晋書 帝紀

晋書 帝紀(正史 の史料)。扱う年は266年 〜 420年、出来事182件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。

区分正史
視点内側の視点
扱う年266年 〜 420年
出来事の数出来事182件・地図に置いた162件
著者房玄齡 等(648)
原題晉書 帝紀

地域の内訳: 中国 180 · 東南アジア 2

出来事の一覧

年場所出来事原文の位置
266年洛陽洛陽で魏の皇帝から禅譲を受けて壇を築き即位し、大赦と改元(泰始)を行った。西晋の建国である。晉書 卷003 帝紀 泰始1年12月
268年襄陽呉の施績が江夏に入り、万郁が襄陽を攻めた。義陽王望が龍陂に駐屯し、荊州刺史の胡烈が万郁を破った。晉書 卷003 帝紀 泰始4年10月
271年壽陽孫皓が軍を率いて寿陽へ向かうと、大司馬の司馬望が淮北に駐屯して防いだ。晉書 卷003 帝紀 泰始7年3月
271年金城北地の異民族が金城を攻めた。涼州刺史の牽弘が討伐に出たが青山で包囲されて戦死した。晉書 卷003 帝紀 泰始7年4月
271年交趾呉の陶璜らが交趾を包囲し、太守の楊稷らが呉に降伏して交州を失った。晉書 卷003 帝紀 泰始7年7月
276年洛陽大疫病で洛陽の死者が半数を超えた。晉書 卷003 帝紀 咸寧1年12月
276年敦煌敦煌太守の座を奪った令狐宏を、涼州刺史の楊欣が斬って首を洛陽へ送った。晉書 卷003 帝紀 咸寧2年
279年姑臧鮮卑の樹機能が涼州を陥落させた。馬隆を派遣して討伐させた。晉書 卷003 帝紀 咸寧5年1月
279年汲郡汲郡の人不準が魏の襄王の墓を掘り、竹簡の古書十数万字を得た(汲冢書)。晉書 卷003 帝紀 咸寧5年10月
279年建康六つの道に二十余万の兵を動員し、呉への大征伐が始まった(賈充が総司令)。晉書 卷003 帝紀 咸寧5年11月
280年姑臧馬隆が樹機能を大破して斬り、涼州を平定した。晉書 卷003 帝紀 咸寧5年12月
280年尋陽王渾が呉の尋陽・賴郷など複数の城を陥落させた。晉書 卷003 帝紀 太康1年1月
280年西陵王濬が西陵を陥落させ、西陵都督の留憲らを殺した。晉書 卷003 帝紀 太康1年2月
280年江陵杜預が江陵を陥落させ、江陵督の伍延を斬った。晉書 卷003 帝紀 太康1年2月
280年王渾・周浚が呉の丞相張悌を版橋で大破し、斬った。晉書 卷003 帝紀 太康1年2月
280年建康王濬の水軍が建鄴の石頭に至ると、孫皓は身を縛り棺を引いて降伏し、呉は滅亡した。晉書 卷003 帝紀 太康1年3月
280年洛陽孫皓を歸命侯に封じ、洛陽で群臣が集まる場に孫皓を引き出した。晉書 卷003 帝紀 太康1年5月
282年昌黎安北将軍の厳詢が昌黎で慕容廆を破り、数万を殺傷した。晉書 卷003 帝紀 太康3年3月
282年建康呉の旧将莞恭・帛奉が反乱して建鄴令を殺し揚州を包囲したが、嵇喜が討平した。晉書 卷003 帝紀 太康3年9月
286年遼東慕容廆が遼東を攻めた。晉書 卷003 帝紀 太康7年5月
290年洛陽武帝が含章殿で五十五歳で崩御した。晉書 卷003 帝紀 太熙1年4月
290年洛陽惠帝が即位し、賈氏を皇后に立て、楊駿が太傅として補佐した。晉書 卷004 帝紀 太熙1年4月
