三国志(正史 の史料)。扱う年は172年 〜 280年、出来事200件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 172年 〜 280年 |
| 出来事の数 | 出来事200件・地図に置いた184件 |
| 著者 | 陳壽 |
| 原題 | 三國志 |
地域の内訳: 中国 197 · 東南アジア 3
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 172年 | 句章 | 孫堅が郡司馬として精鋭千余を集め、会稽の句章で起こった妖賊許昌(陽明皇帝)を州郡とともに破った。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 熹平1년 |
| 184年 | 潁川 | 光和末、黄巾の乱が起こると騎都尉となり、潁川の賊を討伐した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 中平1년 |
| 184年 | 安喜 | 霊帝末に黄巾が起こると、劉備は校尉の鄒靖に従って討伐して功を立て、安喜尉となった。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 中平1년 |
| 184年 | 宛 | 黄巾の汝潁の賊が宛城へ追われて逃げると、孫堅は一方を任されて先に城に登り、大いに破った。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 中平1년 |
| 186年 | 長沙 | 長沙太守となった孫堅が、区星らの反乱軍を一か月で破り、三郡は静まり、烏程侯に封じられた。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 中平3년 |
| 189年 | 己吾 | 中平六年、董卓討伐のため陳留の己吾で初めて義兵を挙げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 中平6년 |
| 190年 | 酸棗 | 関東の諸侯が一斉に董卓討伐に立ち上がり、袁紹を盟主に推戴した。張邈らは酸棗に駐屯した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平1년 |
| 190年 | 洛陽 | 董卓が天子を長安へ移し、洛陽の宮室を焼き払った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平1년 |
| 190年 | 滎陽 | 曹操が西進して滎陽の汴水で董卓の将・徐栄と戦い敗れ、流矢に当たった。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平1년 |
| 190年 | 南陽 | 董卓討伐のため挙兵した孫堅は、軍糧を出さなかった南陽太守張咨を軍門で斬り、郡は恐れた。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 初平1년 |
| 190年 | 魯陽 | 孫堅が魯陽で袁術と会い、破虜将軍・豫州刺史となって軍を整えた。董卓の騎兵数万が来ると、落ち着いて応じ、退かせた。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 初平1년 |
| 190年 | 陽人 | 孫堅が陽人で董卓軍を大破し、都督の華雄らを斬った。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 初平1년 |
| 191年 | 濮陽 | 黒山の賊・白繞が魏郡・東郡を侵すと、曹操は東郡に入り濮陽で撃破した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平2년 |
| 192年 | 內黃 | 曹操が眭固を迎撃し、匈奴の於夫羅を内黄で大破した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平3년 |
| 192年 | 長安 | 司徒の王允と呂布が共に董卓を殺した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平3년 |
| 192年 | 壽張 | 曹操は兗州牧となり、寿張の東で青州黄巾を辛うじて撃破したが、鮑信が戦死した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平3년 |
| 192年 | 濟北 | 黄巾が降伏し、その精鋭を選んで青州兵とした(降伏兵三十余万、男女百余万)。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平3년 |
| 192年 | 襄陽 | 袁術の命で荊州の劉表を攻めていた孫堅が襄陽を包囲し、峴山を単身で行く途中、黄祖の兵の矢に当たって死んだ。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 初平3년 |
| 193年 | 封丘 | 曹操が封丘に退いた袁術を包囲し、袁術は襄邑・寧陵を経て九江へ逃げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平4년 |
| 193年 | 曹操が陶謙を征伐して十余城を陥落させ、陶謙は城を守って出てこなかった。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 初平4년 | |
| 194年 | 襄賁 | 曹操が再び陶謙を征伐し、五城を奪い、東海まで略奪した。郯の東で劉備・曹豹を破り、襄賁を陥落させて多くを殺した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平1년 |
| 194年 | 濮陽 | 張邈・陳宮が呂布を迎えて反乱し、曹操は濮陽で呂布と百余日対峙したが、蝗害により互いに退いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平1년 |
