — ニコメディアに滞在中に倒れるL2288–2303
337年三人の息子の間で帝国を分割 — コンスタンティヌス2世・コンスタンス・コンスタンティウス、東方はコンスタンティウスが担当L2498–2504
340年待ち伏せでの戦闘 — コンスタンティヌス側の大半が戦死し、本人も落馬L2563–2573
350年マグネンティウスがコンスタンスを殺害L2734
350年サポル(サーサーン朝の王)がニシビスを包囲L3001–3053
350年ウェトラニオがマグネンティウスと手を結ぶ — コンスタンティウスと対峙L3197–3206
351年サポルが東方に侵攻し、コンスタンティウスは従兄弟のガルスをカエサルとして東方に派遣L3318–3322
351年コンスタンティウスとマグネンティウスが陣を敷いて対峙 — 一日中どちらも攻撃せずL3387–3392
354年Antiochiaコンスタンティウスが側近をアンティオキアに送り、ガルスを殺そうとするL3597
361年Constantinopolisコンスタンティウスが死去すると、ユリアヌスが遺体を迎え、葬列に従って都に入り、軍と元老院の歓迎を受けて宮殿に入る。XIII 11,23–19,5 · part_02 줄 1042
363年Nisibisヨウィアヌスがペルシアと講和 — ニシビスとシンガラを明け渡し住民を移住させる。住民は非難を浴びた。XIII 13,34–14,14 · part_02 줄 1853
364年サルスティウスらが不在のヴァレンティニアヌスを皇帝に指名。XIII 14,14–15,1 · part_02 줄 1974
375年ヴァレンティニアヌス(1世)が死去し、長男のグラティアヌスが西方を継承。本文の年齢「84」は原文どおりにはせず(史実は54、OCRの疑い)。XIII 15,17–106,1(OCR) · part_02 줄 2184
378年Hadrianopolisゴート族との戦闘の後、ウァレンスが燃える建物の中で死去(焼死)。XIII 16,17–32 · part_02 줄 2473
379年ウァレンスの敗北後、スキュタイ(ゴート)がトラキアなどを荒廃させる — スペインからテオドシウスを呼び寄せて撃破。XIII 16,44–17,19 · part_02 줄 2763
383年グラティアヌスがガリアへ向かう途中、アンドラガティウス将軍の策略で殺害される(父の死後6年の在位)。XIII 17,19–18,9 · part_02 줄 2846
387年Antiochiaアンティオキアの住民が新税に抗議し皇帝の像を引き倒す — 皇帝は都市の特権を剥奪しようとし、フラウィアヌスが仲裁。XIII 18,23–19,1 · part_02 줄 3167
390年Thessalonicaテッサロニケの住民の蜂起の後、テオドシウスは群衆を競技場に閉じ込め、兵士に射させ、1.5万人を殺害。XIII 18,9–23 · part_02 줄 2970
394年簒奪者エウゲニウスを除き、ローマ帝国全体がテオドシウスの下に統一される。XIII 19,19–96(OCR) · part_02 줄 3382
404年Constantinopolisエウドキアがクリュソストモスを憎み、アレクサンドリアのテオフィロスと結託して、アルカディウスに彼を流刑にするよう説得。XIII 19,96–90,15(OCR) · part_02 줄 3589
408年エウドキア死後まもなくアルカディウスが死去し、7歳のテオドシウス2世が継承。XIII 90,15–91,1 · part_02 줄 3742
408年Ravennaホノリウスがスティリコ失墜を企む陰謀を察知し、ラヴェンナへ向かう。XIII 21,1–16 · part_02 줄 3819
410年Romaアラリックがローマを包囲して占領(この後にガチョウの逸話が続くが省く)。XIII 21,1–16 · part_02 줄 3879
421年ホノリウスには子がなく、コンスタンティウスを共同皇帝に立てる — コンスタンティウスはまもなく殺害され、プラキディアとの子ヴァレンティニアヌス3世とホノリアが残る。XIII 21,1–16 · part_02 줄 3872
457年Constantinopleマルキアヌス死去 — アスパルの教唆による毒殺とする説もある。part_03.txt 줄 1541
457年Constantinopleレオの即位直後、アスパルが息子の一人をカエサルに立てるよう迫る。part_03.txt 줄 1608
