魏書 帝紀(正史 の史料)。扱う年は386年 〜 550年、出来事200件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 正史 |
|---|---|
| 視点 | 内側の視点 |
| 扱う年 | 386年 〜 550年 |
| 出来事の数 | 出来事200件・地図に置いた135件 |
| 著者 | 魏收 |
| 原題 | 魏書 帝紀 |
地域の内訳: 中国 200
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 386年 | 牛川 | 道武帝拓跋珪が代王の位に即き、牛川で大会を開いて年号を立てた。 | 魏書卷2·登國元年 |
| 386年 | 盛樂 | 二月、定襄の盛楽に行幸し、軍を休ませ、農耕を勧めた。 | 魏書卷2·登國元年 |
| 386年 | 高柳 | 後燕の賀驎と高柳で合流し、叔父の窟咄を大破した。窟咄は衛辰のもとへ逃げ、殺された。 | 魏書卷2·登國元年 |
| 387年 | 馬邑 | 馬邑の南で劉顕を親征し、弥沢まで追撃して大破した。劉顕は慕容永のもとへ逃げた。 | 魏書卷2·登國二年 |
| 390年 | 鹿渾海 | 西征して鹿渾海で高車の袁紇部を襲い、大破した。 | 魏書卷2·登國五年 |
| 391年 | 五原 | 五原を襲って虐殺し、穀物を奪った。 | 魏書卷2·登國六年 |
| 391年 | 牀山 | 柔然を北伐し、大漠の南、牀山の麓で大破した。 | 魏書卷2·登國六年 |
| 391年 | 鐵歧山 | 鉄岐山の南で直力鞮の軍を大破し、家畜二十余万を得た。 | 魏書卷2·登國六年 |
| 391年 | 衛辰の遺体を斬って晒し、その国を滅ぼした。黄河以南の諸部族はことごとく平定された。 | 魏書卷2·登國六年 | |
| 393年 | 長子 | 慕容垂が長子で慕容永の長男を包囲した。慕容永の急報を受けて魏軍が救援に出動した。 | 魏書卷2·登國八年 |
| 395年 | 參合陂 | 参合陂で後燕の慕容宝の軍を大破し、数千人を生け捕った(参合陂の戦い)。 | 魏書卷2·登國十年 |
| 396年 | 平城 | 慕容垂が上建川に侵攻し、真留公元虔が戦死した。軍は平城の西北に陣を張った。 | 魏書卷2·皇始元年 |
| 396年 | 馬邑 | 大軍四十万余りで馬邑を出て句注を越え、慕容宝討伐に赴いた。 | 魏書卷2·皇始元年 |
| 396年 | 後燕の并州牧慕容農が城を捨てて逃げ、并州が平定された。 | 魏書卷2·皇始元年 | |
| 396年 | 中山 | 中山を包囲した。 | 魏書卷2·皇始元年 |
| 397年 | 栢肆塢の夜襲を防ぎ、慕容宝の軍を大破した。 | 魏書卷2·皇始二年 | |
| 397年 | 九門で大疫病が起こり、人・馬・牛が多く死んだ。 | 魏書卷2·皇始二年 | |
| 397年 | 中山 | 慕容麟の軍を衣袋塢で大破した後、中山を平定した。 | 魏書卷2·皇始二年 |
| 398年 | 鄴 | 鄴を視察して都を定める意思を示し、行台を設けた。 | 魏書卷2·天興元年 |
| 398年 | 平城 | 山東六州の民と、徒何・高句麗の捕虜三十六万、工匠十万を都へ移住させた。 | 魏書卷2·天興元年 |
| 398年 | 平城 | 平城に遷都し、宮室・宗廟・社稷を建てた。 | 魏書卷2·天興元年 |
| 398年 | 平城 | 天文殿で皇帝に即位した。 | 魏書卷2·天興元年 |
| 399年 | 高車 | 三方面から高車を急襲し、三十余部・七万余口を得た。 | 魏書卷2·天興二年 |
| 399年 | 滑臺 | 和跋が鄴の行台から出撃し、滑台を陥落させた。 | 魏書卷2·天興二年 |
| 400年 | 涿鹿 | 東方を巡狩し、涿鹿で尭・舜の廟に祭った。 | 魏書卷2·天興三年 |