291年洛陽賈后の一派が太傅の楊駿とその一族を三族にわたって誅殺した。晉書 卷004 帝紀 元康1年3月
291年洛陽賈后が詔を偽造して楚王瑋に汝南王亮・衛瓘を殺させ、その後瑋も誅殺した。晉書 卷004 帝紀 元康1年6月
296年涇陽氐・羌がみな反乱し、斉万年を皇帝に推して涇陽を包囲した。晉書 卷004 帝紀 元康6年8月
297年周處が六陌で斉萬年と戦って敗れ、戦死した。晉書 卷004 帝紀 元康7年1月
299年孟觀が中亭で氐を大破し、斉万年を生け捕った。晉書 卷004 帝紀 元康9年1月
300年洛陽皇太子遹を庶人に落とし、三人の子とともに金墉城に幽閉した。晉書 卷004 帝紀 元康9年12月
300年許昌賈后が詔を偽造し、廃太子遹を許昌で殺害させた。晉書 卷004 帝紀 永康1年3月
300年洛陽趙王倫・梁王肜が賈后を廃し、張華・裴頠を殺した(八王の乱の激化)。晉書 卷004 帝紀 永康1年4月
300年洛陽淮南王允が趙王倫の討伐に失敗して殺された。晉書 卷004 帝紀 永康1年8月
301年成都益州刺史の趙廞が略陽の流民李庠とともに成都を占拠して反乱した。晉書 卷004 帝紀 永康1年12月
301年洛陽趙王倫が帝位を簒奪し、惠帝を金墉城に移して太上皇と称した。晉書 卷004 帝紀 永寧1年1月
301年陽翟齊王冏が陽翟に駐屯して檄文を回し、趙王倫討伐の兵を挙げた。成都王・河間王などが呼応した。晉書 卷004 帝紀 永寧1年3月
301年洛陽王輿が宮中に入り、孫秀らを斬って惠帝を復位させた。晉書 卷004 帝紀 永寧1年4月
301年成都略陽の流民李特が蜀で反乱した。晉書 卷004 帝紀 永寧1年10月
302年梓潼李特が梓潼・巴西を陥落させ、広漢太守の張微を殺し、大将軍を自称した。晉書 卷004 帝紀 太安1年5月
303年洛陽長沙王乂が惠帝を奉じて斉王冏を攻めて殺した。晉書 卷004 帝紀 太安1年12月
303年成都李特が益州を陥落させたが、荊州刺史の宋岱が李特を斬った。その子李雄が再び益州を占拠した。晉書 卷004 帝紀 太安2年3月
303年宛義陽蛮の張昌が反乱し、漢を称して南陽太守の劉彬・新野王歆を殺した。晉書 卷004 帝紀 太安2年5月
303年方城荊州刺史の劉弘らが方城で張昌を攻めたが敗れた。晉書 卷004 帝紀 太安2年6月
303年洛陽河間王顒・成都王穎が長沙王乂を攻めるため、張方・陸機らを送って洛陽を圧迫した。晉書 卷004 帝紀 太安2年8月
303年洛陽張方が洛陽に入り、清明・開陽の両門を焼いて数万人が死んだ。晉書 卷004 帝紀 太安2年9月
303年洛陽東海王越が長沙王乂を捕らえて金墉城に閉じ込め、まもなく張方がこれを殺した。晉書 卷004 帝紀 太安2年11月
304年洛陽張方が洛陽を大いに略奪して長安へ帰った。晉書 卷004 帝紀 永興1年1月
304年湯陰惠帝の北征軍が蕩陰で敗れ、嵇紹が惠帝を庇って戦死した。惠帝は鄴の司馬穎の陣営へ向かった。晉書 卷004 帝紀 永興1年7月
304年鄴王浚が烏丸の騎兵で鄴の成都王穎を大破し、穎は惠帝とともに洛陽へ逃げた。晉書 卷004 帝紀 永興1年8月
304年離石匈奴の左賢王劉元海(劉淵)が離石で反乱し、大単于を称した(漢の始まり)。晉書 卷004 帝紀 永興1年8月
