アルヴァレス『プレスター・ジョンの国』(記録 の史料)。扱う年は1520年 〜 1527年、出来事96件を年代順に整理。原文のライセンスと出典つき。
| 区分 | 記録 |
|---|---|
| 視点 | 外側の視点 |
| 扱う年 | 1520年 〜 1527年 |
| 出来事の数 | 出来事96件・地図に置いた19件 |
| 著者 | Francisco Alvares |
| 原題 | Narrative of the Portuguese embassy to Abyssinia during the years 1520-1527 (영역만; 포르투갈어 원문 없음) |
地域の内訳: サハラ以南アフリカ 85 · 西アジア 5 · 南アジア 4 · エジプト・北アフリカ 1
| 年 | 場所 | 出来事 | 原文の位置 |
|---|---|---|---|
| 1520年 | Maçua (Massawa) 섬 | セケイラの艦隊がマッサワ島に到着。住民は避難して島は無人だった | ch. I |
| 1520年 | Arquiquo 해안 평원 (세케이라와 바르나가이스 회견지) | セケイラとバルナガイスが平原で会い、十字架にかけて互いに友好と保護を誓う | ch. IV |
| 1520年 | Arquiquo 인근 평원 (출발지) | ロドリゴ・デ・リマ一行はバルナガイスの護衛を離れ、アルキコ平原を去ってビサン方面へ向かう | ch. VI |
| 1520年 | 디세(Dise) 성 미카엘 수도원 | 一行はディセの聖ミカエル修道院に荷を入れて宿泊。その後病が広がり、使節も病に伏す | ch. IX |
| 1520年 | Jangargara 마을 (비사룬 수도원 영지) | エチオピアの使節マテウスが病死し、ビサンの修道院に葬られる | ch. IX |
| 1520年 | Zalote 마을 (장로의 마을) | 一行は猿の群れが棲む大きな山を越え、ザロテ村に滞在。次の日曜に村の教会でミサ | ch. XVII |
| 1520年 | Barua (바르나가이스의 주읍) | 一行はバルナガイスの本拠バルアに到着。バルナガイスはすでに別の町へ発っていた | ch. XVIII |
| 1520年 | Barra (Çeruel) — 바르나가이스 체류지 | ロドリゴ・デ・リマはバルナガイスに謁見してラバと輸送を求める。ラバは断られ、息子の一人を護衛に付けると約束される | ch. XVIII–XIX |
| 1520年 | Barua | 1520年6月28日にバルアを出発。11日間出発の装備が支給されず、案内人は荷を半リーグほど運んだところに置いて去る | CAP.XXVII (part_02 L51-83) |
| 1520年 | Barra | 7月3日、荷がバラに到着。バラのバルナガイスが装備の提供を先延ばしにし、使節一行は待たされる | CAP.XXVIII (L85-148) |
| 1520年 | Temeisom (Temei) | バラを出てテメイソムに滞在(約4リーグ、豪雨で3日)。ここの首長はバルナガイスの従兄弟 | CAP.XXXI (L296-313) |
| 1520年 〜 1526年 | Barua | バルアにイナゴの大群が襲来し農作物を荒らす。アルバレスが行列を行い破門を警告するとイナゴが去ったと本文は伝える(奇跡の主張) 判定保留 | CAP.XXXII (L343-444) |
| 1520年 | Tigrimahom's house (지명 없음) | 7月28日、使節がティグリマホンの家に滞在しており荷を持ってくるようにとの伝言。荷を運んでバルア川(バルナガイスとティグリマホンの領地の境)に至る | CAP.XXXIV (L509-536) |
| 1520年 | Abafazem | バルア川を渡った後、山あいの村アバファゼムに宿泊。教会の描写 | CAP.XXXV (L541-601) |
| 1520年 | St. Michael (Houses of St. Michael) | 聖ミカエル村で宿を断られ、教会の境内に泊まる | CAP.XXXV[53] (L606-663) |
| 1520年 | Tigrimahom beteneguz (지명 없음, 각주 68) | 8月6日に出発し、ティグリマホンの命で使節が滞在している場所へ戻る。使節と一行が再合流 | CAP.XLII (L1093-1148) |