| 194年 | 下邳 | 陶謙が死ぬと、麋竺らが劉備を迎えて徐州を任せた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 興平1년 |
| 195年 | 鉅野 | 曹操は鉅野で呂布の将・薛蘭・李封を撃破して斬り、呂布を敗走させた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平2년 |
| 195年 | 定陶 | 曹操が伏兵で呂布を大破し、定陶を陥落させ、いくつかの県を平定した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平2년 |
| 195年 | 雍丘 | 八月から包囲した雍丘が十二月に陥落し、張超は自殺し、張邈の三族は滅ぼされた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平2년 |
| 195年 | 曹陽 | 長安が混乱すると天子は東へ移り、曹陽で敗れ、黄河を渡って安邑に至った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 興平2년 |
| 195年 | 歷陽 | 孫策が袁術の援助を受けて江東の平定に乗り出し、歴陽に至った時の兵力は五、六千であった。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 興平2년 |
| 196年 | 洛陽 | 曹操が洛陽に至って京都を護衛し、天子は節鉞を与えて録尚書事とした。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安1년 |
| 196年 | 許 | 天子が轘轅を出て東へ行き、曹操は許に都を定めた(董昭の勧め)。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安1년 |
| 196年 | 許 | 棗祗・韓浩の建議により、曹操は屯田を始めた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安1년 |
| 196年 | 盱眙 | 劉備は袁術の攻撃を盱眙・淮陰で防いだが、その間に呂布が下邳を襲った。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安1년 |
| 196年 | 會稽 | 孫策が浙江を渡って会稽を占め、東冶の人々を殺戮し、厳白虎らを破った後、会稽太守を兼ねた。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 建安1년 |
| 197年 | 宛 | 張繡が降伏したのち再び反乱を起こし、曹操は敗れて、長男の曹昂と甥の安民が死んだ。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安2년 |
| 197年 | 陳 | 袁術が陳を侵すと、曹操が東方へ征伐し、袁術は逃げ、橋蕤らは撃破されて皆斬られた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安2년 |
| 198年 | 安衆 | 曹操は安衆で夜に地下道を掘り、騎兵を伏せて、張繡・劉表の連合軍を大破した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安3년 |
| 198年 | 下邳 | 曹操が泗水・沂水を決壊させて下邳を水攻めにし、呂布・陳宮を捕らえて、ともに殺した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安3년 |
| 198年 | 下邳 | 曹操が劉備を助け、下邳で呂布を包囲して捕らえた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安3년 |
| 199年 | 射犬 | 曹操は犬城で眭固を撃破して斬り、射犬を包囲して薛洪・繆尚の降伏を受けた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安4년 |
| 199年 | 官渡 | 袁紹の侵攻に備えて、曹操は官渡に軍を置いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安4년 |
| 199年 | 沛 | 劉備が徐州刺史の車冑を殺して沛で挙兵し、曹操は劉岱・王忠を送ったが勝てなかった。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安4년 |
| 199年 | 沙羨 | 孫権は孫策に従い、廬江の劉勳を征伐した。劉勳が破れると、沙羨で黄祖を討伐した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安4년 |
| 200年 | 下邳 | 曹操が東方で劉備を撃破し、その妻子を捕らえ、下邳の関羽を降伏させた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 |
| 200年 | 白馬 | 曹操が白馬で張遼・関羽を先鋒として顔良を斬り、白馬の包囲を解いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 |
| 200年 | 延津 | 延津の南で六百騎に満たない兵で文醜の騎兵を撃破し、文醜を斬り、袁紹軍を大いに驚かせた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 |
| 200年 | 官渡 | 袁紹が陣を次々と進め、官渡に臨んで土山・地下道を築いて対抗した。曹操は合戦に不利で、兵力は一万に満たなかった。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 |
| 200年 | 許攸の策により、曹操は歩兵・騎兵五千を率いて夜に淳于瓊らを襲い、皆斬って軍糧を焼き払った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 | |
| 200年 | 官渡 | 張郃・高覧が降伏し、袁紹の軍は大いに崩れ、袁紹・袁譚は黄河を渡って逃げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安5년 |