304年長安張方が惠帝を脅して長安へ連行し、河間王顒に引き渡した。洛陽には留台を置いた。晉書 卷004 帝紀 永興1年11月
305年成都李雄が帝位に即き、国号を蜀とした(のちの成漢)。晉書 卷004 帝紀 永興2年6月
306年長安祁弘らが刁默を大破し、顒・穎は南山へ逃走した。祁弘の麾下の鮮卑が長安を略奪し、二万余人を殺した。晉書 卷004 帝紀 光熙1年5月
306年洛陽祁弘らが惠帝を奉じて洛陽へ還御した(牛車)。晉書 卷004 帝紀 光熙1年5月
306年洛陽惠帝が顕陽殿で四十八歳で崩御した(毒殺説あり)。晉書 卷004 帝紀 光熙1年11月
307年萊州東萊の人王彌が反乱して青・徐州を攻め、長広・東牟の太守が殺された。晉書 卷005 帝紀 永嘉1年2月
307年晉陽幷州の諸郡が劉元海に次々と陥落したが、刺史の劉琨は晋陽を一人で守った。晉書 卷005 帝紀 永嘉1年3月
307年鄴馬牧の頭目汲桑が反乱して鄴を陥落させ、新蔡王騰を殺し、鄴宮を焼いた。晉書 卷005 帝紀 永嘉1年5月
307年建康琅邪王睿を安東将軍・都督揚州江南とし、建鄴に進駐させた(東晋の起点)。晉書 卷005 帝紀 永嘉1年7月
308年平陽劉元海が平陽を攻め、太守の宋抽は逃げ、河東太守の路述が戦死した。晉書 卷005 帝紀 永嘉2年7月
308年平陽劉元海が平陽で帝位を称し、国号を漢とした。晉書 卷005 帝紀 永嘉2年10月
309年延津王堪が劉元海を防いだが延津で敗れ、三万余人が戦死した。晉書 卷005 帝紀 永嘉3年3月
309年洛陽劉聰が洛陽の西明門に至ったが、東海王越が宣陽門の外で大破した。晉書 卷005 帝紀 永嘉3年9月
309年黎陽石勒が長楽を陥落させ、黎陽の住民を虐殺した。晉書 卷005 帝紀 永嘉3年11月
310年平陽劉元海が死ぬと子の和が継いだが、弟の聰が和を殺して自立した。晉書 卷005 帝紀 永嘉4年6月
310年洛陽東海王越が許昌へ出兵すると宮中は守備がなく、飢饉が激しく、殿舎の中には死体が散乱した。晉書 卷005 帝紀 永嘉4年11月
311年長沙湘州の流民杜弢が長沙を拠点に反乱した。晉書 卷005 帝紀 永嘉5年1月
311年石勒が東海王越の柩を東郡で追いつき、王衍ら公卿と兵士十余万人を殺した。晉書 卷005 帝紀 永嘉5年4月
311年洛陽劉曜・王彌が洛陽に入城(洛陽陥落)し、宮廟を焼いて三万余人が死んだ。懐帝は華林園へ逃げたが捕らえられた。晉書 卷005 帝紀 永嘉5年6月
311年平陽懐帝が平陽に連行され、劉聰から会稽公に封じられた。晉書 卷005 帝紀 永嘉5年6月
311年長安劉聰の子の粲が長安を陥落させ、南陽王模を殺した。晉書 卷005 帝紀 永嘉5年8月
313年平陽懐帝が平陽で三十歳で殺された。さきに劉聰の宴で、青い服を着て酒を注がされたことがあった。晉書 卷005 帝紀 永嘉7年1月
313年長安愍帝が長安で即位し、建興と改元した。晉書 卷005 帝紀 建興1年4月
313年建康愍帝(司馬鄴)の諱を避けて建鄴を建康、鄴を臨漳と改めた。晉書 卷005 帝紀 建興1年8月
314年薊石勒が幽州を陥落させ、大司馬の王浚を殺し、城邑を焼いて一万余人を殺した。晉書 卷005 帝紀 建興2年3月
316年長安劉曜が長安を圧迫して内外が断たれた。麴允は小城を守り、援軍は進めなかった。晉書 卷005 帝紀 建興4年8月