| 1520年 | hamlets near Tigrimahom land (지명 없음) | 8月9日、ティグリマホンの命で荷がすべて運ばれる。夜に虎が住民一人を襲い負傷させる。小さな村に宿泊 | CAP.XLIII (L1160-1201) |
| 1520年 | Dangugui | 8月13日、土日を過ごした場所を出てダンググイに滞在 | CAP.XLIV (L1241-1256) |
| 1520年 | Belete | ベレテに到着。バルガダ・ロベルが使節を訪ねて会談し、牛と蜂蜜を贈る。使節は剣の代わりに兜を与える。塩が貨幣の役割を果たすとの本文の説明 | CAP.XLIV (L1256-1282) |
| 1520年 | Benacel / Corcora (Tigrimahom 쪽) | ベナセル近くで修道士が荷の責任者の首長を殴る。使節が止めに入り、修道士はラバとラクダを雇いに去る。一行はコルコラで3日待つ | CAP.XLV (L1325-1366) |
| 1520年 | Manadeley | マナデレに到着。交易都市。住民はプレスター・ジョンに金1000ウキアを強制的に借り上げられたと不満を述べる | CAP.XLVI (L1371-1476) |
| 1520年 〜 1526年 | Farso | ファルソ近くで、イスラム教徒の襲撃に対しキリスト教徒が800人を殺す。首は道端の木に吊るされる | CAP.XLVII (L1481-1576) |
| 1520年 〜 1526年 | Doba (지역명, 특정 지점 없음) | ドバの首長12人が頭に石を載せて降伏しに来る。プレスター・ジョンは彼らを100リーグ外へ追放し、部下たちをダムテ王国に置く | CAP.XLVIII (L1583-1676) |
| 1520年 | river near Janamora (지명 없음) | 野営中、上流から突然の洪水が押し寄せて荷の一部が流される。人々はかろうじて難を逃れる | CAP.XLIX (L1681-1742) |
| 1520年 | Sabalete 쪽 출발 (지명 본문상 Sabalete 강 근처) | 10月3日に出発。修道士は荷を道端に置いたまま一行を険しい山道へ導き、不満が生じる | CAP.L (L1747-1792) |
| 1520年 | Corcora of Angote | 10月4日、アンゴット・コルコラの教会近くに戻り、荷の一部(ラクダを含む)を置いていく | CAP.L (L1800-1824) |
| 1520年 | Ancona (valley) | 10月5日、アンコナ谷の大教会に到着。木曜に大市がある | CAP.LI (L1834-1845) |
| 1520年 | Ingabelu | インガベルから荷のある場所へ引き返す。荷の運搬を拒んでいた村人と和解して食料を得る。夜に虎が少年をさらう | CAP.LV (L2270-2316) |
| 1520年 | dry river near Angote Ras (지명 없음) | 9月14日、アンゴット・ラスの住まい近くの涸れ川で、三つの丘の住民が石を投げて攻撃。修道士側の多数が負傷し一部は捕虜に。翌日使節が来て、アンゴット・ラスが自宅でもてなす | CAP.LVI (L2321-2391) |
| 1520年 | Angua | 夜に村人が石を投げ、一行は三、四方向に散る。案内の修道士は「正義」を口実にラバ・牛・布を取り立てる | CAP LVIII |
| 1520年 | プレスター・ジョンの弟が山を脱出して母の家に行くが捕らえられ、プレスター・ジョンのもとへ連行される。プレスター・ジョンは衣服と金を与えて山へ送り返す | CAP LX | |
| 1520年 | Acel | アチェルに到着し週末滞在。川の間の丘にある良い村で、小麦と粟の畑がある。使節と案内の修道士の間で争い | CAP LXII |
| 1520年 | Macham Selasem | 三位一体教会マカム・セラシエに到着。教会の門前で入場を阻まれ、案内の修道士も阻まれる。一行は教会を見ずに去る | CAP LXIII |
| 1520年 | Xoa gates | 10月2日朝、岩の上の関門に到着。狭い峡谷を通ってショア(Xoa)王国の地に入る | CAP LXV |