468年Africaバシリスコスが指揮する大艦隊がアフリカへ出陣してゲイセリックに立ち向かい、大敗して艦隊の大半を失う。part_03.txt 줄 1945
471年Constantinopleアスパルとアルダブリオスが皇帝によって排除される(一部の伝承)。part_03.txt 줄 1962
474年Constantinopleレオ1世の在位18年の後、幼い孫のレオ2世が継承。part_03.txt 줄 2035
475年Constantinopleバシリスコスがカンプスで王に推戴される(ゼノン追放の試み)。part_03.txt 줄 2102
476年Nicaeaハルマティオスがニカイアでゼノンと対峙したが、金と約束で買収され、ゼノン側に寝返る。part_03.txt 줄 2222
491年Constantinopleゼノン死去、アリアドネがアナスタシウスを皇帝に擁立(元老院・軍の同意)。part_03.txt 줄 2427
491年 〜 493年ゼノンの兄弟ロンギヌスが簒奪を企てたが、アナスタシウスに敗れてアレクサンドリアへ追放される。part_03.txt 줄 2664
491年 〜 518年Illyricumブルガル人が再びイリュリクムに侵入し、ローマの将軍たちが軍団で迎え撃つ。part_03.txt 줄 2908
512年Selymbriaアナスタシウスがマルマラ海からセリンブリアまでの長い城壁を築く(北方の侵入に備える)。part_03.txt 줄 3168
513年 〜 514年Constantinopleトラキア人ヴィタリアヌスが簒奪を企て、都市近郊の農地を荒廃させ、艦隊で都市を攻撃。part_03.txt 줄 2728
518年Constantinopleアナスタシウスは死の直前に陰謀を告発され、ユスティヌスとユスティニアヌスらが逮捕される。part_03.txt 줄 3047
518年Constantinopleアナスタシウス死後、後継が決まる — アマンティオスがユスティヌスに金を渡し、兵士に配らせる。part_03.txt 줄 3180
526年Antioch大地震がビザンティオン各地の建物を倒壊させ、アンティオキアが大きく破壊される。part_03.txt 줄 3114
532年Constantinople大火の後、ユスティニアヌスがより大きく華麗な聖堂(ソフィア)の再建に着手。part_04 줄 120~122
533年 〜 534年Carthageベリサリウスがゲリメルを戦いで破り、カルタゴを奪って、リビア全体を掌握。part_04 줄 568~570
535年Romeヴァンダル戦争が終わると、ベリサリウスをローマに送り、イタリアのゴート族を征服させる。part_04 줄 764~765
538年 〜 539年ローマ軍がメディオラヌム(ミラノ)を占領(ゴートが再び包囲)。part_04 줄 1017~1018
540年Ravennaベリサリウスがラヴェンナに入城 — イタリアがローマ側へ移る。part_04 줄 1016~1017
558年 〜 561年アヴァールのカガン、チャガヌスが浴場を建てる職人を求めると、皇帝はドナウ川に橋を架けさせる。part_04 줄 1814~1816
582年マウリキウスがアヴァルのカガンと和約を結ぶ(カガンがイリュリクムを攻め、長城を壊すと脅したのち)part_04 줄 1959~1961
591年ナルセスがバラムスを破り、ホスロー2世がペルシアの王位を取り戻すのを助けるpart_04 줄 2238~2240
602年Chalcedonカルケドンで、フォカスの側がマウリキウスの息子たちを父の目の前で殺すpart_04 줄 2901~2902
603年 〜 604年ナルセスがフォカスから離反し、エデッサを占領してペルシアの援軍を得る(ゲルマヌス敗北)part_04 줄 3036~3038
608年Antiochアンティオキアでユダヤ人がキリスト教徒に蜂起し、多くの人が殺されるpart_04 줄 3121
609年 〜 610年Chalcedonペルシア軍がカルケドンまで進撃し、ヨーロッパ側ではアヴァルがトラキアを席巻するpart_04 줄 3112~3113
610年Constantinopleヘラクレイオスがフォカスを捕らえ、衣を剥いで自分の前に引き出す——フォカスの没落part_04 줄 3327~3329
614年Jerusalemペルシア軍がエルサレムの総大司教と聖十字架の木をペルシアへ持ち去るpart05:17-21