| 402年 | 令支 | 後燕の慕容熙が遼西に侵入し、魏の将軍が令支を捨てて退いた。 | 魏書卷2·天興五年 |
| 402年 | 高平 | 常山王拓跋遵が安定の高平に至り、木易于を追撃して瓦亭まで進んだ。 | 魏書卷2·天興五年 |
| 402年 | 柴壁 | 柴壁で姚平を包囲し、救援に来た姚興の軍を蒙坑で大破した。 | 魏書卷2·天興五年 |
| 402年 | 壺關 | 上党郡の盗賊秦頗と、丁零の翟都を壺関で討伐した。 | 魏書卷2·天興五年 |
| 404年 | 平城 | 昭陽殿で官職を分け、爵位を王・公・侯・子の四等に定めた。 | 魏書卷2·天賜元年 |
| 409年 | 平城 | 道武帝が天安殿で崩御した(三十九歳)。 | 魏書卷2·天賜六年 |
| 409年 | 明元帝拓跋嗣が反乱した清河王紹を殺して即位した(永興元年)。 | 魏書卷3·永興元年 | |
| 410年 | 牛川 | 長孫嵩の軍が柔然に牛川で包囲されると、皇帝は北伐し、柔然は逃げた。 | 魏書卷3·永興二年 |
| 413年 | 跋那山 | 奚斤が跋那山の西で越勤倍泥部を破り、馬五万・牛二十万を得た。 | 魏書卷3·永興五年 |
| 415年 | 上黨 | 河西の飢饉に苦しむ胡人が上党で反乱し、大将軍・単于を称した。 | 魏書卷3·神瑞二年 |
| 416年 | 滑臺 | 劉裕が後秦を討伐中、王仲徳が滑台に入り、叔孫建が滑台城下で尉建を斬った。 | 魏書卷3·泰常元年 |
| 416年 | 幽州 | 延普が濡水を渡り、馮跋配下の庫傉官斌らを破り、幽州を平定した。 | 魏書卷3·泰常元年 |
| 417年 | 劉裕が後秦の姚泓を滅ぼした。 | 魏書卷3·泰常二年 | |
| 418年 | 和龍 | 長孫道生が竜城まで攻め込み、万余戸を移住させた。 | 魏書卷3·泰常三年 |
| 423年 | 冶坂津に浮橋を架けて黄河を渡った。 | 魏書卷3·泰常八年 | |
| 423年 | 洛陽 | 洛陽に至り、石経を見た。 | 魏書卷3·泰常八年 |
| 423年 | 虎牢 | 虎牢を包囲して水路を断ち、陥落させた。宋の司州刺史毛徳祖を捕らえた。 | 魏書卷3·泰常八年 |
| 423年 | 平城 | 明元帝が西宮で崩御した(三十二歳)。 | 魏書卷3·泰常八年 |
| 424年 | 盛樂 | 柔然の騎兵六万が雲中に侵入し、盛楽宮を陥落させた。 | 魏書卷4上·始光元年 |
| 426年 | 軽騎兵二万で赫連昌の統万城の城下まで進み、万余戸を移住させた。 | 魏書卷4上·始光三年 | |
| 427年 | 上邽 | 赫連昌は数百騎で南西の上邽へ逃げた。 | 魏書卷4上·始光四年 |
| 427年 | 統萬 | 統万城に入城し、赫連昌の一族と財宝を大いに得た。大夏の都が陥落した。 | 魏書卷4上·始光四年 |
| 430年 | 宋の到彦之が黄河を渡って冶坂を攻めたが、安頡に破られ、五千を斬られた。 | 魏書卷4上·神䴥三年 | |
| 430年 | 洛陽 | 安頡が洛陽を陥落させた。 | 魏書卷4上·神䴥三年 |
| 430年 | 虎牢 | 安頡が虎牢を平定し、宋の司州刺史尹沖が墜死した。 | 魏書卷4上·神䴥三年 |
| 430年 | 平涼に至り、四方から包囲した。 | 魏書卷4上·神䴥三年 | |
| 430年 | 安定 | 赫連定の軍を大破し、安定を攻略した。 | 魏書卷4上·神䴥三年 |
| 430年 | 平涼 | 赫連定の弟たちが降伏し、平涼が平定されて関中も平定された。 | 魏書卷4上·神䴥三年 |
| 432年 | 和龍 | 北燕の馮文通の和竜に至り、城を激しく圧迫した。 | 魏書卷4上·延和元年 |
| 432年 | 幽州 | 営丘など六郡の民、三万余戸を幽州へ移住させた。 | 魏書卷4上·延和元年 |