| 200年 | 平原 | 曹操に敗れた劉備は青州へ逃げ、袁譚に従って平原に至った。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安5년 |
| 200年 | 孫策は官渡の時期に許を襲撃しようとしたが、出発前に許貢の客に殺された。 | 吳書 孫破虜討逆傳 (卷46) 建安5년 | |
| 200年 | 吳 | 孫策が死ぬと孫権が事業を引き継ぎ、曹操が討虜将軍・会稽太守として上表したため呉に駐屯した。張昭・周瑜らが補佐した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安5년 |
| 201年 | 倉亭 | 曹操が黄河のほとりに兵を展開し、倉亭の袁紹軍を撃破した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安6년 |
| 201年 | 新野 | 劉備は劉表に身を寄せ、上賓の待遇を受けて新野に駐屯した。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安6년 |
| 202年 | 鄴 | 袁紹は官渡の敗戦後に血を吐き、五月に死んだ。袁尚が後を継ぎ、袁譚は黎陽に駐屯した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安7년 |
| 203年 | 江夏 | 孫権が西で黄祖を攻めて水軍を破ったが、城を陥落させられなかった。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安8년 |
| 204年 | 鄴 | 曹操が鄴を土山・地下道・漳水の水攻めで包囲し、審配を捕らえて斬り、鄴は平定された。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安9년 |
| 205年 | 南皮 | 曹操が袁譚を討って斬り、その妻子を誅殺し、冀州が平定された。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安10년 |
| 205年 | 獷平 | 曹操が潞河を渡って獷平を救援すると、三郡の烏丸は塞の外へ逃げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安10년 |
| 206年 | 壺關 | 曹操が壺関を三か月包囲して陥落させ、高幹は荊州へ逃げたが上洛で捕らえられて死んだ。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安11년 |
| 206年 | 淳于 | 曹操が海賊の管承を淳于まで追い、楽進・李典が撃破した。管承は海路で逃げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安11년 |
| 207年 | 無終 | 三郡の烏丸を征伐するため無終に至った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安12년 |
| 207年 | 盧龍塞 | 大水で海辺の道が塞がれると、田疇の案内で盧龍塞を出て、山を削り谷を埋め、五百余里の道を開いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安12년 |
| 207年 | 白狼山 | 曹操が白狼山で烏丸と鉢合わせし、張遼を先鋒として蹋頓を斬った。胡・漢の降伏者は二十余万人だった。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安12년 |
| 207年 | 襄平 | 曹操が柳城から帰還した後、公孫康は袁尚・袁熙・速僕丸らを斬り、その首を送った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安12년 |
| 208年 | 新野 | 曹操が新野に至ると劉琮が降伏し、劉備は夏口へ逃げた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安13년 |
| 208年 | 赤壁 | 曹操は赤壁で劉備と戦い不利となり、疫病のため軍を退いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安13년 |
| 208年 | 當陽 | 劉備は荊州の民十余万を率いて当陽に至り、長坂で曹操に大敗し、妻子を捨てて逃げた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安13년 |
| 208年 | 赤壁 | 諸葛亮が孫権と結び、周瑜ら水軍数万が劉備と合流し、赤壁で曹操を破って船を焼いた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安13년 |
| 208年 | 赤壁 | 周瑜・程普がそれぞれ一万を率い、劉備とともに赤壁で曹操を大破した。曹操は残った船を焼いて退却した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安13년 |
| 208年 | 合肥 | 赤壁の後、孫権は自ら合肥を包囲して一か月余り攻めたが陥落できず、張喜の援軍が来る前に退いた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安13년 |
| 209年 | 合肥 | 曹操が渦水から淮水へ肥水を経て出て、合肥に軍を置いた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安14년 |
| 209年 | 公安 | 劉琦が病死すると、人々は劉備を荊州牧に推し、公安に治所を置いた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安14년 |
| 211年 | 潼關 | 馬超・韓遂らが潼関に駐屯すると、曹操は西征して関を挟んで対峙した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安16년 |