316年長安食糧が尽きた愍帝は羊の引く車に乗り、上衣を脱ぎ、玉を口にくわえ、棺を引いて劉曜に降伏した。晉書 卷005 帝紀 建興4年11月
316年平陽愍帝が平陽に連行され、劉聰から懐安侯に封じられた。晉書 卷005 帝紀 建興4年11月
317年薊劉琨が薊へ逃げ、段匹磾に身を寄せた。晉書 卷005 帝紀 建興4年12月
317年建康琅邪王睿が晋王に即位し、建武と改元して建康に宗廟社稷を立てた(東晋の始まり)。晉書 卷006 帝紀 建武1年3月
317年譙石勒の部将石季龍が譙城を包囲すると、祖逖が撃退した。晉書 卷006 帝紀 建武1年6月
318年平陽愍帝が平陽で十八歳で殺され、西晋が終わった。晉書 卷005 帝紀 建興5年12月
318年建康愍帝の死の報に百官が尊号を奉り、元帝が即位して大興と改元した。晉書 卷006 帝紀 大興1年3月
318年薊太尉の劉琨が段匹磾に殺された。晉書 卷006 帝紀 大興1年5月
319年浚儀祖逖が浚儀で石季龍と戦って敗れた。晉書 卷006 帝紀 大興2年5月
319年武當梁州刺史の周訪が武当で杜曾を斬り、第五猗を捕らえた。晉書 卷006 帝紀 大興2年5月
319年襄國石勒が襄国で趙王に即位した(後趙の始まり)。晉書 卷006 帝紀 大興2年11月
320年遼東慕容廆が遼東を襲撃し、東夷校尉の崔毖が高句驪へ逃げた。晉書 卷006 帝紀 大興2年12月
321年厭次石勒が厭次を陥落させ、幽州刺史の段匹磾が捕虜となった。晉書 卷006 帝紀 大興4年4月
322年武昌大将軍の王敦が武昌で劉隗討伐を名目に挙兵した。晉書 卷006 帝紀 永昌1年1月
322年建康王敦の前衛が石頭を攻撃すると、周札が城門を開いて呼応した。官軍は敗れ、刁協・戴若思・周顗らが死んだ。晉書 卷006 帝紀 永昌1年4月
322年譙石勒が襄城・城父を陥落させ、譙を包囲した。祖約の別軍を破ると、祖約は寿春へ退いた。晉書 卷006 帝紀 永昌1年10月
323年青州石季龍が青州を陥落させ、刺史の曹嶷が殺された。晉書 卷006 帝紀 太寧1年8月
324年當塗明帝が密かに馬で于湖へ行き、王敦の陣営を偵察した。晉書 卷006 帝紀 太寧2年6月
324年建康明帝の軍が越城で王敦の前衛を大破し、何康を斬った。王敦は憤りのあまり死んだ。晉書 卷006 帝紀 太寧2年7月
325年石勒が司・兗・豫の三州の地をすべて陥落させた。晉書 卷006 帝紀 太寧3年4月
327年和縣豫州刺史の祖約と歴陽太守の蘇峻が反乱した(蘇峻の乱)。晉書 卷007 帝紀 咸和2年11月
328年當塗蘇峻の部将韓晃が姑孰に入り、于湖を虐殺した。晉書 卷007 帝紀 咸和2年12月
328年建康蘇峻が蔣山から西陵・青溪柵へ進撃して官軍を大破し、卞壼・羊曼らが戦死した。庾亮は尋陽へ逃げた。晉書 卷007 帝紀 咸和3年2月
328年建康蘇峻が成帝を石頭へ移した。晉書 卷007 帝紀 咸和3年5月
328年陶侃・溫嶠・庾亮・魏該の水軍四万が蔡洲に駐屯した。晉書 卷007 帝紀 咸和3年5月
328年蘇峻が軽騎で出撃したが落馬して斬られ、反乱軍は大敗した。晉書 卷007 帝紀 咸和3年9月
329年洛陽石勒が洛陽で劉曜を破り、捕らえた。晉書 卷007 帝紀 咸和3年12月