624年 〜 627年ヘラクレイオスが、ホスロー2世が送った別のサトラップの3万の軍を破り、兵をほぼ皆殺しにするpart05:94-96
628年ホスロー2世の死後、シロエスがヘラクレイオスに使節を送って和を結び、捕虜・聖十字架・総大司教ザカリアスを返還するpart05:241-245
629年Constantinopleヘラクレイオスはエルサレム回復ののち首都に戻り、元老院と市民の歓呼を受けるpart05:299-301
655年コンスタンス2世がムアーウィヤのサラセン艦隊に大敗し、変装して少数とともにビュザンティオンへ辛うじて逃れるpart05:799-802
674年 〜 678年Constantinopleサラセンの艦隊がコンスタンティノポリスを包囲し、春から秋まで海戦が続く。包囲を解いてキュジコスを占領して冬を越し、翌春ふたたび都市を攻めるpart05:1104-1108
678年使節がアラブと30年期限の和約を結ぶ。アラブは毎年ローマに金3,000(terna milia)を納めることになったpart05:1270-1272
680年 〜 681年第6回公会議——アレクサンドリアとエルサレムはサラセンに占領され、総大司教たちが公会議に欠席したpart05:1345-1346
685年コンスタンティノス4世が死に、息子ユスティニアノス2世が16歳で即位するpart05:1500-1503
686年 〜 688年ユスティニアノス2世は将軍レオンティオスを派遣し、イベリア、アルバニアなどの地域を征服させるpart05:1576-1577
692年ユスティニアノス2世はアラブとの和約を破り、戦争を仕掛ける。原因は、アラブが貢納貨幣にローマの紋章の代わりにアラブの文様を刻んだことだったpart05:1624-1628
693年ユスティニアノス2世は野心を疑った将軍レオンティオスを、2年間投獄するpart05:1760-1761
697年アフリカを取り戻すためにレオンティオスが送った軍が、そこのアラブ人を破ってアフリカから追い払い、その地で冬を越すpart05:1827-1830
698年アプシマルス(ティベリオス3世)がレオンティオスの鼻を切り落とし、投獄する。レオンティオスの3年の治世が終わるpart05:1948-1949
717年ローマ軍がギリシア火でアラブの軍船を撃退し、アラブの大艦隊の多くを破壊するpart05:3262-3265
781年Constantinopleイレーネ女帝が、息子コンスタンティノス6世の妻にするため、カール王の娘を求めて使節を送る1908–1910
789年 〜 803年カルダモスが使節を送り、ローマ人に自分への貢納を求める2579–2581
790年 〜 792年コンスタンティノス6世がブルガリアの君主カルダモスと戦う。軽い接触戦ののち、両軍は恐怖に駆られて退く2386–2388
790年Constantinopleニケフォロス・カエサル(コンスタンティノスの叔父)を帝位に就けようとする陰謀が露見し、彼の両眼が抉り取られる2442–2444
795年Romeハドリアヌス教皇の死後、レオが教皇座に就く2725
797年Constantinople5年後、イレーネは再び帝位を取り戻す2723–2724
799年Rome教皇レオはカールのもとへ逃れ、カールの助けで教皇座に復帰して、敵に報復する2773–2775
800年Romeこの時から、フランク人がローマを支配する2775
800年 〜 802年Rome教皇レオはカールをローマ王と呼ぶ。続いてカールはイレーネに使節を送り、婚姻を求める2861–2862
802年Constantinople帝位をめぐる陰謀。アイティオス側がレオを帝位に就けようとする(主語は原文で判読が不確か)2912–2914
802年Constantinople夜明けにイレーネは宮殿から東の宮殿へ移される。イレーネの廃位2985–2987
806年Constantinople元秘書官のニケフォロスが復活祭の共同投票で総大司教となるが、プラトンとストゥディオス修道院長テオドロスが反対する(皇帝ニケフォロス1世とは別人)3182–3184
811年皇帝ニケフォロス1世がブルガリア遠征中に殺される。誰の手によるのかも本文では不明である3503–3505
811年Constantinopleミカエル・クロパラテスが夜明けに皇帝として宣言される。スタウラキオスは髪を剃り、修道士の衣をまとう3651–3653
811年 〜 813年アラブ人が東方を荒らすと、東方将軍レオ・アルメニオスが戦い、約2千人が倒れる(倒れた側は原文の該当箇所が短く確認できなかった)3795–3796