| 1520年 | Badabaxa gates | アムハラ(Amara)とショアの王国境の関門バダバクサ。関門の間は5レグア。関門の外の平原で野営 | CAP LXV |
| 1520年 | Brilibanos | ビリバノス修道院の向かいの岩の上で野営。修道院の葬儀と後任院長(ムーア人出身のヤコブ)の選出の場面は別の時のことと本文が説明 | CAP LXVI |
| 1520年 | Auriata | アウリアタの小さな村に土日滞在。プレスターの陣営が見える。マッサワ港の艦隊から逃げた水夫3人が訪ねてくると、案内の修道士は激怒して捕らえようとする | CAP LXVII |
| 1520年 | 宮廷でポルトガル使節が贈物(胡椒と布)を差し出す。宮廷の役人が目録を大声で読み上げ、群衆が歓声を上げる | CAP LXIX | |
| 1520年 | プレスター・ジョンが宮廷を元の場所から移す(約2レグア)。案内の修道士はラバを買って荷を運び商売するよう勧めるが、使節は断る | CAP LXXI | |
| 1520年 | ポルトガル人たちはプレスター・ジョンに胡椒4荷と櫃4つを献上することにする(フランク人の助言)。アルバレスが持参する | CAP LXXII | |
| 1520年 | 夜の謁見の試み。使節団は戸外で1時間以上待たされる。プレスター・ジョンはマテウス事件と火縄銃の件を尋ねる | CAP LXXIV | |
| 1520年 | 夜の謁見でポルトガル兵2人が剣と盾で実演する。プレスター・ジョンは使節団にミサを捧げることを許可する | CAP LXXV | |
| 1520年 | 使節団の天幕で盗難(衣類など、史料の推定で200クルザード)。現地の女が、娘を拐われたとアラブ人通訳を介して抗議する。プレスター・ジョンはミサ用でない天幕を送る | CAP LXXVIII | |
| 1520年 | プレスター・ジョンが馬5頭を送り、使節団に宮廷前での騎馬の実演を求める。夕暮れの薄暗がりでの実演に、使節は不満 | CAP LXXX | |
| 1520年 | 使節がポルトガル王の書簡と指示書を現地の文字に訳して提出。プレスター・ジョンはマッサワ・スアキン・ゼイラに要塞を築き食糧を供給すると提案し、ゼイラ占領がより良いとみなす | CAP LXXXII | |
| 1520年 | プレスター・ジョンがアルバレスを呼び、聖人伝(ヒエロニムス・ドミニコ・フランチェスコ)と教皇権を尋ねる。アルバレスはローマ教会の優位を主張し、相手は公会議の決定にのみ従うと反論 | CAP LXXXIII | |
| 1520年 | プレスター・ジョンがアルバレスの聖人伝の書(Flos Sanctorum)を求める。家臣たちが聖人の出身地と事績を現地の文字で書き写す。その後、日曜のミサに宮廷の聖職者たちが参列 | CAP LXXXIV | |
| 1520年 | プレスター・ジョンが小姓2人だけを連れて突然馬で出立。宮廷全体が騒然となる。使節団はラバ・奴隷・荷担ぎを受け取る(ラバ35、荷15) | CAP LXXXV | |
| 1520年 | 宮廷到着後、使節団内で内紛。ジョルジェ・デ・アブレウとロペス・ダ・ガマが剣と槍で争う(アブレウ一人が負傷)。プレスター・ジョンが和解を勧める | CAP LXXXV | |
| 1520年 | 宮廷でのレスリング。画家アンドラーデが脚を骨折(プレスター・ジョンが絹の衣を下賜)。12月3日、使節団のレスラー、アイレス・ディアスが相手と戦い腕を折って戻る。エステヴァン・パルパルトは怖気づいて戦わず | CAP LXXXVI | |
| 1520年 | クリスマス前夜、プレスター・ジョンがアルバレスを呼び、降誕祭のミサを依頼。教会の天幕を自分の天幕の脇に張り、ミサを行う | Cap. LXXXIX (줄 134-161) | |
| 1520年 | プレスター・ジョンが夜に宮廷を移動。行列が険しい峠(Aquia fagi)を通る際、人とラバが落ちて死ぬ | Cap. XC (줄 325-353) | |
| 1520年 | 12月28日、宮廷の行列が聖ジョージ教会の傍らで宿営。プレスターがアルバレスに壁画と金箔の扉を見せる | Cap. XCI (줄 364-370) | |