| 211年 | 渭南 | 曹操が渭水を渡って馬超・韓遂と戦い、成宜・李堪を斬って大いに撃破し、関中を平定した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安16년 |
| 211年 | 安定 | 曹操が長安から北上し、安定の楊秋を包囲すると、楊秋は降伏した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安16년 |
| 211年 | 涪 | 劉備が益州に入り、涪で劉璋の出迎えを受けて宴会を開いた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安16년 |
| 211年 | 秣陵 | 孫権が治所を秣陵に移し、翌年に石頭に城を築いて建業と改名した(濡須塢を築く)。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安16년 |
| 212年 | 涪 | 劉備が楊懐を斬って涪を占拠し、劉璋が送った劉璝・張任らを破り、綿竹へ追い払った。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安17년 |
| 213年 | 濡須口 | 曹操が濡須口に進み、孫権の江西の陣営を破り、公孫陽を捕らえてから引き返した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安18년 |
| 213年 | 鄴 | 天子が曹操を魏公に封じ、冀州十郡を与え、九錫を授けた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安18년 |
| 213年 | 綿竹 | 劉璋の李厳が綿竹の軍を率いて劉備に降伏し、劉備は雒を包囲した。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安18년 |
| 213年 | 濡須 | 曹操が濡須を攻めたが、孫権が一か月余り持ちこたえ、曹操は軍が整っているのを見て退いた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安18년 |
| 214年 | 枹罕 | 夏侯淵が枹罕を殲滅し、宋建を斬って涼州を平定した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安19년 |
| 214年 | 成都 | 雒城が陥落し、成都を数十日包囲して劉璋が降伏した。劉備は益州牧を兼ねた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安19년 |
| 214年 | 皖 | 孫権が皖城を征伐して陥落させ、廬江太守の朱光と男女数万人を捕らえた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安19년 |
| 214年 | 長沙 | 劉備が荊州を返さなかったので、孫権は呂蒙に二万を与えて長沙・零陵・桂陽を奪わせた(零陵の郝普が降伏)。関羽と益陽で対峙した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安19년 |
| 215年 | 河池 | 曹操が陳倉から散関を出て河池に至り、氐王の竇茂を殲滅した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安20년 |
| 215年 | 陽平關 | 曹操が陽平関の張魯軍を攻めたが落とせず退いた。その後の夜襲で大きく破られた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安20년 |
| 215年 | 南鄭 | 曹操軍が南鄭に入り、張魯の府庫を占領し、巴・漢が降伏した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安20년 |
| 215年 | 合肥 | 孫権が合肥を包囲したが、張遼・李典が撃破した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安20년 |
| 215年 | 江州 | 孫権と荊州を分け、江夏・長沙・桂陽の東は呉に、南郡・零陵・武陵の西は蜀とし、江州へ帰った。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安20년 |
| 215年 | 合肥 | 孫権が合肥を攻めて撤退する途中、津の北で張遼の奇襲を受けた。凌統らが死力を尽くして防ぎ、やっと津橋を越えて脱出した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安20년 |
| 216年 | 鄴 | 天子が曹操の爵位を魏王に進めた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安21년 |
| 217年 | 居巢 | 曹操が居巢に軍を置き、江西の郝谿まで進んで濡須口の孫権を圧迫し、退けた。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安22년 |
| 218年 | 宛 | 宛の守将侯音が反乱し、南陽太守を捕らえて宛に拠ったため、曹仁が包囲した。翌年、宛を殲滅し侯音を斬った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安23년 |
| 218年 | 陽平關 | 劉備が漢中へ進軍し、陽平関で夏侯淵・張郃と対峙した。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安23년 |
| 219年 | 斜谷 | 夏侯淵が陽平で劉備に殺されると、曹操は長安から斜谷を出て陽平に至ったが、劉備は険地を守った。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安24년 |
| 219年 | 樊城 | 漢水が溢れて于禁の軍が水没し、関羽が于禁を捕らえ、曹仁を包囲した。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安24년 |