813年Thraciaローマ軍がブルガリア軍に敗れ、追われる(小見出し)줄 33 소제목
813年Constantinopolisアルメニア出身のレオ5世が皇帝となる(小見出し)줄 174 소제목
815年Constantinopolisレオ5世がイコンへの迫害を始める(小見出し)줄 456 소제목
815年Constantinopolisニケフォロスが追放され、テオドトス(カッシテラス)が後を継ぐ(小見出し)줄 597 소제목
820年Constantinopolisイコン攻撃のさなか、ミカエル(バルブス)が断罪される(小見出し)줄 878 소제목
820年Constantinopolisミカエルがレオ5世を殺すことを決める(小見出し)줄 1137 소제목
820年Constantinopolisレオ5世が殺された後、ミカエルが後を継ぐ(小見出し)줄 1289 소제목
821年ミカエルの見解とトマスの反乱(小見出し)줄 1568 소제목
821年 〜 823年Constantinopolis数日後、トマスが陸と海から、器械と梯子で再び都市を攻める줄 1893~1894
823年トマスの反乱が鎮圧される(本文2150〜2151)줄 2150~2151
827年Cretaアラブ人がクレタ島を占領する(小見出し)줄 2249 소제목
827年Siciliaシチリアがアラブ人に引き渡される(小見出し)줄 2384 소제목
829年Constantinopolisミカエル2世が在位8年9か月で死に、テオフィロスが即位する(本文2507、小見出し2525)줄 2507 (소제목 2525)
829年 〜 842年Constantinopolisテオフィロスは敬虔な人々に対して非常に過酷であった(本文 3108~3109)줄 3108~3109
867年Constantinopleバシレイオス派の陰謀者たちが、酔ったミカエル3世を襲撃した3.216–3.219
867年Constantinopleバシレイオス1世は国内の基盤を固め、すべての人から皇帝として歓呼された3.230
867年Constantinopleバシレイオス1世が大聖堂に入ろうとしたところ、総主教フォティオスに阻まれたため、公会議を開きフォティオスを教会から追放した3.302–3.305
867年 〜 868年Constantinople即位直後、バシレイオス1世に逆らった貴族数名が捕らえられ、罰を受けた3.365–3.366
867年 〜 886年Creteバシレイオス1世のクレタのアラブ人に対する遠征は失敗し、彼は捕らえられかけたが救出された3.373–3.376
867年 〜 886年Creteバシレイオス1世が派遣したクリストフォロスが戦いでクレタのアラブ人を破り、その勢いをくじいた3.377–3.379
872年Tephriceバシレイオス1世は、クリュソケイルの配下でマニ教徒の拠点であるテフリケの包囲は困難と判断して撤退し、ユーフラテス川を渡って周辺を略奪した3.423–3.428
912年レオ皇帝が死去。原文は、予言された十年後と同じ日に死んだと記すpart_09 줄 1661–1662
912年サモナスはアラブ(アガレノイ)側へ逃げようとしたが、ハリス川で捕らえられ、首都へ連行されたpart_09 줄 1663–1665
913年Constantinopleアレクサンドロスは1年1か月の治世の後に死去し、7歳のコンスタンティノス7世が単独の皇帝となったpart_09 줄 2335–2338
913年Constantinopleアンドロニコス・ドゥカスの息子コンスタンティノス・ドゥカスは、アレクサンドロスの死を聞いて帝位を奪った(彼は首都の外にいた)part_09 줄 2339–2340
913年Constantinople首都内での市街戦: 摂政派が兵を集めて応戦し、ドゥカス派のグレゴラスが戦死part_09 줄 2405–2406
913年Constantinopleコンスタンティノス・ドゥカスは首を切られ、その首が皇帝コンスタンティノス7世に献じられた。レオの予言どおり、ドゥカスは皇帝にはなれなかったpart_09 줄 2457–2458
919年Constantinopleロマノス・レカペノスは誓いを破って宮廷に入り、コンスタンティノス7世の信任を得て、大ヘタイリアルケスに任じられたpart_09 줄 2997–2998
919年Constantinopleロマノスの娘ヘレナがコンスタンティノス7世と結婚した(復活祭の三日目、総主教ニコラオスが祝福を与えた)part_09 줄 3004–3005
