シエサ・デ・レオン『ペルー誌』

シエサ・デ・レオン『ペルー誌』(記録 の史料)。扱う年は1526年 〜 1549年、出来事44件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分記録
視点外側の視点
扱う年1526年 〜 1549年
出来事の数出来事44件・地図に置いた32件
著者Pedro de Cieza de León
原題Crónica del Perú, primera parte (Markham 영역 'The Travels of Pedro de Cieza de León, A.D. 1532-50')

地域の内訳: アメリカ大陸 44

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
1526年 〜 1532年Ambatoワスカルとアタワルパの後継争い:アタワルパはアンバト近郊でワスカルの将軍アトコに勝ち、彼は死んだ。ch. LXXVII (Gutenberg 48770 l.9873)
1531年Piuraピサロがペルー最初のスペイン都市サン・ミゲルを建設(原文は一五三一年)。ch. LIX (Gutenberg 48770 l.8424)
1532年Cajamarcaカハマルカで、ピサロの百五十人足らずのスペイン兵がアタワルパ軍と衝突し、多くの先住民が死に、アタワルパは捕らえられた。ch. LXXVII (Gutenberg 48770 l.9873)
1533年Cajamarcaアタワルパは天の兆しについて語った後、十五日以内に死んだ。ch. LXV (Gutenberg 48770 l.8929)
1534年Quitoベラルカサルがサン・フランシスコ・デ・キト市を建設(一五三四年)。ch. XL (Gutenberg 48770 l.6610)
1534年グアテマラ総督アルバラードが艦隊で上陸し、密林の険しい道をキトへ進軍、飢えなどの苦難に遭った。ch. XLII (Gutenberg 48770 l.6880)
1534年アルバラードがアルマグロの陣営近くに来ると、衝突直前の仲裁で、艦隊と軍を残し、十万カステジャーノを受け取ることで合意した。ch. XLII (Gutenberg 48770 l.6915)
1534年テオカサスの寒冷な平原で、先住民がベラルカサルと戦った(テオカサスの戦い)。ch. XLIII (Gutenberg 48770 l.6982)
1534年Cuscoピサロがクスコをスペイン都市として再建・再入植(一五三四年十月)。ch. XCII (Gutenberg 48770 l.11042)
1535年Portoviejoパチェコがアルマグロの指示でピクアサ村を出発し、プエルト・ビエホ市を建設(一五三五年三月十二日)。ch. LI (Gutenberg 48770 l.7723)
1535年Trujilloピサロがチムー渓谷にトルヒーリョ市を建設(一五三五年)。ch. LXIX (Gutenberg 48770 l.9183)
1535年Limaピサロが王の都(リマ)を建設(一五三五年)。ch. LXXI (Gutenberg 48770 l.9353)
1536年セサルのスペイン騎兵二十九~三十名が長く戦い、インディオは逃げ去った。ch. XI (Gutenberg 48770 l.3799)
1536年Popayánベラルカサルがポパヤン市を建設(一五三六年)。ch. XXX (Gutenberg 48770 l.5603)
1536年Lima総督は、先住民に包囲された王の都(リマ)を救うため、ベラルカサルの副官を急ぎ呼び戻した。ch. LVI (Gutenberg 48770 l.8108)
1536年Levantoアルバラード総督はチロ地方を征服し、レバントに「辺境の町」(原文の名)を建設(一五三六年)。ch. LXXVIII (Gutenberg 48770 l.9994)
1536年Cartagenaセサルがスペイン人六十名とカルタヘナを出て、山脈と川を越えてグアカ地方に至り、墓から金三万ペソ分を集めた。ch. CXIX (Gutenberg 48770 l.13491)
1537年一五三七年、カルタヘナ総督バディージョ判事がサン・セバスティアンから大軍を率いて出発(著者も同行)。ch. IX (Gutenberg 48770 l.3632)
1537年アビベ山脈横断の途中、スペイン人の一部が死亡・落伍し、馬や黒人奴隷も倒れたり逃亡したりした。ch. X (Gutenberg 48770 l.3714)
1537年Caliミゲル・ムニョスがカリ市を建設(一五三七年)。原文は当初ベラルカサルがゴロン・インディオの土地に建てたとも併記する。ch. XXVII (Gutenberg 48770 l.5299)