| 219年 | 定軍山 | 劉備が定軍山に陣を張り、黄忠が夏侯淵を大破して斬った。曹操は退き、劉備が漢中を領有した。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安24년 |
| 219年 | 沔陽 | 部下たちが劉備を漢中王に推戴し、沔陽に壇を築いて王冠を授けた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 建安24년 |
| 219年 | 公安 | 孫権が関羽を征伐し、呂蒙に公安を奇襲させて士仁を捕らえた。続いて南郡の糜芳が江陵を差し出した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安24년 |
| 219年 | 章鄉 | 潘璋の司馬の馬忠が章郷で関羽と息子の関平・趙累を捕らえ、荊州が平定された。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 建安24년 |
| 220年 | 洛陽 | 曹操が洛陽で死去した(66歳)。 | 魏書 武帝紀 (卷01) 建安25년 |
| 220年 | 繁陽 | 曹丕が繁陽に壇を築いて登り即位し、年号を黄初と改め、大赦を行った(漢の献帝からの禅譲)。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初1년 |
| 220年 | 洛陽 | 初めて洛陽宮を建て、洛陽に行幸した。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初1년 |
| 221年 | 成都 | 劉備が成都の武擔の南で皇帝に即位した(章武元年と改元、諸葛亮は丞相)。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武1년 |
| 221年 | 秭歸 | 關羽の仇を討つため劉備が呉を征伐し、呉班・馮習が巫で呉軍を破り、秭帰に至った。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武1년 |
| 221年 | 武昌 | 孫権が公安から鄂に都を移し、名を武昌と改め、武昌郡を置いた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃初2년 |
| 222年 | 夷陵 | 孫権が夷陵で劉備を破った(曹丕は、七百里を進んで長く陣を張るのは兵家の禁忌だと評した)。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初3년 |
| 222年 | 宛 | 孫権が再び背いたので、曹丕は許昌から南征し宛に行幸した。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初3년 |
| 222年 | 猇亭 | 劉備が秭帰から進んで夷道の猇亭に陣を置いた(黃權は江北の軍を監督)。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武2년 |
| 222年 | 猇亭 | 陸議が猇亭で劉備軍を大破し、馮習・張南らが戦死した。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武2년 |
| 222年 | 魚復 | 劉備は船を捨てて陸路で魚復へ帰り、魚復県を永安と改めた。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武2년 |
| 222年 | 夷陵 | 陸遜が夷陵一帯の蜀軍五十余営を正月から閏月まで大破し、数万人を斬るか降伏させた。劉備は単身で逃げた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃武1년 |
| 222年 | 江陵 | 魏が三路から侵攻し、曹真・夏侯尚らが南郡を包囲した。諸葛瑾・潘璋が救援し、洞口・濡須にも兵が送られた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃武1년 |
| 223年 | 永安 | 劉備は諸葛亮・李厳に後事を託し、永安宮で死去した(63歳)。 | 蜀書 先主傳 (卷32) 章武3년 |
| 223年 | 牂牁 | 朱褒が臧柯郡を拠って反乱し、益州郡の雍闓・越巂の高定も背いた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興1년 |
| 223年 | 白帝 | 劉備が白帝で死んだ。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃武2년 |
| 223年 | 蘄春 | 孫権が賀斉らに蘄春を襲撃させ、魏に投降していた晉宗を生け捕りにした。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃武2년 |
| 224年 | 壽春 | 曹丕は水軍を率いて蔡水・頴水に沿い淮水に出て、寿春に行幸した。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初5년 |
| 224年 | 廣陵 | 曹丕が広陵に至り、青・徐州を赦し、将軍たちの守備を入れ替えた。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初5년 |
| 225年 | 廣陵 | 広陵の旧城で川岸に臨み、十余万の軍を閲兵したが、川が凍って船が入れず、引き返した。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初6년 |
| 225年 | 建寧 | 諸葛亮が南征して四郡を平定し、益州郡を建寧郡と改めた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興3년 |
| 226年 | 洛陽 | 曹丕が洛陽の嘉福殿で死去した(40歳)。六月に首陽陵に葬られた。 | 魏書 文帝紀 (卷02) 黃初7년 |