| 436年 | 馮文通が高句麗に救援を求め、高句麗の将軍葛蔓盧が二万で迎え撃った。 | 魏書卷4上·太延二年 | |
| 436年 | 楊難当が上邽を奪うと、楽平王丕が河西・高平郡へ討伐軍を進めた。 | 魏書卷4上·太延二年 | |
| 439年 | 姑臧 | 北涼の都姑臧に至り、包囲した。 | 魏書卷4上·太延五年 |
| 439年 | 沮渠牧犍が五千人とともに面縛して降伏し、城内の戸口二十余万を掌握した(北涼の滅亡)。 | 魏書卷4上·太延五年 | |
| 439年 | 姑臧 | 涼州の民三万余戸を都へ移住させた。 | 魏書卷4上·太延五年 |
| 441年 | 酒泉 | 奚眷が酒泉を平定し、沮渠天周らを含む四千人を捕らえた。 | 魏書卷4下·太平真君二年 |
| 442年 | 鄯善 | 沮渠無諱が流沙を渡り、鄯善に拠った。 | 魏書卷4下·太平真君三年 |
| 442年 | 上邽 | 宋の将軍裴方明が南から侵攻すると、楊難当は敗れて上邽へ逃げた。 | 魏書卷4下·太平真君三年 |
| 443年 | 仇池 | 仇池を陥落させた。 | 魏書卷4下·太平真君四年 |
| 445年 | 鄯善 | 万度帰が軽騎兵で鄯善王真達を捕らえ、都へ護送した。 | 魏書卷4下·太平真君六年 |
| 445年 | 杏城 | 盧水胡の蓋呉が杏城で反乱した(関中の大反乱)。 | 魏書卷4下·太平真君六年 |
| 445年 | 長安 | 叔孫抜が渭水の北で蓋呉の軍を大破し、三万余を斬った。 | 魏書卷4下·太平真君六年 |
| 446年 | 長安 | 長安に行幸し、父老を慰問した。 | 魏書卷4下·太平真君七年 |
| 446年 | 廃仏:すべての州で僧侶を取り調べ、仏像を壊すよう命じた(太武帝の廃仏)。 | 魏書卷4下·太平真君七年 | |
| 448年 | 焉耆 | 万度帰が千里の駅馬を走らせて焉耆を大破し、王は亀茲へ逃げた。 | 魏書卷4下·太平真君九年 |
| 448年 | 龜茲 | 万度帰に焉耆から西の亀茲を討伐するよう命じた。 | 魏書卷4下·太平真君九年 |
| 450年 | 懸瓠 | 懸瓠討伐に出た。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 |
| 450年 | 枋頭 | 南征:皇帝は枋頭に滞在した。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 |
| 450年 | 黄河を渡ると、宋の王玄謨が滑台で軍を捨てて逃げ、一万余を斬った。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 | |
| 450年 | 彭城 | 彭城を経て盱眙へ向かった。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 |
| 450年 | 盱眙 | 盱眙の宋の臧質が城門を閉じて抗戦した。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 |
| 450年 | 瓜步 | 揚子江に臨み、瓜歩山に行宮を建てた。 | 魏書卷4下·太平真君十一年 |
| 451年 | 川の上で群臣の大会を開き、褒賞を与えた。 | 魏書卷4下·正平元年 | |
| 452年 | 平城 | 太武帝が崩御した(四十五歳)。宦官の宗愛が皇后の令を偽造して東平王翰を殺し、南安王余を立てた。 | 魏書卷4下·正平二年 |
| 452年 | 平城 | 文成帝拓跋濬が永安殿で即位した。 | 魏書卷5·興安元年 |
| 452年 | 仏教を再興した(廃仏の解除)。 | 魏書卷5·興安元年 | |
| 458年 | 碣石 | 東巡して碣石山に登り海を望み、群臣と大宴を催した。山の名を落游山と改めた。 | 魏書卷5·太安四年 |