329年建康石頭攻撃で蘇逸が大敗し、滕含が成帝を奉じて溫嶠の船へ移した。晉書 卷007 帝紀 咸和4年2月
329年天水石季龍が上邽を屠り劉氏を滅ぼし、その一味三千余人を生き埋めにした。晉書 卷007 帝紀 咸和4年9月
330年尋陽陶侃が尋陽で郭默を捕らえて斬った。晉書 卷007 帝紀 咸和5年5月
330年襄陽石勒が皇帝に即位し、郭敬を派遣して襄陽を攻めた。晉書 卷007 帝紀 咸和5年8月
333年襄國石勒が死に、子の弘が跡を継いだ。晉書 卷007 帝紀 咸和8年7月
334年襄國石季龍が石弘を殺して天王として自立した。晉書 卷007 帝紀 咸和9年11月
337年慕容皝が燕王を自称した。晉書 卷007 帝紀 咸康3年11月
338年遼西石季龍が七万を率いて遼西の段遼を攻め、段遼は平崗へ逃げた。晉書 卷007 帝紀 咸康4年2月
338年成都李壽が李期を殺し、国号を漢とした。晉書 卷007 帝紀 咸康4年4月
339年邾城石季龍の部将夔安らが沔南を陥落させ、張貉が邾城を陥落させた。毛寶らが戦死した。晉書 卷007 帝紀 咸康5年9月
343年襄陽安西将軍の庾翼が征討大都督として襄陽へ移り、駐屯した。晉書 卷007 帝紀 建元1年7月
347年成都桓温が成都を攻めて陥落させ、李勢が降伏して益州が平定された(成漢の滅亡)。晉書 卷008 帝紀 永和3年3月
347年日南林邑の范文が日南を陥落させ、太守の夏侯覽を殺した。晉書 卷008 帝紀 永和3年3月
349年鄴石季龍が鄴で皇帝を称した。晉書 卷008 帝紀 永和5年1月
349年彭城褚裒が彭城まで進軍したが、代陂で李農に敗れた。晉書 卷008 帝紀 永和5年7月
350年鄴冉閔が石鑒を殺して魏を建てた(閏一月)。晉書 卷008 帝紀 永和6年1月
351年五丈原梁州刺史の司馬勳が五丈原で苻健に敗れた。晉書 卷008 帝紀 永和7年4月
352年中山冉閔が慕容儁に滅ぼされ、慕容儁が中山で帝位を称して国号を燕とした。晉書 卷008 帝紀 永和8年4月
352年許昌謝尚が許昌の誡橋で張遇に敗れた。晉書 卷008 帝紀 永和8年4月
352年鄴冉閔の子の智が鄴を挙げて降伏し、戴施が伝国璽を得て送った。晉書 卷008 帝紀 永和8年8月
353年譙殷浩が山桑で姚襄の反撃を受け、荷を捨てて譙城へ退いた。晉書 卷008 帝紀 永和9年10月
354年姑臧涼州牧の張祚が姑臧で帝位を僭称した。晉書 卷008 帝紀 永和10年1月
354年藍田桓温が関中征伐の途中、藍田で苻萇を大破した。晉書 卷008 帝紀 永和10年4月
354年白鹿原苻雄が全軍を集めて白鹿原で桓温を破った。九月、食糧が尽きた桓温は帰還した。晉書 卷008 帝紀 永和10年6月
356年廣固慕容恪が廣固の段龕を攻めた。晉書 卷008 帝紀 永和12年10月
357年三原苻眉・苻堅が三原で姚襄を破って斬った。晉書 卷008 帝紀 升平1年5月
365年洛陽慕容恪が洛陽を陥落させ、竺瑤は襄陽へ逃げ、沈勁が戦死した。晉書 卷008 帝紀 興寧3年3月
365年成都梁州刺史の司馬勳が反乱して成都で益州刺史の周楚を包囲し、桓温は朱序を送って救援させた。晉書 卷008 帝紀 興寧3年10月
366年成都朱序が成都で司馬勳を破って斬った。晉書 卷008 帝紀 太和1年5月