| 226年 | 江夏 | 孫権が江夏郡を攻めたが、太守の文聘が固く守って退いた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 黃初7년 |
| 226年 | 襄陽 | 呉の将諸葛瑾・張霸が襄陽を侵すと、司馬懿が撃破して張霸を斬った。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 黃初7년 |
| 227年 | 漢中 | 諸葛亮が出陣して漢中に駐屯し、沔水の北、陽平の石馬に陣営を構えた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興5년 |
| 228年 | 新城 | 司馬懿が新城を攻め、反乱した孟達を斬り、その首を送った。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 太和2년 |
| 228年 | 街亭 | 諸葛亮が天水・南安・安定を呼応させたが、張郃が街亭で大いに破った。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 太和2년 |
| 228年 | 石亭 | 曹休が皖に至り、呉の将陸議と石亭で戦って敗れた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 太和2년 |
| 228年 | 陳倉 | 諸葛亮が陳倉を包囲すると、曹真が費曜らを送って防いだ。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 太和2년 |
| 228年 | 祁山 | 諸葛亮が祁山を攻めたが勝てなかった。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興6년 |
| 228年 | 陳倉 | 諸葛亮が散関を出て陳倉を包囲したが、軍糧が尽きて退き、追撃した魏将王雙を斬り、漢中へ戻った。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興6년 |
| 228年 | 石亭 | 孫権が皖口に至り、陸遜に石亭で曹休を大破させた(周魴の偽りの降伏の計)。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃武7년 |
| 229年 | 武都 | 諸葛亮が陳式を送り、武都・陰平の二郡を平定した。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興7년 |
| 229年 | 武昌 | 孫権が武昌の南橋で皇帝に即位し、黄竜と改元し、父の孫堅を武烈皇帝と追尊した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃龍1년 |
| 229年 | 建業 | 孫権が建業に遷都し、陸遜に太子登を補佐させ、武昌を任せた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃龍1년 |
| 230年 | 城固 | 魏の司馬懿・張郃・曹真が三方向から漢中を攻めようとしたが、諸葛亮が城固・赤坂で待ち受け、大雨で道が絶え、退いた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興8년 |
| 230年 | 夷洲 | 衛溫・諸葛直が甲士一万を率いて海に出て夷洲・亶洲を探し、夷洲の人数千人を連れて帰った。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃龍2년 |
| 231年 | 天水 | 諸葛亮が天水を侵すと司馬懿が防ぎ、七月に亮は退いた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 太和5년 |
| 231年 | 祁山 | 諸葛亮が再び祁山を包囲し、初めて木牛で運搬した。軍糧が尽きて退くと、追撃した張郃は矢に当たって死んだ。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興9년 |
| 231年 | 武陵 | 潘濬が五万の兵で武陵の蛮夷を討伐した(嘉禾三年十一月に平定)。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 黃龍3년 |
| 232年 | 成山 | 呉の周賀が遼東へ向かう途中、魏将田豫に成山で迎撃され死んだ。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 嘉禾1년 |
| 233年 | 樓煩 | 鮮卑の軻比能が楼煩で魏将蘇尚・董弼を敗死させ、步度根の部落も塞の外へ出て合流し侵寇した。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 青龍1년 |
| 233年 | 襄平 | 孫権が張彌・許晏ら一万を海路で送り、公孫淵に九錫を授けようとしたが、公孫淵は張彌らを斬り、魏に送った。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 嘉禾2년 |
| 234年 | 斜谷 | 諸葛亮が斜谷を出て渭水の南に駐屯し、司馬懿が防いだ。亮が死ぬと、軍は退いた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 青龍2년 |
| 234年 | 合肥 | 孫権が合肥新城を攻め、張頴らが固く守り、明帝が自ら水軍を率いて東征すると、孫権は逃げた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 青龍2년 |
| 234年 | 壽春 | 明帝が寿春に行幸し、将軍たちの功績を記録して賞を与えた。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 青龍2년 |
| 234年 | 五丈原 | 諸葛亮が渭水のほとりの五丈原で死に、魏延と楊儀が争い、魏延は敗れて殺された。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 建興12년 |