| 459年 | 高平 | 皮豹子が高平まで進み、宋の殷孝祖を破り、五千余を斬った。 | 魏書卷5·太安五年 |
| 461年 | 霊丘の南山で岩に矢を射、銘を刻ませた(霊丘南山の射銘石刻)。 | 魏書卷5·和平二年 | |
| 465年 | 平城 | 文成帝が太和殿で崩御した(二十六歳)。 | 魏書卷5·和平六年 |
| 465年 | 平城 | 献文帝の即位直後、車騎大将軍の乙渾が詔を偽造し、尚書らを禁中で殺した。 | 魏書卷6·和平六年 |
| 466年 | 彭城 | 宋の徐州刺史薛安都が彭城を挙げて魏に帰順し、尉元が救援に赴いた。 | 魏書卷6·天安元年 |
| 467年 | 呂梁 | 尉元が呂梁の東で宋の張永・沈攸之を大破し、数万を斬った。 | 魏書卷6·皇興元年 |
| 467年 | 歷城 | 慕容白曜が歴城を攻めた。 | 魏書卷6·皇興元年 |
| 467年 | 武州山 | 武州山の石窟寺(雲崗石窟)に行幸し、皇子宏(孝文帝)が誕生した。 | 魏書卷6·皇興元年 |
| 468年 | 東陽 | 慕容白曜が東陽を包囲した。 | 魏書卷6·皇興二年 |
| 469年 | 東陽 | 東陽が陥落し、宋の沈文秀が生け捕りにされた(青州平定)。 | 魏書卷6·皇興三年 |
| 469年 | 青州 | 青州の民を都へ移住させた。 | 魏書卷6·皇興三年 |
| 470年 | 曼頭山 | 長孫観が曼頭山で吐谷渾の拾寅を大破した。 | 魏書卷6·皇興四年 |
| 471年 | 平城 | 献文帝は皇太子宏に譲位して太上皇帝となり、崇光宮へ移った。 | 魏書卷6·皇興五年 |
| 471年 | 平城 | 孝文帝拓跋宏が太和殿で即位した。 | 魏書卷7上·延興元年 |
| 471年 | 枹罕 | 沃野・統万の敕勒の反乱を源賀が枹罕まで追撃して滅ぼした。 | 魏書卷7上·延興元年 |
| 473年 | 懷州 | 太上皇帝が南巡して懐州に至った。 | 魏書卷7上·延興三年 |
| 479年 | 淮陰 | 南伐:淮陰・広陵・寿春の三方面から出兵するよう命じた。 | 魏書卷7上·太和三年 |
| 480年 | 角城 | 斉の角城の守将が城を挙げて内附を願い出た。 | 魏書卷7上·太和四年 |
| 480年 | 義陽 | 馮熙を西道都督とし、桓誕とともに義陽方面へ出兵させた。 | 魏書卷7上·太和四年 |
| 481年 | 下蔡 | 斉の豫州刺史垣崇祖が下蔡に侵入したのを、馮熙が破った。 | 魏書卷7上·太和五年 |
| 484年 | 俸禄制の施行を布告した。 | 魏書卷7上·太和八年 | |
| 485年 | 均田制:使者を遣わし、州郡の土地を公平に分配させた。 | 魏書卷7上·太和九年 | |
| 486年 | 党・里・隣の三長制を設け、戸籍を定めた。 | 魏書卷7下·序 | |
| 493年 | 平城 | 自ら百万余の歩騎を率いて平城から南征に出発した。 | 魏書卷7下·太和十七年 |
| 493年 | 洛陽 | 洛陽に至り、旧宮の跡を巡って涙を流した。 | 魏書卷7下·太和十七年 |
| 493年 | 群臣が馬前で南征の中止を請うたので従い、遷都の方針を定めた。 | 魏書卷7下·太和十七年 | |
| 493年 | 滑臺 | 滑台の東に壇を築き、遷都の意思を行廟に報告した。 | 魏書卷7下·太和十七年 |
| 494年 | 洛陽 | 洛陽の西宮に行幸した。 | 魏書卷7下·太和十八年 |
| 494年 | 武川 | 六鎮の巡行。懐朔・武川・武明・柔玄の諸鎮を順に訪れた。 | 魏書卷7下·太和十八年 |
| 494年 | 平城 | 平城の宮を発ち、洛陽へ向かった。 | 魏書卷7下·太和十八年 |
| 495年 | 鍾離 | 鍾離に着き、川に臨もうとしたが、引き返すよう命じられた。 | 魏書卷7下·太和十九年 |