| 1520年 | Masua (Massawa) | ポルトガル使節団(ロドリゴ・デ・リマ、フランシスコ・アルバレス)がマッサワ港に到着。以後プレスター・ジョンの国に6年滞在 | Cap. IX 머리 (Questions of the Archbishop of Braga, 조각 줄 722~726) |
| 1521年 | Macham Selasem (Trinity church) | 1月1日、宮廷がマカム・セラシエ(三位一体)教会に到着。聖職者・修道士2万人余りが出迎え、日傘は64本 | Cap. XCIII (줄 532-555) |
| 1521年 | 公現祭に合わせた大規模な洗礼。プレスター・ジョンが先に水に入り、アルバレス一行は洗礼を断って一晩中見守る | Cap. XCV (줄 727-836) | |
| 1521年 | アビマ・マルコスが一日で司祭2,357人を叙階。アルバレスは自分で数えず、担当者から聞く | Cap. XCVI (줄 908-959) | |
| 1521年 | 1月10日、助祭の叙階。乳飲み子まで叙階する慣行をアルバレスが批判 | Cap. XCVII (줄 1027-1092) | |
| 1521年 | Macham Selasem (Trinity church) | 1月12日夜、一晩中、聖歌と楽器の中でマカム・セラシエ教会の奉献式 | Cap. XCIX (줄 1202-1212) |
| 1521年 | Macham Selasem (Trinity church) | 1月15日、大教会の儀式。先王(ナーオド)の遺骸を移して大教会に安置し、王妃や母らが黒い日傘を掲げて号泣 | Cap. XCIX (줄 1214-1256) |
| 1521年 | 1月17日、プレスターが絨毯の値やポルトガル金の取引を尋ね、夕べの宴を催す。一行は真夜中まで歌い踊る | Cap. C (줄 1266-1340) | |
| 1521年 | 1月29日、大使一行がアビマ・マルコスを訪問。アビマはプレスターとともにメッカを討つことを語る | Cap. CII (줄 1416-1467) | |
| 1521年 | 2月11日、プレスターが大使一行を呼び、金と絹を与える。本国の王と総督への書簡をアビシニア語・アラビア語・ポルトガル語の三言語で記す | Cap. CIV (줄 1614-1688) | |
| 1521年 | 2月12日(四旬節前の火曜)、書簡の包みを受け取って宮廷を発つ。一行は野原で宿営 | Cap. CV (줄 1724-1766) | |
| 1521年 | 灰の水曜日に出発。聖ミカエル教会のある丘の麓で宿営し、アブデナゴ(侍従長)の領地を通過 | Cap. CV (줄 1768-1779) | |
| 1521年 | 荷担ぎ人の間の争いの末、ジョアン・フェルナンデスがファクター(荷の管理人)を槍で二度突き重傷を負わせる | Cap. CV (줄 1780-1802) | |
| 1521年 | マンダデレで大使の従者がムーア人と争い歯を折られる。アブデナゴが加害のムーア人を裁き、金で賠償させる | Cap. CVI (줄 1832-1857) | |
| 1521年 | プレスター・ジョンは罪あるムーア人の首を斬って送り、別のムーア人は釈放する。一行はそのムーア人を奴隷にして鎖でつなぐ(のちに逃亡) | Cap. CVI (줄 1859-1882) | |
| 1521年 | アバシネテに到着。住民が石を投げ、宮廷の大貴族二人(アドルガス・グラゲタ)が一行を迎える | Cap. CVII (줄 1892-1897) | |
| 1521年 〜 1522年 | Barua | バルアで大使が食料の支給を拒否。夜に大使側の家を襲って壊し銃を撃ち、大使一行は裏口から逃げる | Cap. CVII (줄 1916-1968) |
| 1521年 〜 1522年 | アバシネンで大貴族二人が一行を護送。住民(修道士の群れを含む)が弓で抵抗し野戦のようになり負傷者が出る。村は略奪される | Cap. CVIII (줄 1994-2006) | |
| 1521年 〜 1522年 | バルナガイスがマンダデレで一行を叱責し、大使をバラへ移す。大使側とジョルジェ・デ・アブレウ側を引き離す | Cap. CVIII (줄 2010-2031) | |
| 1523年 | 復活祭の八日目に手紙が届き、ポルトガル使節団はマヌエル王の死を知って喪服を着る | Cap. CXII | |