| 234年 | 合肥 | 孫権が陸遜・諸葛瑾を江夏・沔口に、孫韶らを広陵・淮陽に送り、自ら合肥新城を包囲したが、魏の明帝が来ると退いた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 嘉禾3년 |
| 237年 | 襄平 | 毌丘倹が遼東を討とうとしたが、連日の雨で遼水が増水して撤兵し、公孫淵が反乱して自ら燕王となった(紹漢元年)。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 景初1년 |
| 238年 | 襄平 | 司馬懿が襄平で公孫淵を包囲して大破し、その首を京都に送り、海東の諸郡が平定された。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 景初2년 |
| 238年 | 漢中 | 大将軍の蒋琬が漢中に出陣して駐屯した。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙1년 |
| 239年 | 洛陽 | 明帝が河内から戻った司馬懿に後事を託し、嘉福殿で死去した(36歳)。 | 魏書 明帝紀 (卷03) 景初3년 |
| 241年 | 樊城 | 呉の将朱然が樊城を包囲すると、司馬懿が防ぎ、六月に退いた。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 正始2년 |
| 241年 | 芍陂 | 全琮が淮南を攻めて芍陂の堤を切り、安城の倉庫を焼いた。しかし芍陂で魏将王淩と戦い、秦晃ら十余名が戦死した。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 赤烏4년 |
| 243年 | 倭国の女王俾弥呼が使者を送り、献上した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 正始4년 | |
| 247年 | 繁 | 涼州の胡王白虎文・治無戴らが投降し、姜維が迎えて安撫し、繁県に住まわせた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙10년 |
| 249年 | 高平陵 | 皇帝が高平陵に参拝している間に、司馬懿が曹爽らを罷免し、曹爽一派は三族を滅ぼされた。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 嘉平1년 |
| 250年 | 江陵 | 魏の王昶が南郡を包囲し、王基が西陵を攻めた。戴烈・陸凱が防ぎに赴き、いずれも退いた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 赤烏13년 |
| 252年 | 東關 | 呉の諸葛恪が東関で魏軍を大いに撃ち破り、魏軍は不利なまま引き返した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 嘉平4년 |
| 252年 | 孫権が死去した(71歳)。七月に蔣陵に葬られた。 | 吳書 吳主傳 (卷47) 太元2년 | |
| 252年 | 東興 | 太傅の諸葛恪が巣湖を堰き止め、東興に城を築いて、全端・留略に守らせた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 太元2년 |
| 252年 | 東興 | 魏の諸葛誕・胡遵ら七万が東興を包囲すると、諸葛恪が駆けつけて東興で大いに破り、韓綜・桓嘉らが戦死した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 太元2년 |
| 253年 | 合肥 | 呉の諸葛恪が合肥新城を包囲し、司馬孚が防いだ。七月に退いた。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 嘉平5년 |
| 253年 | 漢壽 | 郭脩が漢寿の宴席で蜀の大将軍費禕を刺して殺した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 嘉平5년 |
| 253年 | 漢壽 | 大将軍費禕が漢寿で魏の降伏者郭循に殺された。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙16년 |
| 253年 | 南安 | 姜維が南安を包囲したが勝てず、引き返した。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙16년 |
| 253年 | 合肥 | 諸葛恪が魏を征伐して新城を包囲したが、疫病で兵卒の大半が死に、八月に撤退した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 연도비정 |
| 254年 | 洛陽 | 司馬師が皇太后の命で斉王曹芳を廃位し、斉へ帰した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 嘉平6년 |
| 254年 | 洛陽 | 高貴郷公の曹髦が洛陽に入り、太極前殿で皇帝として即位した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 正元1년 |
| 255年 | 樂嘉 | 毌丘倹・文欽の反乱を、司馬師が楽嘉で破った。文欽は呉へ逃げ、毌丘倹の首は京都に送られた。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 正元2년 |
| 255年 | 狄道 | 姜維が狄道を侵すと、雍州刺史王経が洮西で大敗し狄道城へ退き、九月に姜維は退いた。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 正元2년 |
| 255年 | 狄道 | 姜維が洮西で魏の雍州刺史王経を大破し、王経は狄道城へ退いた。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙18년 |
| 255年 | 東興 | 孫峻らが寿春を襲おうとして東興まで行ったが、文欽らが敗れたと聞き、橐臯へ進み、文欽の降伏と淮南の住民数万を受け入れた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 五鳳2년 |