920年Constantinopleロマノスは9月24日にカエサル(副帝)の称号を受けた(12月の部分は断片の端で切れている)part_09 줄 3073–3074
921年 〜 931年Constantinopleロマノスは長男クリストフォロスに加え、ほかの息子二人と孫にも帝冠を授け、末子テオフュラクトスは聖職者にしたpart_09 줄 3261–3262
924年Constantinopleブルガリア王シメオンが首都を攻撃した。ロマノスは郊外を守るため兵を送り出した。ブルガリア軍の反撃で貴族数名が戦死し、兵の一部は船から落ちて溺死したpart_09 줄 3130–3131
927年和平の後、ロマノスの孫娘(クリストフォロスの娘)が嫁がされた。主語が前の行で切れているため、相手は原文に記されていないpart_09 줄 3402–3403
927年ブルガリア側はクリストフォロスをコンスタンティノス7世より先に呼ぶよう要求した。ロマノスは承諾し、残りの息子たちもコンスタンティノス7世の前に立たせたpart_09 줄 3404–3405
928年Constantinople総主教ニコラオスの死後、アマセイア司教ステファノスがコンスタンティノポリス総主教に指名されたpart_09 줄 3268–3270
944年Constantinople原文は、ロマノスがコンスタンティノス7世との約束を破ったことを振り返る。廃位の場面は文が途中で切れ、次の断片に続くpart_09 줄 3717–3718
960年 〜 961年ニケフォロス・フォカスがクレタ遠征軍を率い、7か月でカンダクス(Chandax)を攻め、サラセン人の指揮官Kourouphesを捕らえたpart_10 줄 873~874
961年 〜 963年フォカスは東方(シリア)へ向かい、戦いに勝利し、ベロイアの城壁外を略奪して、多くの財貨と捕虜を得たpart_10 줄 941~942
963年ロマノス2世は3年余り在位した後死去した(本文は毒殺説も伝える)part_10 줄 1014
963年Constantinopleロマノスの死後、皇后テオファノの召しに応じて、フォカスは首都へ戻ったpart_10 줄 1077
964年 〜 965年ニケフォロス2世は大軍でキリキアに侵攻し、テオファノをドリジオン城に置いたpart_10 줄 1556~1557
965年ニケフォロス2世は、キリキアのアナザルブス、Losos、アダナを奪取したpart_10 줄 1621
967年 〜 968年ロシア人の軍勢はブルガリアの平原を広く荒らし、多くの戦利品を持ち去ったpart_10 줄 2402~2404
968年 〜 969年Antiochブルツェスが城門を開き、アンティオキアはローマ側に渡った。皇帝はブルツェスの功績に怒り、権限を奪ったpart_10 줄 2190~2191
969年Constantinopleニケフォロス2世は眠っている間に刺された。ツィミスケスはその場に座っていて、瀕死の皇帝に近づいたpart_10 줄 2738~2742
970年Constantinople総主教ポリエウクトスは、ツィミスケスの即位35日後に死去し、修道士バシリオス(Seamandrenus)が後を継いだpart_10 줄 2973~2974
971年バルダス・フォカスは流刑地アマセイアを捨て、カイサレイアを占領して反乱皇帝として振る舞った。父レオは息子とともに両眼をえぐり出される判決を受けたpart_10 줄 3165~3166
971年皇帝ツィミスケスは宦官バシリオスの仲介でテオドラを妻に迎え、大軍と艦隊を率いてロシア遠征に出発した(本文の「王(rex)」はツィミスケスと解する)part_10 줄 3305~3306
971年ペルストラヴァが陥落し、ブルガリア王ボリスが捕らえられたが、皇帝は彼を釈放したpart_10 줄 3422~3423
971年スフェンドスラブスとロシア軍は一日中戦ったが、日没時に逃走し、多くが殺され捕らえられたpart_10 줄 3482~3483
976年Constantinopleヨアンネス・ツィミスケスは毒殺により死去した행 359
976年Constantinopleツィミスケスは帝位を二人の息子バシリウスとコンスタンティノスに譲った행 410~411
976年 〜 977年Serresサムエルの兄モーセスは、セレスの包囲中に石に当たって即死した행 986~987