| 495年 | 魯城 | 魯城で孔子廟に直接祭祀を行った。 | 魏書卷7下·太和十九年 |
| 495年 | 洛陽 | 遷都に従った代の人々は河南洛陽の人とされ、北へ帰ることを禁じられた。 | 魏書卷7下·太和十九年 |
| 495年 | 洛陽 | 六宮と文武の官はすべて洛陽への移住を終えた。 | 魏書卷7下·太和十九年 |
| 496年 | 姓を元氏に改めた。 | 魏書卷7下·太和二十年 | |
| 497年 | 長安 | 長安に行幸し、未央宮・阿房宮・昆明池を訪れた。 | 魏書卷7下·太和二十一年 |
| 497年 | 赭陽 | 赭陽を将軍たちに攻めさせ、皇帝は南へ進んだ。 | 魏書卷7下·太和二十一年 |
| 497年 | 宛 | 宛城を夜襲し、外城(郛)を陥落させた。 | 魏書卷7下·太和二十一年 |
| 498年 | 新野 | 新野を陥落させ、斉の太守劉忌を宛城で斬った。 | 魏書卷7下·太和二十二年 |
| 498年 | 鄧城 | 鄧城で斉の崔恵景・蕭衍(後の梁武帝)の軍を大破し、二万余を斬った。 | 魏書卷7下·太和二十二年 |
| 499年 | 馬圈 | 馬圈で斉の陳顯達の軍を破った。 | 魏書卷7下·太和二十三年 |
| 499年 | 穀塘原 | 孝文帝が穀塘原の行宮で崩御した(三十三歳)。 | 魏書卷7下·太和二十三年 |
| 499年 | 魯陽 | 宣武帝元恪が魯陽で即位した。 | 魏書卷8·太和二十三年 |
| 500年 | 壽春 | 斉の豫州刺史裴叔業が寿春を挙げて魏に内附し、彭城王勰が十万で出動した。 | 魏書卷8·景明元年 |
| 501年 | 洛陽 | 洛陽の坊三百二十三を五万人で築いた。 | 魏書卷8·景明二年 |
| 502年 | 蕭衍が斉を廃して梁を建てた。 | 魏書卷8·景明三年 | |
| 504年 | 義陽 | 元英が義陽を陥落させ、梁の蔡霊恩らを捕らえた。 | 魏書卷8·正始元年 |
| 504年 | 漢中 | 梁の夏侯道遷が漢中を挙げて来降し、邢巒が鎮守に赴いた。 | 魏書卷8·正始元年 |
| 506年 | 武興 | 邢巒が武興を陥落させた。 | 魏書卷8·正始三年 |
| 506年 | 鍾離 | 元英が梁軍を大破し、鍾離を攻めた。 | 魏書卷8·正始三年 |
| 507年 | 鍾離 | 鍾離に大水が出て、元英は敗れて帰還した。 | 魏書卷8·正始四年 |
| 508年 | 京兆王愉が冀州で反乱した。 | 魏書卷8·永平元年 | |
| 508年 | 懸瓠 | 邢巒が懸瓠を陥落させ、反乱者の白早生を斬った。 | 魏書卷8·永平元年 |
| 512年 | 肆州 | 肆州で地震により地面が裂け、死傷者が多く出た。 | 魏書卷8·延昌元年 |
| 515年 | 洛陽 | 宣武帝が式乾殿で崩御した(三十三歳)。 | 魏書卷8·延昌四年 |
| 516年 | 硤石 | 崔亮・李平が硤石を陥落させ、梁の豫州刺史趙祖悦を斬った。 | 魏書卷9·熙平元年 |
| 519年 | 羽林軍千余人が張彝の家を焼き払った(羽林の変)。 | 魏書卷9·神龜二年 | |
| 520年 | 洛陽 | 元叉・劉騰が胡太后を北宮に幽閉し、権力を掌握した。 | 魏書卷9·正光元年 |
| 524年 | 沃野 | 沃野鎮の人破落汗抜陵が反乱した(六鎮の乱の始まり)。 | 魏書卷9·正光五年 |
| 524年 | 秦州の莫折太提が秦王を称し、刺史の李彦を殺した。 | 魏書卷9·正光五年 | |
| 524年 | 岐州 | 莫折天生が岐州を陥落させ、元志と刺史を捕らえた。 | 魏書卷9·正光五年 |
| 525年 | 彭城 | 梁の豫章王蕭綜が夜陰に乗じて彭城を脱し、魏に投降した。 | 魏書卷9·孝昌元年 |