369年枋頭桓温は枋頭に至ったが食糧の輸送が絶たれ、船を焼いて帰還した。晉書 卷008 帝紀 太和4年9月
369年襄邑慕容垂が襄邑で桓温の後軍を追撃して破った。晉書 卷008 帝紀 太和4年9月
370年鄴前秦の王猛が鄴を陥落させ、慕容暐を捕らえて前燕の領土をすべて奪った。晉書 卷008 帝紀 太和5年11月
371年壽陽桓温が寿陽を陥落させ、袁瑾を斬った。晉書 卷008 帝紀 太和6年1月
371年建康桓温が崇徳太后の令を掲げて海西公を廃した。晉書 卷008 帝紀 太和6年11月
371年建康簡文帝が即位し、桓温が中堂に駐屯した。晉書 卷009 帝紀 咸安1年11月
372年京口前護軍将軍の庾希が海陵から京口に入って反乱した。晉書 卷009 帝紀 咸安2年6月
373年成都苻堅の部将楊安が成都を攻めた。晉書 卷009 帝紀 寧康1年9月
374年成都蜀の人張育が蜀王を自称して成都を包囲したが、苻堅の将鄧羌が滅ぼした。晉書 卷009 帝紀 寧康2年5月
376年姑臧苻堅の部将苟萇が涼州を陥落させ、張天錫を捕らえて涼州全域を奪った。晉書 卷009 帝紀 太元1年7月
377年盛樂苻堅が苻洛を派遣して代を攻め、代王の什翼犍(拓跋什翼犍)を捕らえた。晉書 卷009 帝紀 太元1年12月
379年襄陽苻堅の子の丕が襄陽を陥落させ、南中郎将の朱序を捕らえた。晉書 卷009 帝紀 太元4年2月
383年壽春苻堅の弟の融が寿春を陥落させた。晉書 卷009 帝紀 太元8年10月
383年淝水晋の諸将が肥水で苻堅を大破し(淝水の戦い)、数万を殺し、あるいは捕虜とした。晉書 卷009 帝紀 太元8年10月
384年洛陽翟遼が苻堅に背いて挙兵し、慕容垂が加わって洛陽の苻暉を攻めた。晉書 卷009 帝紀 太元8年12月
384年耀州苻堅の部将姚萇が北地で背いて騎兵を率い、自ら王となり国号を秦とした(後秦)。晉書 卷009 帝紀 太元9年4月
385年長安慕容沖が阿房で皇帝を称した。晉書 卷009 帝紀 太元9年12月
385年長安苻堅の太子苻宏が降伏し、慕容沖が長安に入城した。晉書 卷009 帝紀 太元10年6月
386年中山慕容垂が中山で皇帝を称した(後燕)。晉書 卷009 帝紀 太元11年1月
386年盛樂代王の拓跋珪が国号を魏と改めた。晉書 卷009 帝紀 太元11年4月
394年長子慕容垂が長子で慕容永を攻めて斬った。晉書 卷009 帝紀 太元19年8月
396年平城慕容垂が平城を攻めて陥落させた。晉書 卷009 帝紀 太元21年3月
399年平城魏王の拓跋珪が平城で即位し、天興と改元した。晉書 卷010 帝紀 隆安2年12月
399年廣固慕容德が青州を陥落させ、広固で皇帝を称した(南燕)。晉書 卷010 帝紀 隆安3年6月
399年洛陽姚興が洛陽を陥落させ、河南太守の辛恭靖を捕らえた。晉書 卷010 帝紀 隆安3年10月
399年會稽妖賊の孫恩が会稽を陥落させ、内史の王凝之が戦死した。晉書 卷010 帝紀 隆安3年11月
400年江陵桓玄が江陵を襲撃し、荊州刺史の殷仲堪・楊佺期が殺された。晉書 卷010 帝紀 隆安3年12月
400年會稽会稽内史の謝琰が孫恩に敗れて戦死した。晉書 卷010 帝紀 隆安4年5月
402年建康劉牢之が桓玄に投降すると、新亭で官軍が敗れ、元顕らが殺された。桓玄は丞相として政権を握った。晉書 卷010 帝紀 元興1年3月