978年Nicaeaバルダス・スクレロスはニカイアを占領し、レオ・フォカスを捕らえた행 676 (표제)
979年불명スクレロスとフォカスの一騎打ち。棍棒で打ったという説と、剣で刺したという説がある행 849~850
987年불명フォカスはディアデマ(帝冠)を戴き、王と呼ばれた(反乱)행 1193
989年Chrysopolisフォカスがクリュソポリスに陣を張っていたとき、ロシア軍が突然襲撃した행 1362
1000年Iberiaイベリアのダヴィド・クロパラテスの死後、バシリウスがその領地を相続した행 1701~1702
1002年 〜 1003年Vidinバシリウスがヴィディンを攻めている間に、サムエルがアドリアノポリスを奇襲した행 1903~1904
1009年Hierosolymaエジプトの支配者がローマとの条約を破り、エルサレムに関わる事態を引き起こした。下の行は欠けており、要確認행 2045~2046
1014年불명バシリウスは、サムエル軍の捕虜約1万5千人の目をえぐり出した행 2166~2167
1018年Bulgariaバシリウスはブルガリア全土を平定した(要塞の建設、貴族の任命)행 2297~2298
1021年Iberia (Abasgia)アバスギアの支配者ゲオルギオスが敗れ、イベリア奥地へ逃げた。ローマ軍の勝利행 2439~2440
1025年Constantinopleバシリオス2世が死去(本文の表記LXXITはOCRのまま — 数値は未検証)행 2497~2498
1025年バシリオスが死に、弟のコンスタンティノスが単独の皇帝となる행 2502
1034年Constantinopleロマノス3世が死去しミカエル4世が即位 — 総大主教アレクシオスが宮廷に召されるL11–L17
1035年 〜 1041年Edessaアラブ人がエデッサを包囲し、もう少しで奪うところだった — アンティオキア公コンスタンティノス(皇帝の弟)が救援L306–L309
1040年 〜 1041年Constantinopleヨハネスが病気の皇帝を説得し、甥のミカエルをカエサルに立てる — ゾエの継承を阻むためL789–L794
1042年Constantinople民衆がゾエを劇場に担ぎ出し、続いてテオドラの側に付いて大聖堂へ押し寄せるL1739–L1747
1042年Constantinopleゾエの選択はコンスタンティノス9世モノマコスに傾く — 彼はロマノスの姪を最初の妻に迎えたが、その妻を失った貴族L2026–L2033
1043年マニアケスは軍を船で、イタリアの対岸の大陸へ渡らせ、帝位を狙うL2535–L2539
1043年マニアケスは戦列が散ったところで致命傷を負い、落馬して死ぬL2596–L2600
1043年Constantinople総大主教アレクシオスが死去し、ミカエル・ケルラリオスが後を継ぐL2661–L2662
1043年Propontis蛮族がモノクシラ(丸木舟)の大艦隊でプロポンティスに入り、ローマ人に宣戦するL3132–L3140
1047年Constantinopleレオ・トルニキオスが突如コンスタンティノポリスに侵攻し、城壁前まで至る — 兵と市民が多く従うL2847–L2855
1047年トルニキオスは包囲を解き、トラキアの要塞へ向かおうとするが押し戻される — 皇帝の命で東方軍団が来て反乱軍を追い払うL3011–L3019
1055年Baghdadトゥグリル(タングロリペクス)がバビロニア人(バグダード)を服従させ、甥のクトゥルムをアラブ人のもとへ送るL3414–L3419
1057年Nicaeaイサキオス・コムネノスが税を集め大軍を率いてニカイアへ進軍 — 都市の掌握が目標part13 L1357–1358
1057年戦闘 — コムネノス側が勝利、ロマノス・セレロスが捕虜となるpart13 L1411–1419
1057年Constantinopleミカエル6世は総大主教の助言に従い、帝位の標章を外して退位 — コムネノスは宮廷の占拠を命じるpart13 L1756–1759
1058年コムネノスの遠征 — ウグリ人は和を請い平和が成立、ペチェネグの一派(セルテス)は戦いを続けるpart13 L2184–2186
1059年Constantinopleイサキオスは帝位をコンスタンティノス10世ドゥカスに譲り、ストゥディオス修道院に入るpart13 L2337–2350
1064年ウズ族がダニューブ(イストロス)を渡り軍団を破る — ニケフォロス・ボタネイアテスとバシリオス・アポカパスが捕虜となるpart13 L2682–2683