| 525年 | 上谷 | 柔玄鎮の杜洛周が上谷で反乱した。 | 魏書卷9·孝昌元年 |
| 526年 | 白牛邏 | 葛栄が白牛邏で広陽王淵・章武王融を破り、自ら天子を称した。 | 魏書卷9·孝昌二年 |
| 526年 | 幽州 | 杜洛周が幽州を陥落させ、刺史王延年と行台の常景を捕らえた。 | 魏書卷9·孝昌二年 |
| 527年 | 雍州刺史の蕭宝夤が反乱し、斉を称した。 | 魏書卷9·孝昌三年 | |
| 527年 | 葛栄が冀州を陥落させ、住民を追い立てた。十人のうち六、七人が凍死した。 | 魏書卷9·孝昌三年 | |
| 528年 | 洛陽 | 孝明帝が顕陽殿で崩御した(十九歳)。生まれたばかりの王女を皇子と偽って即位させ、すぐに廃した。 | 魏書卷9·武泰元年 |
| 528年 | 滄州 | 葛栄が滄州を陥落させ、住民の十人のうち八、九人が死んだ。 | 魏書卷9·武泰元年 |
| 528年 | 爾朱栄が黄河を渡って南下し、孝荘帝を擁立しようとした。 | 魏書卷9·武泰元年 | |
| 528年 | 孝荘帝元子攸が黄河を南へ渡って即位した。 | 魏書卷10·永安元年 | |
| 528年 | 河陰の変。爾朱栄が霊太后・劉昼・高陽王らの公卿など二千余人を殺した。 | 魏書卷10·永安元年 | |
| 528年 | 滏口 | 爾朱栄が騎兵七万で滏口において葛栄を大破し、生け捕りにした。 | 魏書卷10·永安元年 |
| 528年 | 洛陽 | 葛栄を洛陽に護送し、市中で斬った。 | 魏書卷10·永安元年 |
| 529年 | 濟南 | 斉州の済南で邢杲を大破し、降伏した邢杲は京師で斬られた。 | 魏書卷10·永安二年 |
| 529年 | 河內 | 孝荘帝が北の河内へ避難した。 | 魏書卷10·永安二年 |
| 529年 | 洛陽 | 元顥が洛陽に入城した(孝荘帝は河内へ避難)。 | 魏書卷10·永安二年 |
| 529年 | 長子 | 太原王爾朱栄が長子で孝荘帝の御駕を迎えた。 | 魏書卷10·永安二年 |
| 529年 | 洛陽 | 元顥が敗走した後、孝荘帝は洛陽に戻って華林園に入り、まもなく元顥は臨瀛の兵卒に斬られた。 | 魏書卷10·永安二年 |
| 530年 | 安定 | 爾朱天光が安定で万俟醜奴・蕭宝夤を大破して捕らえ、関中を平定した。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 530年 | 洛陽 | 孝荘帝が明光殿で爾朱栄・元天穆を殺した。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 530年 | 河陰 | 爾朱世隆らが西陽門を焼き、河陰へ出て駐屯した。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 530年 | 河橋 | 李苗が火船で河橋を焼き、爾朱世隆が退却した。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 530年 | 洛陽 | 爾朱兆が黄河を渡って京城を急襲し、皇帝を捕らえた。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 530年 | 晉陽 | 孝荘帝を晋陽に連行し、三級仏寺で殺した(二十四歳)。 | 魏書卷10·永安三年 |
| 531年 | 洛陽 | 前廃帝元恭が禅譲を受け、洛陽の太極殿で即位した。 | 魏書卷11·序 |
| 531年 | 信都 | 高歓が信都で爾朱氏討伐の義兵を挙げた。 | 魏書卷11·序 |
| 531年 | 信都 | 高歓が信都で勃海太守元朗を皇帝に推戴した(後廃帝)。 | 魏書卷11·序 |
| 531年 | 廣阿 | 高歓が広阿で爾朱兆を大破し、五千人を捕虜とした。 | 魏書卷11·後廢帝 |