| 1523年 | Barua (추정 출발지) | アルバレスと使節団が胡椒を積んで宮廷へ向けて出発 | Cap. CXII |
| 1523年 | Fatiguar 왕국 | 宮廷に到着。ファタガル王国でプレスター・ジョンに会う | Cap. CXII |
| 1523年 〜 1524年 | Dara | プレスター・ジョンがアルバレスに教皇宛の書簡を書かせる(地図の翻訳の後) | Cap. CXIV |
| 1523年 〜 1524年 | Fatiguar 쪽 산 (추정) | ゴブ地方の大ベトゥデテが貢物を納めた後に逮捕され、ファタガル近くの山に幽閉されたとの知らせ | Cap. CXVII–CXVIII |
| 1524年 | Oyja 입구 (왕국 입구) | ティグリマホンの逮捕。ダムテの高山に送られ、飢えと寒さで死ぬ | Cap. CXIX |
| 1524年 | Orgabija 왕국 (아드레아 경계) | プレスター・ジョンが自らアデア王国の平定に出陣。王妃と家族はオルガビジャに残す | Cap. CXIX |
| 1524年 〜 1525年 | Suaquem (= Suakin) | バルアを出た巡礼修道士の隊商がスアキンの向こうでイスラム教徒に襲われる。老人は殺され、若者は奴隷として売られる | Cap. CXXVIII |
| 1524年 | Abrigima 영지 | ポルトガル人一行はアブリジマの領地のほうに滞在。復活祭まで船の到着を待ったが来なかった | Cap. CXXXIX |
| 1525年 | Abrigima 영지 출발 → 바닷가 쪽 | プレスター・ジョンの許可なくアブリジマを発ち、海辺(バルア)のほうへ引き返す | Cap. CXXXIX |
| 1526年 | Barua | 先に送った二人が戻り、ポルトガル艦隊はおらずインドは敗れたとの知らせを伝える(イスラム商人の話) | Cap. CXL |
| 1526年 | Arquiquo | バルナガイスとともにバルアからアルキコの道へ出発。ディンギルで宿泊し、アルキコ近くで宿営 | Cap. CXLI |
| 1526年 | Masua (섬·항구) | 大型ガレオン3隻とカラベル船2隻の計5隻の艦隊がマッサワから共に出航 | Cap. I |
| 1526年 | Camaran 섬 | カマラン島で無風のため3日停泊。先に死んだ大使ドゥアルテ・ガルヴァンの遺骸を収容して船に積む | Cap. I |
| 1526年 | Aden 맞은편 바다 | アデン沖の海で嵐。二晩船が散り散りになり、小舟の少年が溺死 | Cap. I |
| 1526年 | Mazquate (= Muscat) | ホルムズ王国に属する港マスカットに到着し、散っていた船が再び集まる | Cap. I |
| 1526年 | Ormuz (옛 호르무즈 성) | ホルムズ要塞に到着。総督ロポ・ヴァス・デ・サンパイオが出迎える | Cap. I |
| 1526年 | Ormuz (옛 호르무즈 성) | ディオゴ・ロペス・デ・セケイラ宛のプレスター・ジョンの書簡が総督ロポ・ヴァス・デ・サンパイオに渡される | Cap. II |
| 1526年 | Chaul | チャウル要塞へ航海し、エイトル・ダ・シルヴェイラが捕らえた拿捕船3隻(金を積載)と捕虜を一緒に受け取る | Cap. III |
| 1526年 | Goa | ゴアに到着。聖カタリナの祝日の大行列で、プレスター・ジョンの使節がポルトガル人の信仰を確認する | Cap. III |
| 1526年 | Cananor (= Kannur) | カンナノール(Cananor)に6日滞在。ヤコブの礼拝堂を再び見る | Cap. III |
| 1526年 | Cochim (= Kochi) | コーチン(Cochim)に到着。ドゥアルテ・ガルヴァンの息子が遺骸を迎える | Cap. III |
| 1526年 | Masua (Massawa) | 使節団が帰国のためマッサワ港で乗船(1526年4月28日) | Cap. IX 머리 (조각 줄 726~728) |
| 1526年 〜 1527年 | Cochim (Kochi) | 使節団がコーチンに滞在する間、船3隻に胡椒と丁子を積んで出航準備(のちカンナノールへ向かう) | Cap. IV 머리 (조각 줄 9~16) |