1067年トルコ人がメソポタミア、メリテネ、キリキア、カッパドキアを略奪 — 皇后は新たな夫を選ぶことを決めるpart13 L3014–3017
1067年Iconiumイサキオス・コムネノスはイコニオン遠征でトルコに敗れ捕虜となるXVIII 16,15–29 · L1064
1068年Constantinopleエウドキアがロマノス・ディオゲネスと結婚し、ディオゲネスが皇帝として宣言されるpart13 L3296–3301
1068年ロマノス・ディオゲネスの遠征 — カエサレアに至りトルコの大軍を破り、ユーフラテスまで進軍part13 L3648–3652
1069年コムネノスが自分を捕らえたトルコ人とともに到着する。そのトルコ人はスルタンの処罰を恐れて皇帝に寝返り、すぐに総督に任じられたXVIII 13,1–14 · L128
1071年カエサルの息子アンドロニコスが寝返り、ローマ軍は敗走;王は包囲され、死の寸前まで戦うXVIII 14,19–15,1 · L516
1071年Propontisカエサルのヨアンネスがミカエルを皇帝に推戴し、エウドキア皇后は海峡近くの修道院に流されるXVIII 15,16–16,4 · L689
1074年 〜 1075年Istros奴隷出身のネストルがダニューブの指揮権を得て反乱、パツィナク人のタトスと組み、首都の前に陣を敷くXVIII 17,6–19 · L1350
1078年Calabryaアレクシオス・コムネノスがブリエンニオスを討つ — カラブリア付近で破り捕虜とするXVIII 19,6–19 · L1846
1079年ロゴテテスは島への流刑中に拷問で死に、コムネノス家のイサキオスとアレクシオスが王の寵愛を受けるXVIII 20,7–18 · L2172
1081年Constantinopolisボタネイアテスは宮殿を去りペリブレプトス修道院に入って修道服をまとう。コムネノス家は抵抗なく入城するXVIII 21,7–20 · L2426
1081年 〜 1082年フランク陣営への迂回奇襲と天幕の略奪。ロベルトゥス側への攻撃の後、片方の騎兵が逃走(主体は未確定)XVIII 21–22 (머리말 판독 불확실) · L2804
1092年 〜 1094年ディオゲネスの息子ニケフォロス・ポルフィロゲニトスを中心とした陰謀が露見、首謀者2人が追放され財産没収、マニ教徒の軍団は解散XVIII 23,11–24 · L3171
1094年アネマスによるミカエルへの陰謀が露見、加担者は頭と髭を剃られた後に追放、アネマスは失明刑を免れるXVIII 24,8–18 · L3445
1102年 〜 1103年Constantinopolis母アンナの死後、セバストクラトルのイサキオスは1年以内に修道服をまとって死去XVIII 24,18–95,3 · L3509
1118年Constantinople皇帝アレクシオスは重病のまま宮殿で最期を迎える(AM 6626)。皇帝の息子と現皇帝に、父が息を引き取ろうとしていると伝えられる1094~1098줄 (임종 무대 768~771, 888~891줄)
1118年Constantinople宮殿に入った後、カエサルのブリエンニオスは母・兄弟・姉妹の扱いについて側近と協議 — 新たな企てをされるのではと恐れている1090~1093줄

原文のライセンスと出典

원문: Ioannes Zonaras, Epitome Historiarum (Corpus Scriptorum Historiae Byzantinae, Bonn 판). archive.org OCR(djvu.txt) 그대로, 글자 교정 없음. (전 3권: https://archive.org/download/corpusscriptorum29niebuoft/corpusscriptorum29niebuoft_djvu.txt · https://archive.org/download/corpusscriptorum30niebuoft/corpusscriptorum30niebuoft_djvu.txt · https://archive.org/download/corpusscriptorum31niebuoft/corpusscriptorum31niebuoft_djvu.txt)

퍼블릭 도메인 (19세기 판, archive.org 스캔)

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