404年建康桓玄が帝位を簒奪し、安帝を平固王に降格した。晉書 卷010 帝紀 元興2年12月
404年京口劉裕・劉毅・何無忌らが義兵を挙げ、京口で桓修、広陵で桓弘を斬った。晉書 卷010 帝紀 元興3年2月
404年建康劉裕が留台を設けて百官を整え、王謐らが劉裕を鎮軍将軍・徐州刺史に推した。晉書 卷010 帝紀 元興3年3月
404年江陵桓玄の旧将桓振が江陵を陥落させ、安帝は再び敵の手に囚われた(閏五月)。晉書 卷010 帝紀 元興3年5月
404年廣州盧循が広州を攻め、刺史の呉隠之が敗れた。晉書 卷010 帝紀 元興3年10月
405年襄陽南陽太守の魯宗之が義兵を挙げて襄陽を襲撃し、撃破した。晉書 卷010 帝紀 義熙1年1月
405年成都譙縦が益州刺史の毛璩を殺し、蜀で反乱した(西蜀の独立)。晉書 卷010 帝紀 義熙1年2月
405年江陵桓振が再び江陵を襲撃したが、劉懐粛が斬った。安帝は江陵から帰還した。晉書 卷010 帝紀 義熙1年3月
407年赫連勃勃が朔方で天王を称し、国号を夏とした。晉書 卷010 帝紀 義熙3年6月
409年臨朐劉裕が臨朐で慕容超を大破した。晉書 卷010 帝紀 義熙5年6月
410年廣固劉裕が広固で慕容超を攻めて破り、斉の地(南燕)を平定した。晉書 卷010 帝紀 義熙6年1月
410年豫章鎮南将軍の何無忌が豫章で盧循と戦って敗れ、戦死した。晉書 卷010 帝紀 義熙6年3月
410年建康盧循が淮口に至り、建康の内外に戒厳令が敷かれた。劉裕は石頭に駐屯した。晉書 卷010 帝紀 義熙6年5月
411年交趾盧循が交州へ逃げたが、刺史の杜慧度に斬られた。晉書 卷010 帝紀 義熙7年4月
412年江陵劉裕の参軍王鎮惡が江陵城を陥落させると、劉毅が自殺した。晉書 卷010 帝紀 義熙8年9月
413年成都朱齢石が成都を陥落させ、譙縦を斬って益州を平定した。晉書 卷010 帝紀 義熙9年7月
415年江陵劉裕が江津で司馬休之を破り、休之は襄陽へ逃げた。晉書 卷010 帝紀 義熙11年3月
416年洛陽後秦の姚泓の将姚光が洛陽を挙げて降伏した。晉書 卷010 帝紀 義熙12年10月
417年潼關王鎮惡が潼関で姚紹を大破した。晉書 卷010 帝紀 義熙13年3月
417年長安劉裕が長安を陥落させ、姚泓を捕らえて後秦を滅ぼした。晉書 卷010 帝紀 義熙13年7月
418年長安赫連勃勃が青泥の北で晋軍を大破し、朱齢石は長安の宮殿を焼いて潼関へ逃げる途中で戦死した。晉書 卷010 帝紀 義熙14年11月
419年建康安帝が東堂で三十七歳で崩御した(劉裕が縊殺したという説がある)。晉書 卷010 帝紀 義熙14年12月
420年建康劉裕が京師に至り、恭帝から禅譲を受け、恭帝を零陵王に降格した(東晋の滅亡)。晉書 卷010 帝紀 元熙2年6月

原文のライセンスと出典

晉書 — 中文維基文庫(zh.wikisource.org) 編者, CC BY-SA 4.0 (원저작 PD). 대목 나누기·정리: 지도 프로젝트

원저작 PD · 위키문고(zh.wikisource.org) 본문 CC BY-SA 4.0

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