『ニケフォロス小史』(正史 の史料)。扱う年は602年 〜 766年、出来事28件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 602年 〜 766年 |
| 出来事の数 | 出来事28件・地図に置いた13件 |
地域の内訳: 南ヨーロッパ 14 · 西アジア 12 · 東ヨーロッパ・ロシア 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 602年 〜 641年 | エジプト産穀物の輸送が増え、食糧が豊かになる。 | L886 | |
| 610年 | 元老院がヘラクレイオスを皇帝に推戴する。 | L389 | |
| 610年 〜 641年 | ヘラクレイオスはアヴァル王を迎えるためヘラクレアへ行くことを決める。 | L974 | |
| 610年 〜 641年 | ボヌスをパトリキオスに任じ、行政を委ねる。 | L1169 | |
| 610年 〜 641年 | ヘラクレイオスは妹マリアをアヴァル・カガンのもとへ送る。 | L1881 | |
| 610年 〜 641年 | ヘラクレイオスがパトリキオスの称号を授ける。 | L1896 | |
| 626年 〜 630年 | ヘラクレイオスは、エウドキアをテュルクの君主に嫁がせることを約束する。 | L1697 | |
| 628年 | ヘラクレイオスとペルシア王が和平の条件について書簡を交わす。 | L1597 | |
| 628年 | ペルシア王は使節を送り、息子をヘラクレイオスのもとへ送る。 | L1649 | |
| 695年 | Chersonesos Taurica | ユスティニアヌス2世は舌と鼻を切り落とされ、ケルソン(クリミア)へ流される。レオンティオスが皇帝に推戴される。 | part_02 L11-13 |
| 698年 | Constantinopolis | 策略で市内に入った指揮官(原文 Prefeis、名前は判読不能)が市民の財産を略奪し、レオンティオスを捕らえて鼻を切り、修道院に幽閉する。 | part_02 L214-221 |
| 703年 | Doros | ユスティニアヌス2世はゴート国境のドロス要塞へ逃げ、そこでハザール・カガンを招く。カガンは大いなる礼遇で迎え、両者は友好を結ぶ。 | part_02 L235-242 |
| 705年 | Constantinopolis | 夜、ユスティニアヌス2世は少数の兵とともに水路から密かに市内へ入り、都市を制圧し、ブラケルナエ宮殿を占領する。 | part_02 L316-324 |
| 711年 | Constantinopolis | フィリピコスは戦わずに市内へ入り、ただちに武装兵を率いてユスティニアヌス2世を討ちに向かう。 | part_02 L702-706 |
| 712年 | Constantinopolis | フィリピコスは第6公会議に集った教父たちを破門(アナテマ)に処する。 | part_02 L809-810 |
| 713年 | Constantinopolis | フィリピコスの書記官アルテミオスが皇帝に推戴され、アナスタシオスの名を受ける | part_02 L869-873 |
| 717年 | Constantinopolis | パトリキオスのレオは東方軍の歓迎を受け、盛大な儀式とともに入城し、大聖堂で冠を受ける。 | part_02 L1239-1244 |
| 717年 | Constantinopolis | サラセン軍が大勢の騎兵と歩兵を率いて帝都遠征に出る。 | part_02 L1218-1220 |
| 717年 〜 718年 | Constantinopolis | 貯水槽が干上がり、死者の遺体で満たされる──包囲下の飢えと水の枯渇(主語はOCRで判読不能)。 | part_02 L2138-2146 |
| 717年 | Cyprus | 同じ頃、レオは艦隊をサラセンへ差し向け、キビュラエオタイ艦隊の指揮官を付ける。艦隊はキプロスに到着する。 | part_02 L2186-2191 |
| 717年 | Constantinople | レオ3世(イサウリア人)即位──717年3月25日。 | 줄 2929~2930 |
| 740年 | Constantinople | 10月26日(水曜日)午前8時頃に大地震──テオファネスの引用。 | 줄 3045~3048 |
| 741年 | Constantinople | コンスタンティノス5世(コプロニュモス)が帝位を継承──741年6月18日。 | 줄 3058~3059 |
| 742年 〜 743年 | アルタバスドス(簒奪者)が現れる──コンスタンティノス5世との対立の始まり。 | 줄 3064~3069 | |
| 750年 〜 751年 | レオ4世がアナスタシオスから冠を受ける(聖霊降臨祭)。 | 줄 3128~3129 | |
| 754年 | イコノクラスムの公会議が開かれる──2月(iv Eid. Febr.)から8月(vi Eid. Aug.)まで。 | 줄 3150~3152 | |
| 764年 〜 766年 | コンスタンティノス5世は1月21日にブルガリア遠征に出発する──本文によれば、この遠征は不名誉な結末に終わったという。 | 줄 3256~3259 | |
| — | ペルシア王Chosroesが使節を送る(本文の行が途切れ、内容は不完全)。 | L710 |
원문: Nicephorus Patriarcha, Breviarium historicum, D. Petau 라틴어 번역·주 (Venezia 1729 재간, BSB 스캔). BSB 스캔 OCR 그대로, 글자 교정 없음.
퍼블릭 도메인 (19세기 판, archive.org 스캔)
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