1537年Guayaquilオレジャーナがより良い場所にサンティアゴ・デ・グアヤキル市を建設(一五三七年)。ch. LVI (Gutenberg 48770 l.8108)
1538年 〜 1539年バディージョと共にチリチャの首長の村へ入ったとき穀物がなく、一年余り肉を食べられず、兵士たちは食糧を探しに出た。ch. XVI (Gutenberg 48770 l.4225)
1538年Sucreフェラスーレスがラプラタ町を建設(一五三八年)。ch. CVII (Gutenberg 48770 l.12595)
1539年Ansermaアルダナの任命により、ロブレドがアンセルマの町を建設。ch. XVI (Gutenberg 48770 l.4310)
1539年Pastoロレンソ・デ・アルダナがパスト町を建設(一五三九年)。ch. XXXIV (Gutenberg 48770 l.5972)
1539年Huánuco先住民と何度か戦った後、ゴメス・デ・アルバラードがレオン・デ・ウアヌコ市を建設(一五三九年)。ch. LXXIX (Gutenberg 48770 l.10062)
1539年Ayacuchoピサロがサン・フアン・デ・ラ・ビクトリア・デ・ワマンガ市を建設(一五三九年一月九日)。ch. LXXXVII (Gutenberg 48770 l.10709)
1540年Cartagoロブレドがカルタゴ市を建設(一五四〇年)。入植者はカルタヘナから来たためこの名を付けた。ch. XXV (Gutenberg 48770 l.5070)
1541年Santa Fe de Antioquiaベラルカサルの命により、ロブレドがアンティオキア市を建設(一五四一年)。ch. XII (Gutenberg 48770 l.3961)
1541年バルベルデ司教は司教座を守っていたが、プナ島でインディオに殺害された。ch. CXX (Gutenberg 48770 l.13561)
1542年チュパスの平原で、バカ・デ・カストロと若いアルマグロが残虐な戦いを行った。ch. LXXXIX (Gutenberg 48770 l.10772)
1544年一五四四年、カニャリス川流域で大きな金鉱が発見され、キトの人々は八十万ペソ以上を採掘した。ch. XLIV (Gutenberg 48770 l.7196)
1546年ベラルカサルと副官エルナンデス・ヒロンがここでロブレド元帥を捕らえ、斬首した。ch. XXI (Gutenberg 48770 l.4736)
1546年Quito原文:副王ブラスコ・ヌニェス・ベラがキト近くに至ると、ゴンサロ・ピサロがキトを出て迎え撃った。ch. XXXIX (Gutenberg 48770 l.6490)
1546年Lojaメルカディーリョがロハ市を建設(一五四六年)。ch. LVII (Gutenberg 48770 l.8241)
1546年Potosí一五四六年、スペイン人ビジャロエルがポトシの丘で銀脈を発見(ゴンサロの反乱の最中も、山裾には人が集まった)。ch. CIX (Gutenberg 48770 l.12703)
1547年Cartago一五四七年、総督ヌニェス・ベラが窮地にあったころ、キンバヤ地方に伝染病が広がり多くの人が死んだ。ch. XXIV (Gutenberg 48770 l.4955)
1547年Huarinaディエゴ・センテノとゴンサロ・ピサロが戦った場所。王党派の隊長や騎士が倒れ、反乱者が勝った。ch. CVI (Gutenberg 48770 l.12529)
1547年Lampaランパ村で、神父はインディオの首長たちから満月の儀式の許可を求められた。ch. CXVII (Gutenberg 48770 l.13251)
1548年Andahuaylasガスカ総督はゴンサロ・ピサロの反乱を討つため進軍し、アンダウアイラスに長く滞在した(著者も同行)。ch. XC (Gutenberg 48770 l.10897)
1548年ハキハウアナ渓谷の入口でゴンサロ・ピサロが敗れ、ガスカの命により彼と部下の隊長たちが裁かれた。ch. XCI (Gutenberg 48770 l.10943)
1549年Sucre一五四九年、著者はチャルカスにおり、その地方の都市を見に行った。ch. XCV (Gutenberg 48770 l.11248)
1549年La Pazアロンソ・デ・メンドーサが、ガスカ総督の時代にラパス(平和の聖母)市を建設(一五四九年)。ch. CVI (Gutenberg 48770 l.12556)
1549年Ansermaアンセルマ近くの首長がキリスト教徒になろうとすると、悪魔が目に見える形で現れてそれを阻もうとした(第一一八章の題)。ch. CXVIII (Gutenberg 48770 l.13389)

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