| 532年 | 鄴 | 高歓が鄴を陥落させ、刺史の劉誕を生け捕りにした。 | 魏書卷11·後廢帝 |
| 532年 | 韓陵 | 高歓が韓陵で爾朱の四胡を大破した。 | 魏書卷11·後廢帝 |
| 532年 | 洛陽 | 長孫稚が京師に入り、爾朱世隆・彦伯を都の大通りで斬った。 | 魏書卷11·後廢帝 |
| 532年 | 洛陽 | 出帝元脩が東郭の外で即位し、太極殿に登った。 | 魏書卷11·永熙元年 |
| 532年 | 晉陽 | 高歓が武郷に至ると、爾朱兆は晋陽を略奪して秀容へ逃げ、并州が平定された。 | 魏書卷11·永熙元年 |
| 534年 | 河橋 | 出帝が六郡の十余万で河橋に駐屯した。 | 魏書卷11·永熙三年 |
| 534年 | 長安 | 出帝は斛斯椿らに迫られ、長安方面へ西へ逃げた。 | 魏書卷11·永熙三年 |
| 534年 | 洛陽 | 高歓が洛陽に入城した。 | 魏書卷11·永熙三年 |
| 534年 | 出帝が宇文泰(宇文黒獺)に殺された(二十五歳)。 | 魏書卷11·永熙三年 | |
| 534年 | 孝静帝元善見が即位し、年号を天平と改めた(東魏の成立)。 | 魏書卷12·天平元年 | |
| 534年 | 鄴 | 東魏が都を鄴に遷した。 | 魏書卷12·天平元年 |
| 536年 | 蒲津 | 高歓が晋陽から西へ進軍し、蒲津に至った。 | 魏書卷12·天平三年 |
| 537年 | 上洛 | 高敖曹が上洛を陥落させ、西魏の洛州刺史泉企を生け捕りにした。 | 魏書卷12·天平四年 |
| 537年 | 沙苑 | 高歓は沙苑まで進んだが、不利となって退却した。 | 魏書卷12·天平四年 |
| 538年 | 洛陽 | 侯景・高敖曹が金墉城(洛陽)の独孤如願を包囲した。 | 魏書卷12·元象元年 |
| 538年 | 河陰 | 河陰で西魏軍を大破し(高敖曹戦死)、金墉の包囲が解けた。 | 魏書卷12·元象元年 |
| 539年 | 鄴 | 新宮が完成し、鄴で大礼を行い、改元した。 | 魏書卷12·興和元年 |
| 542年 | 玉壁 | 高歓が西魏の玉壁を包囲したが、十一月に退却した(玉壁の攻防)。 | 魏書卷12·興和四年 |
| 543年 | 邙山 | 邙山の戦い:高歓が宇文泰の軍を大破し、六万余を斬り、捕らえた。 | 魏書卷12·武定元年 |
| 547年 | 晉陽 | 高歓が晋陽で死去した(死は秘された)。 | 魏書卷12·武定五年 |
| 547年 | 潁州 | 侯景が反乱し、潁州刺史の司馬世雲が城をあげてこれに呼応した。 | 魏書卷12·武定五年 |
| 547年 | 彭城 | 梁の貞陽侯淵明が寒山で泗水をせき止め、彭城を水没させようとした。 | 魏書卷12·武定五年 |
| 547年 | 寒山で淵明父子が生け捕りにされ、五万人が斬られ、捕らえられた。 | 魏書卷12·武定五年 | |
| 548年 | 渦陽 | 高岳が渦陽で侯景を大破し、五万を捕らえ、溺死者も多く出た。 | 魏書卷12·武定六年 |
| 548年 | 西魏の王思政が守る潁川を、洧水の水を引いて水攻めにした。 | 魏書卷12·武定六年 | |
| 548年 | 建業 | 侯景が揚子江を渡って建業を攻めた(侯景の乱)。 | 魏書卷12·武定六年 |
| 549年 | 建業 | 侯景が建業を陥落させ、梁武帝を再び傀儡として立てた。 | 魏書卷12·武定七年 |
| 549年 | 高澄が潁州を陥落させ、西魏の王思政を生け捕りにした。 | 魏書卷12·武定七年 | |
| 550年 | 孝静帝は斉に禅譲し、別宮へ退いた(東魏の滅亡)。 | 魏書卷12·武定八年 |
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