| 256年 | 上邽 | 鄧艾が上邽で蜀の姜維を大いに破った。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 甘露1년 |
| 256年 | 上邽 | 姜維が上邽で鄧艾に敗れ、成都へ帰った。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 延熙19년 |
| 257年 | 壽春 | 諸葛誕が召し出しに応じず、軍を起こして揚州刺史楽綝を殺し、反乱した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 甘露2년 |
| 257年 | 壽春 | 魏の諸葛誕が寿春で反乱し、呉に臣従を誓った。呉は文欽・唐咨・全端らを三万人送って救援させた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 太平2년 |
| 258年 | 壽春 | 司馬昭が寿春城を陥落させ、諸葛誕を斬った。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 甘露3년 |
| 258年 | 壽春 | 司馬昭が寿春を陥落させ、諸葛誕は戦死し、将・官吏以下がみな降伏した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 太平3년 |
| 258年 | 建業 | 孫休が曲阿・布塞亭を経て即位した(大赦・改元)。孫綝は兵一千で路傍に拝礼した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 永安1년 |
| 260年 | 洛陽 | 高貴郷公が兵を率いて挙兵したが、雲龍門の前で害されて死んだ(20歳)。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 甘露5년 |
| 260年 | 洛陽 | 常道郷公の曹奐が洛陽の太極前殿で即位した(陳留王)。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 景元1년 |
| 262年 | 沓中 | 姜維が侯和で鄧艾に敗れ、沓中に留まった。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 景耀5년 |
| 263年 | 成都 | 鄧艾・鍾会が蜀を攻めて至る所で勝ち、蜀主劉禅は鄧艾に降伏し、巴蜀はすべて平定された。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 景元4년 |
| 263年 | 綿竹 | 鄧艾が綿竹で衛将軍諸葛瞻を破った。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 炎興1년 |
| 263年 | 成都 | 後主は譙周の計略により、棺を載せ、自ら縛って、成都城北の軍営の門で鄧艾に降伏した。 | 蜀書 後主傳 (卷33) 炎興1년 |
| 263年 | 交阯 | 交阯郡の官吏呂興らが太守の孫諝を殺して反乱した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 永安6년 |
| 264年 | 成都 | 鍾会が蜀で反乱したが、部下に討伐され、鄧艾も殺された。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 咸熙1년 |
| 264年 | 交阯 | 呉の将呂興が民心に従い、太守・長吏を追放し、九真・日南が呼応して魏に帰服した。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 咸熙1년 |
| 265年 | 洛陽 | 詔により南郊に壇を設け、晋の嗣王に皇帝の璽綬を送って禅譲を受け、魏の君主は金墉城へ移された(魏の滅亡)。 | 魏書 三少帝紀 (卷04) 咸熙2년 |
| 265年 | 武昌 | 西陵督の歩闡の上表に従い、孫皓が武昌に遷都して丁固・諸葛靚に建業を任せた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 吳 甘露1년 |
| 266年 | 建業 | 孫皓が都を建業へ戻した(武昌には滕牧が留守役として残った)。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 寶鼎1년 |
| 269年 | 合浦 | 虞汜・薛珝・陶璜らは荊州の道から、李勗らは建安の海路から進み、いずれも合浦に集結して交阯を攻めた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 建衡1년 |
| 271年 | 交阯 | 虞汜・陶璜が交阯を破り、晋の置いた守将を捕らえ、九真・日南は再び呉に属した。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 建衡3년 |
| 272年 | 西陵 | 西陵督の歩闡が城を挙げて晋に降伏すると、陸抗が包囲して陥落させ、歩闡ら数十人は三族を滅ぼされた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 鳳皇1년 |
| 279年 | 廣州 | 郭馬が戸口調査に反発して反乱し、広州督の虞授を殺し、自ら都督交広二州諸軍事となった。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 天紀3년 |
| 280年 | 江陵 | 晋が六路から呉を攻め、杜預が江陵督の伍延を斬り、王濬・唐彬が川を下ると呉軍は崩れた。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 天紀4년 |
| 280年 | 建業 | 王濬が真っ先に建業に至り、孫皓の降伏を受け、縄を解き棺を焼いた(呉の滅亡、280年)。 | 吳書 三嗣主傳 (卷48) 天紀4년 |
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